2022年11月13日

政治家のスピーチ下手:葉梨大臣の失言

 葉梨氏は9日、都内の会合で「だいたい法相は朝、死刑のはんこを押す。昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」などと述べた。
 これが死刑を軽視する重大な失言として取り上げられた。
 野党やマスコミの批判が沸き起こる中、本人は釈明に追われたが、自民党内からも、かばいきれないとの声が上がり、11日に更迭となった。

 葉梨氏は、頭脳明晰で堅実なイメージがあり、法務大臣就任の報道を知った時、期待できそうだと思った。
 だが、こんなつまらない失言で失脚するとは、残念だ。
 たぶん、葉梨氏としては、死刑を軽んじるつもりも、法務大臣という職責を軽視するつもりもなかっただろう。
 初入閣の法務大臣として周りからもてはやされる中、「いや、それほど大したことではないんですよ」と謙遜のつもりで、「法務大臣なんてこんなもの」と自虐的に冗談を言ったのに違いない。
 ここで、逆に「法務大臣は重責なんだ。大変なんだ」なんてことを強調するようなスピーチをしたら、むしろ、場をしらけさせただろう。

 葉梨氏は、問題となった会合でたまたま口が滑ったというわけではなく、いろんな場で、同じようなスピーチをしていたようだ。
 このジョークでそれなりに場が和むのを見て、同じ調子て繰り返していたのだろう。
 更に、「法務大臣はカネがもうからない。票が集まらない」という愚痴までも披露していたらしい。
 調子に乗って、自虐ジョークを重ねてしまったようだ。
 軽口は、その場に居合わせてスピーチを聴いた人はそれほど違和感がないが、それを、現場の雰囲気を実感しない第三者が文字として読むと強烈な違和感を覚えることがある。
 今回は、このケースだ。

 葉梨氏は、「死刑を軽視しているような印象を与えてしまったのは本意ではない」として、釈明を繰り返した。
 ぶら下がり取材では、その時のスピーチ全文を読み上げ、どのような文脈で語ったものかということを知らせようとした。
 片言隻語で上げ足を取ろうとするマスコミへの不満がにじみ出ていた。
 だが、4分間の全文朗読を聴いている記者はなく、それを報道するマスコミもなかった。
 現場の雰囲気を知らない者が、全文の読み上げを聴いても、それを文字として読んでも、違和感に変わりはない。
 むしろ、「発言の一部を切り取られたために誤解されているのでは」と同情していた保守派にまで見限られてしまった。
 葉梨氏の抗弁は、事態を悪化させただけだった。

 葉梨氏に落ち度があるとすれば、それは、致命的なスピーチ下手にある。
 政治家は言葉が商売道具。
 その言葉を適切に使えなくては、政治家は務まらない。
 言葉で我が意を伝え、言葉で聴き手の心をつかみ、言葉で相手の行動を促す。
 話術にはさまざまなテクニックがあるが、笑いを取るというのはその1つ。
 だが、この笑いを取るという技術は、思いのほか難しい。
 話術の中では高等戦術に入る。
 使い方を間違えると、受けなくてドッチラケになるだけでは済まない。
 聴き手を不快にさせ、特定の人の怒りを買い、別の問題を引き起こしかねない。
 誰も不快にさせず、爽やかな印象だけを残す笑い・・・これを使いこなすには相当のトレーニングがいる。
 欧米の政治家のスピーチを聴いていると、笑いをとることが必須のように見える。
 中にはライバルを当てこするだけのような低レベルの笑いもあるが、品のあるウィットに富んだ笑いもある。
 爽やかな笑いは聴く方も気持ちがいい。
 葉梨氏には、聴き手の心をつかむスピーチ能力に限界があった。
 それで、安易に程度の低い自虐ネタで笑いを取ろうとしてしまったのだろう。
 今回の件で、葉梨氏の政治家としての限界まで露呈してしまった。
 再登板は無理だろう。


 

 
 
posted by 平野喜久 at 10:58| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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