2017年10月15日

希望の党の人気凋落の原因は「排除します」ではない

 衆院選の真っただ中、序盤における情勢分析が各メディアから出ている。
 その内容を見ると、いずれも「与党優勢、希望伸び悩み」との結論となっている。
 一時は、台風の目となりそうとの観測もあった「希望の党」、途中で潮目が変わり、完全に風は凪いでしまったようだ。
 では、いつ潮目が変わったのか。
 メディアでは、代表の小池氏の「排除します」という発言をきっかけに民心が離れたと分析している人が多い。

 民進党が事実上解党し、全員が希望の党の公認候補として立候補するとの報道があり、そのことに対する小池氏の発言として飛び出した「排除します」という言葉。
 「民進党議員を全員受け入れるということはなく、希望の党と方向性の違う人は排除する」という意味であるのは明らかだ。
 民進党議員を全員受け入れていたら、希望の党は旧民進党の看板を掛け変えただけの政党になってしまい、新党の意味がない。
 そんなことができるはずもなく、そこには当然選別が行われなくてはいけない。
 その当たり前のことを小池氏は答えたに過ぎない。
 だが、「排除」という言葉が。民進党議員の不興を買った。
 小池氏の高飛車な態度に反発し、希望の党への入党を拒否する人が出てきて、一部の人たちが無所属での立候補を決めたり、立憲民主党という新党を立ち上げたりした。
 このあたりから、希望の党の人気が下がり始めたようだ。

 希望の党の人気凋落のタイミングとしては、「排除します」発言あたりからというのは間違いなさそうだ。
 しかし、「排除します」発言が民心が離れた原因であったと見るのは違うだろう。
 確かに、「排除」という言葉は強烈で、高飛車なイメージがある。
 だが、この強烈なメッセージで世論を味方につけるのは小池氏の真骨頂だ。
 過去の強烈メッセージは人気獲得に成功したが、今回だけは失敗したというのでは筋が通らない。
 この排除という言葉に反発したのは、元民進党議員だけだ。
 国民は、小池氏に排除されようとしているわけでもなく、この言葉に反発を覚えるはずがない。

 人気凋落の本当の原因は、小池氏の「排除します」発言にあるのではなく、「排除しますと言いながら、排除しきれなかったこと」にあるのではないだろうか。
 つまり、民進党のイメージが定着してしまっているような有名な議員は排除したが、それ以外の民進党議員の多くを受け入れてしまったことが、国民の不信感につながったのではないか。
 安保法案に反対し、議場でプラカードを掲げて審議妨害をし、強行採決の映像を撮らせていた元民進党議員たち。
 同じ人たちがこぞって従来の主張をひっくり返し、希望の党に鞍替えしているのだ。
 希望の党からの立候補者のうち、ほとんどが元民進党議員か元民進党候補予定者で構成されることとなった。 排除しますと言いながら、候補者数を確保するために、なし崩し的に受け入れてしまったという感じが否めない。
 これでは、民進党の亜流ができただけで、何も新しくない。
 最近は、小池氏も「安倍一強をなんとしても終わらせる」「モリだ、カケだ、忖度だ」と言い始め、愕然とした。
 これは、元民進党の言っていたことと同じだからだ。
 いろんな人を党内に抱え込んでしまったために、「反安倍」でしかまとまれなくなっているように見える。
 政策提言ができず、「反安倍」でしかまとまれないというのは、旧民進党の欠点だった。
 希望の党は、その欠点をそのまま引き継いでしまっているのではないか。
 
 希望の党の凋落は、「排除します」が原因ではない。
 排除しますと言いながら、排除しきれなかったことが原因だ。


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2017年09月24日

麻生氏の武装難民射殺発言:曲解による反発がひどい

 また、麻生太郎副総理の発言が注目されている。
 23日の宇都宮市での講演。
 北朝鮮有事に関して武装難民が上陸してくる可能性に触れ、「警察で対応できるか。自衛隊、防衛出動か。じゃあ射殺か。真剣に考えた方がいい」と発言した。
 この発言に対して、曲解に基づく過剰反応が起きている。

 真っ先に飛びついたのは朝日新聞。
 ウェブ上のニュースサイトでは『麻生副総理「警察か防衛出動か射殺か」 北朝鮮難民対策』というタイトルを付け速報した。
 「北朝鮮難民」という言葉を使って、まるで麻生氏が「北朝鮮からの難民を射殺せよ」と言っているかのような見出しになっている。
 その後、読者から問い合わせや抗議の声が殺到したらしい。
 数時間後には、「武装難民対策」という正しい言葉に修正された。
 
 この朝日新聞の速報は、ネット上で拡散した。
 まもなく、「難民」「射殺」という単語に脊髄反射したような言論がネット上で散見されるようになった。
 いずれも、「麻生氏が難民を射殺せよと発言した」という前提の批判だ。
 だが、これらの批判は、曲解であることは明らかだ。
 麻生氏は、「一般の難民を射殺せよ」とは言っていない。
 もっと厳密に言えば、「武装難民を射殺せよ」とも言っていない。
 「北朝鮮の体制が崩壊した時、難民が押し寄せてくる。その中に、難民を偽装した武装集団が紛れ込んでいたらどうするのか」という問題提起をしているに過ぎない。
 これは、文脈をよく確認すれば、すぐに分かること。
 この問題提起は、現実に起こり得ることであり、安全保障上、極めて対応が難しくかつ重要だ。

 麻生氏の発言に反発しているサヨクメディアやサヨク言論人は、現実を直視せず、単に観念的な言葉に反応しているだけであるのは明らか。
 彼らに共通するのは、勢いよく批判はするが、ならば実際にどうすべきなのかについては何も考えがないこと。
 麻生氏の「武装集団が難民に偽装して上陸してきたらどうするのか」という問題提起に何も答えることができていない。
 今回の麻生氏の発言に驚くとしたら、こんな大事な話が、まだ何も話し合われていなかったことに対してではないのか。
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2017年09月07日

優性を顕性に:専門用語の言い換え

 朝日新聞の報道による。
 「優性遺伝」「劣性遺伝」という言葉が使われなくなりそうだ。
 誤解や偏見につながりかねなかったり、分かりにくかったりする用語を、日本遺伝学会が改訂。
 用語集としてまとめ、今月中旬、一般向けに発行する。

 遺伝学の訳語として使われてきた「優性」「劣性」という言葉。
「優性」は「顕性」「劣性」は「潜性」と言い換えることになる。
 もともと「優性」「劣性」は、遺伝子の特徴の現れやすさを示すにすぎないが、優れている、劣っているという語感があり、誤解されやすいためだ。
 
 他にも、「バリエーション」の訳語の一つだった「変異」は「多様性」に変更される。
 遺伝情報の多様性が一人一人違う特徴となるという基本的な考え方が伝わるようにするのが目的。
 色の見え方は人によって多様だという認識から「色覚異常」や「色盲」は「色覚多様性」となるらしい。

 中学校で習う遺伝法則。
 優性遺伝、劣性遺伝という言葉は、その概念をイメージしやすく分かりやすい専門用語だった。
 だが、分かりやすいというのは、一方では、誤解しやすいという側面があり、その弊害を除去しようというのが今回の提案なのだろう。
 「けんせい」「せんせい」では、耳で聞いただけでは文字を想起しにくく、非常に分かりにくい。
 この分かりにくいというのがポイントだ。
 ストレートに分からないようにイメージをぼかすことで、感覚的に誤解してしまう恐れを排除している。
 
 一般に使われるようになった専門用語が、後に別の表現に変更される例は多い。
 「精神分裂病」は、いまでは「統合失調症」と言い換えられた。
「禁治産者」は、「成年被後見人」と言い換えられた。
 「色盲」という言葉は、「色覚異常」と言い換えられてきたが、それでも誤解の可能性ありということで、今回、「色覚多様性」への変更が提案されている。
 言葉にまとわりついている価値判断を伴うイメージを、極力そぎ落とそうという工夫の跡が見える。
 
 ビジネス用語では「差別化」という言葉がある。
 他社との違いをはっきりさせ、競争優位を獲得しようとするときに使われる言葉だ。
 だが、この言葉も消滅の危機に瀕したことがあった。
 「差別」という言葉に敏感に反応してしまう人がいるのだ。
 それで、一時、「差別化」を「差異化」に言い換えようという動きが見られた。
 一部の経済紙は、この言い換えに積極的だった。
 ところが、この言い換えは定着することがなかった。

 「差別化」という言葉は、定義のはっきりした学術用語ではないこと。
 「差別化」を使う場面で、人種差別のようないわゆる「差別」を意識させる使い方をする人が存在しないこと。
 「差異化」という言葉を使い始めたことで、「差別化」とは別の概念を持つビジネス用語が登場したと誤解する人が増えたこと。
 コンサルの中には、「差異化」と「差別化」の意味の違いを無理に定義づけして、教えを垂れようとする人まで出てくる始末だった。
 これらの理由で、「差異化」への変更はうまくいかなかった。
 「差別化」への攻撃は、単なる言葉狩りということが誰の目にも明らかだったということだろう。




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2017年08月26日

映画「関ケ原」鑑賞雑感

 映画「関ケ原」を鑑賞。
 その雑感。ネタバレを含む。
 期待が大きすぎたせいか、がっかり感が強い。
 司馬遼太郎の「関ケ原」を映画化するという話を知った時、いやな予感がしていた。
 原作は上中下に分かれた長編歴史小説。
 原作の世界観をそのまま2時間余りの映画にまとめるのは不可能だ。
 当然、端折った内容にならざるを得ない。
 細かいエピソードは省略されるだろうが、主要な場面はじっくり映像化されるものと思っていた。
 だが、有名な場面は、この映画ではことごとく端折られていた。
 三成と大谷の友情、直江状、内府違いの条々、小山評定、伏見城の戦い、上田城の攻防、宰相殿の空弁当、島津の敵中突破、などなど。
 個別エピソードが省略されていただけではない。
 主要テーマの、なぜ家康と三成が戦うことになったのか、というところから意味が分からない。
 いつの間にか敵対し、全国の武将が2軍に分かれて衝突することになってしまっている。
 全国の武将が、東西に分かれていく過程にダイナミックなストーリーが展開するのだが、それらはまったく描かれない。
 忠臣蔵の映画で、上野介の嫌がらせや松の廊下の場面が省略されているような感じだ。
 
 同じく司馬遼太郎の「関ケ原」を原作にしたTBSのドラマはいまでも評価が高い。
 こちらは、原作に忠実に映像化している。
 これを意識しすぎたために、まったく違う作品を作ろうとして、このような映画になったような気がする。
 TBSドラマでじっくり描かれた場面は省略し、ドラマで省略された場面を重点的に取り上げたのではないか。
 それで、関ケ原の名場面が少しも出てこない映画作品となったのかもしれない。
  
 戦闘場面はいままでにない迫力があった。
 関ケ原らしい地形を感じさせる場所での撮影は、リアリティがあった。
 特に、狭い小道に大群が流れ込んで、過密状態の中で両軍がぶつかり合う姿は、いままで見たことがない光景だった。
 関ケ原での戦いは、まさにこの通りだったのだろうと思わせる。
 
 だが、戦闘開始してからの戦況の揺れ動きがまったく描かれない。
 ひたすらいろんな部隊がぶつかり合っているだけで、どことどこが戦っているのかまったく分からない。
 どちら側が優勢で、どちらが追い込まれているのかも分からない。
 本当なら、この戦闘シーンが映画のクライマックスで、手に汗握る場面にならなければならないのに、その緊迫感がないのだ。
 
 ロケ地はいろんなところで行なわれたようだ。
 歴史的建造物を舞台に撮影が行われていて、映像に独特の風格を与えている。
 伏見城などCGによる映像も見どころだ。
 
 秀吉の名古屋弁もすばらしい。
 百姓出身の秀吉らしい言葉遣いと話し方。
 今まで見た映像作品の中で、もっとも秀吉らしいと感じた。

 家康は、いままでの映像作品の中では、もっともイメージから遠い。
 策略家の狸おやじのイメージがない。
 別所は家康というより、武田信玄か前田利家のイメージだ。
 別所が演じた過去の作品イメージがよみがえってくる場面があり、興ざめ。
 家康の肥満体を表現するために、ふんどし姿にして無理やり太鼓腹を見せていたのが違和感。
 
 岡田の三成もイメージからは遠い。
 岡田の演技の幅が狭いせいか、官兵衛や永遠のゼロのイメージがよみがえってしまう。
 
 小早川の裏切りの場面は、原作を改変している。
 本人は三成に味方するつもりだったのに、部下の突き上げで心ならずも家康側に寝返ることになってしまったという設定になっている。
 家康による問鉄砲の場面もない。
 最近の歴史研究の成果を反映させているのか。
 
 TBS「関ケ原」、NHK「葵徳川三代」と比較しながら、楽しむには興味深い作品か。

posted by 平野喜久 at 22:34| 愛知 ☁| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

新人研修で精神疾患:ゼリア新薬

 読売新聞の報道による。
 ゼリア新薬工業の新入社員だった男性が、新人研修から帰宅途中で自殺。
 社員研修で人格を否定されるなどして精神疾患を発症したためだとして遺族が同社と研修会社を訴えた。
 1億5千万円の損害賠償を求めている。
 ゼリア新薬から研修を受託していたのは、「ビジネスグランドワークス」。
 
 男性は2013年4月10日〜12日に研修を受けた。
 この研修は、「意識行動変革研修」と呼ばれていたという。
 その中で、吃音を指摘されたり、過去のいじめを告白するよう強要されたりしたらしい。
 その後も、社内の研修が長期間に及び、5月18日、異常行動が見られたとして帰宅を命じられ、その帰宅途中で自殺。
 中央労基署は、研修による心理的負担で精神疾患を発症したと認定し、労災認定している。

 このニュースで驚いたのは、いまだにこの手の乱暴な社員研修を行なっているところがあることだ。
 一時は、「地獄の特訓」と銘打って、過酷な研修を請け負う業者が目立っていたこともある。
 また、そのような過酷な研修を社員の通過儀礼と位置づけ、「それを無事に乗り越えてこそ、我が社の一員」と堂々と表明している会社もあった。
 この手の研修は、「敬語の使い方」とか「電話の受け答え」など社会人としての基礎知識を習得するのが目的ではない。
 学生気分を払拭し、社会人としての厳しい心構えを身に着けさせることに重点が置かれている。
 だが、そのやり方は乱暴なもので、勝手な手法で行なわれているのが実態。
 心構えを叩き直すところに主眼があるので、場合によっては、人格にまで影響を及ぼすような研修になる。
 それも、短期間のうちに成果を出そうとするために、かなり危なっかしい強引なやり方になる。
 問題となった研修会社がどんなやり方をしていたのかは不明。

 ただ、よくある研修パターンは決まっている。
 まずは、いままでの自分を捨てさせる。
 自分を捨てるということは、自信も誇りも捨てさせるということだ。
 斜に構えて冷めた目で研修に臨んでいる参加者は、集中的にマークされる。
 はじめは反抗的な態度を取っていた者も、観念し、従順になる。
 研修会場では、完全に講師という独裁者と受講者という奴隷の関係が築かれる。
 そして、過去の自分のダメなところをみんなの前で徹底的に吐き出させる。
 自己反省が足りない場合は、執拗に責めたてられる。
 取り繕おうとしたり、弁解しようとすると、容赦ない暴言が飛んでくる。
 ここで、たいていの人は、自尊心がボロボロになる。
 そして、過去の自分が崩壊し、そのまっさらな地面に新しい人格を立ち上げていく。
 次に、どのような人間になるのかをみんなの前で誓わされる。
 中途半端な目標を掲げると、吊し上げを食らう。
 何度もダメ出しを食らいながら、涙ながらに必死で訴え、ようやく認められる。
 中には、研修の最後に達成感から感動の涙にむせぶ人もいるそうだ。
 入社式の時にぼーっとしていた新入社員が、研修翌日に出社した時、「おはようございます!」のあいさつから見違えるような変化を見せるのだという。

 ただ、この手の乱暴な研修は、参加者の人格にまで手を出すために、非常に危なっかしい。
 研修途中で脱落者が出るのはよくある話。
 脱落者と言えば、参加者に根性がなくて投げ出したという印象だが、中には、挙動不審に陥ったり、精神錯乱を起こして研修を続けられなくなったりという事例も含む。
 心理カウンセラーや、精神科医との連携など、万が一の時のケア体制ができていない。
 研修会社の勝手な理論でプログラムが組まれ、実施されている。
 ハードな研修が、精神や人格に及ぼす影響など慎重に検証されているとは思えない。
 研修講師の勝手な経験則で実施しているだけだろう。
 ちょうど、資格も知識もない人が、スポーツのトレーニング指導をしているようなものだ。
 勝手な経験則でハードなトレーニングをすると、運動理論や生命科学に反するようなことが平気で行なわれ、取り返しのつかない障害を負わせてしまうことがある。
 意識改革系の研修も同じだ。
 いつ事故が起きても不思議ではないし、問題が起きたときに適切な対処ができない危険も大きい。

 ところで、このようなハードな意識改革研修は、なぜいまだに行われているのか。
 それは、それなりに効果があるからだ。
 受講者の意識と行動に明らかな変化が起きる。
 いままで、ボソボソとしか話さなかった人が、突然、ハキハキと話すようになる。
 行動の鈍かった人が、てきぱき動くようになる。
 はたから見てもこの変化は劇的だが、本人自身が、生まれ変わったかのような感覚を実感する。
 これが、このハード研修の醍醐味だろう。
 ただし、短時間に変化した意識は、短時間で元に戻る。
 こうして、次第に普通の一般社員の中に溶け込んでいく。
 研修に実質的な意味があるのかどうかは、よくわからない。
 こんな研修を受けなかったとしても、職場で経験を積むうちに自然と社会人の心構えができていくものだ。

 つらい研修経験は、いつの間にか、過去の苦い思い出になる。
 この苦い思い出がただの笑い話で終わればいいが、いつまでも心の傷として残ったり、精神疾患にまで至ってしまうことがある。
 このリスクに気づくべき時だろう。



 
 
 

 
 
 
 
 
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2017年08月07日

モリカケ問題は一旦棚上げにしよう

 この半年間、国会はモリカケ問題一色だった印象が強い。
 モリカケ一色だったのは国会だけではない。
 マスコミ報道もモリカケ一色だった。
 その結果、国民の関心までモリカケ一色になってしまった。
 マスコミの報道が過熱するにつれて内閣支持率は急落。
 内閣改造をきっかけに支持率はやや持ち直した。
 これは、マスコミ報道がモリカケから離れて閣僚人事に集中したからだ。
 マスコミの報道内容によって内閣支持率が上下するのがはっきりわかる現象だ。

 不自然なのは、マスコミが報道し、その同じマスコミが世論調査をしていること。
 世論はマスコミ報道に影響されると考えると、これはおかしい。
 マスコミが自分で仕掛けた結果を自分で確認しているようなものだからだ。
 中には、自社の報道姿勢に沿う結果を出したいために、誘導尋問のような質問設定をしている世論調査もある。
 これでは、世論調査というより、客観的な調査を装って、さらに世論誘導をしているようなものだ。
 ここにきて、各社の世論調査の内閣支持率の数字がばらつき始めている。
 内閣改造後の内閣支持率は、30%台でほとんど横ばいのところから10ポイントも上昇して50%近くまで達したところまで、さまざま。
 これなど、客観的な世論調査が行われたというより、各社の思わくで数字はいかようにも作れることの現れだ。
 世論調査は、マスコミから独立した機関が行うべきだろう。
 
 国会論議やマスコミ報道がモリカケ一色になってしまった時間と労力のロスは大きい。
 このロスは、国会やマスコミのロスではない。
 国民のロスだ。
 国民が関心を向ける容量は限られている。
 その容量すべてがモリカケで埋められてしまった感がある。
 このおかげで、アベノミクスの論議はどこかに行ってしまった。
 北のミサイルの脅威は現実のものとして迫っているが、国民の関心は薄れてしまっている。

 閉会中審査まで行なって野党側が追及しても、決定的な結果は何も出てこない。
 野党は既に追及する材料を失っているが、すっきりした結果が出ないことを「さらに疑惑は深まった」と言い変えている。
 むしろ、すっきりと決着がついてしまわないように、わざと細かいややこしい質問をして混乱を引き延ばしているように見える。
 マスコミ報道も、客観的な報道とは程遠い。
 国会への参考人として、前川氏と一緒に、元愛媛県知事の加戸氏も招かれて質問に答えていたが、マスコミ報道では、加戸氏については存在しなかったかのような扱いだ。
 加戸氏の発言を聞くと、安倍総理が不当に介入して加計学園に便宜を働いたという印象は、いっぺんに吹き飛んでしまう。
 前川氏と加戸氏の発言を同等に扱うと、国民の印象は一気に変わってしまう恐れがあるので、わざと隠しているように見える。
 マスコミにも言い分がある。
 前川氏と加戸氏の発言は同等に扱うべき性質のものではない。
 むしろ、加戸氏の発言を大きくとりあげることで、問題の本質が見えづらくなる恐れがある。
 だから、両者の扱いが違うのだ、と。
 だが、これは国民をあまりにも馬鹿にした姿勢だ。
 何が問題の本質で、何が重要かは、国民が判断すべきもので、マスコミが勝手に判断して、その結果だけを国民に伝えようとするのは、驕りというものだ。
 マスコミの使命は政権のチェック機能にあるという前に、まずは事実をありのままに国民に伝えることにあるべきだ。

 一旦、モリカケ問題は棚上げにしよう。
 そして、国会では政策論議をしてもらいたい。
 
 
 
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2017年08月03日

偽ニュース拡散実験:不思議な研究

 読売新聞の記事による。
 ドイツの研究者がフェイスブックに架空の情報を載せて、フェイクニュースが拡散する実験調査をしたという。
 その研究者は、シュツットガルトのホーエンハイム大学に所属。
 行なった実験とは次のようなもの。
 報道機関を装った4つのページを開設。
 「バート・オイレンでは難民申請者が町の予算で性的サービスを受けられる」という偽ニュースを流した。
 偽ニュースは、公開から4日で約1万1000人が閲覧。
 閲覧者が自分のページに取り込みシェアした回数は150回を超えた。
 偽ニュースのコメント欄には様々な書き込みが行われた。
 ニュースを信じ込み、難民に対する反感を募らせるもの。
 「バート・オイレン」という地名が存在しないなど、偽ニュースであることを見抜いたもの。
 調査は1か月続けられた後、調査のための架空の情報だったことが明かされた。
 この研究の結論は、「偽ニュースは大きな反響を生み出した。多くの人はフェイスブックの友人などを通じて知らされる情報をうのみにしており、審議の判断は極めて難しい」となったらしい。

 このニュースの注目点は、フェイクニュースの社会的影響度についてではない。
 こんな研究実験が堂々と行われたという点だ。
 日本では、こんな研究は、事前の倫理審査の段階ではねられる。
 無理に実施したとしても、故意に偽ニュースを流した行為そのものが猛烈な批判を浴びる。
 しかも、偽ニュースは、人種差別的偏見を刺激するような内容になっている。
 この偽ニュースの中の「難民」の部分を「在日外国人」に置き換えたらどうなるかを考えれば、その問題の大きさが分かる。
 たとえ研究のための実験だとしても、わざとこのような偽ニュースを流して、社会的影響を及ぼそうという行為そのものが反社会的行為として、避難されるだろう。

 ところが、ドイツでは、故意に偽ニュースを流した調査手法に対する批判は起きていないのだという。
 偽ニュースの内容は、難民への反感を煽るような内容であり、反応が拡散しやすい刺激的な内容を敢えて選んでいる。
 これでは、偽ニュースの社会的影響を研究した実験というより、国民の難民への偏見を確認した実験にしかなっていない。
 さらに、偽ニュースの社会に及ぼす影響は、過去に実例が山ほどあり、その実態を調べれば十分で、わざわざ同じような実験を行う必要性は低い。
 「偽ニュースは大きな反響を生み出した」という結論は、こんな実験をするまでもなく、誰もが知っていることで、ここに新しい知見はない。
 もしかしたら、これは研究というほどのものではないのかもしれない。
 無名の研究者が、悪ふざけでこんな遊びをしてみました、という程度ではないか。
 思いのほか反響があったので、それを社会的な実験という名目で結果を公表したように見える。
 
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2017年07月20日

蓮舫氏の国籍記者会見:マスコミの甘やかしが民進党弱体化の原因

 18日、民進党党首の蓮舫氏が記者会見を開き、自身の国籍問題について説明をした。
 与党批判では舌鋒鋭く追及することを得意とする彼女らしからぬ生ぬるい会見だった。
 会見の内容については、目新しい情報は何もない。
 戸籍を開示するのしないのと大騒ぎだったが、去年の10月に国籍選択が行われたことが確認されただけだで、そんなことはみんな知っていたことだ。
 会見のポイントは、3つ。
1.現在は日本国籍単独であること。
2.去年10月までは二重国籍だったが、自分は18歳以降ずっと日本国籍単独と思っていた。
3.国籍公開は差別主義・排外主義に通じるもので、あってはならない。

 国民の聞きたいことに答えていない。
 一番のポイントは、二重国籍のまま立候補し政治家になっており、選挙公報の経歴に「帰化」とあるのは経歴詐称に当たるのではないかとの疑いが指摘されているのだ。
 ところが、自分はずっと日本国籍単独と思っており、結果として二重国籍だったとしても、故意ではない、ということで免責である、との主張だ。
 与党批判に厳しい蓮舫氏にしては、自分自身には信じられないほど「甘い」と言わざるを得ない。
 過去のマスコミインタビューでは、自分自身が二重国籍であったり、台湾籍であったり、中国籍であったりと、堂々と答えている。
 多国籍であることをアピールして、国際人であるかのようなキャラを売りにしていたのだ。
 ところが、記者会見でこのことを指摘された蓮舫氏は、「浅はかだった」と簡単に返した。
 つまり、自分は日本国籍単独であると思っていたが、キャラ立てのためにあえてあのような物言いをしていたのだという。
 去年は、過去のインタビュー内容は、「雑誌社の編集間違い」と言っていた。
 それが、いまや、過去インタビューは自分自身がわざとついた嘘だったと堂々と言っているのだ。

 ところが、去年まで二重国籍だったことが明確になったことから、結果として過去のインタビュー発言は正しかったことになる。
 普通に考えれば、国際人タレントとして売るためには、多重国籍の方がキャラ立てしやすいので、敢えてそれを放置し利用していた、と解釈できる。
 となると、嘘を言っているのは過去インタビューではなく、いまの記者会見ではないのか。
 
 過去インタビューでは、「中国籍」という言葉も出てくることから、台湾籍だけでなく、中国籍も含めた三重国籍だったのではないか、との憶測まで飛び出す始末だ。
 
 国籍公開は私で最後にしてもらいたい、とまるで自身が風評被害の被害者であるかのような物言いも気になる。
 風評の源は、すべて自分自身の発言に端を発している。
 安倍総理に対して、「ますます疑惑は深まった」「きっちり説明責任を果たせ」と迫っている蓮舫氏だが、同じ言葉がそのまま自身に跳ね返ってくる。

 実は、今回の記者会見で、いきなり代表辞任を発表するのではないかと思っていた。
 知りませんでしたで押し通すには無理があることは明らかなので、過ちを認め、謝罪し、その責任を取る形で、代表を辞任すると言えば、筋が通った。
 過去に二重国籍のまま3度の選挙に立候補していることから、公職選挙法違反の疑いも払拭できない。
 それを踏まえると、議員辞職まで踏み込めれば、最善の策だった。
 彼女の知名度なら、議員辞職したところで、次の衆院選で当選は間違いない。
 そうすれば、禊ぎと衆議院への鞍替えが同時にできて、申し分ないではないか。
 なぜ、党首にとどまってしまったのだろう。
 民進党は党勢回復のチャンスをみすみす失ったように見える。

 どうして民進党はここまで弱体化してしまったのか。
 それは、マスコミに甘やかされすぎたからだ。
 政権についていた時もマスコミには甘やかされていた。
 政権を失った後も、同じ。
 そのために、なぜ政権を失うことになったのかという厳しい反省が行われずに来てしまった。
 そのことが、党勢浮揚のきっかけを得られない元凶ではないだろうか。
 野党の中で、政権担当経験あり、というのは何物にもましてアドバンテージがあるはず。
 民進党議員の中には、元国務大臣がたくさんいる。
 このメリットがまったく生かせてない。
 
 蓮舫氏は代表になるときに、「政策提言のできる政党になる」と宣言した。
 この言葉に期待した。
 だが、やっていることは、共産党と共闘して安倍政権の足を引っ張ることだけ。
 マスコミもこれに同調する。
 マスコミ受けを狙ったら、「政策提言」よりも、「安倍やめろ」の方が手っ取り早い。
 それで、民進党は政権批判しかできない政党になってしまった。
 今回の二重国籍問題で、蓮舫氏がこの程度の記者会見で済まし、党首続投を宣言できるのも、マスコミの甘やかしによって、厳しく問われることもなく、このまま幕引きにしてくれることが分かっているからだ。
 マスコミは野党批判は与党を利することになるので、控えてしまう。
 だが、この甘やかしが野党をますます弱体化させ、結果として、政権交代不能にしてしまっていることに気づいているか。
 

 
 
 
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2017年07月15日

蓮舫代表の二重国籍問題:問題の根は深い

 民進党の蓮舫代表の国籍問題が再浮上している。
 都議選で自民党が歴史的な大敗を喫した。
 ところが、もう1つ大敗した政党があった。
 民進党だ。
 5議席と3分の1に激減。
 さらに、各メディアの世論調査では、自民党の支持率は急落しているが、同時に民進党の支持率も下落し続けているのだ。
 自民党のマイナスが民進党のプラスにつながっていない。
 このことに危機感を覚えた民進党議員から蓮舫代表に対する不満が噴出することとなったようだ。
 党内から「二重国籍問題が尾を引いている」との声が上がり、戸籍公開へと動き始めた。
 ところが、この戸籍公開についても、党内に異論がある。
 このことが、差別主義、排外主義の扇動に乗せられることになり、悪しき前例になることを恐れているらしい。
 蓮舫氏自身も記者会見で、次のように発言。
「特に我が国では、戸籍はすぐれて個人のプライバシーに属するものであり、これまで私も言ってきたが、積極的に、あるいは差別主義者・排外主義者の方に言われてそれを公開するようなことが絶対にあってはいけないと、今なお思っている」
 学者の中にも同調する者がある。
 「出自を明らかにしなければ、公的な言動ができなくなるのは恐ろしい全体主義だ」
 いつの間にか、問題の論点がずれてしまっている。
 18日に蓮舫氏は既に二重国籍が解消されていることを証明する証拠資料とともに説明をする予定だという。
 蓮舫氏の貴重な記者会見が、「差別主義、排外主義には屈しない」との意見表明の場で終わってしまったら、この問題は手が付けられなくなる。
 なぜなら、この問題の本質は、そこにはないからだ。

 この問題は、民進党の代表選の最中に出てきた。
 ある評論家が彼女の国籍に疑問を持ち、問題提起をしたことが発端。
 ネット上や週刊誌で取り上げられ、一部で話題になったものの、大手メディアを巻き込んでの大騒動にはならなかった。
 代表選の間にも記者から何度も質問を受けるが、常にあいまいな説明に終始した。
 途中から言っていることが変化しており、実際にどうなっているのか分からない状況だった。
 そのうち、ネット上では、彼女の過去のインタビュー記事などが発掘され、そこに、「台湾籍を持っている」「私は二重国籍なんです」という発言が次々と見つかり、自分自身、国籍の二重性を承知しており、むしろそれを売りにしていたことが分かってきた。
 代表選の終盤になって、ようやく台湾籍が残っていたことを認め、「台湾籍の除籍手続きを行ないましたので、これでこの問題は終了です」と勝手な幕引きをしてしまった。
 その後、投票が行われ、蓮舫氏が圧勝。
 民進党党首に選出された。
 ところが、その後、民進党の勢力は回復の兆しを見せることなく、むしろ最近は凋落の傾向を見せ始めたことから、党内で危機感が広がってきたといったところだろう。

 なぜ、彼女の国籍がこれほど問題になるのか。
 彼女の出自が問題なのではない。
 彼女の国籍がいままでかなりの異動があり、それがはっきりしないので、問題になっているのだ。

 問題の本質は、国会議員になった時、彼女の国籍はどうなっていたのかだ。
 その時、すでに日本国籍を取得済みで、同時に国籍選択も終わっており、さらに台湾籍の除籍も済んでいれば、何の問題も存在しない。
 だが、以下のケースで問題が生じる。

1.台湾籍の除籍手続きだけができていなかった
 日本国籍を取得し、国籍選択はできていても、それを台湾当局に連絡し、除籍申請をしなければ、台湾籍が残ってしまう。
 除籍申請したのが最近だとすると、その間、ずっと二重国籍のまま国会議員を務め、大臣までなっていたことになる。
 ただ、この場合は、日本国籍を持っているし、日本国籍を選択しているので、単に台湾籍除籍の手続きを怠けていた、という程度の話で終わってしまう。
 「うっかりしてました」ということで終わる。

2.国会議員立候補時点で、国籍選択ができていなかった
 このケースは問題がある。
 二重国籍のまま、どちらを選択するかの宣言が行われていないので、形式上、どちらの国籍でもないことになってしまう。
 彼女の選挙公報には、「85年に帰化」と明示してあったので、この経歴が嘘ということになる。

3.台湾籍の権利行使の事実が見つかった場合
 このケースが最悪の事態となる。
 日本国籍を取得したものの、国籍選択の意思表示をしなかったとしても、その後、台湾籍の権利行使を行なってしまうと、その時点で、台湾籍選択の意思表示をしたものとみなされ、自動的に日本国籍は消滅となる。
 この事実が判明した時点で、過去にさかのぼって、日本国籍の事実が取り消されることになる。
 この台湾籍の権利行使は国会議員以前でも同じ。
 この場合は、日本国籍を持たないものが国会議員になり、大臣職を務めていたということになり、国家レベルの一大事となる。
 過去に彼女が国務大臣としてかかわった公文書もすべて無効ということになってしまい、一議員の不祥事では済まなくなる。
 日本国籍取得後に、台湾パスポートを使ったとか、北京留学時に台湾人として優遇措置を受けていたとかいった事実が出てくると始末が悪い。

 
  
posted by 平野喜久 at 10:47| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

NHKのネット配信にブレーキ:総務大臣の見解

 朝日新聞の報道による。
 高市早苗総務相は7日、テレビ番組のネット同時配信が実現した場合、NHKがネットだけで視聴する世帯からも受信料を取ることについて「多岐にわたる問題がある」と述べ、否定的な見解を示した。
 受信料の対象を広げようとするNHKの姿勢には、民放からも異論が相次いでいる。

 NHK会長の諮問機関が、テレビ番組のインターネットでの「常時同時配信」を実施すべきだとする答申案をまとめた。
 これが発端だ。
 このネット同時配信の話は以前からあったが、それが本格的に動き出しそうな気配を見せ始めた。

 テレビ番組のネット配信。
 これだけなら、何の問題もないように見える。
 テレビだけでなく、ネットでも番組が見られるようになるのなら視聴者にとっても結構なこと。
 だが、受信料の話が絡んでくると、問題の本質が変わってくる。
 現在の受信料は、受信設備を設置した者にNHKとの契約の義務が課されている。
 受信設備とはテレビのこと。
 テレビを持たなければ契約の必要はない。
 ところが、最近、テレビを持たない世帯が出てきた。
 単身の学生などは、スマホがあれば、テレビがなくても困らない。
 それで、テレビがないことを理由に契約を拒否する世帯が増えてきた。
 それでもNHKは引き下がらない。
 スマホでワンセグが見られるなら受信契約の必要あり、と勝手な解釈で、契約を迫るようになってきた。
 これについては、裁判でも争われるようになり、最終決着がついていない。
 このスマホを受信設備と解釈するかどうかという微妙な判断が問われている。
 一般常識では、スマホをテレビと同じ放送受信設備とみなすのには無理がある。
 
 そこで、出てきたのが、放送のネット配信だ。
 ネット配信を受信できるのであれば、受信契約の義務あり、ということにすれば、不透明な部分はなくなる。
 すべての世帯から受信料を徴収できるというわけだ。

 ネット受信については、受信料を通常よりも安価に設定してはどうか、という意見も出たらしいが、「そんなことをすると、ネット受信に切り替えようとする者が続出するからだめだ」と反対意見が出たという。
 もうこうなると、誰のための受信制度なのか分からない。
 少しでも国民から搾り取らなければ損だ、といった感覚だ。
 競争の存在しない特異な収入体系に胡坐をかいてきた組織の醜悪な姿勢しか見えない。

 いままで、NHKの勝手な解釈には及び腰だった総務省だったが、さすがに今回は大臣から異論が出た。
 高市大臣は閣議後会見で「放送法上、放送と通信(ネット)は全く別の概念。受信料を求める法律上の位置づけはない」と指摘。
 NHKがテレビを持たない世帯からも受信料やそれに近い費用負担を得るため、ネット配信を受信料で行う「本来業務」の一部と位置づけようとしていることに釘を刺した。
 NHKの目的は、ネット配信によるサービスの充実にあるのではなく、受信料の更なる徴収のために、ネット配信を行なおうとしていることが見抜かれているのだ。
 さすがに、これでは国民の理解が得られない。

 フジ・メディア・ホールディングス(HD)の金光修専務は7日の定例会見で「放送法の枠外のサービスを(受信料で行う)業務と規定するのは議論がずれている」と批判。
 TBSHDの武田信二社長も5日の定例会見で「大変違和感がある」と述べた。

 NHKの受信制度については、不透明なところが多すぎる。
 いままでは、NHK側の勝手な解釈がまかり通り、国民が疑問に思っても抵抗する手段を持たなかった。
 放送法自体が時代に合わなくなっている。
 受信制度の見直しから、根本的に議論されるべきだ。

posted by 平野喜久 at 13:37| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月06日

「こんな人たち」は誰のことか:安倍総理の街頭演説

 都議選での安倍総理の街頭演説。
 その中の一言が物議を広げている。
 演説の中で、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という発言があり、これが問題だというのだ。
 なぜ、問題かというと、自分と意見の違う人たちを見下し、敵とみなして打ち負かそうとする姿勢がよろしくないというのだ。
 共産党の小池書記局長は記者会見で「民主主義の根本を否定するもので、言語道断だ」と批判。
 朝日新聞は、「多様な世論に耳を傾け、意見をまとめ上げる立場の最高権力者が、有権者を敵と味方に分けるかのような発言」と決めつけた。
 民進党の蓮舫代表は、「看過しがたい。訂正、謝罪を求めていく」と述べた。
 テレビのコメンテーターは、「国民を2分して対立をことさら煽るような姿勢は問題」と難癖をつけた。

 安倍総理の街頭演説を映像で見たが、彼の発言のどこに問題があるのかまったく分からない。
 発言の中にある「こんな人たち」というのは、有権者のことを言っているのでもないし、自分の主張に反対する人たちのことを言っているのでもない。
 それは、彼の演説を聞けばはっきりわかる。
 「こんな人たち」の前に、彼はこんな発言をしていた。

「皆さん、あのように、人の主張の、訴える場所に来て、演説を邪魔するような行為を私たち自民党は絶対にしません!」
 
 この時、秋葉原の演説会場には、大勢の人たちが集まっていたが、その中に、「安倍やめろ」という大幕を広げて、大声で騒いでいる連中がいた。
 騒ぎはどんどん大きくなっていき、安倍総理の演説をかき消さんばかりだった。
 それにたまりかねた安倍総理が、演説を邪魔する人々を軽蔑して、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言ったのだった。
 これは、彼の演説を聞いていれば、自然に理解できることだ。
 民主主義の根本を否定しようとしているのは、安倍総理ではなく、安倍総理の演説を大騒ぎで邪魔しようとする人たちの方ではないのか。

 ところが、安倍総理の「こんな人」というところだけ切り出し、問題発言化しようとした人がいる。
 それに乗っかって、批判の火の手を上げようとする人がいる。
 さらに風を送って大火災にまで広げようとする人がいる。
 とにかく、安倍総理のイメージダウンだけを狙ったような動きに嫌悪感を催す。
 
 安倍総理は、演説を邪魔する人たちを批判した後、こんなことも言っていた。
 「私たちはしっかりと政策を真面目に訴えていきたいんです!憎悪からは、何も生まれない。相手を誹謗中傷したって、皆さん、何も生まれないんです」
 ここに対立をことさら煽るような言動がどこにあるというのだろう。
 曲解もいいところだ。

 不思議なのは、その場にいて彼の演説をすべて聞いていたはずのマスコミまで、安倍総理の発言を一部だけ切り取り、同じ論調で批判していることだ。
 安倍総理の発言に、有権者を2分して敵対させるような意図はまったくないことは、その場にいた人たちなら分かっていたはず。
 分かっていながら、わざと誤解を拡散させるような報道を続けているように見える。
 事実を客観的に報道するという最低限の役割すら放棄している。



posted by 平野喜久 at 19:08| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月28日

稲田防衛大臣の軽率発言

 稲田防衛大臣の発言が問題になっている。
 27日、東京都板橋区で開かれた都議選の自民党候補の集会で、「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と発言したのだという。
 自衛隊法では、選挙権の行使を除く自衛隊員の政治的行為は制限されている。
 発言は自衛隊が組織的に特定の候補を応援すると受け取られかねない。
 稲田氏は発言の撤回は拒否していたが、批判の強さに、夜になって発言を撤回した。

 もちろん、現実に自衛隊が特定の候補者を応援するなんてことはありえない。
 稲田氏のリップサービスに過ぎないのは明らか。
 候補者を力強く応援する中で、自分の防衛大臣としての肩書を最大限利用したというところだろう。
 だが、のちにこのような批判を招くのは明らかで、あまりにも軽率だった。
 防衛大臣が特定の候補者の応援に出かけることだけでも正当性が危なっかしいのだから、そこでの発言は更に慎重であるべきだった。
 たぶん、稲田氏は候補者のことをよく知らなかったのだろう。
 語るべき情報が何もないとき、何を強調するかといったら、「防衛大臣がわざわざ応援に来た」ということだけ。
 そこを強調しすぎたあまり、問題発言となってしまった。

 稲田氏は弁護士出身。
 言葉の重要性には人一倍敏感のはずだが、どうしたことか。
 防衛大臣としての働きも、評価は芳しくない。
 次の内閣改造では、まず、交代となる。
 将来の女性首相との呼び声もあった彼女だったが、どうやらその目はなさそうだ。




 
 
posted by 平野喜久 at 09:53| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アマゾン流出版界翻弄

 本日付読売新聞の解説記事による。
 ネット書店の大手アマゾンが出版社との直接取引を拡大させる動きを見せているらしい。
 通常は、出版社の本を取次を通して仕入れている。
 一般の書店と同じだ。
 だが、取次に在庫がないと、取り寄せということになる。
 取り寄せも取次を通して発注するので、納期は8日から2週間かかる。
 ネット書店の注文は、翌日か、遅くても3日以内のお届けが普通だ。
 スピードが命のネットビジネスにおいて、取り寄せに2週間もかかっているようでは、話にならない。
 消費者の購買意欲もそがれる。
 そこで、バックオーダー発注については、取次を通さず、直接出版社から取り寄せることを検討し始めたという。
 こうすれば、出版社にとっても販売機会を逃さずに済むし、消費者にとっても読みたい本が読みたいときに手に入る。
 
 この動きに取次は警戒している。
 あきらかに取次の中抜きの動きだからだ。
 もともとネットビジネスは中間業者の排除に直結するものだった。
 それは出版業界でも同じ。
 いままでは、取次のパワーが強かったので、この構図に揺らぎはなかったが、ネット書店の台頭で、その力関係が揺らいできた。
 
 いま、出版物の販売額は97年をピークに一貫して減少している。
 書店の売上が減少しているためだが、一方で、ネット書店の売上だけは上昇傾向にある。
 といっても、ネット書店の売上は全体の10%も満たない。
 まだ、全体に影響を及ぼすほどの勢力にはなっていない。
 出版社としても、リアル書店を無視できないのだ。
 リアル書店に本を流すには、取次を通さなくてはならない。
 出版社としては、取次を中抜きするような行動を取りにくい。

 しかし、弱小出版社にとっては、取次を通さない直接取引にはメリットが多い。
 弱小出版社の出す本は、専門性が高く、対象読者が少ない。
 ネット書店でピンポイントで検索されて注文されるケースが多い。
 もともと、取次には重要視されておらず、リアル書店への配本も期待できない。
 ならば、Amazonと直接取引できた方がありがたい。
 しかも、直接取引なら、取次を介するよりも有利な条件で取引可能だ。
 すでに一部の出版社とは直接取引が始まっていて、全体の3割に上っているという。
 この傾向は今後、ますます強まっていくだろう。
 
 出版業界は、長期低落傾向に入っており、明らかに構造不況業種になった。
 出版不況という構造的な問題に加え、ネット書店の攻勢という新たな脅威にさらされている。
 この流れは、当面、変わらない。
 出版業界は、Amazonの積極攻勢に防戦一方で、先回りして先手を打つことができていないように見える。
 
 


 
posted by 平野喜久 at 09:30| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月25日

官邸の危機管理の失敗:森友加計問題

 森友学園問題に続いて、加計学園問題が持ち上がり、沈静化しそうにない。
 いろんな内部文書が次々に外部流出し、その内容が実に思わせぶりなものばかりなので、憶測が憶測を呼んでいる。
 総理の不正な働きかけがあったことを確信させる情報はいまだに見つかっていない。
 なのに、なぜ、これほどこの問題が尾を引いているのか。
 それは、ひとえに官邸が危機管理に失敗したことによる。
 安倍政権は、過去に1度政権運営に失敗している。
 その経験から、ここまでは非常に慎重でうまい政権運営を行なってきた。
 少々問題が起きたとしても、先手先手で手を打つことで、初期消火に成功していた。
 例えば、大臣の不祥事が発覚しても、マスコミや野党がが騒ぎ出す前に先手を打って更迭した。
 初動の迅速さとメディアコントロールのうまさが際立っていた。
 この危機管理のうまさが、安倍政権の長期化をもたらした源泉になっている。
 
 ところが、今回は違う。
 明らかに初動を間違えた。
 森友学園問題が持ち上がった時、官邸は「取るに足らぬ問題」と簡単にはねのけるつもりだった。
 これが、その後、大火事になるなんて思っていなかったのだ
 総理も高圧的で強気の国会答弁に終始し、「関与があったら国会議員を辞める」とまで言い切ってしまった。
 これが、初動の失敗その1だ。
 組織の不祥事が発覚した時に犯してしまいがちな間違いは、「強気ではねのけて事態を強制終了させようとすること」だ。
 これは、事態を収拾させるどころか、さらに騒動を大きくさせる効果しかない。
 過去、企業不祥事においても同じミスで騒ぎを大きくし、のちに進退窮まって最悪の事態を迎えたケースは多い。

 総理の「関与があったら」の発言は、野党やマスコミの追及を勢いづかせ、官邸は、その追及をいちいち否定し続けなければならなくなった。
 ここで、厳しい追及から逃げ続ける官邸の姿だけがイメージされることとなった。

 森友問題に手詰まり感が出てきたところで、どこかからか加計学園問題が急浮上した。
 どうして、この問題が浮上したのかは不明。
 ただ、官僚の側から、野党やマスコミに情報がリークされ続けているのは確かだ。
 民進党のある議員のもとにも内部文書がリークされ、その内部文書に基づいて国会質問が展開した。
 その内部文書には「総理のご意向」という文言が入っていた。
 官房長官は、「出どころもはっきりしない怪文書だ」と全否定で切り捨てた。
 これが、失敗その2.
 この文書の内容は特に総理の不正を確定させるような情報は何もなかった。
 むしろ、総理が主導権を握って官僚側に働きかけ、規制緩和を進めていることを証明する内容だった。
 だが、官房長官が慌てて全否定したことで、却ってここに不都合な内容が含まれているのではを勘ぐらせることになった。
 文科省内でも調査を行なった結果、文科大臣が「そのような文書は確認できなかった」と言ってしまった。
 これが、前川前事務次官の記者会見につながり「あったものをなかったことにはできない」との発言を引き出した。
 文科大臣は再調査に追い込まれ、同内容の文書が存在したことを公表せざるを得なくなった。
 ここで公表された文書以外の関連文書がマスコミにリークされ、文科大臣は後追いでその存在を認めるという醜態を繰り返す。
 ここでは、文科大臣の力量不足が露呈している。
 大事な記者会見でも、準備されたペーパーを読んでいるだけ。
 主体的に取り組んでおらず、すべてが受け身。
 自分の果たすべき役割が分かっていないように見える。
 問題を明確にし早々に事態収拾に動けるはずの一番の当事者でありながら、その意志と能力が見られない。
 さらに文科副大臣までもが、国会答弁で官僚の用意したペーパーを朗読しているだけ。
 そのぶっきらぼうな答弁が批判の対象になったりした。
 文科省内部からリークが続くのは、トップの無能によるところが大きそうだ。 

 今回の官邸の危機管理は、常に後手の対応に追い込まれており、事態をコントロールできていない。
 森友も加計も冷静に問題の本質を眺めてみれば、これほど大騒ぎするほどの問題は存在していない。
 にもかかわらず一向に収束しないのは、官邸の対応のまずさによる。
 たぶん、この問題が持ち上がった時、官邸の側も何が問題なのか把握できていなかったのだろう。
 誰もこれが問題だと思っていなかった。
 総理自身も、自分が不正に何かを働きかけた覚えがないから、強く否定すれば終わる話だと思っていただろう。
 だが、絶好調の安倍政権への攻撃材料を失っていた野党にとっては、千載一遇の大チャンスだということを忘れていた。
 この大チャンスをみすみす逃すわけがない。
 簡単に消えないように、ちょっとした火種にひたすら風を送り続け、燃料を投下し続けた。
 それがいまや大火事にまで広がってしまった。

 今後、官邸ができることと言えば、内部リークの先手を打って情報公開をし、全容の説明責任を果たすことしかない。
 野党やマスコミに追及されてからそれに答えているだけでは、言い逃れに終始しているようなイメージしか醸成されない。
 野党やマスコミの行く手を先回りして、情報発信していくことができるかどうか。
 今回は、時が来れば沈静化することはない。
 野党がせっかくの火種を消すことはないからだ。
 内閣支持率の急降下をみて、野党もこのネタの効果を実感している。
 対応を誤ると、安倍政権に次はない。

 

posted by 平野喜久 at 11:02| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月24日

政治的メッセージを発信し続ける前川氏:2回目の記者会見

 加計学園の問題。
 前事務次官の前川氏が日本記者クラブで記者会見した。
 先月に続き、2回目の記者会見だ。
 何か新しい秘密の暴露があるのではと皆が注目したが、それはなかった。
 前回の記者会見の内容を繰り返し、言い足りなかったところを補強した程度だった。
 何のために今回の記者会見だったのか不明。
 逆に、彼にはこれ以上の情報はないのだということが分かった。

 会見の冒頭で、前川氏は断りをしている。
 「私は別に政治的意図をもって発言しているわけではない」「安倍政権を倒すなんて大それたことを考えているわけでもない」
 だが、彼の記者会見の内容は、事実の公表と言うより、政治的メッセージの方にウェイトが置かれているのはまるわかりだった。
 
 「官邸は理由をつけて真相解明から逃げようとしている。首相自ら説明責任を果たすべきだ」

 これは、事実の公表ではなく、前川氏の解釈であり意見だ。
 批判の矛先を首相に向けようという意図がある。
 これが政治的メッセージでなくてなんだろう。
 
 「岩盤規制に穴をあけたことは問題ない。問題は、加計学園に落ちるように条件設定が変えられ、行政がゆがめられたことだ」

 ここに強い違和感を覚える。
 途中で条件設定が変えられて対象が1つに絞り込まれていく過程は、いままでの情報である程度分かってきている。
 これまで明らかになってきた情報を彼なりに解釈して結論を出している印象だ。
 ここに何の新しい情報はない。
 まるで、日々の報道に接している私たちと同じ立場でものを見て、論評しているように見える。
 彼は、当事者ではなかったのか。
 途中で条件が変わっていき、加計学園に絞り込まれていく過程に文科省もしっかりかかわっている。
 その文科省の事務次官が自分であったのではないのか。
 本当に目の前で行政がゆがめられていくのを見ていたのだったら、その場でなぜ補正しなかったのか。
 「総理の意向」などと書かれた曖昧な内部文書の存在だけで、なぜ、納得し処理を進めてしまったのか。
 官邸に人事権を握られており、抵抗できなかったから?
 彼の発言からは、抵抗しようとした形跡が見当たらない。
 問題の「総理の意向」がどの程度のものなのかを直接官邸に確認する行為すらしていない。
 彼の発言には、不思議と当事者意識が感じられない。
 
 前川氏は、会見でメディア批判も展開している。
 NHKと読売新聞。
 NHKについては、単独インタビューに最初に対応したのにもかかわらず、それが報道されなかったと指摘。
 このことを不審に思っているらしい。
 間違った報道がされたことに抗議しているわけではない。
 報道されなかったことを問題にしているのだ。
 自分へのインタビュー取材は、必ず報道されるはずと思い込んでいるところが救いがたい。
 これは、ただインタビュー内容に報道の価値なしと判断されただけだろう。
 今回の記者会見の内容を見れば、新規性はまったくなく、同じ内容の繰り返しと念押しだけ。
 NHKインタビューも同じようなものだったのに違いない。

 読売新聞については、「官邸からの関与があった」と解釈している。
 なぜ、そう考えるかと言うと、彼が出会い系バーに出入りしている事実を官邸が知っていたから、だそうだ。
 彼は現職の時に、官邸に呼び出され、この事実を指摘され叱責を受けているらしい。
 このことから、読売新聞に情報をリークし記事を書かせたのは官邸の働きかけによるものだと類推しているようだ。
 これらは、すべて前川氏の類推の域を出ていない。
 その類推も、「官邸が知っていたから、それを読売新聞に書かせたのだろう」と単純極まりない。
 出会い系バーの情報を官邸がつかんでいたとして、その情報はどこから入っていたのか。
 まさか、官邸の人間がこっそり前川氏の素行調査をして事実をつかんだのではないだろう。
 警察側も出会い系バーの実態調査をしている中で、前川氏の存在を把握していたという。
 その情報はメディアにも流れており、同じ情報が官邸にも流れていたということではないのか。
 前川氏は「今の国家権力とメディアの関係について非常に不安を覚える」と述べているが、自分の思うように展開しないことをすべて官邸のせいにしているだけという印象が強い。
 
 今回の記者会見は、いままでに明らかになった情報について、自分なりに整理し分かりやすく解釈しなおして結論を提示したというところだろう。
 反政府メディアや野党に利用されることを狙った記者会見だった。
 彼は、国会証人喚問に応じる覚悟があるという。
 いままでの記者会見を見ると、証人喚問に応じるほどの情報を持っていない。
 官邸により行政がゆがめられたことを立証できる事実は何も提示できない。
 本当に証人喚問に応じたら、彼の発言の多くは類推によるものであることが明らかになるだけなのではないか。
 そして、厳然たる事実は彼のバー通いだけということになりかねない。





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2017年06月23日

豊田真由子氏の暴言暴行:音声のインパクト

 自民党の豊田真由子衆議院議員の暴言暴行問題。
 テレビでその音声が流されたことから、その強烈なインパクトが人々の関心を集めている。
 これは、週刊誌記事だけでは分からない。
 この音声は、元秘書から週刊誌側に持ち込まれ、そこから各マスコミに提供されたのか。
 音声は、聴き所だけを編集してあるので、会話全体の流れは分からない。
 とにかく、豊田氏が激高して、大声で喚き散らしながら運転中の秘書をぼこぼこ叩いている様子が分かる。
 喚き散らすのに疲れると、今度は歌うように節をつけて、なじり始める。
 誰もがこの音声を聴いて、「まともではない」と感じただろう。
 彼女自身、かなりのストレスをため込んでいて、それを弱いものに一気にぶつけているという印象だ。
 どうして彼女がこれほどのストレスをため込んでいたのかは分からない。
 どうやら、彼女自身が激高しやすい性質だったようだ。
 
 元秘書は、普段からの暴言暴行に耐えかねて、今回、ICレコーダーで録音した。
 そして、その音声を週刊誌に持ち込んだのだ。
 もはや秘書を続ける気はなく、自分が辞職するだけでは納得できず、彼女の政治生命をも引きずり落してやろうという意思が見える。
 普通は、警察に被害届を出すが、そうではなく、まずマスコミに流したのがあざとい。
 しかも、週刊新潮。
 ここに流せば、記事で取り上げられるだけではなく、テレビメディアにも音声をばらまいてくれることが見えていたのだろう。
 豊田氏は自民党を離党することとなった。
 次回の衆院選では、立候補は無理だ。
 無理に立候補したとしても、無所属で戦うしかなく、党の基盤のない彼女に勝ち目はない。
 元秘書にとって思惑通りの展開となった。

 ところで、隠し撮りした音声を勝手にマスコミに流すことは、問題はないのだろうか。
 今回は、このことを非難する人はいないだろう。
 豊田氏のインパクトが大きすぎるからだ。
 豊田氏も、このことに問題があると思っても、指摘できる立場ではない。

 だが、隠し撮り音声を勝手に外部に流出させる行為は、いつも正当化されるわけではない。
 例えば、社内で話し合われた大事な話を、隠し撮りし、勝手に外部に流したら、機密情報の漏洩になる。
 機密文書を流出させたのと同じことだからだ。
 社内で話し合われたのが不正行為の話だったら、それをマスコミに流すのは、公益通報ということになる。
 この線引きは難しい。


 
 
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2017年06月16日

ロンドン高層マンション火災:原因は外壁材の可燃性

 ロンドンの高層マンションが火災に見舞われ、事後処理が進んでいる。
 これまでに17人の死亡が確認されているが、捜索が難航し、最終的な犠牲者は100人を超えるのではと予想されている。
 24階建て127戸の高層マンション。
 どれだけの住民が住んでいたのか、よくわからないらしい。
 現場の捜索をしようにも、建物の損傷が激しく、立ち入ることすらできないようだ。

 1970年代の建物で、スプリンクラーや防火壁など防火設備も不十分だったという。
 最近、外壁のリフォームを行なっており、その外壁が可燃性のものであったため、今回、一気にビル全体が炎に包まれることとなったというのが真相だ。
 
 住民が逃げ遅れた理由は、真夜中の出火だったこと、火の回りが早かったこと、そして、マニュアルが「室内に留まる」となっていたこと。
 この「室内に留まる」というマニュアルが奇妙だ。
 このマニュアルはビル内にも掲示されていたのだという。
 なぜ、このようなマニュアルになっていたのか。
 それは、ビル内の全住民が一斉に非難を始めると、1か所しかない階段に人々が殺到し、火元に近い本当に避難しなければいけない人が避難できなくなる恐れがある。
 それで、火災の直接の影響を受けていない人は、自室に閉じこもって助けを待った方が安全という判断となったらしい。
 これは、ロンドンの大型集合住宅では普通のマニュアルなのだという。
 
 確かに、このマニュアルにも一理ある。
 高層住宅の場合、住民の数が多いので、大勢が一斉に動き始めることで混乱が増幅される。
 その混乱が2次災害を引き起こしかねない。
 それを防止するには、混乱を起こさない工夫がいる。
 それが、このマニュアルだったのだ。
 だが、今回の火災は、あまりにも火の回りが早かった。
 出火が真夜中だったこともあり、気づいた時には既に逃げ遅れの状態にあった人も多かったに違いない。
 第1の原因は、外壁材が可燃性であったこと。
 イギリスは消防法が緩すぎる。
 本当にこれが先進国かと疑いたくなる。



 
ロンドン西部の公営住宅で14日未明、24階建て127戸の「グレンフェル・タワー」から出火し、大勢が死傷する大火災となった。管理側は住民に、自室や直近の廊下などで出火したのでなければ、火事の際は室内に留まるよう指示していた。これはなぜなのか。

グレンフェル・タワー内に掲示されていた火災時行動マニュアルは、自室で発生した、もしくは自室に影響を与えている火事でなければ、室内に留まるよう住民に勧告している。住民へのニュースレターでは、「別段の指示がない限り、長年の『その場にいて』方針が適用されます。これはつまり、自室や自室外の廊下で出火したのでない限り、自室内にいるべきだという意味です」と書いている。

これは大型集合住宅において比較的スタンダードな勧告だ。

ロンドン消防局は一般的な火災対策として、集合住宅で火災が発生した場合、炎や煙に直接影響を受けていない箇所の人たちは、自室に留まった方が「安全な場合が多い」と説明している。

元消防士で防火対策専門家のエルフィン・エドワーズさんは、「自室に留まる」方針は、火事に直接影響を受けない住民が不要に避難して通路をふさがないようにするためだと話す。
posted by 平野喜久 at 17:43| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

テロ等準備罪法案:本来の目的が審議されていない

 共謀罪の構成要件を厳格化した「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法が成立した。
 与党側は「テロ等準備罪法案」といい、野党側は「共謀罪法案」という。
 読売新聞、産経新聞は「テロ等準備罪法案」、朝日新聞、毎日新聞は「共謀罪法案」となる。
 各紙は世論調査もしているが、どのような表現で質問するかによって数字が違うようだ。
 「テロ等準備罪」と表現している世論調査は賛成が多くなり、「共謀罪」と表現すると逆になる。
 
 参院での十分な審議が行われないまま投票が行われ成立となった。
 衆院でも参院でも委員会での野党側の質問は、些末な内容に終始した。
 「一般人が捜査の対象になる」「総監視社会の到来」「プライバシーの侵害」「表現の自由が制限」
 国民の不安感を煽るような批判のための批判だった。
 政府側の答弁は、ひたすら「一般の国民が捜査の対象になることはない」と繰り返すしかなかった。
 同じ答弁に業を煮やした民進党の議員は「一般人がヤクザと一緒に犯罪を犯しても処罰対象じゃないのか!」と詰め寄る始末。
 小学生の屁理屈か。
 この議員は民主党政権時代に法務大臣だったというのだから、愕然とする。

 この法案の本来の目的、テロの未然防止という観点での議論はついに行われずじまい。
 「本当にこれでテロを防げるのか」「ローンウルフ型テロにはどう対応するのか」といった議論にならなかった。
 審議の最中、まさにイギリスでテロが続発した。
 それでも、テロ防止の議論にならなかったのはどういうことか。

 テロを防止することを目的とした法案として見たとき、この法律は穴だらけで、欠陥があちこちにある。
 野党側に配慮した結果、不必要な制約が設けられ、いざという時の運用が限定的になってしまったところも。
 本来は、この点こそ徹底的に議論すべきではなかったのか。
 本当に国民を守ろうと思ったら、「総監視社会の到来」の心配よりも、「これでテロが防げるのか」という議論の方が重要なのは明らか。

 審議不十分のまま法案成立となったというのはその通りだ。
 だが、その審議不十分と言うのは、野党の言う審議とは違う。
 テロの未然防止という議論がまったく行われないまま終わってしまった。
 本来の目的がどこまで達成できるか分からないまま、中途半端な法案が成立してしまったのではないかと心配する。
 
 


posted by 平野喜久 at 09:38| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月14日

そっくり表紙の料理本:小学館の広報戦略

 そっくりな表紙の料理本が話題になった。
 話題になったというより、小学館が話題にした、と言った方がいいかもしれない。

 小学館は12日、同社ムック「やせるおかず 作りおき」に、新星出版社「やせるおかずの作りおき かんたんレシピ177」のタイトル、表紙カバーデザインが酷似しているとし、新星出版社に対して販売中止などを求める申し入れをしたらしい。
 それを公式サイトで発表したため、一般に知られるところとなり、メディアでも取り上げられるようになった。

 小学館の料理本は『やせるおかず 作りおき』。
 新星出版社の料理本は『やせるおかずの作りおき』。
 カバーデザインについても、写真素材、文字の置き方、色使い、レイアウトなど、よく似ている。
 だが、料理本のカバーデザインは、どれも似てしまうのは仕方ないのではないか。
 他にも料理本は山ほど出版されているが、イメージはよく似ているという印象を受ける。
 題名も、「やせるおかず」も「作りおき」も一般名詞で、オリジナリティを主張できるほどのものではない。
 そもそも、書籍の題名には著作権は存在しないというのが常識だ。
 小学館では同じ著者による「やせるおかず」シリーズを出しており、この流れに便乗しようとする動きを牽制したいとの思いがあるのだろう。
 しかし、「やせるおかず」「つくりおき」という言葉を書籍の題名で最初に使ったのは小学館ではない。
 それ以前から、同種の料理本は存在したのだ。
 小学館に他社の物まねを非難するほどのオリジナリティはない。
 
 それに、似ているのは題名とカバーデザインだけ。
 内容は当然ながら全く違う。
 料理レシピにまで、そっくりな部分があれば、もっと騒動は大きくなっただろうが、そのような気配はない。

 小学館の「やせおかシリーズ」の売れ行き好調を見て、新星出版社が自社でも売れ筋の出版企画を立ち上げたのは間違いないだろう。
 その意味で、他社の売れ筋商品をまねた、ということは言える。
 だが、こんなことはどこの業界でも当たり前にあること。
 
 小学館も、賠償請求しているわけでも裁判に訴えたわけでもない。
 新星出版社に出版停止を申し入れをし、それをウェブサイト上で公開しただけだ。
 (ついでに、マスコミ向けのプレスリリースもしただろう)
 今回の件が、著作権や商標権の侵害に問えるとは思っていないし、これで相手が販売を取りやめるとも思っていない。
 ただ、世間の話題になってくれれば目的は達成されたことになる。
 結果として、いろんなメディアがこの話題を取り上げ、この本に世間の注目を集めることに成功した。
 いま、Amazonのランキング11位を得ている。
 これも、1つの広報戦略かもしれない。
posted by 平野喜久 at 09:24| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月12日

ミサイル想定の避難訓練と朝日新聞の報道姿勢

 朝日新聞の報道による。
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 北朝鮮の弾道ミサイル発射が相次ぐ中、全国の自治体で避難訓練や注意喚起の動きが広がる。号令をかける内閣官房は「国民の不安感が今までになく高まっている」と必要性を訴えるが、「かえって不安をあおる」と戸惑う声も上がる。
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 各地でミサイル想定の避難訓練や注意喚起の動きが広がっているのは、結構なことだ。
 北朝鮮のミサイルリスクは、現実のものになりつつあり、そのリスクに対する備えはあって当たり前と言える。
 日本では、避難訓練と言ったら、火災や地震を想定するのが一般的だったが、その中に、ミサイルも追加されることとなった。
 北朝鮮のミサイルは、発射から着弾まで10分以内と言われており、その間に、避難行動がとれるかどうかがカポイントとなる。
 10分以内という時間は、大げさな行動をする余裕はないが、最低限の安全行動を取るだけの時間は十分ある。
 その限られた時間で、自分は何をすればいいのか、何をしなければいけないのか、何ができるのか、について事前に考えておくのは非常に重要だ。
 いままで、日本人でミサイル想定の避難訓練をやったことのある人はほとんどいない。
 それだけに、訓練をやっておくことの価値は高い。

 だが、朝日新聞の記事に、気になる言葉が紛れ込んでいるのにお気づきだろう。
  「『かえって不安をあおる』と戸惑う声も上がる」
 これは、このような声があちこちから出ているというよりも、朝日新聞特有の当てこすり記事だろう。
 福島原発周辺では、事故前に避難訓練が行われることは1度もなかったという。
 事故を想定した準備もシミュレーションも、何もなかった。
 なぜか。
 住民の不安をあおるからだ。
 そのために、住民も行政も東電も事故のことを考えることがなくなった。
 考えなければ対策が行われるはずもなく、何の備えもないまま最悪の事故を迎えることとなった。
 今回の朝日新聞の「かえって不安をあおる」という当てこすり記事も同じだ。
 人々の意識を北朝鮮のリスクからそらせようとする目的しか感じられない。

 朝日新聞の記事では、次のように締めくくられていた。
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 ただ、訓練を実施した自治体はまだ少数派。近畿のある自治体の担当者は「どんな訓練が効果的か分からないのに、やみくもに動いても仕方ない。情報収集の段階だ」と語った。
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 近畿のある自治体とはどこなのだろう。
 どこかの職員が何の行動も起こしていないことの言い訳をこんな風に語っていたのかもしれないが、朝日新聞が都合のいいコメントを恣意的に選んでいるようにしか見えない。
 朝日新聞は、ひたすら北朝鮮リスクを過小評価しようという意図だけが透けて見える。

 「どのような訓練が効果的か分からないので訓練しない」というのは言い訳になっていない。
 実際にミサイル攻撃を受けたことがある人はいないので、どのような訓練が効果的か誰も分からない。
 すると、どこかにミサイルが落ちて、どのような訓練が効果的かが分かってから行動を起こすということか。
 だが、それが分かったときには、手遅れであることは明らかだ。
 原発事故が起きてから訓練をやっても意味がないのと同じだ。

 ミサイル訓練の目的は、まずは、そこにリスクがあることを人々に意識してもらうことにある。
 朝日新聞の姿勢は、逆に人々の意識をそこから遠ざけようとするものであり、意図的であるとすれば、罪は重い。
 一方、テロ等準備罪法案については、共謀罪法案と呼び方を変え、「国民のプライバシーが暴かれ総監視社会になる」と不安をあおる。
 意識すべきリスクから目を背けさせ、ありもしない不安を掻き立てているように見える。






   

posted by 平野喜久 at 14:49| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする