2020年02月29日

新型感性症対策は常に過剰対応になる

 安倍総理が春休みまでの臨時休校を要請し、日本は新たな対応ステージに入った。
 今回の総理の判断は勇気ある決断と評価したい。
 当然ながら突然の要請に驚きの声が広がっている。
 「唐突すぎる」「準備が間に合わない」と批判の声も上がっている。
 だが、現在は既に非常事態であることを認識する必要がある。
 地震が起きたとき、「唐突すぎる」と文句を言っている場合ではなく、すぐに非常態勢に切り替えて行動を起こしていかなくてはならない。
 今回は、それと同じだ。

 非常時の鉄則がある。
 「拙速を旨とせよ」「誤断は不断に勝る」
 これは、あれこれじっくり検討していて行動のタイミングを逃すことを戒める言葉だ。
 ここまで、厚労大臣ばかりが前面に出て、総理の存在感がなかった。
 ようやく総理のリーダーシップが見えるようになってきた印象だ。
 
 今回の休校要請で、いろんなところに影響が懸念されている。
 共働き世帯の子どもの保護
 授業時間の確保など教育現場の運営
 子どもたちのストレス
 パート従業員や派遣社員が出勤できずに収入減少になるリスク
 医療スタッフが出勤できなくなって医療体制に支障が出ることを心配する声まである。

 そもそも、新型感染症の対策は、ヒトの行動を制限することだから、どこにも悪影響の及ぼさないものはありえない。
 その悪影響があることを取り上げて批判したところで意味はない。
 今回の措置が正しのか間違っているのかは、すべてが終わって検証して初めて明らかになる。
 いまは、その論評をしている場合ではなく、次のフェーズに向けて準備を進めていく時だ。

 新型感性症対策では、どこにも問題が起きない適切な対策というのは存在しない。
 どんなにベストな対策をしたとしても、必ず犠牲者は出るし、その対策のせいで我慢を強いられる人も必ず出る。
 「先手先手の対策をせよ」と簡単に言うが、この先手の対策というのは過剰対策をせよと言うことなのだ。
 「まだそこまでしなくても」と思えるようなことまでするから、被害を最小限に抑えることができる。
 終わってみたら、被害規模が小さく、「ここまでする必要はなかったね」と思ってしまうが、それは結果を見たから判断できることで、事態進行中にちょうどいいレベルを適切に判断するのは不可能だ。
 だから、「ここまでする必要なかったね」と言えるような対応をするのが正解と言うことになる。
 感染症対策は必ず過剰対応になると思った方がいい。

 逆の対応の仕方は、状況の変化を見ながら対策を小出にしていく方法だ。
 まず、1レベルの対策をやってみる。
 それで足らなければ2レベルの対策を追加する。
 この方法なら、過剰対応になることがない。
 だが、常に後手後手の対応になり、追いかけ続けるだけで、事態の進行を抑えることが永遠にできない。
 これは、「兵力の逐次投入」といって、失敗が確実の愚策と言われる。
 日本人は「最小限の対策をしてまずは様子を見る」ということをしてしまいがちだ。
 はじめから深刻なリスクを想定したくないという心理傾向があるからだ。
 今回の突然の休校要請に対する反発も、深刻なリスクを目の前に突き付けられたことの心理的な負担が大きいせいだろう。

 総理による休校要請は、教育現場にとどまらず、社会的なインパクトが大きい。
 この1〜2週間の対応がきわめて重要と専門家諮問会議に指摘される中、この危機意識を全国民が共有するのに、実に効果的なメッセージとなった。
 本日、総理自らの言葉で今回の措置に対するメッセージが国民に発せられるらしい。
 注目だ。
 
posted by 平野喜久 at 15:43| 愛知 ☔| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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