2017年11月18日

初動対応のミス:完成車両検査不正問題:日産自動車

 日産自動車は17日、資格のない従業員に完成車両の検査をさせていた問題で、不正の実態や再発防止策をまとめた調査報告書を国土交通省に提出。
 同日、西川社長が会見を開き、「日産に対する信頼を裏切り、改めて深くお詫びしたい」と謝罪した。

 この検査不正の問題は、9月18日に国交省の立ち入り検査で発覚した。
 29日に日産が不正を発表。
 10月2日に西川社長が会見。
 6日に116万台のリコールを国交省に届け出。
 このような初動だった。

 ところが、問題が大きくなったのは、この後だ。
 10月11日になって、社内で無資格検査を続行していたことが発覚したのだ。
 2日の社長会見では、はっきりと「検査員による正式な検査体制に切り替えた」と述べていた。
 だが、それは社長の口先だけの言葉でしかなく、現場はまったく変わっていなかった。
 ここで、経営トップと現場との断絶が露呈した。
 これを受けて、国内全6工場での出荷停止に追い込まれた。
 11月7日に順次、生産と出荷を再開したが、業績の下方修正は免れない。
 弁護士を中心とする調査委員会による報告書の提出を機に、西川社長の謝罪会見となった。

 今回の日産自動車の不正問題。
 初動対応にミスがあった。
 当初、この問題は内部告発により国交省が動き出したらしい。
 国交省の立ち入り検査の際に、関係書類を削除したり無資格検査員を現場から遠ざけたり、隠蔽工作をしていたという。
 国交省による立ち入り検査から日産が不正発表まで、11日も時間がたっていた。
 社内調査に手間取ったというより、この問題をいかに穏便にやり過ごすかというところで逡巡していたというのが実態だろう。
 9月29日、日産が初めて不正を発表した会見に臨んだのは、「グローバルコミュ二ケーション本部ジャパンコミュニケーション部長」「企画・管理部エキスパートリーダー」という肩書の人物だった。
 社長でも幹部役員でもなく単なる部長クラスだったのだ。
 現場の一部で問題があった程度の話で終わらせようとしていたことが分かる。

 10月2日になってようやく社長の会見となったが、これは謝罪会見ではなかった。
 もちろん、「お詫び申し上げます」という言葉はあったが、役員そろって深々と頭を下げる姿を見せることはなかった。
 そもそも、この会見は社長単独で臨んでいた。
 社長の簡単な受け答えで対応可能とみていたようだ。
 さらに、不正は認めたものの、「検査そのものは確実に行われていた。安心して使ってもらえないことは全くない」ということを強調していた。
 つまり、この不正は、資格があるかないかという単なる形式上の問題で、実態はしっかり検査は行われていたのだから大した問題ではないという認識だったのだ。
 だから、正式な謝罪をしなかったのだろう。
 新聞でも、「お詫び申し上げると陳謝した」と報道された。
 そう、謝罪ではなく、陳謝だったのだ。
 企業不祥事の会見で、陳謝で済んだ例は存在しない。

 かつて、食品偽装で問題が発覚した時、同じ言い訳でやり過ごそうとした企業があった。
 「表示は違っていたが、中身は同等の上質な食材を使っている」「おいしさや安全に問題はない」
 ただ原材料表示にミスがあっただけということで済まそうとした。
 だが、これは手前勝手な理屈であり、この姿勢がますます消費者の反感を買うことになった。

 日産では、10月2日の社長会見以降でも、現場では無資格者による検査が行われていることが発覚し、騒ぎを大きくした。
 社長は現場の実態を知らず、口先だけでこの問題をやり過ごそうとしていたことがばれてしまったのだ。
 ここでようやく経営トップがことの深刻さに気付き、問題に真剣に向き合い始めた。
 10月19日に社長会見。
 全工場での生産出荷停止を決断。
 問題発覚から1か月が経過していた。

 調査結果の報告を兼ねた今回の社長会見は、明らかな謝罪会見だった。
 記者の前で他の幹部とともに深々と頭を下げた。
 問題発覚から2か月が経過していた。

 企業の不祥事発覚で、一番大事なのは初動対応だ。
 ここで、きっちり対応できるかどうかで、その後のダメージの大きさが決まる。
 日産自動車は、これら過去の企業不祥事の失敗事例に学ばなかったのか。
 これほどの大企業になれば、それなりの危機管理アドバイザーがついているはずだが、彼らはいったい何をしていたのか。

 
 
posted by 平野喜久 at 12:42| 愛知 ☔| Comment(0) | リスクマネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月15日

希望の党の人気凋落の原因は「排除します」ではない

 衆院選の真っただ中、序盤における情勢分析が各メディアから出ている。
 その内容を見ると、いずれも「与党優勢、希望伸び悩み」との結論となっている。
 一時は、台風の目となりそうとの観測もあった「希望の党」、途中で潮目が変わり、完全に風は凪いでしまったようだ。
 では、いつ潮目が変わったのか。
 メディアでは、代表の小池氏の「排除します」という発言をきっかけに民心が離れたと分析している人が多い。

 民進党が事実上解党し、全員が希望の党の公認候補として立候補するとの報道があり、そのことに対する小池氏の発言として飛び出した「排除します」という言葉。
 「民進党議員を全員受け入れるということはなく、希望の党と方向性の違う人は排除する」という意味であるのは明らかだ。
 民進党議員を全員受け入れていたら、希望の党は旧民進党の看板を掛け変えただけの政党になってしまい、新党の意味がない。
 そんなことができるはずもなく、そこには当然選別が行われなくてはいけない。
 その当たり前のことを小池氏は答えたに過ぎない。
 だが、「排除」という言葉が。民進党議員の不興を買った。
 小池氏の高飛車な態度に反発し、希望の党への入党を拒否する人が出てきて、一部の人たちが無所属での立候補を決めたり、立憲民主党という新党を立ち上げたりした。
 このあたりから、希望の党の人気が下がり始めたようだ。

 希望の党の人気凋落のタイミングとしては、「排除します」発言あたりからというのは間違いなさそうだ。
 しかし、「排除します」発言が民心が離れた原因であったと見るのは違うだろう。
 確かに、「排除」という言葉は強烈で、高飛車なイメージがある。
 だが、この強烈なメッセージで世論を味方につけるのは小池氏の真骨頂だ。
 過去の強烈メッセージは人気獲得に成功したが、今回だけは失敗したというのでは筋が通らない。
 この排除という言葉に反発したのは、元民進党議員だけだ。
 国民は、小池氏に排除されようとしているわけでもなく、この言葉に反発を覚えるはずがない。

 人気凋落の本当の原因は、小池氏の「排除します」発言にあるのではなく、「排除しますと言いながら、排除しきれなかったこと」にあるのではないだろうか。
 つまり、民進党のイメージが定着してしまっているような有名な議員は排除したが、それ以外の民進党議員の多くを受け入れてしまったことが、国民の不信感につながったのではないか。
 安保法案に反対し、議場でプラカードを掲げて審議妨害をし、強行採決の映像を撮らせていた元民進党議員たち。
 同じ人たちがこぞって従来の主張をひっくり返し、希望の党に鞍替えしているのだ。
 希望の党からの立候補者のうち、ほとんどが元民進党議員か元民進党候補予定者で構成されることとなった。 排除しますと言いながら、候補者数を確保するために、なし崩し的に受け入れてしまったという感じが否めない。
 これでは、民進党の亜流ができただけで、何も新しくない。
 最近は、小池氏も「安倍一強をなんとしても終わらせる」「モリだ、カケだ、忖度だ」と言い始め、愕然とした。
 これは、元民進党の言っていたことと同じだからだ。
 いろんな人を党内に抱え込んでしまったために、「反安倍」でしかまとまれなくなっているように見える。
 政策提言ができず、「反安倍」でしかまとまれないというのは、旧民進党の欠点だった。
 希望の党は、その欠点をそのまま引き継いでしまっているのではないか。
 
 希望の党の凋落は、「排除します」が原因ではない。
 排除しますと言いながら、排除しきれなかったことが原因だ。


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2017年10月05日

日本でも Prime Reading サービス始まる:Amazon

 Amazonは10月5日、Amazonプライム会員向けに、豊富な品揃えを持つKindle電子書籍の中から厳選された数百冊の書籍やマンガ、雑誌を追加料金なしで、好きなだけ楽しむことができる新サービス「Prime Reading」を提供開始したと発表した。
 アメリカAmazonでは昨年から先行してこのサービスが始まっていたが、日本でもようやく始まる。
 prime会員を増やすことが目的ではとみられている。
 読書好きにはうれしいサービスだ。
 いつでも好きな本を好きなだけダウンロードし、読み始めることができる。
 コストを考える必要がない。
 まるで、会員制の図書館を手に入れたようなもの。
 その図書館をデジタルデバイスに入れて持ち歩いている感じだ。

 本日、Amazonから、このPrime Readingの対象書籍に、私の発行している電子書籍が選ばれたとの連絡をもらった。

「ケーススタディ『八甲田山死の彷徨』〜名著に学ぶリーダーシップとリスクマネジメント」
https://www.amazon.co.jp/dp/B00CQBXRN8/

 実は、8月の段階で、Amazonから案内メールをもらっていた。
 新しいプロモーションサービスを開始するが、この書籍を対象に入れていいか、との問い合わせだ。
 と同時に、このサービス開始はまだ公表していないので、機密扱いにしてほしいとも書かれていた。
 はじめは、何かのスパムメールではと疑ったが、提案内容が具体的で、不特定多数に無作為にばらまいているような文面ではなかったため、信憑性が高かった。
 もちろん、プロモーションサービスを了承する旨を返信した。
 この新サービスがPrime Readingで、その対象に私の書籍が含まれていることを今日はじめて知った。

 この新サービスがどの程度の話題性があり、プロモーションに貢献するのか。
 興味深く注目したい。



posted by 平野喜久 at 11:37| 愛知 ☁| Comment(0) | 電子書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月24日

麻生氏の武装難民射殺発言:曲解による反発がひどい

 また、麻生太郎副総理の発言が注目されている。
 23日の宇都宮市での講演。
 北朝鮮有事に関して武装難民が上陸してくる可能性に触れ、「警察で対応できるか。自衛隊、防衛出動か。じゃあ射殺か。真剣に考えた方がいい」と発言した。
 この発言に対して、曲解に基づく過剰反応が起きている。

 真っ先に飛びついたのは朝日新聞。
 ウェブ上のニュースサイトでは『麻生副総理「警察か防衛出動か射殺か」 北朝鮮難民対策』というタイトルを付け速報した。
 「北朝鮮難民」という言葉を使って、まるで麻生氏が「北朝鮮からの難民を射殺せよ」と言っているかのような見出しになっている。
 その後、読者から問い合わせや抗議の声が殺到したらしい。
 数時間後には、「武装難民対策」という正しい言葉に修正された。
 
 この朝日新聞の速報は、ネット上で拡散した。
 まもなく、「難民」「射殺」という単語に脊髄反射したような言論がネット上で散見されるようになった。
 いずれも、「麻生氏が難民を射殺せよと発言した」という前提の批判だ。
 だが、これらの批判は、曲解であることは明らかだ。
 麻生氏は、「一般の難民を射殺せよ」とは言っていない。
 もっと厳密に言えば、「武装難民を射殺せよ」とも言っていない。
 「北朝鮮の体制が崩壊した時、難民が押し寄せてくる。その中に、難民を偽装した武装集団が紛れ込んでいたらどうするのか」という問題提起をしているに過ぎない。
 これは、文脈をよく確認すれば、すぐに分かること。
 この問題提起は、現実に起こり得ることであり、安全保障上、極めて対応が難しくかつ重要だ。

 麻生氏の発言に反発しているサヨクメディアやサヨク言論人は、現実を直視せず、単に観念的な言葉に反応しているだけであるのは明らか。
 彼らに共通するのは、勢いよく批判はするが、ならば実際にどうすべきなのかについては何も考えがないこと。
 麻生氏の「武装集団が難民に偽装して上陸してきたらどうするのか」という問題提起に何も答えることができていない。
 今回の麻生氏の発言に驚くとしたら、こんな大事な話が、まだ何も話し合われていなかったことに対してではないのか。
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2017年09月07日

優性を顕性に:専門用語の言い換え

 朝日新聞の報道による。
 「優性遺伝」「劣性遺伝」という言葉が使われなくなりそうだ。
 誤解や偏見につながりかねなかったり、分かりにくかったりする用語を、日本遺伝学会が改訂。
 用語集としてまとめ、今月中旬、一般向けに発行する。

 遺伝学の訳語として使われてきた「優性」「劣性」という言葉。
「優性」は「顕性」「劣性」は「潜性」と言い換えることになる。
 もともと「優性」「劣性」は、遺伝子の特徴の現れやすさを示すにすぎないが、優れている、劣っているという語感があり、誤解されやすいためだ。
 
 他にも、「バリエーション」の訳語の一つだった「変異」は「多様性」に変更される。
 遺伝情報の多様性が一人一人違う特徴となるという基本的な考え方が伝わるようにするのが目的。
 色の見え方は人によって多様だという認識から「色覚異常」や「色盲」は「色覚多様性」となるらしい。

 中学校で習う遺伝法則。
 優性遺伝、劣性遺伝という言葉は、その概念をイメージしやすく分かりやすい専門用語だった。
 だが、分かりやすいというのは、一方では、誤解しやすいという側面があり、その弊害を除去しようというのが今回の提案なのだろう。
 「けんせい」「せんせい」では、耳で聞いただけでは文字を想起しにくく、非常に分かりにくい。
 この分かりにくいというのがポイントだ。
 ストレートに分からないようにイメージをぼかすことで、感覚的に誤解してしまう恐れを排除している。
 
 一般に使われるようになった専門用語が、後に別の表現に変更される例は多い。
 「精神分裂病」は、いまでは「統合失調症」と言い換えられた。
「禁治産者」は、「成年被後見人」と言い換えられた。
 「色盲」という言葉は、「色覚異常」と言い換えられてきたが、それでも誤解の可能性ありということで、今回、「色覚多様性」への変更が提案されている。
 言葉にまとわりついている価値判断を伴うイメージを、極力そぎ落とそうという工夫の跡が見える。
 
 ビジネス用語では「差別化」という言葉がある。
 他社との違いをはっきりさせ、競争優位を獲得しようとするときに使われる言葉だ。
 だが、この言葉も消滅の危機に瀕したことがあった。
 「差別」という言葉に敏感に反応してしまう人がいるのだ。
 それで、一時、「差別化」を「差異化」に言い換えようという動きが見られた。
 一部の経済紙は、この言い換えに積極的だった。
 ところが、この言い換えは定着することがなかった。

 「差別化」という言葉は、定義のはっきりした学術用語ではないこと。
 「差別化」を使う場面で、人種差別のようないわゆる「差別」を意識させる使い方をする人が存在しないこと。
 「差異化」という言葉を使い始めたことで、「差別化」とは別の概念を持つビジネス用語が登場したと誤解する人が増えたこと。
 コンサルの中には、「差異化」と「差別化」の意味の違いを無理に定義づけして、教えを垂れようとする人まで出てくる始末だった。
 これらの理由で、「差異化」への変更はうまくいかなかった。
 「差別化」への攻撃は、単なる言葉狩りということが誰の目にも明らかだったということだろう。




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2017年08月26日

映画「関ケ原」鑑賞雑感

 映画「関ケ原」を鑑賞。
 その雑感。ネタバレを含む。
 期待が大きすぎたせいか、がっかり感が強い。
 司馬遼太郎の「関ケ原」を映画化するという話を知った時、いやな予感がしていた。
 原作は上中下に分かれた長編歴史小説。
 原作の世界観をそのまま2時間余りの映画にまとめるのは不可能だ。
 当然、端折った内容にならざるを得ない。
 細かいエピソードは省略されるだろうが、主要な場面はじっくり映像化されるものと思っていた。
 だが、有名な場面は、この映画ではことごとく端折られていた。
 三成と大谷の友情、直江状、内府違いの条々、小山評定、伏見城の戦い、上田城の攻防、宰相殿の空弁当、島津の敵中突破、などなど。
 個別エピソードが省略されていただけではない。
 主要テーマの、なぜ家康と三成が戦うことになったのか、というところから意味が分からない。
 いつの間にか敵対し、全国の武将が2軍に分かれて衝突することになってしまっている。
 全国の武将が、東西に分かれていく過程にダイナミックなストーリーが展開するのだが、それらはまったく描かれない。
 忠臣蔵の映画で、上野介の嫌がらせや松の廊下の場面が省略されているような感じだ。
 
 同じく司馬遼太郎の「関ケ原」を原作にしたTBSのドラマはいまでも評価が高い。
 こちらは、原作に忠実に映像化している。
 これを意識しすぎたために、まったく違う作品を作ろうとして、このような映画になったような気がする。
 TBSドラマでじっくり描かれた場面は省略し、ドラマで省略された場面を重点的に取り上げたのではないか。
 それで、関ケ原の名場面が少しも出てこない映画作品となったのかもしれない。
  
 戦闘場面はいままでにない迫力があった。
 関ケ原らしい地形を感じさせる場所での撮影は、リアリティがあった。
 特に、狭い小道に大群が流れ込んで、過密状態の中で両軍がぶつかり合う姿は、いままで見たことがない光景だった。
 関ケ原での戦いは、まさにこの通りだったのだろうと思わせる。
 
 だが、戦闘開始してからの戦況の揺れ動きがまったく描かれない。
 ひたすらいろんな部隊がぶつかり合っているだけで、どことどこが戦っているのかまったく分からない。
 どちら側が優勢で、どちらが追い込まれているのかも分からない。
 本当なら、この戦闘シーンが映画のクライマックスで、手に汗握る場面にならなければならないのに、その緊迫感がないのだ。
 
 ロケ地はいろんなところで行なわれたようだ。
 歴史的建造物を舞台に撮影が行われていて、映像に独特の風格を与えている。
 伏見城などCGによる映像も見どころだ。
 
 秀吉の名古屋弁もすばらしい。
 百姓出身の秀吉らしい言葉遣いと話し方。
 今まで見た映像作品の中で、もっとも秀吉らしいと感じた。

 家康は、いままでの映像作品の中では、もっともイメージから遠い。
 策略家の狸おやじのイメージがない。
 別所は家康というより、武田信玄か前田利家のイメージだ。
 別所が演じた過去の作品イメージがよみがえってくる場面があり、興ざめ。
 家康の肥満体を表現するために、ふんどし姿にして無理やり太鼓腹を見せていたのが違和感。
 
 岡田の三成もイメージからは遠い。
 岡田の演技の幅が狭いせいか、官兵衛や永遠のゼロのイメージがよみがえってしまう。
 
 小早川の裏切りの場面は、原作を改変している。
 本人は三成に味方するつもりだったのに、部下の突き上げで心ならずも家康側に寝返ることになってしまったという設定になっている。
 家康による問鉄砲の場面もない。
 最近の歴史研究の成果を反映させているのか。
 
 TBS「関ケ原」、NHK「葵徳川三代」と比較しながら、楽しむには興味深い作品か。

posted by 平野喜久 at 22:34| 愛知 ☁| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

新人研修で精神疾患:ゼリア新薬

 読売新聞の報道による。
 ゼリア新薬工業の新入社員だった男性が、新人研修から帰宅途中で自殺。
 社員研修で人格を否定されるなどして精神疾患を発症したためだとして遺族が同社と研修会社を訴えた。
 1億5千万円の損害賠償を求めている。
 ゼリア新薬から研修を受託していたのは、「ビジネスグランドワークス」。
 
 男性は2013年4月10日〜12日に研修を受けた。
 この研修は、「意識行動変革研修」と呼ばれていたという。
 その中で、吃音を指摘されたり、過去のいじめを告白するよう強要されたりしたらしい。
 その後も、社内の研修が長期間に及び、5月18日、異常行動が見られたとして帰宅を命じられ、その帰宅途中で自殺。
 中央労基署は、研修による心理的負担で精神疾患を発症したと認定し、労災認定している。

 このニュースで驚いたのは、いまだにこの手の乱暴な社員研修を行なっているところがあることだ。
 一時は、「地獄の特訓」と銘打って、過酷な研修を請け負う業者が目立っていたこともある。
 また、そのような過酷な研修を社員の通過儀礼と位置づけ、「それを無事に乗り越えてこそ、我が社の一員」と堂々と表明している会社もあった。
 この手の研修は、「敬語の使い方」とか「電話の受け答え」など社会人としての基礎知識を習得するのが目的ではない。
 学生気分を払拭し、社会人としての厳しい心構えを身に着けさせることに重点が置かれている。
 だが、そのやり方は乱暴なもので、勝手な手法で行なわれているのが実態。
 心構えを叩き直すところに主眼があるので、場合によっては、人格にまで影響を及ぼすような研修になる。
 それも、短期間のうちに成果を出そうとするために、かなり危なっかしい強引なやり方になる。
 問題となった研修会社がどんなやり方をしていたのかは不明。

 ただ、よくある研修パターンは決まっている。
 まずは、いままでの自分を捨てさせる。
 自分を捨てるということは、自信も誇りも捨てさせるということだ。
 斜に構えて冷めた目で研修に臨んでいる参加者は、集中的にマークされる。
 はじめは反抗的な態度を取っていた者も、観念し、従順になる。
 研修会場では、完全に講師という独裁者と受講者という奴隷の関係が築かれる。
 そして、過去の自分のダメなところをみんなの前で徹底的に吐き出させる。
 自己反省が足りない場合は、執拗に責めたてられる。
 取り繕おうとしたり、弁解しようとすると、容赦ない暴言が飛んでくる。
 ここで、たいていの人は、自尊心がボロボロになる。
 そして、過去の自分が崩壊し、そのまっさらな地面に新しい人格を立ち上げていく。
 次に、どのような人間になるのかをみんなの前で誓わされる。
 中途半端な目標を掲げると、吊し上げを食らう。
 何度もダメ出しを食らいながら、涙ながらに必死で訴え、ようやく認められる。
 中には、研修の最後に達成感から感動の涙にむせぶ人もいるそうだ。
 入社式の時にぼーっとしていた新入社員が、研修翌日に出社した時、「おはようございます!」のあいさつから見違えるような変化を見せるのだという。

 ただ、この手の乱暴な研修は、参加者の人格にまで手を出すために、非常に危なっかしい。
 研修途中で脱落者が出るのはよくある話。
 脱落者と言えば、参加者に根性がなくて投げ出したという印象だが、中には、挙動不審に陥ったり、精神錯乱を起こして研修を続けられなくなったりという事例も含む。
 心理カウンセラーや、精神科医との連携など、万が一の時のケア体制ができていない。
 研修会社の勝手な理論でプログラムが組まれ、実施されている。
 ハードな研修が、精神や人格に及ぼす影響など慎重に検証されているとは思えない。
 研修講師の勝手な経験則で実施しているだけだろう。
 ちょうど、資格も知識もない人が、スポーツのトレーニング指導をしているようなものだ。
 勝手な経験則でハードなトレーニングをすると、運動理論や生命科学に反するようなことが平気で行なわれ、取り返しのつかない障害を負わせてしまうことがある。
 意識改革系の研修も同じだ。
 いつ事故が起きても不思議ではないし、問題が起きたときに適切な対処ができない危険も大きい。

 ところで、このようなハードな意識改革研修は、なぜいまだに行われているのか。
 それは、それなりに効果があるからだ。
 受講者の意識と行動に明らかな変化が起きる。
 いままで、ボソボソとしか話さなかった人が、突然、ハキハキと話すようになる。
 行動の鈍かった人が、てきぱき動くようになる。
 はたから見てもこの変化は劇的だが、本人自身が、生まれ変わったかのような感覚を実感する。
 これが、このハード研修の醍醐味だろう。
 ただし、短時間に変化した意識は、短時間で元に戻る。
 こうして、次第に普通の一般社員の中に溶け込んでいく。
 研修に実質的な意味があるのかどうかは、よくわからない。
 こんな研修を受けなかったとしても、職場で経験を積むうちに自然と社会人の心構えができていくものだ。

 つらい研修経験は、いつの間にか、過去の苦い思い出になる。
 この苦い思い出がただの笑い話で終わればいいが、いつまでも心の傷として残ったり、精神疾患にまで至ってしまうことがある。
 このリスクに気づくべき時だろう。



 
 
 

 
 
 
 
 
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2017年08月07日

モリカケ問題は一旦棚上げにしよう

 この半年間、国会はモリカケ問題一色だった印象が強い。
 モリカケ一色だったのは国会だけではない。
 マスコミ報道もモリカケ一色だった。
 その結果、国民の関心までモリカケ一色になってしまった。
 マスコミの報道が過熱するにつれて内閣支持率は急落。
 内閣改造をきっかけに支持率はやや持ち直した。
 これは、マスコミ報道がモリカケから離れて閣僚人事に集中したからだ。
 マスコミの報道内容によって内閣支持率が上下するのがはっきりわかる現象だ。

 不自然なのは、マスコミが報道し、その同じマスコミが世論調査をしていること。
 世論はマスコミ報道に影響されると考えると、これはおかしい。
 マスコミが自分で仕掛けた結果を自分で確認しているようなものだからだ。
 中には、自社の報道姿勢に沿う結果を出したいために、誘導尋問のような質問設定をしている世論調査もある。
 これでは、世論調査というより、客観的な調査を装って、さらに世論誘導をしているようなものだ。
 ここにきて、各社の世論調査の内閣支持率の数字がばらつき始めている。
 内閣改造後の内閣支持率は、30%台でほとんど横ばいのところから10ポイントも上昇して50%近くまで達したところまで、さまざま。
 これなど、客観的な世論調査が行われたというより、各社の思わくで数字はいかようにも作れることの現れだ。
 世論調査は、マスコミから独立した機関が行うべきだろう。
 
 国会論議やマスコミ報道がモリカケ一色になってしまった時間と労力のロスは大きい。
 このロスは、国会やマスコミのロスではない。
 国民のロスだ。
 国民が関心を向ける容量は限られている。
 その容量すべてがモリカケで埋められてしまった感がある。
 このおかげで、アベノミクスの論議はどこかに行ってしまった。
 北のミサイルの脅威は現実のものとして迫っているが、国民の関心は薄れてしまっている。

 閉会中審査まで行なって野党側が追及しても、決定的な結果は何も出てこない。
 野党は既に追及する材料を失っているが、すっきりした結果が出ないことを「さらに疑惑は深まった」と言い変えている。
 むしろ、すっきりと決着がついてしまわないように、わざと細かいややこしい質問をして混乱を引き延ばしているように見える。
 マスコミ報道も、客観的な報道とは程遠い。
 国会への参考人として、前川氏と一緒に、元愛媛県知事の加戸氏も招かれて質問に答えていたが、マスコミ報道では、加戸氏については存在しなかったかのような扱いだ。
 加戸氏の発言を聞くと、安倍総理が不当に介入して加計学園に便宜を働いたという印象は、いっぺんに吹き飛んでしまう。
 前川氏と加戸氏の発言を同等に扱うと、国民の印象は一気に変わってしまう恐れがあるので、わざと隠しているように見える。
 マスコミにも言い分がある。
 前川氏と加戸氏の発言は同等に扱うべき性質のものではない。
 むしろ、加戸氏の発言を大きくとりあげることで、問題の本質が見えづらくなる恐れがある。
 だから、両者の扱いが違うのだ、と。
 だが、これは国民をあまりにも馬鹿にした姿勢だ。
 何が問題の本質で、何が重要かは、国民が判断すべきもので、マスコミが勝手に判断して、その結果だけを国民に伝えようとするのは、驕りというものだ。
 マスコミの使命は政権のチェック機能にあるという前に、まずは事実をありのままに国民に伝えることにあるべきだ。

 一旦、モリカケ問題は棚上げにしよう。
 そして、国会では政策論議をしてもらいたい。
 
 
 
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2017年08月03日

偽ニュース拡散実験:不思議な研究

 読売新聞の記事による。
 ドイツの研究者がフェイスブックに架空の情報を載せて、フェイクニュースが拡散する実験調査をしたという。
 その研究者は、シュツットガルトのホーエンハイム大学に所属。
 行なった実験とは次のようなもの。
 報道機関を装った4つのページを開設。
 「バート・オイレンでは難民申請者が町の予算で性的サービスを受けられる」という偽ニュースを流した。
 偽ニュースは、公開から4日で約1万1000人が閲覧。
 閲覧者が自分のページに取り込みシェアした回数は150回を超えた。
 偽ニュースのコメント欄には様々な書き込みが行われた。
 ニュースを信じ込み、難民に対する反感を募らせるもの。
 「バート・オイレン」という地名が存在しないなど、偽ニュースであることを見抜いたもの。
 調査は1か月続けられた後、調査のための架空の情報だったことが明かされた。
 この研究の結論は、「偽ニュースは大きな反響を生み出した。多くの人はフェイスブックの友人などを通じて知らされる情報をうのみにしており、審議の判断は極めて難しい」となったらしい。

 このニュースの注目点は、フェイクニュースの社会的影響度についてではない。
 こんな研究実験が堂々と行われたという点だ。
 日本では、こんな研究は、事前の倫理審査の段階ではねられる。
 無理に実施したとしても、故意に偽ニュースを流した行為そのものが猛烈な批判を浴びる。
 しかも、偽ニュースは、人種差別的偏見を刺激するような内容になっている。
 この偽ニュースの中の「難民」の部分を「在日外国人」に置き換えたらどうなるかを考えれば、その問題の大きさが分かる。
 たとえ研究のための実験だとしても、わざとこのような偽ニュースを流して、社会的影響を及ぼそうという行為そのものが反社会的行為として、避難されるだろう。

 ところが、ドイツでは、故意に偽ニュースを流した調査手法に対する批判は起きていないのだという。
 偽ニュースの内容は、難民への反感を煽るような内容であり、反応が拡散しやすい刺激的な内容を敢えて選んでいる。
 これでは、偽ニュースの社会的影響を研究した実験というより、国民の難民への偏見を確認した実験にしかなっていない。
 さらに、偽ニュースの社会に及ぼす影響は、過去に実例が山ほどあり、その実態を調べれば十分で、わざわざ同じような実験を行う必要性は低い。
 「偽ニュースは大きな反響を生み出した」という結論は、こんな実験をするまでもなく、誰もが知っていることで、ここに新しい知見はない。
 もしかしたら、これは研究というほどのものではないのかもしれない。
 無名の研究者が、悪ふざけでこんな遊びをしてみました、という程度ではないか。
 思いのほか反響があったので、それを社会的な実験という名目で結果を公表したように見える。
 
posted by 平野喜久 at 09:01| 愛知 ☁| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

北ミサイルのリスクに備えよう

 北朝鮮ミサイルのリスクが日に日に高まってきている。
 前回のミサイル発射は、異例の深夜に行われ、しかも、従来では考えられない山間部から発射されている。
 「いつでも、どこからでも」というところを見せつけようとしている。
 事前にミサイル発射の動きは察知されていたが、この時刻、この場所を予測した人はいなかった。
 北海道の奥尻島沖150qの日本海に着弾したらしい。
 NHKの屋外カメラが、火の玉になって落下していくミサイルを捉えていた。
 これほど、日本の領土に近いところに落下したのも初めてだ。 
 上空3500qまで打ち上げられ、自然落下で着弾する。
 僅かに軌道がずれただけで、落下地点は簡単に150qぐらいずれそうだ。
 海上では、航行している船舶もあるはずだが、被害がなかったのが不思議なぐらいだ。
 もはや、北ミサイルは、現実の脅威になっている。
 いつ海上の船舶に命中するか分からない。
 いつ日本領土に落下するか分からない。
 大気圏再突入の時の衝撃で、ミサイルが粉砕されたら、細かい破片となって降り注ぐ。
 被害範囲は、一気に広がる。

 次は、日本列島を超えて、太平洋に落下させるミサイル実験を実施しそうだという。
 いま、北ミサイルのリスクに最もさらされているのは、日本だ。
 次のミサイル発射時には、いよいよJアラートが作動するかもしれない。
 その時に向けて、日本政府はどのような対応を進めているのか不明だ。
 何らかの準備を進めているはずだが、外交戦略上の機密情報となっている。
 だが、実際には何もできないのではとの声が多い。
 そして、実被害が起きても、日本政府のできることは、北朝鮮に対して強く抗議することが精いっぱい。
 アメリカも手出しをできそうにない。
 「1発だけなら誤射かもしれない」ということで、うやむやにするのか。

 今回のミサイルは、発射から着弾まで約45分だった。
 ミサイル発射と同時にJアラートが発信されたら、着弾までに40分ぐらいの猶予があることになる。
 着弾場所ははっきり分からないものの、40分の時間があれば、最低限の安全行動を取る余裕は十分ある。
 Jアラートが鳴ったらどうするのか。
 これは、私たちが、常に意識しておかなくてはならないだろう。
posted by 平野喜久 at 17:28| 愛知 ☁| Comment(0) | リスクマネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする