ベル研究所の研究者が起こした未曾有の論文捏造事件の詳細を追ったレポートだ。
NHKの特集番組の書籍版。
読み応えのあるドキュメンタリーである。
同じような捏造事件を扱った作品は他にもある。
日本の遺跡発掘の捏造事件を扱ったルポ『発掘捏造』。
雑誌記者の捏造事件を扱った映画『ニュースの天才』。
捏造事件のストーリーは結論は初めからわかっている。
しかし、途中の展開が興味深い。
なぜ、主人公は捏造に手を染めたのか。
なぜ、周りは捏造に気づかなかったのか。
そして、何をきっかけに捏造が発覚したのか。
捏造が発覚するところが最も緊迫感があって、手に汗を握る。
いずれのケースも、主人公はどうしてばれるに決まっている捏造に手を染めたのかは、よく分からない。
周りの注目を浴び、強い期待を集めるにしたがって、逃れられない心理的な圧力に押しつぶされるのだろうか。
もしかしたら、本人にもよく分からないのかもしれない。
それよりも、注目すべきは、周りの対応の仕方である。
捏造を大きな事件にまで発展させてしまったのは、早期に捏造を見抜き防止できなかった関係者の対応に問題があると考えられるからだ。
あとから検証すると、早くから疑問を投げかける人が存在するのだが、圧倒的に熱狂する周囲に押されて、そのような疑問の声はかき消されてしまう。
このような捏造事件では、実行した本人だけが失脚して事件の幕が下ろされがちだ。
周りの関係者は、被害者として位置づけられる。
しかし、それは違う。
むしろ、周りが加害者かもしれない。
最大の責任は捏造を見逃し続けた周りの関係者にあるかもしれない。
または、捏造が簡単にできてしまい、それがなかなか発覚しないようなシステムに問題があるということかもしれない。
捏造を実行した本人だけを「バカなヤツだ」で終わらせたのでは、再発防止の教訓を得られないだろう。
社内不正を防ぐにはどうしたらいいか。
「倫理教育の徹底」などということを解決策にあげている企業は、危なっかしい。
「皆さん気をつけましょう」的なリスクマネジメントでは、企業の危機は防げない。
システムとして社内不正が起きようがないように、起きてもすぐに分かるようにするのがポイントである。
つまり、魔が差して不正を起こそうと思っても起こすことができないシステムにしなければいけないのだ。
これは、社員を疑ってかかれということではない。
企業が社員を守るための対策だ。
不正の誘惑から守るための対策なのである。
どうして捏造を防げなかったのか。
コンプライアンスや内部統制が話題になる昨今、この論文捏造事件は、格好のケーススタディとして使えそうだ。