2012年10月20日

炎上マーケティングか:週刊朝日

 橋下市長と週刊朝日との問題。
 週刊朝日が、橋下氏の出自や親族の出身地、職業を暴き散らす記事の連載を開始した。
 橋下氏がこのような記事を黙って見過ごすわけがない。
 直ちにかみついて、「今後、朝日系列のマスコミの取材には応じない」と強硬姿勢を見せた。
 週刊朝日はもちろん、親会社の朝日新聞も同列だと批判した。

 橋下氏の強硬姿勢で、この連載記事に注目が集まった。
 多くの人がこの記事のひどさに気づいて、批判の矛先が週刊朝日に向かうこととなった。
 世論の反発が思いのほか大きかったことに驚いたのか、週刊朝日の編集長が慌てて謝罪コメントを発表。
 つづいて、朝日新聞もついにコメントを発表せざるを得なくなった。

「橋下市長をはじめ、多くの方々にご迷惑をおかけしたことは深刻に受け止めている」

 これが朝日新聞の謝罪コメントとしてマスコミで紹介されているが、よく読むとどこも謝罪していない。
 深刻に受け止めているだけ。
 自分らの責任との自覚はない。
 いままで朝日新聞はどんな誤報でも、謝罪をすることはめったにない。
 教科書書き換え問題の誤報、安倍晋三氏のマスコミ介入の誤報、従軍慰安婦問題の誤報・・・。
 今回も同じだ。
 ただ、被差別部落の問題が絡んでいるだけに、強気で突っぱねていられない弱みがある。
 それで、神妙にかしこまっているということだろう。

 今回の問題は、人権とか差別に一番敏感であるはずの朝日が、最も無自覚であったことだ。
 それよりももっと問題なのは、これが橋下氏でなかったらどうなっていたかということ。
 橋下氏だったから、強烈に反発し、他のメディアを巻き込んで騒動に発展した。
 「取材を受けない」という強力な対抗手段を使うこともできた。
 しかし、普通の人だったら、反論する場も得られず、ネット上にコメントを発表したとしても、話題にもならない。
 名誉毀損で裁判に訴えるのが精一杯だが、法廷に持ち込まれた段階で密室のやりとりになってしまい、却って世論の関心を失う。
 判決で有罪が確定したとしても、その頃には世論はすっかり忘れている。
 朝日側は謝罪することもなく、世論が問題の本質に気づくこともなく、取材対象者のイメージダウンだけが達成されて終わりだったろう。

 朝日側が急に神妙になったのは、部落差別問題が絡んでしまったからだ。
 相手が橋下氏個人だけだったら、強気でいられる。
 表現の自由を盾につっぱねればよかった。
 だが、橋下氏の方が一枚上手だった。
 自分の名誉毀損として問題にするのではなく、差別と人権の問題としてぶち上げた。
 これで、個人の問題から、社会問題になった。
 世論を敵に回すことになり、朝日は逃げられなくなった。

 強いものには簡単に屈する。
 弱いものは徹底的にたたく。
 朝日の卑劣な体質が見える。

 今号の週刊朝日は売り切れてもう手に入らない。
 問題の記事を載せたまま売り切ったのだ。
 これは他の業界ではありえないこと。
 たとえば、食品に異物混入が見つかった場合、全国にある流通在庫は直ちに回収になり、売り場から姿を消す。
 自動車に設計上の欠陥が見つかったら、たちまちリコールの対象になる。
 ところが、雑誌の場合は、問題記事が混入していてもそのまま売り切れてしまうのだ。
 むしろ、騒ぎになったからこそよく売れる。 
 次回号におわびを乗せるらしいから、次もよく売れそう。
 これも、わざと騒動を起こして売り上げを伸ばそうとする一種の炎上マーケティングか。


 
 
posted by 平野喜久 at 09:03| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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