2015年08月31日

収束不能:五輪エンブレム騒動

 金曜日に組織委は五輪エンブレムの原案を公開した。
 これで、幕引きを図ったつもりが、更に騒ぎを大きくさせることになった。
 傷は深く、事態は深刻だ。

 原案が、ある美術展のロゴマークの一部にそっくりであることがネット上で暴かれてしまった。
 この原案は、既存の商標と似ていることが分かったので、組織委が佐野氏に修正を指示したものだった。
 その既存の商標とは何かは明らかにされていなかったが、ネット上では、早々と類似のデザインが特定された。
 似ているのが有名な美術展のロゴデザインであったことから、デザイナーである佐野氏であれば、このデザインの存在は知っていたはずであると見られ、これもパクったのではないか、と疑わせる結果となった。

 更に、五輪エンブレムの展開例を示す提出資料にもパクリが次々に発覚。
 個人ブログの空港写真などを借用し、中にはコピーライトの表示を消したり、元写真を特定しにくくなるように加工したりした跡が見つかり、その悪質性が指摘されるところとなった。
 
 佐野氏のデザイン事務所は、「担当者不在のため、・・・」といつもの逃げのコメント。
 組織委は、「佐野氏に確認を取っている」と思わぬ展開に戸惑っている様子だ。

 組織委の対応は、あまりにも稚拙。
 事態を甘く見過ぎだ。
 このまま、やり過ごせば、やがて飽きられて騒ぎが収まるだろうと思っているとしたら、大間違いだ。
 STAP細胞や偽ベートーベンの時は、一時の騒ぎだけでやがて忘れ去られた。
 だが、五輪エンブレムは忘れ去られることはない。
 なぜなら、これからオリンピックの本番を迎えるのだから。
 このまま強行しようとすれば、更に騒ぎは大きく、収拾がつかなくなる。

 敗戦が決定的になりながら、なかなか終戦の決断ができなかったかつての日本政府にそっくりだ。
 いま、組織委は、このまま1億玉砕の本土決戦に突入しようとしている。
posted by 平野喜久 at 18:24| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月28日

本当に公正な選考が行われたのか:五輪エンブレム佐野氏原案を公表

 大会組織委員会が佐野氏の原案を公表した。
 Tの図案に右下に赤丸のある実に単純なデザイン。
 これをもとに修正を重ねて、最終決定のエンブレムデザインになったのだという。
 原案は、ベルギーの劇場ロゴとは全くにておらず、パクリではないと言いたいわけだ。
 確かに、原案は劇場ロゴには似ているようには見えない。
 これだったら、ベルギーのデザイナーも文句を言うことはないだろう。
 だが、原案のままだと、あまりにも単純すぎて、他に類似の商標が簡単に見つかってしまった。
 それで、少しずつ修正を重ねていったところ、結果としてベルギーの劇場ロゴに似てしまったらしい。

 この組織委の説明と原案デザインを見て、「なるほど、そういうことだったのか」と納得できた国民がどれだけいただろうか。
 更に倍する疑問が噴出するような会見だった。

 まず、原案を見た時のがっくり感はひどい。
 五輪エンブレムの発表の時にも落胆が大きかったが、原案のがっくり感はその上を行く。
 本当に、四角と三角と丸ででき上がった単純なデザイン。
 園児が積み木を並べて遊んでいるかのようだ。
 本当に、これが日本最高峰のトップデザイナーの並み居る応募作品の中から選ばれた逸品だったのか。
 104作品の応募があったというが、その他の作品は、これに劣るほどインパクトのないできそこないの作品ばかりだったのか。
 とても信じられない。
 
 そして、原案に問題ありということになって、どうして修正を繰り返すことになったのか。
 そんな修正を繰り返さなくてはならないような作品だったら、まず第1次選考で落選だろう。
 その修正は、いったい誰が行なったのか。
 会見では、組織委の要請で佐野氏がデザインの修正をしたという。
 しかし、組織委が問題点を指摘して、佐野氏がそれに応えて修正するということは、実質、組織委の指示で修正しているようなもの。
 それも、1回目の修正案でも組織委の了解が得られずに、さらなる修正を佐野氏に依頼して最終の五輪エンブレムのデザインになったそうだ。
 原案と最終デザインとの間には、かなりの修正が入っている。
 ただの三角形が、斜辺が円弧の一部を構成して大きな円を浮かび上がらせるデザインになっている。
 これは、原案からのかなりの飛躍だ。
 微調整どころではない。
 そうなると、もうデザイナーの作品ではない。
 どうして、そこまでこの作品にこだわらなくてはならないのか。
 この作品でなければならないほどの理由があるはずだ。
 それは何か。

 会見では、原案の魅力として、展開力の豊富さを挙げていた。
 展開力とは、五輪エンブレムをポスターや垂れ幕、関連グッズに応用した時にどのような展開ができるかを意味する。
 佐野氏は、原案とともに、その展開例をビジュアルに示しており、これが決定打になったという。
 本当にこれが選考の決定打だったとしたら、佐野氏は、このコンペのポイントを十分理解していたということだろう。

 原案が、他の商標と似ていることが分かって修正することになった。
 その修正したものが、ベルギーの劇場ロゴにそっくり。
 だったら、その時点で、修正後のデザインもアウトなのではないか。
 パクったかどうかは問題ではなく、似ているかどうかがポイントのはず。
 修正後に劇場ロゴに似てしまったとすると、その責任は佐野氏にはない。
 寄ってたかって手直しをした審査委員か組織委の責任になる。
 組織委が現行案で強行突破をしようとしているのは、自らの責任になることを恐れるからだということが分かった。
 
 今回の組織委の会見は、原案が劇場ロゴには似ていないことをもって、デザイナーがパクっていないことを証明することを目的としていた。
 その目的は果たせたが、そのために、他に様々な疑問を引き起こすことになってしまった。
 選考過程の不透明さがいよいよ目立ってきた。
 ますます、このままでは収束しないという感じが強い。

 他の応募作品の公開が求められるようになる。
 すべての応募作品を公開できなくても、入選作品ぐらいは公開しなければならないだろう。
 それほど、原案は、最優秀のデザインに見えないのだ。
 本当に、これが元の応募作品だったのか。
 パクリ疑惑を否定するために、急遽、でっちあげたものではないのか。
 これが本当の原案だったとすると、本当にこんなのが最優秀作品だったのか、という疑問が消えない。
 
 組織委は、今回の問題は、何が発端なのかが分かっていない。
 決定された五輪エンブレムのデザインが「ダサい」というのがそもそもの始まりなのだ。
 そこに、ベルギーの劇場ロゴが出てきて騒ぎが大きくなったが、それは、パクリ疑惑であれば、正当に取り下げる理由になるからだ。
 国民は、いまのデザインを取りさげてもらいたがっている。
 もはや、いくらパクリではないことを証明したところで、鎮静化しない。
 
 本当に公正な選考が行われたのか。
 いまや、国民の疑問はここに向かっている。



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2015年08月23日

佐野氏の無理な主張:五輪エンブレム

 佐野研二郎氏が手がけたロゴが、自分のデザインに似ているとして、アメリカ人デザイナーが提訴を検討している問題。
 佐野氏は、FNNの取材に文書で回答した。
 黒い丸と直線で形成したようなデザインについて、「その要件を満たすデザインは、今、名乗りを上げておられるアメリカのデザイナー以外にも、制作されている方は、世の中にたくさんいらっしゃると思います」
「それが、誰か特定の人のアイデアとして認められ、ほかの人が使えないということであれば、デザインの世界では、できないことがほとんどになってしまうと思いますし、わたしはそうではなく、ほかの誰が使っても、問題のないものだと思います」と反論した。

 盗作疑惑騒動が拡大し続けており、中には言いがかりのような指摘も含まれていることから、その一部について佐野氏自身が反論したコメントだ。
 群馬県太田市の美術館のロゴマークが、アメリカのデザイナーの作品に酷似していることがネット上で指摘されたが、これ1件だけだったら、佐野氏のような反論は正当性がある。
 アメリカデザイナーは、アルファベットすべてのデザインを創作したわけではなく、一部の文字を自分の作品に使っただけ。
 そのデザインコンセプトを応用して他の文字列をデザインしたのが佐野氏の作品。
 これは、別に他人の作品をコピーしたわけでも、一部を改変利用したわけでもない。
 最初に一部文字をデザインした者が、同じデザインコンセプトのすべてのアルファベットのデザインを独占できる、というのは、あまりにも無謀だ。
 普通であれば、佐野氏の主張に何の問題もないだろう。

 だが、太田市の美術館ロゴがどうして問題視されたのかということを考えると、こんな一般論で済まない。 元は、五輪エンブレムのオリジナル性に疑問が呈されたことが発端。
 佐野氏のほかの作品にもオリジナル性に疑問のあるものが次々に見つかり、騒動が大きくなった。
 その流れの中で見つかったのが太田市美術館のロゴなのだ。
 他の作品の盗作疑惑が次々に指摘され続けるのは、佐野氏のデザインに対する姿勢に疑問がもたれているからだ。
 そして、それはそのまま五輪エンブレムのオリジナル性への疑問に直結しているのだ。
 太田市美術館ロゴに問題があったから騒動が起きたのではない。
 本質はすべて五輪エンブレムのオリジナル性にある。
 騒動ネタの1つ1つを取り上げて反論を試みたところで、事態は沈静化しない。
 
 佐野氏の今回の反論では、元のデザインをまねたことを否定していない。
 むしろ、「このぐらい、まねても問題ない」「これを真似ていけないとなると、デザインできなくなる」と開き直っているようにも見える。

 トートバッグの一部盗用を認めた。
 太田市美術館ロゴのものまねも認めた。
 五輪エンブレムのデザインも、他の作品と同じように元のデザインとよく似ている。
 なのに、五輪エンブレムだけは完全オリジナルと強弁し続ける佐野氏。 
 このまま押し通すにはかなりの無理がある。 

 
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2015年08月22日

五輪エンブレム騒動を収束できない組織委

 五輪エンブレム騒動が収束しない。
 むしろ、問題は深刻化している。
 佐野氏の他のデザインの盗作疑惑が次々とネット上で暴かれ、デザイナーとしての信頼は失墜している。
 サントリーのトートバッグデザインについては一部を盗用と認め取り下げ、これ以外に盗用はない、とぎりぎりのところで防衛線を張ろうとしているが、トートバッグ以外にも盗用の疑いが見つかり始め、事態は悪化の一途だ。
 海外のデザイナーから、自分の作品が盗用されたことに抗議の声も上がるようになり、もはや、国内だけの問題ではなくなりつつある。

 五輪エンブレムのデザインは、完全に国民の支持を失っており、撤回意外に道はないのは明らか。
 このまま強硬に推し進め、5年後の本番まで持ちこたえられると思っている人は誰もいないだろう。
 なのに、白紙撤回を決断できる人がいない。
 そもそも、この問題を責任をもって対処できる人は誰なのかが分からない。
 政府、東京都、文部省、JOC、五輪組織委員会。。。
 直接には五輪組織委員会だろうが、この組織は各界の大物の名前だけ借りた役員で構成されており、実質は官僚が運営している。
 本来は、役員が責任をもって対応すべきところだが、名前だけのお飾り役員に自覚も責任感もない。
 すると、官僚が適切に対処するしかないが、官僚が一度決まったエンブレムを白紙撤回するなどという決断ができるはずがない。
 そんなことをしたら、自らの失敗を認めることになるからだ。
 自分のやったことに少しの間違いもないのに、ただ世間の評判が悪いからなどと言う理由で撤回できるはずがない。
 官僚としては、このまま押し通すことでしか自分の利益は守れない。

 今回のエンブレム問題は、佐野氏の過去の作品に盗用疑惑が出てきたので問題化したかのように見えるが、まったく経緯が違う。
 そもそもの発端は、エンブレムデザインの一般受けがよくなかったことだった。
 エンブレムデザインは、発表当初から、オリンピックらしくないと評判が悪かった。
 そこに突然、ベルギーのデザイナーから自分の創作した劇場ロゴに似ているとの指摘があり、それに日本の世論が乗っかる形となった。
 そっくりのロゴがあることをきっかけにして、このデザインを取り下げるべき、という流れになった。
 ところが、組織委は商標権はクリアしており問題ないの一点張りだし、佐野氏は盗用していない似ていないと強硬に主張するばかり。
 マスコミまで、一時、五輪デザインを擁護し、ベルギーデザイナーを非難する論調が強かった。
 昔だったら、マスコミの論調で世論が形成された。
 だが、いまはネットが世論を動かす時代だ。
 事態が動かいないのを受けて、ネット上の世論が反発を強め、佐野氏の他の作品への盗用疑惑が次々に暴かれるようになっていった。
 
 トートバッグのデザインについていくら釈明したところで、問題解決にならないのは、これが問題の本質ではないからだ。
 トートバッグは、五輪エンブレムのオリジナル性に疑問を投げかけるための傍証に過ぎない。
 そこをいくら潰したところで、本質の問題は残ったまま。
 それどころか、トートバッグ以外の作品の類似性まで暴かれるに至っており、問題は拡散している。
 
 更に、このエンブレム事件の本質には、たんなる盗用の疑いだけでは済まない深刻な闇がありそうだ。
 なぜ、こんな問題含みのデザインが選ばれてしまったのか、ということだ。
 週刊誌等の情報によれば、デザイナー業界の代表者が審査員となってデザインの選考が行われたという。
 デザイナー業界も狭い世界で、有名どころとなるとすべて気心の知れた仲間みたいなもの。
 はじめから、「今回は佐野氏のデザインで行こう」と決められた出来レースだったのではと疑われている。
 デザインの応募件数はわずかに104件しかなかったという。
 地方のお祭りイベントのシンボルマークの募集でも、1000件2000件の応募があるのに、国際イベントのデザインに応募が104件しかないのは異常だ。
 それは、応募資格を狭く限定したためらしい。
 特定のデザイン賞を2個以上受賞していること、という制約条件が厳しすぎるために、一般のデザイナーが応募できなかったようだ。
 その特定のデザイン賞というのも、デザイナー業界の仲間内だけで、選んだり選ばれたりするようなもの。
 つまり、よそ者を排除し、初めから自分たちの中で、五輪エンブレムの利権を手に入れようとしていたのだ。
 五輪エンブレムに採用されたデザイナーには賞金として100万円しか支給されないが、五輪デザイナーとしての地位と名誉を得る。
 この五輪デザイナーとしてのブランドをさっそく利用しようとしたのが、サントリーのトートバッグだった。
 佐野氏は大学に新設された学部の教授に就任。
 五輪デザイナーが教授として在籍する美術大学はブランドとして抜群。
 五輪デザイナーになることは、本人が得するわけではない。
 その周辺の者たちにも莫大な恩恵をもたらすことになる。
 すべての関係者にとって、いまのまま進むことが最も利益になる。
 1ミリでも動こうとすれば、みんな自分の利益を減らす。
 関係者すべてが身動きが取れずに硬直しているのは、こういう事情ではないか。
 
 五輪エンブレムの状況は、かつて終戦末期に、敗戦確実であることは誰の目にも明らかであるにもかかわらず、和平の決断ができなかった日本政府に似ている。
 五輪エンブレムはこのままでは済まない。
 なのに、すべての責任を負って白紙撤回の決断をできる人がいない。

 国立競技場の問題でも同じだった。
 福島原発事故の時も同じだった。
 そして、終戦の時も。
 この組織体質は、日本伝統の欠陥なのか。




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2015年08月17日

五輪組織委員会の暴走:ダメージ拡大を止められず

 東京五輪の大会組織委員会が17日声明を発表した。
 2020年東京五輪の公式エンブレムがベルギーの劇場ロゴに似ていると指摘されている問題に関して。
 
「われわれの詳細な説明に耳を傾けようとせず、提訴するという道を選んだ」などと、デザイナー側を非難。
「エンブレムはデザイナー側の権利を一切侵していないとする立場に変わりはない」と従来の主張を繰り返した。

 組織委員会の声明発表ということなので、ようやくこの問題が解決に向けて動き出したのかと思われた。
 裏でデザイナー側との交渉が進み、落としどころが見つかったのかと思われた。
 ところが、事態は最悪の方向に向かっている。
 まったく、交渉が成り立っていないのだ。
 組織委員会の立場を先方に説明しようとしたが、それを受け入れられなかったため、逆切れしたかのように見える。
 どのような説明をしたのかは想像ができる。
 「デザイナーは劇場ロゴを見ていない」「両者はデザインコンセプトが全く違うので似ていない」「各国の商標は事前調査済みで法的に問題はない」などという一方的な言い分を延々と述べたのだろう。
 だが、先方が主張しているのは、「結果として似ていることが問題」ということ。
 それを「似ていない」といくら強弁したところで受け入れられるわけがない。
 そんな説明をいくら詳しくされたところで納得できるはずがない。
 先方に「これは提訴しかない」と思わせたとしたら、組織委員会側の自分勝手な姿勢が原因だろう。

 「こちらの言い分を聞こうとしない」と相手を非難しても、何の問題解決にならない。
 相手は、「こっちの言い分を聞こうとしないのはお前の方だ」と言うだろう。
 相手の姿勢を硬化させるだけだ。
 今回の声明は、あまりにも感情的で、冷静に練られたものとは思えない。
 組織委員会は、ちゃんと機能しているのか。
 一部の人間だけの浅薄な思わくで暴走しているのではないか。

 ネット上で、佐野氏の盗用疑惑が次々に暴露され続けているのはなぜかを認識してもらいたい。
 この五輪エンブレムは、もはや世論の支持を失っている。
 日本の世論だけではなく、世界の世論から見放されそうな気配だ。



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2015年08月15日

安倍談話:村山談話に上書き保存

 安倍談話が発表された。
 過去にいろんな談話があったが、発表前からこれほど注目された談話は珍しい。
 中国、韓国からは、予想通り注文が付けられた。
 国内のメディアも、4つのキーワード『植民地支配』『侵略』『おわび』『反省』を勝手に設定し、これらに言及のない談話は認められない、とハードルを設定した。
 
 結果として、安倍談話は、4つのキーワードをすべて使い、言うべきことを主張した。
 反安倍のメディアは、直ちに突っ込みどころが見つからない様子。
 中国、韓国も反応が鈍い。
 
 この談話、よく読むと、実に巧みにできている。
 植民地支配は世界の趨勢だったこと、日露戦争の勝利がアジア諸国の独立の気運を盛り上げたこと、アジア諸国が戦場として被害を受けたが、その中に朝鮮半島が含まれていないこと。
 さりげない言葉に、日本の重大な主張が含まれている。

 安倍総理が談話を発表すると言ったのは今年の1月だった。
 どんな談話を発表してもケチをつけられるだけなのに、なぜ? との疑問があった。
 だが、今回の談話を見て、疑問が氷解。
 村山談話の上書きが目的だったのだ。
 見事というほかない。




 
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2015年08月14日

佐野氏のパクリ疑惑炎上:このままでは終わらない

 東京オリンピックのエンブレムをデザインした佐野研二郎氏によるトートバッグデザインのパクリ疑惑が収まらない。
 サントリーは、オールフリーのキャンペーンに使用されている佐野研二郎氏デザインのトートバッグ30種類のうち、8種類について使用停止を決めた。
 この8種類は、特に他の著作との類似性が明らかなもので、佐野デザイン事務所からの申し出によるという。

 佐野氏は8月14日、問題になったデザインは、佐野氏の管理のもと複数のデザイナーと共同で制作したもので、デザインの一部について第三者のデザインをトレースしていたことを確認したとして、謝罪した。
 東京五輪・パラリンピックのエンブレムは佐野氏が個人で応募したものであり、「今回の案件とは制作過程も含めて全く異なるもの」として、「模倣は一切ない」という立場に変わりがないとした。

 五輪組織委員会は、サントリーデザインの問題は五輪エンブレムとは無関係との主張をしている。
 一般公募により募集されたデザインの中から、正当な選考プロセスを経て選ばれたもので問題ないとの立場を崩していない。

 ベルギーのデザイナーらは14日、IOCに対し、エンブレムの使用停止を求める訴えを起こした。
 近々、裁判が始まる。
 裁判の行方は不透明。

 組織委員会としては、このまま正面突破を考えているようだ。
 この強気の姿勢は理解不能だ。
 法的に瑕疵がないことを確認していて、自信があるのだろうか。
 だが、この裁判で勝ちはない。
 負けないのが精一杯だ。
 なぜなら、裁判所では、このデザインのオリジナル性を証明してくれるわけではないからだ。
 せいぜいが、「類似点は認められるものの、両者を誤認混同させるほどの類似は認められない」「類似点については、偶然の一致の可能性を完全に排除できない」となるだろう。
 つまり、裁判に負けなかったとしても、もやもやしたものは残ることになる。
 却って、裁判所が「似ている」ことを認定しまいかねない。

 ベルギー国内では、日本のオリンピックへ世論が反発を強めている。
 日本のテレビコメンテータの発した、ベルギーデザイナーを小ばかにしたような言動が伝えられ反発を招いているという。
 そのコメンテータが、ただのおバカタレントだったら笑って済ませられるが、国際弁護士だったり、社会学者だったり、スポーツ評論家だったり、新聞論説委員だったりするからやっかいだ。
 このままでは、ベルギーの世論は、ヨーロッパ全体に波及しそうだ。

 もう1つ厄介なのは、日本の世論が完全に離れてしまっていることだ。
 五輪エンブレムについては、公開当初から評判がよくなかった。
 そこに湧き上がった盗作疑惑で、完全に支持を失った。
 佐野氏の他の作品への検証が始まったのは、ネット上の世論による。
 マスコミは完全に言論統制下に置かれたかのような不気味さ。
 こぞって、体制側を擁護するような姿勢を示すか、完全に無視するかだ。
 広告代理店の指示が行き渡っているようだ。
 唯一、NHKだけは、フリーハンドで、サントリートートバッグの事件を報じることができた。
 
 五輪エンブレムについては、選考過程に疑問の目が注がれている。
 選考する審査員も、選考される応募者も身内同士で行われているのではないか、との疑惑だ。
 サントリーのトートバッグも、エンブレム発表と同時にキャンペーンがスタートするなど、初めから佐野氏の選考が分かっていたかのような動きに見える。
 ネット世論は、ただデザインが似ているなどということではなく、この選考過程の不透明さに向かっている。 

 この問題は、既に佐野氏個人で対応できる範囲を超えている。
 五輪組織委員会が前面に出て対応しなければ事態は収拾しない。
 なのに、間違った道を歩み続けている。
 たぶん、軌道修正できるだけのパワーのある人がいないのだろう。
 だから、ひたすらハンドルレバーを握りしめて、そのまま正面突破することしか考えられないのかもしれない。
 
 
 
 
posted by 平野喜久 at 16:35| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月11日

佐野氏のデザインポリシーが問題に:五輪エンブレム

 東京オリンピックのエンブレムが、ベルギーの劇場ロゴに酷似している問題。
 ネット上では、騒ぎが拡大し続けている。
 デザイナーの佐野研二郎氏の過去の作品がことごとく検証の対象になり、その中から、オリジナル性に疑問符がつくケースが次々に見つかっている。

 サントリー・オールフリーのキャンペーンに使用されている佐野研二郎氏デザインのト
ートバッグ。
 その中に、別の画像やデザインからの盗用が疑われるケースがいくつも見つかっている。
 いずれも、ネット上で発見されたものばかりだ。
 中には、個人ブログに乗っていたフランスパンの写真をそのままバッグのデザインに使用したと思われるものもあり、その大胆さに驚かされる。

 1件1件は、大した盗用ではない。
 フランスパンだって、何の変哲もない写真を拝借しただけ。
 写真を撮影した人だって、そのフランスパンを自分で創作したわけではなく、お店で買ってきたものをそのまま写しただけ。
 撮影者がいきなり損害賠償請求をしてくるなんてことは考えられない。
 撮影者が文句を言って来たとしても、個別の対応をすれば済んでしまう。
 撮影者は一般の個人、こちらは大企業のサントリーだ。
 個人が1人騒いだところで大問題になることはない。
 相手が素人で個人だと分かっていて、こういう著作権侵害行為を平気でしているのかもしれない。
 
 かつて、ネット上で見つけた面白い写真を集めて出版した著者がいた。
 ネット上の画像に著作権はないと勝手な解釈で開き直っていた。
 「写真の著作権者がいたら申し出れば、対応する」と呼びかけ、自身の行為を正当化していた。
 佐野氏のデザインもこれと同じだ。

 デザイン素材は、ネット上で拾ってきて、加工して自分の作品にする。
 これが、佐野氏のデザインポリシーなのだろうか。
 五輪エンブレムもこのポリシーの中で制作されたものだとすると分かりやすい。
 ベルギー劇場ロゴとの類似性は、ここに源流があったのだ。
 トートバッグのデザインは、五輪エンブレムのオリジナル性に決定的な疑問を呈することになっている。
 本当に、このままやり過ごすのだろうか。

 今回の騒動、昨年の小保方氏の論文捏造事件によく似ている。
 小保方氏の捏造疑惑もネット上での告発が発端だった。
 理研側の対応が後手後手になる中、過去の論文にまでコピペ疑惑が発覚しつづけ、どんどん追い込まれていった。
 STAP細胞があるかどうかよりも、小保方氏の研究者としての姿勢に問題あり、ということがはっきりしてきた。
 最終的には、論文撤回、小保方氏の解雇処分となった。

 五輪エンブレム事件については、いまのところ、メディアが情報統制をしている。
 ネット上だけの騒ぎで終わるかどうかが注目。

posted by 平野喜久 at 14:09| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月08日

不自然な記者会見:五輪エンブレム

東京五輪の公式エンブレムがベルギーのリエージュ劇場のロゴなどと似ていると指摘された問題.
制作者の佐野氏が記者会見。
 盗作疑惑について「事実無根」と全面否定した。
 ベルギー人のデザイナー、オリビエ・ドビ氏は、
「結果的に2つは極めて似ている。どうやって創作したかではなく、結果が大事だ」
 と反論。
 五輪エンブレムの使用差し止めを求めて提訴したという。

 騒動が巻き起こってから随分遅れての記者会見だった。
 この記者会見は、疑惑を払拭し、逆に自身のデザイナーとしてのイメージアップにつなげることができる最大のチャンスだった。
 だが、それに成功したとはとても言えない。
 ただただ、自分に降りかかった火の粉を払いのけるのに必死といった印象だ。
 
 劇場ロゴと五輪ロゴとが不自然に似ているというとことから、騒動が始まった。
 なのに、佐野氏は、「似ていない」「事実無根」の一点張りだ。
 一般人がパッと見て、似ているという印象を持ったから問題になったのに、それいを「似ていない」と強弁したところで、何ら説得力を持たない。
 両者のデザインコンセプトに違いがあることをもって、まったく違うデザインだと主張しても、ほとんど意味がない。
 とにかく、理屈ではなく、第一印象が似ていると感じられることが問題なのだから。
 
 佐野氏は、別途、五輪ロゴの構成要素を使って、アルファベットのデザインも公開した。
 このデザインは、Tだけではなく、他の文字にも応用できる拡張性を持たせてあるのだ、と言いたいらしい。
 だから、劇場ロゴを真似たものではない、と言いたいようだ。
 だが、これもよく分からない理屈だ。
 このアルファベットのデザインは、五輪ロゴができ上がった後に、同じ構成要素で作り上げたものに見える。
 つまり、「すべてのアルファベットを表現できる構成要素を作り、その中のTを抜き出して、今回の五輪ロゴに使った」というようにはとても見えないのだ。
 流れが逆。
 五輪ロゴのオリジナル性が疑われたので、急遽、アルファベットデザインをやっつけで作って、Tデザインの類似性に集まった関心を拡散させようとしているように見える。

 アルファベットデザイン一覧の中に含まれているTを見ると、五輪ロゴそのものの形になっている。
 だが、Tを表現するだけだったら、右下の三角形の要素は要らないはずなのだ。
 Tと円をモチーフにしたとき、はじめて、右下の三角形が生きてくる。
 なのに、アルファベット一覧にあるTには、右下の三角形がついたまま。
 これは、五輪ロゴが完成してから、後付けで作られたデザインではないかということを疑わせる根拠になっている。

 佐野氏が記者会見で公開すべきだったのは、こんなアルファベットのデザイン一覧ではなく、五輪エンブレムの製作過程が見えるラフスケッチだった。
 完成度の高いデザインは、イメージを書き付ければいきなりでき上がるというものではない。
 完成形ができ上がるまでは、気の遠くなるような試行錯誤を繰り返して、ようやく納得いく作品ができ上がる。
 その過程では、様々なパターンの失敗作が山のようにでき上がっていなければおかしい。
 当然、記者会見では、ラフスケッチを見せながら、
「当初はこういうイメージで描きはじめました」
「もう少し形を整えるためにこうしました」
「別の要素を加えたり、外したりしてみました」
「そして、ようやくこの形に落ち着きました」
 こんな裏話が聞かれるものとばかり思っていたが、そんなのはカケラも出てこなかった。
 これは、本当にこの人がデザインしたのか、と疑わせるに十分だ。
 ちょうど、小保方氏の実験ノートがほとんど存在しないことで、実験の信憑性が疑われたのとよく似ている。

 メディアの取り上げ方が、このごろおかしい。
 当初は、両者の類似性を興味深いニュースとして取り上げ、これが新たな問題に発展する含みを持たせた報道姿勢だった。
 途中から雰囲気が変わった。
 「現状で問題ない」という方向で、すべてのコメントが統一されている。

 IOCやJOCが「問題ない」と突っぱねるのは分かる。
 だが、テレビのコメンテータまで、同調したように、「問題ない」を繰り返しているのだ。
 中には、ベルギーのデザイナーを批判するような姿勢も見られる。
 「ベルギーのデザイナーは、ツイッターのフォロワーが300人もいないような弱小であり、今回の騒ぎを起して注目を浴びようとする言いがかりだ」
 などと言う社会学者まで現れた。
 普段この学者は、弱者の立場に身を置き、体制側を批判することをポリシーとしていると思われたが、今回だけは、オリンピックと言う体制側につき、弱小個人を攻撃している。
 「今回の騒動で、この劇場はずいぶん有名になった」と皮肉を言うものもある。
 不思議なことに、現在では「似ている」「五輪ロゴのデザインを変更すべき」という意見は全く聞かれない。
 これらの発言はタブーとされNGワードになっているかのようだ。

 今回の事件を、ベルギーのデザイナーの立場で考えると、分かりやすい。
 突然発表された東京五輪のエンブレムのデザインが、自分が創作した劇場ロゴにそっくりであることに気づいた。
 さて、これを放置しておいたらどうなるか。
 五輪エンブレムは世界に喧伝され流布される。
 世界認知度は抜群。
 その時、自分の劇場ロゴはどうなるか。
 何も知らない人が劇場ロゴを見たとき、誰もが「五輪エンブレムにそっくり」と思うだろう。
 次に何と考えるか。
 「五輪エンブレムを真似たんじゃないの?」
 となるのは、間違いない。
 「五輪エンブレムがベルギーの劇場ロゴを真似たのかも」などと考える人は誰もいない。
 オリンピックという世界的な権威と、ベルギーの個人デザイナーでは、圧倒的な力の差がある。
 後になって、いくら弁明したところで、誤解を解き、傷ついたイメージの修復は不可能だろう。
 だから、いま、声を挙げて五輪ロゴの不自然な類似性を訴えているのだ。
 これは、言いがかりでもないし、騒ぎを起こして利益を得ようなどという、下種な魂胆とも全く違う。
 自分の権利を守るための必死の防衛行動だ。
 私がベルギーデザイナーだったとしても、同じ行動を起こしたと思う。

 今回の事件の本質は、「結果として、両者が似ている」ということに尽きる。
 五輪デザイナーが、パクったかどうかは既に問題の本質ではなくなっているのだ。
 
 「このように単純なパーツの組み合わせの場合、似たようなデザインができるのは当たり前」と、擁護している者もある。
 だが、これは、「このデザインにはオリジナル性がない」と主張しているのと同じだ。
 となると、こんな類似デザインが予想されるようなものをどうして採用したのかという、選考過程の問題になる。
 果たして、正当な選考が行われたのか、というところから疑わしくなる。

 五輪エンブレムは発表当初から、評判がよくない。
 スポーツの祭典らしい、躍動感も若々しさもさわやかさもないのだ。
 マスコミの中で、五輪エンブレムについて世論調査しようとするところがない。
 たぶん、世論調査をすれば、五輪エンブレムの評判の悪さが決定的となるからだろう。
 
 



 
posted by 平野喜久 at 11:33| 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする