政府は、強い毒性と感染力を持つ新型インフルエンザの流行に備えた特別措置法を制定する方針。
強毒性の新型インフル流行時に政府が「緊急事態」を宣言。
国民に外出自粛要請や集会中止を指示するなど、強制力を持った措置を取れるようにする。
緊急事態法制の新たな取り組みだ。
新型インフルエンザは、09年に流行し話題になったが、弱毒姓で、その影響力は、通常のインフルエンザと変わらなかった。
しかし、本当に心配されているのは、H5N1型の強毒性のインフルエンザがヒト型に変異した時だ。
強毒性が流行すると、その社会的被害は甚大だ。
感染拡大を抑えるために、外出自粛、集会の禁止、移動の制限など強制力を持った措置を取らなければならない。
その法的根拠が必要となるため、今回の特措法案の提出となった。
必要な取り組みだ。
ただし、この特措法が成立したとして、時の政府が緊急事態宣言を出せるかどうかが問題。
今回の福島原発の事故でも、政府は緊急事態宣言が出せなかった。
人々のパニックを過剰に恐れ、事態を大げさにしないことが最優先された。
トップに腹をくくれるものがいなかったということだ。
今のような政権では、せっかく作った新型インフル特措法も、運用できない恐れの方が大きい。
2012年01月10日
2012年01月06日
中国、鳥インフルエンザ情報:H5N1型
年末年始、中国、鳥インフルエンザ情報の記録。
香港政府の発表。12月20日。
鶏の死骸から毒性の強い「H5N1型」の鳥インフルエンザウイルスを検出した。
市場のすべての鶏を殺処分、1月12日までの21日間、市場を閉鎖。
現時点で鳥インフルが検出された鶏が香港産か輸入されたものかは断定していない。
中国南部、鳥インフル感染者が発生。
広東省深センで、肺炎で入院している路線バスの運転手の男性から毒性の強い「H5N1型」の鳥インフルエンザウイルスが検出。
地元政府は感染経路の特定を急ぐとともに警戒を強める。
広東省深センの病院に入院している路線バスの運転手の39歳の男性から30日、毒性の強い「H5N1型」の鳥インフルエンザウイルスが検出。
この男性は、今月21日から発熱し、25日から入院して治療。
重い肺炎となって現在、危篤状態。
男性は、この1か月間、鳥と接触していない。
地元政府は感染経路の特定を急ぐ。
中国では、去年6月、内陸部の湖北省で22歳の女性が鳥インフルエンザウイルスに感染して死亡。
宮城県は5日、同県角田市のため池近くで死んでいた野鳥のオオハクチョウ1羽から
A型インフルエンザウイルスが検出されたと発表。
香港政府の発表。12月20日。
鶏の死骸から毒性の強い「H5N1型」の鳥インフルエンザウイルスを検出した。
市場のすべての鶏を殺処分、1月12日までの21日間、市場を閉鎖。
現時点で鳥インフルが検出された鶏が香港産か輸入されたものかは断定していない。
中国南部、鳥インフル感染者が発生。
広東省深センで、肺炎で入院している路線バスの運転手の男性から毒性の強い「H5N1型」の鳥インフルエンザウイルスが検出。
地元政府は感染経路の特定を急ぐとともに警戒を強める。
広東省深センの病院に入院している路線バスの運転手の39歳の男性から30日、毒性の強い「H5N1型」の鳥インフルエンザウイルスが検出。
この男性は、今月21日から発熱し、25日から入院して治療。
重い肺炎となって現在、危篤状態。
男性は、この1か月間、鳥と接触していない。
地元政府は感染経路の特定を急ぐ。
中国では、去年6月、内陸部の湖北省で22歳の女性が鳥インフルエンザウイルスに感染して死亡。
宮城県は5日、同県角田市のため池近くで死んでいた野鳥のオオハクチョウ1羽から
A型インフルエンザウイルスが検出されたと発表。
2011年12月31日
3連動地震 想定震源域2倍に:東海地震
東海・東南海・南海地震が起きる南海トラフ沿いの巨大地震の想定見直しを進めてきた内閣府。
3つの地震が連動した場合の想定震源域を従来の約2倍に拡大、地震の規模を東日本大震災と同じマグニチュード9・0に引き上げる中間報告をまとめた。

今回の東日本大震災を受けて、東海三連動でもM9はあり得るという想定で見直しが始まった。
見直しのポイントは、想定震源域が拡大したこと。
北西方向、陸地の方に震源域が大きく広がっている。
南西方向は、宮崎県沖の日向灘まで拡大した。
南海トラフが東日本の日本海溝と違うのは、陸地に近いこと。
だから、震源域が広がるということは、かなりの陸地が震源域の中に含まれるということを意味する。
愛知県はほぼ全域が震源域に入ってしまう。
紀伊半島の南部、四国の大半も震源域に入る。
かなり大胆な想定の見直しだ。
次の大地震は想定外にしない、という意気込みが感じられる。
陸地が震源域に入るということは、その地域では、直下型の地震になるということだ。
その被害は、東日本大震災の比ではない。
海溝型地震と直下型地震が同時に襲ってくるような超巨大地震になる。
また、この地域は人口の密集する都市が点在し、主要な工業地帯が連続する地域でもある。
東海三連動地震が発生した時のダメージの大きさは、東日本大震災を上回ることは明らか。
新しい想定のもとで被害想定の見直しが進む。
来年の3月ぐらいには被害想定が出る見込み。
それに合わせて、各自治体の災害対策が見直されることになる。
3つの地震が連動した場合の想定震源域を従来の約2倍に拡大、地震の規模を東日本大震災と同じマグニチュード9・0に引き上げる中間報告をまとめた。
今回の東日本大震災を受けて、東海三連動でもM9はあり得るという想定で見直しが始まった。
見直しのポイントは、想定震源域が拡大したこと。
北西方向、陸地の方に震源域が大きく広がっている。
南西方向は、宮崎県沖の日向灘まで拡大した。
南海トラフが東日本の日本海溝と違うのは、陸地に近いこと。
だから、震源域が広がるということは、かなりの陸地が震源域の中に含まれるということを意味する。
愛知県はほぼ全域が震源域に入ってしまう。
紀伊半島の南部、四国の大半も震源域に入る。
かなり大胆な想定の見直しだ。
次の大地震は想定外にしない、という意気込みが感じられる。
陸地が震源域に入るということは、その地域では、直下型の地震になるということだ。
その被害は、東日本大震災の比ではない。
海溝型地震と直下型地震が同時に襲ってくるような超巨大地震になる。
また、この地域は人口の密集する都市が点在し、主要な工業地帯が連続する地域でもある。
東海三連動地震が発生した時のダメージの大きさは、東日本大震災を上回ることは明らか。
新しい想定のもとで被害想定の見直しが進む。
来年の3月ぐらいには被害想定が出る見込み。
それに合わせて、各自治体の災害対策が見直されることになる。
2011年11月29日
「東海地震が切迫している理由」動画コンテンツ
新たな動画コンテンツが完成した。
『東海地震が切迫している理由』
東海地震については、数十年前からその切迫性が指摘され続けてきた。
だが、実際に起きる大地震は、他の地域ばかり。
「ホントに東海地震は起きるの?」
という声も聞かれる。
結論からいえば、東海地震は必ず起きる、と断言できる。
しかも、それは、遠い先の話ではない。
占い師でも予言者でもないのに、なぜそう言えるのか。
それは、確かな根拠があるからだ。
海溝型地震は、そのメカニズムから、短い周期で同じパターンを繰り返すことが分かっている。
過去の発生パターンを調べれば、次はどのような地震がいつごろ起きるのかが予想可能なのだ。
その根拠を簡単に分かりやすくまとめたのが、今回の動画コンテンツ。
細かい正確さは省略して、エッセンスだけを取りだした。
いたずらに不安感をあおるようなことはしない。
敢えて、淡々と解説している。
次に来る東海三連動地震は、他人事ではなく、わたしたち自身の問題だ。
「東海地震はホントに起きるの?」などと言っている段階は終わった。
いまや、「私たちはその時をどう迎えるの?」を問う段階にある。
企業がBCPに取り組むにあたっての、基礎知識として、ご覧いただけたらと思う。
『東海地震が切迫している理由』
東海地震については、数十年前からその切迫性が指摘され続けてきた。
だが、実際に起きる大地震は、他の地域ばかり。
「ホントに東海地震は起きるの?」
という声も聞かれる。
結論からいえば、東海地震は必ず起きる、と断言できる。
しかも、それは、遠い先の話ではない。
占い師でも予言者でもないのに、なぜそう言えるのか。
それは、確かな根拠があるからだ。
海溝型地震は、そのメカニズムから、短い周期で同じパターンを繰り返すことが分かっている。
過去の発生パターンを調べれば、次はどのような地震がいつごろ起きるのかが予想可能なのだ。
その根拠を簡単に分かりやすくまとめたのが、今回の動画コンテンツ。
細かい正確さは省略して、エッセンスだけを取りだした。
いたずらに不安感をあおるようなことはしない。
敢えて、淡々と解説している。
次に来る東海三連動地震は、他人事ではなく、わたしたち自身の問題だ。
「東海地震はホントに起きるの?」などと言っている段階は終わった。
いまや、「私たちはその時をどう迎えるの?」を問う段階にある。
企業がBCPに取り組むにあたっての、基礎知識として、ご覧いただけたらと思う。
2011年11月11日
緊急時には思考力が低下する:事前の地震対策の重要性
東日本大震災後、BCPに関連して、地震の話をさせていただくチャンスが格段に増えた。
以前は、BCPのお話をさせていただく場合は、あえて、地震の話は後回しにするようにしていた。
地震の脅威を伝えてからBCPの話をするのは、一番分かり易くて、受けがいいのだが、「BCP=地震対策」という誤解を与えてしまうからだ。
だが、今回の大震災を受けて、方針を変えた。
やはり、BCPの入り口は、地震の脅威から始める方が受講者にとっても入りやすい。
いま、多くの人々は地震リスクに敏感になっているときであり、その人たちの心をとらえてBCPに関心を持ってもらうには、地震の話から始めざるを得ない。
いまでは、セミナーの前半は地震の話、後半でBCPの話となるように構成している。
時には、メインテーマが地震防災の話で、余った時間でBCPの説明をする場合もある。
商工会議所の担当者から、「地震の話をメインにお願いします」と依頼されることもあった。
以前、BCPの専門家を呼んで講習会を開いたが、話が抽象的すぎて評判が悪かったのだそうだ。
この時は、BCPの話は一切出さずに、地震対策一本に絞ってセミナー内容を企画した。
BCPという言葉は使わなかったが、緊急時対応と事業存続というBCPの重要なテーマを盛り込んでお話した。
「消防署の職員が話すような防災講座とは違って、事業者に実践的な内容だった」
「東海地震が切迫している理由がよくわかった」
「初めて聞くような話ばかりで、2時間があっという間だった」
と好評をいただいた。
BCPの策定支援が本来の専門領域のはずが、最近は、企業の防災アドバイザーのような活動になってしまっている。
さて、企業防災の話をしていると、こういうことを言う人がいる。
「実際に何がどうなるのか分からないのに、いま地震が起きてからのことを考えるのなんか無理。その時のことはその時の状況を見て考えればいいんじゃないの?」
この人は、大きな勘違いがある。
それは、「その時でも自分は正常に物が考えられる」という勘違いだ。
結論から言う。
緊急事態に見舞われた時、人はまともに考えられなくなるのだ。
緊急時には、体への血流が増え、その分、頭への血流が減少する。
これは、身の危険を感じた時、素早く動いたり、大きな力を出したりする必要があるために、体の方を優先するためだ。
そして、過度な危険に見舞われた時は、非常なストレスにさらされる。
そのストレスを和らげるために、外界からの刺激をシャットアウトするために、脳への血流を減らして、あえて思考力を低下させて命を守ろうとする。
地震直後は、まさに大きな衝撃を受け、過度なストレスにさらされている時だ。
脳への血流が減り、思考力が減退してしまう。
今回の大震災でもいろいろな事例が報告された。
ある女性の話。
地震発生。
大きな揺れが長時間続いた。
揺れがようやく収まった後、彼女はどうしたか。
目の前のテレビ台が傾いているのが見えたので、その傾きを直し始めたのだ。
一生懸命直そうとするが、直らず、同じ動作を繰り返しているだけだったという。
なぜ、そんなことをしていたかは自分でも分からないという。
本来なら、地震が収まったら、建物全体の様子を確認したり、外の様子を見たり、津波の危険を知るためにラジオを聞いたりしようとするだろう。
だが、その時の彼女には、目の前のテレビ台しか見えてなかった。
テレビ台と無駄な格闘をしているとき、どこからともなく叫び声が聞こえた。
「津波だ!」
その声にハッと我に返って、慌てて避難し、ギリギリのところで難を逃れたという。
たぶん、強くて長い地震に相当な恐怖を覚え、そのショックで思考が停止してしまったのだろう。
ある園長の話。
その幼稚園は高台にあって津波の心配のないところにあった。
ところが、地震後、園児を通園バスに乗せて自宅に帰らせてしまった。
そのために、バスが津波にのまれ、がれきの中に埋もれた。
運転手が脱出し、園長のところに報告。
園長が現場に行ってみると、がれきの中から園児の泣き声が聞こえたらしい。
ところが、その園長はそのまま帰宅してしまったという。
救援を依頼することも保護者に連絡することもしなかった。
10時間後、近所で発生した火災に巻き込まれ園児5人が焼死。
なぜ、園長はこのような不可解な行動をとったのか。
「頭が真っ白になっていた」と本人の弁。
たぶん、地震のショックと、園長という責任の重圧に相当なストレスを受け、思考停止に陥ってしまったのだろう。
自分は普段から冷静で落ち着いて考えられるタイプだから大丈夫、というわけにはいかない。
これは、緊急時に起こる生理現象なので、普段どういう性格かということは関係がない。
誰にでも起こりえる。
特に、大きな責任を負っている人、責任感の強い人ほど強いストレスにさらされやすいので、思考停止に陥る可能性が高い。
だから、もしもの時を想定して、今のうちに考えておかなくてはらなないのだ。
地震発生直後、思考停止に陥っている人を見たら、助けてあげなくてはならない。
ボーとしている人、無意味な動作を繰り返しているだけの人……。
怪我もしていないし、意識もあって、自分で動けるので、問題なさそうに見えるが、心のドアを閉じて外界からの刺激を遮断してしまっている人たちだ。
このような人たちは、危険に鈍感になってしまっているので、放っておくと非常に危ない。
ぶん殴って強い刺激を与え、ドアをこじ開けて、こちら側に取り戻さないといけない。
自分が思考停止に陥ったらどうするか。
思考停止の自覚はないのに、どのように復帰するか。
予め周りの人に頼んでおくしかない。
「俺が変な行動をしているようだったら、遠慮なく殴れ」
以前は、BCPのお話をさせていただく場合は、あえて、地震の話は後回しにするようにしていた。
地震の脅威を伝えてからBCPの話をするのは、一番分かり易くて、受けがいいのだが、「BCP=地震対策」という誤解を与えてしまうからだ。
だが、今回の大震災を受けて、方針を変えた。
やはり、BCPの入り口は、地震の脅威から始める方が受講者にとっても入りやすい。
いま、多くの人々は地震リスクに敏感になっているときであり、その人たちの心をとらえてBCPに関心を持ってもらうには、地震の話から始めざるを得ない。
いまでは、セミナーの前半は地震の話、後半でBCPの話となるように構成している。
時には、メインテーマが地震防災の話で、余った時間でBCPの説明をする場合もある。
商工会議所の担当者から、「地震の話をメインにお願いします」と依頼されることもあった。
以前、BCPの専門家を呼んで講習会を開いたが、話が抽象的すぎて評判が悪かったのだそうだ。
この時は、BCPの話は一切出さずに、地震対策一本に絞ってセミナー内容を企画した。
BCPという言葉は使わなかったが、緊急時対応と事業存続というBCPの重要なテーマを盛り込んでお話した。
「消防署の職員が話すような防災講座とは違って、事業者に実践的な内容だった」
「東海地震が切迫している理由がよくわかった」
「初めて聞くような話ばかりで、2時間があっという間だった」
と好評をいただいた。
BCPの策定支援が本来の専門領域のはずが、最近は、企業の防災アドバイザーのような活動になってしまっている。
さて、企業防災の話をしていると、こういうことを言う人がいる。
「実際に何がどうなるのか分からないのに、いま地震が起きてからのことを考えるのなんか無理。その時のことはその時の状況を見て考えればいいんじゃないの?」
この人は、大きな勘違いがある。
それは、「その時でも自分は正常に物が考えられる」という勘違いだ。
結論から言う。
緊急事態に見舞われた時、人はまともに考えられなくなるのだ。
緊急時には、体への血流が増え、その分、頭への血流が減少する。
これは、身の危険を感じた時、素早く動いたり、大きな力を出したりする必要があるために、体の方を優先するためだ。
そして、過度な危険に見舞われた時は、非常なストレスにさらされる。
そのストレスを和らげるために、外界からの刺激をシャットアウトするために、脳への血流を減らして、あえて思考力を低下させて命を守ろうとする。
地震直後は、まさに大きな衝撃を受け、過度なストレスにさらされている時だ。
脳への血流が減り、思考力が減退してしまう。
今回の大震災でもいろいろな事例が報告された。
ある女性の話。
地震発生。
大きな揺れが長時間続いた。
揺れがようやく収まった後、彼女はどうしたか。
目の前のテレビ台が傾いているのが見えたので、その傾きを直し始めたのだ。
一生懸命直そうとするが、直らず、同じ動作を繰り返しているだけだったという。
なぜ、そんなことをしていたかは自分でも分からないという。
本来なら、地震が収まったら、建物全体の様子を確認したり、外の様子を見たり、津波の危険を知るためにラジオを聞いたりしようとするだろう。
だが、その時の彼女には、目の前のテレビ台しか見えてなかった。
テレビ台と無駄な格闘をしているとき、どこからともなく叫び声が聞こえた。
「津波だ!」
その声にハッと我に返って、慌てて避難し、ギリギリのところで難を逃れたという。
たぶん、強くて長い地震に相当な恐怖を覚え、そのショックで思考が停止してしまったのだろう。
ある園長の話。
その幼稚園は高台にあって津波の心配のないところにあった。
ところが、地震後、園児を通園バスに乗せて自宅に帰らせてしまった。
そのために、バスが津波にのまれ、がれきの中に埋もれた。
運転手が脱出し、園長のところに報告。
園長が現場に行ってみると、がれきの中から園児の泣き声が聞こえたらしい。
ところが、その園長はそのまま帰宅してしまったという。
救援を依頼することも保護者に連絡することもしなかった。
10時間後、近所で発生した火災に巻き込まれ園児5人が焼死。
なぜ、園長はこのような不可解な行動をとったのか。
「頭が真っ白になっていた」と本人の弁。
たぶん、地震のショックと、園長という責任の重圧に相当なストレスを受け、思考停止に陥ってしまったのだろう。
自分は普段から冷静で落ち着いて考えられるタイプだから大丈夫、というわけにはいかない。
これは、緊急時に起こる生理現象なので、普段どういう性格かということは関係がない。
誰にでも起こりえる。
特に、大きな責任を負っている人、責任感の強い人ほど強いストレスにさらされやすいので、思考停止に陥る可能性が高い。
だから、もしもの時を想定して、今のうちに考えておかなくてはらなないのだ。
地震発生直後、思考停止に陥っている人を見たら、助けてあげなくてはならない。
ボーとしている人、無意味な動作を繰り返しているだけの人……。
怪我もしていないし、意識もあって、自分で動けるので、問題なさそうに見えるが、心のドアを閉じて外界からの刺激を遮断してしまっている人たちだ。
このような人たちは、危険に鈍感になってしまっているので、放っておくと非常に危ない。
ぶん殴って強い刺激を与え、ドアをこじ開けて、こちら側に取り戻さないといけない。
自分が思考停止に陥ったらどうするか。
思考停止の自覚はないのに、どのように復帰するか。
予め周りの人に頼んでおくしかない。
「俺が変な行動をしているようだったら、遠慮なく殴れ」
2011年10月31日
緊急時には思考力の低下が起きる:地震発生後の行動
地震対策の話をしていると、こんなことを言う人がいる。
「何がどうなるのか分からないのに、その時のことなんか考えてもしょうがない。その時のことはその時の状況を見て考えるよ」
この人には、大きな誤解がある。
それは、その時になれば、状況を的確に判断し、正しく行動することができると思っているということだ。
特に、身の危険を覚えるような緊急事態を経験したことがない人ほど、こういう誤解をしている場合が多い。
だが、実際に大震災を経験した人の話を聞くと、事態はまったく違う。
多くの人は、まず地震の揺れに衝撃を受け、被害の大きさを目の当たりにした時点で、思考停止に陥ってしまう。
冷静に物事を考える余裕を失ってしまうのだ。
今回の大震災で、ある被災者はこう証言していた。
「地震直後、目の前のテレビ台が傾いているのを見つけたので、一生懸命それを直そうとしていた。なぜ、そんなどうでもいいことをしていたのか自分でもわからない。誰かが叫ぶ『津波だ!』の声にハッと我に返って、慌てて避難して助かった」
この人は、地震のショックで、目の前のテレビしか目に見えなくなってしまっていたのだろう。
建物全体はどうなっているのか、周りの状況はどうなっているのか、ということにまで思いが至らなかったようだ。
まして、次に津波が来るということなど完全に頭から抜けていた。
この人だって、冷静に考えれば、テレビの傾きなんか直している場合ではないことはすぐに気付くはずだが、思考力が低下している状況では、簡単にこういうことに陥ってしまうのだ。
日和幼稚園園長のケースはもっとひどい。
この幼稚園は、高台にあったので、津波被害の恐れはなかった。
地震後、そのまま幼稚園にとどまっていれば、園児の被害はなかった。
だが、通園バスを走らせ、園児を自宅に届け始めてしまった。
その後に津波がバスを襲う。
園児5人が閉じ込められた。
運転手が脱出し、園長に報告。
園長は現場に行くが、がれきに埋もれたバスを見て、そのまま帰宅してしまう。
救援を呼ばず、保護者にも伝えず。
その後に発生した火災で、バスの中の園児5人は焼死した。
なぜ、園長は園児を助けようとしなかったのかが謎として残る。
本人は、「頭が真っ白になって……」と言っている。
地震のショックと、責任の重圧で相当なストレスを受け、適切な判断力を失ってしまった例だ。
なぜ、緊急時には思考力が低下するのか。
緊急時には、とっさに身を守らなくてはならない。
俊敏に動いたり、大きな力を出したりする必要がある。
脳への血流量を減らして、身体への血流を増やそうとする。
それで、思考力が低下してしまうのだ。
そのような緊急時は、脊髄反射的な行動しかできなくなる。
これは、あまりにも大きな衝撃を受けた時、それ以上のストレスを遮断するために、思考を停止させるというメカニズムでもある。
大事故に巻き込まれた時、その間の記憶がまったく欠落しているケースがあるのは、このためだ。
この思考停止は、身を守るための本能的な防衛反応といえる。
気をつけなければいけないのは、この現象は、誰にでも起こり得るということだ。
「その時は、その時さ」と言っている人ほど、危ない。
その時は、頭が真っ白になっている可能性が高い。
平常時に考えられない人は、緊急時には更に何も考えられなくなる。
では、どうするか。
緊急時は、何も考えなくても行動できるようにすべきなのだ。
そのために、平常時に、もしもの時を想定して、いろいろ考えておくのである。
被災後に何をすべきかは、平常時に十分検討しておく。
人に教えられたことは簡単に忘れてしまうが、自分で考えたことは、簡単には忘れない。
緊急時には、その記憶を引き出すだけでいい。
地震対策はいろいろあるが、この事前シミュレーションを思考トレーニングとして行なうだけでも、絶大な効果がある。
その時、頭が真っ白にならないために、ぜひ思考トレーニングをお勧めしたい。
「何がどうなるのか分からないのに、その時のことなんか考えてもしょうがない。その時のことはその時の状況を見て考えるよ」
この人には、大きな誤解がある。
それは、その時になれば、状況を的確に判断し、正しく行動することができると思っているということだ。
特に、身の危険を覚えるような緊急事態を経験したことがない人ほど、こういう誤解をしている場合が多い。
だが、実際に大震災を経験した人の話を聞くと、事態はまったく違う。
多くの人は、まず地震の揺れに衝撃を受け、被害の大きさを目の当たりにした時点で、思考停止に陥ってしまう。
冷静に物事を考える余裕を失ってしまうのだ。
今回の大震災で、ある被災者はこう証言していた。
「地震直後、目の前のテレビ台が傾いているのを見つけたので、一生懸命それを直そうとしていた。なぜ、そんなどうでもいいことをしていたのか自分でもわからない。誰かが叫ぶ『津波だ!』の声にハッと我に返って、慌てて避難して助かった」
この人は、地震のショックで、目の前のテレビしか目に見えなくなってしまっていたのだろう。
建物全体はどうなっているのか、周りの状況はどうなっているのか、ということにまで思いが至らなかったようだ。
まして、次に津波が来るということなど完全に頭から抜けていた。
この人だって、冷静に考えれば、テレビの傾きなんか直している場合ではないことはすぐに気付くはずだが、思考力が低下している状況では、簡単にこういうことに陥ってしまうのだ。
日和幼稚園園長のケースはもっとひどい。
この幼稚園は、高台にあったので、津波被害の恐れはなかった。
地震後、そのまま幼稚園にとどまっていれば、園児の被害はなかった。
だが、通園バスを走らせ、園児を自宅に届け始めてしまった。
その後に津波がバスを襲う。
園児5人が閉じ込められた。
運転手が脱出し、園長に報告。
園長は現場に行くが、がれきに埋もれたバスを見て、そのまま帰宅してしまう。
救援を呼ばず、保護者にも伝えず。
その後に発生した火災で、バスの中の園児5人は焼死した。
なぜ、園長は園児を助けようとしなかったのかが謎として残る。
本人は、「頭が真っ白になって……」と言っている。
地震のショックと、責任の重圧で相当なストレスを受け、適切な判断力を失ってしまった例だ。
なぜ、緊急時には思考力が低下するのか。
緊急時には、とっさに身を守らなくてはならない。
俊敏に動いたり、大きな力を出したりする必要がある。
脳への血流量を減らして、身体への血流を増やそうとする。
それで、思考力が低下してしまうのだ。
そのような緊急時は、脊髄反射的な行動しかできなくなる。
これは、あまりにも大きな衝撃を受けた時、それ以上のストレスを遮断するために、思考を停止させるというメカニズムでもある。
大事故に巻き込まれた時、その間の記憶がまったく欠落しているケースがあるのは、このためだ。
この思考停止は、身を守るための本能的な防衛反応といえる。
気をつけなければいけないのは、この現象は、誰にでも起こり得るということだ。
「その時は、その時さ」と言っている人ほど、危ない。
その時は、頭が真っ白になっている可能性が高い。
平常時に考えられない人は、緊急時には更に何も考えられなくなる。
では、どうするか。
緊急時は、何も考えなくても行動できるようにすべきなのだ。
そのために、平常時に、もしもの時を想定して、いろいろ考えておくのである。
被災後に何をすべきかは、平常時に十分検討しておく。
人に教えられたことは簡単に忘れてしまうが、自分で考えたことは、簡単には忘れない。
緊急時には、その記憶を引き出すだけでいい。
地震対策はいろいろあるが、この事前シミュレーションを思考トレーニングとして行なうだけでも、絶大な効果がある。
その時、頭が真っ白にならないために、ぜひ思考トレーニングをお勧めしたい。
2011年10月16日
「災害にラジオ」は古い:震災時の情報収集
「災害が起きたらラジオを聞く」
これは、従来の防災の常識だった。
防災グッズには必ず携帯ラジオが入っていた。
手回し式の発電機付きの防災ラジオは定番だった。
ところが、今回の大震災で、必ずしもラジオは災害時の情報収集に最良のメディアではないことが分かってきた。
なぜなら、ラジオは、音声情報しか得られないからだ。
だから、必要な情報が出てくるまで、じっと聞いていなければならない。
この地域に関係のない情報をしゃべっているからと、ラジオのそばを離れると、そのすきにいつの間にか必要な情報が流れていたりする。
いつ大事な情報が出てくるか分からないのだ。
地震直後で現場が混乱しているときに、みんなでラジオの周りに集まってじっと聞き耳を立てている……そんなことができるか。
今回の大震災でも、せっかくラジオから津波襲来の警告が流れていたにもかかわらず、誰も聞いていないという現場があったらしい。
いまや、「防災と言ったらラジオ」という認識は時代遅れである。
今の時代、災害時に役に立つメディアは、
1.テレビ
2.インターネット
3.ラジオ
である。
「地震後は電力が落ちているのでテレビが見られないのでは?」というのは古い。
今では携帯電話でワンセグ放送を観ることができる。
携帯基地局がつぶれて、通信ができなかったとしても、ワンセグは観ることができるのだ。
テレビのいいところは、情報量が圧倒的に多いこと。
動画と音声で情報が流れる。
画面上部、下部、左端には字幕による情報が随時流れている。
右下には津波警報の地図情報が。
状況を一目で確認できるのは有効性が高い。
次はインターネットだ。
いまは、携帯電話でインターネットができる。
インターネットの利点は、必要な情報がピンポイントで引き出せるところ。
時には、非常にローカルな情報を拾うこともできる。
「あそこの橋は通れない」「個々のスーパーが営業している」などなど。
このような情報はマスメディアでは流れない。
テレビやインターネットが使えないときは、やむを得ずラジオの登場となる。
ラジオの利点は、電池さえあればどこでも利用可能ということだ。
だが、必要な情報を得るために音声情報を聞き続けなければならないというのが欠点。
その欠点を補うためにどうするか。
ラジオ聴取の担当者を1人決めて、その人は、ラジオ情報を聞き洩らさないように聞き続ける。
必要な情報を得た場合は、それをメモ書きして他の人に渡す。
みんなでラジオを聞きいっていたり、誰もラジオを聞いていないという状況を作らないようにしなければいけない。
地震発生後を想定して、事前対策をしようとすると、次のようなことを言う人がいる。
「地震が実際に起きてみないと、何がどうなるか分からないから、事前に何を検討したらいいか、考えようがない」
地震が起きれば、何がどうなっているか直ちに分かるので、適切に判断し行動できると思っている。
これは、幻想である。
多くの被災者の証言によると、地震発生直後、一番困るのは、いったいどこで何が起きたのかさっぱり分からないこと。
情報は勝手にやってこない。
意識して情報収集するようにしないと、目前の危機に気付かないまま無駄な時間をやり過ごす恐れがある。
だから、被災直後に、どのように情報収集するかという手立てを事前に準備しておく必要があるのだ。
その時、ラジオ以外の情報ツールが使えるかがポイントになる。
これは、従来の防災の常識だった。
防災グッズには必ず携帯ラジオが入っていた。
手回し式の発電機付きの防災ラジオは定番だった。
ところが、今回の大震災で、必ずしもラジオは災害時の情報収集に最良のメディアではないことが分かってきた。
なぜなら、ラジオは、音声情報しか得られないからだ。
だから、必要な情報が出てくるまで、じっと聞いていなければならない。
この地域に関係のない情報をしゃべっているからと、ラジオのそばを離れると、そのすきにいつの間にか必要な情報が流れていたりする。
いつ大事な情報が出てくるか分からないのだ。
地震直後で現場が混乱しているときに、みんなでラジオの周りに集まってじっと聞き耳を立てている……そんなことができるか。
今回の大震災でも、せっかくラジオから津波襲来の警告が流れていたにもかかわらず、誰も聞いていないという現場があったらしい。
いまや、「防災と言ったらラジオ」という認識は時代遅れである。
今の時代、災害時に役に立つメディアは、
1.テレビ
2.インターネット
3.ラジオ
である。
「地震後は電力が落ちているのでテレビが見られないのでは?」というのは古い。
今では携帯電話でワンセグ放送を観ることができる。
携帯基地局がつぶれて、通信ができなかったとしても、ワンセグは観ることができるのだ。
テレビのいいところは、情報量が圧倒的に多いこと。
動画と音声で情報が流れる。
画面上部、下部、左端には字幕による情報が随時流れている。
右下には津波警報の地図情報が。
状況を一目で確認できるのは有効性が高い。
次はインターネットだ。
いまは、携帯電話でインターネットができる。
インターネットの利点は、必要な情報がピンポイントで引き出せるところ。
時には、非常にローカルな情報を拾うこともできる。
「あそこの橋は通れない」「個々のスーパーが営業している」などなど。
このような情報はマスメディアでは流れない。
テレビやインターネットが使えないときは、やむを得ずラジオの登場となる。
ラジオの利点は、電池さえあればどこでも利用可能ということだ。
だが、必要な情報を得るために音声情報を聞き続けなければならないというのが欠点。
その欠点を補うためにどうするか。
ラジオ聴取の担当者を1人決めて、その人は、ラジオ情報を聞き洩らさないように聞き続ける。
必要な情報を得た場合は、それをメモ書きして他の人に渡す。
みんなでラジオを聞きいっていたり、誰もラジオを聞いていないという状況を作らないようにしなければいけない。
地震発生後を想定して、事前対策をしようとすると、次のようなことを言う人がいる。
「地震が実際に起きてみないと、何がどうなるか分からないから、事前に何を検討したらいいか、考えようがない」
地震が起きれば、何がどうなっているか直ちに分かるので、適切に判断し行動できると思っている。
これは、幻想である。
多くの被災者の証言によると、地震発生直後、一番困るのは、いったいどこで何が起きたのかさっぱり分からないこと。
情報は勝手にやってこない。
意識して情報収集するようにしないと、目前の危機に気付かないまま無駄な時間をやり過ごす恐れがある。
だから、被災直後に、どのように情報収集するかという手立てを事前に準備しておく必要があるのだ。
その時、ラジオ以外の情報ツールが使えるかがポイントになる。
2011年10月11日
幼稚園園長の責任:日和幼稚園の津波被害
宮城県石巻市の私立日和幼稚園の送迎バスが津波にのまれて園児5人が死亡した事故。
5人のうち4人の遺族が同園を運営する学校法人「長谷川学院」と当時の園長を相手に損害賠償の訴訟を起こした。
賠償額は、計2億6680万円。
津波被害について、顧客が事業者を訴えた事例だ。
従来は、地震や津波は、不可抗力による被害とみなされ、管理者の責任は免ぜられるのが通例だった。
ところが、未曾有の大災害の中にあったとしても、この幼稚園の対応を不合理すぎると遺族が判断し、賠償請求に至ったようだ。
この事故を調べてみると、単に未曾有の災害に巻き込まれて園児が犠牲になった、という単純なものではなさそうだ。
管理者の落ち度がいくつも見つかる。
この幼稚園は高台にあり、津波避難をする必要のないところにあった。
実際に、この幼稚園は津波被害に遭っていない。
その場に残っていたら、園児は犠牲になることはなかった。
防災マニュアルも無視してしまったらしい。
これが1つ目の落ち度。
しばらく園庭で待機していたが、親の迎えも来ないので、通園バスに乗せて、各自宅に送り届けるために出発させる。
高台から、わざわざ海側の低地にバスを向かわせたことになる。
とにかく、園児を自宅に送り届けてしまって、自分の責任から逃れたいという園長の思わくが見える。
この時、ラジオをつけるとか防災無線を聞くとか、情報収集した形跡がない。
津波襲来の可能性にまったく気付いていなかった。
これが2つ目の落ち度。
バスの1台が津波に巻き込まれる。
助かった運転手が幼稚園に知らせる。
園長が現場に急行。
ここで、子供達の泣き叫ぶ声を聞いたらしい。
だが、そのまま何もせず帰宅。
警察や消防に救助も要請せず。
助けに行こうとした保護者にもバスの場所を教えず。
自分が子供達を見捨てた事が発覚するのを恐れたようだ。
危機的状況がはっきりした後でも、適切な対応ができていない。
これが3つ目の落ち度。
10時間以上バスの中に放置された後、火災に巻き込まれて子供達はバスの中で焼死。
5人の園児が犠牲となった。
このようないきさつを見ると、未曾有の大災害だからという言い訳は通用しそうにない。
この園長は、大地震に直面し、パニックに陥っていたようだ。
本人も「頭が真っ白になっていた」と証言している。
適切な判断ができる理性を失っていた。
普段から、非常時のことを想定して訓練を行なっていないと、いざという時に役に立たない。
「その時は、その時のことさ」と言って、平時の準備を怠る人がいるが、そういう人は、その時にはこの園長のように頭が真っ白になって、簡単な判断すらできなくなる。
この裁判は、パニックに陥った園長に責任能力ありとみなされるかどうかにある。
このパニックが、精神疾患の一種とみなされると、無罪となるかもしれない。
だが、パニックの原因が、普段からの準備不足、訓練不足によるものとみなされると、有罪は免れない。
5人のうち4人の遺族が同園を運営する学校法人「長谷川学院」と当時の園長を相手に損害賠償の訴訟を起こした。
賠償額は、計2億6680万円。
津波被害について、顧客が事業者を訴えた事例だ。
従来は、地震や津波は、不可抗力による被害とみなされ、管理者の責任は免ぜられるのが通例だった。
ところが、未曾有の大災害の中にあったとしても、この幼稚園の対応を不合理すぎると遺族が判断し、賠償請求に至ったようだ。
この事故を調べてみると、単に未曾有の災害に巻き込まれて園児が犠牲になった、という単純なものではなさそうだ。
管理者の落ち度がいくつも見つかる。
この幼稚園は高台にあり、津波避難をする必要のないところにあった。
実際に、この幼稚園は津波被害に遭っていない。
その場に残っていたら、園児は犠牲になることはなかった。
防災マニュアルも無視してしまったらしい。
これが1つ目の落ち度。
しばらく園庭で待機していたが、親の迎えも来ないので、通園バスに乗せて、各自宅に送り届けるために出発させる。
高台から、わざわざ海側の低地にバスを向かわせたことになる。
とにかく、園児を自宅に送り届けてしまって、自分の責任から逃れたいという園長の思わくが見える。
この時、ラジオをつけるとか防災無線を聞くとか、情報収集した形跡がない。
津波襲来の可能性にまったく気付いていなかった。
これが2つ目の落ち度。
バスの1台が津波に巻き込まれる。
助かった運転手が幼稚園に知らせる。
園長が現場に急行。
ここで、子供達の泣き叫ぶ声を聞いたらしい。
だが、そのまま何もせず帰宅。
警察や消防に救助も要請せず。
助けに行こうとした保護者にもバスの場所を教えず。
自分が子供達を見捨てた事が発覚するのを恐れたようだ。
危機的状況がはっきりした後でも、適切な対応ができていない。
これが3つ目の落ち度。
10時間以上バスの中に放置された後、火災に巻き込まれて子供達はバスの中で焼死。
5人の園児が犠牲となった。
このようないきさつを見ると、未曾有の大災害だからという言い訳は通用しそうにない。
この園長は、大地震に直面し、パニックに陥っていたようだ。
本人も「頭が真っ白になっていた」と証言している。
適切な判断ができる理性を失っていた。
普段から、非常時のことを想定して訓練を行なっていないと、いざという時に役に立たない。
「その時は、その時のことさ」と言って、平時の準備を怠る人がいるが、そういう人は、その時にはこの園長のように頭が真っ白になって、簡単な判断すらできなくなる。
この裁判は、パニックに陥った園長に責任能力ありとみなされるかどうかにある。
このパニックが、精神疾患の一種とみなされると、無罪となるかもしれない。
だが、パニックの原因が、普段からの準備不足、訓練不足によるものとみなされると、有罪は免れない。
大震災が地場産業に及ぼす影響:神戸ケミカルシューズの事例
東日本大震災で被災した企業の多くは既に復旧し、通常の活動を取り戻しつつある。
津波で壊滅的な被害を受けた企業も、復旧に向けて確実に歩みだしている。
だが、本当に生き残りをかけた取り組みはこれからだ。
過去の事例を見てみよう。
阪神大震災の時のケミカルシューズ産業を取り上げる。
ケミカルシューズ産業は、神戸地区にあらゆる業者が集積した地場産業だった。
大震災で、事業者の8割が全半壊の被害に遭ったという。
まさに産地の基盤を揺るがしかねない被災だった。
日本ケミカルシューズ工業組合のデータにより、内容を振り返ってみる。

震災前の94年には660億円の生産額があったが、95年には半分以下の285億円。
その後、徐々に復旧していくものの、5年後に頭打ちとなり、微減傾向。
リーマンショックによる不況の影響を受け、08年以降急激に下がり始めている。
震災前の状態にまでついに完全復旧することなかった。
それどころか、体力を失った産地に、折からの不況のあおりで縮小傾向に歯止めがかからなくなっているのが分かる。
もっと深刻なのは、雇用の問題だ。

震災後、従業員数は半減したが、その後、ほとんど回復することなく、減り続けている。
一度失われた雇用は、2度と戻って来ないということがはっきりと表れている。
これらの背景には、事業者が減少し続けているという事情がある。

被災後、一貫して減少傾向が続いている。
被災直後だけではなく、10年以上たった今でも同じペースで減り続けている。
新規参入がないのは仕方ないにしても、現状維持すら出来ずに産地の縮小が続いているのだ。
こうなると、産地の維持が難しくなってくる。
これらの動向を、別の視点で捉えると違った様相が見えてくる。
1事業者あたりの生産額の推移を見てみよう。

被災後、5年ぐらいで被災前の水準に復旧したが、その後も一貫して拡大し続けているのが分かる。
2010年の時点で、被災直前に比べて、1.5倍の規模になっている。
これは、生き残った事業者が他の業者が手放した需要を吸収することで拡大していることを表している。
産地全体では縮小傾向が続いているものの、単独の事業者の視点で見ると、被災をチャンスとして、事業拡大を続けているということになる。
本当に強い企業は、被災も1つのチャンスとなりうることを表している。
被災後、早々と消滅してしまった企業と、被災後拡大をし続ける企業との差は、歴然だ。
ただし、生き残った企業も、産地が縮小し続ける中で、いつまでそのプールで泳ぎ続けることができるかという不安はぬぐえない。
いま、生き残った事業者も、気を抜くと産地縮小の流れの中に引きずり込まれてしまう。
当初は、各企業の被災からの復興がテーマだったが、いまや産地の生き残りをかけた産業構造の変化との戦いに移っている。
震災に見舞われた時、企業が生き残るのは大変なことだが、生き残っても、そこから生き残り続けることは更に大変だ。
いま、東北地方も復旧復興が続いているところだが、企業存続の本当の苦しみは、これからかもしれない。
津波で壊滅的な被害を受けた企業も、復旧に向けて確実に歩みだしている。
だが、本当に生き残りをかけた取り組みはこれからだ。
過去の事例を見てみよう。
阪神大震災の時のケミカルシューズ産業を取り上げる。
ケミカルシューズ産業は、神戸地区にあらゆる業者が集積した地場産業だった。
大震災で、事業者の8割が全半壊の被害に遭ったという。
まさに産地の基盤を揺るがしかねない被災だった。
日本ケミカルシューズ工業組合のデータにより、内容を振り返ってみる。
震災前の94年には660億円の生産額があったが、95年には半分以下の285億円。
その後、徐々に復旧していくものの、5年後に頭打ちとなり、微減傾向。
リーマンショックによる不況の影響を受け、08年以降急激に下がり始めている。
震災前の状態にまでついに完全復旧することなかった。
それどころか、体力を失った産地に、折からの不況のあおりで縮小傾向に歯止めがかからなくなっているのが分かる。
もっと深刻なのは、雇用の問題だ。
震災後、従業員数は半減したが、その後、ほとんど回復することなく、減り続けている。
一度失われた雇用は、2度と戻って来ないということがはっきりと表れている。
これらの背景には、事業者が減少し続けているという事情がある。
被災後、一貫して減少傾向が続いている。
被災直後だけではなく、10年以上たった今でも同じペースで減り続けている。
新規参入がないのは仕方ないにしても、現状維持すら出来ずに産地の縮小が続いているのだ。
こうなると、産地の維持が難しくなってくる。
これらの動向を、別の視点で捉えると違った様相が見えてくる。
1事業者あたりの生産額の推移を見てみよう。
被災後、5年ぐらいで被災前の水準に復旧したが、その後も一貫して拡大し続けているのが分かる。
2010年の時点で、被災直前に比べて、1.5倍の規模になっている。
これは、生き残った事業者が他の業者が手放した需要を吸収することで拡大していることを表している。
産地全体では縮小傾向が続いているものの、単独の事業者の視点で見ると、被災をチャンスとして、事業拡大を続けているということになる。
本当に強い企業は、被災も1つのチャンスとなりうることを表している。
被災後、早々と消滅してしまった企業と、被災後拡大をし続ける企業との差は、歴然だ。
ただし、生き残った企業も、産地が縮小し続ける中で、いつまでそのプールで泳ぎ続けることができるかという不安はぬぐえない。
いま、生き残った事業者も、気を抜くと産地縮小の流れの中に引きずり込まれてしまう。
当初は、各企業の被災からの復興がテーマだったが、いまや産地の生き残りをかけた産業構造の変化との戦いに移っている。
震災に見舞われた時、企業が生き残るのは大変なことだが、生き残っても、そこから生き残り続けることは更に大変だ。
いま、東北地方も復旧復興が続いているところだが、企業存続の本当の苦しみは、これからかもしれない。
2011年09月26日
これではBCPは普及しない:愛知県のBCP
23日、愛知県商工会議所連合会青年部の大会が犬山で開催。
蒲郡からは、11名の参加。
その中の分科会の1つ、「防災対策」に出席。
シンポジウム形式の意見交換会。
パネラーは、
愛知県防災局災害対策課主幹 丹羽邦彦 氏
愛知県産業労働部中小企業金融課主幹 宮路信高 氏
豊橋市役所総務部防災危機管理課 土屋孝一 氏
他、青年部メンバー3名。
東海地震のリスク、県の取り組み、企業の防災などが話し合われた。
その中で、BCPの重要性が語られた。
BCPの基本説明をしたのは、愛知県の中小企業金融課の宮路氏。
スライドを使って説明。
ところが、そのスライドが、わたしがBCPセミナーで使っている資料にそっくりなことに気付いた。
初めは、
「わたしとよく似たスライドの作り方をする人がいるもんだなぁ」
と思っていた。
だが、スライドのページが進むごとに、私の資料にそっくりなのがわかった。
わたしのオリジナルの知見まで、そのまま使われているのを見てびっくり。
「BCPのメリット」「BCP成功のポイント」
箇条書きで重要ポイントをまとめて、セミナーで説明している部分。
これが、わたしの資料そのままなのだ。
表現も、箇条書きの順番も同じ。
この項目は、わたしが今までの経験から、抽出したもの。
どこかの本に書いてあったことを写したものではない。
かなり個性の強いオリジナルの知見なので、わたしの責任でセミナーで説明している。
それが、そのまま別人のスライドに使われていることに驚いた。
しかも、県の職員がBCPの説明に使っているとは。
わたしの資料をどこで手に入れたんだろう。
わたしも県内外でBCPセミナーを行なっているので、その時の資料をどこかで手に入れたのだろうか。
それとも、受講者の中に県の関係者がいたのか。
もしかしたら、わたしの資料はコピーされまくって、関係者の間に行き渡ってしまっているのか。
わたしの作った資料は、BCPの基本が分かりやすくまとまっているので、使いやすかったのだろう。
その価値を認めてもらったのはうれしい。
だが、一言ぐらいの断りがあってもよかった。
「あなたの資料はよくできているので、その一部を使わせてもらえないか」と。
出典元を明示していただければ、断る理由はない。
むしろ、大歓迎だ。
ここで、困ったことがある。
県の職員がBCPの普及活動で、このスライドを使うとどうなるか。
わたしのセミナー資料は、そのスライドにそっくり。
すると、今度は、わたしが県のスライドをパクって自分の資料にしていると思われてしまう。
誰も、民間コンサルタントが作った資料を県がパクるなんて考えない。
わたしは圧倒的に不利。
BCPに関する知見は、多くの人の間で共有されるべき。
一人の人間に独占させるべきではない。
わたしだって、すべての知見を自分で発見し考えたわけではない。
他の人の情報や考え方を大いに参考にさせてもらっている。
だから、わたしの知見が使われることに文句はない。
愛知県は、BCPの普及に真剣に取り組むのなら、他人のセミナー資料を写してお茶を濁すのではなく、わたしのようなコンサルタントを利用して、実質的に動いてほしい。
愛知県のBCP普及は中小企業金融課が行なう。
だが、担当者は2,3年ごとにころころ変わる。
今回のシンポで、BCPの説明をした県担当者も、着任早々で不慣れだと言っていた。
スライド資料も、前任者から引き継いだものなのだろう。
他人の作った資料で説明しているので、余計に思いが伝わらない様子。
これでは、愛知県のBCPは普及しないよなぁ、と思わせた。
蒲郡からは、11名の参加。
その中の分科会の1つ、「防災対策」に出席。
シンポジウム形式の意見交換会。
パネラーは、
愛知県防災局災害対策課主幹 丹羽邦彦 氏
愛知県産業労働部中小企業金融課主幹 宮路信高 氏
豊橋市役所総務部防災危機管理課 土屋孝一 氏
他、青年部メンバー3名。
東海地震のリスク、県の取り組み、企業の防災などが話し合われた。
その中で、BCPの重要性が語られた。
BCPの基本説明をしたのは、愛知県の中小企業金融課の宮路氏。
スライドを使って説明。
ところが、そのスライドが、わたしがBCPセミナーで使っている資料にそっくりなことに気付いた。
初めは、
「わたしとよく似たスライドの作り方をする人がいるもんだなぁ」
と思っていた。
だが、スライドのページが進むごとに、私の資料にそっくりなのがわかった。
わたしのオリジナルの知見まで、そのまま使われているのを見てびっくり。
「BCPのメリット」「BCP成功のポイント」
箇条書きで重要ポイントをまとめて、セミナーで説明している部分。
これが、わたしの資料そのままなのだ。
表現も、箇条書きの順番も同じ。
この項目は、わたしが今までの経験から、抽出したもの。
どこかの本に書いてあったことを写したものではない。
かなり個性の強いオリジナルの知見なので、わたしの責任でセミナーで説明している。
それが、そのまま別人のスライドに使われていることに驚いた。
しかも、県の職員がBCPの説明に使っているとは。
わたしの資料をどこで手に入れたんだろう。
わたしも県内外でBCPセミナーを行なっているので、その時の資料をどこかで手に入れたのだろうか。
それとも、受講者の中に県の関係者がいたのか。
もしかしたら、わたしの資料はコピーされまくって、関係者の間に行き渡ってしまっているのか。
わたしの作った資料は、BCPの基本が分かりやすくまとまっているので、使いやすかったのだろう。
その価値を認めてもらったのはうれしい。
だが、一言ぐらいの断りがあってもよかった。
「あなたの資料はよくできているので、その一部を使わせてもらえないか」と。
出典元を明示していただければ、断る理由はない。
むしろ、大歓迎だ。
ここで、困ったことがある。
県の職員がBCPの普及活動で、このスライドを使うとどうなるか。
わたしのセミナー資料は、そのスライドにそっくり。
すると、今度は、わたしが県のスライドをパクって自分の資料にしていると思われてしまう。
誰も、民間コンサルタントが作った資料を県がパクるなんて考えない。
わたしは圧倒的に不利。
BCPに関する知見は、多くの人の間で共有されるべき。
一人の人間に独占させるべきではない。
わたしだって、すべての知見を自分で発見し考えたわけではない。
他の人の情報や考え方を大いに参考にさせてもらっている。
だから、わたしの知見が使われることに文句はない。
愛知県は、BCPの普及に真剣に取り組むのなら、他人のセミナー資料を写してお茶を濁すのではなく、わたしのようなコンサルタントを利用して、実質的に動いてほしい。
愛知県のBCP普及は中小企業金融課が行なう。
だが、担当者は2,3年ごとにころころ変わる。
今回のシンポで、BCPの説明をした県担当者も、着任早々で不慣れだと言っていた。
スライド資料も、前任者から引き継いだものなのだろう。
他人の作った資料で説明しているので、余計に思いが伝わらない様子。
これでは、愛知県のBCPは普及しないよなぁ、と思わせた。
2011年08月08日
災害時にパニックは起きない
「パニック神話」というのがある。
これは、災害時に人々がパニックに陥って社会がだ混乱に陥るという幻想だ。
実際には、パニックが起きるのは非常にまれである。
自然災害を描くパニック映画には、必ずこの人々が混乱して騒ぎを起こす場面が登場するが、それは、そういう場面を挿入しないとパニック映画にならないからだ。
パンデミック災害を描いた映画「感染列島」でも、人々がスーパーに殺到し商品を奪い合う光景が描かれたが、却って非現実的に見える。
今回の東日本大震災でも、パニックが起きたという情報が見当たらない。
むしろ多くの人々が冷静に行動した。
その冷静さが世界中に報道され、驚かれたほど。
だが、この冷静さが、津波避難においては、行動の遅れにつながった。
本当なら地震直後に我先に逃げ出さなければいけないはずなのに、冷静に構え過ぎていた。
防災無線が避難を呼び掛けているのを聞きながら、家で待機していた人もいた。
津波の犠牲になった人と、助かった人の違いを分析してみると、津波のリスクを感知して直ちに行動できたかどうかの1点にあることが分かる。
人は危険にさらされると、その危険を過小評価することで心の平静を保とうとする「正常化の偏見」という心理傾向が働く。
パニックが簡単に起きないのは、このためだ。
ある自治体で起きたエピソード。
職員が防災放送のチェックのため、試験放送を流した。
だが、間違えて、訓練用のではなく、本番用の音声メッセージを流してしまった。
「まもなく地震が発生します。ただちに避難してください」
間違いに気付いた職員は青ざめた。
これで町に大混乱が起きたらどうしよう。
だが、町の住民たちは通常の生活を続けるばかりで、何も起きなかった。
パニックにが起きずに、やれやれ。
その後、役所では問題になった。
職員が間違えたことではなく、パニックが起きなかったことが問題となったのだ。
住民が誰も防災放送に反応しなかったということだからだ。
これは、災害時に人々がパニックに陥って社会がだ混乱に陥るという幻想だ。
実際には、パニックが起きるのは非常にまれである。
自然災害を描くパニック映画には、必ずこの人々が混乱して騒ぎを起こす場面が登場するが、それは、そういう場面を挿入しないとパニック映画にならないからだ。
パンデミック災害を描いた映画「感染列島」でも、人々がスーパーに殺到し商品を奪い合う光景が描かれたが、却って非現実的に見える。
今回の東日本大震災でも、パニックが起きたという情報が見当たらない。
むしろ多くの人々が冷静に行動した。
その冷静さが世界中に報道され、驚かれたほど。
だが、この冷静さが、津波避難においては、行動の遅れにつながった。
本当なら地震直後に我先に逃げ出さなければいけないはずなのに、冷静に構え過ぎていた。
防災無線が避難を呼び掛けているのを聞きながら、家で待機していた人もいた。
津波の犠牲になった人と、助かった人の違いを分析してみると、津波のリスクを感知して直ちに行動できたかどうかの1点にあることが分かる。
人は危険にさらされると、その危険を過小評価することで心の平静を保とうとする「正常化の偏見」という心理傾向が働く。
パニックが簡単に起きないのは、このためだ。
ある自治体で起きたエピソード。
職員が防災放送のチェックのため、試験放送を流した。
だが、間違えて、訓練用のではなく、本番用の音声メッセージを流してしまった。
「まもなく地震が発生します。ただちに避難してください」
間違いに気付いた職員は青ざめた。
これで町に大混乱が起きたらどうしよう。
だが、町の住民たちは通常の生活を続けるばかりで、何も起きなかった。
パニックにが起きずに、やれやれ。
その後、役所では問題になった。
職員が間違えたことではなく、パニックが起きなかったことが問題となったのだ。
住民が誰も防災放送に反応しなかったということだからだ。
自分の身は自分で守れ:釜石市の津波教育
東日本大震災では、多くの津波の被害があった。
だが、釜石市の小中学生には犠牲者がいなかったという。
そこには、釜石市が行なっていた津波教育の成果があったようだ。
釜石市は普段から独自のカリキュラムを作って小中学生に津波教育を行なっていた。
その教育の基本方針は、「自分の身は自分で守れ」である。
「想定は信じるな」「自分で状況を見て最善を尽くせ」と教えていた。
なにか突き放したようなイメージがあるが、結果としてこれが功を奏した。
地震直後、小学生たちは校庭に避難した。
すると、前の道を中学生たちがすでに走り始めていた。
「津波が来るぞー」
中学生の呼びかけに、小学生たちはすぐに反応し、そのあとについて走り始めた。
上級生は下級生の手を引きながら走る。
指定されていた避難場所に着く。
だが、一部の中学生が不安になり、更に高いところを目指して走り出した。
小学生たちも後について走る。
そのあと、想定を超えた大津波が町を襲う。
学校はもちろん、指定の避難場所も飲み込んでいた。
子どもたちは全員無事だった。
誰も、先生が指示してくれるのを待っていない。
自分で行動したことで命を守った。
これと対照的なのは、石巻市の小学校の例だ。
ある小学校では、全校生徒の8割が津波の犠牲となった。
この小学校では、地震後、児童を校庭に整列させて待機させていた。
そのまま教員たちは今後の対応について話し合っていたらしい。
そのうち、親たちが慌てて我が子の迎えに来る。
その受け渡しの確認に時間がかかり、親たちが行列を作っていたという。
一通りの受け渡しが済んだところで、念のために、場所を移動しようかということになった。
地震後30分が経過していた。
高学年を先頭に集団で移動開始。
移動中、川を遡上してきた津波に飲み込まれた。
とっさに裏山に駆け上がった3名だけが助かった。
児童74人が死亡。
教員も11人のうち10人が死亡。
何が生死を分けたのか、わたしたちは、ここから多くの教訓を学ぶことができる。
いままで、犠牲者の落ち度を指摘するのははばかられてきたが、これからは、冷静な分析が進んでくることだろう。
だが、釜石市の小中学生には犠牲者がいなかったという。
そこには、釜石市が行なっていた津波教育の成果があったようだ。
釜石市は普段から独自のカリキュラムを作って小中学生に津波教育を行なっていた。
その教育の基本方針は、「自分の身は自分で守れ」である。
「想定は信じるな」「自分で状況を見て最善を尽くせ」と教えていた。
なにか突き放したようなイメージがあるが、結果としてこれが功を奏した。
地震直後、小学生たちは校庭に避難した。
すると、前の道を中学生たちがすでに走り始めていた。
「津波が来るぞー」
中学生の呼びかけに、小学生たちはすぐに反応し、そのあとについて走り始めた。
上級生は下級生の手を引きながら走る。
指定されていた避難場所に着く。
だが、一部の中学生が不安になり、更に高いところを目指して走り出した。
小学生たちも後について走る。
そのあと、想定を超えた大津波が町を襲う。
学校はもちろん、指定の避難場所も飲み込んでいた。
子どもたちは全員無事だった。
誰も、先生が指示してくれるのを待っていない。
自分で行動したことで命を守った。
これと対照的なのは、石巻市の小学校の例だ。
ある小学校では、全校生徒の8割が津波の犠牲となった。
この小学校では、地震後、児童を校庭に整列させて待機させていた。
そのまま教員たちは今後の対応について話し合っていたらしい。
そのうち、親たちが慌てて我が子の迎えに来る。
その受け渡しの確認に時間がかかり、親たちが行列を作っていたという。
一通りの受け渡しが済んだところで、念のために、場所を移動しようかということになった。
地震後30分が経過していた。
高学年を先頭に集団で移動開始。
移動中、川を遡上してきた津波に飲み込まれた。
とっさに裏山に駆け上がった3名だけが助かった。
児童74人が死亡。
教員も11人のうち10人が死亡。
何が生死を分けたのか、わたしたちは、ここから多くの教訓を学ぶことができる。
いままで、犠牲者の落ち度を指摘するのははばかられてきたが、これからは、冷静な分析が進んでくることだろう。
2011年08月06日
なぜ想定外は簡単に起きるのか:リスクは確率で考えろ
今回の東日本大震災では、「想定外」という言葉がよく聞かれた。
複数の震源域が連続して破壊するのは想定外。
15mを超える津波が起きるのは想定外。
原発が爆発するのは想定外。
たしかに、1000年に1度という巨大地震に、何もかもが想定外だった。
しかし、そもそもリスクマネジメントとは想定外に対処することではなかったか。
では、簡単に想定外にしてしまわないためにはどうしたらいいのだろうか。
実は、「想定外」は、簡単に起きるものなのだということから認識する必要がある。
例えば、ある地域のハザードマップで津波の想定高さが5mだとしよう。
では、この地域は5mの津波に対処できるようにしておけば、万全か。
まったく違う。
5mを想定して対策を立てると、簡単に想定外が起きてしまう。
5mとはそういう数字なのだ。
リスクは確率の問題として理解しなければ分からない。
ここでは、コイントスに例えて考えてみよう。
あなたが、コイントスを10回行なったら、何回表が出るだろうか。
コイントスで表が出る確率は1/2なので、10回投げたら5回ぐらい表が出そうな気がする。
そのとおり。
だが、10回投げたら、表は必ず5回出るのか。
そうじゃない。
6回出ることもあれば、4回しか出ないこともある。
10回連続で表が出るということもあり得ないことではない。
そうすると、いろんなケースがあり得ることが分かる。
だが、そのいろんなケースは同じ確率で起こるわけではない。
一番可能性の高そうなのは5回。
一番可能性の低そうなのは10回と0回。
この回数とそれぞれの確率をグラフに表すと、5回のところを頂点とした山形になるだろう。
一般に正規分布と言われるグラフだ。

この場合、コイントスを10回行なったとき、表は何回出ると想定すればいいか。
たぶん、「5回」となるのではないだろうか。
5回が最も確率が高いし、全体の平均的な値でもあるからだ。
さて、これが、津波の想定と考えるとどうなるか。
一番可能性の高いのが5mなので、想定高さが「5m」と発表された。
そこで、5mを前提条件として対策を行うとどうなるか。
5m以下の津波だったら想定内に収まる。
だが、5m以上だったら想定外になってしまう。
想定外になるのはどのぐらいの頻度で起きそうか。
グラフを見れば一目瞭然。
想定内と想定外は半々。
つまり、公表された津波高さを前提に対策すると、2回に1回は想定外が起きてしまうのである。
津波の想定高さ5mというのは、必ず5mになるという意味ではない。
5m以上の津波は来ないという意味でもない。
もっとも可能性の高そうな値として想定しているだけなのだ。
気象庁や自治体からいろんな災害想定のデータが公表されているが、その想定データの意味を理解しなければいけない。
公表されているデータに基づいて対策したのだから、想定外になっても仕方がない、という言い訳は通用しない。
なぜなら、想定データはもともとこういう性格のものだからだ。
簡単に想定外にしてしまわないためには、どうしたらいいか。
5mの津波予想は、10mに置き換えて対策する。
震度5弱の予想は、震度6弱に置き換えて対策する。
公開されているデータに基づきながら、どの程度のレベルにまで対応するかは、各自の判断で、決めなくれはならない。
複数の震源域が連続して破壊するのは想定外。
15mを超える津波が起きるのは想定外。
原発が爆発するのは想定外。
たしかに、1000年に1度という巨大地震に、何もかもが想定外だった。
しかし、そもそもリスクマネジメントとは想定外に対処することではなかったか。
では、簡単に想定外にしてしまわないためにはどうしたらいいのだろうか。
実は、「想定外」は、簡単に起きるものなのだということから認識する必要がある。
例えば、ある地域のハザードマップで津波の想定高さが5mだとしよう。
では、この地域は5mの津波に対処できるようにしておけば、万全か。
まったく違う。
5mを想定して対策を立てると、簡単に想定外が起きてしまう。
5mとはそういう数字なのだ。
リスクは確率の問題として理解しなければ分からない。
ここでは、コイントスに例えて考えてみよう。
あなたが、コイントスを10回行なったら、何回表が出るだろうか。
コイントスで表が出る確率は1/2なので、10回投げたら5回ぐらい表が出そうな気がする。
そのとおり。
だが、10回投げたら、表は必ず5回出るのか。
そうじゃない。
6回出ることもあれば、4回しか出ないこともある。
10回連続で表が出るということもあり得ないことではない。
そうすると、いろんなケースがあり得ることが分かる。
だが、そのいろんなケースは同じ確率で起こるわけではない。
一番可能性の高そうなのは5回。
一番可能性の低そうなのは10回と0回。
この回数とそれぞれの確率をグラフに表すと、5回のところを頂点とした山形になるだろう。
一般に正規分布と言われるグラフだ。
この場合、コイントスを10回行なったとき、表は何回出ると想定すればいいか。
たぶん、「5回」となるのではないだろうか。
5回が最も確率が高いし、全体の平均的な値でもあるからだ。
さて、これが、津波の想定と考えるとどうなるか。
一番可能性の高いのが5mなので、想定高さが「5m」と発表された。
そこで、5mを前提条件として対策を行うとどうなるか。
5m以下の津波だったら想定内に収まる。
だが、5m以上だったら想定外になってしまう。
想定外になるのはどのぐらいの頻度で起きそうか。
グラフを見れば一目瞭然。
想定内と想定外は半々。
つまり、公表された津波高さを前提に対策すると、2回に1回は想定外が起きてしまうのである。
津波の想定高さ5mというのは、必ず5mになるという意味ではない。
5m以上の津波は来ないという意味でもない。
もっとも可能性の高そうな値として想定しているだけなのだ。
気象庁や自治体からいろんな災害想定のデータが公表されているが、その想定データの意味を理解しなければいけない。
公表されているデータに基づいて対策したのだから、想定外になっても仕方がない、という言い訳は通用しない。
なぜなら、想定データはもともとこういう性格のものだからだ。
簡単に想定外にしてしまわないためには、どうしたらいいか。
5mの津波予想は、10mに置き換えて対策する。
震度5弱の予想は、震度6弱に置き換えて対策する。
公開されているデータに基づきながら、どの程度のレベルにまで対応するかは、各自の判断で、決めなくれはならない。
BCPは役に立ったのか:東日本大震災
東日本大震災で更にクローズアップされてきたBCP(事業継続計画)。
そこで、気になるのが、「今回の震災でBCPは役に立ったのか」ということだ。
この答えは非常に難しい。
私のようにBCPを普及推進する立場では、「BCPは大いに役に立った」と言いたいところ。
実際にBCPでうまく復旧できた事例を集めてきて披露することができる。
ところが、BCPに関連する事例は、いろんなケースがあり、1つに結論付けるのは無理。
当然ながら、BCPが役立たなかった事例も存在し、それだけを集めてくると、まったく違う結論になる。
「BCPなんかなくても十分対応できる」という結論に導くことも可能だ。
どんなに精力的に事例収集したとしても、全体の中のごく一部にすぎない。
たまたま見つけた事例が、全体を代表するようなケースなのか、特殊なケースなのかはよくわからない。
人は、自分に都合のいい情報だけを集めてしまう傾向がある。
たまたま見つけた事例が自分に都合のいいものだと、自分の考えを裏付ける貴重な情報となる。
そのような事例が2つ3つ見つかると、自説はかなり有力と自信を持つ。
5つ6つ見つかったら、自説は間違いのない真理にまで昇格する。
こうして、調べれば調べるほどどんどん結論が一方方向に片寄っていく。
BCPが役に立ったかの判断が難しい理由は他にもいくつかある。
1.そもそもBCPを策定していた企業が少なかった。
特に中小企業では、防災マニュアルがせいぜいで、BCPまで策定しているところは少ない。
その中では、BCPが役立ったかどうかを判断する事例は見つけようがない。
2.BCPを発動させることができなかった。
今回の震災で壊滅的なダメージを受けた企業の場合、復旧が難しい状況にあった。
BCPを発動させる以前の問題であり、役に立ったかどうかの判断は無理。
3.BCPの内容を理解していなかった。
BCPを防災担当者が一人で作ったり、外部コンサルタントに作ってもらった場合、社内のキーパーソンがBCPの内容を理解していない。
震災が起きてから、慌ててBCPファイルをめくって読み始めても、他人が作った計画は理解不能。
結局、BCPは捨てて、現場の臨機応変で急場をしのぐことになる。
BCPは、作り上げたBCP文書に意味があるわけではない。
文書を作る前の、内容を検討する過程に意味がある。
最優先に守るべき業務は何か。
重要業務を維持するために不可欠なリソースは何か。
リソース確保のためにどのような手段を用意しておくべきか。
このような内容を検討する過程で、本当のリスクが見えてくる。
この過程を経験した人なら、緊急事態において、どのような事態が発生したとしても、臨機応変に対処できる。
その時、BCP文書を取り出して読み始める必要はない。
本筋を理解していれば、細かい手順など多少前後しても構わないからだ。
どうせ、現実は計画書の想定とは違いがある。
計画書に書かれている手順を正確になぞったところで意味がない。
ところが、BCP策定の途中経過をすっ飛ばして、最終結果の文書だけを手に入れた人は、その内容は理解できない。
なぜ、この業務を優先するのか。
なぜ、この手順で対策を行うのか。
計画書に書かれている内容を知ることはできても、その意味が分からない。
だから、現実に合わせてどのように応用すればいいのか分からない。
こうして、役に立たないBCPの誕生となる。
そこで、気になるのが、「今回の震災でBCPは役に立ったのか」ということだ。
この答えは非常に難しい。
私のようにBCPを普及推進する立場では、「BCPは大いに役に立った」と言いたいところ。
実際にBCPでうまく復旧できた事例を集めてきて披露することができる。
ところが、BCPに関連する事例は、いろんなケースがあり、1つに結論付けるのは無理。
当然ながら、BCPが役立たなかった事例も存在し、それだけを集めてくると、まったく違う結論になる。
「BCPなんかなくても十分対応できる」という結論に導くことも可能だ。
どんなに精力的に事例収集したとしても、全体の中のごく一部にすぎない。
たまたま見つけた事例が、全体を代表するようなケースなのか、特殊なケースなのかはよくわからない。
人は、自分に都合のいい情報だけを集めてしまう傾向がある。
たまたま見つけた事例が自分に都合のいいものだと、自分の考えを裏付ける貴重な情報となる。
そのような事例が2つ3つ見つかると、自説はかなり有力と自信を持つ。
5つ6つ見つかったら、自説は間違いのない真理にまで昇格する。
こうして、調べれば調べるほどどんどん結論が一方方向に片寄っていく。
BCPが役に立ったかの判断が難しい理由は他にもいくつかある。
1.そもそもBCPを策定していた企業が少なかった。
特に中小企業では、防災マニュアルがせいぜいで、BCPまで策定しているところは少ない。
その中では、BCPが役立ったかどうかを判断する事例は見つけようがない。
2.BCPを発動させることができなかった。
今回の震災で壊滅的なダメージを受けた企業の場合、復旧が難しい状況にあった。
BCPを発動させる以前の問題であり、役に立ったかどうかの判断は無理。
3.BCPの内容を理解していなかった。
BCPを防災担当者が一人で作ったり、外部コンサルタントに作ってもらった場合、社内のキーパーソンがBCPの内容を理解していない。
震災が起きてから、慌ててBCPファイルをめくって読み始めても、他人が作った計画は理解不能。
結局、BCPは捨てて、現場の臨機応変で急場をしのぐことになる。
BCPは、作り上げたBCP文書に意味があるわけではない。
文書を作る前の、内容を検討する過程に意味がある。
最優先に守るべき業務は何か。
重要業務を維持するために不可欠なリソースは何か。
リソース確保のためにどのような手段を用意しておくべきか。
このような内容を検討する過程で、本当のリスクが見えてくる。
この過程を経験した人なら、緊急事態において、どのような事態が発生したとしても、臨機応変に対処できる。
その時、BCP文書を取り出して読み始める必要はない。
本筋を理解していれば、細かい手順など多少前後しても構わないからだ。
どうせ、現実は計画書の想定とは違いがある。
計画書に書かれている手順を正確になぞったところで意味がない。
ところが、BCP策定の途中経過をすっ飛ばして、最終結果の文書だけを手に入れた人は、その内容は理解できない。
なぜ、この業務を優先するのか。
なぜ、この手順で対策を行うのか。
計画書に書かれている内容を知ることはできても、その意味が分からない。
だから、現実に合わせてどのように応用すればいいのか分からない。
こうして、役に立たないBCPの誕生となる。
2011年07月28日
被災事業者に損害賠償:常磐山元自動車学校
常磐山元自動車学校が総額約17億円の損害賠償を求められている。
宮城県山元町にある自動車学校。
東日本大震災の津波に襲われ、送迎用マイクロバスなどに分乗して帰宅しようとしていた18〜19歳の教習生25人が死亡した。
25人の遺族が「学校が迅速に避難させていれば犠牲者は出なかった」として、同校側を相手取り、仙台地裁に提訴する方針を固めた。
被災地の事業者が加害者として損害賠償を求められる珍しいケースだ。
3月11日午後2時46分に地震発生後、教習生ら約40人は校舎外や車外に避難。
校舎が壊れた恐れがあり、寒さをしのぐため、教官らの指示で何台かのマイクロバスに乗り込む。
助かった教習生の証言によると、地震直後、学校側は1時間後に教習を再開するつもりだったらしい。
しかし、3時20分頃に停電したため、同校側は教習生を帰宅させることに。
教習生らはマイクロバスやワゴン車、教習車計7台に分乗して同3時40分頃から順次出発。
約10分後に山元町の沿岸部が津波に襲われ、7台のうち5台がのみ込まれた。
どうやら、学校側は、最後まで津波の危険には気付かないままだったようだ。
地震発生直後からしばらくの間は通電しており、テレビ等で情報確認する猶予はあった。
たぶん、大きな揺れにショックを受けて、冷静な判断ができるような状況になかったのだろう。
学校側は、想定外の大災害だったことで抗弁するだろうが、この「想定外」がどこまで通用するのかが注目される。
この学校には、地震対応マニュアルのようなものはなかったという。
当然、避難訓練など行なっていなかっただろう。
平時の訓練ができていなければ、緊急時に冷静な判断と行動はできない。
学校側は校長以下教官や職員も多く犠牲になっており、責任追及がためらわれるところ。
だが、あえてそこに踏み込んだ遺族会の方々の勇気に敬服する。
何がいけなかったのか、これが解明されなければ、同じ過ちは繰り返し起こる。
いままで、津波の犠牲者はお気の毒な方々として、扱われてきた。
だが、事態が落ち着いてくると、何が生と死を分けたのかが、冷静に分析されるようになってくるだろう。
その時、犠牲者の落ち度を指摘しなければならない場面も出てくるかもしれない。
それも、今後に生かす教訓として、乗り越えなければならないだろう。
宮城県山元町にある自動車学校。
東日本大震災の津波に襲われ、送迎用マイクロバスなどに分乗して帰宅しようとしていた18〜19歳の教習生25人が死亡した。
25人の遺族が「学校が迅速に避難させていれば犠牲者は出なかった」として、同校側を相手取り、仙台地裁に提訴する方針を固めた。
被災地の事業者が加害者として損害賠償を求められる珍しいケースだ。
3月11日午後2時46分に地震発生後、教習生ら約40人は校舎外や車外に避難。
校舎が壊れた恐れがあり、寒さをしのぐため、教官らの指示で何台かのマイクロバスに乗り込む。
助かった教習生の証言によると、地震直後、学校側は1時間後に教習を再開するつもりだったらしい。
しかし、3時20分頃に停電したため、同校側は教習生を帰宅させることに。
教習生らはマイクロバスやワゴン車、教習車計7台に分乗して同3時40分頃から順次出発。
約10分後に山元町の沿岸部が津波に襲われ、7台のうち5台がのみ込まれた。
どうやら、学校側は、最後まで津波の危険には気付かないままだったようだ。
地震発生直後からしばらくの間は通電しており、テレビ等で情報確認する猶予はあった。
たぶん、大きな揺れにショックを受けて、冷静な判断ができるような状況になかったのだろう。
学校側は、想定外の大災害だったことで抗弁するだろうが、この「想定外」がどこまで通用するのかが注目される。
この学校には、地震対応マニュアルのようなものはなかったという。
当然、避難訓練など行なっていなかっただろう。
平時の訓練ができていなければ、緊急時に冷静な判断と行動はできない。
学校側は校長以下教官や職員も多く犠牲になっており、責任追及がためらわれるところ。
だが、あえてそこに踏み込んだ遺族会の方々の勇気に敬服する。
何がいけなかったのか、これが解明されなければ、同じ過ちは繰り返し起こる。
いままで、津波の犠牲者はお気の毒な方々として、扱われてきた。
だが、事態が落ち着いてくると、何が生と死を分けたのかが、冷静に分析されるようになってくるだろう。
その時、犠牲者の落ち度を指摘しなければならない場面も出てくるかもしれない。
それも、今後に生かす教訓として、乗り越えなければならないだろう。
2011年06月08日
真の原因究明に期待する:原発事故調査検証委員会の発足
東京電力福島第一原子力発電所に関する政府の事故調査・検証委員会が発足した。
委員長は、「失敗学」で有名な畑村洋太郎東大名誉教授だ。
これは大いに期待できそう。
今回の原発事故は、いまでも情報が混乱しており、いったい何が起きていたのか、現場では何をしたのかさえよくわからない。
まして、なぜこれほど事態を悪化させることになったのかについては、まったくわからないのが実情だ。
断片的に関係者の言動が報道で流れるが、いずれも自分の言い訳ばかりしているような情報ばかりだ。
ここは、利害関係のない第三者に冷静な分析を期待するしかない。
畑村委員長は、「責任追及を目的としない」と言っている。
大賛成だ。
とかく原因究明は、「誰が悪かったのか」という犯人探しになりがちだ。
そうすると途端に関係者は自己保身を最優先に考えるようになり、本当の情報が出てこなくなる。
調査した結果は、誰も間違っていなかったのに失敗したという不思議な結論になる。
そして「みんな最善を尽くしたが、運が悪かった」ということで事態は収束する。
これでは、失敗から何も学べず、同じ失敗を繰り返すことになる。
みんなが最善を尽くすのは当たり前だ。
悪意を持って手抜きをするような人がいるはずがない。
原因究明で、最善を尽くしたかどうかを調べても意味がないのだ。
最善を尽くしたのに失敗してしまったのはなぜか、ここがポイントだ。
今回の事故調査では、単なる技術的なミスというレベルでは捉えていないようだ。
「組織事故」という側面からも分析するという。
委員長は「100年後の検証にも耐えうる内容にしたい」と述べている。
今回の原発事故は世界中が注目している。
原因究明は、日本国民だけではなく、世界人類の財産となる。
検証結果がいまから待ち遠しい。
大いに期待する。
委員長は、「失敗学」で有名な畑村洋太郎東大名誉教授だ。
これは大いに期待できそう。
今回の原発事故は、いまでも情報が混乱しており、いったい何が起きていたのか、現場では何をしたのかさえよくわからない。
まして、なぜこれほど事態を悪化させることになったのかについては、まったくわからないのが実情だ。
断片的に関係者の言動が報道で流れるが、いずれも自分の言い訳ばかりしているような情報ばかりだ。
ここは、利害関係のない第三者に冷静な分析を期待するしかない。
畑村委員長は、「責任追及を目的としない」と言っている。
大賛成だ。
とかく原因究明は、「誰が悪かったのか」という犯人探しになりがちだ。
そうすると途端に関係者は自己保身を最優先に考えるようになり、本当の情報が出てこなくなる。
調査した結果は、誰も間違っていなかったのに失敗したという不思議な結論になる。
そして「みんな最善を尽くしたが、運が悪かった」ということで事態は収束する。
これでは、失敗から何も学べず、同じ失敗を繰り返すことになる。
みんなが最善を尽くすのは当たり前だ。
悪意を持って手抜きをするような人がいるはずがない。
原因究明で、最善を尽くしたかどうかを調べても意味がないのだ。
最善を尽くしたのに失敗してしまったのはなぜか、ここがポイントだ。
今回の事故調査では、単なる技術的なミスというレベルでは捉えていないようだ。
「組織事故」という側面からも分析するという。
委員長は「100年後の検証にも耐えうる内容にしたい」と述べている。
今回の原発事故は世界中が注目している。
原因究明は、日本国民だけではなく、世界人類の財産となる。
検証結果がいまから待ち遠しい。
大いに期待する。
2011年05月25日
「地震シミュレーション訓練」実施:蒲郡YEG5月例会
蒲郡商工会議所青年部5月例会
「地震シミュレーション訓練〜その時、あなたは会社を守れますか〜」
24日、「地震シミュレーション訓練」を行なった。
蒲郡商工会議所青年部の例会。
今回は、蒲郡バージョンに作り替えての実施。
参加者は30名。
全員参加型の大いに盛り上がる例会となった。
東海地震発生からの1時間をリアルタイムで経験して、危急時における経営者の対応の重要性を実感していただくことが目的。
5人1組のグループを組み、会社幹部による緊急対策本部を構成する。
想定企業は、市内の精密部品加工の中小企業。
緊急地震速報の発令からシミュレーション開始。
シミュレーションが始まると、いろんな情報が続々と入ってくる。
ラジオの速報。
現場の状況、周辺の状況がメモ書きで差し込まれる。
市の消防局から災害速報メールが入る。
得られた情報から、状況を的確に把握し、何をすべきかを判断する。
シミュレーション終了後は、グループごとに検討内容を発表し、みんなで意見交換となる。
開始後は、インストラクターからの指示は一切ない。
すべて、グループ内で話し合って決める。
あらかじめ、どういう地震が起きて、どういう状況になるという説明もない。
すべて情報収集しながら、自分たちで状況を把握していく。
いったいどういう展開になるのかまったく分からないまま、刻々と状況が変化していく。
同時多発的に発生する課題に振り回されながら、解決策を検討して手を打っていく。
突然、緊急地震速報のアラームが鳴り始めたり、巨大地震で揺れる効果音が聞こえたり、ラジオの緊急放送が音声で流れたりして、その臨場感はすごい。
参加者は、緊張感の中で、怒涛の60分を体験することになる。

グループワークによる訓練なので、みんなとワイワイやりながらゲーム感覚で楽しめるのが特徴だ。
ラジオの緊急放送に息を殺して聞き入ったり、差し込まれるメモ情報に一喜一憂したり、意外な展開に騒然となったり。
今回も、大いに盛り上がった。
訓練終了後のグループ発表がまた楽しい。
グループによって、内容が違う。
まったく同じ条件のシミュレーションであるはずなのに、違う対応になったりして興味深い。
災害に対する取り組み姿勢によって対応が分かれるのだ。
状況がはっきりしないうちから、運任せで突っ走るグループ。
状況確認を優先させて、慎重にことを進めるグループ。
それぞれのグループの社長役の人のキャラクターがそのまま対応の仕方に現れるようだ。
時には、だれも思いつかないような大胆なアイデアが飛び出したりして、会場が湧く。
この地震シミュレーション訓練には、いろんな仕掛けが施してある。
何気ない情報に、いくつかの重大な課題が隠れているのだ。
目先の情報に振り回されていると、重要ポイントを見逃してしまう。
見逃したグループは、最後まで適切な対応ができないまま終わってしまうことになる。
この重要ポイントをうまく見つけて対応できたグループと、ほとんど気付かずに素通りしてしまったグループがあった。
当然、対応には格段の差が出る。
最後に、この訓練のポイントを説明して、種明かしとなる。
参加して楽しいだけではなく、訓練を通して、多くの気付きを得ることができる。
訓練後、参加者から多くの好評をいただいた。
社員の防災教育、BCP教育に効果的な訓練プログラムであることを実感した。
「地震シミュレーション訓練」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hiraki/BCPsimulation.html
「地震シミュレーション訓練〜その時、あなたは会社を守れますか〜」
24日、「地震シミュレーション訓練」を行なった。
蒲郡商工会議所青年部の例会。
今回は、蒲郡バージョンに作り替えての実施。
参加者は30名。
全員参加型の大いに盛り上がる例会となった。
東海地震発生からの1時間をリアルタイムで経験して、危急時における経営者の対応の重要性を実感していただくことが目的。
5人1組のグループを組み、会社幹部による緊急対策本部を構成する。
想定企業は、市内の精密部品加工の中小企業。
緊急地震速報の発令からシミュレーション開始。
シミュレーションが始まると、いろんな情報が続々と入ってくる。
ラジオの速報。
現場の状況、周辺の状況がメモ書きで差し込まれる。
市の消防局から災害速報メールが入る。
得られた情報から、状況を的確に把握し、何をすべきかを判断する。
シミュレーション終了後は、グループごとに検討内容を発表し、みんなで意見交換となる。
開始後は、インストラクターからの指示は一切ない。
すべて、グループ内で話し合って決める。
あらかじめ、どういう地震が起きて、どういう状況になるという説明もない。
すべて情報収集しながら、自分たちで状況を把握していく。
いったいどういう展開になるのかまったく分からないまま、刻々と状況が変化していく。
同時多発的に発生する課題に振り回されながら、解決策を検討して手を打っていく。
突然、緊急地震速報のアラームが鳴り始めたり、巨大地震で揺れる効果音が聞こえたり、ラジオの緊急放送が音声で流れたりして、その臨場感はすごい。
参加者は、緊張感の中で、怒涛の60分を体験することになる。
グループワークによる訓練なので、みんなとワイワイやりながらゲーム感覚で楽しめるのが特徴だ。
ラジオの緊急放送に息を殺して聞き入ったり、差し込まれるメモ情報に一喜一憂したり、意外な展開に騒然となったり。
今回も、大いに盛り上がった。
訓練終了後のグループ発表がまた楽しい。
グループによって、内容が違う。
まったく同じ条件のシミュレーションであるはずなのに、違う対応になったりして興味深い。
災害に対する取り組み姿勢によって対応が分かれるのだ。
状況がはっきりしないうちから、運任せで突っ走るグループ。
状況確認を優先させて、慎重にことを進めるグループ。
それぞれのグループの社長役の人のキャラクターがそのまま対応の仕方に現れるようだ。
時には、だれも思いつかないような大胆なアイデアが飛び出したりして、会場が湧く。
この地震シミュレーション訓練には、いろんな仕掛けが施してある。
何気ない情報に、いくつかの重大な課題が隠れているのだ。
目先の情報に振り回されていると、重要ポイントを見逃してしまう。
見逃したグループは、最後まで適切な対応ができないまま終わってしまうことになる。
この重要ポイントをうまく見つけて対応できたグループと、ほとんど気付かずに素通りしてしまったグループがあった。
当然、対応には格段の差が出る。
最後に、この訓練のポイントを説明して、種明かしとなる。
参加して楽しいだけではなく、訓練を通して、多くの気付きを得ることができる。
訓練後、参加者から多くの好評をいただいた。
社員の防災教育、BCP教育に効果的な訓練プログラムであることを実感した。
「地震シミュレーション訓練」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hiraki/BCPsimulation.html
2011年05月24日
低レベルの言い争い:国の安全は誰が考えているのか
低レベルの言い争いが続いている。
東京電力・福島第一原子力発電所事故で、事故翌日に海水注入を一時中断した問題。
政府は内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長が
「海水注入は再臨界の危険性がある」
と菅直人首相に語ったとのを受けて中断したと発表。
これに班目氏が「そんなことは言っていない」と反論。
班目氏が官邸に乗り込んで抗議をした結果、「再臨界の可能性がゼロではない」だったと発言内容を修正。
まったく、外から見ると何をやっているのか全く分からない。
班目氏も、総理も、政府関係者も、自分の責任逃れに汲々としているだけのように見える。
国の安全を守るという気概がどこにも感じられない。
班目氏は、「再臨界の危険があるから海水注入を停止せよなどというド素人の発言をするわけがなく、侮辱だ。末代までの名誉にかかわる」と憤慨していたという。
国民にとって、班目氏の名誉のことはどうでもいい。
班目家の末代のことなど、誰も心配していない。
「国の安全は誰が責任を持ち、コントロールしているのか」
これが一番心配なのだ。
ところで、余談。
「班目」と書いて「まだらめ」とは珍しい名字だ。
「まだら」は、普通、斑点の「斑」の字を使う。
「班」はグループの意味であり、まだらの意味も読みもない。
もしかしたら、「斑目」が正式であるはずが、明治期の戸籍創設の時の登録で、文字がすり替わってしまったのではないか。
明治維新で庶民にも名字が強制された。
新しく名字を作って役所に届け出ることになるが、この時に、いろんな混乱があった。
当時、漢字を正しく習った人はおらず、見よう見まねで漢字を表記し、届け出た。
このとき、間違った文字で届け出てしまう。
正しく届け出ても、役所の担当者が間違って書き写してしまう。
このため、間違った字形のまま登録されてしまうケースが多かった。
後から訂正の要望が相次いで、このことが窓口の混乱に拍車をかけた。
明治政府は、窓口の混乱を避けるために、一度登録した名字の変更はまかりならぬと通達した。
このことから、後で間違いに気づいても、訂正ができなくなった。
それで、いまでも、ときどき不思議な字形の名字を見るというわけだ。
たとえば、「土方」という名字。
「土」の右上に点が打ってある字形を使う人がいる。
これも、この混乱期の名残だ。
「島」という字は名字によくつかわれるが、これもいろんな字形がある。
「嶋」「嶌」
これも、この混乱期の名残。
「崎」という文字も、つくりの部分が違う字形の人がいて、ワープロで表記するときに苦労する。
非常に珍しい例がある。
「犬田」と書いて「おおた」と読む名字の人がいるらしい。
どうしてこうなったかは想像がつく。
「太田」で登録するつもりが、点の打ち場所を間違えたのだ。
東京電力・福島第一原子力発電所事故で、事故翌日に海水注入を一時中断した問題。
政府は内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長が
「海水注入は再臨界の危険性がある」
と菅直人首相に語ったとのを受けて中断したと発表。
これに班目氏が「そんなことは言っていない」と反論。
班目氏が官邸に乗り込んで抗議をした結果、「再臨界の可能性がゼロではない」だったと発言内容を修正。
まったく、外から見ると何をやっているのか全く分からない。
班目氏も、総理も、政府関係者も、自分の責任逃れに汲々としているだけのように見える。
国の安全を守るという気概がどこにも感じられない。
班目氏は、「再臨界の危険があるから海水注入を停止せよなどというド素人の発言をするわけがなく、侮辱だ。末代までの名誉にかかわる」と憤慨していたという。
国民にとって、班目氏の名誉のことはどうでもいい。
班目家の末代のことなど、誰も心配していない。
「国の安全は誰が責任を持ち、コントロールしているのか」
これが一番心配なのだ。
ところで、余談。
「班目」と書いて「まだらめ」とは珍しい名字だ。
「まだら」は、普通、斑点の「斑」の字を使う。
「班」はグループの意味であり、まだらの意味も読みもない。
もしかしたら、「斑目」が正式であるはずが、明治期の戸籍創設の時の登録で、文字がすり替わってしまったのではないか。
明治維新で庶民にも名字が強制された。
新しく名字を作って役所に届け出ることになるが、この時に、いろんな混乱があった。
当時、漢字を正しく習った人はおらず、見よう見まねで漢字を表記し、届け出た。
このとき、間違った文字で届け出てしまう。
正しく届け出ても、役所の担当者が間違って書き写してしまう。
このため、間違った字形のまま登録されてしまうケースが多かった。
後から訂正の要望が相次いで、このことが窓口の混乱に拍車をかけた。
明治政府は、窓口の混乱を避けるために、一度登録した名字の変更はまかりならぬと通達した。
このことから、後で間違いに気づいても、訂正ができなくなった。
それで、いまでも、ときどき不思議な字形の名字を見るというわけだ。
たとえば、「土方」という名字。
「土」の右上に点が打ってある字形を使う人がいる。
これも、この混乱期の名残だ。
「島」という字は名字によくつかわれるが、これもいろんな字形がある。
「嶋」「嶌」
これも、この混乱期の名残。
「崎」という文字も、つくりの部分が違う字形の人がいて、ワープロで表記するときに苦労する。
非常に珍しい例がある。
「犬田」と書いて「おおた」と読む名字の人がいるらしい。
どうしてこうなったかは想像がつく。
「太田」で登録するつもりが、点の打ち場所を間違えたのだ。
2011年05月21日
与謝野氏「神の仕業」:危機意識の鈍さ
与謝野馨経済財政担当相がこのところ表立った発言を続けている。
その中の一つ。20日の閣議後会見。
東京電力福島第1原発事故は「神様の仕業としか説明できない」と述べた。
どうしていきなり「神様」なんかが出てくるのかと思ったら、
今回の原発事故は、人知を超えた自然災害によるものであり、東電にすべての責任を負わせるのは不当だ、ということなのだそうだ。
もっと分かり易くいいかえると、「今回の原発事故の被害者は運が悪かったと諦めよ」と言っているのだ。
地震や津波で家を失った人は誰かに賠償責任を求めることはできない。
原発被害者もこれと同じ、ということだ。
これは、天災と人災の違いをうやむやにしようとしているように見える。
どうして与謝野氏がこれほど東電をかばおうとするのかよくわからない。
今回の原発事故は、まだ収束しておらず、その原因もよくわかっていない。
最近になって、事故初期のデータや写真が出てくるような状況で、事故の実態がよくわからないのだ。
そのような状態で、早々と天災であったと諦めることができるはずがない。
もっとうまく対応することができたのではないか。
もっと早期に収束させることができたのではないか。
そのような自問が常にあって当たり前だ。
「運が悪かった」で済ましてしまうことがなぜいけないのか。
それは、原因究明を放棄する姿勢だからだ。
事態をうやむやにして、とにかくことを納めてしまおうとする姿勢だからだ。
これでは、せっかくの教訓が次に生かせない。
次に同じ状況に陥った時、また「運が悪かった」で諦めるのか。
「想定外のことが起きた時は運が悪かったとして免責」
これでは、だれも厳しい危機対策をしようとしなくなるだろう。
簡単に対処できそうな範囲を想定して災害対策をするようになる。
こうして、想定外の事態がますます起きやすくなる。
つまり、運のせいにしてしまうと、次のリスクを高めてしまうことになるのである。
与謝野氏の発言は、危機意識の鈍さを感じさせる。
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ビジネスジョーク
「神様、ヨサノという男が、福島原発事故はあなたの仕業だと申しております」
「地震を起こしたのはわしだが、原発事故は知らんぞ」
「しかし、原発が地震でメルトダウンを起こしました」
「原発は地震が起きたら自動停止するんじゃないのか」
「でも、冷却装置が津波で壊れてしまったようです」
「だったら、すぐに海水を注ぎ込めばいいだけじゃないか。海水は近くにふんだんに用意しておいたぞ」
「廃炉にしたくないので、注水をためらっているうちに爆発しちゃったみたいです」
「やれやれ。そういうこともあろうかと思って、すぐにアメリカ軍を救援に向かわせたのだ」
「ところが、日本政府はその救援を断ったそうです」
「なに? それでもわしのせいだとぬかすか!」
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その中の一つ。20日の閣議後会見。
東京電力福島第1原発事故は「神様の仕業としか説明できない」と述べた。
どうしていきなり「神様」なんかが出てくるのかと思ったら、
今回の原発事故は、人知を超えた自然災害によるものであり、東電にすべての責任を負わせるのは不当だ、ということなのだそうだ。
もっと分かり易くいいかえると、「今回の原発事故の被害者は運が悪かったと諦めよ」と言っているのだ。
地震や津波で家を失った人は誰かに賠償責任を求めることはできない。
原発被害者もこれと同じ、ということだ。
これは、天災と人災の違いをうやむやにしようとしているように見える。
どうして与謝野氏がこれほど東電をかばおうとするのかよくわからない。
今回の原発事故は、まだ収束しておらず、その原因もよくわかっていない。
最近になって、事故初期のデータや写真が出てくるような状況で、事故の実態がよくわからないのだ。
そのような状態で、早々と天災であったと諦めることができるはずがない。
もっとうまく対応することができたのではないか。
もっと早期に収束させることができたのではないか。
そのような自問が常にあって当たり前だ。
「運が悪かった」で済ましてしまうことがなぜいけないのか。
それは、原因究明を放棄する姿勢だからだ。
事態をうやむやにして、とにかくことを納めてしまおうとする姿勢だからだ。
これでは、せっかくの教訓が次に生かせない。
次に同じ状況に陥った時、また「運が悪かった」で諦めるのか。
「想定外のことが起きた時は運が悪かったとして免責」
これでは、だれも厳しい危機対策をしようとしなくなるだろう。
簡単に対処できそうな範囲を想定して災害対策をするようになる。
こうして、想定外の事態がますます起きやすくなる。
つまり、運のせいにしてしまうと、次のリスクを高めてしまうことになるのである。
与謝野氏の発言は、危機意識の鈍さを感じさせる。
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ビジネスジョーク
「神様、ヨサノという男が、福島原発事故はあなたの仕業だと申しております」
「地震を起こしたのはわしだが、原発事故は知らんぞ」
「しかし、原発が地震でメルトダウンを起こしました」
「原発は地震が起きたら自動停止するんじゃないのか」
「でも、冷却装置が津波で壊れてしまったようです」
「だったら、すぐに海水を注ぎ込めばいいだけじゃないか。海水は近くにふんだんに用意しておいたぞ」
「廃炉にしたくないので、注水をためらっているうちに爆発しちゃったみたいです」
「やれやれ。そういうこともあろうかと思って、すぐにアメリカ軍を救援に向かわせたのだ」
「ところが、日本政府はその救援を断ったそうです」
「なに? それでもわしのせいだとぬかすか!」
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2011年05月17日
1〜3号機までメルトダウンしていた:誰が危機管理をしているのか
東京電力福島第一原子力発電所の2、3号機でも炉心溶融が起きていた。
原子炉圧力容器の底に燃料が崩れ落ちるメルトダウンである。
16日に東電が公表したデータで裏付けられた。
1号機では地震の翌日にはメルトダウンが起きていたという情報が最近になって出てきたが、結局2号機も3号機もメルトダウンが起きていたのだ。
当初は、政府、保安院、東電それぞれが記者会見を開き、バラバラの情報発信で混乱を極めていた。
政府は、パニックを恐れ「直ちに健康に害が及ぶ事態ではない」を繰り返すばかり。
保安院は、他人事のような顔をして専門的な説明をするばかり。
東電は、既に当事者能力を失い、「申し訳ございません」と頭を下げるばかり。
いったい誰が総責任者として危機管理をしているのか分からない。
なぜ、実態を的確に把握し、情報発信できなかったのか。
実態を掴んでいたが、騒ぎを恐れ、意図的に隠したのか。
それとも、最悪の事態を予見できたが、希望的観測にすがり、現実から目をそむけていたのか。
それとも、情報が交錯し、本当に何が起きているか分からなかったのか。
今の段階ではよくわからない。
いずれの場合でも問題は大きい。
今回の原発事故は、どうしてこれほどまでに問題が拡大し長期化したのか。
この検証はきっちり行なわれなければならないだろう。
原子炉圧力容器の底に燃料が崩れ落ちるメルトダウンである。
16日に東電が公表したデータで裏付けられた。
1号機では地震の翌日にはメルトダウンが起きていたという情報が最近になって出てきたが、結局2号機も3号機もメルトダウンが起きていたのだ。
当初は、政府、保安院、東電それぞれが記者会見を開き、バラバラの情報発信で混乱を極めていた。
政府は、パニックを恐れ「直ちに健康に害が及ぶ事態ではない」を繰り返すばかり。
保安院は、他人事のような顔をして専門的な説明をするばかり。
東電は、既に当事者能力を失い、「申し訳ございません」と頭を下げるばかり。
いったい誰が総責任者として危機管理をしているのか分からない。
なぜ、実態を的確に把握し、情報発信できなかったのか。
実態を掴んでいたが、騒ぎを恐れ、意図的に隠したのか。
それとも、最悪の事態を予見できたが、希望的観測にすがり、現実から目をそむけていたのか。
それとも、情報が交錯し、本当に何が起きているか分からなかったのか。
今の段階ではよくわからない。
いずれの場合でも問題は大きい。
今回の原発事故は、どうしてこれほどまでに問題が拡大し長期化したのか。
この検証はきっちり行なわれなければならないだろう。









