2023年07月09日

画像生成AIの実力

 AIの話題が続く。
 生成AIは、大規模言語モデルに基づいているので、基本は言葉によるやり取りが主体だ。
 ところが、言葉による指定で、画像による回答ができるAIが存在する。
 画像生成AIだ。
 いま、ネット上にはAIによって作成された画像が大量に存在するようになった。
 以前は、見るからに作られた画像というのが一目でわかるようなものばかりだったが、AI技術が日々向上していることと、プロンプトの巧みさによって、ものすごくリアルで美しい画像を見ることができる。
 
 美しい自然の風景など、お手の物だ。
 現実には存在しない風景でも、リアルに再現できる。
 どこかで見たことがあるような風景だが、どこだか特定できない。
 不思議なリアル感がある。
 
 プロの写真家の中には、世界の自然の風景を探し求め、何日も同じ場所で粘りに粘って奇跡的な一瞬をとらえた貴重な写真を撮り続けている人もいる。
 その写真家は、個展を開く際、「これらの写真は、CGやAIによるものではありません」と断り書きを掲示しなければならなくなった。
 ただ美しいだけの写真は、AIで瞬時に作れるようになってしまったのだ。

 人物の画像もAIで簡単に作れる。
 人の表情は難しく、僅かな違和感でも、偽物と見破られてしまう。
 だが、最近のAI画像は、不自然さがなくなってきた。
 本物のモデルを使って撮影したのではないかと錯覚するほどの出来栄えだ。
 画像に映っている人物は、現実には存在しないので、肖像権も人格権もない。
 そのモデルに、いろんな服を着せ、いろんな場所で、いろんなポーズを取らせることができる。
 納得できるまで、何度も繰り返すことができる。
 本物のモデルを使うよりも、完成度の高い作品ができるのではと思えてしまう。

 ところが、細かく見ると、限界が見える。
 影のでき方が不自然。
 手の向きがおかしい。
 洋服のデザインが変。
 背景の建物が物理的に建築不可能。
 やはり、AIはこんなところまで考えていない。
 細かいおかしいところは、人間が見て修正するしかないのだろう。

 しかし、作り物であることは承知で、美しい画像として楽しむ分には何ら問題ないし、十分、鑑賞に堪えられるレベルに達しているといえる。
 プロの画家が描いた絵であっても、それは作り物であるのだし、有名な絵画でも、影がおかしかったり、手の位置が不自然だったりというのは当たり前にある。
 だからと言って、その作品の価値が失われることはない。
 生成AIによる画像も、同じだろう。

 これからは、簡単なイメージ画像だったら、AIで十分だ。
 むしろ、こちらの希望で細かい注文通りの画像を作れるという点では、画像素材集などいらなくなるだろう。
 問題は、AIの作った画像の著作権や使用権は誰にあるのか、ということだ。
 この問題はクリアできていない。
 AIがまだ発展途上にあること、そして、使用する側も本当の利用方法に習熟していないことで、どのような著作権の在り方が妥当なのかの結論が出ないのだ。
 しばらくは、試行錯誤が続く。

posted by 平野喜久 at 09:25| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック