ドイツの保健当局は11日、新たに5万196人の新型コロナウイルス感染者が確認されたと発表した。
これは1日の感染者数としては、過去最大だ。
ワクチン接種が進んでいる今になって、過去最大の感染者数を出しているのが驚きだ。
ドイツでは感染防止策は解除の方向だったが、今月に入り感染拡大を受けて、再び感染防止策を強める方向にあるようだ。
マスコミでは、過去最大の感染状況がトップニュースになっているが、国民の意識はまったくかけ離れていて、コロナなんか気にしない雰囲気にあるらしい。
ドイツのワクチン接種完了は66.66%になっている。
国民の3分の2だ。
ワクチン効果か、感染拡大が続いてはいるが、重症者や死亡者は一定レベルに抑えられているようだ。
それで、国民は騒いでいないのかもしれない。
いまや日本のワクチン接種率は74.68%にまで達している。
これは先進国の中ではトップだ。
日本に続いて、イタリア、フランス、イギリス、ドイツ、アメリカとなる。
なんと、接種率が悪くなるほど、感染者数が多くなっている。
日本の1日の感染者数は200人前後で、これは他の先進国に比べると、100分の1〜200分の1のレベルで、ほとんどゼロに近い。
「なぜ日本だけ?」という疑問がここでも持ち上がる。
この謎は分からないまま。
もしかしたら、ここに新型コロナの本質があるかもしれないのだが、結論が出ない。
欧米の感染拡大の状況を見て、日本でも油断すると同じ状況に陥る可能性を指摘する専門家もいる。
このような指摘は去年にも見られた。
欧米で感染爆発が起きているとき、「いまのニューヨークは2週間後の東京だ」などと警告とも脅しともとれるアドバイスをする専門家がいた。
だが、そのアドバイスはことごとく的外れだった。
今回も、同じ状況が再来しているのではないか。
これだけ感染状況が収まってきているのにも関わらず、日本国民は全員マスクをしている。
街中で、電車の中で、マスクをしていない人は一人もいない。
これほど徹底している国はほかにない。
国が強制しているわけでもないし、法律で縛られているわけでもない。
国や自治体がマスク着用を呼び掛けてさえいない。
それでも、全国民が自主的にマスクを着用しているのだ。
日本が他の国と違うとしたら、この国民性だろう。
やはり、ファクターXは日本人の国民性にあったということか。
この冬の第6波が警戒されているが、日本ではそれほど深刻な状況にはなりそうにない。
というのは、日本人の警戒感がなかなか緩まないからだ。
ある程度の行動の自由は確保できるようになる。
飲食の自由化やイベントの開催などは従来通りに戻っていくし、旅行客も戻ってくるが、マスク着用は続くだろう。
手指の消毒も続く。
年末年始だからといって、従来通りの大宴会や懇親会は行なわれない。
そして、なにごともなく冬を乗り切って春を迎えたとき、いよいよマスクなしの生活に戻れる。
これが希望的観測だ。
2021年11月11日
漏救を招くなかれ
コロナ関連の経済対策として、給付金構想が次々に明らかになってきている。
18歳以下の子供への10万円給付、困窮学生への10万円給付、マイナポイント2万円付与。
この経済対策の効果と意義については、議論が多い。
どんな支援制度でも付きまとうのは、不公平感だ。
対象を限定すれば、必ず給付対象から外れる人が出てくる。
所得制限を設けた場合、ボーダーライン前後では僅かな違いで、給付金満額かゼロかに分かれ、極端な違いになる。
前回の給付金では、この不公平感をなくすために(そして迅速給付のために)、全国民に一律10万円給付となった。
国民は、経済対策の効果の有無や給付金の多寡よりも、不公平感に敏感だ。
政府は、事業者へ持続化給付金の支援も検討している。
新型コロナウイルス禍の影響で売り上げが減少した企業に対し、事業規模に応じて最大250万円を支給するというもの。
前回の持続化給付金は最大200万円だったが、それが250万円になった。
適応条件も、売上減少50%以上から30%以上に変更される。
一方、個人事業主については、前回は最大100万円だったものが、50万円になる。
(この個人事業主の支援額が減らされたのは、前回個人事業主を装った不正受給が横行したことの反省か)
これはまだ検討段階で、具体的にどのようなスキームになるのかは不明。
これも受給資格をどのように条件設定するかで不公平感が生じる。
緊急事態宣言発出中は、営業自粛に協力する飲食店に対して給付金(協力金)が出された。
これについても常に不公平感が指摘されていた。
1日数万円の給付金ではまったく経営支援にならないと嘆く経営者がいる一方、零細飲食店の中には、普段の売上よりも多くの給付金を手に入れるケースもあったらしい。
このように緊急時の給付金については、不公平感は免れない。
不公平感のない仕組みを作ろうとすれば、時間がかかり手間がかかりコストがかかる。
結局、そんな支援ならやらないほうがまし、となりかねない。
緊急時の経済支援については、第1優先は迅速性だ。
本当に困っている人に一刻も早く支援を届けること、これが求められる。
そして第2優先は、十分な支援規模。
わずかな支援では、手間とコストをかけただけで、困窮者の助けにならない。
最悪の支援策は、「少なすぎ遅すぎ」だ。
「濫救を恐れて漏救を招くなかれ」という言葉がある。
これは、緊急時の支援策を実施するときの鉄則だ。
「濫救」とは、野放図にカネをばらまいてしまうこと。
「漏救」とは、本当に必要な人に支援が届かないこと。
不必要な人にまで給付金が配られないようにするには、条件を厳しく設定し選別をしっかり行わなくてはならない。
しかし、条件を厳しくすると、必ずその対象から外れてしまう人が出てくる。
条件が厳しすぎるために、本当に困窮している人に支援が届かないとすると、この支援策の意味はない。
それで、「少々無駄なバラマキになってしまったとしても、本当に困っている人にしっかり支援が届くことを優先しよう」という戒めとしてこの言葉がある。
18歳以下の子供への10万円給付、困窮学生への10万円給付、マイナポイント2万円付与。
この経済対策の効果と意義については、議論が多い。
どんな支援制度でも付きまとうのは、不公平感だ。
対象を限定すれば、必ず給付対象から外れる人が出てくる。
所得制限を設けた場合、ボーダーライン前後では僅かな違いで、給付金満額かゼロかに分かれ、極端な違いになる。
前回の給付金では、この不公平感をなくすために(そして迅速給付のために)、全国民に一律10万円給付となった。
国民は、経済対策の効果の有無や給付金の多寡よりも、不公平感に敏感だ。
政府は、事業者へ持続化給付金の支援も検討している。
新型コロナウイルス禍の影響で売り上げが減少した企業に対し、事業規模に応じて最大250万円を支給するというもの。
前回の持続化給付金は最大200万円だったが、それが250万円になった。
適応条件も、売上減少50%以上から30%以上に変更される。
一方、個人事業主については、前回は最大100万円だったものが、50万円になる。
(この個人事業主の支援額が減らされたのは、前回個人事業主を装った不正受給が横行したことの反省か)
これはまだ検討段階で、具体的にどのようなスキームになるのかは不明。
これも受給資格をどのように条件設定するかで不公平感が生じる。
緊急事態宣言発出中は、営業自粛に協力する飲食店に対して給付金(協力金)が出された。
これについても常に不公平感が指摘されていた。
1日数万円の給付金ではまったく経営支援にならないと嘆く経営者がいる一方、零細飲食店の中には、普段の売上よりも多くの給付金を手に入れるケースもあったらしい。
このように緊急時の給付金については、不公平感は免れない。
不公平感のない仕組みを作ろうとすれば、時間がかかり手間がかかりコストがかかる。
結局、そんな支援ならやらないほうがまし、となりかねない。
緊急時の経済支援については、第1優先は迅速性だ。
本当に困っている人に一刻も早く支援を届けること、これが求められる。
そして第2優先は、十分な支援規模。
わずかな支援では、手間とコストをかけただけで、困窮者の助けにならない。
最悪の支援策は、「少なすぎ遅すぎ」だ。
「濫救を恐れて漏救を招くなかれ」という言葉がある。
これは、緊急時の支援策を実施するときの鉄則だ。
「濫救」とは、野放図にカネをばらまいてしまうこと。
「漏救」とは、本当に必要な人に支援が届かないこと。
不必要な人にまで給付金が配られないようにするには、条件を厳しく設定し選別をしっかり行わなくてはならない。
しかし、条件を厳しくすると、必ずその対象から外れてしまう人が出てくる。
条件が厳しすぎるために、本当に困窮している人に支援が届かないとすると、この支援策の意味はない。
それで、「少々無駄なバラマキになってしまったとしても、本当に困っている人にしっかり支援が届くことを優先しよう」という戒めとしてこの言葉がある。