2016年10月27日

マンスリーマンションの入居者に受信料支払い義務なし:東京地裁判決

 マンスリーマンションに入居した20代の男性が、NHKに受信料を不当に支払わされたとして、NHKに受信料1310円の返還を求めた訴訟。
 東京地裁の判決は、「部屋にテレビを設置したのは物件のオーナーか運営会社であり、男性には受信料の支払い義務はなかった」として、NHKに1310円の支払いを命じた。

NHK側の主張はこうだ。
 「マンションの運営業者は『受信料は入居者が負担する』と明示していたほか、テレビを使っていたのは男性で、受信契約を結ぶ義務があった」
 この主張は明らかにおかしい。
 放送法では、受信機を設置したものに受信契約の義務を課しており、設置者がこの男性でない以上、契約の義務はなく、したがって支払いの義務も発生しないのは当然だ。
 NHKが「テレビを使っていたのは男性だ」と言っているが、これは、NHKが言ってはいけない言葉だろう。
 つまり、テレビを使ったかどうかで、受信料の支払いが発生するかどうかが決まると言ってしまっているからだ。
 放送法では、テレビを視聴したかどうかで受信料の支払い義務が発生するわけではない。
 テレビを見るか見ないかは関係なく、テレビを設置したことをもって契約の義務ありということになる。
 テレビの所有者に公平に負担してもらうためにこういう制度になっている。
 視聴料ではなく、受信料という名目になっているのも、このためだ。
 NHKも普段からこのように主張しており、「NHKは見ないから」という言い逃れは許さなかった。
 なのに、今回の裁判では、NHKは、この男性がテレビを使っていたことをもって、支払い義務ありという主張をしてしまっている。
 自家撞着をきたしている。
 裁判に勝つために、弁護士が無理やり理屈を作り上げたために、齟齬をきたしており、そこを裁判官に突かれた形となった。
 特に、「テレビを使っていた」という奇妙な表現で、ずいぶん、無理をしているのが分かる。
 普通なら「テレビを見ていた」というべきところだが、それだと、テレビの視聴が支払い義務の条件になってしまうので、「テレビを使っていた」という不自然なことばで逃げようとしたのだろう。
 テレビを見なかったとしても、居住スペースにテレビがあるだけで「使っていた」という解釈にもっていこうとしている。
 我が家にガスコンロがあるだけで、ガスを使っていたことにされるようなものだ。
 これほど、一般国民の常識とかけ離れた解釈はない。
 NHKの受信制度は、あまりにも現代の私たちの感覚とかけ離れすぎている。
 こんな無理筋の主張をしなければ受信制度を維持できないのだとしたら、この受信制度そのものが現代にそぐわなくなっているということだろう。
 いい加減に、根本から制度を見直すべきときが来たといえる。






 
 
posted by 平野喜久 at 18:39| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

遺族の疑問は解消していない:大川小津波訴訟

 大川小の津波訴訟。
 14億円の賠償命令が出された。
 地震直後に適切な情報収集を怠ったこと、津波の襲来を知ってからの避難行動が不適切だったことにより、学校側の責任が厳しく判断された。
 遺族側は勝訴したが、これでもまだ納得できるところまでいっていないだろう。
 「なぜ?」という疑問が解消されていないからだ。

 なぜ、50分間も何もせずに校庭で待機していたのか。
 なぜ、裏山に逃げようとする児童を引き戻したのか。
 なぜ、川岸の方向に避難しようとしたのか。

 大川小周辺にもいろんな小中学校がある。
 大川中、橋浦小、北上中、吉浜小。
 これらの学校の生徒児童は適切に避難し、犠牲者はゼロだ。
(在校生の中に犠牲者のいる学校もあるが、いずれも帰宅後に津波に襲われたケースばかりだ)
 大川小の犠牲だけが際立っている。
 だから、その理由をみんなが知りたがっているのだ。

 学校側の行なった検証も遺族を納得させるものではなかった。
 検証委員会を立ち上げて調査もしたが、学校側の免責を主張するための調査になっていて、まったく客観的な検証になっていない。
 裏山に登ろうとしていた児童を引き戻したという話については、事実確認ができないとして、検証報告書からは外された。
 そのかわり、裏山は崩壊の危険があるという地元民の指摘があったとか、川岸への移動は地元住民の先導で行われたとかいうあいまいな証言を採用して検証結果に盛り込んでいる。
 ただ、学校側に非がないことをでっちあげるための検証だった。
 これに遺族が怒って、訴訟を起こしたのだ。
 実態はどうだったのか、ということを解明してほしい。
 どうして、こんなことになったのかを明らかにしてほしい。
 遺族の思いはここにある。

 一番の問題は、唯一生き残った教員が、何の証言も残していないことだ。
 教師になりたての新米教員だ。
 過去に1度だけ、遺族への説明会に顔を出したことがあったらしいが、その後は姿を見せていないという。
 今回の裁判でも証言を拒否した。
 学校側から止められているのかもしれない。
 この教員自身も、PTSDを患い、思い出すのもつらい日々を送っているのに違いない。
 当時の状況を唯一正確に伝えられる人物だけに、彼に課せられた責任は重い。
 犠牲になった児童らのためにも、そして、後世に残すべき教訓のためにも、勇気ある証言を期待したい。




 
 
 
posted by 平野喜久 at 09:50| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | リスクマネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月26日

14億円の賠償命令:大川小津波訴訟

 注目の裁判に判決が出た。
 東日本大震災の津波で児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校を巡り、児童23人の遺族が市と県を相手取り23億円の損害賠償を求めた訴訟。
 仙台地裁は26日、市と県に約14億円の支払いを命じた。

 裁判では、津波の襲来が予見できたかどうかが争われた。
 学校側(県、市)は、もともとハザードマップでは大川小は津波浸水エリアに含まれていなかったことをもって、予見不可能を主張した。
 だが、裁判所は、それでも今回の津波は予見可能であったとの判断を下した。

 地震発生直後、大川小では児童らを校庭に並ばせ待機させていた。
 その後、避難行動を開始するが、それまで50分間を無駄に過ごしてしまった。
 この間、ラジオではしきりに津波の襲来を呼び掛けていた。
 地域の広報車が津波非難を呼び掛けていた。
 保護者の何人かは学校に直接子どもを迎えに来ていたが、その時、異口同音に津波の襲来を警告していた。
 生き残った児童の証言によると、学校にやってきた保護者が、声高に迅速な避難を学校側に呼び掛けていたが、教員の方は、「まぁ、まぁ、落ち着いてください」と一生懸命になだめていたという。
 児童の中にも騒ぎ出すものがおり、教員はそれを落ち着かせることに専心していたらしい。
 生存者の証言の中には、「裏山に勝手に逃げ出す児童を教師が連れ戻して校庭に並ばせた」というものがあったという報道もある。

 50分経過後、念のためにもう少し高台の方に移動しようということになって、児童らは行列を作って移動開始。
 向かった先は校庭よりも高台だったが、川岸の方向だった。
 川をさかのぼってきた津波が上流であふれ、高台の方から流れ下ってきた。
 その流れに児童らと引率の教員らが飲み込まれたらしい。
 中には、行列から離れ、とっさに近くの小山に駆け上がった児童もおり、彼らだけが助かったという。
 難を逃れたのは、児童4人と、教員1人だ。

 今回の判決は、学校側に非常に厳しいものとなった。
 「ハザードマップでは浸水エリアではなかったから」「千年に一度の未曽有の大災害だったから」という言い訳が通用しないことをはっきりさせた判決でもある。
 よく、このような津波訴訟を見て、「こんな裁判を起こしたって、亡き子は戻ってこないんだから、無駄だろう」という人がいる。
 それは違う。
 訴えた遺族らの気持ちは、賠償金がほしいわけでもないし、裁判で憂さ晴らしをしようとしているわけでもない。
 「地震なんだから仕方ないよね」で終わってほしくない、という思いがある。
 大川小の尊い犠牲を無駄にしないためにも、今後の教訓につなげなくてはいけない。
 それをはっきりさせるために、裁判に訴えているのだ。
 私たちは、この事例を貴重な教訓として受け継いでいかなくてはならないだろう。







 


 



  
posted by 平野喜久 at 15:52| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | リスクマネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする