2009年09月19日

官僚の記者会見禁止:政府の情報統制につながらないか

 民主党政権が官僚の記者会見禁止の方針を打ち出している。
 新政権は「脱官僚」が1つのテーマになっており、その一環のようだ。
 「官僚がでしゃばることはまかりならん」ということなのだろう。
 
 ところが、これは問題が多い。
 国民の貴重な情報チャンネルの1つがなくなってしまうからだ。
 もちろん、省庁の発信する情報を大臣がすべて会見で話ができればいい。
 しかし、それは無理。

 1つは物理的な限界。
 省庁の発信すべきあらゆる情報発信を大臣がやっていたら、時間がどれだけあっても足らなくなる。
 しかも、その情報は結局、官僚が用意したブリーフにもとづくはずで、大臣は単なる広報係になってしまう。

 2つは情報操作の恐れ。
 政治家を通じてしか国民に情報発信しないということになると、そこには、政治的フィルターを通した情報しか流れないことになる。
 ある情報は隠す。
 ある情報はニュアンスを変える。
 などなど、いかようにも操作が可能だ。
 これは、国民の利益にかなうことか。

 官僚の記者会見は、国民の情報源の1つとして残すべきだ。
 その代り、事実関係や客観的なデータの公開にとどめ、論評を禁止させるべきだろう。
 その情報について、どう解釈してどう対応するかこそ、政治家の役割ではないか。

 マスコミもその線引きを理解して記者会見に臨むべき。
 ときどき、官僚記者会見で、その官僚に責任追及を迫っている記者がいる。
 責任追及は大臣に向けるべきで、直接官僚に向けても意味がない。
 官僚の責任追及をするとどうなるか。
 失敗を恐れる官僚は、マスコミの前では、無難なことしか話さなくなる。
 すると、官僚の段階で重要な情報が隠されてしまうことになる。
 省庁内部では気づいていたことが、公開されず、誰も知らないまま事態が進行しつづけるということが起きてしまう。

 官僚記者会見では、事実関係の確認に集中すべき。
 重大な問題が発覚したとしても、その場で追及しない。
 それは、大臣に追及する。
 これが、本来の姿ではないのか。

 だが、このような仕組みを政権側が積極的に進めるわけがない。
 大臣への追求が増えるからだ。

 年金問題の発覚は、官僚のリークから始まった。
 政権側が厳しい追及を受け、国民の信頼を失うことになった。
 これが自民党の凋落につながった。

 民主党は、これを恐れているようだ。 
 官僚の勝手な情報発信を禁じて、大臣の説明しやすい情報だけを選んで国民に知らせた方が、はるかに楽だ。

 脱官僚、政治主導というと聞こえはいいが、それが政府に都合のいい情報統制につながるとしたら、問題は大きい。

 
 

 
posted by 平野喜久 at 11:48| 愛知 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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