2017年08月09日

新人研修で精神疾患:ゼリア新薬

 読売新聞の報道による。
 ゼリア新薬工業の新入社員だった男性が、新人研修から帰宅途中で自殺。
 社員研修で人格を否定されるなどして精神疾患を発症したためだとして遺族が同社と研修会社を訴えた。
 1億5千万円の損害賠償を求めている。
 ゼリア新薬から研修を受託していたのは、「ビジネスグランドワークス」。
 
 男性は2013年4月10日〜12日に研修を受けた。
 この研修は、「意識行動変革研修」と呼ばれていたという。
 その中で、吃音を指摘されたり、過去のいじめを告白するよう強要されたりしたらしい。
 その後も、社内の研修が長期間に及び、5月18日、異常行動が見られたとして帰宅を命じられ、その帰宅途中で自殺。
 中央労基署は、研修による心理的負担で精神疾患を発症したと認定し、労災認定している。

 このニュースで驚いたのは、いまだにこの手の乱暴な社員研修を行なっているところがあることだ。
 一時は、「地獄の特訓」と銘打って、過酷な研修を請け負う業者が目立っていたこともある。
 また、そのような過酷な研修を社員の通過儀礼と位置づけ、「それを無事に乗り越えてこそ、我が社の一員」と堂々と表明している会社もあった。
 この手の研修は、「敬語の使い方」とか「電話の受け答え」など社会人としての基礎知識を習得するのが目的ではない。
 学生気分を払拭し、社会人としての厳しい心構えを身に着けさせることに重点が置かれている。
 だが、そのやり方は乱暴なもので、勝手な手法で行なわれているのが実態。
 心構えを叩き直すところに主眼があるので、場合によっては、人格にまで影響を及ぼすような研修になる。
 それも、短期間のうちに成果を出そうとするために、かなり危なっかしい強引なやり方になる。
 問題となった研修会社がどんなやり方をしていたのかは不明。

 ただ、よくある研修パターンは決まっている。
 まずは、いままでの自分を捨てさせる。
 自分を捨てるということは、自信も誇りも捨てさせるということだ。
 斜に構えて冷めた目で研修に臨んでいる参加者は、集中的にマークされる。
 はじめは反抗的な態度を取っていた者も、観念し、従順になる。
 研修会場では、完全に講師という独裁者と受講者という奴隷の関係が築かれる。
 そして、過去の自分のダメなところをみんなの前で徹底的に吐き出させる。
 自己反省が足りない場合は、執拗に責めたてられる。
 取り繕おうとしたり、弁解しようとすると、容赦ない暴言が飛んでくる。
 ここで、たいていの人は、自尊心がボロボロになる。
 そして、過去の自分が崩壊し、そのまっさらな地面に新しい人格を立ち上げていく。
 次に、どのような人間になるのかをみんなの前で誓わされる。
 中途半端な目標を掲げると、吊し上げを食らう。
 何度もダメ出しを食らいながら、涙ながらに必死で訴え、ようやく認められる。
 中には、研修の最後に達成感から感動の涙にむせぶ人もいるそうだ。
 入社式の時にぼーっとしていた新入社員が、研修翌日に出社した時、「おはようございます!」のあいさつから見違えるような変化を見せるのだという。

 ただ、この手の乱暴な研修は、参加者の人格にまで手を出すために、非常に危なっかしい。
 研修途中で脱落者が出るのはよくある話。
 脱落者と言えば、参加者に根性がなくて投げ出したという印象だが、中には、挙動不審に陥ったり、精神錯乱を起こして研修を続けられなくなったりという事例も含む。
 心理カウンセラーや、精神科医との連携など、万が一の時のケア体制ができていない。
 研修会社の勝手な理論でプログラムが組まれ、実施されている。
 ハードな研修が、精神や人格に及ぼす影響など慎重に検証されているとは思えない。
 研修講師の勝手な経験則で実施しているだけだろう。
 ちょうど、資格も知識もない人が、スポーツのトレーニング指導をしているようなものだ。
 勝手な経験則でハードなトレーニングをすると、運動理論や生命科学に反するようなことが平気で行なわれ、取り返しのつかない障害を負わせてしまうことがある。
 意識改革系の研修も同じだ。
 いつ事故が起きても不思議ではないし、問題が起きたときに適切な対処ができない危険も大きい。

 ところで、このようなハードな意識改革研修は、なぜいまだに行われているのか。
 それは、それなりに効果があるからだ。
 受講者の意識と行動に明らかな変化が起きる。
 いままで、ボソボソとしか話さなかった人が、突然、ハキハキと話すようになる。
 行動の鈍かった人が、てきぱき動くようになる。
 はたから見てもこの変化は劇的だが、本人自身が、生まれ変わったかのような感覚を実感する。
 これが、このハード研修の醍醐味だろう。
 ただし、短時間に変化した意識は、短時間で元に戻る。
 こうして、次第に普通の一般社員の中に溶け込んでいく。
 研修に実質的な意味があるのかどうかは、よくわからない。
 こんな研修を受けなかったとしても、職場で経験を積むうちに自然と社会人の心構えができていくものだ。

 つらい研修経験は、いつの間にか、過去の苦い思い出になる。
 この苦い思い出がただの笑い話で終わればいいが、いつまでも心の傷として残ったり、精神疾患にまで至ってしまうことがある。
 このリスクに気づくべき時だろう。



 
 
 

 
 
 
 
 
posted by 平野喜久 at 12:18| 愛知 ☀| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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