寺田総務大臣の更迭。
総理の決断の遅さが批判されている。
山際氏の場合も、寺田氏の場合も、任命直後から問題が指摘されていた。
マスコミや野党がそこに食らいついて話さないのは目に見えていながら、対応を先延ばししたために、事態を悪化させ続けた。
いま、新型コロナの第8波が始まろうとしている。
いつまで、こんなことを繰り返しているのだろうか。
以前から、第2類相当の扱いを、第5類相当に切り替えよ、という声が国民の間から立ち上がっていた。
第7波の時、総理は「感染拡大の最中に基準を切り替えると現場が混乱する」と言って、決断を先送りにした。
いま、第7波が収まり、第8波を迎えようとしている。
基準切り替えをするとしたら、ラストチャンスだが、決断は先送りにしたままだ。
閣僚人事にてんてこ舞いで、国政の重大事案にじっくり向き合う余裕を失っているようだ。
第8波では第7波以上の感染状況を迎える。
第2類相当のままでは、再び医療現場の逼迫が起きるのは目に見えている。
その時、また、国民に外出自粛、3密回避を呼び掛けるのか。
本来は、国民の健康を守るために医療体制があるはずなのに、いまでは医療体制を守るために国民が犠牲を強いられるという倒錯した状況が続いている。
「聞く力」をアピールしていた総理。
本当に聞く力しか持っていなかったことが分かってきて、失望感が強い。
危機管理においては、「誤断は不断に勝る」が教訓だ。
ぐずぐずしていて決断できないようなら、間違っても何らかの決断をした方がいい。
早いうちの決断なら、間違っていたとしても取り戻す時間の余裕がある。
ところが、決断できない者は、ひたすら時間ばかりを浪費し事態を悪化させ続ける。
凡庸なリーダーは役に立たないどころではない。
事態を悪化させてしまうという意味で、弊害が大きい。
2022年11月21日
2022年11月13日
政治家のスピーチ下手:葉梨大臣の失言
葉梨氏は9日、都内の会合で「だいたい法相は朝、死刑のはんこを押す。昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」などと述べた。
これが死刑を軽視する重大な失言として取り上げられた。
野党やマスコミの批判が沸き起こる中、本人は釈明に追われたが、自民党内からも、かばいきれないとの声が上がり、11日に更迭となった。
葉梨氏は、頭脳明晰で堅実なイメージがあり、法務大臣就任の報道を知った時、期待できそうだと思った。
だが、こんなつまらない失言で失脚するとは、残念だ。
たぶん、葉梨氏としては、死刑を軽んじるつもりも、法務大臣という職責を軽視するつもりもなかっただろう。
初入閣の法務大臣として周りからもてはやされる中、「いや、それほど大したことではないんですよ」と謙遜のつもりで、「法務大臣なんてこんなもの」と自虐的に冗談を言ったのに違いない。
ここで、逆に「法務大臣は重責なんだ。大変なんだ」なんてことを強調するようなスピーチをしたら、むしろ、場をしらけさせただろう。
葉梨氏は、問題となった会合でたまたま口が滑ったというわけではなく、いろんな場で、同じようなスピーチをしていたようだ。
このジョークでそれなりに場が和むのを見て、同じ調子て繰り返していたのだろう。
更に、「法務大臣はカネがもうからない。票が集まらない」という愚痴までも披露していたらしい。
調子に乗って、自虐ジョークを重ねてしまったようだ。
軽口は、その場に居合わせてスピーチを聴いた人はそれほど違和感がないが、それを、現場の雰囲気を実感しない第三者が文字として読むと強烈な違和感を覚えることがある。
今回は、このケースだ。
葉梨氏は、「死刑を軽視しているような印象を与えてしまったのは本意ではない」として、釈明を繰り返した。
ぶら下がり取材では、その時のスピーチ全文を読み上げ、どのような文脈で語ったものかということを知らせようとした。
片言隻語で上げ足を取ろうとするマスコミへの不満がにじみ出ていた。
だが、4分間の全文朗読を聴いている記者はなく、それを報道するマスコミもなかった。
現場の雰囲気を知らない者が、全文の読み上げを聴いても、それを文字として読んでも、違和感に変わりはない。
むしろ、「発言の一部を切り取られたために誤解されているのでは」と同情していた保守派にまで見限られてしまった。
葉梨氏の抗弁は、事態を悪化させただけだった。
葉梨氏に落ち度があるとすれば、それは、致命的なスピーチ下手にある。
政治家は言葉が商売道具。
その言葉を適切に使えなくては、政治家は務まらない。
言葉で我が意を伝え、言葉で聴き手の心をつかみ、言葉で相手の行動を促す。
話術にはさまざまなテクニックがあるが、笑いを取るというのはその1つ。
だが、この笑いを取るという技術は、思いのほか難しい。
話術の中では高等戦術に入る。
使い方を間違えると、受けなくてドッチラケになるだけでは済まない。
聴き手を不快にさせ、特定の人の怒りを買い、別の問題を引き起こしかねない。
誰も不快にさせず、爽やかな印象だけを残す笑い・・・これを使いこなすには相当のトレーニングがいる。
欧米の政治家のスピーチを聴いていると、笑いをとることが必須のように見える。
中にはライバルを当てこするだけのような低レベルの笑いもあるが、品のあるウィットに富んだ笑いもある。
爽やかな笑いは聴く方も気持ちがいい。
葉梨氏には、聴き手の心をつかむスピーチ能力に限界があった。
それで、安易に程度の低い自虐ネタで笑いを取ろうとしてしまったのだろう。
今回の件で、葉梨氏の政治家としての限界まで露呈してしまった。
再登板は無理だろう。
これが死刑を軽視する重大な失言として取り上げられた。
野党やマスコミの批判が沸き起こる中、本人は釈明に追われたが、自民党内からも、かばいきれないとの声が上がり、11日に更迭となった。
葉梨氏は、頭脳明晰で堅実なイメージがあり、法務大臣就任の報道を知った時、期待できそうだと思った。
だが、こんなつまらない失言で失脚するとは、残念だ。
たぶん、葉梨氏としては、死刑を軽んじるつもりも、法務大臣という職責を軽視するつもりもなかっただろう。
初入閣の法務大臣として周りからもてはやされる中、「いや、それほど大したことではないんですよ」と謙遜のつもりで、「法務大臣なんてこんなもの」と自虐的に冗談を言ったのに違いない。
ここで、逆に「法務大臣は重責なんだ。大変なんだ」なんてことを強調するようなスピーチをしたら、むしろ、場をしらけさせただろう。
葉梨氏は、問題となった会合でたまたま口が滑ったというわけではなく、いろんな場で、同じようなスピーチをしていたようだ。
このジョークでそれなりに場が和むのを見て、同じ調子て繰り返していたのだろう。
更に、「法務大臣はカネがもうからない。票が集まらない」という愚痴までも披露していたらしい。
調子に乗って、自虐ジョークを重ねてしまったようだ。
軽口は、その場に居合わせてスピーチを聴いた人はそれほど違和感がないが、それを、現場の雰囲気を実感しない第三者が文字として読むと強烈な違和感を覚えることがある。
今回は、このケースだ。
葉梨氏は、「死刑を軽視しているような印象を与えてしまったのは本意ではない」として、釈明を繰り返した。
ぶら下がり取材では、その時のスピーチ全文を読み上げ、どのような文脈で語ったものかということを知らせようとした。
片言隻語で上げ足を取ろうとするマスコミへの不満がにじみ出ていた。
だが、4分間の全文朗読を聴いている記者はなく、それを報道するマスコミもなかった。
現場の雰囲気を知らない者が、全文の読み上げを聴いても、それを文字として読んでも、違和感に変わりはない。
むしろ、「発言の一部を切り取られたために誤解されているのでは」と同情していた保守派にまで見限られてしまった。
葉梨氏の抗弁は、事態を悪化させただけだった。
葉梨氏に落ち度があるとすれば、それは、致命的なスピーチ下手にある。
政治家は言葉が商売道具。
その言葉を適切に使えなくては、政治家は務まらない。
言葉で我が意を伝え、言葉で聴き手の心をつかみ、言葉で相手の行動を促す。
話術にはさまざまなテクニックがあるが、笑いを取るというのはその1つ。
だが、この笑いを取るという技術は、思いのほか難しい。
話術の中では高等戦術に入る。
使い方を間違えると、受けなくてドッチラケになるだけでは済まない。
聴き手を不快にさせ、特定の人の怒りを買い、別の問題を引き起こしかねない。
誰も不快にさせず、爽やかな印象だけを残す笑い・・・これを使いこなすには相当のトレーニングがいる。
欧米の政治家のスピーチを聴いていると、笑いをとることが必須のように見える。
中にはライバルを当てこするだけのような低レベルの笑いもあるが、品のあるウィットに富んだ笑いもある。
爽やかな笑いは聴く方も気持ちがいい。
葉梨氏には、聴き手の心をつかむスピーチ能力に限界があった。
それで、安易に程度の低い自虐ネタで笑いを取ろうとしてしまったのだろう。
今回の件で、葉梨氏の政治家としての限界まで露呈してしまった。
再登板は無理だろう。
2022年11月02日
韓国群衆事故:再発防止の前に
10月29日、韓国・ソウルの繁華街、梨泰院で156人が死亡した転倒事故。
事故は長さ40メートル、横幅3.2メートルの狭い坂道で起きた。
非常に狭い空間で一度に大量の犠牲者を出した事故として注目される。
このような事故の検証には3つのステップが必要だ。
第1ステップ:事実の把握(何が起きていたか)
第2ステップ:原因の究明(どうしてそうなったか)
第3ステップ:再発の防止(どのように対策するか)
いきなり、原因を追究したり、責任の所在を論じたりする人がいるが、その前提となる事実の把握ができていないままであるために、百論百出の勝手気ままな議論になりがちだ。
まずは現場で何が起きていたかを確認することが求められる。
群衆雪崩は午後10時半ごろに起きた。
長さ40mの狭い路地の中ほどで始まったらしい。
気を失って倒れる人が出て、空いたスペースに周辺から流れ落ちるように人が押し寄せ、折り重なるように大勢が倒れたようだ。
この路地は、地下鉄出口からグルメ街道へ向かう近道であり、また、グルメ街道から地下鉄に向かう人にとっても近道になっていた。
両方向から人が流れ込み、狭い道路を対面通行している状態だった。
事故発生の数時間前からグルメ街道の方は過密状態が起きており、警察には通報が相次いでいたという。
この時点で混んでいるのはグルメ街道の方で、その過密を逃れようとする人が問題の路地に流れ込んでいる状態。
ところが、その間にも地下鉄からは次々に人が上がってきて問題の路地に向かう。
グルメ街道も過密状態が更に高まり、路地への流入が増加する。
それで狭い路地に両方向からの人流がぶつかり合うことになった。
やがて両方向から押し合い、どちらにも進めない状況となる。
それでも地下鉄からの人流は続き、グルメ街道からの流入も止まらない。
現場にいた人の証言から、このとき、「進め、進め」「押せ、押せ」と煽るような言動をしている人もいたという報道もある。
中には、「もっと押せ、俺らが勝とう」という声もあったという。
たぶん、群衆の中にいる人も両方向からの流れがぶつかり合っているために進めなくなっていることに気づいていたのだろう。
「こちらが引き下がってなるものか」「向こう側に引き下がらせろ」という勝ち負けの感覚に陥っていた人もいたのかもしれない。
路地の中ほどが両方向からの圧力が集中するところで、ここが最も危険だった。
中には立ったまま失神する人も出始めた。
失神者が1人だけなら、周りの人の圧力で立っているが、周辺の人が一度に失神すると、支えられずに塊になって倒れこむことになる。
これが引き金になって群衆雪崩がおきたようだ。
10時半ごろに路地の中ほどで群衆雪崩が発生するが、ヒトが倒れた後も後続がぐいぐい押してきたという証言がある。
群衆雪崩が起きると、一瞬圧力が下がり前方にスペースができる。
そのスペースを埋めるように後ろの人びとが前へ押し寄せてしまうのだ。
後方では前方で何が起きているか分からない。
前方にスペースができて進むことができるようになったので、「ようやく動き出した。それ行け行け」となってしまったのかもしれない。
残されている映像を見ると、警察官や警備員の姿はどこにもなく、全体を見渡してコントロールしている人がいないことが分かる。
群衆の中には「戻れ戻れ」と手を振って後方に合図を送っている人もいたし、沿道の建物のベランダから眺めている人が群衆の人々を誘導しようとしている姿もあったが、これらの指示や誘導が正しかったのかどうかは分からない。
群衆雪崩発生から、警察官やレスキュー隊が到着したのが1時間後。
それでも、周辺は人であふれかえっており、現場に近づけない。
ようやく救助が始まったのが0時前だったという。
心肺蘇生があちこちで行なわれたが、遅すぎた。
心肺停止から数分で蘇生の可能性は急激に下がる。
数時間後では蘇生は不可能だ。
一度に大量の犠牲者を出してしまった背景にはこのような状況があった。
事故は長さ40メートル、横幅3.2メートルの狭い坂道で起きた。
非常に狭い空間で一度に大量の犠牲者を出した事故として注目される。
このような事故の検証には3つのステップが必要だ。
第1ステップ:事実の把握(何が起きていたか)
第2ステップ:原因の究明(どうしてそうなったか)
第3ステップ:再発の防止(どのように対策するか)
いきなり、原因を追究したり、責任の所在を論じたりする人がいるが、その前提となる事実の把握ができていないままであるために、百論百出の勝手気ままな議論になりがちだ。
まずは現場で何が起きていたかを確認することが求められる。
群衆雪崩は午後10時半ごろに起きた。
長さ40mの狭い路地の中ほどで始まったらしい。
気を失って倒れる人が出て、空いたスペースに周辺から流れ落ちるように人が押し寄せ、折り重なるように大勢が倒れたようだ。
この路地は、地下鉄出口からグルメ街道へ向かう近道であり、また、グルメ街道から地下鉄に向かう人にとっても近道になっていた。
両方向から人が流れ込み、狭い道路を対面通行している状態だった。
事故発生の数時間前からグルメ街道の方は過密状態が起きており、警察には通報が相次いでいたという。
この時点で混んでいるのはグルメ街道の方で、その過密を逃れようとする人が問題の路地に流れ込んでいる状態。
ところが、その間にも地下鉄からは次々に人が上がってきて問題の路地に向かう。
グルメ街道も過密状態が更に高まり、路地への流入が増加する。
それで狭い路地に両方向からの人流がぶつかり合うことになった。
やがて両方向から押し合い、どちらにも進めない状況となる。
それでも地下鉄からの人流は続き、グルメ街道からの流入も止まらない。
現場にいた人の証言から、このとき、「進め、進め」「押せ、押せ」と煽るような言動をしている人もいたという報道もある。
中には、「もっと押せ、俺らが勝とう」という声もあったという。
たぶん、群衆の中にいる人も両方向からの流れがぶつかり合っているために進めなくなっていることに気づいていたのだろう。
「こちらが引き下がってなるものか」「向こう側に引き下がらせろ」という勝ち負けの感覚に陥っていた人もいたのかもしれない。
路地の中ほどが両方向からの圧力が集中するところで、ここが最も危険だった。
中には立ったまま失神する人も出始めた。
失神者が1人だけなら、周りの人の圧力で立っているが、周辺の人が一度に失神すると、支えられずに塊になって倒れこむことになる。
これが引き金になって群衆雪崩がおきたようだ。
10時半ごろに路地の中ほどで群衆雪崩が発生するが、ヒトが倒れた後も後続がぐいぐい押してきたという証言がある。
群衆雪崩が起きると、一瞬圧力が下がり前方にスペースができる。
そのスペースを埋めるように後ろの人びとが前へ押し寄せてしまうのだ。
後方では前方で何が起きているか分からない。
前方にスペースができて進むことができるようになったので、「ようやく動き出した。それ行け行け」となってしまったのかもしれない。
残されている映像を見ると、警察官や警備員の姿はどこにもなく、全体を見渡してコントロールしている人がいないことが分かる。
群衆の中には「戻れ戻れ」と手を振って後方に合図を送っている人もいたし、沿道の建物のベランダから眺めている人が群衆の人々を誘導しようとしている姿もあったが、これらの指示や誘導が正しかったのかどうかは分からない。
群衆雪崩発生から、警察官やレスキュー隊が到着したのが1時間後。
それでも、周辺は人であふれかえっており、現場に近づけない。
ようやく救助が始まったのが0時前だったという。
心肺蘇生があちこちで行なわれたが、遅すぎた。
心肺停止から数分で蘇生の可能性は急激に下がる。
数時間後では蘇生は不可能だ。
一度に大量の犠牲者を出してしまった背景にはこのような状況があった。