2025年09月28日

南海トラフ確率見直し:科学論争に国民を巻き込むな

 政府の地震調査委員会は26日、南海トラフ地震の発生確率について、算出法を見直し発表。
 複数の計算方法を採用し、今後は「60〜90%程度以上」または「20〜50%」と併記する。

 いままでは、30年以内に80%程度とされてきた。
 これは今年の1月に改訂発表されたばかり。
 とことが、この数字は研究者から異論が出されていた。
 それを踏まえて、今回の見直しとなったようだ。
 
 地震学はまだ確立した学問ではなく、研究者の数だけ仮説が存在すると言われる。
 いままでは、ある仮説に基づいた計算により80%という数字が採用され、国が公表していた。
 当然、その仮説に否定的な研究者もおり、1つの仮説ばかりが一般に流布されることに異を唱える。
 どの計算方法が正しいかは決着がつかず、2種類の算出方法で計算した確率を併記するという異例の措置となった。

 さて、問題は、「いったい、国民はどの数字で認識すればいいのか」ということだ。
 20%と90%では話がまったく違う。
 降水確率が「20%」と「90%」では、今日の行動計画が変わってくるのと同じだ。

 20%程度だから大げさに慌てる必要はないということか。
 それとも、90%以上だから備えを急げということか。
 いままでは、80%という数字が、全国民が同じ危機意識で防災に取り組むベースになっていた。
 ところが、今後は共通認識が得られなくなった。
 ある人は、20%と認識し、ある人は90%と認識する。
 この両者が話し合っても、結論が出しにくくなる。
 「そんなに慌てる必要はない」という人と、「急がないと間に合わない」という人が話し合って、簡単に合意に至るわけがないからだ。
 せっかく、80%という共通認識を得て、各自治体、各企業、各個人が対策を進めているときに、その流れに水を差すような今回の発表だった。
 
 今回、2種類の数字を公表するが、国としては60%〜90%以上の方を強調して呼びかけるという。
 国民の危機意識を鈍らせるような呼びかけはできないという政策的判断だ。
 科学的判断と政策的判断は違って当たり前。
 政策的判断を優先するのであれば、従来の80%という数字のままでよかったのではないか。

 今回の発表は、科学論争に国民を巻き込むものであり、混乱を引き起こすだけだ。
 中には、「国から多額の研究費を獲得するためにわざと大げさな発生確率を強調している」という言説も見られ、こうなると研究者仲間での足の引っ張り合いに見える。
 研究者は科学の領域で大いに議論を続けるべきだが、その論争に国民が巻き込まれるのは迷惑でしかない。

 ところで、確率の正しさはどのように検証するのか。
 例えば、降水確率20%と90%という2つの予報があったとしよう。
 結果として雨が降らなかったとすると、さて、どちらの予報が当たりだったと評価されるか。
 20%があたりで90%がはずれか。
 そうはならない。
 確率予想は結果からどちらが正しかったかを評価することはできない。
 明らかにハズレと判断されるのは、100%の降水確率で雨が降らなかった場合か、0%で雨が降った場合だけだ。

 こうしてみると、南海トラフ地震の発生確率をめぐる科学論議は、国民にとってほとんど意味がない。
 20%であろうが、90%であろうが、巨大地震が間近に迫っていることに違いはなく、備えを怠ることはできないという認識で進めて行くしかない。

 
posted by 平野喜久 at 09:37| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月14日

熱中症は自然災害と心得よ

 厚生労働省による労働安全衛生法に基づく省令の改正により 、6月1日から企業の熱中症対策が義務化される。
 従来は、「熱中症」という言葉のイメージから、「これは、個人の体質の問題であり、従業員が個々で気を付けるべき」と受け止められる傾向があったが、これからは認識を改める必要がある。

 近年、夏場の猛暑がひどく、熱中症患者は増え続けている。
 職場での熱中症死亡例も増加傾向にあり、その原因のほとんどは対処間違いや対処遅れによる。
 こうなると、従業員が個々に気を付けているだけでは対処不能で、企業として対策を講じないと、救える命が救えなくなる。

 熱中症リスクは、個人の体質の問題ではなく、自然災害の一種と捉えるべきだ。
 個人の体質に関係なく、誰もがこのリスクに晒される時代がやってきている。
 「自分は体力には自信があるから」というのは、あてにならない。
 熱中症は生理現象により引き起こされる障害なので、猛暑の環境下にあれば、誰もがなりうる。
 
 そして、熱中症死亡の原因のほとんどは対処間違いと対処遅れによる、ということを考えると、自分が気を付けているだけではダメで、周りの人も熱中症になった人を逸早く発見し、適切に判断し対処できる知識とスキルを身に着けておく必要がある。
 更に、熱中症は職場だけで起きるわけではない。
 プライベートでもいたるところに熱中症リスクはある。
 夏場のハイキング、海水浴、花火大会、ヒトの密集したイベント、屋外のスポーツ観戦、大阪関西万博など。
 このとき、自分が熱中症に気を付けるのは当たり前だが、同行している家族や友人にも気を付け、もしもの時は適切な対処で命を助けられるようにしておかなくてはならない。
 これからの時代、すべての人に熱中症リスクの基礎知識が必須と言える。

 熱中症は、異常な高温環境に長時間いることで、体温調節機能が失われ、体温が下がらなくなることで起きる障害だ。
 意識障害まで至ると、死亡リスクが一気に高まり、一刻を争う事態となる。
 対処間違いの典型例は、「体調が悪そうなので、日陰で休ませました」というものだ。
 いつまでたっても戻ってこないので見に行ったら心肺停止だった、というようなケースがある。
 この間違いは3つ。
1.救急隊を要請せず素人判断してしまったこと
2.急速に体温を下げる処置をしなかったこと
3.患者をひとりにしてしまったこと

 熱中症の疑い患者は、少しでも早く体を冷やすことが求められる。
 熱中症になる前段階では脱水状態に陥っていることが多いが、脱水状態の人を日陰で休ませただけでは体温は下がらない。
 クーラーや扇風機で風を送ってもダメだ。
 脱水状態にある人は、汗をかかなくなっているので、風を当てただけでは体温は下がらない。
 しかも、表面体温が下がっただけではダメで、体の芯がしっかり冷えないと効果がない。

 一番いいのは、上着を脱がせ、地面に寝かせて、下着の上から流水をかけ続けるという方法だ。
 急速に冷却する。
 これで、救急車が来るまでの時間稼ぎができる。  

 
posted by 平野喜久 at 08:22| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

熱中症対策の義務化:企業の安全配慮義務

 厚生労働省による労働安全衛生法に基づく省令の改正がされ、2025年6月1日に改正労働安全衛生規則が施行される。
 これにより、職場における熱中症対策が罰則付きの義務化となる。

 「見つける」→「判断する」→「対処する」
 これが職場できっちりできるように、会社として準備せよ、という趣旨だ。
 準備すべきポイントは次の3点。

「体制整備」熱中症の恐れがある労働者を早期発見し、社内で報告するための仕組みづくり
「手順の作成」重症化を防ぐための応急処置や医療機関への搬送などのルール作り
「関係者への周知」勉強会を開いて従業員に理解させる

 今年3月に省令が改正され、6月から施行という非常に急ピッチの展開だ。
 周知期間を十分にとるのが普通だが、今年の夏に間に合わせるために急いだようだ。
 
 近年、気温上昇とともに職場での熱中症事例が増加傾向にあり、死亡例も増えている。
 死亡例のほとんどは、対処間違いや対処遅れが原因だということなので、きっちり対処できるように企業として準備が求められる。
 熱中症対策も経営者に課せられた安全配慮義務の範疇であり、今回の義務化により、より厳しく経営者の責任が問われることになる。

 特に今年は例年にない猛暑が予想されている。
 地球温暖化、偏西風の蛇行、太平洋高気圧の優勢、エルニーニョ現象などがその原因とされるが、今年についてはもう1つやっかいな要素がある。
 太陽の活動期のピークにあたるからだ。
 太陽の活動にはサイクルがある。
 活発な時期と穏やかな時期を繰り返している。
 今年はそのピークの当たり年なのだ。
 例年にない猛暑が予想されるのはこれによる。

 ということは、私たちの経験則が役に立たないということでもある。
 「いままでは、これで問題なかったから」
 「この職場で、熱中症になった人はいないから」
 このような判断はあてにならない。

 今年の夏は、常に熱中症リスクを意識しながら猛暑を乗り切っていくことになりそうだ。
posted by 平野喜久 at 07:30| 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月03日

虐待判定AIの導入見送り:AIの限界を知るべき

 読売新聞の報道による。
 虐待判定のAIシステムについて、こども家庭庁が導入見送りを決めた。
 国が2021年度から約10億円をかけて開発を進め、最終的な判断を下す児童相談所の職員を補助する役割が期待されていた。
 テスト段階で判定ミスが6割に上った。
 AIは虐待の判断にはなじまず、実用化は困難と結論付けた。

 このシステム開発に10億円をかけていたことも驚きだが、AIに対する幻想がここまで侵食していたのかとびっくりだ。
 最近の生成AIの登場でAIへの期待感が高まっている。
 無料版のAIサイトを使っていろいろ質問してみると、たちどころに答えを返してくれる。
 複雑な質問や専門的な質問にも瞬時に答えが返ってくる。
 そのスピード感と回答のリアルさに驚かされる。
 これを使って業務の効率化を目指そうとしたくなるのは分かる。
 だが、AIは神ではない。
 ただネット上に存在する情報から必要な言葉を抜き出し、それを自然な表現でつなげて表示しているだけだ。
 なのに、どんな質問をしてもたちどころに詳しい答えを返してくれる神のように錯覚してしまう。
 ここに問題がある。

 こども家庭庁の虐待判定AIの開発も、この幻想に捕らわれた発想で進められたものだろう。
 入力されたデータは5000件だったという。
 AIのデータベースとしてはあまりにも少ない。
 これでは判定精度が上がらないのは明らか。
 開発費10億円のほとんどは、データベースの入力作業に費やされたのではないだろうか。

 AIのデータベースとしては、少なくとも万単位のデータがいる。
 AIの利点は、正しい答えを出してくれることではない。
 膨大なデータベースを探索し、その中から必要な情報をピンポイントでピックアップし、瞬時に整った表現で提示してくれるところにある。
 データベースが間違っていたら、間違った答えが出るし、データベースが貧弱だったら、貧弱な答えしか返ってこない。
 データベースに存在しない情報は?
 答えが返ってこない。
 しかも問題なのは、データベースが偏っているとか不足しているということをAIには分からないということだ。
 だから、大事な情報が欠落していたとしても、それを無視してまるで問題ないかのような答えを平然と返してくる。
 それを読んだ人間は、重大な情報が欠落していることも、データが偏っていることも気づかない。
 まるで神のご託宣をいただくように、AIの答えを信用してしまう。
 これは重大な事態を引き起こす。

 虐待判定のAIは使い物にならないことが早々に分かってよかった。
 導入断念の判断も見事だった。
 
 



 

 
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2024年12月17日

貸金庫窃盗事件:三菱UFJ銀行

 産経新聞の報道による。
 三菱UFJ銀行の貸金庫窃盗問題。
 まだ事件化されていないので、窃盗事件ではなく、窃盗問題という表記で報道されている。
 同行の行員が顧客の貸金庫から金品を盗んでいたことが発覚。
 被害は、60人の顧客から十数億円相当の額に上るという。
 行為は2020年4月から24年10月にまで及び、顧客からの指摘を受けて初めて銀行側が気づいたという。
 この行員は、貸金庫や予備鍵を管理する立場だったようだ。

 驚くべき点は2つ。
 1つは、このような窃盗が1行員の悪意で簡単に実行できてしまったこと。
 もう1つは、4年以上にわたって、発覚せずに犯行が繰り返されていたこと。

 貸金庫は、行員の鍵と利用者の鍵の両方が揃ったときに開けることができる仕組みだったようだ。
 普通は、行員一人では開けられないし、利用者が鍵を紛失したとしても、拾得した者が本人に成りすまして勝手に金庫を開けられないようになっている。
 ところが、利用者が鍵を紛失した時のためにスペアキーが銀行に保管されている。
 この行員はそのスペアキーを管理する立場にあったために、簡単に窃盗ができてしまった。
 もちろん、このスペアキーも厳重に保管されており、1つ1つ袋に封印されていて、取り出した痕跡がすぐに見つかるようになっている。
 だが、長期にわたって、定期的なチェックができていなかったようだ。
 もしかしたら、定期的なチェックはこの行員が行なっており、毎回「異常なし」の報告が上がっていたのかもしれない。
 
 銀行側は昨日12月16日に記者会見を行ない、頭取が謝罪した。
 10月31日に発覚してから、1か月以上放置したために、ネット上で非難が沸騰していた。
 その圧力に耐えかねての謝罪会見だったようだ。
 銀行側は当初は、一行員の犯罪として捉え、会見の必要性を感じていなかった。
 ところが、野村證券が従業員の強盗事件について謝罪会見したころから様子が変わってきた。
 一行員の犯罪で済ますことができなくなり、謝罪会見に追い込まれた。
 マスメディアはこの問題については、熱量をもって報道していなかった。
 大手スポンサーへの気遣いがあったのだろうか。
 ところが、ネット世論は許さなかった。
 ネット世論はもはやこれほどの影響力を持つに至った。

 ヒトの噂は75日で消えるが、ネット世論はその痕跡が永遠に残る。
 対応を間違えると、ダメージがいつまでも尾を引いてしまう。
 ネット世論は放置しない・・・これがこれからのメディア対応の原則になりそうだ。

 銀行側は既に被害者への補償を始めている。
 だが、これは難航が予想される。
 貸金庫の中身は銀行側は把握していない。
 被害者も自身の被害額を証明するのが難しい。
 犯人もどの金庫からいくら盗んだなどという記録はないだろう。
 貸金庫に現金を入れるのは、表に出せないカネなのでそこに保管しているケースがある。
 そうなるとますます被害額の確定が難しい。
 犯人はそこに付け入るように犯行を繰り返していたのかもしれない。




 
 
 
 
posted by 平野喜久 at 10:37| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年11月18日

大手マスコミの敗北:兵庫県知事選

 兵庫県議会から不信任決議を受け失職した斎藤元彦前知事が出直し選で再選。
 昨日20時の投票終了時間直後に「当選確実」を報じたテレビ局があった。
 それに刺激されたように、他局も次々と当確を打っていった。
 NHKだけは慎重だった。
 10時10分に中間の集計が発表されたが、それでも慎重だった。
 NHKが当確を報じたのは23時過ぎ。
 既に斎藤氏の勝利宣言が済んだ後だった。

 新聞やテレビ報道は驚きをもってトップニュースで報じている。
 注目は、なぜあれほど不人気だった斎藤氏が当選したのか、というマスコミの解説だ。
 というのは、斎藤知事はマスコミ報道によって、ものすごい逆風にさらされていたからだ。
 職員への「パワハラ」や外部業者に対する「おねだり」や「キックバック」、更に内部告発者への不当な圧力で自殺に追いやったことなど、一方的な報道洪水によって、斎藤氏のイメージは地に落ちていた。
 普通に考えれば、その斎藤氏が当選できるわけがない。
 どうして斎藤氏は当選したのか、これはマスコミがまず分析し、解説しなければならないところだ。
 
 いまのところ、この分析をしっかりできているマスコミはない。
「候補者が乱立して、反斎藤票が分散した」
「政党の支持があいまいで反斎藤の候補に強力なバックアップができなかった」
「斎藤陣営はSNSを駆使して、ネット世論を盛り上げることに成功した」

 斎藤氏勝利の理由づけに苦労している様子が見える。
 産経新聞は記事の中でこんな言葉で分析を締めくくっている。
「今回は知事の資質だけでなく、既成政党の存在意義も問われる選挙だったといえる」
 政党の対応がバラバラだったために「四面楚歌だった斎藤氏の猛追を許した」と結論づけているのだ。
 まるで政党がだらしないために「斎藤氏の再選」なんてあってはならないことが起きてしまったかのようだ。
 だが、この分析は本質をわざと隠している。
 今回の選挙で問われたのは、既成政党の存在意義ではなく、マスコミの存在意義だろう。

 SNSで斎藤支持が盛り上がったのは、単に話題作りに成功したためではない。
 大手メディアが、県民が本当に知りたがっている大事な情報をしっかり報じないことが原因だ。
 当初は、マスコミの報じる情報洪水の中、斎藤知事への不信感が蔓延していた。
 ところが、斎藤氏自身がかたくなにパワハラを否定し続けたこと、告発者への処分を正当だったと主張し続けたこと、そして、斎藤氏の見るからに繊細で優しそうな風貌から、違和感を覚える人々が出てきた。
 決定的だったのは、失職の後、次の知事選に再出馬すると表明したこと。
 誰もが当選の可能性がない無謀な挑戦だと思った。
 ところが、斎藤氏がひとりで駅頭に立ち、深々と頭を下げ続ける姿を見て、印象が変わり始めた。
 
 これまで報じられてきた内容を思い返すと、「不正を働いた」とか「公金を横領した」とか、明らかな犯罪はなかったし、私欲のために県政をゆがませたような話もなかった。
 県職員を厳しく叱責したというだけだ。
 あの優しそうな斎藤氏が厳しく叱責するぐらいだから、むしろ県職員の働きが悪すぎたのではないのか。
 叱責された職員が腹いせに告発文をマスコミや議員らにばらまいたのではないのか。
 という疑問が浮かぶ。
 そこに、ネット上で影響力のあるユーチューバーが呼応し、疑問を発し始めた。
 更に、フリーのジャーナリストが応じ、ついにNHK党の立花氏が動くに至った。
 なんと、立花氏は県知事選に立候補し、発信力の弱い斎藤氏を助けるために選挙活動を始めたのだ。
 立花氏の発信力が抜群で、すぐにネット上の注目を集めた。
 そうなると、関係者しか知らないような情報が続々と彼のもとに集まるようになる。
 それを立花氏はためらいもなくネット上にアップし、街頭演説で披露し、さらには政見放送の中で暴露する。
 その中で、県民局長の死は、斎藤知事の圧力が原因ではなく、プライベートの事情に起因するものであることをぶちまけた。
 この情報に接し、いままで違和感を覚えてきたもやもやとしたものが一気に晴れた。
 それで、ネット上で斎藤支持の世論が急速に拡大していったのだ。

 告発文を作成した県民局長の使用していた公用パソコンの中身に、自殺の原因かもしれないプライベートの情報が記録されていたが、それを百条委員会で公表を無理やり差し止めていることが分かる音声情報が流出。
 更に、副知事がマスコミの囲み取材を受けたときに、プライベート情報の存在を述べようとするのを、記者らが無理やり静止した音声まで流出。
 マスコミの記者が取材対象者の発言を封じようとする異様な光景だった。
 議会やマスコミが総ぐるみで大事な情報を隠そうとしているのではないか、マスコミはすべての事情を分かった上で、世論を特定の方向にもっていこうとしているのではないか、との疑念が噴出。
 ネット世論の沸騰に拍車をかけた。 
 
 ネット世論の呼びかけは、「マスゴミに騙されるな。斎藤さんを守れ」だった。
 今回の選挙は、既成政党が敗北したのではない。
 大手マスコミがネット世論に敗北した事例だ。
 
posted by 平野喜久 at 08:53| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月08日

南海トラフ臨時情報「巨大地震注意」

 本日、16時43分ごろ日向灘でM7.1の地震が発生した。
 直後に、南海トラフ臨時情報が発表された。
 想定震源域で、M7以上の地震が発生したので、臨時情報発出の条件に合致したからだ。
 この臨時情報のシステムは運用が始まって5年になるが、発出されたのは今回が初めてだ。

 臨時情報(調査中)が発出されると、専門家会議が招集され、これが巨大地震の兆候であるかどうかが検討される。
 その結果は2時間以内に発表される手はずだ。
 その通り、19時ごろに第2報が発表された。
 それが「巨大地震注意」というもの。
 巨大地震発生の可能性が普段よりも数倍高くなったと判断された。
 
 この解釈は難しい。
 普段よりも数倍と聞くと、ものすごく可能性が高まったような印象だが、
 もともと南海トラフ地震は30年以内に70%〜80%と高い確率で予想されており、1週間の可能性が数倍になったとしても、1000分の1の確率が数百分の1に高まった程度に過ぎない。
 南海トラフ地震は、いつ起きてもおかしくない切迫した地震であり、この注意情報が出ても出なくても、対応方法としては変わらない。
 普段の防災対策について、「これを機に見直しておきましょう」という程度の意味しかない。

 これが、注意情報ではなく、「警戒情報」だったら、様子は異なる。
 警戒情報の場合は、巨大地震発生の前兆が明らかに観測されたことが確認されたことを意味するからだ。
 
 臨時情報については、運用開始以来、発出されたことがなく、この情報の意味が忘れられてきていることが問題視されていた。
 今回の注意情報について、NHKでは、その意味も含めて、丁寧に情報発信がされているようだ。
 国民への啓発の意味でも、今回の注意情報は重要だ。

 気象庁は「注意情報」を発表するが、国はこの情報を受けて国民がどうすべきかについては、特に言及がない。
 ここから先は、各自治体の役割だからだ。
 企業でも、この臨時情報を受けてどのように対応するかは、事前に検討する必要がある。
 
posted by 平野喜久 at 20:24| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月29日

「紅麹」死亡疑い新たに76人

 産経新聞の報道による。
 厚労省は、小林製薬の紅麹サプリメント摂取後に死亡した疑いの事例が新たに76人に上ったことを発表した。
 
 当初から判明していた死亡例5件が知られていたが、その後、小林製薬の情報発信がなくなった。
 紅麹の健康被害は長期に影響を及ぼすものなので、一時の死亡例だけで終わるはずがない。
 不審に思った厚労省が、13日に小林製薬に問い合わせたところ、追加情報はないとの即答だったが、14日になって追加の事例があるとの報告が上がってきた。
 詳細な報告を求めたところ、27日になって、いままで遺族からの相談が170件あり、その中で関連が疑われる事例が76件あることが分かったという。
 
 小林製薬は、死亡例を完全に因果関係が証明された事例だけに限定しようとしていたようだ。
 サプリを飲んでいた人の中には、別の基礎疾患を持っている人もいる。
 直接の死因が、がんや心筋梗塞などのように別の要因によるものについては、事例から外し、報告の対象外と勝手に決めつけていたらしい。
 ところが、この紅麹サプリ問題は、まだ原因がはっきり解明できていない。
 その中で、勝手に死因を特定し報告の判断基準としていた。
 これは、慎重に対処しているというより、ただ事態を大事にしないように隠蔽しようとしていたとしか見えない。
 
 厚労大臣は、「調査は小林製薬に任せておけない」と怒りをあらわにした。
 健康被害が発覚した直後も、小林製薬は原因を特定できずに曖昧な答弁に終始していたが、社長の記者会見の最中に、厚労省が別の会見で、原因物質の名前を公表する一幕があった。
 ことはヒトの命に係わる問題なので、慎重に確実にを目指していると、公表が遅れ、対応が遅れ、事態はどんどん悪化する。
 いまや、原因物質の特定については、国の研究機関が行なっている。
 被害実態の調査も同じことになりそうだ。
 小林製薬にとっては、もはや実態の解明、原因の特定は能力を超えて対処不能に陥っている。
 再発防止のためには、「実態の解明」「原因の特定」が欠かせない。
 小林製薬は、この実態の解明にすら誠実に向き合おうとしていないように見える。
 
 小林製薬のやっていることは、ことを荒立てないようにし、このまま話題が自然に遠のいてくれるのを待っているだけだ。
 この事例は、健康被害を起こしたことよりも、問題発覚後の対応を間違えてダメージを深くしていった典型的な例として記録される。
posted by 平野喜久 at 09:47| 愛知 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月29日

プベルル酸の影響確認:厚労省

 産経新聞の報道による。
 小林製薬の紅麹サプリをめぐる健康被害の問題。
 厚労省が、プベルル酸が腎臓に悪影響を及ぼすことを確認したと発表。
 先の立ち入り検査で、大阪工場の種菌培養室や和歌山工場の乾燥室、培養タンクなどからアオカビを採取。
 小林製薬からも任意でサンプルの提供を受け、国立医薬品食品衛生研究所で調査。
 ラットへの投与実験を行ったところ、腎臓の尿細管が壊死するなどの所見が見られたという。

 これは国が動物実験をした結果を厚労省が発表したものだ。
 ここに小林製薬の存在感はない。
 プベルル酸の存在を逸早く公表したのも厚労省だった。
 小林製薬は当初、プベルル酸の存在を秘匿しており、「未知の物質」としか明かしていなかった。
 ところが、小林製薬の記者会見の最中に、厚労省がプベルル酸の存在を公表し、小林製薬側がそれを追認せざるを得なくなった。
 小林製薬に実態解明を任せていたら、いつになるか分からないとのもどかしさが感じられる。
 今回も同じだろう。
 
 もしかしたら、小林製薬の技術レベルを超えた問題になっており、一企業の案件に矮小化せず、情報を広く公開し、世界の知見を総動員して早期解明につなげるべきなのかもしれない。

posted by 平野喜久 at 13:01| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月08日

生成AIと著作権の悲劇

 生成AIの隆盛で、著作権の問題がクローズアップされている。
 AIはネット上の画像や文章を勝手に使って新たなコンテンツを生成するので、著作権侵害が簡単に起きてしまう。
 
 生成AIが作成したニュース記事をアップしたサイトが、あるメディアに著作権侵害で訴えられたことがある。
 なぜ著作権侵害になったかというと、元の記事は非常にオリジナリティの高い内容を含んでおり、他のメディアに同じ情報がアップされるのはおかしいことが明らかだったからだ。
 サイト運営者は、著作権を侵害しているという認識すらなかったようだ。
 AIに勝手に記事を作成させていただけで、どこから情報を得てきたか知らなかった。
 だが、そのことで知らぬ間に著作権侵害をしてしまっていたことになる。

 著作権は、表現を守る権利だ。
 つまり、文章や映像をそのままコピーして他に利用したら権利侵害となる。
 しかし、オリジナルの内容を別の言葉と表現で発表した場合は、著作権の侵害にはならない。
 著作権法は表現を守る法律であり、その内容やアイデアまで特定の権利者に独占させようとしていない。

 問題になったAIによるニュース記事は、オリジナル記事の表現がそのまま使われている箇所がいくつかあったために、著作権侵害を訴えられた。
 だったら、表現を一新し、同じ内容をまったく別の文章で再現したらどうか。
 これを著作権侵害で訴えるのは難しいだろう。
 となると、剽窃とか盗作とか模倣で訴えるしかない。
 しかし、訴える側がこれを証明するのはハードルが高い。

 生成AIが普及することで心配されるのは、これだ。
 オリジナルコンテンツを勝手に利用され、好き勝手に改変され、別のコンテンツとして発表される。
 著作権侵害だったら、まだわかりやすく話は早い。
 これが剽窃、盗作、模倣、参照というレベルの利用だったら、どこまでオリジナルコンテンツの権利を主張できるか。
 しかも、権利侵害しているのはAIであり、AIを利用して新しいコンテンツを作ろうとしている人は、権利侵害している意識すらない。
 罪の意識なく、勝手に他人の権利侵害が横行することになる。
 更に、問題なのは、ネット上によく似たコンテンツが複数存在した時、どれがオリジナルなのか分からなくなること。
 AIによる生成画像の方がオリジナルより完成度が高いという現象は簡単に起きる。
 AIならいろんな画像からいいとこどりできるからだ。
 そうなると、オリジナルが必ずしも価値があると評価されなくなる。
 むしろAI画像の方が美しいと好まれるかもしれない。
 すると、AI画像が本物であり、オリジナルは劣化コピーと認識されかねない。
 これは悲劇だ。

 今後は、ネット上にAIコンテンツがあふれかえる事態が訪れる。
 ネット上で見る画像はAI画像。
 ネット上で読む文章もAI文章。
 すると、新たに生成AIが作り上げるコンテンツも、ネット上にあふれかえるAIコンテンツを基に作られていくことになる。
 いまは、人間が作った文章や画像を基にAIがコンテンツを作っている。
 ところが、今後は、AIが作ったコンテンツを基に、更にAIが新しいコンテンツを再生産する。
 AI技術の進展でコンテンツレベルはどんどん高くなる。
 AIコンテンツだけで自己完結する世界の誕生だ。
 ネット上では、人が作るようなオリジナルコンテンツはどんどん出番がなくなり、脇に追いやられる事態が起きるのだろうか。

 
posted by 平野喜久 at 13:51| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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