2018年06月19日

都市型災害の影響:大阪北部地震

 昨日、午前7時58分に起きた大阪北部地震。
 死者4名、負傷者300名。
 ブロック塀が倒壊したり、火災が発生したり、水道管が破断し道路が陥没したりという直接的な被害が見られた。
 震源近くでは断水や都市ガスの停止が起きており、しばらくは影響が続きそうだ。

 今回の地震で特に人々への影響が大きかったのは、交通機関が広域で全面運休したことだろう。
 朝8時という通勤時間帯であったこともあり、通勤途中で被災し、職場へも行けず、帰宅もできない人が駅周辺にあふれた。
 新幹線については、午後3時ごろに運行が再開したが、在来線はなかなか再開の見込みが立たなかった。
 いつ動き出すか分からないまま、駅周辺で待ち続ける人々。
 新幹線が再開したが、新大阪駅へのアクセスがすべて停止している。
 夕方には、梅田から新大阪まで徒歩で向かう人で長い行列ができた。

 都市で大地震に見舞われたときは、むやみに動き回るのではなく、いち早く宿泊場所を見つけるなど、落ち着ける場所を確保することが望ましい。
 人が多すぎるために、有効なルートが見つかったとしても、そこには多くの人が殺到し、常に群衆の中に身を置かなくてはならなくなるからだ。
 群衆の中に身を置くのはそれだけでリスクが大きい。
 ただ、今回の地震の場合、これほどまで長時間にわたり交通がストップするとはだれも思わなかった。
 確かに大きな揺れがあったが、目に見えるような被害がなかったからだ。
 緊急点検を行なった後、午前中には動き出すのではと思った人も多かったのではないか。
 ところが、この緊急点検に時間がかかった。
 再開の見込みが立たないまま、今か今かと待ち続けるうち、夜になってしまったというのが実態だろう。
 JRも、午後3時ごろからは午後5時に再開の見込みとのアナウンスをしていた。
 ところが、それが午後7時になり、すぐに午後10時と変更されていった。
 JRも再開の見通しを正確に把握できていなかったことが分かる。
 たぶん、何の情報のないまま待たされる乗客の不安やいらだちを紛らわせるためにも、情報を先走って出してしまったのだろう。
 はじめから、「運行再開は午後10時以降になる見込み」「本日中の運行再開はありません」とのアナウンスが出ていれば、人々は次の行動に移っていたかもしれない。
 だが、この判断は非常に難しい。
 JR側も、運行再開に全力を挙げており、これほど時間がかかるとは当初思っていなかったのに違いない。

 昨日は梅雨時でありながら、幸いにも天気は良かった。
 寒くも暑くもない。
 地震が起きたのが早朝なので、暗くなるまでに十分な時間がある。
 町は深刻な被害を受けていないので、途中でコンビニやレストランを利用しながら進むことができる。
 徒歩で移動することが可能だったのだ。 
 線路沿いに徒歩で歩き始め、運行再開した時点で最寄駅から乗車するという方法をとることができただろう。
 20q程度の距離であれば、徒歩移動を検討すべきだ。
 
 


 
posted by 平野喜久 at 10:02| 愛知 ☁| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月18日

大阪府で震度6弱

 本日、午前7時58分、大阪府北部で強い地震が発生した。
 震源は茨木市、深さ13m、マグニチュード6.1
 最大震度は6弱。
 有馬高槻断層帯の一部が破壊したらしい。
 この地域は活断層の密集地帯で、無数の活断層が確認されている。
 熊本地震の教訓を生かせば、強い地震が起きた後、同規模の地震が近隣の地域で再び発生する恐れに警戒しなければいけない。
 それは余震かもしれないし、本震かもしれない。
 また、別個の地震が誘発されて起きるかもしれない。
 今後の予想は難しいが、可能性として、大地震の発生したあと数日から数週間は、同程度の地震が起きやすい状態にあることだけは確かだ。

 
 大阪府内を震源とした地震が起きたのは、1936年の河内大和地震以来だ。
 河内大和地震は、M6.4 、死者8名だった。
 それほど大阪で内陸型の地震が起きるのは珍しい。
 大阪で一番心配されている内陸型地震は、上町断層帯が破壊して起きる地震だ。
 これが起きると、大阪市内が壊滅的なダメージを受ける。
 有馬高槻断層帯は、上町断層帯とは直接つながっているわけではなく、影響は少ないだろうと見られている。
 ただ、一度地震が発生し、地盤のひずみ状況に変化が生じると、周辺の活断層を刺激する可能性があり、そのことが心配されている。

 今回の地震は、直接的な被害はそれほど大きくないが、交通機関への影響が大きかった。
 大阪、京都、神戸、奈良のJR、各私鉄は全面運休になった。
 新幹線は午後になって一部運行再開。
 月曜日の通勤時間帯だったことから、人々の移動に大きな影響が出た。
 都会を襲う地震は、直接的被害が少なかったとしても、間接的な被害が広範囲に及ぶ場合がある。
 
 この地震を、私は京都事務所にて感じた。
 最初、地響きのような細かい揺れが発生。
 初期微動だ。
 すぐに地震だと分かった。
 だが、スマホの緊急地震速報がその時点では無反応。
 初期微動が3秒ぐらい続いた後、大きな横揺れ。
 書棚などを揺さぶった。
 横揺れは十数秒ぐらいで減衰していった。
 揺れている最中に、スマホの緊急地震速報が鳴り始める。
 気象庁は地震発生後4秒以内に緊急地震速報を発信したという。
 京都事務所から震源まで24km。
 これだけ震源が近いと、緊急地震速報は間に合わない。
 ただ、3秒の初期微動があり、この間に身構えることができるかどうかが重要になりそうだ。



 

 
posted by 平野喜久 at 16:41| 愛知 ☔| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月10日

被害想定1410兆円:南海トラフ巨大地震

 土木学会が7日、南海トラフ地震の長期的な経済被害額の推計を公表した。
 南海トラフ巨大地震発生後、20年間で最悪1410兆円に達すると算定。
 「国難」と呼びうる事態になりかねないとして、政府に対策の強化を求めるという。
 1410兆円は国家予算の14倍。
 日本は東アジアの最貧国に転落しかねない。

 南海トラフ巨大地震の被害総額は、5年前に内閣府が行なった推計がある。
 220兆円。
 これは、被災後1年程度の短期的な被害に限定した数字だ。
 これでも国家予算の2.3倍にのぼる被害規模で、日本経済を根本からひっくり返すようなダメージをもたらすと衝撃を受けた。
 今回の土木学会の推計は、被災後20年という長期的な被害額を算出している。
 そのために、1410兆円という天文学的な数値になってしまっている。
 南海トラフ巨大地震が国難をもたらすのは間違いはないものの、それを強調しようとするあまり、現実離れした数値になってしまっている感じが否めない。
 
 今回の推計の算出根拠はよくわからないが、地震による直接的な被害額は170兆円と推計し、それによって波及する間接的被害を含めると、1410兆円になるということらしい。
 直接的被害とは、地震や津波により損壊した建物やインフラの被害額をいう。
 間接的被害とは、企業の生産活動の低下や国民所得の減少といったものを指す。
 この間接的被害は、本来なら得られたであろう収益が得られなくなるという機会損失のことだ。
 地震による経済活動の低下は長期に及ぶので、この機会損失をすべて足し合わせたら、莫大な被害額になるのは当たり前だ。
 だが、地震が起きなかった場合と比べて、地震が起きた後の機会損失を長期に足し合わせることにどれだけの意味があるのか分からない。
 
 地震発生後は経済活動が長期にわたって停止したままになってしまうわけではない。
 直ちに復旧活動、復興活動が始まる。
 地震発生と同時に経済活動は一気にどん底に落ちるが、その直後から、活動が再開する。
 全国のあちこちで復興需要が発生し、たぶん、日本経済は急ピッチで立ち上がっていくだろう。
 つまり、長期的な被害額というのは、潜在的な復興需要の総額でもあるのだ。

 確かに、南海トラフ巨大地震が日本経済に及ぼす影響は大きい。
 一時的に壊滅状態に陥る。
 だが、日本が最貧国に転落することはない。
 今回の土木学会の推計は、国の防災予算を確保するための説得材料として提示されたのだろう。

 南海トラフ巨大地震による被害を最低限に抑える対策を怠らないのは重要だ。
 この事前対策は、本番を迎えるまで永遠に続けなければいけない。
 しかし、事前対策には完璧はあり得ず、どんなに対策を施しても、多大なダメージを受けるのは避けられない。
 企業のBCPでは、ダメージを最小限に抑える対策を怠らないのは当然だが、ダメージを受けた後、いかに早期に業務再開するかということの方に重点が置かれる。
 つまり、BCPのポイントは、被害を受けないことにあるのではなく、被害を受けても最短で立ち上がることにある。

 企業のBCP支援をしているときによく見かける失敗事例に、ポイントの置き所が間違っているケースがある。 
 被害をなくすことばかり考えていてそこから先に議論が進んでいかないことがある。
 どんな対策を施しても、被害をなくすことは無理だ。
 考えれば考えるほど、不可能の壁にぶち当たり、手詰まりになる。
 「もう何をやってもダメだ」という答えしか出てこなくなり、やがて考えることもあきらめてしまう。
 私たちがやるべきは被害を最小限に抑えることであり、被害をゼロにすることではない。
 ヒトの命が奪われたり、事業が再起不能に陥ってしまうような最悪の事態だけは絶対に避けなければいけないが、それさえクリアできたら、あとは、いかに早く業務を再開するかということの方に重点を移すべきだ。

 これは、地方自治体の南海トラフ対策においても同じだ。
 被害想定の大きさに気後れして手詰まりになっているところがあまりにも多い。
 一定程度の被害があるのは当たり前。
 それを前提に、いかに早く復興するのかということの方が遥かに重要だ。
 震災後の復興計画を描いている自治体がある。
 この自治体は震災後も間違いなく発展するだろう。
 少子高齢化が急速に進む時代、人口減少に歯止めがかからない自治体が出始めている。
 今後は、地方においては人口の奪い合いが起きる。
 南海トラフ巨大地震によって、この傾向は加速し、自治体の優勝劣敗が明確になりそうだ。
 
 
 
 
posted by 平野喜久 at 09:13| 愛知 ☁| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月18日

地銀優等生の化けの皮:スルガ銀行

 スルガ銀行の杜撰融資の実態が暴かれつつある。

 不動産投資の個人ローンをめぐって行われた杜撰融資の実態はこうだ。
 不動産会社が個人相手にマンションの不動産投資を勧める。
 不足資金は銀行借り入れにより対応する。
 返済資金は、マンションの賃貸料で賄う。
 はじめから巨額資金がなくても、マンション投資ができるというのがスキームの基本だ。
 
 個人客は、賃貸料が入らなくなったときに、このスキームが破綻するのがすぐに分かる。
 そのリスクを解消するために、不動産会社は、マンションを借り上げ賃貸料を保証するという条件を出す。
 こうすれば、個人のリスクはない。

 さらに、不動産投資は一定割合は自己資金で対応するのが原則だが、不動産業者はそこもクリアできるように画策する。
 自己資金ゼロでも不動産投資が可能を売りにする。
 自己資金ゼロで融資してくれるような金融機関があるのか。
 あるわけがない。
 そこで、不動産業者は、銀行融資を受けるときに客の自己資金を偽装する。
 預金通帳のコピーを書き換えたり、一時的に預金口座に一定額の金額を入金したりしてごまかすのだ。
 あとは、審査の緩い金融機関を見つけるだけ。
 その金融機関がスルガ銀行だった。
 スルガ銀行は、審査スピードの速さと柔軟な融資姿勢が売りだった。
 分かりやすく言えば、審査のハードルが低い。
 個人ローンでも、自己資金10%あればOK。
 この10%の自己資金さえ偽装できれば、融資は簡単に実行される。

 例えば、1億円の投資物件があるとしよう。
 その場合は、投資物件の価格を約1億1千万円に割増し、さらに投資家の個人資産が約1100万円あるかのように偽装する。
 すると、スルガ銀行から1億円の融資を引き出すことができる。
 その1億円の融資金でマンション購入すれば、自己資金ゼロで不動産投資ができるという仕掛けだ。

 ここで問題になるのが、スルガ銀行がこのスキームを知っていたのかということ。
 知らなかったらスルガ銀行は被害者だが、実態は知ってたどころか、積極的に関与していたようだ。
 融資の申請書類の改竄まで関与していたようだ。
 審査のスピードと柔軟さも、営業部門の圧力に審査部門が屈した結果だった。
 不動産会社に利用されたというより、むしろ、スルガ銀行が不動産会社を顧客獲得に利用していたように見える。
 不動産業者は、賃貸料の保証が行き詰まり、新たな投資の入金を支払いに充てる自転車操業が続き、ついに経営破綻。
 それで、個人融資が一気に不良債権化し、今回の杜撰融資が表面化した。

 去年まで、スルガ銀行は地銀の中でも特に収益力が高い優良銀行と評判だった。
 行員の年収も都市部のメガバンクを超える。
 預貸金利ざやを見ると、地銀の中では断トツにとびぬけて高い。
 多くの地銀がマイナスの利ざやに苦しみ、優良銀行でも1%に届かないのが当たり前の中、スルガ銀行だけは2%を超えていた。
 2位以下をぶっちぎりで引き離してトップに輝いていたのだ。
 いろんなアナリストが、結果論でその成功要因を分析していた。
 法人融資が伸び悩む中、個人ローンに対象を特化し、審査のスピードと柔軟さで他行を引き離した。
 他行が手を出さないようなリスクの大きい個人も対象とするが、そこはリスクに見合った高金利でバランスを取る。
 スルガ銀行は創業家一族の支配する珍しい金融機関だが、そのことも成功要因として語られたりした。
 創業家だから、リスクに挑戦し、大胆な業務変革ができると分析された。
 金融庁でさえスルガ銀行の好業績なべた褒めだった。
 「今後の地銀の新しいビジネスモデルを確立した」

 これほどのすばらしいビジネスモデルなら、なぜ他行が真似しないのか。
 この謎についてもいろんな解釈がされた。
 個人客の豊富なデータベースがあり、適切な与信審査がスピーディにできることが他行が真似できないノウハウであるらしかった。

 スルガ銀行が圧倒的に高い利ざやを確保できていたのは、簡単だ。
 個人に高い金利で融資をしていたから。
 金利が高いということはリスクが高いことを意味する。
 金利の高い個人客ばかり集めてしまうと、貸し倒れのリスクが高まってしまう。
 それを恐れて、普通の金融機関はそこに突っ込めない。
 スルガ銀行のビジネスモデルをどうして他行は真似しないのかは、簡単だ。
 リスクが大きすぎるからだ。
 スルガ銀行のビジネスモデルが特別に優れているわけでも、独特のノウハウがあるわけでもなかった。
 誰も気づかなかった新しいビジネスを確立したわけでもない。
 ただ、リスクの大半を不動産業者の詐欺スキームの中に溶け込ませることで、表面的に好業績を上げることができていただけなのだ。

 スルガ銀行が個人に融資していたのは投資向け個人ローンだけではなかった。
 個人ローンの条件としてフリーローンも付加するケースもあったという。
 フリーローンは使い道は自由。
 その代わり金利が7.5%とものすごく高い。
 言われるがままに、不必要に高金利の借金をしてしまった個人客がいそうだ。
 さらに、そのフリーローンで融資した金額をそのまま拘束預金として縛ることもしていたらしい。
 使い道自由のはずのフリーローンが使えなくなる。
 なのに、高金利を負担しなければならない。
 結局、個人ローンの金利負担が増えるのと同じことになる。
 これは歩積両建といって、表面金利を変えずに、実質金利を上昇させる古くからある手口。
 いまだにこんな手口を使っていたのかと驚くばかりだ。
 こうなると、悪質な高利貸しの様態を示している。

 

 


posted by 平野喜久 at 14:19| 愛知 ☁| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月23日

西側7県 援助隊出さず:南海トラフ巨大地震

 読売新聞の報道による。
 総務省消防庁は、南海トラフ巨大地震で東側の震源域で地震が起きた場合、西側の和歌山や高知などからは救援隊を出動させない方針を決めた。
 南海トラフ巨大地震は、静岡県駿河湾から紀伊半島沖、四国沖、九州沖にかけて東西700qにわたって震源域が想定されている地震だ。
 過去に何度も繰り返し発生しており、毎回発生パターンは違うものの、一定の傾向は把握されている。
 それは、東から地震が始まり、西側に広がっていくという傾向だ。
 南海トラフ巨大地震は、いくつもの震源域が連続して破壊する連動型の地震なのだ。
 時間を置かずに続けて破壊が広がっていくことが多いが、時には時間を置いて連動する場合がある。
 1854年に起きた地震では、東側が破壊した後、32時間後に西側が破壊した。
 1944年の東南海地震が発生した時には、約2年後に西隣の南海地震が発生している。
 いずれにしても、東から西というパターンは決まっており、いまのところ例外はないらしい。
 次に起きると想定される南海トラフ巨大地震も、東から始まって西に広がっていく可能性が高いと見られている。
 その想定を前提とした今回の消防庁の対策だ。

 例えば、駿河湾から愛知県沖にかけて巨大地震が発生したとしよう。
 この時、全国から救援隊が駆けつけることになるが、西側の救援隊まで駆けつけて、留守になったすきに西側で巨大地震が発生したら大変なことになる。
 これを恐れて、東側にだけ地震が発生した場合は、和歌山、高知、徳島、愛媛、香川、大分、宮崎の7県からは救援隊を出動させないこととした。
 これは実際にあり得る想定を前提にした現実的な行動計画といえる。
 今回は、緊急消防救援隊の行動計画だが、同じことは自衛隊でもいえる。
 当然ながら、防衛省内でも同じ行動計画が進んでいるに違いない。
 
 東側と西側の境目は紀伊半島沖と見られている。
 紀伊半島沖に固い固着域が存在していて、それがストッパーの役割を果たしているらしい。
 東側で始まった破壊が、この固着域をやすやすと超えた場合は、西側まで連続して一気に破壊が広がる。
 固着域でストップした場合は、一旦、地震は収束し、時間を置いて西側が破壊する。
 過去の事例では、東側が破壊した後、西側が破壊せずに終わったケースはなく、いずれかのタイミングで必ず西側も破壊する。
 ここにどのぐらいの時間差があるのかが分からない。
 数時間かもしれないし、数年かもしれない。
 人間の感覚では、数時間と数年は大違いだが、地震メカニズムの時間感覚ではほんの一瞬の違いでしかない。
 タイムラグがどのぐらいになるのかを事前に予測するのは実質的に不可能だ。
 東側だけで巨大地震が発生した場合は、近いうちに西側も巨大地震に見舞われることを前提に非常態勢に入らざるを得ないだろう。
 その時、どのような非常態勢を取るべきかは非常に難しい。
 どのような対応をすべきかは、各地の自治体で検討が始まったところだが、これは企業のBCPにおいても同じことだ。
 西側の巨大地震が数時間後か数年後かでは対応の仕方が全く違う。
 数時間後と想定すれば、東側の地震直後に操業を停止し、直ちに避難開始となる。
 ところが、緊急避難をしたまま何も起きなかったとき、どこで避難解除するのか。
 何日も操業を停止したまま従業員を避難させているわけにはいかない。
 いずれかのタイミングで避難解除し、警戒態勢を維持しながら操業再開せざるを得ないだろう。
 いつ操業再開するのか。
 判断をする人の責任は重大だ。

 重要な判断をしなければいけない人の心理的負担を軽減する方法として、あらかじめ判断基準を決めておくという方法がある。
 例えば、こんな感じだ。
 東側で地震が発生した場合は、直ちに操業を停止し、従業員を避難させる。
 72時間以内に東側で地震が発生しなかった場合は、一旦、避難解除し、操業再開。
 その場合も、いきなり100%操業にいきなり戻すのではなく、重要業務に限って再開する。
 その一方で、いずれ起きる西側の巨大地震に向けて、事前対策の最終確認を進めていく。
 その後も警戒態勢は維持しながら、状況に応じて操業割合を変動させていく。

 南海トラフ巨大地震は、東から始まる可能性が高い。
 西側には事前に身構えるチャンスがあると捉えるべきだろう。
 
 

  
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2018年04月20日

地震断層観察館に行ってきた

 岐阜県本巣市にある地震断層観察館に行ってきた。
 この施設は、濃尾地震でできた根尾谷断層を現場保存し見学できるようにしてあることで知られる。
 濃尾地震は1891年10月28日午前6時37分に発生した直下型地震だ。
 マグニチュードは8.0を記録し、内陸型地震としては、国内最大級だ。
 7千人を超える犠牲者、14万戸の家屋倒壊など甚大な被害をもたらした。
 この時、80qにわたって断層がずれ動いた。
 上下6mの断層崖が隆起したのが、根尾谷断層だ。
 地震直後に取られた断層崖の写真は、教科書にも載っており、たいていの人は目にしたことがある。
 この断層崖は、いまでも残っており、断層のずれの大きさを実感できる。

 地震断層観察館は、樽見鉄道の水鳥駅のすぐ前にある。
 樽見鉄道はJR大垣駅で乗り換えだ。
 6番ホームに向かうと途中に切符売り場がある。
 自動販売機ではない、手売りの切符売り場。
 
 「えーと、ミズドリまでください」
 「あぁ、ミドリね。890円です」

 「水鳥」と書いて「みどり」と読むことを初めて知った。
 既に車両がホームに停まっていた。
 ディーゼル車が1両。
 乗客は全部で20人ほど。
 単線の樽見鉄道は、ところどころの駅で対抗車両とのすれ違いをしながら進んでいく。
 はじめのうちは平野部の街中を進んでいくが、すぐに田園風景に変わり、日本の地方らしい景色になる。
 途中、トンネルがいくつもあり、通過するたびに風景がどんどん山間部の雰囲気になっていく。
 両側に新緑の山々が迫り、眼下にはエメラルドグリーンの渓流が見える。
 各駅停車で止まる駅名は、いままで見たことも聞いたことのない珍しいものばかり。
 初見では読めない駅名が多い。

 北方真桑=きたがたまくわ
 木知原=こちぼら
 神海=こうみ
 鍋原=なべら
 日当=ひなた
 水鳥=みどり

 約1時間で水鳥駅に到着。
 降りた客は私を含め2人だけ。
 乗り込む客はなし。
 プラットホームと屋根のついた待合場所があるだけの簡易な無人駅。
 ディーゼル車が去ると、辺りは静寂に包まれる。
 何の物音もしない、遠くのホトトギスの鳴き声だけが山間にこだましているのが聞こえる。
 私と一緒に降りたはずの年配の女性は、いつの間にかいなくなっていた。

 駅から地震断層観察館の屋根が見える。
 そこを目指して歩いていく。
 自動車も通らない。人も歩いていない。
 突然に山中の寒村に降り立ったような感覚だ。
 観察館の前まで来たが、人の気配がない。
 今日は開館しているのだろうか。
 入口に回ると、立て看板が出ていて、「開館中」とあった。
 自動ドアを通って中に入ると、受付の女性がすぐに反応してくれた。

「いらっしゃいませ」

 よかった。人がいた。
 
「地震体験コーナーはどうされます?」
「体験コーナーは何時からですか」
「決まってないんですけど、行かれるのであれば、いまから電源入れてきますけど」

 来客のない平日は、電源を落としているのだ。
 いまは私しか客がいないので、希望を聞いて対応するということだろう。
 本来なら上映開始時間は決まっているのだろうが、今日は私の貸し切り状態で、いつでもお望みの通りにというわけだ。
 
「じゃぁ、ぜひお願いします」
「では、準備に10分ぐらいかかりますので、それまで他の展示コーナーを先にご覧ください」

 展示コーナーの入り口はやや暗いトンネルになっている。
 自動ドアが開いて、中に足を踏み入れると、突然轟音ととともに赤い閃光が点滅する。
 入場者をびっくりさせようとする演出だ。
 中に入ると、地震のメカニズムを開設したパネルや、根尾谷断層の立体模型などが展示されている。
 断層の立体模型は、ボタンを押すと平坦だった土地が片側だけ大きく隆起する動きを見ることができる。

 奥に進むと、地下観察館に入る。
 ここは、最大の見どころ、実際の断層を観察できるところだ。
 すり鉢状に地面が大きく掘削されていて、その斜面に断層のずれがはっきり浮かび上がっている。
 断層面はほぼ垂直に立ち上がっており、上下に6mずれていることがはっきりわかる。
 一瞬にしてこれほどの大地の変動をもたらす自然の巨大エネルギーに圧倒される。
 これほど大きくはっきりした断層は世界的にも珍しく、学術的にも価値が高いという。
 
 断層を観察して外に出ると、職員の方が呼びに来てくださった。

「準備ができたのでこちらへ」

 いよいよ体験コーナーだ。
 立体眼鏡をかけて、中央の席に腰を掛けた。
 シートベルトをかける。
 座席が揺れるので上映中は席を立ってはいけないという注意を受ける。
 正面スクリーンで映画が始まる。

『7番目のスバル』

 小学生を主人公にしたドラマ仕立て。
 夢の中で1891年10月28日にタイムスリップし、そこで濃尾地震を体験する。
 木造の不気味な廃屋の中に迷い込んだ主人公を大地震が襲う。
 午前6時37分地震発生。
 突然座席がガタガタと揺れ始める。
 映像はいろんなものが倒れたり落ちたりする場面が映し出される。
 斧や鎌が上から目の前に落下してくるような映像もある。
 折れた梁が目の前に飛び出してくるような映像も。 
 立体効果を最大限に発揮したような絵作りだ。
 小学生の遠足でこれを体験したら、たぶん会場全体が大騒ぎになるだろう。
 いや、最近の遊園地では絶叫マシンが当たり前の時代、この程度では刺激が足りないかもしれない。
 
 揺れは上下左右に大きく動いた。
 体も大きく揺さぶられて、手すりを持っていないと体がずれてしまう。
 震度4〜5ぐらいの揺れを再現しているらしいが、それ以上に感じた。
 こんな揺れが突然起きたら、どんなに落ち着いた大人でも冷静ではいられないだろう。

 この観察館で費やした時間は30分ぐらい。
 外に出ると、道を挟んで向かい側が断層公園になっている。
 公園と言ってもちょっとした広場になっていて、案内板が2枚並んでいるだけ。
 この公園から、現在の断層の痕跡を見ることができる。
 目の前に巨大な断層崖が連なっているのが分かる。
 あの教科書に載っていた写真と同じ場所にいまいるんだということを実感させる。

 帰りの鉄道の時間まで1時間ある。
 すぐ近くに「樅ノ木」というそば屋があった。
 そこで昼食をとって時間を潰そう。
 営業しているのか。
 店の前に「天狗そば」というのぼりが立っている。
 店の上には赤い回転灯がぐるぐると回っている。
 店の前に行ったら「商い中」と札がかかっていた。
 中に入ると、先客が1名。
 店の人らしい人が何人かいるが、何か歓迎されている雰囲気がない。
 なじみの客しか来ない店か。
 席への誘導もないので、勝手に空いている席に座って、メニューを見る。
 そば類のメニューだけ。
 一番安いので1000円の天狗そば。
 てんぷらそば定食にすると1600円になる。
 店の雰囲気とメニューの相場があっていない。
 そのうち、お茶とおしぼりをもって注文を取りに来るだろうと待っていると、遠くでおかみさんらしい年配女性の声。

「注文決まったら言ってね」

 ようやくこの店のシステムを理解し、慌てて注文した。

「天狗そばおねがいします」
「あったかいの? 冷たいの?」
「あったかいので」
「はーい」

 最近は、サービス過剰なレストランしか経験していないが、昔の食堂はみんなこんな調子だった。
 そして、それで何の問題もなかったし、客も文句を言うことはなかった。
 何か昭和の懐かしい雰囲気を久しぶりに思い出させてくれた。
 しばらくすると、そばが運ばれてくる。
 色の濃い太さの不ぞろいの麺。
 漬物、佃煮、豆腐がついている。
 素朴な田舎そばだ。

 時間まで店内の週刊誌を読みながら時間を潰す。
 どの週刊誌も3週間前のもの。
 この辺には書店はない。
 コンビニもない。
 週刊誌を手に入れようと思ったら、ずいぶん遠くまで出かけなくてはいけないのだろうな、と古い週刊誌記事に目をやりながら余計なことを考える。
 私が滞在した約1時間の間、他の客が来店することはなかった。
 
「ごちそうさまでした」

 勘定をすまそうと立ち上がると、店内には店の人の気配がない。
 厨房の奥からご主人らしい男性が現れる。

「あ、ありがとうございました」

 人のよさそうな主人は何度も頭を下げながら、お金を受け取ろうとしない。
 いま仕込みの最中らしく、手が濡れているためだ。
 千円札をカウンターの上に置いて、店を出た。
 店の前には、山桜が植えてあり、それがいま満開だった。
 そば屋を背景に桜を写真に収め帰路につく。
 小旅行だったが、私自身、過去にタイムスリップしたような不思議な感覚を味わうことができた。
 JR大垣駅から1時間のところに、こんな世界が残っているとは。
posted by 平野喜久 at 12:48| 愛知 | Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月09日

山陰地方に「ひずみ集中帯」か

 本日1:32、島根県西部でM5.8の地震が発生した。
 最大震度5強というやや大きい地震だった。
 山陰地方はもともと地震の少ない地域と見られており、地震発生確率でも常に低い値が出ていた。
 しかし、予想発生確率が低いということは地震が起きないということと同義ではない。
 過去の記録をさかのぼってみると、大災害をもたらすような深刻な地震はめったに起きないが、中程度の地震は頻繁に起きている。
 
2000年10月6日 M7.3 最大震度6強(鳥取県西部地震)
2000年10月8日 M5.6 最大震度5強
2002年9月16日 M5.5 最大震度5強
2011年6月4日 M5.2 最大震度4
2016年10月21日 M6.6 最大震度6弱
2018年4月9日 M6.1 最大震度5強

 山陰地方は目立った活断層は存在しない。
 なのに時々地震が発生するのは、陸側のひずみがこの地域に集中するためではないかと見られている。
 西日本は陸側のユーラシアプレートの上に乗っている。
 海側からフィリピン海プレートがぶつかり、北西方向へぐいぐい押されている。
 そのひずみが内陸で蓄積すると、時々内陸型の地震を引き起こす。
 そのひずみが山陰地方に集中しているのだ。
 1か所のひずみが地震によって解放されると、次に隣り合った別の場所にひずみが移動する。
 するとその別の場所で地震が起きる。
 こうしてひずみの場所が移動していくので、この地域の地震は1度起きると、一定期間連続することが多いという。
 今回の地震もしばらくは警戒した方がよさそうだ。
 
 869年に貞観地震という東日本大震災と同じ規模の地震が東北地方で起きていた。
 その直後に肥後地震が起きている。
 肥後は今の熊本だ。
 そして、その11年後の880年、出雲地震が起きた。
 不気味に今と同じパターンをトレースしている。
 そして、出雲地震の7年後に仁和地震が起きている。
 仁和地震は今でいう南海トラフ地震のことだ。
 南海トラフ地震は過去に何度も起きているが、その発生前には内陸で中程度の地震が起き始めることがあるらしい。
 陸側プレートのひずみがたまってくると、内陸の弱いところが破壊し始めるためだろう。
 いずれにしても、陸側プレートのひずみが蓄積し続けていることは間違いなく、それがいつか一気に解放されるときがくる。
 それが今一番警戒されている南海トラフ巨大地震だ。
 

posted by 平野喜久 at 18:13| 愛知 ☁| Comment(0) | リスクマネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月05日

嶋田賢三郎著『巨額粉飾』読後感

 嶋田賢三郎著『巨額粉飾』を読んだ。
 鐘紡の元財務経理担当常務だった著者が、自ら経験した粉飾決算の内幕をフィクションとして描き出した経済小説。
 私も、鐘紡の財務部社員だったこともあり、思わずこの本を手にし、夢中で読破した。
 著者の嶋田氏とは、同じ時期に鐘紡社員であり、部署も近かったはずだが、ほとんど接点はなく、記憶にない。
 ただ、私が現役当時から、鐘紡の業績悪化は深刻の度を増しており、経営再建が喫緊の課題であることが誰の目にも明らかでありながら、抜本的な手を打てていなかった。
 自分なりに鐘紡の経営分析をしながら、「よくこの会社が持ちこたえているなぁ」と感じたことを思い出す。
 この本を読んで、経営上層部では、こんな動きをしていたのだということが分かり、「なるほど、そういうことだったのか」と合点がいった。
 これは、普通の経済小説とは毛色が違う。
 ドキュメンタリーに近い。
 著者自身が見聞きし、経験したことを詳細に記録した手記のようだ。
 著者の知見だけでは足りないところをフィクションでつないで小説として読ませようという意図だろう。
 固有名詞はすべて仮名になっているが、それぞれ実際に誰のことか、どの企業、銀行、監査法人のことか一目でわかるようになっている。
 粉飾の手口など詳細に解説されており、事実に裏打ちされた強烈なリアリティがある。
 一般の経済小説は、ストーリーを分かりやすくするために、込み入ったビジネススキームは省略したり単純化したりして、読者への配慮をするが、その分、現実にはあり得ないような不自然な設定があちこちに出てしまう。
 その点、この作品は、内部の人間でしか知りえなかったような話が、むき出しのリアリティで展開する。
 著者は、経済小説を書こうとしたのではなく、フィクションの体裁を借りたドキュメンタリーを書こうとしたのではないか。
 内部の人間にしか知りえない粉飾の真実を伝えることが目的だったのではないか。

 ただ、小説として読んだとき、この作品は読みにくさは否めない。
 場面展開がぶつ切れでつながっていない。
 いつの間にか場面が飛んでいて、ついていくのが大変。
 時系列が行ったり来たりして、いまどの時点の話なのか確認するのに骨が折れる。
 会話表現やト書きも未熟で、途中何度も「このセリフは誰の言葉だろうか」と分からなくなる。
 後半になると、ほとんど著者本人の弁明の手記のようで、ひたすら「自分は悪くなかった」ということが延々とつづられている印象。
 全体にストーリー展開に起伏がなく、読者を引きずり込む仕掛けもない。
 500ページを超える長編。
 元鐘紡社員だったから最後まで読めたが、一般の人には読み通すのがしんどそうだ。
 
 巨額粉飾をテーマに小説を書くのなら、次のようなポイントを押さえてほしかった。
 なぜ、名門企業が粉飾に手を出してしまったのか。
 なぜ、何十年もの間、粉飾をやめられなかったのか。
 なぜ、見るも無残な最期を迎えることになってしまったのか。
 この小説では、過去の長期間にわたって信じられないような粉飾が行われてきたことはよくわかったが、「なぜ」の部分がまったく見えなかった。
 せいぜいが「歴代の経営トップが間抜けだったから」という印象しかない。
 名門企業が崩壊していく過程をリアルに描き切っていたら、歴史に残る名作になったはず。
 残念だ。

 
 
 
 
 
posted by 平野喜久 at 22:07| 愛知 ☁| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月15日

AIによるMEGA地震予測:これはAIではない

 週刊ポスト3月30日号にまたまた「MEGA地震予測」が登場。
 今度は、AIを導入して予測精度を上げたというのが目玉だ。
 AI地震予測では、全国を30地区に分け、各地区から抽出した6つの電子基準点の動きを予測に用いているらしい。
 そして、「震度4以上の地震が半年以内に発生するリスク」を0〜5の6段階で評価し表示する仕組みになっているという。
 そのAI予測の結果が雑誌の1ページを使ってマップ表示してある。
 そのマップを見て驚くのは、ほぼ日本列島全域が警戒エリアに入っていること。
 警戒レベル0になっているのは、山陰地方と北海道東北部だけ。
 そのほかのエリアは何らかの警戒レベルにあることを示している。
 ただ、その警戒レベルには強弱があり、レベル5の評価がついている地域は、岩手・宮城・福島あたり。
 東日本大震災が起きたエリアであり、その後も余震が継続している地域だ。
 なるほど、このエリアだったら、震度4ぐらいの地震は当たり前に起きそうだ。
 こんな感じで、日本列島のほぼ全域が何らかの警戒レベルに入っている。
 予測基準を震度4以上に設定しているところが弱気だ。
 震度4程度の地震だったら、しょっちゅう起きている。
 半年の間に、日本で震度4の地震が起きないことを予測する方が難しい。
 おそらく、実際に日本のどこかで震度4以上の地震が起きたとき、「予測的中!」と表明するのだろう。
 本当に防災のための予測を求めているのであれば、具体的に被害の出る「震度5弱以上」に設定しなければいけない。
 だが、震度4を震度5弱にするだけで、発生頻度は極端に下がるため、当たりにくくなってしまう。
 それで、そこまで踏み込めないのだ。
 座興のために、この予測マップは半年間保管しておくことにしよう。

 この地震予測の特徴は、地震を震度で予測していること。
 震度というのは、ある特定の地点の揺れの大きさを示しているにすぎず、地震の特性を示したものではない。
 普通は地震の特性はマグニチュードと深さで表す。
 地震そのものを予測しようとしたら、本来ならマグニチュードや深さをターゲットにしなければいけないはず。
 地震が発生した結果である揺れの大きさで予測しようというのは、むしろ難しい。
 MEGA地震予測がなぜマグニチュードではなく、震度を使っているのかは不明だ。
 ただ、ある地震のマグニチュードは1つしか存在しないし、震源も1か所しかないが、震度だったら、揺れた地域すべてが対象になるし、各地でいろんな震度があり得る。
 震度で予測した方があたる可能性が広がるということだろうか。

 今回AIによる精度向上を謳い上げているが、いくらAIを駆使しようと、間違った理論でいくら精度を高めたところで、間違った結果しか導かれない。
 記事によると、2005年から現在までの電子基準データすべてをAIにインプットして分析しているらしい。
 過去のデータをもとに最新の動きを照合すれば、異常変動がたちどころに察知でき、地震発生のリスクを割り出すことができるという。
 このリスクを割り出すところが最大のポイントだが、この部分は不明。
 ここのプログラミングは、従来と同じ理論をベースにし、村井氏のいままでのノウハウを投入しているようだ。
 ここで、まったくAIではなくなっている。
 AIを使っていると言いながら、やっていることはただのパソコンを使ったデータ分析のレベルだというのがまるわかりだ。
 本来なら、過去の電子基準データのすべてを読み込むと同時に、過去に日本で発生した震度4以上の地震データもインプットしなければおかしい。
 そして、基準データと地震発生との相関をAIに分析させることで、初めて予測が出る。
 これを行なっているのだったら、その分析結果は注目に値する。
 注目するというのは、それを信じてもいいということではなく、どこまで当たるのかを確かめるだけの価値があるということだ。
 ところが、AIにこの分析をさせた形跡がない。
 たぶん、こんな分析をしたら、AIは相関を見つけられないのだろう。
 見つけられない理由は、もともと無関係のものの間に相関を見出そうという不毛な分析であることと、インプットデータが圧倒的に不足していること。 
 地震のメカニズムは過去十数年間のデータだけで解明できるような短期的な動きでは全くない。
 十数年間のデータで、100年200年に1回の大地震の予測をするのは、そもそも無理だ。
 
 そこで、不足しているところは、村井氏の理論で補い、データを入力すれば何らかの警戒レベルが算出できるようにプログラミングされているのではないかと予想される。
 このMEGA地震予測は、地震学の専門家の間では、一顧だにされていない。
 科学的根拠がないからだ。
 論文の形で基礎データとともに公表されていないので、科学的に検証のしようがなく、専門家は敢えて否定したり反論したりしていない。
 それをいいことに、メディア向けに大げさな売り文句で情報発信をし続ける。
 今回の週刊誌記事も、有料メルマガへ読者を誘導する広告記事にしかなっていない。
 MEGA地震予測の悪質さは、驚異の的中率を標榜し続けていること。
 的中率が何を意味しているのか全く不明。
 どんぴしゃり予測が当たらなくても、少しかすっただけで、やや近かっただけで、「予測的中!」と都合のいい解釈をしているだけではないかと疑わせる。

 地震予測にAIを導入するのは大いに結構だ。
 ならば、勝手な解釈が介入する余地のない分析にしてほしい。
 過去の電子基準点のデータと地震発生データをAIに分析させて、その相関を見てみたい。
 そして、相関が見つかったら、そこから次の地震をどのように予測すればいいのかをAIに考えさせてほしい。
 そして、そのAI予測と実際の地震発生と比較し、初めてその精度が確認できる。
 これだったら、意味がある。
 そして、どうせここまでやるのだったら、電子基準点のデータだけではなく、電離層のデータも、気象のデータも、地殻のゆがみのデータも、動物の異常行動のデータも、地震雲のデータも一緒に分析してほしい。
 あらゆるデータの中に、過去の地震発生との間に、もしかしたら強い相関を示すデータが見つかるかもしれない。
 こちらの方が、はるかに興味深い。 
 たぶん、これらのデータを入力しただけでは、すべて「相関なし」という結果しか出ないだろうが、これはこれで意味がある。
 
posted by 平野喜久 at 15:50| 愛知 ☀| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月03日

公共放送受信料の国民投票:スイス

4言語の
 読売新聞の報道による。
 スイスで、公共放送の受信料の廃止の是非を問う国民投票が4日に行われるらしい。
 下院第1党の右派・国民党と第3党の中道右派・西寧部グループが共同発議による。
 発議者は、「受信料は、メディアの公平な競争の機会を奪う」として、放送事業の入札制も訴えている。
 スイスの公共放送は、独仏など4言語のテレビ・ラジオと、日本語を含む多言語のニュースサイトを運営している。
 受信料は、年に450スイスフラン。
 日本円に換算すると、約5万1千円になる。
 受信料廃止の議論が持ち上がったのは、テレビやラジオの有無に関係なく全世帯から受信料を一律に徴収する法改正案が可決されたことがきっかけだった。
 「なぜ公共放送だけが受信料を徴収するのか」という不満が広がった。
 議会では、国民党だけが廃止を支持しており、他は反対。
 世論調査では、廃止反対は65%に達しているという。

 どうやら、国民投票では、受信料廃止は反対で可決されそうな情勢だ。
 国民の不満が広がっているはずなのに、なぜ?
 それは、全世帯から徴収する代わりに、受信料の値下げが決まっており、既に受信料を払っている人たちにとっては、反対する理由がないのだ。
 この報道を見ると、日本のNHKだけでなく、他国の公共放送でも受信料制度の問題が持ち上がっていることに気づく。
 NHKも、テレビの有無にかかわらず全世帯に受信料の支払い義務を課すシステムを検討し始めている。
 世間の反発を恐れて、堂々と法改正を要求するところまではいっていないが、単発的に情報をリークし、観測気球を上げている感じだ。
 現状では、受信機を設置した者に受信契約の義務が法律で規定されている。
 ここでポイントとなるのは、NHKを見ているかどうかは関係ないこと。
 なぜNHKを見ない人からも受信料を徴収するのか。
 それは、公共放送だから。
 公共放送は、国民の知る権利を保障するため、国民みんなで支えるもの。
 だから、受益者負担ではなく、国民負担になっている、という理屈だ。
 この理屈を延長させると、受信機を設置した者に負担を限定する必要はなく、「受信機の有無にかかわらず全世帯から」という理屈に直結することになる。
 NHKが全世帯負担を目指すのは理論上の必然というわけだ。
 スイスでは、いち早くその動きが始まっていた。
 NHKは、スイスでの受信制度のなりゆきを注視しているだろう。
 「全世帯負担に切り替えたとしても、受信料の値下げと引き換えにすれば、多くの国民の支持を得られる」
 この実証事例になりそうだ。
 
 受信制度については、筋が通らないいろいろ疑問点が多い。
 戦後間もないころの放送法がそのまま存続しているために、実態との乖離が激しいからだ。

 現在、世帯ごとの受信料負担になっている。
 1世帯であれば、そこに何人住んでいようが、何台のテレビがあろうが、1契約だ。
 一方、学生が単身で暮らしている下宿先にも受信料契約を迫る徴収人が現れる。
 この不自然さ。

 また、「受信機の設置」の意味もあいまいになっている。
 普通はテレビを部屋に置いて、放送を受信できる状態になっていることをイメージするが、NHKはテレビがなくても、携帯電話やスマホでワンセグが見られる状態なら、受信機の設置とみなすと規約を作っているらしい。
 これは裁判でも争われている。
 部屋に設置したハイビジョンデジタル放送受信と、携帯の小さい画面で見る受信状態の不安定な低画質の受信とが、同じ条件の契約になることになる。
 これも一般常識からかけ離れた不自然さだ。

 ここには、すべて、「NHKを見ているかどうかは関係ない」という理屈から始まっている。
 見ているかどうかが無関係なら、放送がきれいに映るかどうかも無関係。
 受信機の設置だけが唯一の条件だ。
 この受信機の設置の解釈も最大限拡大して、携帯電話やスマホ、カーナビ、パソコンにまで対象を広げている。
 NHKとしては、この唯一の条件も撤廃したいところだが、そのためには、法改正がいる。
 スイスの事例を踏まえ、いずれ受信料の値下げと引き換えに全世帯負担の法改正に動き出すだろう。

 この時、問われるのは、NHKの金満体質だ。
 いま、NHKは有り余るほどの受信料を集め、使いきれずに内部留保をため続けている。
 それも、コストカットで切り詰めて内部留保をためているのではなく、民放ではありえないような贅沢な番組作り。
 傘下の関連企業に外注の形で資金流出させ、全国に大量の職員を高給で抱え続けている。
 それでも、使いきれずに金が余っているのだ。
 受信料制度の見直しは日本でも必要だ。
 それは、国民に負担を求めるだけの見直しにはならない。
 NHKのあるべき姿を根本的に見直すところから始めないといけないだろう。
 NHKにこれほどのチャンネルが必要か。
 NHKにドラマや情報バラエティーが必要か。
 NHKに4Kや8Kが必要か。
 そもそも公共放送の役割とは何か。

 国民に負担を強いる受信制度のあり方について、政治課題に上がってこないのは不思議でならない。
 
 
posted by 平野喜久 at 10:39| 愛知 | Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする