5日、安倍総理は、新型コロナウイルス感染症対策本部会合で、感染のさらなる拡大を阻止するため、中国、韓国からの入国者に指定場所で2週間待機し、国内の公共交通機関を使わないことを要請すると表明した。
中国韓国からの入国規制をかけることとなった。
この措置について、またも批判の声があがっている。
「遅すぎる」「もはや水際対策は失敗しており、いまさら入国規制は意味がない」「いきなり韓国全土を対象にする根拠がない」
遅すぎるというのであれば、どの段階で行なうのが適切だったのか。
武漢からの入国規制をしたときに、中国全土に範囲を広げておくべきだったという意見がある。
確かに、理想としてはその通りだ。
もっと言えば、武漢で正体不明の感染症が広がっているらしいという情報を受けた段階で、ただちに鎖国するのが最善だった。
そうすれば、もっと効果はあったはず。
しかし、いきなりそんなことをすれば、ヒトやモノの行き来がストップしてしまい、経済活動が停止する。
防疫に成功したとしても、他のダメージが大きすぎる。
その影響は、海外にも及び、いきなりの鎖国措置は、独善的として国際的な非難を浴びることになっただろう。
中国からの入国規制に限定したとしても、過剰反応として中国から非難されたに違いない。
日本国内でも、中国人への差別につながりかねないと批判の声が上がっただろう。
それで、中国が武漢閉鎖を決めたときに、最小限の入国規制として、武漢からの入国を阻止したのだ。
今回の新型コロナに対する日本政府の一連の対応について、批判の声を上げたがる人が目立つ。
どんな対策でも、どこかに批判の糸口は見つかるので、難癖をつけるのは簡単だ。
特に、結果が分かってからなら、神の視点に立って何でも言える。
自分だけは、初めからすべてを見通せていたかのように、「ああすべきだった」「こうすべきではなかった」と、ものを言うことができる。
この神の視点に立った批判は、実に気分がいい。
答えが明らかなので、悩む必要はなく、思いっきり批判することができるからだ。
だが、これは後知恵の講釈というものだ。
更に問題なのは、まだ、最終的な結果が出ていないので、後知恵にもなっていないということだ。
「クルーズ船対応は歴史的な大失敗」と言う人がいるが、今の時点で何をもってそう評価しているのか分からない。
感染者や死亡者が出たことをもって失敗と言っているのなら、評価の観点が違う。
その対策が成功か失敗かは、その対策を行なったケースと行わなかったケースを比較することで、初めて分かる。
それは、海外での対応の仕方と比較することで初めて検証できる。
他の方法を取っていたら、もっと犠牲が大きかったかもしれない。
その検証は、すべてが終わった時にじっくり行うべきで、今の段階で、あれこれ論評している場合ではない。
もちろん、ここまでの対応の中で、新たに得られた知見があるので、それは、今からの対策にいかしていかなくてはいけないのは当然だ。
タレントコメンテーターが素人の思い付きで批判するのは、番組上の演出として理解できるが、不可解なのが専門家としてマスコミに登場する人まで政府批判を繰り返している。
まるで、批判をしなければ専門家としての権威を保てないとでも思っているようにさえ見える。
専門家と言っても、いろんな分野に及ぶ。
疫学の研究者、医科大学の教授、感染症の医者、医療ジャーナリストなど。
それぞれの立場でものを言うので、政府批判でも人によって言うことが違ったりする。
感染症対策は、単なる健康医療の話ではなく、国家の危機管理の問題だ。
政府が考慮すべきは、多岐に及ぶ。
当然、疫学や医療の専門家の意見は受け入れるが、それだけが判断材料になることはありえない。
今回の中国韓国からの入国規制の措置を、すべて疫学医学の観点から評価しようとすることには無理がある。
気になるのは、マスコミに登場するコメンテータに、危機管理の専門家がいないことだ。
国家の危機管理の問題を疫学の研究者に語らせるのは、滑稽な見世物にしかなっていない。
これは、繊維の研究者に、洋服のファッションアドバイスを求めるようなものだ。
もう1つ気になるのは、政府のスポークスマンの中に、危機管理の視点から、国民に分かりやすく情報発信できる人材が見当たらないことだ。
いま、日本はどういう状況に置かれていて、いま何をしようとしているのか、これがうまく伝わっていない。
厚労大臣がその役割を担っているが、残念ながら、批判をかわすための言い訳めいた説明ばかりが目立つ。
2020年03月08日
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