2026年04月04日

『過疎ビジネス』読了所感

 横山 勲 (著)『過疎ビジネス』 (集英社新書)
 たまたま書店店頭で見つけて読了。
 地方創生コンサルに地方自治体が食い物にされているというのは、以前から見聞きしていたが、1つの事例をじっくり掘り下げたルポ。
 河北新報の記者が取材の中で気づき、綿密な取材に基づいて新聞紙上で告発し、地方創生にかこつけた公金還流の実態が明らかとなった。

 スキームの概要は、ふるさと納税の名目である自治体に事業者が寄付を行い、その寄付額に見合った事業を同じ事業者が請け負い、資金を還流させるというもの。
 自治体からしたら、寄付してもらった資金で事業を行うのだから、持ち出しはない。ただで町おこしの事業ができるのだから、こんなにいいことはない。
 しかも、すべては事業者に丸投げで、すべての段取りを任せられる。
 ノウハウも実行力もない自治体にとっては、ありがたい業者だ。

 これは一見、業者が自分でカネを出して、自分で請け負っているだけのように見える。
 が、実は、寄付と言いながら、この資金は本来税金として納められるはずのものだ。
 それを自分のところに還流させようとするものなので、公金横領と変わらない。
 ふるさと納税は、自分の納めるべき税金の納め先を自分で決められるという制度であるために、これを悪用された格好だ。
 
 それにしても、このスキームを思いついた構想力は大したもの。
 更に、それを成功させる実行力、調整力、説得力は並みの者ではない。
 これを実行に移すには、役所を動かし、市長を納得させ、議会で承認させなければいけない。
 更に、事業を行うためにあらゆる事業者を巻き込んで、うまく管理して進捗させなければいけない。
 しかも、この中心人物は、同じような案件を全国で展開しているようで、連日多忙を極めていたようだ。
 事業案件は数億円、数十億円という事業規模で、スケールも大きい。

 ただ、これは詐欺だとか、犯罪だとかいうケースには当たらないという。
 中心人物は手の内をばらされ、完全にビジネスの世界から締め出されることになったが、刑事罰を受けるような事態にはなっていないようだ。
 結果として、やったもの勝ちでおとがめなし。
 何かモヤモヤしたものが残る。

 
 
 
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2025年09月28日

南海トラフ確率見直し:科学論争に国民を巻き込むな

 政府の地震調査委員会は26日、南海トラフ地震の発生確率について、算出法を見直し発表。
 複数の計算方法を採用し、今後は「60〜90%程度以上」または「20〜50%」と併記する。

 いままでは、30年以内に80%程度とされてきた。
 これは今年の1月に改訂発表されたばかり。
 とことが、この数字は研究者から異論が出されていた。
 それを踏まえて、今回の見直しとなったようだ。
 
 地震学はまだ確立した学問ではなく、研究者の数だけ仮説が存在すると言われる。
 いままでは、ある仮説に基づいた計算により80%という数字が採用され、国が公表していた。
 当然、その仮説に否定的な研究者もおり、1つの仮説ばかりが一般に流布されることに異を唱える。
 どの計算方法が正しいかは決着がつかず、2種類の算出方法で計算した確率を併記するという異例の措置となった。

 さて、問題は、「いったい、国民はどの数字で認識すればいいのか」ということだ。
 20%と90%では話がまったく違う。
 降水確率が「20%」と「90%」では、今日の行動計画が変わってくるのと同じだ。

 20%程度だから大げさに慌てる必要はないということか。
 それとも、90%以上だから備えを急げということか。
 いままでは、80%という数字が、全国民が同じ危機意識で防災に取り組むベースになっていた。
 ところが、今後は共通認識が得られなくなった。
 ある人は、20%と認識し、ある人は90%と認識する。
 この両者が話し合っても、結論が出しにくくなる。
 「そんなに慌てる必要はない」という人と、「急がないと間に合わない」という人が話し合って、簡単に合意に至るわけがないからだ。
 せっかく、80%という共通認識を得て、各自治体、各企業、各個人が対策を進めているときに、その流れに水を差すような今回の発表だった。
 
 今回、2種類の数字を公表するが、国としては60%〜90%以上の方を強調して呼びかけるという。
 国民の危機意識を鈍らせるような呼びかけはできないという政策的判断だ。
 科学的判断と政策的判断は違って当たり前。
 政策的判断を優先するのであれば、従来の80%という数字のままでよかったのではないか。

 今回の発表は、科学論争に国民を巻き込むものであり、混乱を引き起こすだけだ。
 中には、「国から多額の研究費を獲得するためにわざと大げさな発生確率を強調している」という言説も見られ、こうなると研究者仲間での足の引っ張り合いに見える。
 研究者は科学の領域で大いに議論を続けるべきだが、その論争に国民が巻き込まれるのは迷惑でしかない。

 ところで、確率の正しさはどのように検証するのか。
 例えば、降水確率20%と90%という2つの予報があったとしよう。
 結果として雨が降らなかったとすると、さて、どちらの予報が当たりだったと評価されるか。
 20%があたりで90%がはずれか。
 そうはならない。
 確率予想は結果からどちらが正しかったかを評価することはできない。
 明らかにハズレと判断されるのは、100%の降水確率で雨が降らなかった場合か、0%で雨が降った場合だけだ。

 こうしてみると、南海トラフ地震の発生確率をめぐる科学論議は、国民にとってほとんど意味がない。
 20%であろうが、90%であろうが、巨大地震が間近に迫っていることに違いはなく、備えを怠ることはできないという認識で進めて行くしかない。

 
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2025年05月14日

熱中症は自然災害と心得よ

 厚生労働省による労働安全衛生法に基づく省令の改正により 、6月1日から企業の熱中症対策が義務化される。
 従来は、「熱中症」という言葉のイメージから、「これは、個人の体質の問題であり、従業員が個々で気を付けるべき」と受け止められる傾向があったが、これからは認識を改める必要がある。

 近年、夏場の猛暑がひどく、熱中症患者は増え続けている。
 職場での熱中症死亡例も増加傾向にあり、その原因のほとんどは対処間違いや対処遅れによる。
 こうなると、従業員が個々に気を付けているだけでは対処不能で、企業として対策を講じないと、救える命が救えなくなる。

 熱中症リスクは、個人の体質の問題ではなく、自然災害の一種と捉えるべきだ。
 個人の体質に関係なく、誰もがこのリスクに晒される時代がやってきている。
 「自分は体力には自信があるから」というのは、あてにならない。
 熱中症は生理現象により引き起こされる障害なので、猛暑の環境下にあれば、誰もがなりうる。
 
 そして、熱中症死亡の原因のほとんどは対処間違いと対処遅れによる、ということを考えると、自分が気を付けているだけではダメで、周りの人も熱中症になった人を逸早く発見し、適切に判断し対処できる知識とスキルを身に着けておく必要がある。
 更に、熱中症は職場だけで起きるわけではない。
 プライベートでもいたるところに熱中症リスクはある。
 夏場のハイキング、海水浴、花火大会、ヒトの密集したイベント、屋外のスポーツ観戦、大阪関西万博など。
 このとき、自分が熱中症に気を付けるのは当たり前だが、同行している家族や友人にも気を付け、もしもの時は適切な対処で命を助けられるようにしておかなくてはならない。
 これからの時代、すべての人に熱中症リスクの基礎知識が必須と言える。

 熱中症は、異常な高温環境に長時間いることで、体温調節機能が失われ、体温が下がらなくなることで起きる障害だ。
 意識障害まで至ると、死亡リスクが一気に高まり、一刻を争う事態となる。
 対処間違いの典型例は、「体調が悪そうなので、日陰で休ませました」というものだ。
 いつまでたっても戻ってこないので見に行ったら心肺停止だった、というようなケースがある。
 この間違いは3つ。
1.救急隊を要請せず素人判断してしまったこと
2.急速に体温を下げる処置をしなかったこと
3.患者をひとりにしてしまったこと

 熱中症の疑い患者は、少しでも早く体を冷やすことが求められる。
 熱中症になる前段階では脱水状態に陥っていることが多いが、脱水状態の人を日陰で休ませただけでは体温は下がらない。
 クーラーや扇風機で風を送ってもダメだ。
 脱水状態にある人は、汗をかかなくなっているので、風を当てただけでは体温は下がらない。
 しかも、表面体温が下がっただけではダメで、体の芯がしっかり冷えないと効果がない。

 一番いいのは、上着を脱がせ、地面に寝かせて、下着の上から流水をかけ続けるという方法だ。
 急速に冷却する。
 これで、救急車が来るまでの時間稼ぎができる。  

 
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熱中症対策の義務化:企業の安全配慮義務

 厚生労働省による労働安全衛生法に基づく省令の改正がされ、2025年6月1日に改正労働安全衛生規則が施行される。
 これにより、職場における熱中症対策が罰則付きの義務化となる。

 「見つける」→「判断する」→「対処する」
 これが職場できっちりできるように、会社として準備せよ、という趣旨だ。
 準備すべきポイントは次の3点。

「体制整備」熱中症の恐れがある労働者を早期発見し、社内で報告するための仕組みづくり
「手順の作成」重症化を防ぐための応急処置や医療機関への搬送などのルール作り
「関係者への周知」勉強会を開いて従業員に理解させる

 今年3月に省令が改正され、6月から施行という非常に急ピッチの展開だ。
 周知期間を十分にとるのが普通だが、今年の夏に間に合わせるために急いだようだ。
 
 近年、気温上昇とともに職場での熱中症事例が増加傾向にあり、死亡例も増えている。
 死亡例のほとんどは、対処間違いや対処遅れが原因だということなので、きっちり対処できるように企業として準備が求められる。
 熱中症対策も経営者に課せられた安全配慮義務の範疇であり、今回の義務化により、より厳しく経営者の責任が問われることになる。

 特に今年は例年にない猛暑が予想されている。
 地球温暖化、偏西風の蛇行、太平洋高気圧の優勢、エルニーニョ現象などがその原因とされるが、今年についてはもう1つやっかいな要素がある。
 太陽の活動期のピークにあたるからだ。
 太陽の活動にはサイクルがある。
 活発な時期と穏やかな時期を繰り返している。
 今年はそのピークの当たり年なのだ。
 例年にない猛暑が予想されるのはこれによる。

 ということは、私たちの経験則が役に立たないということでもある。
 「いままでは、これで問題なかったから」
 「この職場で、熱中症になった人はいないから」
 このような判断はあてにならない。

 今年の夏は、常に熱中症リスクを意識しながら猛暑を乗り切っていくことになりそうだ。
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2025年03月03日

虐待判定AIの導入見送り:AIの限界を知るべき

 読売新聞の報道による。
 虐待判定のAIシステムについて、こども家庭庁が導入見送りを決めた。
 国が2021年度から約10億円をかけて開発を進め、最終的な判断を下す児童相談所の職員を補助する役割が期待されていた。
 テスト段階で判定ミスが6割に上った。
 AIは虐待の判断にはなじまず、実用化は困難と結論付けた。

 このシステム開発に10億円をかけていたことも驚きだが、AIに対する幻想がここまで侵食していたのかとびっくりだ。
 最近の生成AIの登場でAIへの期待感が高まっている。
 無料版のAIサイトを使っていろいろ質問してみると、たちどころに答えを返してくれる。
 複雑な質問や専門的な質問にも瞬時に答えが返ってくる。
 そのスピード感と回答のリアルさに驚かされる。
 これを使って業務の効率化を目指そうとしたくなるのは分かる。
 だが、AIは神ではない。
 ただネット上に存在する情報から必要な言葉を抜き出し、それを自然な表現でつなげて表示しているだけだ。
 なのに、どんな質問をしてもたちどころに詳しい答えを返してくれる神のように錯覚してしまう。
 ここに問題がある。

 こども家庭庁の虐待判定AIの開発も、この幻想に捕らわれた発想で進められたものだろう。
 入力されたデータは5000件だったという。
 AIのデータベースとしてはあまりにも少ない。
 これでは判定精度が上がらないのは明らか。
 開発費10億円のほとんどは、データベースの入力作業に費やされたのではないだろうか。

 AIのデータベースとしては、少なくとも万単位のデータがいる。
 AIの利点は、正しい答えを出してくれることではない。
 膨大なデータベースを探索し、その中から必要な情報をピンポイントでピックアップし、瞬時に整った表現で提示してくれるところにある。
 データベースが間違っていたら、間違った答えが出るし、データベースが貧弱だったら、貧弱な答えしか返ってこない。
 データベースに存在しない情報は?
 答えが返ってこない。
 しかも問題なのは、データベースが偏っているとか不足しているということをAIには分からないということだ。
 だから、大事な情報が欠落していたとしても、それを無視してまるで問題ないかのような答えを平然と返してくる。
 それを読んだ人間は、重大な情報が欠落していることも、データが偏っていることも気づかない。
 まるで神のご託宣をいただくように、AIの答えを信用してしまう。
 これは重大な事態を引き起こす。

 虐待判定のAIは使い物にならないことが早々に分かってよかった。
 導入断念の判断も見事だった。
 
 



 

 
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2024年12月17日

貸金庫窃盗事件:三菱UFJ銀行

 産経新聞の報道による。
 三菱UFJ銀行の貸金庫窃盗問題。
 まだ事件化されていないので、窃盗事件ではなく、窃盗問題という表記で報道されている。
 同行の行員が顧客の貸金庫から金品を盗んでいたことが発覚。
 被害は、60人の顧客から十数億円相当の額に上るという。
 行為は2020年4月から24年10月にまで及び、顧客からの指摘を受けて初めて銀行側が気づいたという。
 この行員は、貸金庫や予備鍵を管理する立場だったようだ。

 驚くべき点は2つ。
 1つは、このような窃盗が1行員の悪意で簡単に実行できてしまったこと。
 もう1つは、4年以上にわたって、発覚せずに犯行が繰り返されていたこと。

 貸金庫は、行員の鍵と利用者の鍵の両方が揃ったときに開けることができる仕組みだったようだ。
 普通は、行員一人では開けられないし、利用者が鍵を紛失したとしても、拾得した者が本人に成りすまして勝手に金庫を開けられないようになっている。
 ところが、利用者が鍵を紛失した時のためにスペアキーが銀行に保管されている。
 この行員はそのスペアキーを管理する立場にあったために、簡単に窃盗ができてしまった。
 もちろん、このスペアキーも厳重に保管されており、1つ1つ袋に封印されていて、取り出した痕跡がすぐに見つかるようになっている。
 だが、長期にわたって、定期的なチェックができていなかったようだ。
 もしかしたら、定期的なチェックはこの行員が行なっており、毎回「異常なし」の報告が上がっていたのかもしれない。
 
 銀行側は昨日12月16日に記者会見を行ない、頭取が謝罪した。
 10月31日に発覚してから、1か月以上放置したために、ネット上で非難が沸騰していた。
 その圧力に耐えかねての謝罪会見だったようだ。
 銀行側は当初は、一行員の犯罪として捉え、会見の必要性を感じていなかった。
 ところが、野村證券が従業員の強盗事件について謝罪会見したころから様子が変わってきた。
 一行員の犯罪で済ますことができなくなり、謝罪会見に追い込まれた。
 マスメディアはこの問題については、熱量をもって報道していなかった。
 大手スポンサーへの気遣いがあったのだろうか。
 ところが、ネット世論は許さなかった。
 ネット世論はもはやこれほどの影響力を持つに至った。

 ヒトの噂は75日で消えるが、ネット世論はその痕跡が永遠に残る。
 対応を間違えると、ダメージがいつまでも尾を引いてしまう。
 ネット世論は放置しない・・・これがこれからのメディア対応の原則になりそうだ。

 銀行側は既に被害者への補償を始めている。
 だが、これは難航が予想される。
 貸金庫の中身は銀行側は把握していない。
 被害者も自身の被害額を証明するのが難しい。
 犯人もどの金庫からいくら盗んだなどという記録はないだろう。
 貸金庫に現金を入れるのは、表に出せないカネなのでそこに保管しているケースがある。
 そうなるとますます被害額の確定が難しい。
 犯人はそこに付け入るように犯行を繰り返していたのかもしれない。




 
 
 
 
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2024年11月18日

大手マスコミの敗北:兵庫県知事選

 兵庫県議会から不信任決議を受け失職した斎藤元彦前知事が出直し選で再選。
 昨日20時の投票終了時間直後に「当選確実」を報じたテレビ局があった。
 それに刺激されたように、他局も次々と当確を打っていった。
 NHKだけは慎重だった。
 10時10分に中間の集計が発表されたが、それでも慎重だった。
 NHKが当確を報じたのは23時過ぎ。
 既に斎藤氏の勝利宣言が済んだ後だった。

 新聞やテレビ報道は驚きをもってトップニュースで報じている。
 注目は、なぜあれほど不人気だった斎藤氏が当選したのか、というマスコミの解説だ。
 というのは、斎藤知事はマスコミ報道によって、ものすごい逆風にさらされていたからだ。
 職員への「パワハラ」や外部業者に対する「おねだり」や「キックバック」、更に内部告発者への不当な圧力で自殺に追いやったことなど、一方的な報道洪水によって、斎藤氏のイメージは地に落ちていた。
 普通に考えれば、その斎藤氏が当選できるわけがない。
 どうして斎藤氏は当選したのか、これはマスコミがまず分析し、解説しなければならないところだ。
 
 いまのところ、この分析をしっかりできているマスコミはない。
「候補者が乱立して、反斎藤票が分散した」
「政党の支持があいまいで反斎藤の候補に強力なバックアップができなかった」
「斎藤陣営はSNSを駆使して、ネット世論を盛り上げることに成功した」

 斎藤氏勝利の理由づけに苦労している様子が見える。
 産経新聞は記事の中でこんな言葉で分析を締めくくっている。
「今回は知事の資質だけでなく、既成政党の存在意義も問われる選挙だったといえる」
 政党の対応がバラバラだったために「四面楚歌だった斎藤氏の猛追を許した」と結論づけているのだ。
 まるで政党がだらしないために「斎藤氏の再選」なんてあってはならないことが起きてしまったかのようだ。
 だが、この分析は本質をわざと隠している。
 今回の選挙で問われたのは、既成政党の存在意義ではなく、マスコミの存在意義だろう。

 SNSで斎藤支持が盛り上がったのは、単に話題作りに成功したためではない。
 大手メディアが、県民が本当に知りたがっている大事な情報をしっかり報じないことが原因だ。
 当初は、マスコミの報じる情報洪水の中、斎藤知事への不信感が蔓延していた。
 ところが、斎藤氏自身がかたくなにパワハラを否定し続けたこと、告発者への処分を正当だったと主張し続けたこと、そして、斎藤氏の見るからに繊細で優しそうな風貌から、違和感を覚える人々が出てきた。
 決定的だったのは、失職の後、次の知事選に再出馬すると表明したこと。
 誰もが当選の可能性がない無謀な挑戦だと思った。
 ところが、斎藤氏がひとりで駅頭に立ち、深々と頭を下げ続ける姿を見て、印象が変わり始めた。
 
 これまで報じられてきた内容を思い返すと、「不正を働いた」とか「公金を横領した」とか、明らかな犯罪はなかったし、私欲のために県政をゆがませたような話もなかった。
 県職員を厳しく叱責したというだけだ。
 あの優しそうな斎藤氏が厳しく叱責するぐらいだから、むしろ県職員の働きが悪すぎたのではないのか。
 叱責された職員が腹いせに告発文をマスコミや議員らにばらまいたのではないのか。
 という疑問が浮かぶ。
 そこに、ネット上で影響力のあるユーチューバーが呼応し、疑問を発し始めた。
 更に、フリーのジャーナリストが応じ、ついにNHK党の立花氏が動くに至った。
 なんと、立花氏は県知事選に立候補し、発信力の弱い斎藤氏を助けるために選挙活動を始めたのだ。
 立花氏の発信力が抜群で、すぐにネット上の注目を集めた。
 そうなると、関係者しか知らないような情報が続々と彼のもとに集まるようになる。
 それを立花氏はためらいもなくネット上にアップし、街頭演説で披露し、さらには政見放送の中で暴露する。
 その中で、県民局長の死は、斎藤知事の圧力が原因ではなく、プライベートの事情に起因するものであることをぶちまけた。
 この情報に接し、いままで違和感を覚えてきたもやもやとしたものが一気に晴れた。
 それで、ネット上で斎藤支持の世論が急速に拡大していったのだ。

 告発文を作成した県民局長の使用していた公用パソコンの中身に、自殺の原因かもしれないプライベートの情報が記録されていたが、それを百条委員会で公表を無理やり差し止めていることが分かる音声情報が流出。
 更に、副知事がマスコミの囲み取材を受けたときに、プライベート情報の存在を述べようとするのを、記者らが無理やり静止した音声まで流出。
 マスコミの記者が取材対象者の発言を封じようとする異様な光景だった。
 議会やマスコミが総ぐるみで大事な情報を隠そうとしているのではないか、マスコミはすべての事情を分かった上で、世論を特定の方向にもっていこうとしているのではないか、との疑念が噴出。
 ネット世論の沸騰に拍車をかけた。 
 
 ネット世論の呼びかけは、「マスゴミに騙されるな。斎藤さんを守れ」だった。
 今回の選挙は、既成政党が敗北したのではない。
 大手マスコミがネット世論に敗北した事例だ。
 
posted by 平野喜久 at 08:53| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月08日

南海トラフ臨時情報「巨大地震注意」

 本日、16時43分ごろ日向灘でM7.1の地震が発生した。
 直後に、南海トラフ臨時情報が発表された。
 想定震源域で、M7以上の地震が発生したので、臨時情報発出の条件に合致したからだ。
 この臨時情報のシステムは運用が始まって5年になるが、発出されたのは今回が初めてだ。

 臨時情報(調査中)が発出されると、専門家会議が招集され、これが巨大地震の兆候であるかどうかが検討される。
 その結果は2時間以内に発表される手はずだ。
 その通り、19時ごろに第2報が発表された。
 それが「巨大地震注意」というもの。
 巨大地震発生の可能性が普段よりも数倍高くなったと判断された。
 
 この解釈は難しい。
 普段よりも数倍と聞くと、ものすごく可能性が高まったような印象だが、
 もともと南海トラフ地震は30年以内に70%〜80%と高い確率で予想されており、1週間の可能性が数倍になったとしても、1000分の1の確率が数百分の1に高まった程度に過ぎない。
 南海トラフ地震は、いつ起きてもおかしくない切迫した地震であり、この注意情報が出ても出なくても、対応方法としては変わらない。
 普段の防災対策について、「これを機に見直しておきましょう」という程度の意味しかない。

 これが、注意情報ではなく、「警戒情報」だったら、様子は異なる。
 警戒情報の場合は、巨大地震発生の前兆が明らかに観測されたことが確認されたことを意味するからだ。
 
 臨時情報については、運用開始以来、発出されたことがなく、この情報の意味が忘れられてきていることが問題視されていた。
 今回の注意情報について、NHKでは、その意味も含めて、丁寧に情報発信がされているようだ。
 国民への啓発の意味でも、今回の注意情報は重要だ。

 気象庁は「注意情報」を発表するが、国はこの情報を受けて国民がどうすべきかについては、特に言及がない。
 ここから先は、各自治体の役割だからだ。
 企業でも、この臨時情報を受けてどのように対応するかは、事前に検討する必要がある。
 
posted by 平野喜久 at 20:24| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月29日

「紅麹」死亡疑い新たに76人

 産経新聞の報道による。
 厚労省は、小林製薬の紅麹サプリメント摂取後に死亡した疑いの事例が新たに76人に上ったことを発表した。
 
 当初から判明していた死亡例5件が知られていたが、その後、小林製薬の情報発信がなくなった。
 紅麹の健康被害は長期に影響を及ぼすものなので、一時の死亡例だけで終わるはずがない。
 不審に思った厚労省が、13日に小林製薬に問い合わせたところ、追加情報はないとの即答だったが、14日になって追加の事例があるとの報告が上がってきた。
 詳細な報告を求めたところ、27日になって、いままで遺族からの相談が170件あり、その中で関連が疑われる事例が76件あることが分かったという。
 
 小林製薬は、死亡例を完全に因果関係が証明された事例だけに限定しようとしていたようだ。
 サプリを飲んでいた人の中には、別の基礎疾患を持っている人もいる。
 直接の死因が、がんや心筋梗塞などのように別の要因によるものについては、事例から外し、報告の対象外と勝手に決めつけていたらしい。
 ところが、この紅麹サプリ問題は、まだ原因がはっきり解明できていない。
 その中で、勝手に死因を特定し報告の判断基準としていた。
 これは、慎重に対処しているというより、ただ事態を大事にしないように隠蔽しようとしていたとしか見えない。
 
 厚労大臣は、「調査は小林製薬に任せておけない」と怒りをあらわにした。
 健康被害が発覚した直後も、小林製薬は原因を特定できずに曖昧な答弁に終始していたが、社長の記者会見の最中に、厚労省が別の会見で、原因物質の名前を公表する一幕があった。
 ことはヒトの命に係わる問題なので、慎重に確実にを目指していると、公表が遅れ、対応が遅れ、事態はどんどん悪化する。
 いまや、原因物質の特定については、国の研究機関が行なっている。
 被害実態の調査も同じことになりそうだ。
 小林製薬にとっては、もはや実態の解明、原因の特定は能力を超えて対処不能に陥っている。
 再発防止のためには、「実態の解明」「原因の特定」が欠かせない。
 小林製薬は、この実態の解明にすら誠実に向き合おうとしていないように見える。
 
 小林製薬のやっていることは、ことを荒立てないようにし、このまま話題が自然に遠のいてくれるのを待っているだけだ。
 この事例は、健康被害を起こしたことよりも、問題発覚後の対応を間違えてダメージを深くしていった典型的な例として記録される。
posted by 平野喜久 at 09:47| 愛知 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月29日

プベルル酸の影響確認:厚労省

 産経新聞の報道による。
 小林製薬の紅麹サプリをめぐる健康被害の問題。
 厚労省が、プベルル酸が腎臓に悪影響を及ぼすことを確認したと発表。
 先の立ち入り検査で、大阪工場の種菌培養室や和歌山工場の乾燥室、培養タンクなどからアオカビを採取。
 小林製薬からも任意でサンプルの提供を受け、国立医薬品食品衛生研究所で調査。
 ラットへの投与実験を行ったところ、腎臓の尿細管が壊死するなどの所見が見られたという。

 これは国が動物実験をした結果を厚労省が発表したものだ。
 ここに小林製薬の存在感はない。
 プベルル酸の存在を逸早く公表したのも厚労省だった。
 小林製薬は当初、プベルル酸の存在を秘匿しており、「未知の物質」としか明かしていなかった。
 ところが、小林製薬の記者会見の最中に、厚労省がプベルル酸の存在を公表し、小林製薬側がそれを追認せざるを得なくなった。
 小林製薬に実態解明を任せていたら、いつになるか分からないとのもどかしさが感じられる。
 今回も同じだろう。
 
 もしかしたら、小林製薬の技術レベルを超えた問題になっており、一企業の案件に矮小化せず、情報を広く公開し、世界の知見を総動員して早期解明につなげるべきなのかもしれない。

posted by 平野喜久 at 13:01| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月08日

生成AIと著作権の悲劇

 生成AIの隆盛で、著作権の問題がクローズアップされている。
 AIはネット上の画像や文章を勝手に使って新たなコンテンツを生成するので、著作権侵害が簡単に起きてしまう。
 
 生成AIが作成したニュース記事をアップしたサイトが、あるメディアに著作権侵害で訴えられたことがある。
 なぜ著作権侵害になったかというと、元の記事は非常にオリジナリティの高い内容を含んでおり、他のメディアに同じ情報がアップされるのはおかしいことが明らかだったからだ。
 サイト運営者は、著作権を侵害しているという認識すらなかったようだ。
 AIに勝手に記事を作成させていただけで、どこから情報を得てきたか知らなかった。
 だが、そのことで知らぬ間に著作権侵害をしてしまっていたことになる。

 著作権は、表現を守る権利だ。
 つまり、文章や映像をそのままコピーして他に利用したら権利侵害となる。
 しかし、オリジナルの内容を別の言葉と表現で発表した場合は、著作権の侵害にはならない。
 著作権法は表現を守る法律であり、その内容やアイデアまで特定の権利者に独占させようとしていない。

 問題になったAIによるニュース記事は、オリジナル記事の表現がそのまま使われている箇所がいくつかあったために、著作権侵害を訴えられた。
 だったら、表現を一新し、同じ内容をまったく別の文章で再現したらどうか。
 これを著作権侵害で訴えるのは難しいだろう。
 となると、剽窃とか盗作とか模倣で訴えるしかない。
 しかし、訴える側がこれを証明するのはハードルが高い。

 生成AIが普及することで心配されるのは、これだ。
 オリジナルコンテンツを勝手に利用され、好き勝手に改変され、別のコンテンツとして発表される。
 著作権侵害だったら、まだわかりやすく話は早い。
 これが剽窃、盗作、模倣、参照というレベルの利用だったら、どこまでオリジナルコンテンツの権利を主張できるか。
 しかも、権利侵害しているのはAIであり、AIを利用して新しいコンテンツを作ろうとしている人は、権利侵害している意識すらない。
 罪の意識なく、勝手に他人の権利侵害が横行することになる。
 更に、問題なのは、ネット上によく似たコンテンツが複数存在した時、どれがオリジナルなのか分からなくなること。
 AIによる生成画像の方がオリジナルより完成度が高いという現象は簡単に起きる。
 AIならいろんな画像からいいとこどりできるからだ。
 そうなると、オリジナルが必ずしも価値があると評価されなくなる。
 むしろAI画像の方が美しいと好まれるかもしれない。
 すると、AI画像が本物であり、オリジナルは劣化コピーと認識されかねない。
 これは悲劇だ。

 今後は、ネット上にAIコンテンツがあふれかえる事態が訪れる。
 ネット上で見る画像はAI画像。
 ネット上で読む文章もAI文章。
 すると、新たに生成AIが作り上げるコンテンツも、ネット上にあふれかえるAIコンテンツを基に作られていくことになる。
 いまは、人間が作った文章や画像を基にAIがコンテンツを作っている。
 ところが、今後は、AIが作ったコンテンツを基に、更にAIが新しいコンテンツを再生産する。
 AI技術の進展でコンテンツレベルはどんどん高くなる。
 AIコンテンツだけで自己完結する世界の誕生だ。
 ネット上では、人が作るようなオリジナルコンテンツはどんどん出番がなくなり、脇に追いやられる事態が起きるのだろうか。

 
posted by 平野喜久 at 13:51| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

AIによる画像生成の限界

 有名人を使った偽広告を使った投資詐欺が問題化している。
 有名人が実際にしゃべっているかのような音声と映像を流して、投資サイトに誘う。
 いまや架空の動画や音声をAIで作るのは簡単になっている。
 ついにここまで来たか、との印象だ。
 だが、よく見ると、そのフェイク動画は作りが不完全。
 あちこちに粗があり、それでフェイクだと分かる。

 有名人が本人の声質でしゃべっているかのような映像。
 口の動きも言葉に合わせてあり、よく作り込んでいる。
 だが、違和感がある。
 声やしぐさが単調だ。
 人は言葉の意味に合わせて、語りにメリハリをつける。
 意識しなくても、自然にそのようなしゃべりになる。
 大事な言葉は声が大きくなるし、その時には目も大きくなり、しぐさも大きくなる。
 フェイク映像は、声は一本調子だし、表情やしぐさも常にせわしなく動いているだけで、言葉の内容とリンクしていない。
 もちろん、ディズニー映画のように、言葉の内容に合わせて表情やしぐさに変化をつけることはできるのだろうが、そこはヒトによる相当の手間と技術がいる。
 
 動画ではなく、静止画の場合は、よりリアルなフェイク画像を作れる。
 有名人の場合は、ネット上にいろんな画像がアップされているので、それらを使って、別の写真と組み合わせれば様々な画像が作れる。
 顔の表情、肌や髪の毛の質感などは完璧だ。
 だが、AIの弱点がある。
 それは手の指に表れる。
 手の表情は多彩でいろんな形がある。
 しかし、手の多彩な写真は意外なことにネット上に豊富にない。
 顔の写真はたくさんあるが、手の写真は意外に少ないのだ。
 それで、生成AIは手の表情を再現するのが苦手なのだ。
 AIは人間の指がどのような構造をしているかを理解しているわけではない。
 画像として再現しようとするだけなので、よく似た写真から画像イメージだけを引っ張ってきて再生するだけ。
 だから、あり得ない指の形になってしまう。
 指の本数が多すぎたり、指の長さがおかしかったり、指があり得ない方向に曲がっていたり、ということが起きる。
 
 これは、洋服の生成でも同じようなことが起きる。
 色や質感やしわの様子はリアルに再現できる。
 だが、洋服の構造的な形までは再現できない。
 つまり、あり得ない形の洋服が画像の中に生成されてしまうのだ。
「この服、どうやって着るの?」という画像ができあがる。
 
 画像に映り込む文字も、生成AIが苦手とする分野だ。
 AIは文字も画像として処理する。
 なので、それらしい模様は再現するが、文字として生成できない。
 この世に存在しない文字列ができあがる。

 技術の進歩は激しい。
 いま未熟なレベルにあるとしても、あっという間にそれをクリアする時代が来るかもしれない。
 すると、リアルとフェイクの違いが判別できない世の中になるのか。
 
 
posted by 平野喜久 at 13:13| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生成AIの現在レベル

 生成AIの登場で、これからのネット上の知的空間は劇的に変化しそうだ。
 これからの仕事の仕方は激変する。
 場合によっては、不要になる職種も出てきそうだ。
 だが、現状の生成AIを使ってみて分かるのは、AIは、まだまだ実力不足との印象はぬぐえない。
 
 生成AIに小学校レベルの文章題を解かせるとよくわかる。
 なかなか正解を出してくれない。
 少し込み入った内容になると、まったくダメだ。
 AIの回答は、それらしい表現でいろんなことが書かれているが、すべて的外れででたらめ。
 回答の矛盾点を指摘すると、直ちに否定して、頑固に自分の回答が正しいと言い張る。
 それでも、おかしい点を理詰めで問い詰めようとすると、突然動きが停止して、「通信が切れました」となる。
 たぶん、一定方向に無理やり誘導しようとする質問には対応しないようにプログラミングされているのかもしれない。
 
 知識を問う質問は、もっとも利用できる。
 単純な事実を確認するだけなら、自分でネット検索しても調べられるが、AIに代わりに調べさせ、まとまった文章として出力させれば、その後の作業がやりやすい。
 例えば、「家康はいつどこでどんな理由で死んだか」という質問は、きめ細かく回答する。
 たぶん、ネット上に家康の死については情報が豊富なので、AIはその中から必要な情報を抽出するだけでいい。
 同じような調子で、歴史上の人物の死について調べてみた。
 吉田茂、東郷平八郎、藤原道長、源頼朝・・・。
 すると、いままで知らなかったことがいろいろ出てきて、「へーそうなんだ」となる。
 だが、途中で、変なことに気づく。
 回答のパターンがよく似てきたのだ。
 自分で、人物の死について調べてみると、AIの回答がずいぶんいい加減だったことが分かる。
 正しい情報も含まれているが、全然違う情報も。
 中には、明らかに別の人物の情報が混入しているケースもあった。

 生成AIは、言葉をつないでいるだけ。
 ある言葉の次に可能性の高い言葉を探し出して並べているだけだ。
 だから、道長の死について回答しているのに、途中から頼朝の情報に切り替わってつながってしまうということが起きる。
 そう、AIは物を考えていない。
 だから、人間が自分が考える代わりにAIに考えさせようとすると、酷い目に合う。

 これは、自分が専門としている分野について質問してみるとよくわかる。
 それらしい回答が返ってくるが、その内容は、当たり障りのない表面的な答えか、まったく別の内容を含んだでたらめであるか、どちらかだ。
 専門家をうならせるほどの内容は出てこない。
 これは当たり前だ。
 AIはネット上の情報を拾ってきて文章の形に整形して表示しているだけだからだ。
 ネット上にない情報は出力できないし、ネット上にない場合は、その周辺を探し回って同じような表現を見つけてつなげるだけ。
 だから、でたらめの内容になる。
 専門分野であれば、すぐにでたらめが分かるが、専門外の分野だと、それが見抜けない。
 ここがAIに頼ることの危険だ。
 
 AIは長い文章を要約してくれる。
 4000文字の文章を読ませ、400文字で要約せよ、と指示すると、ものの数秒で出力してくれる。
 要約文は、一見、筋が通っていて文章の趣旨を捉えているように見える。
 だが、元の文章と読み比べてみると、まったく印象が違う。
 AIは内容を理解して要約しているのではなく、言葉のつながりで文章を作っているだけ。
 主要な単語をピックアップしてその前後を別の言葉でつないで、日本語として自然な文章を出力している。
 文章として自然ではあっても、内容の信頼性はない。
 これが、日本語としてギクシャクした表現になっていたら、誰でも疑わしいと感じるが、文章が非常に自然なので、そこに違和感を覚えず、簡単に受け入れてしまう。
 ここもAIの危険なところだ。
 
 生成AIには、翻訳機能もある。
 英語のニュース記事を日本語に翻訳するのは簡単だ。
 しかも、日本語としてこなれた自然な文章で驚く。
 パソコンソフトでいろんな翻訳アプリがあるが、どんなに高価で進化したアプリでも、違和感のない翻訳文を出力する実力はない。
 ところが、生成AIの翻訳文は、文章に違和感がない。
 生成AIは翻訳アプリを超えたのか、と思ったがそうではない。
 生成AIは誤訳だらけだ。
 AIは自然な文章を出力することに長けているだけで、原文の意味やニュアンスを正しく翻訳することは考えられていない。
 まあ、ニュース記事程度の翻訳だったら、事実情報だけが分かればいいので問題は少ないが、微妙なニュアンスの違いが求められる文章を生成AIに翻訳させるのは危険が大きい。

 会議の議事録をAIに作らせることもできる。
 会議音声を録音しておき、それを自動で文字起こしし、更に要約させる。
 いままで、人間がやっていた手間がかかる議事録作成がAIで簡単に処理できる。
 これも、AIでは不十分なものにしかならない。
 せいぜい、AIに作らせたラフな議事録を基に、人間がチェックして正式な議事録を作成する、という使い方ではないか。
 
 AIは現状ではレベルが低く全面的に頼り切るには危なっかしい。
 そこには必ず人間のチェックがいる。
 すると、このチェックのためにヒトの手間がかかることになり、これが新たな負担になりそうだ。
 「こんなことなら、初めから自分でやった方が速い」ということになりかねない。
 
 ある大衆向け科学雑誌、毎号興味深いテーマをフルカラーの画像とともに平易に解説してあり、よく読む。
 その文章にはすべての漢字にふり仮名がふってある。
 小学生でも読めるようにとの配慮だろう。
 だが、このふり仮名が問題。
 時々、間違ったふり仮名がふってあるのだ。
 たぶん、コンピューターで自動的にふり仮名をふって、それを人間がチェックしているのだろうが、そのチェックが行き届かず、あちこちに見落としが残ってしまっているのだろう。
 これでは、小学生に間違った読みを教えてしまうようなもので、むしろ弊害が大きい。
 大人でも、難しい専門用語や固有名詞の場合は、ふり仮名は頼りになるが、あちこちに間違いが散見される文章では、危なっかしくて、信用できなくなる。
 生成AIの特集号のケースは最悪だった。
 あちこちに振り仮名間違いがあり、それが気になって読みにくくて仕方なかった。
 生成AIの限界と弊害を身をもって証明するような特集号であった。
 
posted by 平野喜久 at 12:18| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月26日

偽広告詐欺:SNS事業者の未熟

 SNS上の偽広告による詐欺犯罪が問題化している。
 著名人の名と画像を勝手に使った偽広告で投資サイトに誘導し、そこで大金を投資させ金銭を騙し取るという犯罪。
 投資詐欺は以前から存在していたが、いま問題になっているのは、SNS上の偽広告が詐欺行為の客寄せに使われていることだ。

 著名人が運営している投資グループであるかのように装い、客を吸引する。
 招待されたLINEグループでは、メンバーによる活発な情報交換が行われている。
 その中には、指導役の先生と教えてもらう生徒が存在する。
 生徒の中には、先生のアドバイス通りの投資で大儲けできたと喜んでいる人がいる。
 高級車を買ったとか、別荘を購入したとかいう情報も写真入りで投稿されている。
 これらは、すべて騙すための舞台装置なのだ。
 このメンバーの一員になりたいと思ったら、もうその人はカモだ。
 その後、資産のある限り吸い取られる。 

 偽広告に勝手に使われた著名人は、SNSの運営事業者に広告の削除を申し入れるが、まともに対応しない。
 閲覧した人の中には、明らかな偽広告だと分かるものについて事業者に通報をするが、「調査しましたが問題ありませんでした」と定型文を返してくるだけ。
 業を煮やした著名人や詐欺の被害者が、SNS運営会社を相手に提訴に踏み切った。

 メタ社は、公式に次のような声明を出している。
「世界中の膨大な数の広告を審査することには課題も伴う。
オンライン上の詐欺が今後も存在し続けるなかで、詐欺対策の進展には、産業界そして専門家や関連機関との連携による、社会全体でのアプローチが重要だと考える」
 この声明の真意はこうだ。
 膨大な数の広告をチェックするのは不可能。
 詐欺というのはいつの時代にもあった犯罪で、オンライン上でも今後は続く。
 これは、我が社1社で対応できるものではなく、産業界や社会全体で何とかする問題だ。

 この声明に多くの人が怒りを募らせている。
 メタ社は、広告収入によって事業が成り立っている。
 年間5兆6600億円もの売上があり、増え続けている。
 その広告で詐欺被害が多数発生するようになっている以上、その責任は免れない。
 詐欺広告で収入を得ているということは、詐欺の共犯または幇助にあたる。
 
 膨大な数の広告をチェックしていられないというのなら、チェックできる人員を増やすか、チェックできる規模に広告を縮小すべきだ。
 チェックしても詐欺広告か正当な広告かは判断できないとしたら、そのような判断できない広告は流さないようにすべきだ。
 例えば、自動車の設計に欠陥があり、運転中に突然エンストを起こす可能性があることが分かった場合、直ちにリコールを届け出て情報周知する。
 原因が分からなければ、はっきりするまで生産や販売は直ちに中止になる。
 SNS広告で深刻な詐欺被害が多発していることが分かっているのなら、その時点ですべての広告の表示を中止し、実態の解明、原因の追究、再発の防止策を立ち上げた後、ようやく事業再開となって当たり前だろう。
 SNS事業者はそこまでするつもりは全くない。
 社会のインフラを担う事業者としての覚悟も使命感もなさそうだ。
 SNS事業者はいずれもネットビジネスの発展とともに立ち上がってきたものなので、業歴が浅く未熟だ。
 経営者も目先の事業拡大や売上向上にしか関心がないようだ。

 「ネット上の売上は我が社が最大限獲得するが、そのデメリットは社会全体で対応せよ」
 こんな勝手な言い分は社会が許さないだろう。
 
posted by 平野喜久 at 09:21| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月25日

水原一平氏の転落:企業のコンプライアンスの教材に使える

 水原一平氏が大谷選手の口座から24億円以上をだまし銀行詐欺容疑で訴追された。
 水原氏はスポーツ賭博の借金を返すために無断で送金を続けていた。

 勝ちは総額218億円、負けは280億円。
 差し引き、62億円の借金を負っていたようだ。
 完全に金銭感覚が麻痺していたことがうかがえる。
 最初は少額で遊ぶ程度だったものが、負けを取り戻すために金額がかさんでいき、ついに億単位の賭けに手を出すようになる。

 過去に218億円もの勝ちを経験していることが恐ろしい。
 この経験が、60億円ぐらいのマイナスは簡単に取り戻せると錯覚させる。
 これが、ギャンブラーが深みにはまっていく心理だろう。

 賭けの回数は、2年余で1万9000回に及んだという。
 1日平均25回にもなる。
 水原氏は、ほとんど四六時中、ギャンブルのことが頭から離れなかったのではないだろうか。
 その間も、普通に通訳の仕事をこなし、大谷選手の脇で笑顔で対応していた。
 どのような心持だっただろう。
 水原氏は一人でもがき苦しんでいたのではないか。
 誰にも打ち明けられず、誰にも相談できず、泥沼に沈み込みながら、何とか自分一人で脱出しようとしていたのではないか。
 もしかすると、違法賭博の胴元から近づいてきて、はめられたのかもしれない。
 普通の通訳だったら、60億円もの借金を胴元が許すはずがない。
 大谷選手のバックがあることを承知しているから、いくらでも貸し付けることができたのだ。
 それを思うと、彼を単なる極悪人で切って捨てることができない。
 
 彼の周りの人間は、彼がギャンブルの泥沼にはまり苦しんでいることに気づかなかったのか。
 その予兆が分かれば、未然に救うことができた。
 彼の苦しみが分かれば、大谷選手の金を騙し取るなどという犯罪者に転落することを防ぐことができた。
 不思議なのは、何回にもわたって、大谷選手の口座から不正送金が繰り返されていたのに、誰もそれに気づかなかったこと。
 大谷選手は自分の資金管理に興味が薄いらしく、出入金の動きは把握していなかったようだ。
 だが、顧問税理士は何をやっていたのか。
 1年以上、口座の動きを見ていなかったことはあり得ない。
 送金の形跡は把握していたものの、異常とは見抜けなかったか。
 銀行も不正送金の繰り返しを見過ごした。
 もちろん、電話で本人確認をしただろうが、本人の代理として通訳が応答していたとしたら、確認になっていない。
 
 大谷選手の身の回りで彼をサポートしているのが水原氏一人のままであったことも問題だった。
 大谷選手はいまや1000億円プレーヤーになっているのだから、それなりのサポート体制に格上げすべきだった。
 複数人によるサポートになっていれば、水原氏ひとりで不正送金は難しくなる。
 大谷選手の口座から出金や送金を行うときには、複数チェックを経て行うというルールができていれば、水原氏が銀行詐欺を犯すこともなかった。
 水原氏の転落の原因はここにある。
 どんなにギャンブルにのめり込んでも、不正送金ができない仕組みになっていれば、銀行詐欺はできない。
 どんなに胴元にはめられ、脅されたとしても、大谷選手の資金に手を出すことはなかった。
 逆に言うと、水原氏が簡単に大谷選手の口座から不正送金ができそうだから、胴元にはめられたということもできる。
 これが鉄壁のセキュリティで、どんな手を使っても大谷選手の資金に手を付けることは不可能だということが明らかなら、胴元は通訳を相手に何億ものカネを貸し付けることはしないだろう。
 
 水原氏は、深い谷にかかる橋の上を歩かされていた。
 その橋には手すりがない。
 落下防止の安全ロープもない。
 少し躓いただけで、転落してしまう状態だった。
 この状態で、「躓いたヤツが悪い」と言えるか。
 誰もが間違いを犯すことがある。
 誰もが魔が差すことがある。
 それでも、安全柵に守られていれば、犯罪者に転落することは免れる。
 
 企業のコンプライアンスで、問題になるのはこれだ。
 会社のカネを横領したり、機密情報を持ち出したり、製造ラインの食品に毒物を混入させたり、という従業員による不正を防ぐためにはどうするか。
 教育を徹底する?
 悪い従業員に厳罰を科す?
 そもそも当社にそんな悪い従業員はいない?
 答えは、不正を働こうと思っても実行不可能な仕組みを作ることだ。
 これは、従業員を疑っているためにルールやチェックを厳しくするわけではない。
 善良な従業員を犯罪者に転落させないために安全柵を設置するということなのだ。

 水原一平氏の転落事例は、企業のコンプライアンスを考えるときの格好の教材になりそうだ。
 
posted by 平野喜久 at 14:28| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月14日

大坂万博失敗の予感:説教臭い催しでは盛り上がらない

 大阪万博の開幕まで1年。
 機運の高まりに欠ける。
 会場建設費が2度にわたって上振れし、約2倍の2350億円に膨張した。
 パビリオンの準備も遅れており、開幕に間に合わなくなる恐れも。
 前売りチケットの販売が始まったが、売れ行きは鈍いようだ。

 かつての万博は国威発揚型が主流だったが、いまは現代社会の要請にこたえる「課題解決型」に変わってきているという。
 大阪万博のテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」というもの。
 これを見ただけで嫌な予感がする。
 説教臭い万博になりそうだからだ。

 各パビリオンで計画されている内容は、次のようなものが紹介されている。

大阪府市:25年後の自身の姿をアバターにして映写。健康寿命を考えさせる。
日本政府:循環型社会に関する展示
オランダ:水からクリーンエネルギーを生み出す新技術
ベルギー:生命の源である水をテーマ、ライフサイエンスやヘルスケア技術
アメリカ:映像技術による宇宙旅行の疑似体験
ぜリ・ジャパン:プラスチックごみによる海洋汚染の啓発
三菱グループ:いのち輝く地球を未来に繋ぐ
大坂ガス:持続可能な地球環境の実現のためにどう行動するか 

 これを見て愕然とする。
 ワクワクするものがない。
 簡単な説明を読むだけで、どんな内容になるか透けて見える。
 これで、高額のチケットを買い、人ごみの中を出かけていき、行列を作ってまで見たいと思うだろうか。

 25年後の自身の姿を見たいか。
 自分の容姿の劣化と体の老化を目の当たりにして嬉しくなる人はいない。
 確かに健康寿命を考えさせるきっかけにはなるだろうが、マイナス思考しかもたらさないだろう。
 映像技術による宇宙旅行体験も、なんと古臭いコンテンツかと思わせる。
 ハリウッドのCG技術は世界一のレベルだが、SF映画の予告編のような映像を見せられるだけなのが丸わかり。
 その他も、環境やカーボンニュートラルに関連した展示になる。
 その内容は、「地球を守るために・・・しなければいけない」「温暖化を防ぐために・・・してはいけない」という感じになるのが目に見える。
 耳の痛い話を聞かされるだけの展示にワクワクする人はいない。
 
 このような説教臭い万博では、誰も無理して行きたいと思わないだろう。
 動員をかけるには「ぜひ、現場に行ってみたい」と思わせる仕掛けがいる。
 いまのところ、コンテンツの魅力のなさを、事前の告知マーケティングで盛り上げようとしているようだが、いずれも上滑りで効果が出ていない。
 実際にパビリオンが立ち並び、具体的な展示内容が知らされるようになれば、機運が盛り上がってくるという声もある。
 本当にそうだろうか。
 いまは、建築費の膨張や準備の遅れなどが機運が盛り上がらない理由とされるが、もっと本質的な理由がありそうだ。
posted by 平野喜久 at 09:54| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月02日

500年後、日本人の姓は佐藤だけ?:奇妙な別姓推進論

 共同通信の報道で、奇妙な別姓推進論が注目を浴びた。
 エイプリルフールのジョークだということは承知で、あえて批判的に論評する。

 東北大の吉田浩教授が結婚時に夫婦どちらかの姓を選ぶ現行制度を続けると、2531年に日本人の姓がみんな「佐藤」になる可能性があるという試算結果を発表した。
 なぜこうなるのかという理由はこうだ。
 現行制度が続いた場合、いま最も多い佐藤姓との婚姻が増え、これを繰り返して長い時間を経ると佐藤姓に吸収されていく可能性があるという。
 結婚や子の誕生などで佐藤姓の人口が年0.8%ずつ増え、2531年には100%になるというシミュレーション結果がでたらしい。
 ところが、選択的夫婦別姓を導入した場合は、佐藤姓の占有比率が100%になるのは3310年だったという。
 姓の多様性を維持したければ、選択的夫婦別姓に切り替えよ、というのが結論のようだ。
 なんとも違和感だらけのシミュレーションだ。
 
 中国や韓国では、原則的夫婦別姓制度になっているが、姓の多様性は見られない。
 両国とも姓は数百種類に限られる。
 上位10種類ぐらいで大半を占める。
 一方日本の姓はバリエーションが多いことで知られる。
 数十万種類あるという。
 この実態を見ただけでも、夫婦別姓で姓の多様性が維持できるという主張は大外れだということが分かる。

 そもそも、婚姻によって、多数派の佐藤姓が主流になるという理屈が意味不明だ。
 日本では、スマホがガラケーを駆逐していった。
 これと同じようなことが姓でも起きるかのようだ。
 姓は流行や時代の流れで増えたり減ったりするものではない。
 佐藤姓が一番多かったとしても、どれだけ婚姻を繰り返そうが、佐藤姓が全国制覇する事態はあり得ない。

 簡単にシミュレーションしてみよう。
 いま10000世帯があるとする。
 日本には佐藤と田中の2種類しか姓がないとする。
 佐藤が6割、田中が4割と比率に差をつける。
 少子化が進んでいるので、1世帯に子供は1人だけとする。
 結婚した夫婦は夫の姓をなのるとする。

 そうすると、第2世代では10000人の子供ができる。
 佐藤姓の子供が6000人、田中姓の子供が4000人となる。
 佐藤姓6000人の内、男は3000人、田中姓の男は2000人。
 第2世代が結婚すると、佐藤家が3000、田中家が2000できることになる。
 少子化により、世代を経るごとに人口は半分になるが、佐藤と田中の比率は変わらない。
 第3世代も更に人口が半分になるが、佐藤と田中の比率は、3:2のままだ。
 どれだけ世代が進んでも、佐藤姓に吸収されて、田中姓がなくなることはない。
 
 では、夫婦別姓ではどうなるのか。
 分かりやすくするために、全員が夫婦別姓とする。
 第1世代の世帯数と佐藤と田中の比率も同じ。
 子供は1人だが、どちらの姓を残すかはランダムに決める。
 これでシミュレーションすると、第2世代は、佐藤佐藤の夫婦が1800、田中田中の夫婦が800となる。
 この場合は、第3世代は自動的に佐藤1800人、田中800人となる。
 問題は、佐藤田中、田中佐藤の世帯数。
 計算すると佐藤田中は1200、田中佐藤も1200となり、合わせて2400だ。
 この夫婦の子供は、佐藤か田中かはランダムに決めるので、第3世代は1200が佐藤、1200が田中となる。
 すると、第3世代全体では、佐藤3000人、田中2000人となる。
 これは、何のことはない、夫婦同姓の場合と同じになるのだ。
 同姓だと姓の多様性が失われ、別姓だと多様性が維持できるとは、どういう理屈なのかまったく不明だ。

 吉田氏はシミュレーションの中で、佐藤姓が年に0.8%ずつ増加すると決めつけている。
 これは仮定でこういう数値を設定したとは言っておらず、分析の結果こうなることが分かったかのような表現だ。
 どういう分析でこんな数値が出てきたのか語られていない。
 実際の数字にあたってみると、22年から23年にかけて佐藤姓の人口が0.8%増加していることが確認される。
 なるほど、この数字を使ったようだ。
 佐藤姓の増減は、年によってまちまち。
 年によっては、ほとんど増えていないこともあるし、減少していることもある。
 単年度では、わずかながら増減を繰り返しているが、長期にならすと、ほとんど変わらないということになる。

 吉田氏は、たまたま0.8%増加している年を見つけたため、それをピックアップして、今後毎年0.8%ずつ佐藤姓が増加するとどうなるかを計算したようだ。
 しかも、この0.8%増加の原因が、夫婦同姓の現行制度によるものと勝手に決めつけている。
 偶然現れた自説に都合のいいデータだけをピックアップし、シミュレーションのパラメータとするのは、研究者がもっともやってはいけないことだ。

 佐藤姓だけでなく、田中姓だって年によるわずかな増減を繰り返しているだろうことは容易に予想できる。
 「武者小路」という珍しい姓でも、僅かに増加している年が見つかるかもしれない。
 とすると、同じ方法で、田中姓が全国を席巻するシミュレーションも可能だし、武者小路姓が全国制覇をするシミュレーションさえできてしまう。
 ほとんど人をおちょくったような分析だ。

 「選択的夫婦別姓を導入した場合は、佐藤姓の占有比率が100%になるのは3310年」というシミュレーションも、どのような計算で出されたのか不明。
 別姓なら姓の多様性が維持できるといいながら、結局は佐藤だけになるときが来るという矛盾。
 たぶん、いまのペースで少子化が進行することを前提にシミュレーションしたのだろう。
 すると、3300年ごろには日本人は絶滅寸前になっており、その時、最後の1人に残る可能性が最も高い姓は、佐藤ということなのだろう。
 別姓でも最終的には佐藤姓100%になってしまうのは、こういうわけだ。
 どうせ恣意的に数値設定して遊んでいるだけなので、解明しようとするだけ無駄。
 
 この研究もどきは、一般社団法人「あすには」からの依頼で行われたという。
 「あすには」は選択的夫婦別姓の実現を目指している団体だ。
 依頼主の要望に合わせて、無理やり導き出したシミュレーション。
 たぶん、本人でもこの主張には無理があることが分かっているのだろう。
 エイプリルフールに発表したのは、「これは単なる数字のお遊びです」との言い訳を含んでいるためだ。

 吉田氏は、こうも言っている「姓の持つ伝統や文化、個人の思いを尊重するための、姓の存続を考えるべきではないか」
 なんと的外れなコメントか。
 別姓推進は、伝統や文化を破壊し、姓の存在意義を失わせようとする活動であることが分かっていない。
 それにしても、このようなでたらめなシミュレーションを大学教授の名前で拡散させ、選択的別姓を進めようとする推進派のいやらしさよ。
 そして、学者のジョークを嬉々として報道するメディアのうさん臭さよ。
 
posted by 平野喜久 at 12:07| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月30日

小林製薬の健康被害:紅麹の素人が作ったサプリ

 小林製薬が製造販売した紅麹成分のサプリで健康被害が相次いでいる。
 1月15日に最初の症例報告があったにもかかわらず、自主回収が3月22日になったことが「対応が遅い」と批判されている。
 当初、腎疾患をもたらす原因物質が見つからなかったために、対応が遅れたものと見られる。
 ようやく未知の成分が見つかったが、それが原因物質なのかどうかは不明のまま。
 昨日の社長の記者会見でも、「未知の成分」については物質名を避けていたが、厚労省が「プベルル酸」と公表したため、後追いで認めざるを得なくなった。
 小林製薬が「原因はまだわからない」を繰り返しているため、厚労省がしびれを切らして物質名を発表したように見える。
 小林製薬だけに真相究明を任せていたのでは、いつまでかかるか分からないので、いち早く公表して、広く知見を集めたほうがいいとの判断だろう。
 今後は、この物質が本当に腎疾患をもたらしたのかについて、動物実験や臨床試験を行いながら解明していくことになりそうだ。
 ことは長期化の様相を呈しており、その間に企業の信用は削られ続けることになる。
 
 小林製薬は「製薬」と名乗っているが、一般にイメージする製薬会社とは違う。
 管理の厳しい医療機関向けの医薬品は製造していない。
 一般家庭向けのトイレタリー商品が中心だ。
 事業買収で業容を拡大し、健康食品や美容品分野を強化していた。
 紅麹サプリもグンゼから事業譲渡を受けたもの。
 もともと、小林製薬にノウハウや技術があったわけではない。
 健康被害の報告があっても、対応が後手後手で混乱しているのは、緊急時対応の経験値もなく、マニュアルも整備されていないせいだろう。
 健康被害が起きているにもかかわらず、その原因を突き止められず、何が起きているのかさえ把握できていない。
 これは、まったく製薬会社としての管理能力を有しているとは思えない。
 紅麹の素人が作っていたサプリ、というのが実態だと捉えると、グズグズの対応も納得できるかもしれない。

 サプリの利用者は、小林製薬という社名ブランドを信用して購入したはず。
 いま様々なサプリが世の中にあふれているが、製薬会社の作ったサプリなら間違いはないだろう、というイメージがある。
 小林製薬という社名で消費者に間違ったイメージを与えてきたと言われても仕方ない。
 
 1月15日に最初の症例があったということになっているが、今年初めに株主に届いた商品パンフレットには、紅麹サプリが削除されていたという。
 もしかしたら、去年の内に既に前兆をつかんでいたのではないのかが疑われる。
 紅麹を製造していた大阪工場が去年末に閉鎖されていたことも、様々な憶測を招く。
 今年2月初めに役員会議に情報が挙げられ審議されたらしい。
 そこでは、自主回収の判断には至らなかった。
 ところが、そのころから株価が下がり始めていることから、インサイダー情報が漏洩していたのではと疑われている。
 長期間服用している人が腎臓への影響がでているので、問題は最近に限った話ではない。
 既に去年の内から、なんらかの情報が入り始めていたとしても不思議ではない。
 となると、早い段階で情報が分かっており、しかもそれが深刻な問題に発展する可能性があることも認識していたことを疑わせる。
 
 これは、今後、対応を間違えると企業の存続にかかわる事態に発展する恐れがある。
 
 
 
 
posted by 平野喜久 at 11:59| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月27日

偽情報に脆弱な日本人:読売新聞特集記事

 読売新聞で「情報偏食」という連載記事が続いている。
 26日の記事は日本人は偽情報に脆弱というもの。
 日米韓で情報との向き合い方をアンケート調査の結果が報告されている。
 情報に接した時、1次情報に遡って確認する割合が日本は最も低く、偽情報を「誤り」と判断できた割合も最低だったという。
 日本人はネット情報に対して無防備な実態が浮き彫りになった。

 面白いのは、デジタル空間の特性を理解するためのキーワードの認知度が米韓に比べて極端に低いという調査結果だ。
 「アテンション・エコノミー」「フィルターバブル」「エコーチェンバー」という言葉、日本人の認知度はいずれも数%にとどまるが、米韓ではいずれも数十%の認知度になっている。
 「アテンション・エコノミー」とは、記事や投稿に過激な見出しを付けて関心を引き付け、アクセスを増やせば広告収入が得られる仕組みのこと。
 いかにキャッチ―なフレーズで注目されるかだけが目的となり、内容の真偽や重要性がないがしろにされる。
 「フィルターバブル」とは、SNS上では、利用者の関心や興味に合わせてお勧めの情報をアップするようにアルゴリズムが設計されているため、受け取る情報が偏ること。
 だから、受け身で目の前に現れる情報に接していると、同じような情報ばかりに接し、それ以外の世界があることに気づかなくなってしまう。
 特定の情報しか透過しないバブルの中に閉じ込められている状況をイメージした言葉。
 「エコーチェンバー」とは、SNS上では、自分と同じ趣味や意見を持つ人とつながりやすく、それ以外の人物との接触が途絶すること。
 閉じた空間の中では仲間内で共感を呼び盛り上がるので、狭い空間で音が反響する現象になぞらえた言葉。

 このような現象は、別にSNSに限定したものではない。
 ネットが発達する以前から人間社会では当たり前に起きていたこと。
 「確証バイアス」という心理学用語がある。
 これは、仮説や信念を検証する際に、それを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視したり集めようとしない傾向のことを指す。
 そのために、情報収集すればするほど、その人の仮説や信念を確証するようになる。
 間違った認識を持っている人は、その確信をますます強めてしまうというわけだ。
 これが極端に表れるのが、SNSの世界だ。

 「アテンション・エコノミー」「フィルターバブル」「エコーチェンバー」という言葉の認知度が日本だけ極端に低いのは、たぶん、メディアに取り上げられることが少ないからだろう。
 これらの言葉は、自分で意識して探索しようとしなければ、接する機会がない。
 日本人の情報特性は受け身型になってしまっているために、向こうから飛び込んでくる情報でなければ、知らないまま終わってしまうのだ。
 まさに、フィルターバブルの中に閉じ込められている状態。
 
 いま、電車に乗って気づくのは、誰もがスマホを見ていること。
 寸暇を惜しんで情報収集しなければならないような切迫した状況でもあるのか、と問いたくなる。
 だが、何もせずにぼーっとしているようだったら、情報収集したほうがいいというのがコスパの考え方だろう。
 1時間ドラマを1.5倍速で再生し、乗車中に見ることができてしまえば、家に帰ってからはその1時間を別のことに使うことができる。
 これも合理的な考え方かもしれない。
 
 最近の若者は、行列を作ることが苦にならないという。
 有名店の開店前から何時間も並んでいる。
 その間に何をしているかというと、スマホで好みのコンテンツを楽しんでいるのだ、
 行列しながらコンテンツを楽しめるのだから、一挙両得。
 これほどコスパのいいことはない。

 だが、彼ら彼女らは、いつ自分の頭で考えるのだろうか、と心配になる。
 スマホを開けば、常に何か新しい情報がそこにある。
 いつも、受け身で情報に晒されている。
 それを永遠に続けている。
 思考力と判断力が衰えていくのは目に見えている。

 以前、別の調査結果でこんなものがあった。
 ネットでSNSに接する時間の長い人ほど、自分が不幸だと感じている人が多いというアンケート結果があったという。
 ネット上では、他の人たちの楽しそうな日常を目にすることが多い。
 「〇〇に行ってきました」「〇〇で○○を楽しんできました」「○○と一緒に〇〇を食べました」
 みんなが日常のたわいもない写真をアップしているが、いずれも楽しそうで幸せそうだ。
 それを見せられると、自分はそこまで幸せではないように感じてしまうのだろう。
 ネットで情報収集する人ほど、自分以外がみんな優秀に見え、自信を失っていく。
 この現象もネーミングが必要だ。
 「バーチャル・ミスフォーチュン(不幸幻想)」といった感じか。
posted by 平野喜久 at 08:51| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月26日

大谷投手の記者会見:不正アクセスの疑問が残る

 ドジャース・大谷翔平投手は25日午後2時45分(日本時間26日6時45分)、
 水原一平通訳が違法賭博問題で解雇された件に関して、声明文を発表した。
 記者会見という形式だったが、質疑応答はなく、用意された主張を一方的に表明しただけなので、実質「声明文の発表」となった。
 結論は、「スポーツ賭博に関与も送金していた事実はない」「水原氏が口座から金を盗み、嘘をついていた」という2点。
 日本では大谷投手に同情的な報道が多かったが、アメリカメディアの中には、「オオタニが主犯で、通訳はいけにえにされたのでは」という疑惑が上がっていた。
 まずは、その疑惑を全面否定するために行われた会見だったようだ。

 だが、その内容は、いままで代理人が発表していたストーリーを大谷投手の言葉で詳しく説明し直しただけのもので、新たな発見はほとんどない。
 たぶん、事前の打ち合わせが綿密に行われていたのだろう。
 これで疑惑は払拭されたかというと、ほど遠い。
 自らの言葉で語ったということで、人柄の良さが実感され、ファンにとっては高評価の会見だった。
 だが、肝心の疑惑が残ってしまったという点では残念な会見だった。

 なぜアメリカメディアで「オオタニが主犯ではないのか」という疑惑が持ち上がったのかというと、別にアジア人の活躍を快く思わない人が言いがかりをつけているわけではない。
 他人が不正にアクセスして高額の送金を何度も繰り返すことができてしまったことが不自然だからだ。
 いまは、マネーロンダリングの警戒から、高額送金については金融機関は何重ものセキュリティチェックを設けており、正規の送金でも手続きは面倒なことこの上ない。
 なのに、水原氏は堅牢なセキュリティを突破し、本人に気づかれないように高額送金を繰り返すことができたという。
 そんなことは不可能だろう、と考えるのが常識だ。
 だから、「オオタニが主犯」という疑惑が持ち上がったのだ。
 ということは、「僕は何も知らない」ということをいくら繰り返しても、疑惑の払拭にはつながらない。
 大谷投手も同じ疑問を持ったのなら、「いま銀行側に問い合わせている」という言葉があってしかるべきだった。

 水原氏が不正アクセスできた理由を知りたいと多くの人が思っている。
 この知りたいというのは、単に興味本位で真相を暴きたいという意味ではない。
 これが、例えば銀行側のセキュリティに誰も知らない重大な穴があり、そこを突破された、というのなら、これは一人のスポーツ選手の話にとどまらず、社会全体に影響の及ぶ問題になるからだ。
 そうではなくて、事前に代理人登録してあって、登録代理人なら本人に代わって50万ドルまでネット送金できるシステムを悪用されたというのであれば、そのような説明をひとことするだけで済む話だ。
 (この場合は、窃盗ではなく、横領になるが)

 大谷投手の会見では、不正アクセスの疑問について触れることがなかった。
 ということは、大谷投手がそこに疑問を感じていないか、弁護士に言及を止められているのか、どちらかだろう。

 政治家の不祥事だったら、秘書のせいにして逃げようとするのをメディアは許さない。
 だが、今回のスキャンダルは、アメリカのメディアが沈黙すれば話題が遠のき、みんなが興味を失ったところで収束しそうだ。

 

 
 
posted by 平野喜久 at 10:44| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする