2017年05月25日

京大に使用料請求せず:JASRAC

 京大の学長が入学式の式辞を大学ウェブサイト上に公開したことで、JASRACから問い合わせがあったことについて、決着がついた。
 式辞の中で、歌手のボブ・ディランさんの「風に吹かれて」の歌詞の一節が含まれていたために、それについて著作権使用料が発生するのかが問題になっていたのだ。
 JASRACの理事長が記者会見で「引用と判断している。請求はしない」と述べたことで、問題は収束した。
 
 そもそも、当初、JASRACから京大に問い合わせがあったのかが不可解。
 ボブ・ディランさんの歌詞をそのままネット上に公開しているわけでもなく、式辞の中で歌詞の一節を引用しただけだし、その式辞を大学のウェブサイト上に公開しただけだ。
 引用という形式をとっている。
 その目的もはっきりしている。
 式辞をネット上に公開した意義も明確。
 どこにも著作権を侵害するような不自然な点は見当たらない。
 京大側は、問い合わせに対して、意味が分からず対応しなかったという。
 だが、この情報がネット上で拡散し、世論が反応した。
 「こんなものにも使用料を請求するのか」とJASRACの姿勢に批判的な論調が強かった。
 世論の反発の強さに驚いたのか、JASRACは「別に、請求しているわけではない。問い合わせをしただけ」と途端に逃げ腰になった。
 そして、理事長の定例記者会見で記者に問われ、先の発言となった。

 JASRACからの問い合わせというのは、電話であったらしい。
 「歌詞の引用をサイトに掲載するには、著作権料に関わる手続きが必要」という趣旨だったという。
 確かに、使用料を請求はしていない。
 手続きをせよと言っているだけ。
 JASRACに歌詞の引用を届け出ると、その使用方法などを見て、JASRACが使用料を算出し、請求してくる。
 著作権法で認められた引用という形なら使用料は発生しないが、その判断はJASRACがするので、使用者が勝手に判断するな、という姿勢が見える。
 今回は、世論が先に反発したので、JASRACは手を引いた。
 だが、これが個人だったらどうなっただろうか。
 JASRACから問い合わせがあっただけで、圧力を感じただろう。
 急いでネット上の文章を削除するか、手続きを進めてしまうかしただろう。
 場合によっては、うっかり使用料を払ってしまうかもしれない。
 もしかしたら、JASRACの問い合わせというのは、相手がビビッて使用料を払ってくれればOKぐらいに思って、片っ端から問い合わせの電話を入れているのではないか。
 だとすると、これは実体のない請求書を送りつけて、間違えて払い込んでくれるのを待つ「架空請求詐欺」のようなものだ。

 今回の騒動で、JASRACは理事長の「請求しない」という発言だけで収束となった。
 だが、誤解を招く行為についての反省も謝罪もない。
 これを機に、「著作物の引用とはどういう条件で成り立つのか」ということを広く国民に知ってもらうこともできたはずだが、それもない。
 とりっぱぐれて、そそくさと逃げた、という印象しかない。
 音楽著作権の保護者というイメージからは程遠い。
 

 
posted by 平野喜久 at 10:20| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月14日

批判のための批判はいらない:野田幹事長の街頭演説

 民進党の野田幹事長の街頭演説。
 安倍政権への批判を繰り返していたが、その内容は口先だけの批判にとどまっているという印象が強い。

 安倍首相が憲法改正を2020年までにと考えている件については、
 「全く関係のないことまで2020年に絡めるおかしな発言が出てきた」
 「何故憲法改正を2020年までとするのか。全く関係ない」と批判。
 「トップダウンで方向性を決める問題ではない」
 「日本は大統領の国ではない」
 「お門違いの発言だ」などと厳しく指摘。

 さらに、テロ等準備罪については、次のように批判していた。
「2020年に向けて新たにテロ対策をやらなければいけないくらい安全に不安のある国だったんですか?そうじゃない筈であります」

 安倍政権のやろうとすることを批判することに精一杯で、その主張に無理やり感が強い。
 民進党の中でも野田氏だけは、現実的な判断ができる政治家だと思われたが、その彼にして、この程度の主張しかできないとは驚いた。
 立場上、こう主張せざるを得ないのだろう。
 「提案型の野党になる」というのが公約だったはずだが、その様子はなく、安倍政権に難癖をつけることに終始している印象だ。

 テロ等準備罪に対する批判として、「日本はそんなに危険な国なのか」という批判は、リスクから目をそらそうとする悪魔の言説だ。
 リスクに目を向けなければ、問題が存在しないことになる。
 問題が存在しなければ、対策を講じる必要はない。
 対策を講じる必要がなければ、テロ等準備罪は不要だ。
 前提となるリスクを否定することで、政府の対策を否定するというのは、ただ国民の目をそらそうとしているだけで、何のリスク対策になっていない。
 現状ではテロ等準備罪が必要ないのであれば、いったいどうなったら必要になるのか、という判断基準が必要になる。
 提案型の野党なら、その基準が示せるはずだが、そんな基準は示せないだろう。
 政府を批判するために理屈をつけているだけだからだ。
 おそらく、テロ等準備罪が必要となる判断基準を明確に示せる人はいない。
 ここまでだったら必要ないが、これを超えたら必要になる、などと言えれば簡単だが、そんな基準はどこにも存在しない。
 どこにも存在しないものを前提にした議論に現実性はまったくない。
 民進党(旧民主党)は、何のために政権を経験したのか。
 せっかくの経験がまったく生かされていないではないか。
 人は失敗を通して多くを学び成長する。
 だが、民進党は民主党から党名を変え、悪いイメージを断とうとしたが、同時に、貴重な経験知も断ち切ってしまったようだ。

 本日のサンデーモーニング。
 トランプ政権批判と、安倍政権批判に終始し、北朝鮮の脅威は1つも語られることがなかった。
 番組が始まる僅か3時間前に北朝鮮がミサイルを発射し、30分前には官房長官が記者会見をしていたというのにだ。
 北朝鮮の脅威を取り上げると、安倍政権を批判しにくくなることを嫌がったのだろう。
 だが、ミサイル発射は、すでにネット上で情報が出回っており、視聴者はとっくに知っている。
 コメンテーター全員が申し合わせたように、北朝鮮の脅威を無視して安倍批判を繰り返す様子が滑稽でさえあった。
 コメンテーターの1人は、こんなことを言っていた。
 「日本だけが北朝鮮と対話しようという姿勢を示さないのはおかしい」
 このコメンテーターもミサイル発射の情報は知っていたはずだ。
 それが、30分間も飛び続けるような新しいタイプのミサイルだったことも分かっていたはず。
 すべてを知ったうえで、平然とこんなコメントを発信できる神経は異様だ。



  
 
 
 
 
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2017年05月12日

無断使用の迷惑料1,000円:DeNAの小ばかにした対応

 毎日新聞の報道による。
 医療情報サイト「WELQ(ウェルク)」などで、記事や写真の無断使用が問題化し、10サイトが非公開に追い込まれたDeNA。
 無断使用された人に「迷惑料」名目で金銭の支払いを始めているらしい。
 
 当初、DeNAは「ただ場所を貸しているだけのプラットフォーム事業者で、記事の内容には責任を負わない」「投稿者が勝手にやったこと」と責任回避の姿勢を見せていた。
 だが、第三者委員会の調査により、DeNA自身も記事作成に積極的に関わっていたことが判明し、著作権侵害が逃れられなくなった。
 調査によれば、サイトに掲載された記事の最大5.6%、写真計74万件に著作権侵害の疑いがあったという。

 DeNAは、記事や写真を無断で使われたのではないかとする人の問い合わせに応じ、「迷惑料」を支払う対応を進めている。
 「迷惑料」の金額や算定基準については、はっきりしないが、個別に判断されているようだ。
 事業者の場合は万円単位、個人の場合は1,000円程度になるという。
 事の重大さに比べて、金額の安さに驚き、DeNAと交渉、「この写真を撮るためにどれだけの苦労と経費をかけたか」を説明し、値段を上げさせた個人もいたそうだ。

 DeNAは、個人は対処しやすいとみてなめてかかっている。
 相手が大手企業だったりすると、法的手段で膨大な損害賠償を求められる可能性があり、対応を間違うととんでもないことになる。
 ところが、相手が個人であれば、口先だけで対応していれば、やがて相手は泣き寝入りする。
 それで、対応が甘くなるのだろう。

 損害賠償の算定基準は難しい。
 相手が事業者であれば、実際に被った損失を算定しやすく金額も高額になりがちだが、個人が趣味で公開しているブログだと、実質的な損失はなく、心理的な被害しかない。
 ウェルクによって無断使用された側としては、不快極まりない。
 その不快感を慰撫する金額とはどのぐらいかは、個人差があり一律で決めるのは無理だ。
 過去に、個人情報漏洩事件を起こした企業は、個人への見舞金として500円程度を払うというのが相場になってしまっている。
 今回は、それを基準に、1,000円あれば十分だろうとの判断があったのかもしれない。

 しかし、1,000円という金額は、子どもの小遣いでも喜ばれない金額であり、あまりにも事態を軽んじている印象を受ける。
 被害個人だって、何も高額の賠償額をふんだくってやろうとは思っていないだろうが、具体的な金額を提示されたおかげで、却って、「この程度の被害だと思っているのか」というのが目に見える形で分かってしまうだけに、納得がいかなくなる。
 個人は、たとえ趣味のブログに挙げている写真であったとしても、その写真を撮るためにどれだけの苦労をし、どれだけのコストをかけ、どれだけの思いを傾けたか分からない。
 こだわりのある写真であれば、その思いはなおさら大きい。
 それを、ネット上でたまたま見つけ、勝手にコピペして、自分のサイトで堂々と使用している姿は許しがたい、と思って当然だ。
 DeNAという大手企業のブランドを背負った業者であり、こちらは一個人。
 個人には何もできないだろうという小ばかにした態度にも見え、余計に不快だ。
 さらに、DeNAは、これを商売に使い、集客効果を高めるために利用して、実質的な利益を得ているのだ。
 そのことを思うと、その「迷惑料」がたったの1,000円では、あまりにも安すぎる。
 本来なら、「同じ写真を独自に撮影しとしたら、どれだけのコストがかかったか」という視点が算定基準にならなければいけないだろう。
 被害者にとって、「迷惑料」という言い方も、不愉快だろう。
 「あ、ごめんね」という程度の態度に見えるからだ。

 今回、DeNAは、申し出があった被害者に対して迷惑料を払うことにしたようだ。
 つまり、「文句があるなら言ってこい」という態度だ。
 自分らが犯した無断使用なのだから、自ら相手先を探し出して、「迷惑料」の支払いを申し出るべきところだ。
 どうして、個人の側がDeNAサイトを調べて、自分の記事や写真が無断使用されているかどうかを確認しなければならないのか。
 だが、写真の無断使用だけでも74万件とあまりにも多く、範囲も膨大で、とても1件1件フォローしきれない。
 面倒だから、クレームを言ってきた人に個別対応するということにしたのだろう。
 元のサイトは既に閉鎖されており、今更確認することすらできない。
 自分の著作が剽窃されたことすら気づいていない人も多いかもしれない。
 DeNAとしては、このままそっとしておいた方が得策だ。

 個人ブログの場合、記事や写真がコピペされたとしても、業務妨害されたわけでもないし、何か物が盗まれたわけでもないので、「実質的な損失がないんだからいいじゃん」と解釈されやすい。
 しかし、金銭的なコストがなくとも、精神的なコストが大きい。
 実際には、無断で使われたという不快感だけでは済まない。
 同じ記事や写真がDeNAの管理サイトに表示されたとすると、どういうことになるか。
 DeNAのサイトと個人ブログのサイトに同じ記事や写真が載っていることになる。
 第三者が見たとき、どちらがオリジナルかは分からない。
 まさか、DeNAが個人ブログから盗んだとは思わないだろう。
 個人がDeNAサイトから勝手に剽窃していると判断されかねない。
 そうすると、個人の社会的信用が棄損されることになる。
 個人にとってこの信用喪失のコストはあまりにも大きい。
 
 
  


posted by 平野喜久 at 10:34| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月08日

映画「太陽の蓋」:危機のリーダーのあり方

 映画「太陽の蓋」を鑑賞。
 去年の封切時に観たいと思ったが、上映館が少なく、チャンスがなかった。
 ようやくレンタルDVDで鑑賞できた。
 
 この映画は、福島原発事故直後の数日間を、官邸の視点で描いたドキュメンタリータッチのドラマだ。
 時々NHKでやっている原発事故の再現ドラマに近い。
 官邸内部ではどのようなやり取りがあったのかを映像として確認できる。
 いろいろ考えさせる場面が多い。
 その中でもクライマックスの1場面を取り上げる。
 東電が撤退を申し出てきた場面。
 官邸内でも様々な意見が出る。
 「これだけの危機的状況じゃ、やむを得んだろう」
 「民間企業に政府がとどまれと命令できるのか」
 「まさか死ねとは言えんだろう」
 その中で、菅総理だけは逡巡する様子もなく「撤退はあり得ない」と言い切る。
 これで、官邸内の意思が固まった。

 後に、総理は東電本店に乗り込んで撤退はあり得ないことを伝える場面になる。
 総理たちが東電の危機対策室に入ったところで呆然とする。
 対策室の壁面には巨大な多面モニターが掲げられており、原発の現場映像もリアルタイムで映し出されていた。
 東電の危機対策室は現場とつながっていた。
 なのに、官邸には何の情報も伝えられていなかった。
 「いったい東電は何をやっていたのだ」との怒りが込み上げるのが分かる。
 
 菅総理はモニターを背に立ち、東電幹部らに向かって怒りの演説を始める。
 「撤退はあり得ない。死ぬ気でやれ」
 断固たる言葉に会場が凍り付く。
 この場面、菅総理は一度も頭を下げることがない。
 だれかと握手をすることもない。
 演説に先立って、東電職員らの苦労をねぎらう言葉もない。
 実際に、この菅総理の演説を聞いた東電社員の中には、反感を覚え、士気阻喪した者もいたらしい。
 東電社員らも彼らなりに苦労し、一生懸命対処しているつもりでいたのだ。
 それを何も認めないような総理の言動に反感を覚えたのだろう。
 だが、この時の有無を言わさぬ断固たる言葉によって、東電幹部らの覚悟が決まったのは間違いない。

 果たして、この時の菅総理の言動は、危機に臨んだリーダーとして正しかったのかどうかは、ディスカッションのテーマになりそうだ。
 
 
posted by 平野喜久 at 11:10| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月28日

2017年版地震動予測地図:確率の低い地域こそ警戒せよ

 地震調査委員会が17年版「全国地震動予測地図」を公表した。
 この予測地図は、今後30年以内に震度6弱以上で揺れる確率を地図上に色分け表示したものだ。
 確率の高い地域として目立つのは、北海道太平洋側、関東から四国にかけての太平洋側が濃い赤色表示になっている。
 都市ごとにパーセンテージを見てみると、千葉:85%、横浜:81%、水戸:81%が大きい。
 そのほか、主要都市では、東京:47%、名古屋:46%、大阪:56%となっている。
 一方、日本海側は確率が低く、山形:3.6%、金沢:6.5%、松江:3.7%。
 地域によって確率の大小がくっきり分かれている。
 16年版と比較すると、全体に1ポイントほど上昇している。

 これを見ると、いまの日本のどの地域に震災リスクがあるのかが一目でわかる。
 千島海溝、首都直下、南海トラフのリスクが高まっているのが、このマップから確認できる。
 このようなデータを公表する目的は、国民に正しい情報を提供して、健全な危機意識を持ってもらうこと。
 国民の不安感を煽るような派手な演出もなく、さりげなく淡々と発表されるところがいい。

 ただ、この予測地図のやっかいなところがある。
 確率の高い地域では、健全な危機意識を持ってもらうことができるが、逆に、確率の低い地域には、不必要な油断を与えてしまうことになりかねない。
 昨年の熊本地震も、このマップからは読み取れなかった。
 近年の地震の多くは、確率の低い地域ばかりで起きている印象だ。
 だから、地震の起きない地域を探そうという視点でこの地図を見るのは間違っている。
 確率の低い地域は、地震が起きないのではなく、地震の原因になる活断層などが見つかっていないだけと思った方がいい。
 南海トラフ巨大地震は、どのような地震が起きるのかがはっきりわかっているし、どのような揺れになるか、どのような被害が出るかが詳しく予想されている。
 それに比べて、確率の低い地域は、いつどのような地震が起きるか分かっていないということだ。
 むしろ、不意打ちを食らう恐れがあるという点では、確率の低い地域こそ警戒しなければならないだろう。

 
 

 
 
 
 
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2017年04月25日

今村大臣の失言:在庫一掃大臣の限界

 今村雅弘復興相が辞任する意向を固めた。
 以前、記者会見での失言で物議をかもしたが、さらに新たな失言があったという。
 所属する自民党二階派のパーティーで講演し、東日本大震災の被害に関し「まだ東北で、あっちの方だったから良かった。首都圏に近かったりすると、莫大(ばくだい)な、甚大な額になった」と述べた。
 これが、失言として問題となる。
 このパーティには安倍総理も出席しており、ただちにこの発言を不適切として首相として謝罪をした。
 その日のうちに辞任が決まり、実質、更迭となった。

 今村大臣の発言の真意はよくわかる。
 東日本大震災では多くの犠牲者があり、経済被害も大きかった。
 しかし、東北だからこの程度で済んでいるのであり、これが、首都直下だったり、南海トラフだったら、被害は桁違いになる。
 このことを指摘しようとしたのだ。
 当たり前のことを言っているだけなのに、なぜ、問題になるのか。
 それは、「東北だからよかった」という表現にある。
 東日本大震災で被災した人々にとっては、災害規模の大きい小さいはまったく関係ない。
 ひとりひとりにとって被害はいずれも甚大だ。
 「東北だからよかった」という発言は、被災者の感情を逆なでする。
 「東北だからこの程度で済んだ」でも問題だろう。
 
 この手の話をするときには、言葉のニュアンスには神経質にならなければならない。
 特に、政治家は言葉がすべてだから、余計に慎重になって当たり前だ。
 慎重になりすぎて、話が面白くなくなったとしても、やむを得ないぐらいの覚悟がいる。
 今村大臣には、言葉の感性が鈍すぎた。
 いままで、閣僚経験がないために、公の発言に慣れていなかったか。
 それでも、政治家として言葉に無頓着すぎる。
 いままで、彼の発言が注目されることもなく、何を言っても問題になることがなかった。
 それが、大臣となって急に注目されるようになったことで、ぼろが出始めた。
 できる人間なら、大臣となると同時にスイッチが切り替わるはずが、彼はそのようなスイッチがなかった。
 以前にも失言を指摘されて、反省をしたはずなのに、言葉の無頓着ぶりはそのまま。
 致命的な失言を繰り返した。
 スイッチがないのだから、モードが切り替わりようがなかったのだ。

 在庫一掃の順送り人事で入閣した政治家は、失言を起こしやすい。
 大臣になったことで気持ちが大きくなっている上に、言葉への感性が以前のまま。
 いつもと同じ調子で、あるいは、それ以上に調子づいて受け狙いの発言を繰り返すうち、簡単に失言に至る。
 さらに、失言から名誉挽回しようとして、余計な発言をし、それが新たな失言となる。

 安倍総理も、匙を投げた。
 即日の更迭は、対応の迅速さが際立っている。
posted by 平野喜久 at 22:46| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月15日

ユナイテッド航空の不祥事:乗客の強制排除

 ユナイテッド航空の不祥事が世界で話題になっている。
 米国東部時間4月9日夜、シカゴ発ルイビル(ケンタッキー州)行きの短距離運航便。
 午後5時40分の定刻出発に向け、乗客の搭乗が完了した後、業務上の理由で乗務員4人が同便でルイビルに向かわなければならない事が判明。
 事実上のオーバーブッキングとなり、乗客が4人、飛行機を降りなければならなくなった。
 ユナイテッド側は降機に協力する乗客に対して協力金400ドルとホテルの宿泊代を提案したが、応じる人はいなかった。
 補償金を800ドルに積み増したが、それでも協力者が出てこなかったため、4人の客の指名に踏み切ったという。
 指名された4人のうち、3人は素直に応じたが、1人だけ降機を拒否したため、シカゴ航空局の保安係官が呼ばれ、客は席から強制的に引きずり出されることになる。
 その排除行為は、乗客が座席の肘掛けに顔を強打し、鼻を骨折し前歯を折るという非常に乱暴なものだった。
 その様子が複数の乗客によって撮影され、直ちにSNS上に投稿される。
 この動画は、瞬く間に世界中に拡散し、騒動となった。

 アメリカでは、航空会社による搭乗拒否はよくある話らしい。
 予約をしても、当日の事情で搭乗しない客がおり、空席のまま飛行機を飛ばすことを避けるために、常に多めに予約を受ける。
 つまり、いつもオーバーブッキングなのだ。
 予想通りドタキャンが出て、多めの予約がうまく定員に収まればOK.
 だが、必ずそうなるとは限らない。
 その時には、誰かに搭乗をあきらめてもらうしかない。
 何らかの方法で、客を選び、別便への振り替えをお願いすることになる。
 今回は、この一連の様子があまりにも乱暴で、他の乗客にも目に余る状況に見えたので、動画が撮影され、拡散されることになった。

 1人だけ強硬に降機を拒否したため、乱暴な排除行為になり、それが他の乗客に撮影され拡散されることになった。
 普段は、おとなしく客が応じ、問題なくことが収まっていたのかもしれない。
 選ばれた4人は、みんなアジア系の客だったという。
 白人を選ぶと「なんで私が?」と猛烈に抗議される。
 黒人を選ぶと「人種差別だ!」と問題がややこしくなる。
 アジア系なら、おとなしく応じる人が多いということで選ばれたのか。
 いままでの経験則から、アジア系を選んでおけばトラブルが少ない、ということが分かっていたのかもしれない。
 
 ユナイテッド航空の今回の対応はひどいものだが、問題が発覚してからの対応もひどい。
 会社側は、当初はオーバーブッキングを起こしてしまったことを謝罪していた。
 わざと問題をそらそうとしている。
 CEOは、社員向けのメッセージで、「乗客がけんか腰だった」と批判し、社の対応を正当化していたことが発覚し、騒ぎを大きくしている。
 その後、「無理やり排除された乗客と乗り合わせた全ての乗客に深く謝罪する」との声明を出し火消しに動き出すが、全く火消しになっていない。
 アメリカの経営者は、謝罪が下手だ。
 日本と違って、もともと謝罪で問題を収束させるという文化がないからだろう。

 たぶん、こんなことはいつものことであり、他の航空会社でもやっていること。
 今回は、たまたま客が抵抗し騒いだので乱暴な扱いになっただけで、自分らの行為に問題があるという自覚がないのではないか。
 むしろ、客に騒がれた自分らこそ被害者との感覚があったのではないか。
 保安係官を呼び強制排除させたのは、「客が騒いで降りないので、飛行機を発進できない」という理由だったのだろう。
 保安係官は、どういう事情か分からず、航空会社の言われるがまま、騒ぐ客を力づくで無理やり引きずっていった。

 米運輸省によれば、米国内で2016年にオーバーブッキングのため搭乗便を変更するよう求められた乗客数は43万人強に上ったという。
 オーバーブッキングを当たり前とし、定員を超えた場合は搭乗拒否をして対応するという航空業界の体質に問題の本質がありそうだ。

posted by 平野喜久 at 20:17| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月09日

記者会見に不慣れな大臣はそれだけでリスクだ

 今村復興相が記者会見で、記者の質問に激高し、会見室から「出て行きなさい!」「もう二度と来ないでください!」「うるさい!」と声を荒らげたことが問題になっている。
 男性記者は、東京電力福島第1原発事故による自主避難者への住宅の無償提供が3月末で打ち切られたことに関して質問。
 福島県に帰るに帰れない人がいることに対して、国の責任を追及した。
 今村大臣は初めのうちは穏やかに回答していたが、記者側が繰り返し責任を追及し続けたことから対応が感情的になり始めた。
 なおも追及をやめない記者に対して、ついに「責任を持ってやっている。君はなんて無礼なことを言うんだ。撤回しなさい!」と怒りを爆発さるに至った。
 会見を一方的に切り上げ、退場する場面でも記者は質問を浴びせ、それに対して「うるさい!」が出た。
 この「うるさい!」が、原発被災者に対する本音とも受け取られかねないことから問題が拡大した。
 今村氏はその後冷静さを取り戻し、同日夕に復興庁で記者団に陳謝。
 安倍総理も陳謝している。

 記者会見の様子を見ると、執拗に同じ質問を繰り返す記者のしつこさにうっとうしさを覚える。
 今村大臣がいらだちを感じるのも無理はない。
 だが、そもそも記者会見とはこういうものなのではないか。
 記者としては、大臣の本音を聞き出すため、いろんな質問をぶつける。
 時にはわざといらだたせるような質問をして揺さぶりをかける。
 これは記者として当たり前のことだろう。
 今回は、今村大臣が記者の仕掛けにいとも簡単に揺さぶられてしまったという印象が強い。
 政治家経験の長いベテランでありながら、大臣経験が初めてという人は記者会見で対応を間違えるケースが多い。
 記者会見の不慣れな人は、どうしても、目の前の記者に反応してしまう。
 若くて生意気な記者が嫌味な質問をしてくると、それだけで感情的に反発してしまう。
 「こんな奴に、なんで丁寧に対応しなければならないんだ」との思いが先行してしまう。
 こうなったら、危ない。
 公式の場での記者会見は、目の前の記者を相手にしているようで、実はその背後にいる国民や関係者を相手にしているという認識でなければいけないからだ。

 記者会見に不慣れな人物が大臣に就任した場合、それだけでリスクだ。
 いつ、足元をすくわれ、それが国民の不評を買い、内閣の崩壊につながるか分からないからだ。
 大臣初心者は、まず、マスコミ対応のレクチャーを受けるべきだろう。
 
 今の内閣で、最も記者会見のうまいのは、菅官房長官だ。
 毎日2回ずつの定例記者会見を開いているが、いまのところ失態はない。
 これは、無難な物言いに徹しているという意味ではなく、時には外国に主張すべきことは明確に主張し、国民にしっかり伝えるべきことは明確に述べている。
 表現は洗練され、感情も安定していて、その言動は危なげない。
 余計なことは語らず、かつ、必要なことはしっかり伝える。
 スポークスマンの手本を見るようだ。
 
 
posted by 平野喜久 at 11:39| 愛知 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月06日

那須雪崩事故:事前準備の不備

栃木県那須町のスキー場付近で県立大田原高山岳部の生徒ら8人がラッセル訓練中に死亡した雪崩事故。
 追加の情報でいろいろなことが分かってきた。
 事前の準備に不備があったようだ。
 予定の登山を悪天候でできなくなった場合の訓練計画がなかった。
 実施要項に講師として記載のない教諭にラッセル訓練の先頭班を引率させていた。
 事故現場の国有林の管理元に入林届を出していなかった。
 生徒らに、雪崩発生時の対処方法をレクチャーしていなかった。
 
 当日の天候を見て山頂登山を中止したところまでは計画通りで問題なかった。
 ただ、登山中止の場合の計画はなく、そこからは行き当たりばったりの行動になってしまったようだ。
 雪崩など起きるはずはないという強い思い込みが前提なので、危機意識は全くなく、そのための備えは何もなかったといってもいい。
 特に、生徒らに、雪山遭難を避けるためのノウハウを伝えていなかったのは問題が大きい。
 何のための雪山訓練なのか。
 雪山のリスクを身をもって体験するための訓練ではないのか。
 結果として何も起きなかったとしても、リスクを意識しながら訓練をするのと、何も知らされずにただ引率教員の後をついて登っているだけとでは、経験値が全く違う。
 雪山リスクを実感できれば、その体験は一生の財産になる。
  
 この雪山のリスクを教えずに訓練をさせ、たとえ無事に下山することができたとしても、それは果たして成功と言えるか。
 ただ、みんなで雪山に登ってきました、という思い出ができるだけだ。
 その生徒らは、雪山リスクを学ぶ貴重なチャンスを逃す。
 雪山なんてこんなもの、という偶然の成功体験を増やしただけに終わる。
 偶然の成功体験を蓄積させてしまうと、リスクに鈍感になり、雪山をなめてかかるようになる。
 これは、将来の大きな事故の誘因になりかねない。
 こちらの方は、むしろ、弊害が大きい。
 責任者教員は登山歴の長いベテランだが、あの危機意識のなさは、成功体験しか蓄積してこなかった結果かもしれない。

 引率教員9人は、全員無線機や携帯電話を持っていたという。
 だが、その通信ツールは1つも役に立たなかった。
 ある教員は、何度も本部へ無線連絡を試みたが応答がなかったという。
 訓練開始前、本部と現場とで本日の訓練の打ち合わせをしている。
 その時の打ち合わせは、携帯電話でやり取りしたと本部責任者は言っていた。
 ならば、無線が通じなかったとしても携帯電話が使える状態だったはずで、なぜ、これを有効利用できなかったのか不明だ。
 本部に通じなかったとしたら、直接現場教員から警察に救助要請もできたはずだからだ。
 たぶん、現場教員も埋もれた生徒らの救出に大わらわで、救助要請の連絡をするというところまで気の回る状態ではなかったのかもしれない。
 
posted by 平野喜久 at 10:41| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゴルフレッスンプロ1000人超がローン詐欺被害か

 東洋経済オンラインの報道による。
 レッスンプロ1000人超が破産の危機に瀕しているという。
 どういうことかというと、ゴルフ練習場のレッスンプロたちが、ある業者に不当な契約を結ばされ、多額の借金を背負うことになったという。
 ある業者とは、東京・港区のゴルフスタジアムという会社。
 そこが提供する、「ごるスタ」というウェブサイトの作成・運営管理サービスに絡み問題が起きた。
 
 この業者は、レッスンプロたちに無料でウェブサイトを作ると持ち掛け、実際にサイトを作成する。
 業者が無料でウェブサイトを作って終わりということはありえない。
 話には続きがある。
 最終的に契約書を取り交わす段階になると、「ソフトを買う形を取らせてほしい。ついては信販会社とクレジット契約も結んでほしい」と言い出す。
 無料でサイトを作るという話だったはずだ。
 その通り。
 サイトは無料で作った。
 ただ、サイトの運用には管理ソフトがいるので、それをローンで購入せよ、ということらしい。
 ウェブサイトを運用すれば広告料収入があるので、それを支払いに充てれば、実質、持ち出しにはならない。
 無料でサイトを作り、無料で運用できることになる、という理屈だった。

 はじめのうちは広告料収入もしっかりあり、それをローンの支払いに充てることで十分賄えた。
 ところが、今年の2月下旬になって、突然、広告料の支払いが滞った。
 それで、ローンの残債だけを抱えたレッスンプロが破産の危機に陥ったというわけだ。
 残債は少ない人でも300万円、多い人は900万円にも上るという。
 これで破産というのも大げさな感じもするが、急に多額の借金を背負わされた形になっているのは間違いない。
 いま、被害者の会が立ち上がり、信販会社に対して、回収をストップするように働きかけているようだ。

 これは、一時期流行したホームページ詐欺とよく似た手法だ。
 無料でホームページを作ると持ち掛け、管理料と称して、クレジット契約を結ばせる。
 サービスをローンの対象にできないので、管理ソフトという物品を対象にローンを組ませる。
 表向きは、毎月管理料を支払っているという形になる。
 客の方が、サービスを打ち切りたいと申し出ると、管理サービスは終わるが、ローンの支払いは終わらない。
 なぜなら、ローンの支払いは途中で打ち切ることができないからだ。
 ここで初めて客は、支払っていたのが管理料ではなく、ソフト代金のローン返済だったことに気づいてびっくりすることになる。
 
 今回の事例は、広告料収入でローンの支払いを賄うので、実質的な経費負担がないというのが前提だった。
 だが、毎月一定額の広告料収入が保証されているわけではないし、広告料収入とローン契約がリンクしているわけではなく、広告料収入があってもなくてもローンの返済は続く。
 ローンの期間は、7年84回。
 たかが管理ソフトにローンを組むこと自体があり得ないが、ソフトにこれほど長期のローン契約もあり得ない。
 これは、1回当たりの支払額を小さく見せることで、問題の発覚を避ける狙いがある。
 電話機のローン詐欺、ホームページのローン詐欺も、同じように7年84回だった。

 悪質商法であることに間違いないが、詐欺要件が立証できるかどうかは難しい。
 被害者は、スキームのすべてを理解したうえで契約書に署名捺印しているからだ。
 契約書に、ローン完済まで広告料収入を保証するという文言が盛り込まれていれば救われるが、たぶん、そんな業者に都合の悪いことは書いてないだろう。

 今回、なぜゴルフのレッスンプロばかりが被害にあったのかというと、もともとこの業者にゴルフ練習場との取引実績があり、そのコネクションを使って、この悪質ビジネスを立ち上げることを思いついたようだ。
 普段出入りしているゴルフ練習場や、仕事を世話してもらっている先輩からの紹介ということになれば、むげに断ることもできず、疑問に思いながらも契約してしまったという。
 不特定多数の一般の人々を対象としたものではなく、特定の業界の濃密な人間関係を利用した悪質ビジネスという点で特異なケースだった。
 

 
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2017年03月31日

NHK子会社の余剰金問題:競争原理から隔離された奇妙な事業体

 読売新聞・産経新聞の報道による。
 NHKの子会社13社の利益剰余金が2015年度末で計948億円に上ることが、会計検査院の調べでわかった。
 検査院はNHKに対し、子会社の剰余金の状況を把握し、適切な規模とするよう求めた。
 このニュースは何が問題か。
 一般に、子会社に剰余金があることは別に悪いことではない。
 だが、これがNHKだから問題なのだ。
 NHKの収入は国民の受信料で賄われている。
 その受信契約は放送法で強制されているもの。
 この受信料は、他の有料放送の視聴料とは全然違う。
 法律による強制力があることから、税金や社会保険料と同じような性格を持つ。
 それだけに、その使途については国民に明らかにする必要があるし、そこに無駄な経費があれば、厳しく削減が求められて当然だ。
 ところが、このNHKは民間事業者としての性格も持っているために、その経営内容には国民は立ち入ることができない。
 ここに不透明な点が残る。
 不透明な最大のポイントは、受信料がどのように使われているかだ。
 NHK本体だけ見ていては受信料の使われ方は見えない。
 NHKは関連会社に業務を丸投げしており、そこに受信料が流れているからだ。
 関連26団体のうち、9割以上が随意契約だという。
 つまり、仲間内に仕事を回し、そこに受信料を流してしまえば、NHK本体には剰余金は必要以上に出ないので、表向きは受信料は適正な規模で使われていると見せることができるというわけだ。
 受信料は子会社にふんだんに流れていく。
 それが子会社の剰余金という形で表れている。
 これを会計検査院が指摘し続けているのだ。
 だが、NHKは一向にこれを改めようとする気がない。
 
 検査院は05年度末時点の調査でも、子会社の剰余金が計759億円に上ると指摘し、剰余金が過剰にならないようにNHKに改善要請をしていた。
 にもかかわらず、10年たってその体質は変わらず、剰余金は増える一方だ。
 国民をなめ腐った態度としか言いようがない。
 今回の指摘に対しても、NHK広報局がコメントを出している。
 「検査結果を真摯に受け止め改革を進めていく」
 本当に改革する気がないのがまるわかりのコメントだ。

 なぜこのような体質が放置されているのか。
 1つは、NHKには競争原理が働いていないからだ。
 もちろん民放では競争原理が働いている。
 ところが、NHKだけは、競争原理から隔離された存在になっている。
 収入が法律で保障されている企業が、自ら経費節減の改革などするはずがない。

 もう1つは、国民によるチェックができていない。
 NHK予算は国会の審議を経て承認を受ける。
 ここで、形式上、国民のチェックを受けていることになる。
 だが、NHK予算が問題になったことはない。
 すべて、NHKの希望通りで承認される。
 「子会社に剰余金が出すぎているので、受信料をもっと下げよ」という議論が上がったためしがない。
 つまり、政治家がNHKの経営を問題にしないのだ。
 政治家がマスコミに介入することのタブーから、どうしてもここに強く切り込めない。
 本当は、総務省が本気でNHKを監督すべきだが、これも、マスコミの独立性の壁に阻まれている。
 総務大臣がNHK改革を口にすることはない。

 一方で、NHKは放送法の改正を望んでいる。
 受信料の徴収率が75%ほどにとどまっており、これを100%に近づけるために、いろいろな策を考えいるようだ。
 テレビを所有しているかどうかを全世帯に申告させる制度にしようとしている。
 申告用紙を全世帯に郵送し、テレビの所有の有無を申告させる。
 テレビがあれば契約を結ぶ。
 なければ契約の必要はない。
 ただし、テレビがあるのにないと申告した場合は、虚偽申告として刑事告発する。
 さらに、申告書を提出しなかった世帯については、テレビを所有しているものとみなして、契約の義務を課す。
 そして、テレビがなかったとしても、ワンセグが見られる携帯電話やカーナビを持っている場合は、契約の義務ありとする。
 このように放送法を改正しようとしているらしい。
 NHK側の都合だけを考えた法改正だ。
 
 東横インがNHKとの裁判で負け、19億円もの支払い命令を受けた。。
 客室に設置されているテレビ1台ごとに受信料を払えということだ。
 いま、受信料は世帯ごとの支払いになっているが、ホテルの部屋は世帯なのか。
 部屋ごとに受信料を徴収するということになると、その受信料は結果として宿泊客が負担することになる。
 宿泊客は、家庭ですでに受信料は負担しているはずであり、これは受信料の二重取りになってしまう。
 この辺は、放送法にきっちり決められているわけではなく、すべてNHKの勝手な解釈で行われていしまっているのが実態だ。
 
 放送法では、NHKの放送を受信することを目的としない設備を設置した場合は、契約の義務がない旨が明確に規定されている。
 ならば、NHKを見ることを目的としないテレビは対象外になるのではないのか。
 ワンセグ付きの携帯電話は、テレビを目的として購入しているわけではない。
 また、携帯電話は携帯するものであり、設置しているわけではない。
 そして、NHKだけが受信できないテレビがあったら、それは対象外になるのではないか。
 戦後間もないことに制定された放送法は、現状にそぐわないところがあり、放送法を改正するのであれば、NHKの受信料制度そのものを見直すところからやるべきだろう。

 子会社の剰余金の問題が放置されたまま、受信料の徴収率アップのための法改正などありえない。
 受信料はもっと安くできるはず。
 そして、法律で脅して受信料を巻き上げるようなことをしなくても、スクランブルをかけることで、徴収率100%は容易に達成できる。
 
 公的機関でもなく民間企業でもない不思議な事業体・NHK。
 競争原理から隔離され、国民のチェックからも隔離されている現状は異常だ。
 このNHKの問題は、全国民にかかわる重大案件だが、これを問題視する政治家や政党がほとんど存在しないのが不思議だ。
 



posted by 平野喜久 at 21:34| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月30日

てるみくらぶ経営破綻

 旅行会社てるみくらぶが経営破綻。
 3年前から粉飾決算を行なっており、2017年3月期では、126億円の債務超過に陥っていたという。
 時々、旅行会社の破綻がニュースになる。
 このようなニュースに触れるたび、「やはり、高くても大手旅行会社に頼んだ方がいいのでは」と思わせる。
 
 業界の過当競争と、現金商売で自転車操業がやりやすい業態による。
 いろんな旅行会社が様々なツアー商品を開発している。
 だが、その内容はどれも似たり寄ったり。
 そのために、ツアーの選択理由の1番は、値段の安さになりがち。
 特に中小の旅行会社は、値段の安さで集客するしかない。
 派手な広告と値段の安さで集客し、薄利多売で資金を回す。
 非常に危なっかしい営業形態だ。

 旅行会社は、客からの現金入金が先で、ホテルや航空会社などへの支払いは後になる。
 支払いは、2,3か月から半年後になるという。
 これが、自転車操業の誘因になる。
 派手な広告を打って、集客できれば、現金が手に入る。
 その現金を支払いに回す。
 やがて、販売したツアーは実行され、その支払い期日がやってくる。
 そのときまでに、次のツアーで集客し、現金を手に入れる。
 その広告は値段の安さを強調した派手なものになっていく。
 採算度外視の廉価販売なので、目先の集客は成功するが、問題は深刻化するばかりで、経営改善にはつながらない。
 これを繰り返すうち、負債がどんどん膨らんでいった。
 最終的には、前受金が100億円にまで達していたという。
 
 経営破綻した企業の事例を見ると、「どうして、もっと早くに撤退しなかったのか」と感じる。
 だが、早期撤退の判断は非常に難しい。
 早期撤退できるのは、かなりの勇気と決断力がある人だけだ。
 たいていは、もう少し、もう少しとずるずると深みにはまっていく。
 
 
 
 
 
posted by 平野喜久 at 11:35| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月26日

森友問題:本当に政権崩壊の恐れ

 籠池氏の証人喚問で、新たな人物名やFAX文書などの具体的な物証が明らかになり、騒動は拡大しつつある。
 本質の問題が拡大しているというより、周辺事情でいろいろな情報が取りざたされるために焦点が拡散してしまっている印象だ。
 メディアは、周辺事情の方が話題性があるため、「誰が嘘を言っているのか」という謎解きの面白さを強調しながら視聴率を稼いでいる。
 「総理や総理夫人が関与していることが判明したら総理退陣」という総理自身の発言があったために、この1点に野党と一部メディアの関心は集中している。
 テレビの情報番組では例外なくこの森友問題を取り上げるようになっているが、登場する識者が問題の本質に迫る発言をしても、そこに論点が移ることはまずない。
 あらかじめ用意されていたボードには、総理夫人と籠池氏とのやり取り、総理夫人と籠池夫人とのメールのやり取り、総理夫人付き秘書と籠池氏とのやり取りばかりが表示されており、話題はそこに集中する。
 司会者の「誰かが嘘を言っているはず。さて、真相はどこにあるのでしょうか」と大げさに煽る。

 総理夫人と籠池夫人との間で、メールのやり取りが頻繁に行われていて、証人喚問で籠池氏は「2月中は22回、3月に入ってからも15,6回行われている」と証言し、会場がどよめいた。
 籠池氏が「総理夫人から口止めともとれるメールをいただいた」と言ったことから、このメールに関心が集まることになる。
 そのメールを公開してもいいか、と籠池氏に質問したところ、「いい」という返答。
 総理も、総理夫人も公開を了承したため、公開されることとなった。
 ところが、直前になって、民進党から待ったがかかる。
 政府が公開したメール内容が、本物であるという確証がない、ということらしい。。
 このメールは国会には提出されなかったが、メディアには公開されたらしい。
 あるメディアが早々にネット上に全文をアップした。
 それを見ると、ほとんど籠池夫人からの一方的な愚痴と要求だった。
 内容が長文にわたっているので、何回にも分けでメールが送られており、それで、メール数があれほど大量になっていたのだ。。
 一方的なメールに、時々、総理夫人がメールを返信しているといった感じだ。
 その総理夫人の返信も、一方的な要求に戸惑いながらも、相手の感情を害さないように気遣いながら、なんとかやり過ごそうと苦慮する姿が見える文面だった。
 「口止め」を感じさせる文面はかけらも見られない。
 
 ところが、この公開されていたメール全文が、突然削除された。
 その後は、どのメディアも、全文から抜粋したやり取りだけを抜き出して紹介するというスタイルになる。
 メディアによってどの部分を抜粋するかが違うので、どのように報道するかでイメージが全然違って感じられる。
 これは、もはやメディアによる印象操作の域に達している。
 
 さて、一時、ネット上に全文公開していたメール全文は、いまでもネット上に画像データとして拡散している。
 そこには、民進党議員の実名が登場する。
 籠池夫人のメールの中で、呼び捨ての形で登場するのだ。
 民進党が公開に反対し始めた理由はこれだったことがここで分かった。
 民進党は一切、このメールについては、触れなくなった。
 メディアにも、このメールの内容はでたらめだから拡散しないように働きかけたようだ。
 それで、今では、一部抜粋の形での紹介になっているようだ。

 いまのところ、森友学園への国有地の払い下げについて、政治家の口利きがあったという根拠は1つも見つかっていない。
 ただ、籠池氏が「たぶん、口利きがあったのだろうと思う」と言っているだけ。
 まして、総理や総理夫人が口利きを行なったなどと本気で思っている人は、もはや誰もいないだろう。
 いま、野党側の焦点は「総理夫人が関与していた」という1点にある。
 関与といっても、積極的に働きかけたということではなく、最大に見積もっても、秘書に頼んで関係省庁に聞いてみただけ、というところが限界。
 当初は、「これほどの値引きが行われるのは不自然であり、何らかの働きかけが行われていたのに違いない」との見込みで、野党側の追及が行われたが、働きかけを行なった痕跡が見つからない。
 そこで、「積極的な関与」から「広義の関与」に切り替わった。
 「具体的に働きかけを行なっていなかったとしても、総理夫人と関係があったというだけで、国有地の払い下げ判断に影響を及ぼしたはず」という理屈になった。

 このフレームのずらし方は、慰安婦問題に酷似する。
 当初は、「日本軍が慰安婦を強制連行し、慰安所で働かせた」というフレームで話が始まった。。
 ところが、その根拠が1つも見つからない。
 ようやく見つかった唯一の証拠は、日本軍が出した慰安所の運営に関する通達文書だけ。
 この文書の内容は、慰安所の衛生管理と慰安所経営業者の不正を取り締まるという通達内容だった。
 唯一の証拠は、日本軍が少女を強制連行したとも、慰安所で働かせたとも言っていない。
 そこで、いつの間にか、「日本軍が関与していたことは事実」として、独り歩きすることとなった。
 実態は、日本軍が慰安所業者を取り締まっていたことを、「日本軍の関与」とし、まるで、日本軍が慰安婦を強制連行したかのようなイメージだけを拡大させることに成功した。

 今回の問題もそっくりな構図だ。
 総理夫人の積極的な関与を示す根拠が見当たらない。
 そこで、関与の解釈を拡大していった。
 秘書が関係部署に問い合わせたことをもって、「関与あり」と認定。
 そこからは、国民のイメージが勝手に拡散するに任せるだけでいい。
 「総理や総理夫人の影響で、国有地が不当に安く払い下げられた」というイメージが勝手に作られ、いつの間にか定着する。
 野党側は、これを狙っているように見える。
 いまのところ、野党側はせっかくつかんだ安倍政権への攻撃材料を簡単に手放すつもりはない。

 自民党側は、細かい事実関係を詳細に説明し、実態はそんなレベルの関与ではなかったことを主張しても、それはメディアに乗りにくい。
 ややこしい話は「受けが悪い」からだ。
 野党側のストーリーの方が単純で分かりやすい。
 メディアも単純ストーリーの方が説明しやすいし、興味深い演出ができる。
 「よく調べたら何も不正常な取引はありませんでした」では、収まりがつかなくなっている。
 この問題は、自然鎮静化することはない。
 中途半端に幕引きを図ろうとすると、あの慰安婦問題のように、長期に影響を及ぼす根の深い問題として定着してしまいかねない。
 慰安婦問題は、当初の日本政府は「いずれ真実は明らかになる」と軽く考え、安易な弥縫策を繰り返した。
 このことが、問題を深刻化させた。
 森友問題も、対応を間違えると、本当に政権崩壊につながりかねない根の深い問題になってしまいそうだ。

 
 
 

 

 
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2017年03月24日

籠池氏証人喚問:問題の本質は安倍夫人ではない

 昨日、籠池氏の証人喚問が行われた。
 いままで、籠池氏の参考人招致すら拒否し続けてきた自民党だったが、籠池氏がマスコミや野党議員の前で、不規則な発言を繰り返すようになり、その中に、安倍総理や総理夫人の関与を疑わせるような話が飛び出すようになったために、急遽、証人喚問ということになったようだ。
 自民党としては、放置しておくと、籠池氏はマスコミの前で言いたい放題になってしまうので、嘘をつけない証人喚問の場で発言させて、その真偽を正そうとしたのだろう。
 だが、結果として自民党の思わくは裏目に出た。
 籠池氏は、そんなやわな人物ではなかった。
 彼は国会の場で、ますます言いたい放題であった。

 この証人喚問で、籠池氏の思いがよくわかった。
 小学校設立に向けて、時間をかけて奔走してきた。
 その過程で、いろんな人に声をかけ、協力や支援を仰ぎ、理解をいただきながら進めてきた。
 そして、ほとんど完成し、4月開校を目前にして、その夢が瓦解した。
 いままで好意的に応援してくれていると思っていた人々が、掌を返すように離れていく。
 一番敬愛している安倍総理にまで「しつこい人」と言われ、その衝撃から、ついにスイッチが入れ替わった。
 我慢の限界を超えたようだ。
 自分一人が悪者にされ葬り去られてなるものかと、「怨念」ともいうべき情念を感じさせる答弁だった。

 各党の代表者による質疑は、いずれも迫力を欠いた。
 自民党の西田議員は、国会質問で、証拠を1つずつ出しながら相手を追い込んでいく手法を得意とする。
 だが、いつもと勝手が違う相手に本領を発揮できなかったようだ。
 100万円の受け渡し場面の証言が、安倍夫人の言っていることと違うことを指摘しようとするが、籠池氏は、その場面には自分と安倍夫人しかいなかったという設定をしており、本人の証言しか証拠が存在しない。
 矛盾を指摘しても、「私の言っていることが正しい」と堂々と断言させるだけで終わってしまった。
 籠池氏は、反証しようのない事項については、堂々と断言し、危ない事項については、答弁拒否という手段に出た。
 実に巧みであった。
 与党議員は、「籠池氏はでたらめな人物である」というイメージを浮き彫りにしようとし、野党議員は、「安倍夫人が深くこの問題に関与していた」というイメージを印象付けようとした。
 野党議員の関心は、安倍夫人の関与のところにしかない。

 そもそも、この問題を大きくしたのは、安倍総理の国会答弁がきっかけだった。
 「この問題に自分や妻が関与していたら、総理大臣も国会議員も辞める」
 これで、野党が浮足立った。
 安倍夫人が少しでも関与していた事実を1つでも見つけることができれば、安倍政権を倒せるのだ。
 いままで、圧倒的な強さを維持してきた安倍政権。
 攻撃材料がなく手詰まりだった野党の目の前に、いきなり黄金の斧が降ってきたのだ。
 これを使わない手はない。
 それで、この証人喚問でも、安倍夫人がいかにかかわっていたかに集中して発言を引き出していた。
 籠池氏も、安倍夫人といかに深い関係にあり、同じ思いで小学校設立に向けて取り組んできたかということを言いたいがため、野党質問への答弁は、ことのほか弁舌なめらかであった。
 今回の騒動は、安倍総理自身の失言が増幅したといってもいい。

 与野党議員の思わくがこんなところにあるため、問題の本質に迫れるはずがなかった。
 なぜ、国有地がこんなに安く払い下げられることになったのか。
 こんな怪しげな小学校設立に「認可適当」などという審査結果がでたのか。
 ここが本質のはずだが、これらは、行政側の問題であり、籠池氏をいくら追及しても、答えは得られるはずはない。
 証人喚問で、籠池氏は「驚いた。神風が吹いた」と言っていたが、この程度の理解しかなかった。

 だが、今回の証人喚問の中で、この本質に迫る場面がなかったわけではない。
 1つは、自民党・葉梨議員の質問。
 彼は、なぜ国有地払い下げがこれほど安く実行されたのかをボードを用意して説明していた。
 小学校予定地だけではなく、隣接する土地も別の団体に払い下げられており、その金額も同様に大幅に値引きされていた。
 それは、地中に廃棄物が埋設されておりその処理にどれほどのコストかわからない土地であることが原因で安く処分されていたらしい。
 森友学園にだけ不当に安く払い下げられたわけではないのだ。
 むしろ、森友学園の値引き幅は、他よりも少ないぐらいだったという。
 籠池氏は、金額の安さに驚いている場合ではなく、「なぜ、うちだけ値引き幅が少ないのか」と文句を言わなければいけない立場だったのだ。
 だが、葉梨氏は、この事情を説明するだけで、次の話題に移ってしまった。
 せっかくテレビ向けにボードまで用意し、最大の見せ場であったにもかかわらず、だ。
 ここは葉梨氏のミス。
 「この事情を知っていたか」と籠池氏に問いただすべきだった。
 そして、「これは、あなたに神風が吹いたわけではなく、順当な手続きでこうなっただけ」ということを認めさせればよかったのだ。
 この葉梨氏の重要な指摘は、質問の形になっていなかったため、籠池氏の答弁がなく、そのためにマスメディアでは取り上げられることがない。
 葉梨氏は惜しいことをした。

 だが、問題の本質はここにある。
 今後、行政側の人物の参考人招致が予定されているという。
 その中で、葉梨氏の挙げたような事情が明らかになってくれば、「政治家の関与で国有地が不当に安く売却された」という疑惑は一気に消滅する。
 今回の森友学園問題は、もともと問題といえるほどの内容すらない案件だったのではないか。




 
 
 
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2017年02月25日

情けない繊維統計不正操作:経産省

 経産省の奇妙な不正が発覚した。
 繊維製品の在庫量などを調べる「繊維流通統計調査」で長年、実態と異なる数値を記載していたという。
 40超の品目ほぼ全てで改ざんがみられ、10年以上前の数値がそのまま記載され続け、実際の数値と最大で10倍程度の差が生じた例も。
 経産省から業務を請け負う業者の告発があり、不正が発覚した。

 なぜ、こんな不正が行われていたのかというと、統計データが十分集まらなかったため、適当に作ってしまったというのが実態らしい。
 調査は行われていたようだ。
 だが、調査票を配っても有効な回答数が限られ、統計として発表するほどのボリュームにならない。
 そこで、前年の数値をそのまま流用するというような操作が行われた。
 中には、10年以上も同じ数値で推移している項目もあるという。
 前年データの流用を繰り返すうちに、実態とかけ離れた統計データが毎年発表されるという事態に至った。
 あまりにも実態と乖離しすぎたことに担当者も気づいていたらしく、統計数値を毎年修正しながら、実態に近づけていく操作も行われていたという。
 突然、数値が激変すると、その部分が目立ってしまい、理由を問われるからだろう。
 ただただ、問題が表面化しないようにごまかし続けようという痕跡だけが見える。

 このデータ操作の不正が奇妙なのは、動機があまりにも低次元だからだ。
 データ不正は、いままでもいろんなケースが発覚した。
 自動車の燃費偽装、耐震ゴムの性能偽装、医薬品の臨床データ偽装など。
 だが、これらはすべて民間企業による不正であり、その目的は、自社製品の性能を実態よりもよく見せようとする偽装であった。
 ところが、経産省の統計データの偽装には、そのような目的は存在しない。
 統計データを実態よりよりよく見せる必要はまったくないからだ。
 ならば、なぜデータ不正が行われたのか。
 それは、ちゃんとデータ収集できなかったことをごまかすため、だ。
 本来なら、まともなデータ収集ができないことを問題として取り組まなくてはいけないはず。
 調査方法が悪いのか、それとも、繊維業者が減少傾向にあり統計データを収集する規模でなくなっているのか。
 この問題を解決しようとすると、さらに大きな課題を背負い込むことになり、経産省の役人としては、触りたくなかったのかもしれない。
 意味のない統計だったら、廃止すればいいが、それにも正当な理由付けが必要であり、役人としてはエネルギーがいる。
 一番楽なのは、前例踏襲。
 それは、前年のデータを流用し続けて、目先をやり過ごすというやり方だった。
 担当者は、数年ごとに配置転換になる。
 誰も、自分の任期中に面倒なことをしたくない。
 問題があると分かっていても、それを先送りした方が、自分としてはコストが少ない。
 それで、このような奇妙なデータ不正が起き、それが継続する。
 いったい、これにかかわった役人らは、何のために働いているのだろう。
 役人の情けない実態を垣間見るような不正事件であり、脱力することこの上ない。

 経産省は、データ操作にかかわった職員計7人に対する処分を決めた。
 課長級を含む管理職4人は内規で最も重い「訓告」。
 4人のほかに業務を担当していた職員3人が口頭で「厳重注意」を受けた。
 これでも、役人の処分としては、最大級の重い処罰なのだという。



posted by 平野喜久 at 10:42| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月26日

韓国の寺に所有権:韓国地方裁判所

 韓国の大田地方裁判所が不思議な判決を下した。
 長崎県の対馬市の観音寺から、韓国の窃盗団によって盗まれた仏像「観世音菩薩坐像」について、韓国の寺に所有権があることを認め、韓国政府に対して仏像を引き渡すように命じた。

 この仏像は、韓国の窃盗団が2012年に対馬から盗み出し、韓国に持ち込んだ。
 窃盗団は韓国で捕まったものの、この窃盗団が「日本が盗んだものを取り返しただけだ」と言ったことから韓国世論が沸騰。
 窃盗行為を正当化し、窃盗団を英雄視する声が出始めた。
 日本政府の返還要求で、2体のうちの1体は返還された。
 だが、もう1体がそのまま韓国政府預かりになり、日本に返還されないままになっていた。
 そうこうしているうち、韓国の地裁から、日本の観音寺が仏像を正当に取得したことが証明されるまで、日本側への返還を差し止める仮処分が出て、身動きが取れなくなっていた。
 膠着状態の中、韓国の浮石寺が新たに提訴。
 韓国政府に対して、早期引き渡しを要求し、裁判所がそれを認める判決を出したという次第。

 浮石寺の所有権を認める理由は、「仏像は贈与や売買など正常な方法ではなく、盗難や略奪で(対馬市の観音寺に)運ばれたとみるのが妥当だ」とのこと。
 なぜ、盗難や略奪によると判断されるかというと、14世紀の朝鮮半島では倭寇という海賊が略奪行為を繰り返していたから。
 仏像に焼け焦げた跡があるのも、倭寇による略奪の証拠らしい。
 また、仏像に贈与や売買の記録がないことも判断材料となったという。

 まことに不思議な判決だ。
 何かの冗談か。
 韓国の裁判所は、いつもこの程度の判決を下しているのか。
 それとも、日本に関係することになると冷静な判断ができなくなるのか。
 今の窃盗事件を、14世紀の海賊行為に比肩して正当化するとは、まともではない。
 対馬から盗まれた仏像であることは明確である以上、まずは、対馬の観音寺に戻すのが常識的な判断だろう。
 韓国から日本へ仏像が渡った経緯に問題があり、韓国へ戻すべきだと主張するのなら、仏像を対馬に戻したうえで、改めて日韓政府間で交渉するというステップになる。
 だが、韓国で作られたものが日本にあるというだけで、反日感情に火が付き、冷静な議論は吹き飛んでしまう。
 裁判所は、いろいろ根拠を挙げているが、この程度の根拠で、所有権は浮石寺にありと判定する理屈が理解不能だ。
 法と根拠による冷静な判決というより、韓国世論の反発を受けないように、無理やり理屈を作ったという感じだ。
 地裁レベルでは、強力な世論に抗うパワーはなく、上級審へ丸投げして逃げたのだろうか。

 今回の判決は、韓国政府が敗訴した形だが、はたして政府が控訴するかどうか。
 控訴すれば、韓国世論の反発が激しい。
 かといって、このまま放置すると、判決が確定してしまう。
 そうすると、外国から盗んだ仏像を韓国の寺の所有物にするという非常識極まりないことを韓国政府が認めることになる。
 これには国際世論がびっくりだろう。
 韓国政府は、常に、国内世論と国際世論の板挟みにあって苦しんでいるように見える。



 
 
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2017年01月13日

国が禁煙強化案:施設内の全面禁煙へ

 厚労省は、飲食店やホテルなどの施設内を原則禁止にする方針を検討しているという。
 3年後の東京五輪を念頭に置いているらしい。
 禁煙対策はここまで来たかという印象だ。
 街中でタバコが吸える場所はどんどん減っている。
 愛煙家にとっては禁煙ファシズムともいえる一方的な強行に不満も大きいだろう。

 高度成長期の1960年代、日本の成人男性の喫煙率は85%もあった。
 健康な成人男性だったら、タバコを吸っていて当たり前と思われていた時代があったのだ。
 電車の客席には灰皿がついていた。
 窓の開けられない新幹線にはいつも煙が漂っていた。
 バスにもタクシーにも灰皿があったのだ。

 会社の会議室に、灰皿は必須の備品だった。
 会議はタバコを吸いながらするものというのが常識で、長引く会議室は常に煙が充満していた。
 応接室には、大理石の灰皿と煙草盆が用意してあった。
 その煙草盆には上等なシガレットと舶来の葉巻が入っている。
 上客が訪れたときは、応接室に招き入れ、お茶を出す前に、まず、「一服どうぞ」と煙草盆の蓋を取ってタバコをすすめるのがビジネスマナーとされた。
 客がタバコに手を出したときは、すかさず火をつけて差し上げる。
 このために、タバコを吸わない人でもライターを持ち歩く必要があった。
 このライターは、男性のステータスを表すグッズになっていた。
 自分のライターで火をつけた場合は、すぐにポケットにしまうのではなく、そのままテーブルの上に置く。
 その場に居合わせた男性のライターがテーブルの上に並ぶことになり、貧弱なライターを持っているものは肩身の狭い思いをする。

 街中での歩きタバコは当たり前。
 小さい子どもを連れ歩く親は、タバコの火が子どもの顔に当たるのではとひやひやした。
 歩きタバコの場合は、吸い殻は地面に捨て、足で揉み消すのが普通だった。
 路上にはあちこちに吸い殻が落ちていた。
 レストランでの喫煙も当たり前。
 タバコの煙が漂っていたのでは、せっかくの食材の香りや風味は台無しだが、喫煙者にとって食後の喫煙こそ至福の時であり、それを禁じるというのは思いにもよらないことだった。

 こんな状況が、80年代まで続いていたのだ。
 それが、いま施設内も全面禁煙を目指すところまで来た。
 この厚労省の方針に対して、外食産業の業界が反発している。
 これでは廃業に追い込まれる、と。
 たしかに、タバコが吸えることを売りにしている喫茶店もあり、そういうところは差別化が難しくなる。
 だが、施設内の禁煙はどんどん進んでおり、多くのレストランは分煙が当たり前になっている。
 高級レストランでは禁煙が当たり前だ。
 施設内が全面禁煙になったとしても、影響は少なそうだ。
 原則は全面禁煙とし、一部の飲食店舗だけ、認可制で喫煙可にすれば対応可能ではないだろうか。

 中国人の投稿動画で、電車の扉が開いた時に、自分の子どもに電車の中からホームに向かって放尿させている親の姿が話題になったことがある。
 日本では考えられない光景だ。
 オシッコをしたくなったら、必ずトイレを探してそこに行くというのが常識だからだ。
 今後、タバコはオシッコと同じになる。
 オシッコをしたくなったからと言って、所かまわずできるわけではない。
 同じように、タバコを吸いたくなったら、喫煙室を見つけ、そこに行くというのが常識になってくるだろう。





 
 

 


 
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2017年01月11日

日韓併合前夜はこんな雰囲気だったのか:韓国政府が責任放棄

 今回の慰安婦像の設置は、民間団体が勝手にやっていることで、韓国政府が関与しているわけではない。
 しかし、総領事館前の公共の場所に民間団体が勝手な像を設置するという違法行為を放置しているとすれば、それは政府の責任となり、日韓合意違反となる。
 昨年末に総領事館前に慰安婦像が設置されたとき、一旦、行政措置として強制撤去された。
 ところが、市民団体からの猛烈な抗議に行政側が耐え切れず、一転、設置を黙認することになった。
 この市民団体の猛抗議で政治や行政の対応が動いてしまうところが韓国の実情だ。

 韓国政府は、「当該機関で判断すべき問題」として釜山市に責任を丸投げした。
 釜山市もだんまりを決め込んだため、世論の批判は釜山市東区長に集中した。
 釜山市東区長は、「慰安婦像の撤去は課長がかってにやったことで、私は一度も設置を拒否していない」と釈明した。
 東区長の釈明インタビューの場面が報道されているが、市民団体からの猛烈な抗議に怯えきっている様子が見える。
 政府が外交問題として責任ある対応をすることができず、地方行政に責任を丸投げ。
 釜山市長も東区長も責任を受け止めることができず、結果として、名も知らぬ課長の責任を押し付けるというところまで落ちてしまった。
 誰も責任を受け止める覚悟がないまま、重要案件が漂流し続けている。
 日本側の抗議と毅然とした報復措置によって、韓国政府も何らかの対応をせざるを得ないところに追い込まれている。
 大統領代行を務めるファン首相がようやく政府としての公式見解を発した。
「日韓両政府だけでなく、すべての当事者が、合意の精神を尊重して、関係発展のために努力することが必要だ」
 ほとんど効力のあるメッセージ性はないが、これが、韓国政府として意思表示できる限界のようだ。
 韓国外交部は、釜山市東区に慰安婦像を撤去するように働きかけているらしく、それに対して区長は反発をしている。
「いままで、責任を丸投げしておいて、いまになって撤去せよとは納得できない。撤去するなら自分でやってくれ」
 国内世論と日本との板挟みにあって、責任を押し付けあう姿が見える。
 10日には、韓国政府内で、少女像を設置した市民団体と日本政府が話し合って妥協点を模索することを求める声が出始めたという。
 もう韓国政府としては対処不能と投げ出した格好だ。
 日本政府が直接韓国世論に働きかけ、対処してもらうしか方法がないということだ。
 これは、日本政府に韓国の委任統治を願い出ているようなもので、事態は深刻だ。

 歴史を振り返ると、日韓併合前夜はこんな雰囲気だったのかと思わせる。
 日韓併合は、日本が無理やり韓国を植民地化したと思われがちだが、実態は、韓国側の要請と国際世論の後押しで日本が合邦に踏み切ったというのが実態らしい。
 この日韓併合は、当時の国際社会でも東アジアの安定に資すると受け入れられた。
 ちょうど、今と同じ状況だ。
 韓国政府が日本政府に韓国世論への対処を願い出る。
 アメリカが日本に対応を求め、日本政府が韓国の市民団体と協議の場を持つようなことがあれば、あの日韓併合の再来だ。
 日本は同じ轍を踏むことはないだろう。
 だが、韓国政府は同じ間違いに踏み込もうとしてしまっている。
 あの日韓併合は屈辱の歴史ではなかったのか。
 韓国内の市民団体との話し合いを日本政府に求めるなどというのは、屈辱以外の何物でもないはず。
 ここにこそ、韓国世論は猛反発しなければいけないのではないか。
 
 
 
posted by 平野喜久 at 14:57| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月29日

不正競争防止法違反:コメダ珈琲のそっくり店舗

 「コメダ珈琲」にそっくりの店舗でコーヒー店を経営していたマサキ珈琲店。
 コメダ側が店舗の使用差し止めの仮処分を求めたのに対し、東京地裁は申し立てを認める決定をした。
 マサキ珈琲は、当初、コメダへフランチャイズ加盟を求めたらしいが、それがかなわず、酷似した店舗を建設したようだ。

 マサキ珈琲店の店舗は、外観が一見コメダ珈琲店とそっくりな作りになっている。
 外観だけではなく、内装もそっくりで、更に、メニューの内容までよく似ているという。
 これは、誰が見ても意図的にまねたと判断できるレベルだ。
 消費者の誤認を招く恐れ十分で、不正競争防止法に違反するとして、使用差し止めの決定となった。

 この外観がよく似ていることをもって使用差し止めになるケースは珍しい。
 コメダ店舗が特別に特徴的な外観をしているわけではない。
 外観が意匠登録されているわけでもない。
 レンガ造りの店構えにすれば、外観のイメージはよく似たものになるのは当たり前。
 屋根の形だって、入口の形状だって、バリエーションが無限にあるわけでもなく、結果として似たものになったとしても不思議ではない。
 それに、よく似ているという判断も非常に主観的なもので、線引きが難しい。
 それで、たいていは、外観が似ている程度ではなかなか使用差し止めまではいかなかった。 
 ところが、今回は、フランチャイズ契約がならなかったことで、わざとそっくりな店づくりをしたという判断が加わったことが、最後の一押しになったようだ。
 たまたま似てしまったということではなく、「意図的に店舗イメージをパクった」と判断されたわけだ。

 それにしても、マサキ珈琲店の物まねぶりは常識を超えている。
 フランチャイズ契約を拒否された腹いせに嫌がらせをしているかのようだ。
 何の知恵も工夫もない。
 プライドがあれば、敢えてコメダに対抗できるイメージ戦略で、ビジネスにおいて勝負をかけるところだ。
 コメダ側としても、こんなタチの悪い者に絡まれて余計な労力を費やすことになり、いい迷惑だろう。






 

posted by 平野喜久 at 13:32| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

将棋連盟の対応ミス:三浦九段の不正なし

 プロ棋士の三浦弘行九段が対局中に将棋ソフトを不正使用した疑い。
 日本将棋連盟が設置した第三者調査委員会は
「三浦九段が不正行為に及んでいたと認めるに足る証拠はないと判断した」
 と発表。
 一方、連盟が年内の公式戦への出場停止処分を下したことは「やむを得なかった」とした。

 今回の不正疑惑は、7月下旬からくすぶり始めていた。
 三浦九段が対局中に頻繁に離席し、時にその離席が長時間に及ぶことがあり、その不自然さから不正行為の疑いがもたれ始めた。
 8月には連盟が、不必要な離席を控えるように通達。
 10月には、対局場への電子機器の持ち込みを禁止する措置を決定した。
 ところが、三浦九段が竜王戦の挑戦者に決定したことから、対戦相手の渡辺竜王から連盟に問題提起が出された。
 渡辺竜王の問題提起は、週刊誌に取り上げられるところとなり、その発行を目前に連盟側は三浦九段の出場停止処分を決定。
 同時に、竜王戦の挑戦者を別に差し替えた。
 その後、第三者委員会を設置し、一か月にわたって調査をしたところ、三浦九段の不正を疑わせる根拠がないことが判明した。
 
 第三者委員会の調査によると、主に3点が指摘された。
1、30分に及ぶ離席はなかったこと
2.所有するスマホ等に将棋ソフトが存在しないこと。
3.将棋ソフトの手との一致率もそれほど高くないこと。

 映像解析から、小刻みな離席は確かにあったが、30分にも及ぶ離席はなかったという。
 30分の離席は、対戦相手から訴えられていたものだが、そもそも、疑いのきっかけと思われていた事実から違っていた。
 それに、将棋ソフトの手と不自然なほど一致していることも指摘されていたが、実際にはばらつきがあり、一致率が高いと言っても、他の棋士でもソフトと手が一致するケースはよくあることと判断された。
 特に、終盤になると勝ち筋は一本道になるので、実力のある棋士であれば将棋ソフトの手と一致するのはむしろ当たり前と言える。
 不正を疑う者の中には、人間では考えられない手を打っており、この不自然さはプロでなければわからない、と言っているものもあった。
 だが、これはかなり乱暴な見解だ。
 「実力のある自分が見て不自然な手は不正によるもの」という決めつけは、あまりにも傲慢だ。
 
 ここで問題は、対戦相手の渡辺竜王が三浦九段の不正を決めつけ、連盟に直訴したことではない。
 直訴を受けた連盟側の対応に問題がある。
 きっちりした調査もしないまま、三浦九段の出場停止を決めてしまったことだ。
 なぜ、これほど処分を急いだのか。
 それは、週刊誌報道が目前に迫っていることを知ったからだ。
 竜王戦の開幕後に週刊誌が発行されると、大問題になり、竜王戦の中止に追い込まれるかもしれない。
 それを恐れた連盟が、急いで挑戦者の差し替えを行い、竜王戦の無事な開催を優先させたのだ。
 週刊誌は、騒動が大きくなることを目的として、竜王戦開幕後の記事発表を仕掛ける。
 その記事発表は事前にリークし、騒ぎを大きくしておき、記事への注目度を最大に高めたところで週刊誌の売り上げ拡大を狙う。
 連盟は、その週刊誌の策略に乗せられてしまった格好だ。
 連盟は、自らの保身のために、三浦九段の棋士生命を犠牲にしたことになる。
 
 連盟がこれほど神経質な対応になっている背景には、将棋ソフトの実力がプロ棋士をしのぐほどになってきたことがある。
 人間では思いつかない手を打つと「これはソフトを使って不正を行なった結果だ」との疑惑が同じプロ棋士から上がる。
 これは、プロ棋士事態が、自らのプロ将棋の世界を貶めているように見える。
 いったいプロ棋士とは何か、というところが揺らぎ始めているのだ。
 今回の将棋連盟の杜撰な対応は、連盟自体の信用度を下げたが、同時にプロ将棋の世界のイメージダウンももたらした。
 将棋の公式戦はスポンサーの支えがあって、維持できる。
 スポンサーの支えは、国民世論の動向次第。
 国民の理解の得られないイベントはスポンサー離れを起こす。
 

 第三者委員会は、出場停止処分はやむを得なかったとの判断をつけたしている。
 これは、調査委員会としては言い過ぎだ。
 調査委員会は不正の有無の調査を依頼されているだけで、連盟側の処分の是非まで問われていない。
 
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posted by 平野喜久 at 12:18| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする