読売新聞で「情報偏食」という連載記事が続いている。
26日の記事は日本人は偽情報に脆弱というもの。
日米韓で情報との向き合い方をアンケート調査の結果が報告されている。
情報に接した時、1次情報に遡って確認する割合が日本は最も低く、偽情報を「誤り」と判断できた割合も最低だったという。
日本人はネット情報に対して無防備な実態が浮き彫りになった。
面白いのは、デジタル空間の特性を理解するためのキーワードの認知度が米韓に比べて極端に低いという調査結果だ。
「アテンション・エコノミー」「フィルターバブル」「エコーチェンバー」という言葉、日本人の認知度はいずれも数%にとどまるが、米韓ではいずれも数十%の認知度になっている。
「アテンション・エコノミー」とは、記事や投稿に過激な見出しを付けて関心を引き付け、アクセスを増やせば広告収入が得られる仕組みのこと。
いかにキャッチ―なフレーズで注目されるかだけが目的となり、内容の真偽や重要性がないがしろにされる。
「フィルターバブル」とは、SNS上では、利用者の関心や興味に合わせてお勧めの情報をアップするようにアルゴリズムが設計されているため、受け取る情報が偏ること。
だから、受け身で目の前に現れる情報に接していると、同じような情報ばかりに接し、それ以外の世界があることに気づかなくなってしまう。
特定の情報しか透過しないバブルの中に閉じ込められている状況をイメージした言葉。
「エコーチェンバー」とは、SNS上では、自分と同じ趣味や意見を持つ人とつながりやすく、それ以外の人物との接触が途絶すること。
閉じた空間の中では仲間内で共感を呼び盛り上がるので、狭い空間で音が反響する現象になぞらえた言葉。
このような現象は、別にSNSに限定したものではない。
ネットが発達する以前から人間社会では当たり前に起きていたこと。
「確証バイアス」という心理学用語がある。
これは、仮説や信念を検証する際に、それを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視したり集めようとしない傾向のことを指す。
そのために、情報収集すればするほど、その人の仮説や信念を確証するようになる。
間違った認識を持っている人は、その確信をますます強めてしまうというわけだ。
これが極端に表れるのが、SNSの世界だ。
「アテンション・エコノミー」「フィルターバブル」「エコーチェンバー」という言葉の認知度が日本だけ極端に低いのは、たぶん、メディアに取り上げられることが少ないからだろう。
これらの言葉は、自分で意識して探索しようとしなければ、接する機会がない。
日本人の情報特性は受け身型になってしまっているために、向こうから飛び込んでくる情報でなければ、知らないまま終わってしまうのだ。
まさに、フィルターバブルの中に閉じ込められている状態。
いま、電車に乗って気づくのは、誰もがスマホを見ていること。
寸暇を惜しんで情報収集しなければならないような切迫した状況でもあるのか、と問いたくなる。
だが、何もせずにぼーっとしているようだったら、情報収集したほうがいいというのがコスパの考え方だろう。
1時間ドラマを1.5倍速で再生し、乗車中に見ることができてしまえば、家に帰ってからはその1時間を別のことに使うことができる。
これも合理的な考え方かもしれない。
最近の若者は、行列を作ることが苦にならないという。
有名店の開店前から何時間も並んでいる。
その間に何をしているかというと、スマホで好みのコンテンツを楽しんでいるのだ、
行列しながらコンテンツを楽しめるのだから、一挙両得。
これほどコスパのいいことはない。
だが、彼ら彼女らは、いつ自分の頭で考えるのだろうか、と心配になる。
スマホを開けば、常に何か新しい情報がそこにある。
いつも、受け身で情報に晒されている。
それを永遠に続けている。
思考力と判断力が衰えていくのは目に見えている。
以前、別の調査結果でこんなものがあった。
ネットでSNSに接する時間の長い人ほど、自分が不幸だと感じている人が多いというアンケート結果があったという。
ネット上では、他の人たちの楽しそうな日常を目にすることが多い。
「〇〇に行ってきました」「〇〇で○○を楽しんできました」「○○と一緒に〇〇を食べました」
みんなが日常のたわいもない写真をアップしているが、いずれも楽しそうで幸せそうだ。
それを見せられると、自分はそこまで幸せではないように感じてしまうのだろう。
ネットで情報収集する人ほど、自分以外がみんな優秀に見え、自信を失っていく。
この現象もネーミングが必要だ。
「バーチャル・ミスフォーチュン(不幸幻想)」といった感じか。
2024年03月27日
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