2012年10月23日

研究者に結果責任を求めるな:イタリア地震予知失敗裁判

 イタリアで不思議な裁判が行われ、信じられない判決が出た。
 2009年、イタリア中部ラクイラで大地震発生。
 死者309人を出した。
 これに関して、科学者ら7人が裁判に訴えられた。
 罪状は、事前に住民に警告しなかった過失致死罪。
 禁固4年の求刑に対して、禁錮6年の実刑判決。
 イタリアの裁判所は厳しい判断を示した。

 犠牲者の遺族たちにしたら、きちんと警告していてくれたら、という思いがあるのだろう。
 それに、間の悪いことに、地震発生のわずか6日前に、科学者らは「地震発生の可能性は低い」と見解を発表していたらしい。
 「これが、住民の避難を遅らせることになった」、という怒りの声につながったようだ。
 遺族がその悔しさをどこかにぶつけたくなる気持ちもよく分かる。

 だが、科学者にそこまでの責任を負わせることができるのか。
 科学者はあくまでも科学的な知見を述べるに過ぎない。
 その専門家の知見に基づいて、住民がどのような準備をすべきか、または準備する必要がないかは、政治家の役割ではないのか。

 309人の犠牲者が出たことについて科学者に責任を負わせると言うことになると、発表すべきかどうかの判断を科学者にゆだねることになってしまう。
 科学者に政治的な判断を求めるようなもので、むしろ純粋な研究の妨げになる。
 結果責任まで負わされるとなると、研究知見を簡単に公表できなくなる。
 特に、地震学の世界はまだまだ発展途上で、正確に予知できるほどのレベルにはない。
 その科学者に地震の結果責任を負わせるのは、あまりにも酷だ。
 今後、イタリアの地震学者は、将来の地震について何も語らなくなるだろう。 

 日本でも、地震の専門家がマスコミによく登場するようになった。
 地震発生のメカニズムや、将来の地震発生の可能性についてコメントが求められる。
 だが、マスコミが踏み込みすぎて、地震学者に「私たちは地震にどのように備えればいいのか」ということまでコメントを求めてしまう場合がある。
 ここは、地震学者の領域ではない。
 どのような地震の可能性があるかということは科学者の領域だが、その情報を踏まえてどのように備えるべきかは、私たち自身が考えるべき事だ。
 
 科学者には結果責任を負わせない。
 これは、研究を進めさせ、その成果を私たちが十分に得るための大前提ではないか。



 
 
 
 
 
  
 
 
posted by 平野喜久 at 09:08| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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