2021年08月23日

ブレイクスルー感染:ワクチンは感染まで防げない

 ワクチン接種したのにもかかわらず新型コロナウィルスに感染してしまうケースがある。
 ワクチンでできたはずの免疫の壁をぶち破ってしまうことからブレイクスルー感染と言われる。
 今回のコロナワクチン、ファイザー製、モデルナ製のワクチンは、3つの効果が期待されている。
 1.感染防止、2.発症防止、3.重症化防止
 これらのワクチンは、95%という高い有効性があると言われ、接種の進んだ国でその効果が確認されている。
 だが、確認されているのは、発症防止と重症化防止であって、感染防止はどの程度の効果があるのかははっきり確認できていなかった。
 特に、今回の新型コロナは、もともと感染しても無症候のケースが多いウィルスであり、感染者は症状がないうちからウィルスを広げることが知られていた。

 イスラエルは世界でも最もワクチン接種の進んだ国の1つだ。
 6月にはほとんど感染者をなくすことができたために、ここで一気に行動制限を解除し、マスクの義務も外した。
 ところが、その直後から感染の再拡大が起きたのだ。
 今では1日の感染者数は6000人を超え、かつてのピーク時と同程度の感染状況に至ってしまっている。
 政府は慌てて、マスクを再義務化し、行動制限を呼び掛ける事態となった。

 現在、日本における重症患者のうち、ワクチン未接種の人の割合は99%だという。
 大阪府に限ると、その割合は100%らしい。
 いかに有効性の高いワクチンであるかが分かる。

 今回のワクチンは、発症や重症化を抑える効果は期待できるが、感染防止までは十分効果がないと見て対応せざるを得ないことが分かる。
 「ワクチンを打っても、マスクや手洗い消毒は欠かさないで」という呼びかけが行われている理由はここにある。
posted by 平野喜久 at 16:52| 愛知 ☁| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

菅総理の口下手

 菅内閣の支持率が低下し続けている。
 30%を下回る世論調査も出始めた。
 コロナが始まってから、感染状況と内閣支持率は逆相関になることが多い。
 感染が拡大すると支持率が下がり、感染が縮小すると支持率が上がる。
 いまは、感染拡大が止まらない状況にあり、支持率の低下も収まらない。

 与党内には、東京オリンピックが始まれば人々の気持ちも好転し、支持率も上がるだろうとの希望的観測があったらしいが、目算が外れた。
 
 支持率を下げている要因の一つが、総理のプレゼン能力だ。
 緊急事態宣言の発出の際は必ず記者会見を開き、総理自ら事情を説明し国民に理解と協力を仰ぐ。
 この記者会見がまことに評判が悪い。
 言っていることに間違いはないし、必要なことは簡潔に伝えている。
 話し方も、適度なスピードと声量で、つかえたり言いよどんだりということもなく滑らかだ。
 プロンプターを使っているので、手元の原稿を読んでいるだけという印象でもない。
 しかし、その言葉が一向に国民の心に響かないのだ。
 記者からの質問に対してもよどみなく答えているが、納得感のある回答になっていたためしがない。 
 質問にストレートに答えるのではなく、用意してきた問答集の中から近い文章を選んで読み上げているだけ。
 なので、常に内容がずれており、滑らかに答えているが、結果として何も回答していないことが多い。

 菅総理の口下手はもどかしいほどだ。
 彼自身もそれは自覚しているようだ。
 だから、彼なりに一生懸命国民に対して説明しようと努力している姿は見える。
 「これだけ丁寧に説明しているのに、どうして?」との思いかもしれない。

 菅氏は、7年間の長きにわたって官房長官を務めてきたが、その間、ノーミスで記者会見をやりこなす鉄壁のスポークスマンだった。
 だが、そのままのスタイルでは緊急時のリーダーは務まらない。
 彼は明らかに有事のリーダーには向いていない。

 有事における情報発信は、リスクコミュニケーションと呼ばれることもある。
 このリスクコミュニケーションは、必要な情報を淡々と語っているだけでは足らない。
 受け手の心をつかみ、信頼を得ることができるかどうかにポイントがある。
 そこには、理屈だけでは済まない感情の部分がある。

 プレゼン能力の低さは、何も菅総理に限ったことではなく、歴代総理を振り返った時に、いずれも同じようなレベルだったことに気づく。
 たぶん、プレゼン能力以外のところで人材の選抜が行われてきたせいだろう。

 大平正芳は、菅総理以上に口下手だった。
 言葉が滑らかに出てこない上に、我慢して最後まで聴いても何も印象に残らない。
 竹下登は、「言語明瞭、意味不明」と揶揄されていた。
 言葉ははっきり話すが、何を言おうとしているか分からないのだ。
 宮澤喜一は、分かりやすい言葉で国民に語り掛けることができない政治家だった。
 上から目線の物言いが国民との距離を感じさせた。
 その中にあって、田中角栄だけは突然変異的にプレゼン能力の高い政治家だった。
 彼は聴き手の心を鷲掴みにするのがうまかった。

 アメリカ大統領の選挙活動を見ると、候補者選考の段階から常に討論や意見表明の場があり、その姿が国民の選別に目にさらされ続ける。
 厳しい選抜に勝ち残ったものが大統領に上り詰める。
 アメリカの場合は、大統領はもちろん、主要なポジションを占める政治家は、たいていプレゼン能力も高いという印象を受ける。
 たぶん、口下手では政治家になれないのだろう。
 
 自民党の総裁選が近い。
 しばらくはコロナ禍の非常事態が続くことを前提に、リスクコミュニケーションの取れるリーダーの選出を願う。
posted by 平野喜久 at 14:11| 愛知 ☁| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする