2024年04月26日

偽広告詐欺:SNS事業者の未熟

 SNS上の偽広告による詐欺犯罪が問題化している。
 著名人の名と画像を勝手に使った偽広告で投資サイトに誘導し、そこで大金を投資させ金銭を騙し取るという犯罪。
 投資詐欺は以前から存在していたが、いま問題になっているのは、SNS上の偽広告が詐欺行為の客寄せに使われていることだ。

 著名人が運営している投資グループであるかのように装い、客を吸引する。
 招待されたLINEグループでは、メンバーによる活発な情報交換が行われている。
 その中には、指導役の先生と教えてもらう生徒が存在する。
 生徒の中には、先生のアドバイス通りの投資で大儲けできたと喜んでいる人がいる。
 高級車を買ったとか、別荘を購入したとかいう情報も写真入りで投稿されている。
 これらは、すべて騙すための舞台装置なのだ。
 このメンバーの一員になりたいと思ったら、もうその人はカモだ。
 その後、資産のある限り吸い取られる。 

 偽広告に勝手に使われた著名人は、SNSの運営事業者に広告の削除を申し入れるが、まともに対応しない。
 閲覧した人の中には、明らかな偽広告だと分かるものについて事業者に通報をするが、「調査しましたが問題ありませんでした」と定型文を返してくるだけ。
 業を煮やした著名人や詐欺の被害者が、SNS運営会社を相手に提訴に踏み切った。

 メタ社は、公式に次のような声明を出している。
「世界中の膨大な数の広告を審査することには課題も伴う。
オンライン上の詐欺が今後も存在し続けるなかで、詐欺対策の進展には、産業界そして専門家や関連機関との連携による、社会全体でのアプローチが重要だと考える」
 この声明の真意はこうだ。
 膨大な数の広告をチェックするのは不可能。
 詐欺というのはいつの時代にもあった犯罪で、オンライン上でも今後は続く。
 これは、我が社1社で対応できるものではなく、産業界や社会全体で何とかする問題だ。

 この声明に多くの人が怒りを募らせている。
 メタ社は、広告収入によって事業が成り立っている。
 年間5兆6600億円もの売上があり、増え続けている。
 その広告で詐欺被害が多数発生するようになっている以上、その責任は免れない。
 詐欺広告で収入を得ているということは、詐欺の共犯または幇助にあたる。
 
 膨大な数の広告をチェックしていられないというのなら、チェックできる人員を増やすか、チェックできる規模に広告を縮小すべきだ。
 チェックしても詐欺広告か正当な広告かは判断できないとしたら、そのような判断できない広告は流さないようにすべきだ。
 例えば、自動車の設計に欠陥があり、運転中に突然エンストを起こす可能性があることが分かった場合、直ちにリコールを届け出て情報周知する。
 原因が分からなければ、はっきりするまで生産や販売は直ちに中止になる。
 SNS広告で深刻な詐欺被害が多発していることが分かっているのなら、その時点ですべての広告の表示を中止し、実態の解明、原因の追究、再発の防止策を立ち上げた後、ようやく事業再開となって当たり前だろう。
 SNS事業者はそこまでするつもりは全くない。
 社会のインフラを担う事業者としての覚悟も使命感もなさそうだ。
 SNS事業者はいずれもネットビジネスの発展とともに立ち上がってきたものなので、業歴が浅く未熟だ。
 経営者も目先の事業拡大や売上向上にしか関心がないようだ。

 「ネット上の売上は我が社が最大限獲得するが、そのデメリットは社会全体で対応せよ」
 こんな勝手な言い分は社会が許さないだろう。
 
posted by 平野喜久 at 09:21| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月25日

水原一平氏の転落:企業のコンプライアンスの教材に使える

 水原一平氏が大谷選手の口座から24億円以上をだまし銀行詐欺容疑で訴追された。
 水原氏はスポーツ賭博の借金を返すために無断で送金を続けていた。

 勝ちは総額218億円、負けは280億円。
 差し引き、62億円の借金を負っていたようだ。
 完全に金銭感覚が麻痺していたことがうかがえる。
 最初は少額で遊ぶ程度だったものが、負けを取り戻すために金額がかさんでいき、ついに億単位の賭けに手を出すようになる。

 過去に218億円もの勝ちを経験していることが恐ろしい。
 この経験が、60億円ぐらいのマイナスは簡単に取り戻せると錯覚させる。
 これが、ギャンブラーが深みにはまっていく心理だろう。

 賭けの回数は、2年余で1万9000回に及んだという。
 1日平均25回にもなる。
 水原氏は、ほとんど四六時中、ギャンブルのことが頭から離れなかったのではないだろうか。
 その間も、普通に通訳の仕事をこなし、大谷選手の脇で笑顔で対応していた。
 どのような心持だっただろう。
 水原氏は一人でもがき苦しんでいたのではないか。
 誰にも打ち明けられず、誰にも相談できず、泥沼に沈み込みながら、何とか自分一人で脱出しようとしていたのではないか。
 もしかすると、違法賭博の胴元から近づいてきて、はめられたのかもしれない。
 普通の通訳だったら、60億円もの借金を胴元が許すはずがない。
 大谷選手のバックがあることを承知しているから、いくらでも貸し付けることができたのだ。
 それを思うと、彼を単なる極悪人で切って捨てることができない。
 
 彼の周りの人間は、彼がギャンブルの泥沼にはまり苦しんでいることに気づかなかったのか。
 その予兆が分かれば、未然に救うことができた。
 彼の苦しみが分かれば、大谷選手の金を騙し取るなどという犯罪者に転落することを防ぐことができた。
 不思議なのは、何回にもわたって、大谷選手の口座から不正送金が繰り返されていたのに、誰もそれに気づかなかったこと。
 大谷選手は自分の資金管理に興味が薄いらしく、出入金の動きは把握していなかったようだ。
 だが、顧問税理士は何をやっていたのか。
 1年以上、口座の動きを見ていなかったことはあり得ない。
 送金の形跡は把握していたものの、異常とは見抜けなかったか。
 銀行も不正送金の繰り返しを見過ごした。
 もちろん、電話で本人確認をしただろうが、本人の代理として通訳が応答していたとしたら、確認になっていない。
 
 大谷選手の身の回りで彼をサポートしているのが水原氏一人のままであったことも問題だった。
 大谷選手はいまや1000億円プレーヤーになっているのだから、それなりのサポート体制に格上げすべきだった。
 複数人によるサポートになっていれば、水原氏ひとりで不正送金は難しくなる。
 大谷選手の口座から出金や送金を行うときには、複数チェックを経て行うというルールができていれば、水原氏が銀行詐欺を犯すこともなかった。
 水原氏の転落の原因はここにある。
 どんなにギャンブルにのめり込んでも、不正送金ができない仕組みになっていれば、銀行詐欺はできない。
 どんなに胴元にはめられ、脅されたとしても、大谷選手の資金に手を出すことはなかった。
 逆に言うと、水原氏が簡単に大谷選手の口座から不正送金ができそうだから、胴元にはめられたということもできる。
 これが鉄壁のセキュリティで、どんな手を使っても大谷選手の資金に手を付けることは不可能だということが明らかなら、胴元は通訳を相手に何億ものカネを貸し付けることはしないだろう。
 
 水原氏は、深い谷にかかる橋の上を歩かされていた。
 その橋には手すりがない。
 落下防止の安全ロープもない。
 少し躓いただけで、転落してしまう状態だった。
 この状態で、「躓いたヤツが悪い」と言えるか。
 誰もが間違いを犯すことがある。
 誰もが魔が差すことがある。
 それでも、安全柵に守られていれば、犯罪者に転落することは免れる。
 
 企業のコンプライアンスで、問題になるのはこれだ。
 会社のカネを横領したり、機密情報を持ち出したり、製造ラインの食品に毒物を混入させたり、という従業員による不正を防ぐためにはどうするか。
 教育を徹底する?
 悪い従業員に厳罰を科す?
 そもそも当社にそんな悪い従業員はいない?
 答えは、不正を働こうと思っても実行不可能な仕組みを作ることだ。
 これは、従業員を疑っているためにルールやチェックを厳しくするわけではない。
 善良な従業員を犯罪者に転落させないために安全柵を設置するということなのだ。

 水原一平氏の転落事例は、企業のコンプライアンスを考えるときの格好の教材になりそうだ。
 
posted by 平野喜久 at 14:28| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月14日

大坂万博失敗の予感:説教臭い催しでは盛り上がらない

 大阪万博の開幕まで1年。
 機運の高まりに欠ける。
 会場建設費が2度にわたって上振れし、約2倍の2350億円に膨張した。
 パビリオンの準備も遅れており、開幕に間に合わなくなる恐れも。
 前売りチケットの販売が始まったが、売れ行きは鈍いようだ。

 かつての万博は国威発揚型が主流だったが、いまは現代社会の要請にこたえる「課題解決型」に変わってきているという。
 大阪万博のテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」というもの。
 これを見ただけで嫌な予感がする。
 説教臭い万博になりそうだからだ。

 各パビリオンで計画されている内容は、次のようなものが紹介されている。

大阪府市:25年後の自身の姿をアバターにして映写。健康寿命を考えさせる。
日本政府:循環型社会に関する展示
オランダ:水からクリーンエネルギーを生み出す新技術
ベルギー:生命の源である水をテーマ、ライフサイエンスやヘルスケア技術
アメリカ:映像技術による宇宙旅行の疑似体験
ぜリ・ジャパン:プラスチックごみによる海洋汚染の啓発
三菱グループ:いのち輝く地球を未来に繋ぐ
大坂ガス:持続可能な地球環境の実現のためにどう行動するか 

 これを見て愕然とする。
 ワクワクするものがない。
 簡単な説明を読むだけで、どんな内容になるか透けて見える。
 これで、高額のチケットを買い、人ごみの中を出かけていき、行列を作ってまで見たいと思うだろうか。

 25年後の自身の姿を見たいか。
 自分の容姿の劣化と体の老化を目の当たりにして嬉しくなる人はいない。
 確かに健康寿命を考えさせるきっかけにはなるだろうが、マイナス思考しかもたらさないだろう。
 映像技術による宇宙旅行体験も、なんと古臭いコンテンツかと思わせる。
 ハリウッドのCG技術は世界一のレベルだが、SF映画の予告編のような映像を見せられるだけなのが丸わかり。
 その他も、環境やカーボンニュートラルに関連した展示になる。
 その内容は、「地球を守るために・・・しなければいけない」「温暖化を防ぐために・・・してはいけない」という感じになるのが目に見える。
 耳の痛い話を聞かされるだけの展示にワクワクする人はいない。
 
 このような説教臭い万博では、誰も無理して行きたいと思わないだろう。
 動員をかけるには「ぜひ、現場に行ってみたい」と思わせる仕掛けがいる。
 いまのところ、コンテンツの魅力のなさを、事前の告知マーケティングで盛り上げようとしているようだが、いずれも上滑りで効果が出ていない。
 実際にパビリオンが立ち並び、具体的な展示内容が知らされるようになれば、機運が盛り上がってくるという声もある。
 本当にそうだろうか。
 いまは、建築費の膨張や準備の遅れなどが機運が盛り上がらない理由とされるが、もっと本質的な理由がありそうだ。
posted by 平野喜久 at 09:54| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月02日

500年後、日本人の姓は佐藤だけ?:奇妙な別姓推進論

 共同通信の報道で、奇妙な別姓推進論が注目を浴びた。
 エイプリルフールのジョークだということは承知で、あえて批判的に論評する。

 東北大の吉田浩教授が結婚時に夫婦どちらかの姓を選ぶ現行制度を続けると、2531年に日本人の姓がみんな「佐藤」になる可能性があるという試算結果を発表した。
 なぜこうなるのかという理由はこうだ。
 現行制度が続いた場合、いま最も多い佐藤姓との婚姻が増え、これを繰り返して長い時間を経ると佐藤姓に吸収されていく可能性があるという。
 結婚や子の誕生などで佐藤姓の人口が年0.8%ずつ増え、2531年には100%になるというシミュレーション結果がでたらしい。
 ところが、選択的夫婦別姓を導入した場合は、佐藤姓の占有比率が100%になるのは3310年だったという。
 姓の多様性を維持したければ、選択的夫婦別姓に切り替えよ、というのが結論のようだ。
 なんとも違和感だらけのシミュレーションだ。
 
 中国や韓国では、原則的夫婦別姓制度になっているが、姓の多様性は見られない。
 両国とも姓は数百種類に限られる。
 上位10種類ぐらいで大半を占める。
 一方日本の姓はバリエーションが多いことで知られる。
 数十万種類あるという。
 この実態を見ただけでも、夫婦別姓で姓の多様性が維持できるという主張は大外れだということが分かる。

 そもそも、婚姻によって、多数派の佐藤姓が主流になるという理屈が意味不明だ。
 日本では、スマホがガラケーを駆逐していった。
 これと同じようなことが姓でも起きるかのようだ。
 姓は流行や時代の流れで増えたり減ったりするものではない。
 佐藤姓が一番多かったとしても、どれだけ婚姻を繰り返そうが、佐藤姓が全国制覇する事態はあり得ない。

 簡単にシミュレーションしてみよう。
 いま10000世帯があるとする。
 日本には佐藤と田中の2種類しか姓がないとする。
 佐藤が6割、田中が4割と比率に差をつける。
 少子化が進んでいるので、1世帯に子供は1人だけとする。
 結婚した夫婦は夫の姓をなのるとする。

 そうすると、第2世代では10000人の子供ができる。
 佐藤姓の子供が6000人、田中姓の子供が4000人となる。
 佐藤姓6000人の内、男は3000人、田中姓の男は2000人。
 第2世代が結婚すると、佐藤家が3000、田中家が2000できることになる。
 少子化により、世代を経るごとに人口は半分になるが、佐藤と田中の比率は変わらない。
 第3世代も更に人口が半分になるが、佐藤と田中の比率は、3:2のままだ。
 どれだけ世代が進んでも、佐藤姓に吸収されて、田中姓がなくなることはない。
 
 では、夫婦別姓ではどうなるのか。
 分かりやすくするために、全員が夫婦別姓とする。
 第1世代の世帯数と佐藤と田中の比率も同じ。
 子供は1人だが、どちらの姓を残すかはランダムに決める。
 これでシミュレーションすると、第2世代は、佐藤佐藤の夫婦が1800、田中田中の夫婦が800となる。
 この場合は、第3世代は自動的に佐藤1800人、田中800人となる。
 問題は、佐藤田中、田中佐藤の世帯数。
 計算すると佐藤田中は1200、田中佐藤も1200となり、合わせて2400だ。
 この夫婦の子供は、佐藤か田中かはランダムに決めるので、第3世代は1200が佐藤、1200が田中となる。
 すると、第3世代全体では、佐藤3000人、田中2000人となる。
 これは、何のことはない、夫婦同姓の場合と同じになるのだ。
 同姓だと姓の多様性が失われ、別姓だと多様性が維持できるとは、どういう理屈なのかまったく不明だ。

 吉田氏はシミュレーションの中で、佐藤姓が年に0.8%ずつ増加すると決めつけている。
 これは仮定でこういう数値を設定したとは言っておらず、分析の結果こうなることが分かったかのような表現だ。
 どういう分析でこんな数値が出てきたのか語られていない。
 実際の数字にあたってみると、22年から23年にかけて佐藤姓の人口が0.8%増加していることが確認される。
 なるほど、この数字を使ったようだ。
 佐藤姓の増減は、年によってまちまち。
 年によっては、ほとんど増えていないこともあるし、減少していることもある。
 単年度では、わずかながら増減を繰り返しているが、長期にならすと、ほとんど変わらないということになる。

 吉田氏は、たまたま0.8%増加している年を見つけたため、それをピックアップして、今後毎年0.8%ずつ佐藤姓が増加するとどうなるかを計算したようだ。
 しかも、この0.8%増加の原因が、夫婦同姓の現行制度によるものと勝手に決めつけている。
 偶然現れた自説に都合のいいデータだけをピックアップし、シミュレーションのパラメータとするのは、研究者がもっともやってはいけないことだ。

 佐藤姓だけでなく、田中姓だって年によるわずかな増減を繰り返しているだろうことは容易に予想できる。
 「武者小路」という珍しい姓でも、僅かに増加している年が見つかるかもしれない。
 とすると、同じ方法で、田中姓が全国を席巻するシミュレーションも可能だし、武者小路姓が全国制覇をするシミュレーションさえできてしまう。
 ほとんど人をおちょくったような分析だ。

 「選択的夫婦別姓を導入した場合は、佐藤姓の占有比率が100%になるのは3310年」というシミュレーションも、どのような計算で出されたのか不明。
 別姓なら姓の多様性が維持できるといいながら、結局は佐藤だけになるときが来るという矛盾。
 たぶん、いまのペースで少子化が進行することを前提にシミュレーションしたのだろう。
 すると、3300年ごろには日本人は絶滅寸前になっており、その時、最後の1人に残る可能性が最も高い姓は、佐藤ということなのだろう。
 別姓でも最終的には佐藤姓100%になってしまうのは、こういうわけだ。
 どうせ恣意的に数値設定して遊んでいるだけなので、解明しようとするだけ無駄。
 
 この研究もどきは、一般社団法人「あすには」からの依頼で行われたという。
 「あすには」は選択的夫婦別姓の実現を目指している団体だ。
 依頼主の要望に合わせて、無理やり導き出したシミュレーション。
 たぶん、本人でもこの主張には無理があることが分かっているのだろう。
 エイプリルフールに発表したのは、「これは単なる数字のお遊びです」との言い訳を含んでいるためだ。

 吉田氏は、こうも言っている「姓の持つ伝統や文化、個人の思いを尊重するための、姓の存続を考えるべきではないか」
 なんと的外れなコメントか。
 別姓推進は、伝統や文化を破壊し、姓の存在意義を失わせようとする活動であることが分かっていない。
 それにしても、このようなでたらめなシミュレーションを大学教授の名前で拡散させ、選択的別姓を進めようとする推進派のいやらしさよ。
 そして、学者のジョークを嬉々として報道するメディアのうさん臭さよ。
 
posted by 平野喜久 at 12:07| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする