2015年10月06日

電通主導の出来レースだった:五輪エンブレム騒動

 五輪組織委員会は、エンブレム騒動をめぐって2人の人物の退任を発表した。
 エンブレムの制作を担当した槙英俊マーケティング局長と、選考で審査委員を務めた企画財務局クリエイティブディレクターの高崎卓馬氏だ。
 2人は、ともに東京五輪のマーケティング専任代理店である電通の出身。
 形式上は退任となっているが、事実上の更迭だ。
 ただ、その理由は明らかにされていない。
 
 この2人の所業については、週刊新潮で暴かれていた。
 その記事によると、今回のエンブレム騒動の本質部分に関与していたのがこの2人だったようだ。

 五輪エンブレムは一般公募でデザインが募集されたことになっているが、実は公募開始前に、特定の8人のデザイナーにだけ、事前の招待状が送られていたという。
 最終選考で3案が残ったが、この3案はすべて事前招待されたデザイナーの作品だったらしい。
 この最後に残された3案とおぼしきデザインが週刊新潮に紹介されている。
 ただ、写真にははっきりした説明書きがなく、これが実際の作品なのかどうか分からない。
 どこかで、本物のコピーを手に入れたのか、それとも、現物を見た人の証言に基づいて再現したのか、イメージ映像として適当なものを並べただけか、そこは判然としない。
 1位のところには、佐野氏がデザインしたTの原案と、パラリンピックようにデザインした原案が載っている。
 パラリンピックの原案は正式に公開されていないので、これが本当だとすると、スクープだ。
 佐野氏がデザインパーツを使ってアルファベットをデザインしていたが、その中のPのデザインがパラリンピックのエンブレムになっているようだ。
 本当にこれが原案だったとすると、最終案とは全く違うデザインだったということになる。
 これが事実とすれば、大変なことだ。
 審査委員会で選考されたデザインとは全く違うものが最終デザインとして発表されてしまったことになるのだから。
 審査委員長以下、審査委員らはよくもこれを承認したものだ。
 この原案の修正を主導したのが、槙氏と高崎氏だったという。
 つまり、彼らにとって、最終デザインは佐野氏で決まらなくてはならない事情があったのだ。
 
 五輪エンブレムの発表と同時期にサントリーのトートバッグキャンペーンが始まった。
 このキャンペーンは、「五輪エンブレムデザイナーの佐野氏による」というのが売りだった。
 このキャンペーンを仕掛けたのが高崎氏だったらしい。
 事前に佐野氏が選ばれることが分かっていなければ、こんなに早いタイミングでキャンペーンを始められるはずがない、と当時から指摘されていたが、やはり、こういう仕掛けだったのだ。
 高崎氏は普段から佐野氏と一緒に仕事をする仲だったようだ。
 審査員を選んだのも、高崎氏だという。
 佐野氏と利害関係のある審査委員が何人か含まれているのは、こういう理由だろうと推測されている。

 また、五輪エンブレムの公式グッズのデザインは、佐野氏のデザイン事務所に丸投げされる予定になっていたらしい。
 五輪エンブレム選考の賞金はわずか100万円だが、その後の利権に膨大な利益が紐づけされているという仕掛けだ。
 電通2人は、ただ与えられた任務を無難にこなせばそれでいいという立場ではない。
 何のために、組織委員会に入り込んで、重大案件を左右できるポジションにいるのか。
 その立場を最大限に利用しようとすれば、このような動きになるのは当たり前かもしれない。
 仕事のできる者こそ、動くだろう。
 五輪エンブレムの選考という絶好の大舞台を目の前にして、何もしないとしたら、それは無能の証だ。
 彼らが、使い勝手のいい佐野氏を利用して利益最大化のシナリオを描いたとしても不思議ではない。
 その時、無名の学生や外国人のデザインが選ばれるようなことは絶対に阻止しなければならない。
 そんなことになったら、彼らにとって何のうまみもない仕事になってしまうからだ。
 彼らの不自然なまでの佐野氏デザインへの執着ぶりは、このように見るとすんなり納得できる。

 週刊新潮には、2位、3位のデザイン候補の写真も載っている。
 2位は、CGデザインソフトを使い始めて1時間目の生徒がサンプルで作ったような球形のデザイン。
 何を表わしているのかは分からない。
 3位は、筆ペンを使って幼稚園児がいろんな形の花を描かせて、そのうちの2枚を選んで並べたという印象のデザイン。
 フリーハンドのヘタウマが珍重される時代だとしても、これは見るからに手抜き。
 面倒なので何も考えずに花の絵を2つ描いて出しときました、といった感じだ。
 1位から3位までの最終案を見ると、1位の佐野氏のデザインが最も洗練されているように見える。
 佐野氏のデザインを選ばせるために、最終案にこのような屑デザインが残るように仕組んだということだろうか。
 この最終で残ったデザインは、事前に特別招待されたデザイナーによる作品だということなので、余計に不可解だ。
 一流デザイナーが、こんなやる気のないデザインを応募するだろうか。
 理解できるように解釈しようとすれば、佐野氏出来レースは事前に関係者に伝えられており、他のデザイナーには屑デザインを出すように促されていたとしか考えられない。

 デザインの選考は、「104→37→14→4」の順で絞られていったと組織委員会は公表している。
 最後の4候補のうち、1候補が早々と脱落し、3候補になったという。
 この3候補が、事前招待の8人による作品だったというわけだ。
 4候補のうちの1候補が早々と脱落したのが不可解だ。
 仕掛け人にとって、この1候補は残ってもらっては困る作品だったのだろう。
 早々と脱落した理由が、「類似商標が見つかったため」だったらしいが、無理やり感が強い。
 何しろ、佐野氏の原案は、類似商標はいくらでも見つかるようなデザインだったのだから。
 とにかく、いろいろ難癖をつけて、優秀作品を次々に脱落させ、佐野氏デザインが残るように仕掛けたとしか思えない。
 高崎氏は審査員の1人だ。
 選考の過程は、高崎氏によってうまくコントロールされたということか。
 
 電通の2人としては、普段やっている仕事ぶりをここでもやっただけということだろう。
 電通から出向者として派遣されたということは優秀なやり手だったのに違いない。
 役人だらけの組織委員会の中で、民間出身の2人は、やりたい放題だっただろう。
 普通なら、これで、何も問題はなく、思ったシナリオ通りにことは展開するはずだった。
 だが、主役の佐野氏がシナリオ通りの役回りを務めるには力不足だった。
 佐野氏が、最初の原案で、オリジナル性あふれるデザインを出していれば、最終選考に残るように根回しをし、なおかつ2回の修正でなんとか発表できる形にもっていかなくてはならないような苦労は必要なかった。
 佐野氏が、過去の作品でもオリジナル性のある仕事をきっちりしていれば、ネット上でパクリ疑惑が次々に暴かれるような失態には至らなかった。
 電通2人にとってみたら、「せっかく、俺たちが苦労してこれだけのお膳立てをしてやったのに」との悔しい思いだろう。
 佐野氏が、もう少しでもまともな能力のあるデザイナーだったら、一般国民は、「何か変だなぁ」ぐらいのことは感じたとしても、何ら問題になることはなく、やり過ごすことができたはず。
 逆にいうと、官製談合とは、このようにして巧みに仕組まれるのだということが分かる。
 結果として、五輪組織委員会は、実質、電通出向者に乗っ取られていたということだ。
 
 
posted by 平野喜久 at 17:28| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月05日

TPP大筋合意

 TPP交渉がようやく合意の見通しだ。
 参加12カ国は、閣僚会合の日程を再び1日延ばし、5日目となる4日も協議を続けた。
 最先端のバイオ医薬品のデータ保護期間で米国とオーストラリアが双方の受け入れ可能な妥協案で一致した。
 5年半に及ぶTPP交渉が大筋合意に向かった。

 思い起こせば、TPP参加を決めた時の大反対は何だったのだろう。
 「アメリカのためのTPPだ」
 「日本は交渉下手」
 「日本の利権はすべて奪われる」
 TPP参加は、アメリカの都合のいいように振り回され、日本にとって何のメリットもないかのような意見があった。
 ところが、実際の交渉過程を見ると、まったくそのような様子が見えない。
 むしろ、日本は粘り腰で賢い交渉ができていたという印象が強い。
 それよりも交渉のまずさが目立ったのはアメリカの方だ。
 ただ一方的に国益を押し通そうとするばかりで、交渉になっていない。
 武力を背景とした外交交渉だったらこれでいいのかもしれないが、経済交渉では周りの反感を買うだけ。
 時には、甘利大臣がアメリカのフロマン氏に、「議長国としての立場をわきまえよ」とたしなめる場面もあったという。
 最後は、アメリカとオーストラリアが医薬品特許の問題でもめたが、日本の仲裁で落としどころを得た。
 両者の顔を立てながら、玉虫色の妥協点を探るのは日本人の得意するところだ。

 交渉過程で目についたのは、甘利大臣の活躍だ。
 官僚任せにせず、自らのテーブルについて粘り強い交渉をしていた。
 政治主導とはこういうことを言うのではないだろうか。
 
posted by 平野喜久 at 08:26| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月02日

エンブレム採用の組織委局長 更迭

 2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の槙英俊マーケティング局長が退任した。
 公式エンブレムの白紙撤回や写真の無断使用など混乱を招いたことで事実上の更迭となる。

 この槙氏については、昨日発売の週刊新潮に詳しい特集記事がある。
 五輪エンブレムについては、不透明な選考過程が指摘されてきたが、その渦中にいるのが槙氏だ。
 佐野氏のデザインが採用されるように誘導したり、原案から2度にわたって修正をさせたりしたのが、彼だったようだ。
 この週刊誌記事によって、更迭となった。
 それにしても、週刊誌が暴かなければ、うやむやのままやり過ごすつもりだったのだろうか。
 槙氏の更迭は決まっても、その理由は曖昧だ。
 槙氏と佐野氏との癒着が疑われるが、そこは明らかにせずに収束させようとしている。
 非常に気持ちの悪さを覚える。
 選考過程の不透明さは残ったまま、次の選考が始まる。

 
posted by 平野喜久 at 16:42| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「『もしドラ』はなぜ売れたのか?」

 岩崎夏海著「『もしドラ』はなぜ売れたのか?」の読後感。
 岩崎氏は、あの驚異的なベストセラー『もしドラ』の著者だ。
 『もしドラ』は、273万部も売れたのだという。
 ビジネス書としては空前、一般書としても驚異的なベストセラーとなった。
 この本がなぜこれほど売れたのかについては、いろんな噂があった。
 著者の経歴に秋元康氏の名前があったことから、秋元氏の仕掛けたヒット戦略が当たっただけじゃないのか、と邪推された。
 また、AKBのプロデュースにもかかわった経験があったことから、登場人物はAKBの誰かをモデルにしている、と憶測が広がった。
 だが、この本を読むと、実態は全く違うことが分かる。

 岩崎氏は、秋元氏とは全く無関係に、独自にこのコンテンツを着想し、構想を温め、出版のチャンスをつかんだことが分かる。
 主人公を17歳の女子高生にしたのも、舞台を高校野球にしたのも、ドラッカーの「マネジメント」を題材に選んだのも、岩崎氏だ。
 あの長ったらしい書名も、岩崎氏がつけたものだし、表紙のアイデアも彼による。
 この作品の構想は、随分前から温めていたようだ。
 一度、秋元氏に映画の構想として企画を提示したことがあったらしいが、簡単に却下されたという。
 しかし、岩崎氏は、この構想は大事にしまい込んで、次のチャンスを待った。

 この本では、出版のきっかけをつかむくだりがクライマックスになっている。
 彼が出版社に売り込んだわけではない。
 彼は、匿名のブログを運営しており、その記事に「もしドラ」の構想を投稿したことがきっかけだった。
 その記事がダイヤモンド社の1編集者の目に留まり、その編集者から問い合わせのメールが届く。
 半信半疑ながら受け答えをするうち、これが本物であることを理解し、本格的な出版交渉につながっていく。
 ダイヤモンド社の編集会議で認可を受けるために、企画書を出したところ、数日のうちに出版決定となる。
 もっとドラマティックな展開を期待したが、この辺りの経緯は、何の障害もなく、拍子抜けだ。
 驚くほど、順調に出版が決まっていった。

 ドラッカーに関連した本を出すとしたら、ダイヤモンド社がベストなのは明らかだ。
 岩崎氏もそう考えていたが、敢えて自分から売り込むことをしなかったという。
 それは、売り込むことでコンテンツの価値を自ら低めてしまうことになると考えたからだ。
 確かにそうだろう。
 もしも、彼が企画書をいきなりダイヤモンド社に送り付けていたら、そのままゴミ箱行きで日の目を見ることはなかったかもしれない。
 驚くのは、匿名のブログに投降した記事を、ダイヤモンド社の編集者が見つけ、更にその誰かもわからないブログ主にアクセスしてきたこと。
 ここが運命のポイントだった。
 匿名ブログ記事をこの編集者がたまたま見つけなかったら、見つけたとしても、真剣に取り合わず、無視していたとしたら、この出版はなかった。
 だが、この編集者の嗅覚は鋭かった。
 直ちに反応し、出版に向けて行動を開始した。
 
 更に驚くのは、編集会議で簡単に出版許可が下りたこと。
 岩崎氏は、この時点では全くの無名。
 出版の経験はないし、小説家を目指したことはあったが、まともに作品を書いたことはない。
 そして、ドラッカーとも全く畑違いの人。
 何よりも、この時点では、小説の構想はあったものの、まだ1行も書いていなかったのだ。
 どんな小説を書くのか、更に、本当に最後まで小説が書けるのかどうかさえ、保証がない。
 普通、どんなに立派な企画書を持ち込んだとしても、こんな実績もなく実力も分からない人物はまともに相手にされるはずがない。
 なのに、すんなり出版が決まっていった。
 出版社側は、よくこの決断をしたと思う。 
 たぶん、着想の素晴らしさに圧倒されて出版が即決されたのだろう。
 著者のプロフィールに説得力がなかったとしても、それを吹き飛ばすインパクトがこの作品のコンセプトにはあり、それを出版社は見抜いたということだ。
 出版社のこの読みは、結果として大当たりだった。
 
 それでも、出版者は「もしドラ」がこれほどの大ベストセラーになるとは思っていなかったようだ。
 初版が1万部。
 無名新人の処女作としては、思い切った数字だ。
 10万部20万部ぐらいは狙えるだろうという読みはあったらしい。

 岩崎氏は、出版構想の段階から、この本は200万部売れると信じていたという。
 周りの人に、そのことを公言していたらしい。
 これが、謙虚さの足りない姿勢に見え、誤解されるようだ。
 だが、岩崎氏のこの気持ちはよく分かる。
 著者は誰よりも自分の作品を愛している。
 誰よりも真剣に作品のことを考えている。
 そして、誰よりもこの作品の素晴らしさを知っている。
 本気で200万部を狙ってこの作品に命を懸けるのは、当たり前だ。
 これは、彼が傲慢だからではない。
 本を出版したことがある人なら、みんな同じことを考える。
 
 「もしドラ」は、出版と同時に、順調に売れていった。
 3日目には増刷1万部が決定。
 半年で100万部。1年で200万部。
 漫画化、アニメ化、映画化と多様なコンテンツ展開が続いた。
 もともと着想のユニークさで売れたコンテンツだったのだから、形式が小説である必要はまったくない。
 多様なコンテンツ展開になるのは当然の成り行きだった。

 彼にとって、この大ベストセラーは、狙い通りの結果が出ただけという認識だ。
 なぜ売れたのかという問いへの答えは、自分の執念による、と考えているようだ。
 確かに、自分が思いついたアイデアに対する愛着とそれを世に出したいという執念が実を結んだことが分かる。
 もう1つ、理由を挙げるとすれば、出版社の目利きだろう。
 編集者が匿名ブログの記事に反応しなかったら、編集会議がこのコンテンツの破壊力を理解できなかったら、出版はなかった。

 アイデアのある著者と眼力のある出版社とが出会ったこと、これがヒットの本当の理由かもしれない。




 
 
 
 
posted by 平野喜久 at 16:00| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする