ビッグモーターの悪事は底なしの様子。
Googleマップの店舗情報には、カスタマーレビューが書き込まれていることがあり、それでこの店舗の評判を知ることができる。
ビッグモーターの店舗のレビューを見ると、高評価と低評価が極端に分かれている。
高評価のレビューは、歯の浮いたような誉め言葉が短文で書いてあるだけで具体性がない。
しかも、レビュアーの投稿歴はこれ1本のことが多い。
サクラによる投稿であることがまるわかり。
一方、低評価のレビューは、長文で具体的だ。
実体験に基づいた評価だということが分かる。
そして、その内容は目を疑うようなものばかり。
客をぞんざいに扱う、途中で言うことがころころ変わる、上司のご機嫌ばかりうかがっている、などなど。
しかも、どこの店舗でも同じようなレビューがみられることに驚く。
つまり、ある店舗の悪質な店員による不手際、ということではなく、全社的な経営姿勢が現場の店員の顧客対応に表れているということだ。
この経営姿勢が、保険金の不正請求につながっているのだろう。
ビッグモーターの悪事は信じられないことが多いが、その中の1つに、店舗前の街路樹の問題がある。
ビッグモーターの店舗前の街路樹だけ不自然に枯死してる事例が多数見つかったのだ。
Googleストリートビューでは、現在の道路沿いの様子を確認することができるが、過去にさかのぼって沿道の変化を見ることができる。
すると、初めは青々と茂っていた街路樹が、突然枯れ始め、やがては伐採されて切り株だけになっていく様子が確認できるのだ。
ストリートビューの威力を再確認した。
このストリートビューサービスは、2007年から始まった。翌年には日本でも。
当初は、その目的が不明だった。
なぜ、Googleは世界中の街中の様子を映像で記録しようとするのか。
コストばかりかかって、リターンのないサービスに意味があるのか。
「世界中のあらゆる情報をデジタル化し、利用可能にする」というのがGoogleの基本コンセプト。
目的は後回しで、このコンセプトに合致するものは次々にデジタル化を進めて行く。
その一環でストリートビューが始まった。
サービスが始まって15年が経過し、過去のデータが蓄積することで、タイムマシン機能を使えるようになった。
タイムマシン機能とは、過去の好きな時点にさかのぼって、その時の街の様子を画像で確認できる機能。
今になって、この機能の重要性がクローズアップされている。
ビッグモーター前の街路樹の変化が確認できるのも、このおかげ。
最近は町の様子の変化も激しい。
昔の建屋が壊されて近代的なビルに生まれ変わることも。
その時、ストリートビューで過去の風景を引っ張り出して、ここには昔何があったのかを確認できる。
もっと実用的な活用法もある。
土地の境界の争いで、過去の建物がどのように立っていたかは、記録に残していない場合は、ヒトの記憶に頼るしかなくなってしまう。
その場合、ストリートビューは有効だ。
「何年の何月時点では、ここにこのような建物が建っていた」ことを客観的な証拠として裁判で示すことができる。
ストリートビューは、当初は主要都市が中心だったが、いまや地方の路地裏までカバーするようになった。
未知のロケーションのクライアント先に初めて訪れるとき、事前にストリートビューで町の風景を確認してから向かうことが多い。
すると、初めての土地でも見覚えのある風景を確認し、迷うことなく目的地にたどり着ける。
Googleの「あらゆる情報を利用可能にする」というコンセプトは、なるほど私たちの生活に役に立っている。
2023年07月30日
2023年07月26日
久しぶりの拙劣な謝罪会見
ビッグモーターの創業者社長がようやく謝罪会見を行なった。
予想されたことではあるが、とても謝罪会見とは言えないひどいものだった。
過去、ひどい謝罪会見はたくさんあるが、船場吉兆、ミートホープに続くトップスリーに含まれる。
ビッグモーターは中古車販売の大手。CMを大量に流しており知名度も高い。
不正問題は、2022年初めに発覚したが、ビッグモーターは当初、不正ではなく過失によるものだと主張していた。
しかし、外部の弁護士が行った調査報告書によると、ビッグモーターの全国33工場すべてで水増し請求の疑義があり、本社サイドが過度な営業ノルマを課していたことが明らかとなる。
社長が1年間の報酬を受け取らないという発表をした以外、これまで何の動きもなかった。
嵐が過ぎ去るのを待てば、やり過ごせると考えていたのか。
ところが、動きが鈍かったマスコミが報道し始めたために様子が変わってきた。
世論が沸騰し、それに応じて、国交省、経産省、金融庁までも調査に動き出すに及んで、事態がどんどんひどくなっていく。
たまりかねたか、25日になってようやく社長自らの謝罪会見となった。
会見の趣旨は、創業者社長と息子の副社長が26日付で引責辞任する、不正は板金塗装部門が勝手にやったことで幹部は知らなかった、というもの。
全国33工場のすべてで不正請求の疑義が出ている中、経営トップが知らなかったで逃げ切ろうとする神経のずぶとさに驚く。
記者が今回の不正の内容について具体的に質問するが、発言は第三者のコメンテーターのような回答に終始した。
「驚いている」「許せない」「普通はやりませんよね」などとまったく当事者意識が欠落していた。
時々、表情が半笑いになってしまうのは、自分を第三者の立場において「私もあきれ返っている」という姿勢を見せているのだろう。
極めつけは、ゴルフボールを靴下に入れて車体に傷をつけていたことに対し、「ゴルフを愛する人に対する冒涜です」と頓珍漢な答え。
「そこじゃないだろう!」と全国民から突っ込みが入りそうだ。
この謝罪会見が失敗である理由は、誰に対して何を謝罪しているのか分からないからだ。
「申し訳ございません」と頭を下げたが、いったい誰に対して謝罪しているのか分からない。
わざと傷をつけた自動車の持ち主であるお客様に対してか。
保険金の不正請求をした先の保険会社に対してか。
業界の信用を失ってしまったことに対する同業者への謝罪か。
事業者にとって最も大事なのはお客様のはずだが、この社長にはお客様の信頼を裏切ってしまったことへの申し訳ない気持ちがまったく見られない。
「ゴルフを愛する人に対する冒涜です」という答えになるのは、この社長にとって、お客様よりもゴルフの方が大事だという認識が無意識に出てしまったのだろう。
経営トップに座り、売上の向上ばかりを意識し、現場でお客様に向き合うことを忘れてしまっているようだ。
これが上場企業だったら、社長辞任だけでは終わらず、株主代表訴訟で、旧経営陣は損害賠償で身ぐるみ剝がされる。
この場合、「知らなかった」は許されない。
本当に知らなかったとしたら、それは知っていて見過ごしていたよりも責任が重大と判断される。
だが、非上場企業であり、株式は創業者一族で独占しているので、株主代表訴訟は起きない。
店舗前の街路樹に除草剤を撒き、葉を枯らして店の看板が道路から見えやすくするようなこともしていたようだ。
ビッグモーターの経営姿勢は、根本から腐っていたというほかない。
まだ、その全容は明らかになっていない。
今後の調査で少しずつ実態が判明していく。
ビッグモーターは、このまま事業継続は無理だ。
従業員の雇用を守るためには、同業者に吸収合併してもらうしかない。
その時、創業者一族が保有している株式は無償譲渡とならざるを得ない。
合併した側は、組織改革を行い、従業員教育をやり直し、お客様の信頼回復を目指さなくてはならない。
無償でも高い買い物になりそうだ。
予想されたことではあるが、とても謝罪会見とは言えないひどいものだった。
過去、ひどい謝罪会見はたくさんあるが、船場吉兆、ミートホープに続くトップスリーに含まれる。
ビッグモーターは中古車販売の大手。CMを大量に流しており知名度も高い。
不正問題は、2022年初めに発覚したが、ビッグモーターは当初、不正ではなく過失によるものだと主張していた。
しかし、外部の弁護士が行った調査報告書によると、ビッグモーターの全国33工場すべてで水増し請求の疑義があり、本社サイドが過度な営業ノルマを課していたことが明らかとなる。
社長が1年間の報酬を受け取らないという発表をした以外、これまで何の動きもなかった。
嵐が過ぎ去るのを待てば、やり過ごせると考えていたのか。
ところが、動きが鈍かったマスコミが報道し始めたために様子が変わってきた。
世論が沸騰し、それに応じて、国交省、経産省、金融庁までも調査に動き出すに及んで、事態がどんどんひどくなっていく。
たまりかねたか、25日になってようやく社長自らの謝罪会見となった。
会見の趣旨は、創業者社長と息子の副社長が26日付で引責辞任する、不正は板金塗装部門が勝手にやったことで幹部は知らなかった、というもの。
全国33工場のすべてで不正請求の疑義が出ている中、経営トップが知らなかったで逃げ切ろうとする神経のずぶとさに驚く。
記者が今回の不正の内容について具体的に質問するが、発言は第三者のコメンテーターのような回答に終始した。
「驚いている」「許せない」「普通はやりませんよね」などとまったく当事者意識が欠落していた。
時々、表情が半笑いになってしまうのは、自分を第三者の立場において「私もあきれ返っている」という姿勢を見せているのだろう。
極めつけは、ゴルフボールを靴下に入れて車体に傷をつけていたことに対し、「ゴルフを愛する人に対する冒涜です」と頓珍漢な答え。
「そこじゃないだろう!」と全国民から突っ込みが入りそうだ。
この謝罪会見が失敗である理由は、誰に対して何を謝罪しているのか分からないからだ。
「申し訳ございません」と頭を下げたが、いったい誰に対して謝罪しているのか分からない。
わざと傷をつけた自動車の持ち主であるお客様に対してか。
保険金の不正請求をした先の保険会社に対してか。
業界の信用を失ってしまったことに対する同業者への謝罪か。
事業者にとって最も大事なのはお客様のはずだが、この社長にはお客様の信頼を裏切ってしまったことへの申し訳ない気持ちがまったく見られない。
「ゴルフを愛する人に対する冒涜です」という答えになるのは、この社長にとって、お客様よりもゴルフの方が大事だという認識が無意識に出てしまったのだろう。
経営トップに座り、売上の向上ばかりを意識し、現場でお客様に向き合うことを忘れてしまっているようだ。
これが上場企業だったら、社長辞任だけでは終わらず、株主代表訴訟で、旧経営陣は損害賠償で身ぐるみ剝がされる。
この場合、「知らなかった」は許されない。
本当に知らなかったとしたら、それは知っていて見過ごしていたよりも責任が重大と判断される。
だが、非上場企業であり、株式は創業者一族で独占しているので、株主代表訴訟は起きない。
店舗前の街路樹に除草剤を撒き、葉を枯らして店の看板が道路から見えやすくするようなこともしていたようだ。
ビッグモーターの経営姿勢は、根本から腐っていたというほかない。
まだ、その全容は明らかになっていない。
今後の調査で少しずつ実態が判明していく。
ビッグモーターは、このまま事業継続は無理だ。
従業員の雇用を守るためには、同業者に吸収合併してもらうしかない。
その時、創業者一族が保有している株式は無償譲渡とならざるを得ない。
合併した側は、組織改革を行い、従業員教育をやり直し、お客様の信頼回復を目指さなくてはならない。
無償でも高い買い物になりそうだ。
2023年07月09日
画像生成AIの実力
AIの話題が続く。
生成AIは、大規模言語モデルに基づいているので、基本は言葉によるやり取りが主体だ。
ところが、言葉による指定で、画像による回答ができるAIが存在する。
画像生成AIだ。
いま、ネット上にはAIによって作成された画像が大量に存在するようになった。
以前は、見るからに作られた画像というのが一目でわかるようなものばかりだったが、AI技術が日々向上していることと、プロンプトの巧みさによって、ものすごくリアルで美しい画像を見ることができる。
美しい自然の風景など、お手の物だ。
現実には存在しない風景でも、リアルに再現できる。
どこかで見たことがあるような風景だが、どこだか特定できない。
不思議なリアル感がある。
プロの写真家の中には、世界の自然の風景を探し求め、何日も同じ場所で粘りに粘って奇跡的な一瞬をとらえた貴重な写真を撮り続けている人もいる。
その写真家は、個展を開く際、「これらの写真は、CGやAIによるものではありません」と断り書きを掲示しなければならなくなった。
ただ美しいだけの写真は、AIで瞬時に作れるようになってしまったのだ。
人物の画像もAIで簡単に作れる。
人の表情は難しく、僅かな違和感でも、偽物と見破られてしまう。
だが、最近のAI画像は、不自然さがなくなってきた。
本物のモデルを使って撮影したのではないかと錯覚するほどの出来栄えだ。
画像に映っている人物は、現実には存在しないので、肖像権も人格権もない。
そのモデルに、いろんな服を着せ、いろんな場所で、いろんなポーズを取らせることができる。
納得できるまで、何度も繰り返すことができる。
本物のモデルを使うよりも、完成度の高い作品ができるのではと思えてしまう。
ところが、細かく見ると、限界が見える。
影のでき方が不自然。
手の向きがおかしい。
洋服のデザインが変。
背景の建物が物理的に建築不可能。
やはり、AIはこんなところまで考えていない。
細かいおかしいところは、人間が見て修正するしかないのだろう。
しかし、作り物であることは承知で、美しい画像として楽しむ分には何ら問題ないし、十分、鑑賞に堪えられるレベルに達しているといえる。
プロの画家が描いた絵であっても、それは作り物であるのだし、有名な絵画でも、影がおかしかったり、手の位置が不自然だったりというのは当たり前にある。
だからと言って、その作品の価値が失われることはない。
生成AIによる画像も、同じだろう。
これからは、簡単なイメージ画像だったら、AIで十分だ。
むしろ、こちらの希望で細かい注文通りの画像を作れるという点では、画像素材集などいらなくなるだろう。
問題は、AIの作った画像の著作権や使用権は誰にあるのか、ということだ。
この問題はクリアできていない。
AIがまだ発展途上にあること、そして、使用する側も本当の利用方法に習熟していないことで、どのような著作権の在り方が妥当なのかの結論が出ないのだ。
しばらくは、試行錯誤が続く。
生成AIは、大規模言語モデルに基づいているので、基本は言葉によるやり取りが主体だ。
ところが、言葉による指定で、画像による回答ができるAIが存在する。
画像生成AIだ。
いま、ネット上にはAIによって作成された画像が大量に存在するようになった。
以前は、見るからに作られた画像というのが一目でわかるようなものばかりだったが、AI技術が日々向上していることと、プロンプトの巧みさによって、ものすごくリアルで美しい画像を見ることができる。
美しい自然の風景など、お手の物だ。
現実には存在しない風景でも、リアルに再現できる。
どこかで見たことがあるような風景だが、どこだか特定できない。
不思議なリアル感がある。
プロの写真家の中には、世界の自然の風景を探し求め、何日も同じ場所で粘りに粘って奇跡的な一瞬をとらえた貴重な写真を撮り続けている人もいる。
その写真家は、個展を開く際、「これらの写真は、CGやAIによるものではありません」と断り書きを掲示しなければならなくなった。
ただ美しいだけの写真は、AIで瞬時に作れるようになってしまったのだ。
人物の画像もAIで簡単に作れる。
人の表情は難しく、僅かな違和感でも、偽物と見破られてしまう。
だが、最近のAI画像は、不自然さがなくなってきた。
本物のモデルを使って撮影したのではないかと錯覚するほどの出来栄えだ。
画像に映っている人物は、現実には存在しないので、肖像権も人格権もない。
そのモデルに、いろんな服を着せ、いろんな場所で、いろんなポーズを取らせることができる。
納得できるまで、何度も繰り返すことができる。
本物のモデルを使うよりも、完成度の高い作品ができるのではと思えてしまう。
ところが、細かく見ると、限界が見える。
影のでき方が不自然。
手の向きがおかしい。
洋服のデザインが変。
背景の建物が物理的に建築不可能。
やはり、AIはこんなところまで考えていない。
細かいおかしいところは、人間が見て修正するしかないのだろう。
しかし、作り物であることは承知で、美しい画像として楽しむ分には何ら問題ないし、十分、鑑賞に堪えられるレベルに達しているといえる。
プロの画家が描いた絵であっても、それは作り物であるのだし、有名な絵画でも、影がおかしかったり、手の位置が不自然だったりというのは当たり前にある。
だからと言って、その作品の価値が失われることはない。
生成AIによる画像も、同じだろう。
これからは、簡単なイメージ画像だったら、AIで十分だ。
むしろ、こちらの希望で細かい注文通りの画像を作れるという点では、画像素材集などいらなくなるだろう。
問題は、AIの作った画像の著作権や使用権は誰にあるのか、ということだ。
この問題はクリアできていない。
AIがまだ発展途上にあること、そして、使用する側も本当の利用方法に習熟していないことで、どのような著作権の在り方が妥当なのかの結論が出ないのだ。
しばらくは、試行錯誤が続く。
生成AIによる知的生産性
生成AIが面白い。
生成AIでいったい何ができて、何ができないのか。
いまは、遊びながらその実態を把握する段階。
なるほど、と舌を巻く点もあれば、これではダメだな、とがっかりすることも。
だが、これはビジネスにおいても有効なツールであることは間違いない。
特に、知的な業務を行なっている者にとって、生産性向上のためにAIを使うことの威力は大きい。
今回、あるテーマについて4000文字の原稿依頼を受けたので、試しに生成AIにプロットを作らせてみた。
「はじめに」から「第1章」「第2章」「第3章」そして「おわりに」まで、瞬時に目次案が出来上がった。
内容を見ると、悪くない。
このプロットに沿って書いていけば、過不足なくバランスのいい原稿ができそうな感じがする。
それそれの見出しについて、更に細かく指示を繰り返していけば、最終原稿までAIに作らせることができそうだ。
ところが、限界もある。
このプロット、細かく内容を見ると、おかしいところがそこかしこにある。
テーマと直接関係のない話が入っていたり、言葉の間違いが含まれていたり。。。
一般の人には分からないかもしれないが、専門家の目で見るとたちどころにおかしいところが分かる。
もう1つの限界は、内容に特徴がないこと。
一般的な当たり障りのない内容でまとめられていて、とがった主張や個性はない。
ネット上のどこにでも転がっている話題をまとめただけという感じにしかならない。
この内容で原稿を書いたとしても、何の印象も残らない凡庸な文章になってしまう。
これが、学生が課題レポートを作成するのだったら、この程度の文章で及第点はもらえるだろう。
だが、私はプロとして報酬をいただいて原稿を書く。
凡庸な文章を公開していては、自らの無能を晒すことになりかねない。
これでプロとして生成AIをどう使ったらいいかが分かる。
標準的な構成案はどんな内容になるのかをAIに作ってもらう。
それに、自分自身のオリジナリティの味付けをして最終原稿を仕上げる。
このオリジナリティをどこにどれだけ入れるかで作品の良しあしが決まりそうだ。
標準とオリジナリティのバランスをどうするか。
標準100%の文章は印象に残らない。
逆に、オリジナリティ100%の文章は、個性が強すぎて受け入れてもらえない。
ある程度すんなり受け入れてもらえて、オリジナリティを感じる文章はどのぐらいのバランスだろうか。
オリジナリティが2割から4割ぐらいかな、という感触だが、まだ自信がない。
いずれにしても、生成AIの登場で知的生産性が格段に向上するのは間違いなさそうだ。
生成AIでいったい何ができて、何ができないのか。
いまは、遊びながらその実態を把握する段階。
なるほど、と舌を巻く点もあれば、これではダメだな、とがっかりすることも。
だが、これはビジネスにおいても有効なツールであることは間違いない。
特に、知的な業務を行なっている者にとって、生産性向上のためにAIを使うことの威力は大きい。
今回、あるテーマについて4000文字の原稿依頼を受けたので、試しに生成AIにプロットを作らせてみた。
「はじめに」から「第1章」「第2章」「第3章」そして「おわりに」まで、瞬時に目次案が出来上がった。
内容を見ると、悪くない。
このプロットに沿って書いていけば、過不足なくバランスのいい原稿ができそうな感じがする。
それそれの見出しについて、更に細かく指示を繰り返していけば、最終原稿までAIに作らせることができそうだ。
ところが、限界もある。
このプロット、細かく内容を見ると、おかしいところがそこかしこにある。
テーマと直接関係のない話が入っていたり、言葉の間違いが含まれていたり。。。
一般の人には分からないかもしれないが、専門家の目で見るとたちどころにおかしいところが分かる。
もう1つの限界は、内容に特徴がないこと。
一般的な当たり障りのない内容でまとめられていて、とがった主張や個性はない。
ネット上のどこにでも転がっている話題をまとめただけという感じにしかならない。
この内容で原稿を書いたとしても、何の印象も残らない凡庸な文章になってしまう。
これが、学生が課題レポートを作成するのだったら、この程度の文章で及第点はもらえるだろう。
だが、私はプロとして報酬をいただいて原稿を書く。
凡庸な文章を公開していては、自らの無能を晒すことになりかねない。
これでプロとして生成AIをどう使ったらいいかが分かる。
標準的な構成案はどんな内容になるのかをAIに作ってもらう。
それに、自分自身のオリジナリティの味付けをして最終原稿を仕上げる。
このオリジナリティをどこにどれだけ入れるかで作品の良しあしが決まりそうだ。
標準とオリジナリティのバランスをどうするか。
標準100%の文章は印象に残らない。
逆に、オリジナリティ100%の文章は、個性が強すぎて受け入れてもらえない。
ある程度すんなり受け入れてもらえて、オリジナリティを感じる文章はどのぐらいのバランスだろうか。
オリジナリティが2割から4割ぐらいかな、という感触だが、まだ自信がない。
いずれにしても、生成AIの登場で知的生産性が格段に向上するのは間違いなさそうだ。