コロナ関連の経済対策として、給付金構想が次々に明らかになってきている。
18歳以下の子供への10万円給付、困窮学生への10万円給付、マイナポイント2万円付与。
この経済対策の効果と意義については、議論が多い。
どんな支援制度でも付きまとうのは、不公平感だ。
対象を限定すれば、必ず給付対象から外れる人が出てくる。
所得制限を設けた場合、ボーダーライン前後では僅かな違いで、給付金満額かゼロかに分かれ、極端な違いになる。
前回の給付金では、この不公平感をなくすために(そして迅速給付のために)、全国民に一律10万円給付となった。
国民は、経済対策の効果の有無や給付金の多寡よりも、不公平感に敏感だ。
政府は、事業者へ持続化給付金の支援も検討している。
新型コロナウイルス禍の影響で売り上げが減少した企業に対し、事業規模に応じて最大250万円を支給するというもの。
前回の持続化給付金は最大200万円だったが、それが250万円になった。
適応条件も、売上減少50%以上から30%以上に変更される。
一方、個人事業主については、前回は最大100万円だったものが、50万円になる。
(この個人事業主の支援額が減らされたのは、前回個人事業主を装った不正受給が横行したことの反省か)
これはまだ検討段階で、具体的にどのようなスキームになるのかは不明。
これも受給資格をどのように条件設定するかで不公平感が生じる。
緊急事態宣言発出中は、営業自粛に協力する飲食店に対して給付金(協力金)が出された。
これについても常に不公平感が指摘されていた。
1日数万円の給付金ではまったく経営支援にならないと嘆く経営者がいる一方、零細飲食店の中には、普段の売上よりも多くの給付金を手に入れるケースもあったらしい。
このように緊急時の給付金については、不公平感は免れない。
不公平感のない仕組みを作ろうとすれば、時間がかかり手間がかかりコストがかかる。
結局、そんな支援ならやらないほうがまし、となりかねない。
緊急時の経済支援については、第1優先は迅速性だ。
本当に困っている人に一刻も早く支援を届けること、これが求められる。
そして第2優先は、十分な支援規模。
わずかな支援では、手間とコストをかけただけで、困窮者の助けにならない。
最悪の支援策は、「少なすぎ遅すぎ」だ。
「濫救を恐れて漏救を招くなかれ」という言葉がある。
これは、緊急時の支援策を実施するときの鉄則だ。
「濫救」とは、野放図にカネをばらまいてしまうこと。
「漏救」とは、本当に必要な人に支援が届かないこと。
不必要な人にまで給付金が配られないようにするには、条件を厳しく設定し選別をしっかり行わなくてはならない。
しかし、条件を厳しくすると、必ずその対象から外れてしまう人が出てくる。
条件が厳しすぎるために、本当に困窮している人に支援が届かないとすると、この支援策の意味はない。
それで、「少々無駄なバラマキになってしまったとしても、本当に困っている人にしっかり支援が届くことを優先しよう」という戒めとしてこの言葉がある。
2021年11月11日
この記事へのコメント
コメントを書く