2022年12月18日

菊澤研宗著『命令の不条理』:読後感

 菊澤研宗著『命令の不条理〜逆らう部下が組織を伸ばす〜』を読了。
 これは、2007年7月に光文社新書から『「命令違反」が組織を伸ばす』という書名で発刊されたが、今回、書名変更の上、中公文庫から新刊となった。
 菊澤氏の著作は、過去に何冊も読んでいた。
 彼の主張の特徴は、「組織の失敗は合理的な判断によってもたらされる」という点にある。
 これは、私たちの常識と違う。
 普通は、過去の失敗事例を見たときに、「リーダーが非合理的な判断をしたために失敗した」と解釈する。
 そして、リーダーのここがダメだった、ここが間違いだった、と論評する。
 ところが、菊澤氏は、「リーダーは合理的な判断をして失敗する」と解釈する。
 結果から過去を振り返ると、どうしてこんな非合理的な判断をしたんだろうと思ってしまうことも、との当時の当事者の立場に立ってみると、これが最善の策だと解釈して実行していたことがわかる。
 つまり、その時のリーダーが間抜けだったから失敗したのではなく、有能なリーダーであったのにもかかわらず失敗してしまったことが重要なのだ。
 私たちは、結果論から過去を断罪しがちだ。
 結果が分かってからなら何とでもいえる。
 しかし、ここからは、「リーダーは完全合理的であるべし」という教訓しか得られない。
 現実には、神のように完全合理的な判断ができる人間などこの世に存在しない。
 結果論による論評は、ありもしない理想像を求めてしまっていることになる。
 ここで、菊澤氏の「リーダーは合理的な判断をして失敗する」という主張には、考えさせられることが多い。
 
 さて、問題はここからだ。
 人は合理的な判断をして失敗してしまうとしたら、私たちは失敗しないためにはどうしたらいいのか。
 どんなに優秀な人でも失敗は避けられないのなら、あきらめるしかないのか。
 失敗を回避する方法が示されていない。
 菊澤理論への批判はここにあった。
 それに対する答えが本書『命令の不条理』だ。

 本書のテーマは、「部下の命令違反が組織を守る」という主張だ。
 またも逆説的な主張で、どういうことかと内容を読んでみたくなる。
 例によって、太平洋戦争の代表的な戦闘場面を取り上げ、検証を試みている。
 どうやら、命令違反にもいろんなタイプがあって、「よい命令違反」と「悪い命令違反」があるらしい。
 トップが間違った命令を出したとしても、部下がやむを得ず命令違反をすることで、組織を守ることができる。
 これが、よい命令違反。
 ペリリュー島での中川州男、ミッドウェー海戦での山口多聞のケースがこれにあたる。
 一方、トップが適切な命令を出しているのにもかかわらず、部下が勝手に命令違反をすることで、組織が崩壊する。
 これが、悪い命令違反。
 ノモンハン事件での辻政信、レイテ海戦での栗田健男のケースがこれにあたる。

 それぞれを、理論的な裏付けをもって緻密に分析している。
 どういう命令違反が「よい」になり、どういう命令違反が「悪い」になるのかが理論的に示されている。
 たしかに、菊澤氏の理論は筋が通っているし、欠陥は見当たらない。
 理論的にはその通りだと思う。
 だが、残念ながら、すっきりした納得感がない。
 自らの理論を過去事例に当てはめて、無理やり解釈しようとしているように見えるからだろうか。

 組織は合理的に失敗するということへの解決策が本書で示されているはずだが、これを読んでも、結局、私たちはどうしたらいいのかわからないままだ。

 
 

 


 


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2022年12月16日

知られていない臨時情報の仕組み:南海トラフ巨大地震

 北海道・十勝沖後発地震注意情報の運用が始まった。
 想定震源域で中程度の地震が起きたときに、次の巨大地震の発生を注意するように呼び掛ける仕組みだ。
 南海トラフ地震でも同じような仕組みがあって、既に運用が始まっていることは、あまり知られていない。
 いや、運用が始まった時にマスコミでしきりに報道されたので、知らない人はいないはずだが、その後、話題にならないので、記憶が蒸発してしまっているのが実情だろう。

 かつては「東海地震警戒宣言」が出される仕組みがあった。
 東海地震は事前予知が可能であることを前提に、その時には総理大臣が警戒宣言を発出することになっていた。
 ところが、地震予知は不可能であることが分かってきたので、この仕組みは撤廃され、代わりに「南海トラフ地震臨時情報」が出される仕組みとなった。
 南海トラフ地震発生のリスクが高まったと判断されたときには、「警戒情報」か「注意情報」が発表される。
 「警戒情報」は、「リスクがかなり高まっているの警戒せよ」というメッセージ、「注意情報」は、「リスクが高まっているので注意せよ」というメッセージ。
 この情報が発表されたときには、各自治体はどのように対応するのかが求められる。
 いま、各自治体でその時の対応方法が作られ、住民に伝えられている。
 
 企業も同じように独自の対応が求められる。
 警戒情報が出たときにどうするか、注意情報の時にはどうするか。
 国や自治体は企業の面倒は見てくれない。
 BCPでは、地震発生後の行動を考えるのが通例だったが、これからは、臨時情報の発表があったときからの行動手順を準備する必要がある。
 
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後発地震注意情報の運用開始:北海道・三陸沖

 「北海道・三陸沖後発地震注意情報」の運用が本日正午から始まる。
 北海道から岩手県にかけての沖合にある「千島海溝」と「日本海溝」でマグニチュード7クラスの地震が起きた場合に、国がその後の巨大地震の発生に注意を呼びかける仕組みだ。
 情報が発表された場合、北海道から関東にかけての7道県182の市町村では、1週間程度は日常の生活を維持しつつ、揺れを感じたら直ちに避難できるよう備えておくことなどが求められる。
 
 千島海溝と日本海溝は、巨大地震の発生リスクが高まっている。
 日本の巨大地震というと、まず南海トラフと首都直下が取り上げられるが、千島海溝の地震リスクが見過ごされがちだ。
 それで、今回の注意情報の運用開始となった。

 これはどういう仕組みかというと、千島海溝と日本海溝の震源エリアのどこかでマグニチュード7程度の地震が起きたときに、続いて規模の大きい地震発生の可能性を知らせ、注意喚起するものだ。
 これは、過去の経験則から導き出された。
 東日本大震災は、2011年3月11日に起きたが、実はその2日前に、同じ場所でマグニチュード7程度の地震が起きていたのだ。
 後で振り返ると、これが巨大地震の前震だったのだということが分かるが、この時にはわからない。
 津波も起きず、揺れによる直接被害もほとんどなく終わってしまったために、次の巨大地震を警戒する人もなく、注意喚起の情報も発信されなかった。
 この時、次の巨大地震の可能性を少しでも意識した行動がとれていたら、被害を少しでも軽減できていたのではないかとの反省がある。
 このように、巨大地震の前に中程度の地震が起きるという現象は、過去に何度も記録されている。
 それで、想定震源域で中程度の地震が起きたときには、次の巨大地震発生の前震の可能性があることを国民に知らせようということになったわけだ。

 かつては、大きな地震が起きたときは、「今後1週間程度は余震の可能性があります」との呼びかけが行われていた。
 余震は、本震よりも一回り小さい規模の地震だ。
 この呼びかけが、「もうこれより大きい地震は起きない」という奇妙な安心感を与えてしまい、国民に誤った判断をさせることになる。
 2016年の熊本地震では、4月14日の地震発生後、余震への警戒が呼びかけられたが、2日後に最大震度7の地震が発生した。
 2回目の地震はとても余震と言えるものではなく、同程度の地震が2回連続したものだった。
 それで、最近は地震が発生した時は、「今後1週間は、同程度かそれ以上の地震が起きる可能性があります」という言い方に変更されるようになった。

 後発地震注意情報は、当たる可能性は低い。
 中程度の地震が必ず次の巨大地震の引き金になるとは限らないからだ。
 むしろ、次の巨大地震につながらない可能性の方が圧倒的に高い。
 確実性の低い情報を流すことで、不必要に国民に不安を与えることになるのではという意見もある。
 だが、巨大地震のリスクが高まっているのが分かっていながら、そのことを国民に隠しておくということがあっていいのか、という意見が強い。
 それで、リスクが高まっていることをありのままに国民に伝え、それをどう判断しどう行動するかは、国民自身にゆだねようということになったわけだ。
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2022年11月21日

凡庸なリーダーは事態を悪化させる

 寺田総務大臣の更迭。
 総理の決断の遅さが批判されている。
 山際氏の場合も、寺田氏の場合も、任命直後から問題が指摘されていた。
 マスコミや野党がそこに食らいついて話さないのは目に見えていながら、対応を先延ばししたために、事態を悪化させ続けた。
 
 いま、新型コロナの第8波が始まろうとしている。
 いつまで、こんなことを繰り返しているのだろうか。
 以前から、第2類相当の扱いを、第5類相当に切り替えよ、という声が国民の間から立ち上がっていた。
 第7波の時、総理は「感染拡大の最中に基準を切り替えると現場が混乱する」と言って、決断を先送りにした。
 いま、第7波が収まり、第8波を迎えようとしている。
 基準切り替えをするとしたら、ラストチャンスだが、決断は先送りにしたままだ。
 閣僚人事にてんてこ舞いで、国政の重大事案にじっくり向き合う余裕を失っているようだ。

 第8波では第7波以上の感染状況を迎える。
 第2類相当のままでは、再び医療現場の逼迫が起きるのは目に見えている。
 その時、また、国民に外出自粛、3密回避を呼び掛けるのか。
 本来は、国民の健康を守るために医療体制があるはずなのに、いまでは医療体制を守るために国民が犠牲を強いられるという倒錯した状況が続いている。
 「聞く力」をアピールしていた総理。
 本当に聞く力しか持っていなかったことが分かってきて、失望感が強い。
 
 危機管理においては、「誤断は不断に勝る」が教訓だ。
 ぐずぐずしていて決断できないようなら、間違っても何らかの決断をした方がいい。
 早いうちの決断なら、間違っていたとしても取り戻す時間の余裕がある。
 ところが、決断できない者は、ひたすら時間ばかりを浪費し事態を悪化させ続ける。
 凡庸なリーダーは役に立たないどころではない。
 事態を悪化させてしまうという意味で、弊害が大きい。
 
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2022年11月13日

政治家のスピーチ下手:葉梨大臣の失言

 葉梨氏は9日、都内の会合で「だいたい法相は朝、死刑のはんこを押す。昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」などと述べた。
 これが死刑を軽視する重大な失言として取り上げられた。
 野党やマスコミの批判が沸き起こる中、本人は釈明に追われたが、自民党内からも、かばいきれないとの声が上がり、11日に更迭となった。

 葉梨氏は、頭脳明晰で堅実なイメージがあり、法務大臣就任の報道を知った時、期待できそうだと思った。
 だが、こんなつまらない失言で失脚するとは、残念だ。
 たぶん、葉梨氏としては、死刑を軽んじるつもりも、法務大臣という職責を軽視するつもりもなかっただろう。
 初入閣の法務大臣として周りからもてはやされる中、「いや、それほど大したことではないんですよ」と謙遜のつもりで、「法務大臣なんてこんなもの」と自虐的に冗談を言ったのに違いない。
 ここで、逆に「法務大臣は重責なんだ。大変なんだ」なんてことを強調するようなスピーチをしたら、むしろ、場をしらけさせただろう。

 葉梨氏は、問題となった会合でたまたま口が滑ったというわけではなく、いろんな場で、同じようなスピーチをしていたようだ。
 このジョークでそれなりに場が和むのを見て、同じ調子て繰り返していたのだろう。
 更に、「法務大臣はカネがもうからない。票が集まらない」という愚痴までも披露していたらしい。
 調子に乗って、自虐ジョークを重ねてしまったようだ。
 軽口は、その場に居合わせてスピーチを聴いた人はそれほど違和感がないが、それを、現場の雰囲気を実感しない第三者が文字として読むと強烈な違和感を覚えることがある。
 今回は、このケースだ。

 葉梨氏は、「死刑を軽視しているような印象を与えてしまったのは本意ではない」として、釈明を繰り返した。
 ぶら下がり取材では、その時のスピーチ全文を読み上げ、どのような文脈で語ったものかということを知らせようとした。
 片言隻語で上げ足を取ろうとするマスコミへの不満がにじみ出ていた。
 だが、4分間の全文朗読を聴いている記者はなく、それを報道するマスコミもなかった。
 現場の雰囲気を知らない者が、全文の読み上げを聴いても、それを文字として読んでも、違和感に変わりはない。
 むしろ、「発言の一部を切り取られたために誤解されているのでは」と同情していた保守派にまで見限られてしまった。
 葉梨氏の抗弁は、事態を悪化させただけだった。

 葉梨氏に落ち度があるとすれば、それは、致命的なスピーチ下手にある。
 政治家は言葉が商売道具。
 その言葉を適切に使えなくては、政治家は務まらない。
 言葉で我が意を伝え、言葉で聴き手の心をつかみ、言葉で相手の行動を促す。
 話術にはさまざまなテクニックがあるが、笑いを取るというのはその1つ。
 だが、この笑いを取るという技術は、思いのほか難しい。
 話術の中では高等戦術に入る。
 使い方を間違えると、受けなくてドッチラケになるだけでは済まない。
 聴き手を不快にさせ、特定の人の怒りを買い、別の問題を引き起こしかねない。
 誰も不快にさせず、爽やかな印象だけを残す笑い・・・これを使いこなすには相当のトレーニングがいる。
 欧米の政治家のスピーチを聴いていると、笑いをとることが必須のように見える。
 中にはライバルを当てこするだけのような低レベルの笑いもあるが、品のあるウィットに富んだ笑いもある。
 爽やかな笑いは聴く方も気持ちがいい。
 葉梨氏には、聴き手の心をつかむスピーチ能力に限界があった。
 それで、安易に程度の低い自虐ネタで笑いを取ろうとしてしまったのだろう。
 今回の件で、葉梨氏の政治家としての限界まで露呈してしまった。
 再登板は無理だろう。


 

 
 
posted by 平野喜久 at 10:58| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月02日

韓国群衆事故:再発防止の前に

 10月29日、韓国・ソウルの繁華街、梨泰院で156人が死亡した転倒事故。
 事故は長さ40メートル、横幅3.2メートルの狭い坂道で起きた。
 非常に狭い空間で一度に大量の犠牲者を出した事故として注目される。

 このような事故の検証には3つのステップが必要だ。
第1ステップ:事実の把握(何が起きていたか)
第2ステップ:原因の究明(どうしてそうなったか)
第3ステップ:再発の防止(どのように対策するか)
 
 いきなり、原因を追究したり、責任の所在を論じたりする人がいるが、その前提となる事実の把握ができていないままであるために、百論百出の勝手気ままな議論になりがちだ。
 まずは現場で何が起きていたかを確認することが求められる。

 群衆雪崩は午後10時半ごろに起きた。 
 長さ40mの狭い路地の中ほどで始まったらしい。
 気を失って倒れる人が出て、空いたスペースに周辺から流れ落ちるように人が押し寄せ、折り重なるように大勢が倒れたようだ。
 この路地は、地下鉄出口からグルメ街道へ向かう近道であり、また、グルメ街道から地下鉄に向かう人にとっても近道になっていた。
 両方向から人が流れ込み、狭い道路を対面通行している状態だった。
 事故発生の数時間前からグルメ街道の方は過密状態が起きており、警察には通報が相次いでいたという。
 この時点で混んでいるのはグルメ街道の方で、その過密を逃れようとする人が問題の路地に流れ込んでいる状態。
 ところが、その間にも地下鉄からは次々に人が上がってきて問題の路地に向かう。
 グルメ街道も過密状態が更に高まり、路地への流入が増加する。
 それで狭い路地に両方向からの人流がぶつかり合うことになった。
 やがて両方向から押し合い、どちらにも進めない状況となる。
 それでも地下鉄からの人流は続き、グルメ街道からの流入も止まらない。
 現場にいた人の証言から、このとき、「進め、進め」「押せ、押せ」と煽るような言動をしている人もいたという報道もある。
 中には、「もっと押せ、俺らが勝とう」という声もあったという。
 たぶん、群衆の中にいる人も両方向からの流れがぶつかり合っているために進めなくなっていることに気づいていたのだろう。
 「こちらが引き下がってなるものか」「向こう側に引き下がらせろ」という勝ち負けの感覚に陥っていた人もいたのかもしれない。
 路地の中ほどが両方向からの圧力が集中するところで、ここが最も危険だった。
 中には立ったまま失神する人も出始めた。
 失神者が1人だけなら、周りの人の圧力で立っているが、周辺の人が一度に失神すると、支えられずに塊になって倒れこむことになる。
 これが引き金になって群衆雪崩がおきたようだ。

 10時半ごろに路地の中ほどで群衆雪崩が発生するが、ヒトが倒れた後も後続がぐいぐい押してきたという証言がある。
 群衆雪崩が起きると、一瞬圧力が下がり前方にスペースができる。
 そのスペースを埋めるように後ろの人びとが前へ押し寄せてしまうのだ。
 後方では前方で何が起きているか分からない。
 前方にスペースができて進むことができるようになったので、「ようやく動き出した。それ行け行け」となってしまったのかもしれない。
 残されている映像を見ると、警察官や警備員の姿はどこにもなく、全体を見渡してコントロールしている人がいないことが分かる。
 群衆の中には「戻れ戻れ」と手を振って後方に合図を送っている人もいたし、沿道の建物のベランダから眺めている人が群衆の人々を誘導しようとしている姿もあったが、これらの指示や誘導が正しかったのかどうかは分からない。

 群衆雪崩発生から、警察官やレスキュー隊が到着したのが1時間後。
 それでも、周辺は人であふれかえっており、現場に近づけない。
 ようやく救助が始まったのが0時前だったという。
 心肺蘇生があちこちで行なわれたが、遅すぎた。
 心肺停止から数分で蘇生の可能性は急激に下がる。
 数時間後では蘇生は不可能だ。
 一度に大量の犠牲者を出してしまった背景にはこのような状況があった。 

 
posted by 平野喜久 at 10:09| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月26日

音楽教室の著作権使用料

 音楽教室のレッスンで演奏するのにも、著作権法の「演奏権」が及んで、楽曲を管理するJASRAC(日本音楽著作権協会)に著作権使用料を支払う必要があるのか争われた訴訟。
 最高裁第一小法廷は10月24日、JASRACの上告を棄却して、生徒の演奏には「演奏権」が及ばないとする判決を言い渡した。

 一連の裁判は、JASRACが音楽教室から著作権使用料を徴収すると発表したことをきっかけに、ヤマハ音楽振興会などの音楽教室事業者が、JASRACを相手取り、音楽教室での演奏について、著作権使用料を支払う義務がないことの確認を求める訴訟を起こしたことに始まる。
 1審の東京地裁は、音楽教室での教師と生徒による演奏について、その音楽著作物の利用主体は、音楽教室事業者だと判断し、著作権使用料を音楽教室は負担すべきと判決した。
 これを不服として音楽教室側が控訴。
 2審の判決は、講師の演奏には著作権使用料が発生するが、生徒の演奏には適用されない、というものだった。
 今度はJASRAC側が上告。
 最高裁では2審を支持し、今回の判決となった。

 すっきりしない決着となった。
 裁判所としては、100か0かを決めてしまうことの影響が大きすぎると見て、足して2で割るような判決で収めたという印象だ。
 判決理由はそれなりに筋は通っているものの、音楽教室側にとってはもやもやしたものが残る。
 というのは、そもそも著作権は教育現場には適用されないというのが従来の定説だったからだ。
 学校で取り上げる文学作品も、音楽作品も、美術作品も、著作権使用料の対象ではなかった。
 試験問題に著作権の切れていない文章が使われたとしても、それが違法とされることはなかった。
 その延長で考えれば、音楽教室も同じだろうと考えるのが普通だ。

 ところが、JASRACの考えは違う。
 公教育の現場と、教育を事業とする現場では話が別だというわけだ。
 音楽教室は、他人の著作物を使用して商売をしている。
 他人の著作物を勝手に使い、売上を得ているのに、著作権者に使用料を払わないのは許さない。
 これがJASRACの基本的な考え方だ。
 カラオケ店が著作権料徴取の対象とされるようになったのも、喫茶店や書店で流すBGMが徴取の対象とされるようになったのも、同じ考え方による。

 上告審はJASRACの敗訴という形ではあるが、実質はJASRACの勝訴だ。
 これで、音楽教室からも著作権使用料を堂々と請求できるようになったからだ。
 今後は、音楽教室はJASRACと著作権使用料に関する契約を結ぶことになる。
 契約の形式は、いろいろある。
 楽曲の使用内容にかかわらず、年間一定額の契約にする。
 楽曲の使用内容にかかわらず、売上の一定率の契約にする。
 使用した楽曲をその都度申請し、使用料を納付する。
 いずれにしても、結果としてこの手間とコスト負担は、生徒らの受講料に反映される。
 
 昔は、街中のいたるところに音楽が流れていた。
 街中の通りがかりに聞いた音楽で、「あぁ、いまこの曲が流行ってるんだ」と知ることができたものだ。
 いまは、それがなくなった。
 ネット上の一部のファンの間で流行っていたとしても、そこにアクセスしない人にとっては、遠い未開部族の音楽と変わらない。
 そのせいか、最近の紅白歌合戦では聴いたことのない曲ばかりだ。

 JASRACとは、過去に何度もやり取りをしたことがあるが、実に厳密で細かい。
 あるホテルでクリスマスディナーを企画した時のこと。
 楽器の生演奏を入れることになり、JASRACに申請することにした。
 どこで、何時間、どういう客、何人を対象に行うか、使用する楽器は何か、そして、どの楽曲を演奏するのかについて細かく申請する。
 ジングルベルとか赤鼻のトナカイなど有名な曲は、著作権が切れていない。
 諸人こぞりてなど讃美歌は著作権フリーだ。
 讃美歌については個別の曲名は省略し、「讃美歌数曲」とだけ記しておいた。
 すると、JASRACから電話があった。
 「この讃美歌数曲とはどんな曲ですか」
 なんと、讃美歌の曲名まで確認しようとする。
 「讃美歌は著作権の対象外ですよね。だから、讃美歌を数曲用意しておいて、時間調整のために使うつもりです」
 「ちなみにどんな曲をお考えですか」
 「諸人こぞりてとか、アメイジンググレイスとかです。どの曲を使うか、何曲使うかは決まっていません」
 「そうですか。では結構です」
 JASRACとしては、著作権フリーかどうかを判断するのは自分らであり、申請者が勝手に判断するなということだろう。
 個人が申請するこんなちっぽけな案件でも、いい加減に済まさない。
 JASRACは実に厳密で細かい。
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2022年10月02日

「安倍氏『国葬』真の意味」と岸田総理の「語る力」

 本日付け産経新聞オピニオン欄に、元東京地検検事・井康行氏の寄稿が載っていた。
 「安倍氏『国葬』真の意味」と題し、なぜ国葬でなくてはならなかったのかについて諄々と説いている。
 ようやくまともな論説に出会った感じだ。

 「たとえ、その動機が非政治的なものであったとしても、選挙を奇貨として、遊説中の政治家の命を狙う者は民主主義の敵と言うほかない」
 二度とこのようなテロを許さないという、国の固い決意を内外に示す意義があることを理由の第一に述べている。
 まことにその通りと納得せざるを得ない。
 私たちは、まず、このような卑劣なテロ行為を憎み強く非難するところから始めなければならないはず。
 だが、このような意見がほとんど聞かれてこなかった。

 マスコミの取り上げる話題は、容疑者の家庭事情に移り、やがて統一教会の実態に及んでいった。
 容疑者が「安倍氏が統一教会と関係があると思った」と供述しているのをきっかけとして、今度は自民党政治家と統一教会の関係を追及する方向にマスコミと野党は走り始めた。
 まるで、テロリストの意を汲んで、その目的達成を支援しているようだ。
 日本では、マスコミ受けする理由付けができれば、テロは目的達成が可能という悪い前例ができてしまった。

 そして、安倍政治を憎む左派勢力が勢いづき、国葬反対の気運を盛り上げる。
 「法的根拠がない」「国会の決議を経ていない」「弔意の強制は憲法違反」など、国葬反対の理由が挙げられていったが、これらは説得力がなく、国葬反対のために無理やりひねり出した理屈に過ぎない。
 要は、安倍氏の業績を礼賛するような場が、国民や国際社会の前に展開してしまうことを阻止したいだけなのだろう。

 もっとも不甲斐ないのは、岸田総理の姿勢だ。
 早々と国葬実施を決断したのはよかった。
 しかし、それを国民に納得させる言葉を持たなかった。
 民主主義に敵対するテロ行為への強い怒りが微塵も感じられない。
 国葬の理由として4点を挙げていたが、テロに屈しない決意を示すというのは、4番目に付けたしのように述べているだけ。
 もしかしたら、彼自身、国葬でなければならない理由をきっちり理解していなかったのではないかとさえ思う。
 国葬当日の葬儀委員長としての弔辞の中にも、テロに対する怒り、民主主義を断固として守る決意はどこにも示されなかった。
 あれでは、病気や自然災害で大事な人を失ったときの弔辞と変わらない。
 (友人代表の菅前総理の弔辞では、理不尽なテロ行為に対する怒りが感じられた)

 岸田総理は、総裁選のころから「聞く力」を自らの得意技としきりにアピールしていた。
 「聞く力」だけではリーダーは務まらないのではと危惧したが、それは現実のものとなった。
 彼には「語る力」が致命的に欠落している。
 

  
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2022年07月11日

緊急事態が苦手な私たち

 安倍元総理の暗殺事件。
 現代日本で、重要政治家の暗殺が起きたことの衝撃が日本中を駆け巡った。
 いま、話題の焦点は、警備の問題に移りつつある。
 犯人は、まったくの素人で、手製拳銃を使用し、たった2発の射撃で、要人の命を奪うことに成功した。
 SPや警察は何をしていたのか。

 犯人は、数か月前から準備を進め、安倍元総理の応援演説のスケジュールを確認しては、その会場に出かけていたらしい。
 ただ他の会場では襲撃のチャンスが見いだせず、行動に移すことがなかった。
 それが、7日の夜に安倍氏のスケジュール変更があり、急遽、奈良市にやってくることが判明。
 1時間も前から会場周辺を徘徊しながら現場確認をしていたようだ。
 残された映像を見ると、警備の一瞬のスキを狙って素早く行動したようには見えない。
 悠然と移動し、落ち着いて銃を取り出しながらターゲットに接近し、十分に狙いを定めて射撃している。
 ここから、まったく警備員の警戒が行われていなかったことが分かる。
 
 もしも、360度どの方向にも警備員の厳しい視線が向けられていれば、犯人は襲撃のタイミングを失い、行動に移せなかっただろう。
 この犯行を誘発したのは、警備の緩さだったのではないか。

 後知恵で講釈すれば、犯人が車道に進み出て要人の背後から接近する動きを見せたところで、制止することができた。
 これなど、別に街頭演説中でなくとも、歩行者が車道にふらふら歩み出たら、警官に制止される状況だ。
 これすら行われていなかったということからも、いかに警戒が緩かったかが分かる。
 
 今回の犯行は、素人による単独犯であったために、阻止は容易だったと評価されている。
 だが、これがプロのテロ集団による犯行だったらどうなっていたか。
 遠方のビルの屋上から狙撃する。
 自動車を暴走させて猛スピードで突っ込む。
 爆弾を抱いて要人に突撃し自爆テロを行なう。
 爆発音で一方向に注意を向けさせているすきに、別の方向から近づいて襲う。
 最悪の事態は考えればきりがないし、今の日本でどこまでそんな可能性を想定する必要があるか、との議論もある。
 だが、最悪を考えたらきりがないということを言い訳に、考えることをやめてしまうと、今回のようなことが容易に起きてしまう。
 「最悪に備えよ」ということの意味は、ここにある。

 さて、襲撃場面の動画を見て気づいたことがある。
 1発目の銃声が聞こえた時の人びとの行動だ。
 誰もがハッとして音の方向に注目するものの、体は固まったままだ。
 安倍氏も一瞬固まり、そのまま後ろを振り返る動作をしている。
 不思議なのは、その時集まっていた観衆だ。
 みんなその場にとどまり、様子を見守っている。
 中には、もっとよく見ようと歩み寄る人もいるほどだ。
 今回の射撃は2回で終わったが、他にも犯人グループがいた場合、3発目、4発目がどこかから発射されるかもしれないではないか。
 その場の観衆の行動としては、一刻も早く現場から遠ざかるというのが正解となる。

 アメリカでは銃による無差別の襲撃というのがよく起きる。
 その襲撃場面を捉えた映像を見ると、銃の発射音が聞こえると同時に、群衆が一斉に走り出す様子が写っている。
 「爆発音を聞いたらすぐに逃げる」というのが体に染みついた基本行動になっているのだろう。

 日本では防災訓練が学校でも職場でも行われている。
 火災が起きたら、地震が起きたら、という想定で避難訓練をする。
 アメリカでは、どのような訓練が行われるのかというと、爆弾テロが起きたときどう行動するかを想定するのだそうだ。。
 だから、爆発音が聞こえると同時に、体がすぐに反応するのだ。
 
 ある職場での話を知人に聞いた。
 ある時、緊急地震速報のアラームが鳴りだした。
 知人は直ちにやりかけの仕事を中断し、素早く机の下にもぐった。
 アラームに直ちに反応して行動を起こしたのは彼だけだった。
 結果として、その速報は誤報だったようで、地震の揺れは感じることがなかった。
 その時、知人は周りの人たちに笑われたのだという。
 「何をそんなにビビってんの?」「お前はいつも大げさだなぁ」
 知人は、そのことを私に語りながら不満を漏らしていた。
 「どうして、いち早く行動を起こした人間が笑われなければいけないのか」
 まことにその通りだ。
 私たち日本人は緊急事態が苦手だ。
 とっさに率先行動を起こすことは特に苦手だ。
 今回のテロ事件でそのことを改めて思い知らされた。
 
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2022年06月03日

世界の新型コロナは実質的に収束した

 イギリスのエリザベス女王の在位70年記念行事が華々しく開催された。
 女王の姿やパレードの様子を見ようと大勢の人が街に繰り出し、宮殿の前に集合した。
 この日は祝日になったらしく、国を挙げてのお祭り騒ぎだ。
 その様子を見て、気づいたことがある。
 誰もマスクをしていないのだ。
 かなりの人出で、立錐の余地もないほどの群衆だ。
 他人との距離も近い。
 おしゃべりもしているし、歓声も上げている。
 それでも、マスクをしている人がいない。

 イギリスのコロナ状況は、今どうなっているのかというと、6月1日時点で5300人の新規陽性者数だ。
 いつの間にか、こんなにも状況が収まっていたのだ。
 イギリスではかなり早いうちから、行動制限の全面解除に踏み切った。
 一時はなかなか感染状況が収まらず、解除が早すぎたのではとの批判もあったが、首相はかたくなに全面解除を維持し続けた。
 ワクチン接種が進み、重症者や死亡者がある程度抑えられるという見込みが立ったからだ。
 その後、大規模スポーツイベントなどが通常規模で行われて、再燃が心配されたが、杞憂に終わり、いまはほとんど収束状態にある。
 
 収束状態にあるのはイギリスだけではない。
 ドイツもフランスもアメリカも同じだ。
 日本も同じく収束の局面にあり、感染拡大率はどの都道府県でも1を切っている。
 それでも、日本ではマスクが外せない。
 ようやく「屋外で人と話さないのであれば、必ずしも必要ではない」とものすごく消極的な不要論が出始めたところ。
 日本人は世界で最初にマスクを着け、世界で最後までマスクを着け続ける国民になりそうだ。
posted by 平野喜久 at 21:18| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月02日

給付金不正受給の摘発が相次ぐ

 持続化給付金の不正受給の摘発が相次いでいる。

 家族ぐるみで計約9億6千万円もの持続化給付金の不正受給にかかわったとして、住居不詳の谷口光弘容疑者(47)が詐欺容疑で指名手配され、谷口容疑者の元妻と長男、次男が逮捕された。

 17歳の少年を個人事業主と偽り、新型コロナウイルス対策の国の持続化給付金を詐取したとして、詐欺の疑いで、東京国税局職員の塚本晃平容疑者(24)=横浜市旭区=ら7人を逮捕した。

 家族ぐるみで10億円もの不正受給にかかわっていたり、国税局の現役職員が不正受給に手を貸していたりと、信じられないことが起きている。
 もともと、この持続化給付金の制度は、迅速給付を優先し、要件審査は極力簡略化して制度設計されていた。
 そのために、偽装申請が簡単にできてしまい、当初から、不正を誘発するような制度だと指摘されてきた。
 もしかしたら、申請期間の初期に、不正申請を派手に摘発して、一罰百戒で不正を抑制するような動きがあるかと期待したが、まったくそのような様子は見られず、ひたすら迅速給付ばかりが優先されていた。
 その結果、不正受給に一度成功した犯罪者は、「簡単にカネが手に入る」と味を占め、大々的な不正受給にいそしむことになった。

 大々的な不正受給に携わって逮捕された者が共通して述べているのは、「詐欺だとの認識はなった」ということだ。
 これはどういうことかというと、本人が何度も不正申請を繰り返して給付金を詐取するという方法をとっていないことによる。
 彼らは、あくまでも指南役。
 学生や主婦をそそのかして不正受給させ、手数料を受け取っていた。
 だから、自分は詐欺を行なっているという認識がなくなっていたのだ。
 捕まるとしても、不正受給した学生や主婦らであり、自分らは言い逃れができると踏んでいたのかもしれない。

 中小企業庁によると、要件を満たさなかったとして給付金の受給者が自主返還を申し出た件数は5月26日時点で約2万2千件。
 このうち約1万5千件についてすでに返還があり、その総額は約166億円に上っている。
 自主返還があった場合には警察への通報や被害相談はしていないという。
 経済産業省は、不正受給者の公表に踏み切った。
 自主返還に応じていない者について、その氏名、法人名、住所がウェブ上で公開されている。

 自主返還といっても、もらったカネをそのまま返せば済むというわけではなく、20%の加算金及び年率3%の延滞金がプラスされる。
 指南役にそそのかされて不正受給してしまっている場合は、指南役への手数料を払っているはずなので、その分も過剰負担することになる。
 自主返還に応じた者は、罪に問われることはないが、不正の代償は大きかった。

 本来は、不正受給した時点で、犯罪が成立しており、返金したから罪が免除されるということはありえない。
 だが、今回は、審査要件が緩すぎるために軽い気持ちで不正受給してしまっている事例が多いこと、そそのかされて不正受給してしまった事例もあることから、「間違って受給してしまった場合は、自主返還すれば罪に問わない」という形式をとっている。
 犯罪の摘発よりも、給付金の回収を優先したということだろう。

 だが、指南役として不正受給をそそのかし、手数料で荒稼ぎしていた犯罪集団は、自主返還で罪を免れるという方法がない。
 今後も摘発は続く。
 自主返還に応じた者らから、指南役の情報がもたらされ、その結果、摘発が相次いでいるのが実態だ。
posted by 平野喜久 at 14:54| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年04月01日

中小企業BCP策定支援補助金:尼崎市

 兵庫県の尼崎市が、新年度に当たってBCP支援施策を開始した。
 「中小企業BCP策定支援補助金」
 これは、BCP策定に要する費用の内、最大100万円を尼崎市が補助する、というもの。
 補助割合は対象経費の2/3。
 対象経費としては、消耗品費、通信運搬費、交通費、委託費、謝礼金、となっている。
 つまり、外部コンサルに支援を依頼して、BCPを策定すれば、その経費の2/3を市が補助するという制度だ。

 中小企業のBCP策定が一向に進まない原因の1つとして、「ノウハウがない」「経費をかけられない」という問題があった。
 この問題を取り除くための支援施策と言っていい。

 単に、ひな形をまねて必要な書類を作成するだけなら、とりあえず形を整えることはできる。
 だが、それでは本当に使えるBCPになっていない。
 災害多発の時代にあり、いざというときに我が社が生き残るために、本当に使えるBCPに取り組みたいと思っている経営者は多い。
 だが、社内には専門的なノウハウを持つものがいないことから、なかなか本格的な取り組みに至らず、簡単な防災対策でやり過ごしているというのが実態だ。
 そのような事業者にとって、今回の支援策は、本格的なBCPへのきっかけづくりとして、強力な後押しとなる。 

 今回の支援策は、外部専門家に依頼してBCPに取り組むことを想定しているが、この外部専門家には明確な要件が設定されている。
 「BCAO」「BCI」「IRCA」「DRII」「RMCA」などの機関が発行する資格を有する者であること。
 いずれも、リスクマネジメントやBCP関連の民間団体だ。
 意外なことに、資格要件に中小企業診断士などの国家資格が含まれていない。
 中小企業診断士であるだけでは、BCPの専門性が認められないということだろう。
 外部専門家と言っても玉石混交なので、ある程度のレベルを担保するためにこのような縛りがある。

 この支援策を利用しようとする事業者は、まず資格要件に合致した専門家にアクセスする必要がある。
 たまたま身近に該当者がいればいいが、そうでない場合は、探すのが大変だ。
 ここに大きなハードルがあるような気がする。



  
posted by 平野喜久 at 11:43| 愛知 ☁| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月27日

夫婦別姓の世論調査

 日本経済新聞の記事による。
 内閣府と法務省は25日、家族の法制度に関する世論調査の結果を発表した。
 夫婦が同姓か別姓かを選べる選択的夫婦別姓を「導入した方がよい」と答えた容認派は29%だった。
 夫婦同姓の制度を「維持したほうがよい」は27%だった。
 42%は夫婦同姓を維持したうえで「旧姓の通称使用の法制度を設けた方がよい」と回答した。
 調査方法と設問が異なり単純比較できないが、17年の前回調査は夫婦別姓のため「法律を改めてもかまわない」が43%、「法律を改める必要はない」が29%だった。

 この記事には誤りがある。
 17年の前回調査で、「法律を改めてもかまわない」は43%ではなく、24.4%だ。
 他の数字と取り違えたようだ。
 この記事は、共同通信を利用したようで、元記事が間違っているのだろう。
 同様に他の新聞記事でも間違ったまま報道されている。
 
 さて、今回の問題は、過去データの間違いではない。
 内閣府では数年ごとに夫婦別姓の世論調査をしているが、今回は、従来とは違う設問で実施したという。
 従来の質問では内容が理解しにくいためというのが理由だ。
 では、従来の質問ではどんな選択肢になっていたかというと、「法律を改めても構わない」「旧姓を通称として使えるように法改正しても構わない」「法律を改める必要はない」となっていた。
 前回17年の調査では、それぞれ、24.4%、42.5%、29.3%となっている。
 共同通信の記事は、通称使用の数字を別姓賛成の数字と勘違いして取り違えたのだ。

 従来の世論調査の特徴は、選択肢に「〜してもかまわない」という表現があることだ。
 普通の世論調査では、「〜すべき」「〜すべきではない」とか、「〜したほうがいい」「〜しないほうがいい」という表現になる。
 ところが、別姓の世論調査は、「〜してもかまわない」という奇妙な表現になっている。
 これには意図があって、別姓容認の世論を最大限にかき集めることを狙っているのだ。
 この形式の質問になったのは、1996年6月の世論調査からだ。
 それ以前は、単純に別姓に賛成か反対かを尋ねる形式だった。
 ところが、1994年に行った世論調査では、賛成が27.4%、反対が53.4%になってしまった。
 別姓に対する国民の理解は進んでおり、世論は変化している、というのが別姓推進派の主張だった。
 実態は、何度世論調査しても、一向に賛成が増える様子がない。
 むしろ、減少傾向さえ見えていた。
 そこで、1996年に、選択肢をがらりと変えて、世論調査をやり直したというわけだ。
 「〜してもかまわない」という表現を使い、数字をかさ上げしようとした。
 さらに、通称使用の法改正の項目も入れることで、「法改正への理解が進んだ」とぶち上げたのだ。
 結果は、賛成32.5%、通称使用22.5%、反対39.8%となった。
 賛成と通称使用を合わせて、「別姓容認派が半数を超えた」と法務省やマスコミはぶち上げた。
 ところが、通称使用の項目は、別姓導入に反対している人たちなのだから、別姓賛成が増えていることにならない。
 むしろ、反対派が過去最大の数字を記録してしまったことになる。
 
 その後も、数年ごとに同じ世論調査を続けているが、近年、また賛成派の数字が減少傾向を見せ始めていた。
 別姓推進派の主張は、「国民の理解は進んでおり、世論は常に変化している」というものだったはず。
 なのに、賛成派は一向に増える様子がないのだ。
 そこで、再び、法務省は質問形式を変更することを思いついた。
 質問形式を変えてしまっては、過去からの世論の変化が分からなくなってしまうのだが、むしろ、変化が分からなくしようとしているとしか思えない。
 本当の世論の変化を見ようとしているのではなく、選択肢をいじることで数字を変えてしまおうとしているのではないか。
 
 今回の質問形式は、従来の「〜してもかまわない」などという奇妙な表現ではなく、比較的素直な表現に置き換わっている。
 「選択的夫婦別姓を導入したほうがいい」という容認派が29%となった。
 現状維持が27%。
 通称使用が42%。
 なんのことはない。数字の配分としては、前回の世論調査とほぼ同じ。
 現状維持と通称使用を合わせると、69%となり、別姓反対派が圧倒的多数であることに変わりはない。
 
 夫婦別姓の導入は時間の問題だという人がいる。
 とんでもない。
 別姓賛成派は相変わらず少数派だし、時間とともに増加する様子もない。
 ただし、通称使用への理解は進んでいる。
 これが世論調査から見える実態なのだ。
 
 
 
 
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2022年03月17日

有事のリーダー:ゼレンスキー大統領

 ウクライナのゼレンスキー大統領の評価が高まっている。
 コメディ俳優がドラマで大統領を演じたところ好評を得たので、そのまま実際の大統領選に出馬したところ、本当に当選してしまったという経歴を持つ。
 政治経験も行政経験もないまったくの素人。
 政権運営もうまくいかず、国民の支持率は20%程度で低迷していたという。
 海外からも、まったくの素人に政権を任せて大丈夫かという心配の声もあった。
 もしかしたら、プーチン氏が武力侵攻に踏み切ったのも、ゼレンスキー氏の無能を見込んでのことだったかもしれない。
 ところが、ロシアの軍事侵攻を契機に、様子が激変した。
 たちまち、国民の支持率が90%に跳ね上がったのだ。

 外敵の脅威が国民を結束させた面もあるが、国民を結束させたのは、明らかにゼレンスキー氏の姿勢だった。
 ロシアに対して毅然とした姿勢を見せ、無謀な侵略行為に断固戦う姿勢を明らかにした。
 この大統領の様子を見て国民の覚悟が決まったように見える。
 思いのほかウクライナ軍の抵抗が激しく、ロシアが攻めあぐねている背景にはこのような事情がある。

 ゼレンスキー氏は、国民向けにメッセージを発すると同時に、海外を意識した情報発信にも余念がない。
 イギリス議会やアメリカ議会でモニター越しの演説をこなした。
 イギリスでは、チャーチルの名言を引用したり、シェークスピアの一節に触れたりと、レトリックは抜群。
 そして、何より、その語りのうまさ。
 官僚の書いたメモを読み上げている政治家とは違う。
 自らの言葉で語りかけているのが分かる。
 ここは、俳優のスキルが全面に表れている場面だ。
 イギリス議会でもアメリカ議会でも、ゼレンスキー氏のスピーチの後は、スタンディングオベーションで喝采が鳴りやまない。
 それだけ、彼の語りには人の心を動かす力がある。
 ウクライナ側から、日本の議会でも演説をさせてほしいとの打診が来ているそうだ。
 前例のないことで戸惑っているようだが、ぜひ実現してほしい。

 「非常事態は、無能に見えた人物を有能にし、有能に見えた人物の無能を暴露する」という。
 ゼレンスキー氏は、まさに前者だ。
 
 
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2022年02月24日

本社移転が加速

 本日付け産経新聞の報道による。
 東京都と大阪府で、企業が地方に本社を移す動きが加速している実態が、帝国データバンクの調査で明らかになったという。
 本社の転出数が転入数を上回る「転出超」の数が、令和3年、東京大阪で大幅に増加。
 新型コロナの影響が長引く中、本社機能や主要拠点を都市部へ集中させることの脆弱性が強く認識されるようになったからだ。
 テレワークによる在宅勤務も定着してきたことも背景にある。
 東京からは、神奈川、千葉、埼玉へ移転しているケースが多い。
 首都圏以外への移転先としては、大阪、茨城、北海道、福岡、宮城が増加している。
 一方、大阪からは、兵庫への移転が多いが、それ以上に東京への移転が上回る。
 これは、関西経済の地盤沈下が慢性化し、首都圏への脱出を図る企業が多いことを示しているようだ。

 東京への一極集中はずいぶん昔から問題視されてきた。
 人口過密、交通渋滞、地価高騰、災害時のリスクなど、一極集中の弊害は多い。
 特に、東京は災害リスクに最も脆弱な都市となっており、世界の主要都市の中でも常にトップクラスのランク付けになっている。
 首都直下地震、富士山噴火は、間近に迫っていると言われ、対策としては、首都機能の分散しかない。
 一部官庁を地方に移転する動きもあったが、例外的で本格的な動きにつながっていない。
 相変わらず、政治、行政、経済、文化の中心は東京でありつづけ、このことがさらに一極集中を加速させてきた。
 
 ところが、コロナリスクの中で、様子が変わってきた。
 人口過密の東京に本社機能を置いておくデメリットが、はっきり実感される事態が起きたからだ。
 しばらくはこの傾向が続くだろう。
 だが、この動きが定着することはないのではないか。
 テレワークによる在宅勤務の形態も、ずいぶん定着してきた感があるが、これも一時避難的に対応しているだけで、コロナ明けには元に戻るだろうと言われている。
 首都圏脱出が続くことで、都心のオフィス賃料が下落し、そのことで地方から都心への進出を試みる企業が増えてくる。
 賃料が元の水準に回復し、やがて従来と同じ状況で落ち着くことになる。
 それほど、東京はあらゆる面で便利なのだ。

 ところで、記事には出てきていないが、名古屋も大きな災害リスクにさらされている大都市だ。
 南海トラフ巨大地震の時には、最大震度7の揺れが予想されているし、津波も液状化も起きる。
 災害リスクに備えた移転を考えるのなら、名古屋に所在する企業は真っ先に脱出を検討しなければならないはず。
 
 
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2022年02月10日

岸田総理の胆力が試されている

 岸田総理は9日、新型コロナウイルス「オミクロン株」の感染拡大を受けて、「まん延防止重点措置」の期限を13日に迎える東京都など13都県について、期限を3月6日まで延長する考えを表明した。
 政府は、緊急事態宣言は出さず、蔓延防止措置とワクチン接種で乗り切ろうとしているようだ。
 しかし、実質、蔓延防止措置が従来の緊急事態宣言と同じようなメッセージ性を持っており、どちらにしても同じことだ。
 これが緊急事態宣言に切り替わったとしても、対策内容は変わらない。
 どうも、政府の手詰まり感が強い。
 ワクチン接種を1日100万件に、とか、病床を1000床追加、とか、いろいろ手を打とうとしているが、実効性も怪しく、根本的な対策になっていない。
 あとは、蔓延防止措置の期間延長で国民に行動自粛を呼びかけるのが精一杯という印象だ。

オミクロンピークアウト.png

 1月初めに日本でもオミクロン株の感染拡大が始まった。
 現在までの感染拡大状況をグラフで見てみると、きれいな正弦曲線のようなラインを描いている。
 1月21日に多くの都府県で蔓延防止措置が始まったが、その効果がグラフのどこに出ているのか分からない。
 もしかしたら、このような宣言発出はほとんど効果が出ていないのではないか、ということは以前から指摘され続けてきた。
 緊急事態宣言を出した後、感染状況は下降線をだどっていることから、宣言発出の効果だと認識されたが、異論があった。
 過去のデータを分析すると、緊急事態宣言を発出した時には既にピークアウトした後で、宣言を出そうが出すまいが感染状況は収まっていたのではと分析する研究者もいるのだ。
 今回のオミクロン株の推移をみても同じ状況が推察できる。
 
 オミクロン株の感染状況のグラフがきれいな正弦曲線のラインを描いていることから、単純に数学的に解析可能な自然現象が起きているように見える。
 1月初めに感染拡大が始まったが、3週目ぐらいまで増加率が上昇傾向にあったが、途中で、増加率が低下し始める転換点が見える。
 1月3週目が増加率の転換点だった。
 これが分かると、ピークがいつか、ピーク時の感染規模、収束の時期が見える。
 転換点からピークまでは開始点から同じ時間がかかるから、2月2週目ぐらいがピークになりそう。
 そして、その時の感染者数は、転換点の時の2倍、つまり、10万人程度と予想がつく。
 さらに、オミクロン株の収束はピークに至った時間の倍かかるから、ピーク時から6週間後ということになる。
 そうすると、3月の下旬には収束に至ると見込みが立つ。

 ところが、政府の専門家会議では、「増加率が鈍化傾向がみられるものの、感染が高止まりし高値で横ばいになる可能性がある」との見解を示している。
 この専門家会議は、常に「大変だ、大変だ」と言い続けることしかしない。
 国民を安心させてしまうと、そのことで緊張感が緩み、感染を広げてしまうことを警戒しているかのようだ。
 政府も、専門家会議の見解をよりどころとして政策判断するので、どうしても慎重な対応にならざるを得ない。
 
 イギリス、フランス、ドイツなどヨーロッパでは、日本よりもひどい感染状況にあるが、制限解除に方向に向かっている。
 感染を抑えることよりも、社会活動を停滞させてしまうことの方が深刻だからだ。
 いい加減、日本も総理の決断で方針転換を行う時期に来ている。
 もちろん、オミクロン株の感染者はこれからも存在するが、それを恐れて、行動制限をかけ、イベントを中止し、学校や保育園を閉鎖するようなことをいつまでもやっているわけにいかない。
 感染者や濃厚接触者を隔離することの方を解除していくべきだ。
 そして、発症者や重傷者のケアに集中するように医療体制を切り替える。
 
 オミクロン株は、これまでのコロナウィルスとは様子が違う。
 感染力は強いが、発症しにくいし重症化しにくいという特徴がある。
 重傷者や死者を一定レベルに抑える体制ができれば、通常の風邪対策と同じ内容に切り替える時だ。
 そして、国民に「通常の社会活動に戻していこう」と呼びかけるべきだ。
 その切り替えができるのは、総理大臣しかないない。
 不確実性が高く、誰も確実なことを言える人はいない。
 専門家は責任を負うことができないので、無難な物言いしかできない。
 責任を負うことができるのは日本では唯一、総理大臣だ。
 ここで、総理の胆力が試されることになる。
 もちろん、ここで一気に制限解除したところ、結果として大失敗に至るということもあり得る。
 その時は、総理が責任をとればいいだけだ。
 総理は、責任を取ることができるからこそ、思い切った政策を実行できる。
 
 ところが、残念ながら岸田総理にはそのような胆力はありそうにない。
 
 

 
 
 
 
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2022年01月31日

「医療介護BCP急務」いまごろ遅すぎないか

 本日付読売新聞による。
 「医療・介護「事業継続」策定遅れ BCP急務」
 オミクロン株の急拡大により、感染者や濃厚接触者が急増し、現場スタッフの欠勤者が相次ぎ、診療や介護の一部が停止する事態となっている。
 そこで、政府や専門家がBCPの早急な策定を求めているのだという。
 
 いまごろBCP? というのが率直な感想だ。
 新型コロナは2020年から始まっており、すでに3年目に入っている。
 オミクロン株の感染拡大が世界で過去最大のレベルに達してはいるが、ワクチン接種が進み、治療薬の確保されるようになってきており、重症化率は過去最低レベルのとどまっている。
 国によっては行動制限を全面解除の方針を打ち出しているところもあり、パンデミックとしては最終局面に入っている印象だが、今になってBCP策定とはどういうことか。
 BCPを策定など、2020年のうちに済ましてあるはずではなかったのか。
 私も、一般の中小企業を対象にパンデミックBCPのセミナーや策定支援を行ってきたが、いずれも20年の内で終わっており、いまごろ取り組んでいるところは存在しない。
 
 医療と介護ではパンデミックBCPが特に厳しく求められる業界だが、たぶん、コロナ禍が始まってから現場は目の前の対応に追われ、じっくりBCPを検討しているような余裕がないまま今に至っているのではないだろうか。
 2009年の新型インフルの時に、医療介護の業界で感染症対応のBCPの策定が促された。
 だが、ウィルスが弱毒性で、深刻な状況にならなかったために、BCPも話題にならずに終わってしまった。
 この時、次のパンデミックを想定してBCPの策定を進めていればよかったが、ことが終われば関心が遠のき、何の準備もできないまま新型コロナが始まってしまった。
 新型コロナが始まったのは2020年1月からだが、波状的に感染拡大が襲ってきて感染拡大期と小康期を繰り返してきた。
 常に多忙だったわけではなく、小康期の余裕があるときに十分BCP策定ができた。
 特に、第5波が収束してからは、ほとんど感染ゼロに違い小康状態で、第6波への準備が落ち着いてできる状態にあった。
 それでも、BCPの策定は進まず、第6波が急拡大し始めた今になって、「BCP急務」との声が出始めた。
 
 感染状況が深刻になると、「BCPを作らなければ」となり、感染状況が落ち着くと、BCPの関心が遠のく。
 これを繰り返しているだけだ。
 感染拡大が始まってから慌ててBCPを作り始めても遅い。
 泥棒を見て縄をなうようなものだからだ。
 2009年の時に次のパンデミックに備えておくべきだったし、それができていなかったとしても、コロナ禍の小康状態の時に次の波に備えてBCPを策定しておくべきだった。
 第6波を迎えて、医療介護の現場は緊張状態に置かれているが、スタッフの努力で何とか乗り越えていくだろう。
 すると、第6波が収まったところで、またBCPの関心は遠のいていくに違いない。
 
 小康状態になるとBCPの関心が薄れ、感染拡大になると多忙でBCPに取り組んでいる余裕がない。
 結局、いつまでたってもBCPの取り組みは始まらないということに。
 いまどの業種でもBCPの取り組みは進んでいるが、その中でも、医療福祉分野と宿泊飲食分野は特に策定率が低い業界だ。
 そのBCPに縁のない業界が、いまコロナリスクの直撃を受けているというわけだ。

 介護事業者については、今年度からBCP義務化になった。
 現在は努力義務にとどまっているが、令和6年度からは完全義務化に移行する。
 介護業界は、いざ災害に見舞われたときは、どこよりも業務の継続が強く求められるのに、BCPの取り組みが最も遅れている。
 その実態に国が危機感を覚えたために、このような措置に切り替えたのだろう。
 最近、介護事業者の話を伺う機会が増えたが、BCPどころか、基本的な防災対策すら何も考えられていない中小事業者があまりにも多いという印象だ。

 BCPの取り組みが最も進んでいる業界は製造業だ。
 その理由は、災害で直接被害を受ける可能性が高く、その被害も具体的にイメージしやすいこと。
 そして、取引先からBCPを求められるケースがあり、取引のためにBCPが必須となりつつあること、にある。
 その点、医療介護業界は、強力な取引先というものがない。
 お客様は、患者であり利用者だ。
 BCPがなければ、お客様を失うということは考えられない。
 BCPがあってもなくても変わらない。
 さらに、実際に大地震や大雨洪水に見舞われたとき、何がどのようになるのかは経験がなく、その時になってみないと具体的にイメージできない。
 であれば、BCPに取り組もうというインセンティブが働くわけがない。
 宿泊飲食業界でBCPが進まないのも同じ理由だろう。

 ところが、先日、あるホテルのウェブサイトで珍しいアピールを見つけた。
 なんと、そのホテルは、免振対策済みの建物だというのだ。
 つまり、地面と直接触れている部分がなく、緩衝材を介して地上に建っており、地震が起きたときにはその揺れが建物に伝わらない構造になっているという。
 庁舎のような公共施設で免振ビルは見たことがあったが、ホテルでもこのようなところが出てきたかと驚いた。
 地震の活動期に入った日本。
 今後は、ホテルもこのような視点で選ばれる時代になってくるのかもしれない。
posted by 平野喜久 at 20:42| 愛知 ☀| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月26日

エリザベス・ホームズ有罪判決

 セラノスの創業者、エリザベス・ホームズ。
 詐欺などの罪で起訴されていた彼女に対し、4件の訴因について陪審員団から有罪の評決が下された。
 セラノスというのは、たった1滴の血液であらゆる検査がその場でできることを謳って事業展開していたベンチャー企業だ。
 エリザベスはその創業者。
 わずか19歳での起業、しかも美形の白人女性ということで注目され、第2のスティーブジョブズとも言われていたという。
 ところが、彼女の行なっているビジネスには実体がなく、彼女の言葉に騙されて出資してしまった投資家やVCから訴えられていた。

 この壮大な詐欺事件の経緯は、書籍『シリコンバレー最大の捏造スキャンダル 全真相』に詳しい。
 このドキュメンタリーを読むと、当初から社内の開発現場から異論が相次いでいたようだ。
 たった1滴であらゆる血液検査ができるなど、どう考えても実現不可能だからだ。
 ところが、エリザベスはそれを認めず、なんとか実現せよと圧力をかけ続けた。
 反発するスタッフは解雇。
 強圧的な支配で会社を回していたようだ。
 どんなに圧力をかけても、物理的に不可能なものは実現できない。
 それでも、エリザベスは製薬会社や医療現場などに派手な売り込みをかけ、受注を取り付けてくる。
 メディアにも露出し、話題を喚起。
 黒のタートルネックのセータを着てジョブズの真似をした。
 ヘアスタイルもわざときっちり固めないラフはスタイルにこだわったようだ。
 最も奇妙なのは、彼女の異様に低いバリトンボイスと瞬きしない大きな瞳。
 ネット上の動画でこれは確認できる。
 確かに奇妙だ。
 たいていの人は彼女に会うと、この声と瞳に幻惑されてしまうようだ。
 アメリカでは声のトーンが低い人は、信頼と好印象を得られることから、弁護士や経営者などボイスコントロールをしている人がいる。
 彼女もその一人だ。
 瞬きしない大きな瞳も、相手の目を食い入るように見つめることで、自分が心理的に上位に立つ効果を狙ったものだろう。
 著名人の中にも彼女に心酔する人が現れ、それがまた広告効果を上げ、セラノスの評判はうなぎのぼり。
 しかし、理想の検査機は完成せず、ごまかしのデモンストレーションで顧客を欺くようになり、耐えられなくなった内部者の通報により、実態が白日の下に明らかとなる。

 彼女も当初は純粋に自分のビジネスアイデアを実現すべくビジネスを立ち上げた夢多きベンチャーであった。
 ところが、いち早く成功者になりたいという欲求のほうが強く、地道に足元を固めながらビジネスを進めていくことに無頓着だったようだ。
 事業の立ち上げ当初は、順調に進むことは稀で、あちこちで問題や不具合が発生するのが普通だ。
 こまごまとしたつまらないことで問題が起きる。
 それらを1つ1つクリアして少しずつビジネスが回り始める。
 ところが、シリコンバレーで華々しい成功を夢見る人は、このような地味なこまごまとしたことに興味がない。
 それで、いきなり大風呂敷を広げて注目だけ浴びようとしてしまう。
 「シリコンバレーで成功者になるためには、まずは成功者であるふりをしろ」と言われる。
 あのビルゲイツも、初めてIBMに売り込みをかけたとき、その時点で売れるソフトは何もできていなかったというのは、笑い話として伝えられている。
 エリザベスも、その成功の法則に則っただけかもしれない。
 ただ、彼女に運がなかったのは、肝心の検査機ができないために、最後まで偽装し続けることになってしまったことだろう。

 この詐欺事件、なぜこんなにも多くの人が騙されたのか。
 実は、医療の専門家の間では、たった1滴であらゆる血液検査なんて原理的に不可能であるのが常識として認識されていたという。
 では、なぜそれが公に指摘されなかったのか。
 それは、セラノスの血液検査の技術について論文が1つも出されていなかったからだ。
 論文がないと専門家は検証できない。
 検証できなければ、正しいとも誤りとも判定できない。
 それで、公に「これはインチキだ」と言うこともできなかったという。
 エリザベスは、セラノスの技術に疑問を呈した者に対しては、訴訟を仕掛け、黙らせるということまでしていた。
 それで、専門家としてこんなことはできるわけがないと思ったとしても、それを根拠なく公にできなかった。
 では、自分であらゆる可能性を想定して実験をし、どんな方法でも実現不可能であることを実証するか。
 時間と労力をかけて、得られる答えは、当たり前のことが証明できるだけ。
 多忙の研究者がこんなことに無駄な時間をかけられるわけがない。
 こうして、あやしい技術が検証もされずに一般に絶賛され続けるという現象が起きるというわけだ。
 
 この事件、キャラクターが魅力的なので、映画化の話が出ているという。
 ぜひ見てみない。
posted by 平野喜久 at 19:03| 愛知 ☀| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月16日

イギリスの感染拡大

 イギリスでも感染拡大が続いている。
 1日当たりの新規陽性者数が78,000人を超え、過去最大の感染状況にある。
 いま、デルタ株とオミクロン株の2つの感染が同時に起きているという。
 今後、感染拡大は継続し、1月から2月にピークを迎えるだろうと予想されている。
 ただ、重傷者は、過去の感染拡大期に比べると5分の1レベルに抑えられており、政府は再び行動制限をかける段階ではないとしている。
 
 イギリス国会では、政府の政策の失敗を追求し、ジョンソン首相は防戦に必死。
 「行動制限をかけろ」という意見に対しては、ワクチンの追加接種で対応すべきというのが政府の見解。
 ところが、ワクチンパス制度の導入法案が、与党が反対する中、野党側の賛成多数で可決されてしまった。
 7月以降、ワクチン接種が進んだ状況では行動制限をかけるべきではない、という見解の元、一貫して制限再開を拒否し続けているジョンソン首相。
 感染者数が過去最大のレベルに達すれば、重傷者や死者は確実に増加する。
 過去の感染拡大期に比べて実数は少なくなるが、着実に増加傾向にあるのを見ながら、ワクチン接種だけで乗り越えられるか。
 イギリスのケースは、いま行動制限を解除するとどうなるかを確かめる社会実験のようになっている。

posted by 平野喜久 at 10:01| 愛知 ☀| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月14日

イギリスのオミクロン株

 イギリスのジョンソン首相は、オミクロン株に感染した患者の少なくとも1人が死亡したと発表した。
 オミクロン株での死亡例は世界でも初めて。
 イギリスのコロナ感染者数は1日52,000人に達しており、このうちの3分の1がオミクロン株の感染者だ。
 今後、48時間以内に、オミクロン株が感染の主流になるだろうと見られている。
 現在、入院患者は7,300人。
 これが来年1月には45,000人レベルにまで達するという予測も出ている。
 過去最大の入院者数は4万人弱だったので、それを超える入院患者になる。
 ジョンソン首相は、「オミクロン株の症状がより軽いという考えはいったんわきに置き、感染が加速していることを認識すべき」と述べ、3回目のワクチン接種を急がせている。

 アストラゼネカ製のワクチンは、オミクロン株への有効性は10%ほどしかないことが分かってきて、それも対策を急がせる要因になっている。
 
 フランスも警戒を強めている。
 イギリスで感染拡大が起きると、遅れてフランスでも感染の波が襲ってくるのが過去の経験則だからだ。
 アルファ株は今年の1月にイギリスで流行したが、3月にフランスでも感染拡大。
 デルタ株は6月にイギリス、7月にフランス、という具合。
 1月にイギリスで最大の流行が起きるとすれば、やがてそれはフランスにも。

 ヨーロッパ各国はクリスマス休暇を前に、ワクチンのブースター接種と行動制限の再開に舵を切った。
 だが、国民の中にはこの政府の施策に反発する人たちも。
 あちこちで、デモや抗議集会などが起きているらしい。
 世界で自由主義と専制主義の対立が起きている中、自由主義社会における感染症対策の難しさが浮き彫りになっている。
posted by 平野喜久 at 08:37| 愛知 ☀| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする