2017年06月14日

そっくり表紙の料理本:小学館の広報戦略

 そっくりな表紙の料理本が話題になった。
 話題になったというより、小学館が話題にした、と言った方がいいかもしれない。

 小学館は12日、同社ムック「やせるおかず 作りおき」に、新星出版社「やせるおかずの作りおき かんたんレシピ177」のタイトル、表紙カバーデザインが酷似しているとし、新星出版社に対して販売中止などを求める申し入れをしたらしい。
 それを公式サイトで発表したため、一般に知られるところとなり、メディアでも取り上げられるようになった。

 小学館の料理本は『やせるおかず 作りおき』。
 新星出版社の料理本は『やせるおかずの作りおき』。
 カバーデザインについても、写真素材、文字の置き方、色使い、レイアウトなど、よく似ている。
 だが、料理本のカバーデザインは、どれも似てしまうのは仕方ないのではないか。
 他にも料理本は山ほど出版されているが、イメージはよく似ているという印象を受ける。
 題名も、「やせるおかず」も「作りおき」も一般名詞で、オリジナリティを主張できるほどのものではない。
 そもそも、書籍の題名には著作権は存在しないというのが常識だ。
 小学館では同じ著者による「やせるおかず」シリーズを出しており、この流れに便乗しようとする動きを牽制したいとの思いがあるのだろう。
 しかし、「やせるおかず」「つくりおき」という言葉を書籍の題名で最初に使ったのは小学館ではない。
 それ以前から、同種の料理本は存在したのだ。
 小学館に他社の物まねを非難するほどのオリジナリティはない。
 
 それに、似ているのは題名とカバーデザインだけ。
 内容は当然ながら全く違う。
 料理レシピにまで、そっくりな部分があれば、もっと騒動は大きくなっただろうが、そのような気配はない。

 小学館の「やせおかシリーズ」の売れ行き好調を見て、新星出版社が自社でも売れ筋の出版企画を立ち上げたのは間違いないだろう。
 その意味で、他社の売れ筋商品をまねた、ということは言える。
 だが、こんなことはどこの業界でも当たり前にあること。
 
 小学館も、賠償請求しているわけでも裁判に訴えたわけでもない。
 新星出版社に出版停止を申し入れをし、それをウェブサイト上で公開しただけだ。
 (ついでに、マスコミ向けのプレスリリースもしただろう)
 今回の件が、著作権や商標権の侵害に問えるとは思っていないし、これで相手が販売を取りやめるとも思っていない。
 ただ、世間の話題になってくれれば目的は達成されたことになる。
 結果として、いろんなメディアがこの話題を取り上げ、この本に世間の注目を集めることに成功した。
 いま、Amazonのランキング11位を得ている。
 これも、1つの広報戦略かもしれない。
posted by 平野喜久 at 09:24| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月12日

ミサイル想定の避難訓練と朝日新聞の報道姿勢

 朝日新聞の報道による。
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 北朝鮮の弾道ミサイル発射が相次ぐ中、全国の自治体で避難訓練や注意喚起の動きが広がる。号令をかける内閣官房は「国民の不安感が今までになく高まっている」と必要性を訴えるが、「かえって不安をあおる」と戸惑う声も上がる。
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 各地でミサイル想定の避難訓練や注意喚起の動きが広がっているのは、結構なことだ。
 北朝鮮のミサイルリスクは、現実のものになりつつあり、そのリスクに対する備えはあって当たり前と言える。
 日本では、避難訓練と言ったら、火災や地震を想定するのが一般的だったが、その中に、ミサイルも追加されることとなった。
 北朝鮮のミサイルは、発射から着弾まで10分以内と言われており、その間に、避難行動がとれるかどうかがカポイントとなる。
 10分以内という時間は、大げさな行動をする余裕はないが、最低限の安全行動を取るだけの時間は十分ある。
 その限られた時間で、自分は何をすればいいのか、何をしなければいけないのか、何ができるのか、について事前に考えておくのは非常に重要だ。
 いままで、日本人でミサイル想定の避難訓練をやったことのある人はほとんどいない。
 それだけに、訓練をやっておくことの価値は高い。

 だが、朝日新聞の記事に、気になる言葉が紛れ込んでいるのにお気づきだろう。
  「『かえって不安をあおる』と戸惑う声も上がる」
 これは、このような声があちこちから出ているというよりも、朝日新聞特有の当てこすり記事だろう。
 福島原発周辺では、事故前に避難訓練が行われることは1度もなかったという。
 事故を想定した準備もシミュレーションも、何もなかった。
 なぜか。
 住民の不安をあおるからだ。
 そのために、住民も行政も東電も事故のことを考えることがなくなった。
 考えなければ対策が行われるはずもなく、何の備えもないまま最悪の事故を迎えることとなった。
 今回の朝日新聞の「かえって不安をあおる」という当てこすり記事も同じだ。
 人々の意識を北朝鮮のリスクからそらせようとする目的しか感じられない。

 朝日新聞の記事では、次のように締めくくられていた。
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 ただ、訓練を実施した自治体はまだ少数派。近畿のある自治体の担当者は「どんな訓練が効果的か分からないのに、やみくもに動いても仕方ない。情報収集の段階だ」と語った。
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 近畿のある自治体とはどこなのだろう。
 どこかの職員が何の行動も起こしていないことの言い訳をこんな風に語っていたのかもしれないが、朝日新聞が都合のいいコメントを恣意的に選んでいるようにしか見えない。
 朝日新聞は、ひたすら北朝鮮リスクを過小評価しようという意図だけが透けて見える。

 「どのような訓練が効果的か分からないので訓練しない」というのは言い訳になっていない。
 実際にミサイル攻撃を受けたことがある人はいないので、どのような訓練が効果的か誰も分からない。
 すると、どこかにミサイルが落ちて、どのような訓練が効果的かが分かってから行動を起こすということか。
 だが、それが分かったときには、手遅れであることは明らかだ。
 原発事故が起きてから訓練をやっても意味がないのと同じだ。

 ミサイル訓練の目的は、まずは、そこにリスクがあることを人々に意識してもらうことにある。
 朝日新聞の姿勢は、逆に人々の意識をそこから遠ざけようとするものであり、意図的であるとすれば、罪は重い。
 一方、テロ等準備罪法案については、共謀罪法案と呼び方を変え、「国民のプライバシーが暴かれ総監視社会になる」と不安をあおる。
 意識すべきリスクから目を背けさせ、ありもしない不安を掻き立てているように見える。






   

posted by 平野喜久 at 14:49| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月09日

上皇陛下は京都御所にお戻りいただこう

 天皇陛下の退位に向けた特例法が参議院本会議で採決が行われ、全会一致で可決、成立した。
 今上陛下は、退位後、上皇陛下になり、東宮御所に移られるという。
 200年ぶりの退位が行われるという歴史的な出来事が行われようとしているのに、何のサプライズもなく、面白みがまったくない。
 「上皇陛下には京都にお戻りいただこう」という声が上がらないのが不思議だ。
 退位後は、公務から離れるのだから、東京にお住まいになる理由はない。
 この際、本来の居場所である京都にお戻りいただくのがあるべき姿ではないのか。

 明治になり、首都が京都から東京に移った。
 しかし、この東京遷都は根拠が曖昧のまま、なし崩し的に実現したものだ。
 いま、世界中の人が日本の首都は東京だと思っているが、東京遷都は正式に決議されたことも、法律で規定されたこともなく、そこには何の根拠もない。
 明治天皇が東京に移られたのも、正式の引っ越しではない。
 明治になって、天皇はいろんな所へ行幸されたが、「次は東京の政治状況を見に行かれる」と東京への行幸に出発したまま帰らなかった、というのが実態らしい。
 つまり、京都の側からみると、天皇は東京に出かけたまま、帰ってきていないだけなのだ。

 京都御所も当時のまま残っている。
 上皇陛下は京都御所に戻られたらいかがか。
 ついでに、秋篠宮殿下も京都にお戻りになっていい。
 秋篠宮殿下も、東京にいなければならない理由はない。
 天皇に即位したとき、東京の皇居にお移りいただくというシステムにしたらどうだろう。
 そして、宮内庁も京都に移転する。

 さらに、天皇も京都にお住まいいただいてもいい。
 首都も京都に戻す。
 皇室の本拠地は京都。
 天皇は、公務のために東京出張という扱いだ。
 いま、京都市はリニア新幹線の駅誘致に一生懸命だが、天皇陛下を京都にお戻しすることで、リニアを京都に通す名目が立つ。
 
 皇室の京都移転は、首都機能の地方分散が課題となる中、その第一歩の象徴的なイベントになるだろう。
  
posted by 平野喜久 at 21:56| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Amazonの問い合わせ対応はレベルが高い

 Amazonには、著者セントラルというサービスがある。
 著者がAmazonのウェブサイト上に独自のページを設け、著者が読者に情報を伝えたり、書籍のプロモーションを行うことができるサービスだ。
 著者ページの情報は、著者自ら更新することができる。
 作品一覧の更新、著者紹介文や写真の追加、表紙画像のアップロードなど、著者ページのコンテンツを著者ご自身でアップデートできる。
 Amazonのウェブサイト上で、自己PRができるわけで、これは著書を持っている人の特権だ。
 
 さて、私の著者ページには今まで出版した書籍が一覧で表示されている。
 ところが、ここに表示されているのは、日本語の書籍だけで、英語バージョンの書籍は表示されていない。
 「本の追加」の手続きをしても、著者名が違うと拒否される。
 英語バージョンは著者名が「Yoshihisa Hirano」となっているので、「平野 喜久」と一致しないと判断されたようだ。
 やむを得ず、Amazonに問い合わせメールを送信。
 すると、翌日の午前中には回答があった。
 そのメールの文面は、非常に丁寧で、的確な内容だった。
 問題がどこにあるのかをちゃんと調べ、原因を特定し、解決策を見つけ出し、それを簡潔に伝えてきた。
 結局、Amazon側で、英語バージョンの書籍を日本語書籍と一緒に表示されるように処理してくれた。
 そして、今後も本の追加ができない場合は、連絡をくれるようにとの案内が添えてあった。
 問題は一発で解決し、非常に心地いい。

 そのメールの末尾には、これで問題が解決したかどうかを問うアンケートがついている。
 そして、今回の対応はどうだったかを評価させる質問が続く。
 選択肢にチェックを入れて送信するようになっている。
 この選択肢の並びも変わっている。
 選択肢の最初は「非常に悪い」から始まり、「悪い」「普通」「良い」「非常に良い」というように、悪い順に並んでいるのだ。
 これは普通の常識と逆だろう。
 わざと「非常に良い」が簡単にクリックできないようになっている。
 客の評価がストレートに返ってくるので、担当者の対応も当然丁寧になるのだろう。
 中途半端な回答でやり過ごそうとすると、1回で問題解決せず、その後、客と何度もやり取りをしなければなくなる。
 最終的に問題解決に至ったとしても、客の評価は下がってしまう。
 それで、1発で問題解消を目指すようになる。
 そのために、問題を徹底的に調べ、決定的な解決策を提示するようになるという仕掛けだ。
  
 世の中には、いろんなお客様の相談窓口がある。
 だが、多くはただのクレーム処理対応になってしまっているケースが多い。
 客と一緒になって問題を解決しようという姿勢にならず、とりあえず客を黙らせるというところに目的がある。
 客が諦めてくれればそれで任務完了。
 問題は残ったまま。
 その問題は、根本的な解決ができていないために、同じような問題が他の客で繰り返し発生する。
 そのたびに、「よくある話」の1つとして、口先だけの対応で客を黙らせることで対応し続ける。
 客の不満は解消されず、問題は永遠に残る。
 これが、問い合わせ窓口の普通の姿だ。
 実は、Amazonへの問い合わせも同じような対応をされるのではと、あまり期待していなかった。
 通り一遍の解決策を紹介してくるか、担当窓口が違うとたらい回しにされるか、「それは難しいです」と解決をあきらめさせるような内容が返ってくるのではと思っていた。
 だが、予想に反して、対応レベルの高さに驚いた。


posted by 平野喜久 at 12:22| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

加計学園問題は、かつてのNHK番組改変問題と酷似

 いま、国会で騒がしい「加計学園問題」。
 問題の構図が、かつてのNHK番組改編疑惑とそっくりなことに気づく。
 NHK番組改編疑惑とは、次のような事例だった。

 2005年、NHK番組制作局の長井チーフプロデューサーが内部告発を行なった。
 内容は、「安倍氏と中川氏から上層部に圧力がかかり、番組の改変を強いられた」というもの。
 その番組というのは、民衆法廷である日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷を取り上げた番組。
 このイベント自体が強烈な政治的偏向意図を持った主催者によるプロパガンダで、慰安婦など日本軍の戦時犯罪の責任は昭和天皇および日本国家にあるというのが主張の趣旨だ。
 その番組は実際に放送され、その内容のひどさに一般の視聴者は驚いたが、それでも、内容の過激さを緩和するような改変が行われたものだったらしい。
 チーフプロデューサーは、内容改変させられたことを不満に思い、政治家の介入があったと内部告発をぶち上げたという次第。
 このプロデューサーは、記者会見まで開き、その場で涙まで流し、捨て身の姿勢でやむに已まれず内部告発に踏み切ったかのように語り、見る者の情に訴えようとした。

 例によって、この情報に最初に飛びついたのは、安倍つぶしが社是となっている朝日新聞。
 安倍氏と中川氏が政治的圧力で、番組の内容を無理やり変更させた、と報じた。
 これに対して、NHK側はそのような政治介入はなかったと主張。
 安倍氏と中川氏も当然ながら、そんなことはしていないと反論した。
 安倍氏がNHKと接触したのは、放送前日。
 放送前日には番組の改変は終わっており、安倍氏が会ったのはそのあとだった。
 中川氏に至っては、NHKと接触したのは、番組放送後だった。
 番組改変が行われたのは事実だが、それはNHK内部の事前チェックで、あまりにも偏向がひどい内容であることが分かったので、さすがにこのまま放送することはできず、反対の立場の意見も紹介し、少しでもバランスが取れるようにせよとの指示だった。
 放送法に則ったNHKの内部チェックがしっかり利いていたことが分かる。

 「安倍氏によって公正であるべき番組が改変させられた」というのは、いまの加計学園問題で、前川氏が「安倍総理によって公平公正であるべき行政がゆがめられた」というのと被る。
 どちらも、内部関係者による捨て身の告発という形をとっているのも、同じだ。
 そして、朝日新聞が騒ぎを煽っているのも同じ。

 ただ違うのは、前回は、NHKが朝日新聞と対立したこと。
 NHKとしても、簡単に政治介入を許すような体制になっていたと認めるわけにいかず、訴訟も辞さずとの強硬姿勢に出た。
 結局、朝日新聞が折れる形で、この騒動は収束する。

 プロデューサーの内部告発も番組放送から4年もたってからで、あまりにも不自然だった。
 それも、政治家の介入があったという勝手な推測を問題の根拠に置くというずさんなものだった。
 だが、彼としては、「安倍氏と中川氏にやられた」と言えば、朝日新聞が食いつくということは先刻承知だったのだ。
 彼の意図が何だったのかはよくわからない。
 番組改変を強制した上司への恨みか。
 さらにその上層部への意趣返しか。
 このあたりも、ますます今回の加計学園問題とそっくりな構図だ。
 

posted by 平野喜久 at 22:27| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

改正個人情報保護法が施行

 15年9月に成立した改正個人情報保護法が本日から施行される。
 元の個人情報保護法は05年に施行され、国民にプライバシー情報に対する意識を高めさせるきっかけになったが、一方で、保護が不十分であったり、過剰反応で不必要な情報隠蔽が行われるなど、問題も多かった。
 それらを踏まえ、今回の改正法の施行となった。

 今回の改正ポイントは、
・指紋や顔認証データなど「個人識別符号」も対象となること。
・個人情報でも匿名加工すれば本人の同意なく第三者に提供できること。
・従業員らの情報漏洩を罰するデータベース提供罪が新設されたこと。
・5000人要件を撤廃したこと。

 大きな影響が出そうなのが、匿名加工すれば同意なく第三者に提供できるという点だ。
 これは、ビッグデータの時代への配慮だ。
 個人の購買データ、行動データ、検索データなどがビジネスや行政に活用される時代となった。
 個人の属性と購買履歴を蓄積することでマーケティングに利用できる貴重なデータベースになる。
 自動車のGPSデータを解析することで渋滞の緩和策を検討できるようになる。
 海外ではすでに膨大な個人情報の蓄積と利用が進んでおり、国家戦略としても、この動きにブレーキをかけることにならないようにとの配慮がうかがえる。
 だが、「同意なく第三者に」というところで不安も多い。
 匿名加工するとしても、どの程度の加工をすれば十分かは不透明だ。
 名前を消しただけでは、別のデータと照合すれば簡単に個人を特定できてしまう。
 かといって、名前だけでなく年齢や性別や職業や地域など多くの情報を消し去ってしまうと、データとしての利用価値がどんどん失われてしまう。
 どこに線引きをするのかが難しい。
 ただし、事業者はどのような項目を誰に提供するかなどを公表する必要があるとされており、ここで一定の縛りになりそうだ。

 もう1つの注目は、5000人要件が撤廃されたこと。
 従来は、半年間に5000人を超える個人情報を扱う事業者が規制の対象だった。
 5000人というと、ある程度規模の大きい事業者に限られる。
 この要件は、中小零細事業者を対象から外すために設けられた。
 その枠がなくなったのだ。
 つまり、人数は関係なく、個人情報を扱う事業者はすべて対象となるということ。
 確かに、中小零細事業者の中には個人情報に無頓着なところが多く、消費者の意識が高まりとともに、そのいい加減さが問題になるケースがあった。
 今後は、中小零細事業者であろうとも、個人情報の扱いには慎重にならざるを得ないし、その配慮をしっかりしていることを消費者に示していく必要が出てくるだろう。


posted by 平野喜久 at 08:32| 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月28日

そもそも加計学園の件は問題があるのか

 森友学園の騒動が沈静化したと思ったら、いつの間にか騒動は加計学園に移っていた。
 どちらも、安倍総理の意向で許認可手続きが進められていたのではとの疑惑が共通している。
 森友学園問題では十分追及しきれないことが分かったので、同じような案件があるはずと他を探していたら、加計学園が見つかったため、今度はこちらに舞台を変えたといったところか。
 疑惑の根本は、加計学園の理事長が安倍総理の友達だったということらしい。
 ここから、安倍総理の働きかけがあり、加計学園に特別の便宜が図られたに違いないというストーリーができあがった。
 あとは、このストーリーに沿った情報収集が進む。
 獣医学部の新設は、過去50年以上なかったのに、今回異例の速さで新設が認められたとか、京産大が申請したのに認められなかったとか、まるで特別の圧力でことが進んでいたかのような印象報道が続く。
 極めつけは、文科省内部で関係者の覚書として共有されていたという謎の文書だ。
 そこには、「総理のご意向」という言葉があり、安倍総理の働きかけがあったことを明確に示していたため、マスコミも野党も色めき立った。
 当初は、この文書の出どころは明かせないということになっていた。
 ただの怪文書で信憑性はないとの批判が広がり始めたところで、前事務次官の前川氏の証言が登場することになる。
 「あの文書は確実に存在した」
 「公平公正であるべき行政がゆがめられた」
 どうやら、この文書をマスコミや野党に流したのは前川氏だったようだ。
 例によって、朝日新聞と民進党が食いついたというわけ。
 安倍政権を攻撃できると分かれば、彼らが食いつくことは前川氏も狙い通りだったろう。
 前川氏にとって、安倍政権に意趣返しをする絶好のチャンスでもあった。
 天下り問題で詰め腹を切らされた私怨があったようだ。
 それにしても、元官僚の意趣返しの策略に乗せられてしまうマスコミと野党の情けなさ。
 
 あの怪文書には、総理のご意向という言葉はあるが、加計学園という言葉はどこにも存在しない。
 文書の内容が真実だったとしても、それは、官僚や業界に守られてきた堅固な規制を官邸主導でぶち破ろうとする内容にしかなっていない。
 むしろ、官僚に好き勝手させないという点で、安倍政権はしっかり仕事をしているという印象を受ける。
 とすると、官僚にとって、面白くない案件であったことは間違いない。
 前川氏が「行政がゆがめられた」というのはこういうことだったのだ。
 
 前川氏の援助交際疑惑が読売新聞で報じられ、官邸からのリークではないかと言われている。
 官房長官も記者会見で、前川氏の天下りに関与したことや素行の悪さを口を極めて攻撃していた。
 このことを批判している人がいる。
 「権力によって個人のプライバシーが暴かれ、都合の悪い個人がつぶされる」
 「これが許されるのならどんなでっち上げも可能だ」
 的外れの批判にしかなっていない。
 これは権力と個人の戦いではない。
 官邸と元官僚との戦いなのだ。
 元官僚が官邸に戦いを仕掛けてきた。
 それを防戦するのは当然のことだ。
 それに、援助交際疑惑も天下り不祥事もでっち上げではなく、本人も認めた事実だ。
 さらに、前川氏は風俗通いは「女性の貧困調査のため」「教育行政の課題が見いだせた」と言っている。
 前川氏本人が、これはプライバシーではなく、文科省官僚の任務としての意味があったと述べているのだ。
 官房長官が「そんなことは考えられない」と公然と批判するのは当然だろう。 

 マスコミは、もっと客観的な報道に徹するべきだ。
 安倍総理の陰謀ストーリーに沿った情報だけをピックアップして報道している。
 ストーリーにそぐわない情報は報道しない。
 森友学園の時もそうだったが、まるで、安倍総理が裏で悪いことをしているかのようなイメージを増幅させることにしか関心がないように見える。
 真実はどうでもいいような姿勢だ。
 結果として、規制緩和に抵抗し、天下りにかかわり、援助交際に手を出していた官僚を擁護することになっていしまっている。
 マスコミは権力の監視が役割というが、その前に、真実の報道が先だろう。

 加計学園問題については、理事長の発言はまったく登場しない。
 たぶん、理事長が安倍総理に働きかけをしたという痕跡が何もないのにちがいない。
 だから、「2人は友達だった」ということしか出てこないのだ。
 学園を誘致した地元の発言も登場しない。
 獣医師会の発言も登場しない。
 これらを取り上げると、問題が拡散してしまい、安倍陰謀ストーリーが破綻するからだろう。

 この加計問題も、森友問題と同じように、マスコミと野党が大騒ぎをしただけで、国民どっちらけの中、消えてなくなりそうだ。


posted by 平野喜久 at 21:28| 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前川氏の発言に官僚の驕りを見る

 加計学園問題。
 文科省の元事務次官の証言が出て、騒ぎが大きくなっている。
 今回は、問題の本質には触れない。
 元事務次官の前川氏が記者会見で語った言葉について、違和感を覚えた。

「極めて薄弱な根拠で規制緩和が行われた。公平、公正であるべき行政の在り方がゆがめられた」

 50年間も獣医学部の新設が見も繰られ続けてきた。
 それが今回、政治主導で破られ、新しい獣医学部の新設が実現することになったところで、加計学園問題が飛び出した。
 前川氏の発言は、ぼんやり聞いていると、政府が行政に不当な介入を行なったために、問題が起きたかのように聞こえる。
 だが、これが元事務次官の発言だということを考えると、とんでもないことだと気づく。
 つまり、「政治主導で規制緩和が行われたことが気に入らない」ということだからだ。
 もっとその真意を掘り下げると、「行政がどうあるべきかは、我々官僚が考える。政治家は余計な口出しをするな」という意味になる。
 官僚の恐るべき驕りを見る思いがする。
 規制緩和すべきかどうか、何をもって公平公正とするか、これを判断するのは、官僚ではなく、国民の代表である政治家であるべきではないのか。
 その判断に間違いがあったとしても、それは政治家の責任であり、政治家であれば、責任を取ることができる。
 だが、官僚は国民に選ばれていない。
 官僚は結果に責任を負わないし、実際に責任を取ることはない。
 その官僚が国の重要な政策を決定しているとしたら、そちらの方がはるかに問題だろう。

 野党とマスコミの一部は、加計学園の騒動を安倍政権を追い落とす手段に使えると考え、色めき立っている。
 かつて、前川氏は文科省の天下り問題の張本人として攻撃されていたが、彼の証言が政権の攻撃材料に使えるとみると、途端に「勇気ある告発者」として持ち上げ始めた。
 現役官僚時の援助交際疑惑が報じられると、「権力側が個人攻撃で告発者をつぶそうとしている」と前川氏の全面擁護に全力を挙げている。
 この気味の悪さ。 
posted by 平野喜久 at 14:31| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月25日

京大に使用料請求せず:JASRAC

 京大の学長が入学式の式辞を大学ウェブサイト上に公開したことで、JASRACから問い合わせがあったことについて、決着がついた。
 式辞の中で、歌手のボブ・ディランさんの「風に吹かれて」の歌詞の一節が含まれていたために、それについて著作権使用料が発生するのかが問題になっていたのだ。
 JASRACの理事長が記者会見で「引用と判断している。請求はしない」と述べたことで、問題は収束した。
 
 そもそも、当初、JASRACから京大に問い合わせがあったのかが不可解。
 ボブ・ディランさんの歌詞をそのままネット上に公開しているわけでもなく、式辞の中で歌詞の一節を引用しただけだし、その式辞を大学のウェブサイト上に公開しただけだ。
 引用という形式をとっている。
 その目的もはっきりしている。
 式辞をネット上に公開した意義も明確。
 どこにも著作権を侵害するような不自然な点は見当たらない。
 京大側は、問い合わせに対して、意味が分からず対応しなかったという。
 だが、この情報がネット上で拡散し、世論が反応した。
 「こんなものにも使用料を請求するのか」とJASRACの姿勢に批判的な論調が強かった。
 世論の反発の強さに驚いたのか、JASRACは「別に、請求しているわけではない。問い合わせをしただけ」と途端に逃げ腰になった。
 そして、理事長の定例記者会見で記者に問われ、先の発言となった。

 JASRACからの問い合わせというのは、電話であったらしい。
 「歌詞の引用をサイトに掲載するには、著作権料に関わる手続きが必要」という趣旨だったという。
 確かに、使用料を請求はしていない。
 手続きをせよと言っているだけ。
 JASRACに歌詞の引用を届け出ると、その使用方法などを見て、JASRACが使用料を算出し、請求してくる。
 著作権法で認められた引用という形なら使用料は発生しないが、その判断はJASRACがするので、使用者が勝手に判断するな、という姿勢が見える。
 今回は、世論が先に反発したので、JASRACは手を引いた。
 だが、これが個人だったらどうなっただろうか。
 JASRACから問い合わせがあっただけで、圧力を感じただろう。
 急いでネット上の文章を削除するか、手続きを進めてしまうかしただろう。
 場合によっては、うっかり使用料を払ってしまうかもしれない。
 もしかしたら、JASRACの問い合わせというのは、相手がビビッて使用料を払ってくれればOKぐらいに思って、片っ端から問い合わせの電話を入れているのではないか。
 だとすると、これは実体のない請求書を送りつけて、間違えて払い込んでくれるのを待つ「架空請求詐欺」のようなものだ。

 今回の騒動で、JASRACは理事長の「請求しない」という発言だけで収束となった。
 だが、誤解を招く行為についての反省も謝罪もない。
 これを機に、「著作物の引用とはどういう条件で成り立つのか」ということを広く国民に知ってもらうこともできたはずだが、それもない。
 とりっぱぐれて、そそくさと逃げた、という印象しかない。
 音楽著作権の保護者というイメージからは程遠い。
 

 
posted by 平野喜久 at 10:20| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月14日

批判のための批判はいらない:野田幹事長の街頭演説

 民進党の野田幹事長の街頭演説。
 安倍政権への批判を繰り返していたが、その内容は口先だけの批判にとどまっているという印象が強い。

 安倍首相が憲法改正を2020年までにと考えている件については、
 「全く関係のないことまで2020年に絡めるおかしな発言が出てきた」
 「何故憲法改正を2020年までとするのか。全く関係ない」と批判。
 「トップダウンで方向性を決める問題ではない」
 「日本は大統領の国ではない」
 「お門違いの発言だ」などと厳しく指摘。

 さらに、テロ等準備罪については、次のように批判していた。
「2020年に向けて新たにテロ対策をやらなければいけないくらい安全に不安のある国だったんですか?そうじゃない筈であります」

 安倍政権のやろうとすることを批判することに精一杯で、その主張に無理やり感が強い。
 民進党の中でも野田氏だけは、現実的な判断ができる政治家だと思われたが、その彼にして、この程度の主張しかできないとは驚いた。
 立場上、こう主張せざるを得ないのだろう。
 「提案型の野党になる」というのが公約だったはずだが、その様子はなく、安倍政権に難癖をつけることに終始している印象だ。

 テロ等準備罪に対する批判として、「日本はそんなに危険な国なのか」という批判は、リスクから目をそらそうとする悪魔の言説だ。
 リスクに目を向けなければ、問題が存在しないことになる。
 問題が存在しなければ、対策を講じる必要はない。
 対策を講じる必要がなければ、テロ等準備罪は不要だ。
 前提となるリスクを否定することで、政府の対策を否定するというのは、ただ国民の目をそらそうとしているだけで、何のリスク対策になっていない。
 現状ではテロ等準備罪が必要ないのであれば、いったいどうなったら必要になるのか、という判断基準が必要になる。
 提案型の野党なら、その基準が示せるはずだが、そんな基準は示せないだろう。
 政府を批判するために理屈をつけているだけだからだ。
 おそらく、テロ等準備罪が必要となる判断基準を明確に示せる人はいない。
 ここまでだったら必要ないが、これを超えたら必要になる、などと言えれば簡単だが、そんな基準はどこにも存在しない。
 どこにも存在しないものを前提にした議論に現実性はまったくない。
 民進党(旧民主党)は、何のために政権を経験したのか。
 せっかくの経験がまったく生かされていないではないか。
 人は失敗を通して多くを学び成長する。
 だが、民進党は民主党から党名を変え、悪いイメージを断とうとしたが、同時に、貴重な経験知も断ち切ってしまったようだ。

 本日のサンデーモーニング。
 トランプ政権批判と、安倍政権批判に終始し、北朝鮮の脅威は1つも語られることがなかった。
 番組が始まる僅か3時間前に北朝鮮がミサイルを発射し、30分前には官房長官が記者会見をしていたというのにだ。
 北朝鮮の脅威を取り上げると、安倍政権を批判しにくくなることを嫌がったのだろう。
 だが、ミサイル発射は、すでにネット上で情報が出回っており、視聴者はとっくに知っている。
 コメンテーター全員が申し合わせたように、北朝鮮の脅威を無視して安倍批判を繰り返す様子が滑稽でさえあった。
 コメンテーターの1人は、こんなことを言っていた。
 「日本だけが北朝鮮と対話しようという姿勢を示さないのはおかしい」
 このコメンテーターもミサイル発射の情報は知っていたはずだ。
 それが、30分間も飛び続けるような新しいタイプのミサイルだったことも分かっていたはず。
 すべてを知ったうえで、平然とこんなコメントを発信できる神経は異様だ。



  
 
 
 
 
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2017年05月12日

無断使用の迷惑料1,000円:DeNAの小ばかにした対応

 毎日新聞の報道による。
 医療情報サイト「WELQ(ウェルク)」などで、記事や写真の無断使用が問題化し、10サイトが非公開に追い込まれたDeNA。
 無断使用された人に「迷惑料」名目で金銭の支払いを始めているらしい。
 
 当初、DeNAは「ただ場所を貸しているだけのプラットフォーム事業者で、記事の内容には責任を負わない」「投稿者が勝手にやったこと」と責任回避の姿勢を見せていた。
 だが、第三者委員会の調査により、DeNA自身も記事作成に積極的に関わっていたことが判明し、著作権侵害が逃れられなくなった。
 調査によれば、サイトに掲載された記事の最大5.6%、写真計74万件に著作権侵害の疑いがあったという。

 DeNAは、記事や写真を無断で使われたのではないかとする人の問い合わせに応じ、「迷惑料」を支払う対応を進めている。
 「迷惑料」の金額や算定基準については、はっきりしないが、個別に判断されているようだ。
 事業者の場合は万円単位、個人の場合は1,000円程度になるという。
 事の重大さに比べて、金額の安さに驚き、DeNAと交渉、「この写真を撮るためにどれだけの苦労と経費をかけたか」を説明し、値段を上げさせた個人もいたそうだ。

 DeNAは、個人は対処しやすいとみてなめてかかっている。
 相手が大手企業だったりすると、法的手段で膨大な損害賠償を求められる可能性があり、対応を間違うととんでもないことになる。
 ところが、相手が個人であれば、口先だけで対応していれば、やがて相手は泣き寝入りする。
 それで、対応が甘くなるのだろう。

 損害賠償の算定基準は難しい。
 相手が事業者であれば、実際に被った損失を算定しやすく金額も高額になりがちだが、個人が趣味で公開しているブログだと、実質的な損失はなく、心理的な被害しかない。
 ウェルクによって無断使用された側としては、不快極まりない。
 その不快感を慰撫する金額とはどのぐらいかは、個人差があり一律で決めるのは無理だ。
 過去に、個人情報漏洩事件を起こした企業は、個人への見舞金として500円程度を払うというのが相場になってしまっている。
 今回は、それを基準に、1,000円あれば十分だろうとの判断があったのかもしれない。

 しかし、1,000円という金額は、子どもの小遣いでも喜ばれない金額であり、あまりにも事態を軽んじている印象を受ける。
 被害個人だって、何も高額の賠償額をふんだくってやろうとは思っていないだろうが、具体的な金額を提示されたおかげで、却って、「この程度の被害だと思っているのか」というのが目に見える形で分かってしまうだけに、納得がいかなくなる。
 個人は、たとえ趣味のブログに挙げている写真であったとしても、その写真を撮るためにどれだけの苦労をし、どれだけのコストをかけ、どれだけの思いを傾けたか分からない。
 こだわりのある写真であれば、その思いはなおさら大きい。
 それを、ネット上でたまたま見つけ、勝手にコピペして、自分のサイトで堂々と使用している姿は許しがたい、と思って当然だ。
 DeNAという大手企業のブランドを背負った業者であり、こちらは一個人。
 個人には何もできないだろうという小ばかにした態度にも見え、余計に不快だ。
 さらに、DeNAは、これを商売に使い、集客効果を高めるために利用して、実質的な利益を得ているのだ。
 そのことを思うと、その「迷惑料」がたったの1,000円では、あまりにも安すぎる。
 本来なら、「同じ写真を独自に撮影しとしたら、どれだけのコストがかかったか」という視点が算定基準にならなければいけないだろう。
 被害者にとって、「迷惑料」という言い方も、不愉快だろう。
 「あ、ごめんね」という程度の態度に見えるからだ。

 今回、DeNAは、申し出があった被害者に対して迷惑料を払うことにしたようだ。
 つまり、「文句があるなら言ってこい」という態度だ。
 自分らが犯した無断使用なのだから、自ら相手先を探し出して、「迷惑料」の支払いを申し出るべきところだ。
 どうして、個人の側がDeNAサイトを調べて、自分の記事や写真が無断使用されているかどうかを確認しなければならないのか。
 だが、写真の無断使用だけでも74万件とあまりにも多く、範囲も膨大で、とても1件1件フォローしきれない。
 面倒だから、クレームを言ってきた人に個別対応するということにしたのだろう。
 元のサイトは既に閉鎖されており、今更確認することすらできない。
 自分の著作が剽窃されたことすら気づいていない人も多いかもしれない。
 DeNAとしては、このままそっとしておいた方が得策だ。

 個人ブログの場合、記事や写真がコピペされたとしても、業務妨害されたわけでもないし、何か物が盗まれたわけでもないので、「実質的な損失がないんだからいいじゃん」と解釈されやすい。
 しかし、金銭的なコストがなくとも、精神的なコストが大きい。
 実際には、無断で使われたという不快感だけでは済まない。
 同じ記事や写真がDeNAの管理サイトに表示されたとすると、どういうことになるか。
 DeNAのサイトと個人ブログのサイトに同じ記事や写真が載っていることになる。
 第三者が見たとき、どちらがオリジナルかは分からない。
 まさか、DeNAが個人ブログから盗んだとは思わないだろう。
 個人がDeNAサイトから勝手に剽窃していると判断されかねない。
 そうすると、個人の社会的信用が棄損されることになる。
 個人にとってこの信用喪失のコストはあまりにも大きい。
 
 
  


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2017年05月08日

映画「太陽の蓋」:危機のリーダーのあり方

 映画「太陽の蓋」を鑑賞。
 去年の封切時に観たいと思ったが、上映館が少なく、チャンスがなかった。
 ようやくレンタルDVDで鑑賞できた。
 
 この映画は、福島原発事故直後の数日間を、官邸の視点で描いたドキュメンタリータッチのドラマだ。
 時々NHKでやっている原発事故の再現ドラマに近い。
 官邸内部ではどのようなやり取りがあったのかを映像として確認できる。
 いろいろ考えさせる場面が多い。
 その中でもクライマックスの1場面を取り上げる。
 東電が撤退を申し出てきた場面。
 官邸内でも様々な意見が出る。
 「これだけの危機的状況じゃ、やむを得んだろう」
 「民間企業に政府がとどまれと命令できるのか」
 「まさか死ねとは言えんだろう」
 その中で、菅総理だけは逡巡する様子もなく「撤退はあり得ない」と言い切る。
 これで、官邸内の意思が固まった。

 後に、総理は東電本店に乗り込んで撤退はあり得ないことを伝える場面になる。
 総理たちが東電の危機対策室に入ったところで呆然とする。
 対策室の壁面には巨大な多面モニターが掲げられており、原発の現場映像もリアルタイムで映し出されていた。
 東電の危機対策室は現場とつながっていた。
 なのに、官邸には何の情報も伝えられていなかった。
 「いったい東電は何をやっていたのだ」との怒りが込み上げるのが分かる。
 
 菅総理はモニターを背に立ち、東電幹部らに向かって怒りの演説を始める。
 「撤退はあり得ない。死ぬ気でやれ」
 断固たる言葉に会場が凍り付く。
 この場面、菅総理は一度も頭を下げることがない。
 だれかと握手をすることもない。
 演説に先立って、東電職員らの苦労をねぎらう言葉もない。
 実際に、この菅総理の演説を聞いた東電社員の中には、反感を覚え、士気阻喪した者もいたらしい。
 東電社員らも彼らなりに苦労し、一生懸命対処しているつもりでいたのだ。
 それを何も認めないような総理の言動に反感を覚えたのだろう。
 だが、この時の有無を言わさぬ断固たる言葉によって、東電幹部らの覚悟が決まったのは間違いない。

 果たして、この時の菅総理の言動は、危機に臨んだリーダーとして正しかったのかどうかは、ディスカッションのテーマになりそうだ。
 
 
posted by 平野喜久 at 11:10| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月28日

2017年版地震動予測地図:確率の低い地域こそ警戒せよ

 地震調査委員会が17年版「全国地震動予測地図」を公表した。
 この予測地図は、今後30年以内に震度6弱以上で揺れる確率を地図上に色分け表示したものだ。
 確率の高い地域として目立つのは、北海道太平洋側、関東から四国にかけての太平洋側が濃い赤色表示になっている。
 都市ごとにパーセンテージを見てみると、千葉:85%、横浜:81%、水戸:81%が大きい。
 そのほか、主要都市では、東京:47%、名古屋:46%、大阪:56%となっている。
 一方、日本海側は確率が低く、山形:3.6%、金沢:6.5%、松江:3.7%。
 地域によって確率の大小がくっきり分かれている。
 16年版と比較すると、全体に1ポイントほど上昇している。

 これを見ると、いまの日本のどの地域に震災リスクがあるのかが一目でわかる。
 千島海溝、首都直下、南海トラフのリスクが高まっているのが、このマップから確認できる。
 このようなデータを公表する目的は、国民に正しい情報を提供して、健全な危機意識を持ってもらうこと。
 国民の不安感を煽るような派手な演出もなく、さりげなく淡々と発表されるところがいい。

 ただ、この予測地図のやっかいなところがある。
 確率の高い地域では、健全な危機意識を持ってもらうことができるが、逆に、確率の低い地域には、不必要な油断を与えてしまうことになりかねない。
 昨年の熊本地震も、このマップからは読み取れなかった。
 近年の地震の多くは、確率の低い地域ばかりで起きている印象だ。
 だから、地震の起きない地域を探そうという視点でこの地図を見るのは間違っている。
 確率の低い地域は、地震が起きないのではなく、地震の原因になる活断層などが見つかっていないだけと思った方がいい。
 南海トラフ巨大地震は、どのような地震が起きるのかがはっきりわかっているし、どのような揺れになるか、どのような被害が出るかが詳しく予想されている。
 それに比べて、確率の低い地域は、いつどのような地震が起きるか分かっていないということだ。
 むしろ、不意打ちを食らう恐れがあるという点では、確率の低い地域こそ警戒しなければならないだろう。

 
 

 
 
 
 
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2017年04月25日

今村大臣の失言:在庫一掃大臣の限界

 今村雅弘復興相が辞任する意向を固めた。
 以前、記者会見での失言で物議をかもしたが、さらに新たな失言があったという。
 所属する自民党二階派のパーティーで講演し、東日本大震災の被害に関し「まだ東北で、あっちの方だったから良かった。首都圏に近かったりすると、莫大(ばくだい)な、甚大な額になった」と述べた。
 これが、失言として問題となる。
 このパーティには安倍総理も出席しており、ただちにこの発言を不適切として首相として謝罪をした。
 その日のうちに辞任が決まり、実質、更迭となった。

 今村大臣の発言の真意はよくわかる。
 東日本大震災では多くの犠牲者があり、経済被害も大きかった。
 しかし、東北だからこの程度で済んでいるのであり、これが、首都直下だったり、南海トラフだったら、被害は桁違いになる。
 このことを指摘しようとしたのだ。
 当たり前のことを言っているだけなのに、なぜ、問題になるのか。
 それは、「東北だからよかった」という表現にある。
 東日本大震災で被災した人々にとっては、災害規模の大きい小さいはまったく関係ない。
 ひとりひとりにとって被害はいずれも甚大だ。
 「東北だからよかった」という発言は、被災者の感情を逆なでする。
 「東北だからこの程度で済んだ」でも問題だろう。
 
 この手の話をするときには、言葉のニュアンスには神経質にならなければならない。
 特に、政治家は言葉がすべてだから、余計に慎重になって当たり前だ。
 慎重になりすぎて、話が面白くなくなったとしても、やむを得ないぐらいの覚悟がいる。
 今村大臣には、言葉の感性が鈍すぎた。
 いままで、閣僚経験がないために、公の発言に慣れていなかったか。
 それでも、政治家として言葉に無頓着すぎる。
 いままで、彼の発言が注目されることもなく、何を言っても問題になることがなかった。
 それが、大臣となって急に注目されるようになったことで、ぼろが出始めた。
 できる人間なら、大臣となると同時にスイッチが切り替わるはずが、彼はそのようなスイッチがなかった。
 以前にも失言を指摘されて、反省をしたはずなのに、言葉の無頓着ぶりはそのまま。
 致命的な失言を繰り返した。
 スイッチがないのだから、モードが切り替わりようがなかったのだ。

 在庫一掃の順送り人事で入閣した政治家は、失言を起こしやすい。
 大臣になったことで気持ちが大きくなっている上に、言葉への感性が以前のまま。
 いつもと同じ調子で、あるいは、それ以上に調子づいて受け狙いの発言を繰り返すうち、簡単に失言に至る。
 さらに、失言から名誉挽回しようとして、余計な発言をし、それが新たな失言となる。

 安倍総理も、匙を投げた。
 即日の更迭は、対応の迅速さが際立っている。
posted by 平野喜久 at 22:46| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月15日

ユナイテッド航空の不祥事:乗客の強制排除

 ユナイテッド航空の不祥事が世界で話題になっている。
 米国東部時間4月9日夜、シカゴ発ルイビル(ケンタッキー州)行きの短距離運航便。
 午後5時40分の定刻出発に向け、乗客の搭乗が完了した後、業務上の理由で乗務員4人が同便でルイビルに向かわなければならない事が判明。
 事実上のオーバーブッキングとなり、乗客が4人、飛行機を降りなければならなくなった。
 ユナイテッド側は降機に協力する乗客に対して協力金400ドルとホテルの宿泊代を提案したが、応じる人はいなかった。
 補償金を800ドルに積み増したが、それでも協力者が出てこなかったため、4人の客の指名に踏み切ったという。
 指名された4人のうち、3人は素直に応じたが、1人だけ降機を拒否したため、シカゴ航空局の保安係官が呼ばれ、客は席から強制的に引きずり出されることになる。
 その排除行為は、乗客が座席の肘掛けに顔を強打し、鼻を骨折し前歯を折るという非常に乱暴なものだった。
 その様子が複数の乗客によって撮影され、直ちにSNS上に投稿される。
 この動画は、瞬く間に世界中に拡散し、騒動となった。

 アメリカでは、航空会社による搭乗拒否はよくある話らしい。
 予約をしても、当日の事情で搭乗しない客がおり、空席のまま飛行機を飛ばすことを避けるために、常に多めに予約を受ける。
 つまり、いつもオーバーブッキングなのだ。
 予想通りドタキャンが出て、多めの予約がうまく定員に収まればOK.
 だが、必ずそうなるとは限らない。
 その時には、誰かに搭乗をあきらめてもらうしかない。
 何らかの方法で、客を選び、別便への振り替えをお願いすることになる。
 今回は、この一連の様子があまりにも乱暴で、他の乗客にも目に余る状況に見えたので、動画が撮影され、拡散されることになった。

 1人だけ強硬に降機を拒否したため、乱暴な排除行為になり、それが他の乗客に撮影され拡散されることになった。
 普段は、おとなしく客が応じ、問題なくことが収まっていたのかもしれない。
 選ばれた4人は、みんなアジア系の客だったという。
 白人を選ぶと「なんで私が?」と猛烈に抗議される。
 黒人を選ぶと「人種差別だ!」と問題がややこしくなる。
 アジア系なら、おとなしく応じる人が多いということで選ばれたのか。
 いままでの経験則から、アジア系を選んでおけばトラブルが少ない、ということが分かっていたのかもしれない。
 
 ユナイテッド航空の今回の対応はひどいものだが、問題が発覚してからの対応もひどい。
 会社側は、当初はオーバーブッキングを起こしてしまったことを謝罪していた。
 わざと問題をそらそうとしている。
 CEOは、社員向けのメッセージで、「乗客がけんか腰だった」と批判し、社の対応を正当化していたことが発覚し、騒ぎを大きくしている。
 その後、「無理やり排除された乗客と乗り合わせた全ての乗客に深く謝罪する」との声明を出し火消しに動き出すが、全く火消しになっていない。
 アメリカの経営者は、謝罪が下手だ。
 日本と違って、もともと謝罪で問題を収束させるという文化がないからだろう。

 たぶん、こんなことはいつものことであり、他の航空会社でもやっていること。
 今回は、たまたま客が抵抗し騒いだので乱暴な扱いになっただけで、自分らの行為に問題があるという自覚がないのではないか。
 むしろ、客に騒がれた自分らこそ被害者との感覚があったのではないか。
 保安係官を呼び強制排除させたのは、「客が騒いで降りないので、飛行機を発進できない」という理由だったのだろう。
 保安係官は、どういう事情か分からず、航空会社の言われるがまま、騒ぐ客を力づくで無理やり引きずっていった。

 米運輸省によれば、米国内で2016年にオーバーブッキングのため搭乗便を変更するよう求められた乗客数は43万人強に上ったという。
 オーバーブッキングを当たり前とし、定員を超えた場合は搭乗拒否をして対応するという航空業界の体質に問題の本質がありそうだ。

posted by 平野喜久 at 20:17| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月09日

記者会見に不慣れな大臣はそれだけでリスクだ

 今村復興相が記者会見で、記者の質問に激高し、会見室から「出て行きなさい!」「もう二度と来ないでください!」「うるさい!」と声を荒らげたことが問題になっている。
 男性記者は、東京電力福島第1原発事故による自主避難者への住宅の無償提供が3月末で打ち切られたことに関して質問。
 福島県に帰るに帰れない人がいることに対して、国の責任を追及した。
 今村大臣は初めのうちは穏やかに回答していたが、記者側が繰り返し責任を追及し続けたことから対応が感情的になり始めた。
 なおも追及をやめない記者に対して、ついに「責任を持ってやっている。君はなんて無礼なことを言うんだ。撤回しなさい!」と怒りを爆発さるに至った。
 会見を一方的に切り上げ、退場する場面でも記者は質問を浴びせ、それに対して「うるさい!」が出た。
 この「うるさい!」が、原発被災者に対する本音とも受け取られかねないことから問題が拡大した。
 今村氏はその後冷静さを取り戻し、同日夕に復興庁で記者団に陳謝。
 安倍総理も陳謝している。

 記者会見の様子を見ると、執拗に同じ質問を繰り返す記者のしつこさにうっとうしさを覚える。
 今村大臣がいらだちを感じるのも無理はない。
 だが、そもそも記者会見とはこういうものなのではないか。
 記者としては、大臣の本音を聞き出すため、いろんな質問をぶつける。
 時にはわざといらだたせるような質問をして揺さぶりをかける。
 これは記者として当たり前のことだろう。
 今回は、今村大臣が記者の仕掛けにいとも簡単に揺さぶられてしまったという印象が強い。
 政治家経験の長いベテランでありながら、大臣経験が初めてという人は記者会見で対応を間違えるケースが多い。
 記者会見の不慣れな人は、どうしても、目の前の記者に反応してしまう。
 若くて生意気な記者が嫌味な質問をしてくると、それだけで感情的に反発してしまう。
 「こんな奴に、なんで丁寧に対応しなければならないんだ」との思いが先行してしまう。
 こうなったら、危ない。
 公式の場での記者会見は、目の前の記者を相手にしているようで、実はその背後にいる国民や関係者を相手にしているという認識でなければいけないからだ。

 記者会見に不慣れな人物が大臣に就任した場合、それだけでリスクだ。
 いつ、足元をすくわれ、それが国民の不評を買い、内閣の崩壊につながるか分からないからだ。
 大臣初心者は、まず、マスコミ対応のレクチャーを受けるべきだろう。
 
 今の内閣で、最も記者会見のうまいのは、菅官房長官だ。
 毎日2回ずつの定例記者会見を開いているが、いまのところ失態はない。
 これは、無難な物言いに徹しているという意味ではなく、時には外国に主張すべきことは明確に主張し、国民にしっかり伝えるべきことは明確に述べている。
 表現は洗練され、感情も安定していて、その言動は危なげない。
 余計なことは語らず、かつ、必要なことはしっかり伝える。
 スポークスマンの手本を見るようだ。
 
 
posted by 平野喜久 at 11:39| 愛知 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月06日

那須雪崩事故:事前準備の不備

栃木県那須町のスキー場付近で県立大田原高山岳部の生徒ら8人がラッセル訓練中に死亡した雪崩事故。
 追加の情報でいろいろなことが分かってきた。
 事前の準備に不備があったようだ。
 予定の登山を悪天候でできなくなった場合の訓練計画がなかった。
 実施要項に講師として記載のない教諭にラッセル訓練の先頭班を引率させていた。
 事故現場の国有林の管理元に入林届を出していなかった。
 生徒らに、雪崩発生時の対処方法をレクチャーしていなかった。
 
 当日の天候を見て山頂登山を中止したところまでは計画通りで問題なかった。
 ただ、登山中止の場合の計画はなく、そこからは行き当たりばったりの行動になってしまったようだ。
 雪崩など起きるはずはないという強い思い込みが前提なので、危機意識は全くなく、そのための備えは何もなかったといってもいい。
 特に、生徒らに、雪山遭難を避けるためのノウハウを伝えていなかったのは問題が大きい。
 何のための雪山訓練なのか。
 雪山のリスクを身をもって体験するための訓練ではないのか。
 結果として何も起きなかったとしても、リスクを意識しながら訓練をするのと、何も知らされずにただ引率教員の後をついて登っているだけとでは、経験値が全く違う。
 雪山リスクを実感できれば、その体験は一生の財産になる。
  
 この雪山のリスクを教えずに訓練をさせ、たとえ無事に下山することができたとしても、それは果たして成功と言えるか。
 ただ、みんなで雪山に登ってきました、という思い出ができるだけだ。
 その生徒らは、雪山リスクを学ぶ貴重なチャンスを逃す。
 雪山なんてこんなもの、という偶然の成功体験を増やしただけに終わる。
 偶然の成功体験を蓄積させてしまうと、リスクに鈍感になり、雪山をなめてかかるようになる。
 これは、将来の大きな事故の誘因になりかねない。
 こちらの方は、むしろ、弊害が大きい。
 責任者教員は登山歴の長いベテランだが、あの危機意識のなさは、成功体験しか蓄積してこなかった結果かもしれない。

 引率教員9人は、全員無線機や携帯電話を持っていたという。
 だが、その通信ツールは1つも役に立たなかった。
 ある教員は、何度も本部へ無線連絡を試みたが応答がなかったという。
 訓練開始前、本部と現場とで本日の訓練の打ち合わせをしている。
 その時の打ち合わせは、携帯電話でやり取りしたと本部責任者は言っていた。
 ならば、無線が通じなかったとしても携帯電話が使える状態だったはずで、なぜ、これを有効利用できなかったのか不明だ。
 本部に通じなかったとしたら、直接現場教員から警察に救助要請もできたはずだからだ。
 たぶん、現場教員も埋もれた生徒らの救出に大わらわで、救助要請の連絡をするというところまで気の回る状態ではなかったのかもしれない。
 
posted by 平野喜久 at 10:41| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゴルフレッスンプロ1000人超がローン詐欺被害か

 東洋経済オンラインの報道による。
 レッスンプロ1000人超が破産の危機に瀕しているという。
 どういうことかというと、ゴルフ練習場のレッスンプロたちが、ある業者に不当な契約を結ばされ、多額の借金を背負うことになったという。
 ある業者とは、東京・港区のゴルフスタジアムという会社。
 そこが提供する、「ごるスタ」というウェブサイトの作成・運営管理サービスに絡み問題が起きた。
 
 この業者は、レッスンプロたちに無料でウェブサイトを作ると持ち掛け、実際にサイトを作成する。
 業者が無料でウェブサイトを作って終わりということはありえない。
 話には続きがある。
 最終的に契約書を取り交わす段階になると、「ソフトを買う形を取らせてほしい。ついては信販会社とクレジット契約も結んでほしい」と言い出す。
 無料でサイトを作るという話だったはずだ。
 その通り。
 サイトは無料で作った。
 ただ、サイトの運用には管理ソフトがいるので、それをローンで購入せよ、ということらしい。
 ウェブサイトを運用すれば広告料収入があるので、それを支払いに充てれば、実質、持ち出しにはならない。
 無料でサイトを作り、無料で運用できることになる、という理屈だった。

 はじめのうちは広告料収入もしっかりあり、それをローンの支払いに充てることで十分賄えた。
 ところが、今年の2月下旬になって、突然、広告料の支払いが滞った。
 それで、ローンの残債だけを抱えたレッスンプロが破産の危機に陥ったというわけだ。
 残債は少ない人でも300万円、多い人は900万円にも上るという。
 これで破産というのも大げさな感じもするが、急に多額の借金を背負わされた形になっているのは間違いない。
 いま、被害者の会が立ち上がり、信販会社に対して、回収をストップするように働きかけているようだ。

 これは、一時期流行したホームページ詐欺とよく似た手法だ。
 無料でホームページを作ると持ち掛け、管理料と称して、クレジット契約を結ばせる。
 サービスをローンの対象にできないので、管理ソフトという物品を対象にローンを組ませる。
 表向きは、毎月管理料を支払っているという形になる。
 客の方が、サービスを打ち切りたいと申し出ると、管理サービスは終わるが、ローンの支払いは終わらない。
 なぜなら、ローンの支払いは途中で打ち切ることができないからだ。
 ここで初めて客は、支払っていたのが管理料ではなく、ソフト代金のローン返済だったことに気づいてびっくりすることになる。
 
 今回の事例は、広告料収入でローンの支払いを賄うので、実質的な経費負担がないというのが前提だった。
 だが、毎月一定額の広告料収入が保証されているわけではないし、広告料収入とローン契約がリンクしているわけではなく、広告料収入があってもなくてもローンの返済は続く。
 ローンの期間は、7年84回。
 たかが管理ソフトにローンを組むこと自体があり得ないが、ソフトにこれほど長期のローン契約もあり得ない。
 これは、1回当たりの支払額を小さく見せることで、問題の発覚を避ける狙いがある。
 電話機のローン詐欺、ホームページのローン詐欺も、同じように7年84回だった。

 悪質商法であることに間違いないが、詐欺要件が立証できるかどうかは難しい。
 被害者は、スキームのすべてを理解したうえで契約書に署名捺印しているからだ。
 契約書に、ローン完済まで広告料収入を保証するという文言が盛り込まれていれば救われるが、たぶん、そんな業者に都合の悪いことは書いてないだろう。

 今回、なぜゴルフのレッスンプロばかりが被害にあったのかというと、もともとこの業者にゴルフ練習場との取引実績があり、そのコネクションを使って、この悪質ビジネスを立ち上げることを思いついたようだ。
 普段出入りしているゴルフ練習場や、仕事を世話してもらっている先輩からの紹介ということになれば、むげに断ることもできず、疑問に思いながらも契約してしまったという。
 不特定多数の一般の人々を対象としたものではなく、特定の業界の濃密な人間関係を利用した悪質ビジネスという点で特異なケースだった。
 

 
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2017年03月31日

NHK子会社の余剰金問題:競争原理から隔離された奇妙な事業体

 読売新聞・産経新聞の報道による。
 NHKの子会社13社の利益剰余金が2015年度末で計948億円に上ることが、会計検査院の調べでわかった。
 検査院はNHKに対し、子会社の剰余金の状況を把握し、適切な規模とするよう求めた。
 このニュースは何が問題か。
 一般に、子会社に剰余金があることは別に悪いことではない。
 だが、これがNHKだから問題なのだ。
 NHKの収入は国民の受信料で賄われている。
 その受信契約は放送法で強制されているもの。
 この受信料は、他の有料放送の視聴料とは全然違う。
 法律による強制力があることから、税金や社会保険料と同じような性格を持つ。
 それだけに、その使途については国民に明らかにする必要があるし、そこに無駄な経費があれば、厳しく削減が求められて当然だ。
 ところが、このNHKは民間事業者としての性格も持っているために、その経営内容には国民は立ち入ることができない。
 ここに不透明な点が残る。
 不透明な最大のポイントは、受信料がどのように使われているかだ。
 NHK本体だけ見ていては受信料の使われ方は見えない。
 NHKは関連会社に業務を丸投げしており、そこに受信料が流れているからだ。
 関連26団体のうち、9割以上が随意契約だという。
 つまり、仲間内に仕事を回し、そこに受信料を流してしまえば、NHK本体には剰余金は必要以上に出ないので、表向きは受信料は適正な規模で使われていると見せることができるというわけだ。
 受信料は子会社にふんだんに流れていく。
 それが子会社の剰余金という形で表れている。
 これを会計検査院が指摘し続けているのだ。
 だが、NHKは一向にこれを改めようとする気がない。
 
 検査院は05年度末時点の調査でも、子会社の剰余金が計759億円に上ると指摘し、剰余金が過剰にならないようにNHKに改善要請をしていた。
 にもかかわらず、10年たってその体質は変わらず、剰余金は増える一方だ。
 国民をなめ腐った態度としか言いようがない。
 今回の指摘に対しても、NHK広報局がコメントを出している。
 「検査結果を真摯に受け止め改革を進めていく」
 本当に改革する気がないのがまるわかりのコメントだ。

 なぜこのような体質が放置されているのか。
 1つは、NHKには競争原理が働いていないからだ。
 もちろん民放では競争原理が働いている。
 ところが、NHKだけは、競争原理から隔離された存在になっている。
 収入が法律で保障されている企業が、自ら経費節減の改革などするはずがない。

 もう1つは、国民によるチェックができていない。
 NHK予算は国会の審議を経て承認を受ける。
 ここで、形式上、国民のチェックを受けていることになる。
 だが、NHK予算が問題になったことはない。
 すべて、NHKの希望通りで承認される。
 「子会社に剰余金が出すぎているので、受信料をもっと下げよ」という議論が上がったためしがない。
 つまり、政治家がNHKの経営を問題にしないのだ。
 政治家がマスコミに介入することのタブーから、どうしてもここに強く切り込めない。
 本当は、総務省が本気でNHKを監督すべきだが、これも、マスコミの独立性の壁に阻まれている。
 総務大臣がNHK改革を口にすることはない。

 一方で、NHKは放送法の改正を望んでいる。
 受信料の徴収率が75%ほどにとどまっており、これを100%に近づけるために、いろいろな策を考えいるようだ。
 テレビを所有しているかどうかを全世帯に申告させる制度にしようとしている。
 申告用紙を全世帯に郵送し、テレビの所有の有無を申告させる。
 テレビがあれば契約を結ぶ。
 なければ契約の必要はない。
 ただし、テレビがあるのにないと申告した場合は、虚偽申告として刑事告発する。
 さらに、申告書を提出しなかった世帯については、テレビを所有しているものとみなして、契約の義務を課す。
 そして、テレビがなかったとしても、ワンセグが見られる携帯電話やカーナビを持っている場合は、契約の義務ありとする。
 このように放送法を改正しようとしているらしい。
 NHK側の都合だけを考えた法改正だ。
 
 東横インがNHKとの裁判で負け、19億円もの支払い命令を受けた。。
 客室に設置されているテレビ1台ごとに受信料を払えということだ。
 いま、受信料は世帯ごとの支払いになっているが、ホテルの部屋は世帯なのか。
 部屋ごとに受信料を徴収するということになると、その受信料は結果として宿泊客が負担することになる。
 宿泊客は、家庭ですでに受信料は負担しているはずであり、これは受信料の二重取りになってしまう。
 この辺は、放送法にきっちり決められているわけではなく、すべてNHKの勝手な解釈で行われていしまっているのが実態だ。
 
 放送法では、NHKの放送を受信することを目的としない設備を設置した場合は、契約の義務がない旨が明確に規定されている。
 ならば、NHKを見ることを目的としないテレビは対象外になるのではないのか。
 ワンセグ付きの携帯電話は、テレビを目的として購入しているわけではない。
 また、携帯電話は携帯するものであり、設置しているわけではない。
 そして、NHKだけが受信できないテレビがあったら、それは対象外になるのではないか。
 戦後間もないことに制定された放送法は、現状にそぐわないところがあり、放送法を改正するのであれば、NHKの受信料制度そのものを見直すところからやるべきだろう。

 子会社の剰余金の問題が放置されたまま、受信料の徴収率アップのための法改正などありえない。
 受信料はもっと安くできるはず。
 そして、法律で脅して受信料を巻き上げるようなことをしなくても、スクランブルをかけることで、徴収率100%は容易に達成できる。
 
 公的機関でもなく民間企業でもない不思議な事業体・NHK。
 競争原理から隔離され、国民のチェックからも隔離されている現状は異常だ。
 このNHKの問題は、全国民にかかわる重大案件だが、これを問題視する政治家や政党がほとんど存在しないのが不思議だ。
 



posted by 平野喜久 at 21:34| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月30日

てるみくらぶ経営破綻

 旅行会社てるみくらぶが経営破綻。
 3年前から粉飾決算を行なっており、2017年3月期では、126億円の債務超過に陥っていたという。
 時々、旅行会社の破綻がニュースになる。
 このようなニュースに触れるたび、「やはり、高くても大手旅行会社に頼んだ方がいいのでは」と思わせる。
 
 業界の過当競争と、現金商売で自転車操業がやりやすい業態による。
 いろんな旅行会社が様々なツアー商品を開発している。
 だが、その内容はどれも似たり寄ったり。
 そのために、ツアーの選択理由の1番は、値段の安さになりがち。
 特に中小の旅行会社は、値段の安さで集客するしかない。
 派手な広告と値段の安さで集客し、薄利多売で資金を回す。
 非常に危なっかしい営業形態だ。

 旅行会社は、客からの現金入金が先で、ホテルや航空会社などへの支払いは後になる。
 支払いは、2,3か月から半年後になるという。
 これが、自転車操業の誘因になる。
 派手な広告を打って、集客できれば、現金が手に入る。
 その現金を支払いに回す。
 やがて、販売したツアーは実行され、その支払い期日がやってくる。
 そのときまでに、次のツアーで集客し、現金を手に入れる。
 その広告は値段の安さを強調した派手なものになっていく。
 採算度外視の廉価販売なので、目先の集客は成功するが、問題は深刻化するばかりで、経営改善にはつながらない。
 これを繰り返すうち、負債がどんどん膨らんでいった。
 最終的には、前受金が100億円にまで達していたという。
 
 経営破綻した企業の事例を見ると、「どうして、もっと早くに撤退しなかったのか」と感じる。
 だが、早期撤退の判断は非常に難しい。
 早期撤退できるのは、かなりの勇気と決断力がある人だけだ。
 たいていは、もう少し、もう少しとずるずると深みにはまっていく。
 
 
 
 
 
posted by 平野喜久 at 11:35| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする