ダイヤモンドオンラインの記事による。
「SDGs」が現代のトレンドを表すキーワードのようになっている。
「日本は、欧米に比べて立ち遅れている」「日本人の意識は低すぎる」「このままでは世界の流れに取り残される」などと脅されており、意識高い系の人は、SDGsに関心を向けるようになった。
企業を挙げてSDGsに取り組むケースも増えており、スーツの襟にSDGsバッジをつけている会社も多い。
これは、「我が社は地球環境に配慮しています」「人権を大事にしています」というイメージ戦略になっている。
日本で、この言葉がクローズアップされてきたのは、2020年以降だ。
ちょうど新型コロナが蔓延し始めたころと一致する。
これは、偶然なのか、何らかの関連があるのかは、不明だ。
さて、問題はSDGsとは何かではない。
なぜ、日本ではSDGsが話題になっているのか、だ。
というのは、世界でこれほどSDGsが話題になっている国は他にないからだ。
Googleトレンドでの検索数ランキングで「SDGs」を調べると、1位は日本なのだ。
日本の検索数を100としたときの各国のランキングは以下の通り。
1位:日本100
2位:ジンバブエ28
3位:ウガンダ21
4位:インドネシア21
5位:ガーナ17
34位:アメリカ1
なんと、日本が圧倒的に検索数が多い。
しかも、他の上位国は発展途上国ばかりだ。
上位20か国を調べても、他の先進7か国はどこにも登場しない。
欧米の方が進んでいるのではなかったのか?
日本人の意識は低いんじゃなかったのか?
まったく様子が違う。
人口比で言えば、アメリカは日本の3倍の検索数があってもいいはずだが、データ上では100分の1しかない。
「欧米の方が進んでいる」「日本人の意識は遅れている」という言葉に日本人は弱い。
日本人は、自分が率先して行動することは気が引けるが、他人に立ち遅れることは極端に恐れる国民性がある。
その国民性に付け込んだプロパガンダのように見える。
そして、そのプロパガンダは、見事に成功している。
SDGsには原型があった。
2000年から始まったMDGsだ。
MDGsとは、ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals)のこと。
極度の貧困と飢餓の撲滅など,2015年までに達成すべき8つの目標を掲げていた。
一定の成果を上げたものの、これらが主に発展途上国に限られた問題と認識されたために、先進国ではほとんど関心がなかった。
その反省から、次の15年の取り組み目標として、SDGsが立ち上がった。
今度は、目標として地球環境や人権に関係する項目を増やし、先進国を巻き込んだ取り組みにしようという意図があったようだ。
SDGsの検索ランキングで、日本以外が発展途上国ばかりである理由は、MDGsの流れを汲んだ取り組みだからだろう。
貧困問題は、先進国は支援する側、発展途上国は支援される側。
支援される発展途上国の国民がSDGsに関心を寄せるのは当然だろう。
一方、支援する側の先進国の一般国民は、一向にSDGsへの関心が高まらない。
それはそうだろう。
自分の利益になりそうにない話に興味を示す人はいない。
だが、例外的に興味を示す国民があった。
日本人だ。
「とっくにみんながやっている」という話には無関心でいられないのが日本人。
それで、世界一SDGsに関心の高い国民になってしまったというわけだ。
2024年02月05日
2024年01月04日
能登地震発災直後の石川県知事の行動:トップの非常行動の模範
1月3日付読売新聞に「能登震度7ドキュメント」がまとめられていた。
これを見ると、政府や自治体は迅速に対応していたことが分かる。
16:10 最大震度7の地震発生
16:11 官邸対策室を設置(官邸危機管理センター)、首相は関係省庁に指示
16:22 大津波警報(気象庁)
16:45 石川県が自衛隊に災害派遣要請。続いて富山県も。
17:16 首相が官邸入り。
18:10 気象庁が記者会見。
18:30 北陸電力 原発の電源は確保されていると説明。
23:00 石川県知事がヘリで金沢に到着
23:35 特定災害対策本部を非常災害対策本部に格上げ。
23:55 宮内庁 新年一般参賀の中止を発表。
(2日以降は省略)
石川県知事は発災当時、地元を離れていたようだ。
ただちに金沢に戻る手段がないことから、東京の官邸に向かったらしい。
発災直後は官邸で地元からの報告を受けていたし、官邸で記者会見にも応じていた。
状況が分かってきたところで、深夜に自衛隊のヘリコプターで金沢に入ることができた。
これらの一連の行動も適切であった。
トップの危機対応の模範のような行動と評していい。
企業のBCPにおいても、社長が遠方に出張中に発災した場合の行動計画を作っておく必要がある。
発災直後は社長はむやみに動き回らないことが原則。
着実に連絡が取れるところで、現地からの報告を待ち、指示を出せる体制を作る。
近くに自社の営業所があるのなら、そこに入る。
なければ、近隣のホテルに入り、しばらくそこで対応することになる。
現地の非常態勢ができあがり、移動手段が見つかり次第、社長は移動を開始し、現地に向かう。
発災後の行動計画は、現場の話ばかりが話題になり、経営トップの行動計画にまで及んでいないケースが多い。
中小企業の場合は、経営トップの存在は大きい。
トップさえしっかりしていれば、何とかなる部分も多い。
トップの行動計画を作り込むことは、会社の生き残りをかけた大事な取り組みなのだ。
このような適切な行動がとられた場合は、マスコミ報道がない。
対応に遅れがあったとか、ミスがあったとかいう場合だけ、大々的に取り上げ、政権批判を行う傾向が強い。
だが、これは一部の人間の不満解消にはなるかもしれないが、国民への正しい情報提供になっていない。
今回の政府対応でも、「対応が遅い」と批判している人がいる。
このような人々は、政権批判が目的なので、実態がどうであっても同じなのだろう。
これを見ると、政府や自治体は迅速に対応していたことが分かる。
16:10 最大震度7の地震発生
16:11 官邸対策室を設置(官邸危機管理センター)、首相は関係省庁に指示
16:22 大津波警報(気象庁)
16:45 石川県が自衛隊に災害派遣要請。続いて富山県も。
17:16 首相が官邸入り。
18:10 気象庁が記者会見。
18:30 北陸電力 原発の電源は確保されていると説明。
23:00 石川県知事がヘリで金沢に到着
23:35 特定災害対策本部を非常災害対策本部に格上げ。
23:55 宮内庁 新年一般参賀の中止を発表。
(2日以降は省略)
石川県知事は発災当時、地元を離れていたようだ。
ただちに金沢に戻る手段がないことから、東京の官邸に向かったらしい。
発災直後は官邸で地元からの報告を受けていたし、官邸で記者会見にも応じていた。
状況が分かってきたところで、深夜に自衛隊のヘリコプターで金沢に入ることができた。
これらの一連の行動も適切であった。
トップの危機対応の模範のような行動と評していい。
企業のBCPにおいても、社長が遠方に出張中に発災した場合の行動計画を作っておく必要がある。
発災直後は社長はむやみに動き回らないことが原則。
着実に連絡が取れるところで、現地からの報告を待ち、指示を出せる体制を作る。
近くに自社の営業所があるのなら、そこに入る。
なければ、近隣のホテルに入り、しばらくそこで対応することになる。
現地の非常態勢ができあがり、移動手段が見つかり次第、社長は移動を開始し、現地に向かう。
発災後の行動計画は、現場の話ばかりが話題になり、経営トップの行動計画にまで及んでいないケースが多い。
中小企業の場合は、経営トップの存在は大きい。
トップさえしっかりしていれば、何とかなる部分も多い。
トップの行動計画を作り込むことは、会社の生き残りをかけた大事な取り組みなのだ。
このような適切な行動がとられた場合は、マスコミ報道がない。
対応に遅れがあったとか、ミスがあったとかいう場合だけ、大々的に取り上げ、政権批判を行う傾向が強い。
だが、これは一部の人間の不満解消にはなるかもしれないが、国民への正しい情報提供になっていない。
今回の政府対応でも、「対応が遅い」と批判している人がいる。
このような人々は、政権批判が目的なので、実態がどうであっても同じなのだろう。
2023年10月09日
生成AIによる盗用記事
朝日新聞、読売新聞の報道による。
ウェブメディアが生成AIを使って作成した記事が、他の新聞記事からの盗用だったとして、公開が取り消された。
8月18日から23日に公開した49本の記事を取り消した。
これらはAIを使って作成したすべての記事らしい。
このうち、15本は、25文字以上連続して同一の記述が認められたという。
そのほかの記事にも、類似性が認められた。
明らかな盗用・剽窃と解釈し、ウェブメディア自身が謝罪し、取り消しを行なった。
生成AIの問題は当初から指摘されてきたが、今回、典型的な問題が実際に顕在化したと言える。
生成AIは、独自に取材し、記事を構成し記述しているわけではない。
ウェブ上に存在する膨大な文字情報から、関連した言葉をピックアップして、意味が通じるようにつなげているだけだ。
出来上がった文章を見ても、どこからこの情報を取り込んだのかは分からない。
いろんなところに存在する情報がごちゃ混ぜになっているので、特定できないのだ。
ところが、特定の希少性の高い情報となると、情報源は限られる。
今回は、元記事がスクープに近いもので、同じ内容が他のメディアから公開されていたために、関係者はすぐに盗用だと分かった。
著作権は、表現を保護するもので、そこに表現されている情報や考え方まで保護するものではない。
だから、同じ内容でも別の表現で表せば、著作権侵害にはならない。
今回の生成AIの記事は、元記事をまるまるコピペしたものではない。
元記事の言葉を使って別の記事を構成したもの。
なので、厳密には著作権の侵害には当たらない。
ただ、元記事の盗用・剽窃ということになると、言い訳ができない。
ウェブメディア側も、外部から指摘されて初めて気づいたようだ。
生成AIがどこから情報を取り込んでいるか分からないために、作成者も罪の意識が薄い。
それだけに、AIを利用するには慎重な対応が必要だということが分かる。
生成AIは便利なツールだということが分かってきて、ビジネスのいろんな場面で利用が始まっている。
だが、気づかぬうちに他者の権利侵害をしてしまい、そのことが後のトラブルに発展するリスクが新たに生じてきた。
生成AIは産業革命やIT革命に匹敵する大変革をもたらすと大げさに喧伝される。
しかし、考えてみると、AIは大したことをしていない。
言葉の表面的な意味は理解しているようだが、その背景の本質の意味までは理解できない。
AIの吐き出す文章は、その表記は完成度が高く、不自然なところがない。
そのために、その内容にまで信頼を寄せてしまいがちになるが、これは、ヒトがそう錯覚しているだけで、その内容の適否は何の保証もない。
今後は、AIの作成した文章が世の中にあふれるようになる。
その時、薄っぺらな情報ばかりが氾濫し、本質にかかわる情報はますますアクセスしにくくなるだろう。
インターネットが始まった時、「これで、世の中のあらゆることをネット上で知ることができるようになる」と言われたものだ。
だが、実際はそうではないことを私たちは知っている。
薄っぺらい情報ばかりが世の中に氾濫し、本質的な情報、本当に価値のある情報は、ますます手の届かないところにしまい込まれていった。
最近の私たちは、疑問に思うことがあると、自分で考える前にネットで検索する癖がついてしまった。
自分が疑問に思う程度のことは、既に同じことを思った人がたくさん存在しているはずなので、その答えをネット上で探せばいい。
生成AIは、これをより便利にできるようになったに過ぎないのではないか。
ウェブメディアが生成AIを使って作成した記事が、他の新聞記事からの盗用だったとして、公開が取り消された。
8月18日から23日に公開した49本の記事を取り消した。
これらはAIを使って作成したすべての記事らしい。
このうち、15本は、25文字以上連続して同一の記述が認められたという。
そのほかの記事にも、類似性が認められた。
明らかな盗用・剽窃と解釈し、ウェブメディア自身が謝罪し、取り消しを行なった。
生成AIの問題は当初から指摘されてきたが、今回、典型的な問題が実際に顕在化したと言える。
生成AIは、独自に取材し、記事を構成し記述しているわけではない。
ウェブ上に存在する膨大な文字情報から、関連した言葉をピックアップして、意味が通じるようにつなげているだけだ。
出来上がった文章を見ても、どこからこの情報を取り込んだのかは分からない。
いろんなところに存在する情報がごちゃ混ぜになっているので、特定できないのだ。
ところが、特定の希少性の高い情報となると、情報源は限られる。
今回は、元記事がスクープに近いもので、同じ内容が他のメディアから公開されていたために、関係者はすぐに盗用だと分かった。
著作権は、表現を保護するもので、そこに表現されている情報や考え方まで保護するものではない。
だから、同じ内容でも別の表現で表せば、著作権侵害にはならない。
今回の生成AIの記事は、元記事をまるまるコピペしたものではない。
元記事の言葉を使って別の記事を構成したもの。
なので、厳密には著作権の侵害には当たらない。
ただ、元記事の盗用・剽窃ということになると、言い訳ができない。
ウェブメディア側も、外部から指摘されて初めて気づいたようだ。
生成AIがどこから情報を取り込んでいるか分からないために、作成者も罪の意識が薄い。
それだけに、AIを利用するには慎重な対応が必要だということが分かる。
生成AIは便利なツールだということが分かってきて、ビジネスのいろんな場面で利用が始まっている。
だが、気づかぬうちに他者の権利侵害をしてしまい、そのことが後のトラブルに発展するリスクが新たに生じてきた。
生成AIは産業革命やIT革命に匹敵する大変革をもたらすと大げさに喧伝される。
しかし、考えてみると、AIは大したことをしていない。
言葉の表面的な意味は理解しているようだが、その背景の本質の意味までは理解できない。
AIの吐き出す文章は、その表記は完成度が高く、不自然なところがない。
そのために、その内容にまで信頼を寄せてしまいがちになるが、これは、ヒトがそう錯覚しているだけで、その内容の適否は何の保証もない。
今後は、AIの作成した文章が世の中にあふれるようになる。
その時、薄っぺらな情報ばかりが氾濫し、本質にかかわる情報はますますアクセスしにくくなるだろう。
インターネットが始まった時、「これで、世の中のあらゆることをネット上で知ることができるようになる」と言われたものだ。
だが、実際はそうではないことを私たちは知っている。
薄っぺらい情報ばかりが世の中に氾濫し、本質的な情報、本当に価値のある情報は、ますます手の届かないところにしまい込まれていった。
最近の私たちは、疑問に思うことがあると、自分で考える前にネットで検索する癖がついてしまった。
自分が疑問に思う程度のことは、既に同じことを思った人がたくさん存在しているはずなので、その答えをネット上で探せばいい。
生成AIは、これをより便利にできるようになったに過ぎないのではないか。
2023年07月30日
Googleストリートビューの威力
ビッグモーターの悪事は底なしの様子。
Googleマップの店舗情報には、カスタマーレビューが書き込まれていることがあり、それでこの店舗の評判を知ることができる。
ビッグモーターの店舗のレビューを見ると、高評価と低評価が極端に分かれている。
高評価のレビューは、歯の浮いたような誉め言葉が短文で書いてあるだけで具体性がない。
しかも、レビュアーの投稿歴はこれ1本のことが多い。
サクラによる投稿であることがまるわかり。
一方、低評価のレビューは、長文で具体的だ。
実体験に基づいた評価だということが分かる。
そして、その内容は目を疑うようなものばかり。
客をぞんざいに扱う、途中で言うことがころころ変わる、上司のご機嫌ばかりうかがっている、などなど。
しかも、どこの店舗でも同じようなレビューがみられることに驚く。
つまり、ある店舗の悪質な店員による不手際、ということではなく、全社的な経営姿勢が現場の店員の顧客対応に表れているということだ。
この経営姿勢が、保険金の不正請求につながっているのだろう。
ビッグモーターの悪事は信じられないことが多いが、その中の1つに、店舗前の街路樹の問題がある。
ビッグモーターの店舗前の街路樹だけ不自然に枯死してる事例が多数見つかったのだ。
Googleストリートビューでは、現在の道路沿いの様子を確認することができるが、過去にさかのぼって沿道の変化を見ることができる。
すると、初めは青々と茂っていた街路樹が、突然枯れ始め、やがては伐採されて切り株だけになっていく様子が確認できるのだ。
ストリートビューの威力を再確認した。
このストリートビューサービスは、2007年から始まった。翌年には日本でも。
当初は、その目的が不明だった。
なぜ、Googleは世界中の街中の様子を映像で記録しようとするのか。
コストばかりかかって、リターンのないサービスに意味があるのか。
「世界中のあらゆる情報をデジタル化し、利用可能にする」というのがGoogleの基本コンセプト。
目的は後回しで、このコンセプトに合致するものは次々にデジタル化を進めて行く。
その一環でストリートビューが始まった。
サービスが始まって15年が経過し、過去のデータが蓄積することで、タイムマシン機能を使えるようになった。
タイムマシン機能とは、過去の好きな時点にさかのぼって、その時の街の様子を画像で確認できる機能。
今になって、この機能の重要性がクローズアップされている。
ビッグモーター前の街路樹の変化が確認できるのも、このおかげ。
最近は町の様子の変化も激しい。
昔の建屋が壊されて近代的なビルに生まれ変わることも。
その時、ストリートビューで過去の風景を引っ張り出して、ここには昔何があったのかを確認できる。
もっと実用的な活用法もある。
土地の境界の争いで、過去の建物がどのように立っていたかは、記録に残していない場合は、ヒトの記憶に頼るしかなくなってしまう。
その場合、ストリートビューは有効だ。
「何年の何月時点では、ここにこのような建物が建っていた」ことを客観的な証拠として裁判で示すことができる。
ストリートビューは、当初は主要都市が中心だったが、いまや地方の路地裏までカバーするようになった。
未知のロケーションのクライアント先に初めて訪れるとき、事前にストリートビューで町の風景を確認してから向かうことが多い。
すると、初めての土地でも見覚えのある風景を確認し、迷うことなく目的地にたどり着ける。
Googleの「あらゆる情報を利用可能にする」というコンセプトは、なるほど私たちの生活に役に立っている。
Googleマップの店舗情報には、カスタマーレビューが書き込まれていることがあり、それでこの店舗の評判を知ることができる。
ビッグモーターの店舗のレビューを見ると、高評価と低評価が極端に分かれている。
高評価のレビューは、歯の浮いたような誉め言葉が短文で書いてあるだけで具体性がない。
しかも、レビュアーの投稿歴はこれ1本のことが多い。
サクラによる投稿であることがまるわかり。
一方、低評価のレビューは、長文で具体的だ。
実体験に基づいた評価だということが分かる。
そして、その内容は目を疑うようなものばかり。
客をぞんざいに扱う、途中で言うことがころころ変わる、上司のご機嫌ばかりうかがっている、などなど。
しかも、どこの店舗でも同じようなレビューがみられることに驚く。
つまり、ある店舗の悪質な店員による不手際、ということではなく、全社的な経営姿勢が現場の店員の顧客対応に表れているということだ。
この経営姿勢が、保険金の不正請求につながっているのだろう。
ビッグモーターの悪事は信じられないことが多いが、その中の1つに、店舗前の街路樹の問題がある。
ビッグモーターの店舗前の街路樹だけ不自然に枯死してる事例が多数見つかったのだ。
Googleストリートビューでは、現在の道路沿いの様子を確認することができるが、過去にさかのぼって沿道の変化を見ることができる。
すると、初めは青々と茂っていた街路樹が、突然枯れ始め、やがては伐採されて切り株だけになっていく様子が確認できるのだ。
ストリートビューの威力を再確認した。
このストリートビューサービスは、2007年から始まった。翌年には日本でも。
当初は、その目的が不明だった。
なぜ、Googleは世界中の街中の様子を映像で記録しようとするのか。
コストばかりかかって、リターンのないサービスに意味があるのか。
「世界中のあらゆる情報をデジタル化し、利用可能にする」というのがGoogleの基本コンセプト。
目的は後回しで、このコンセプトに合致するものは次々にデジタル化を進めて行く。
その一環でストリートビューが始まった。
サービスが始まって15年が経過し、過去のデータが蓄積することで、タイムマシン機能を使えるようになった。
タイムマシン機能とは、過去の好きな時点にさかのぼって、その時の街の様子を画像で確認できる機能。
今になって、この機能の重要性がクローズアップされている。
ビッグモーター前の街路樹の変化が確認できるのも、このおかげ。
最近は町の様子の変化も激しい。
昔の建屋が壊されて近代的なビルに生まれ変わることも。
その時、ストリートビューで過去の風景を引っ張り出して、ここには昔何があったのかを確認できる。
もっと実用的な活用法もある。
土地の境界の争いで、過去の建物がどのように立っていたかは、記録に残していない場合は、ヒトの記憶に頼るしかなくなってしまう。
その場合、ストリートビューは有効だ。
「何年の何月時点では、ここにこのような建物が建っていた」ことを客観的な証拠として裁判で示すことができる。
ストリートビューは、当初は主要都市が中心だったが、いまや地方の路地裏までカバーするようになった。
未知のロケーションのクライアント先に初めて訪れるとき、事前にストリートビューで町の風景を確認してから向かうことが多い。
すると、初めての土地でも見覚えのある風景を確認し、迷うことなく目的地にたどり着ける。
Googleの「あらゆる情報を利用可能にする」というコンセプトは、なるほど私たちの生活に役に立っている。
2023年07月26日
久しぶりの拙劣な謝罪会見
ビッグモーターの創業者社長がようやく謝罪会見を行なった。
予想されたことではあるが、とても謝罪会見とは言えないひどいものだった。
過去、ひどい謝罪会見はたくさんあるが、船場吉兆、ミートホープに続くトップスリーに含まれる。
ビッグモーターは中古車販売の大手。CMを大量に流しており知名度も高い。
不正問題は、2022年初めに発覚したが、ビッグモーターは当初、不正ではなく過失によるものだと主張していた。
しかし、外部の弁護士が行った調査報告書によると、ビッグモーターの全国33工場すべてで水増し請求の疑義があり、本社サイドが過度な営業ノルマを課していたことが明らかとなる。
社長が1年間の報酬を受け取らないという発表をした以外、これまで何の動きもなかった。
嵐が過ぎ去るのを待てば、やり過ごせると考えていたのか。
ところが、動きが鈍かったマスコミが報道し始めたために様子が変わってきた。
世論が沸騰し、それに応じて、国交省、経産省、金融庁までも調査に動き出すに及んで、事態がどんどんひどくなっていく。
たまりかねたか、25日になってようやく社長自らの謝罪会見となった。
会見の趣旨は、創業者社長と息子の副社長が26日付で引責辞任する、不正は板金塗装部門が勝手にやったことで幹部は知らなかった、というもの。
全国33工場のすべてで不正請求の疑義が出ている中、経営トップが知らなかったで逃げ切ろうとする神経のずぶとさに驚く。
記者が今回の不正の内容について具体的に質問するが、発言は第三者のコメンテーターのような回答に終始した。
「驚いている」「許せない」「普通はやりませんよね」などとまったく当事者意識が欠落していた。
時々、表情が半笑いになってしまうのは、自分を第三者の立場において「私もあきれ返っている」という姿勢を見せているのだろう。
極めつけは、ゴルフボールを靴下に入れて車体に傷をつけていたことに対し、「ゴルフを愛する人に対する冒涜です」と頓珍漢な答え。
「そこじゃないだろう!」と全国民から突っ込みが入りそうだ。
この謝罪会見が失敗である理由は、誰に対して何を謝罪しているのか分からないからだ。
「申し訳ございません」と頭を下げたが、いったい誰に対して謝罪しているのか分からない。
わざと傷をつけた自動車の持ち主であるお客様に対してか。
保険金の不正請求をした先の保険会社に対してか。
業界の信用を失ってしまったことに対する同業者への謝罪か。
事業者にとって最も大事なのはお客様のはずだが、この社長にはお客様の信頼を裏切ってしまったことへの申し訳ない気持ちがまったく見られない。
「ゴルフを愛する人に対する冒涜です」という答えになるのは、この社長にとって、お客様よりもゴルフの方が大事だという認識が無意識に出てしまったのだろう。
経営トップに座り、売上の向上ばかりを意識し、現場でお客様に向き合うことを忘れてしまっているようだ。
これが上場企業だったら、社長辞任だけでは終わらず、株主代表訴訟で、旧経営陣は損害賠償で身ぐるみ剝がされる。
この場合、「知らなかった」は許されない。
本当に知らなかったとしたら、それは知っていて見過ごしていたよりも責任が重大と判断される。
だが、非上場企業であり、株式は創業者一族で独占しているので、株主代表訴訟は起きない。
店舗前の街路樹に除草剤を撒き、葉を枯らして店の看板が道路から見えやすくするようなこともしていたようだ。
ビッグモーターの経営姿勢は、根本から腐っていたというほかない。
まだ、その全容は明らかになっていない。
今後の調査で少しずつ実態が判明していく。
ビッグモーターは、このまま事業継続は無理だ。
従業員の雇用を守るためには、同業者に吸収合併してもらうしかない。
その時、創業者一族が保有している株式は無償譲渡とならざるを得ない。
合併した側は、組織改革を行い、従業員教育をやり直し、お客様の信頼回復を目指さなくてはならない。
無償でも高い買い物になりそうだ。
予想されたことではあるが、とても謝罪会見とは言えないひどいものだった。
過去、ひどい謝罪会見はたくさんあるが、船場吉兆、ミートホープに続くトップスリーに含まれる。
ビッグモーターは中古車販売の大手。CMを大量に流しており知名度も高い。
不正問題は、2022年初めに発覚したが、ビッグモーターは当初、不正ではなく過失によるものだと主張していた。
しかし、外部の弁護士が行った調査報告書によると、ビッグモーターの全国33工場すべてで水増し請求の疑義があり、本社サイドが過度な営業ノルマを課していたことが明らかとなる。
社長が1年間の報酬を受け取らないという発表をした以外、これまで何の動きもなかった。
嵐が過ぎ去るのを待てば、やり過ごせると考えていたのか。
ところが、動きが鈍かったマスコミが報道し始めたために様子が変わってきた。
世論が沸騰し、それに応じて、国交省、経産省、金融庁までも調査に動き出すに及んで、事態がどんどんひどくなっていく。
たまりかねたか、25日になってようやく社長自らの謝罪会見となった。
会見の趣旨は、創業者社長と息子の副社長が26日付で引責辞任する、不正は板金塗装部門が勝手にやったことで幹部は知らなかった、というもの。
全国33工場のすべてで不正請求の疑義が出ている中、経営トップが知らなかったで逃げ切ろうとする神経のずぶとさに驚く。
記者が今回の不正の内容について具体的に質問するが、発言は第三者のコメンテーターのような回答に終始した。
「驚いている」「許せない」「普通はやりませんよね」などとまったく当事者意識が欠落していた。
時々、表情が半笑いになってしまうのは、自分を第三者の立場において「私もあきれ返っている」という姿勢を見せているのだろう。
極めつけは、ゴルフボールを靴下に入れて車体に傷をつけていたことに対し、「ゴルフを愛する人に対する冒涜です」と頓珍漢な答え。
「そこじゃないだろう!」と全国民から突っ込みが入りそうだ。
この謝罪会見が失敗である理由は、誰に対して何を謝罪しているのか分からないからだ。
「申し訳ございません」と頭を下げたが、いったい誰に対して謝罪しているのか分からない。
わざと傷をつけた自動車の持ち主であるお客様に対してか。
保険金の不正請求をした先の保険会社に対してか。
業界の信用を失ってしまったことに対する同業者への謝罪か。
事業者にとって最も大事なのはお客様のはずだが、この社長にはお客様の信頼を裏切ってしまったことへの申し訳ない気持ちがまったく見られない。
「ゴルフを愛する人に対する冒涜です」という答えになるのは、この社長にとって、お客様よりもゴルフの方が大事だという認識が無意識に出てしまったのだろう。
経営トップに座り、売上の向上ばかりを意識し、現場でお客様に向き合うことを忘れてしまっているようだ。
これが上場企業だったら、社長辞任だけでは終わらず、株主代表訴訟で、旧経営陣は損害賠償で身ぐるみ剝がされる。
この場合、「知らなかった」は許されない。
本当に知らなかったとしたら、それは知っていて見過ごしていたよりも責任が重大と判断される。
だが、非上場企業であり、株式は創業者一族で独占しているので、株主代表訴訟は起きない。
店舗前の街路樹に除草剤を撒き、葉を枯らして店の看板が道路から見えやすくするようなこともしていたようだ。
ビッグモーターの経営姿勢は、根本から腐っていたというほかない。
まだ、その全容は明らかになっていない。
今後の調査で少しずつ実態が判明していく。
ビッグモーターは、このまま事業継続は無理だ。
従業員の雇用を守るためには、同業者に吸収合併してもらうしかない。
その時、創業者一族が保有している株式は無償譲渡とならざるを得ない。
合併した側は、組織改革を行い、従業員教育をやり直し、お客様の信頼回復を目指さなくてはならない。
無償でも高い買い物になりそうだ。
2023年07月09日
画像生成AIの実力
AIの話題が続く。
生成AIは、大規模言語モデルに基づいているので、基本は言葉によるやり取りが主体だ。
ところが、言葉による指定で、画像による回答ができるAIが存在する。
画像生成AIだ。
いま、ネット上にはAIによって作成された画像が大量に存在するようになった。
以前は、見るからに作られた画像というのが一目でわかるようなものばかりだったが、AI技術が日々向上していることと、プロンプトの巧みさによって、ものすごくリアルで美しい画像を見ることができる。
美しい自然の風景など、お手の物だ。
現実には存在しない風景でも、リアルに再現できる。
どこかで見たことがあるような風景だが、どこだか特定できない。
不思議なリアル感がある。
プロの写真家の中には、世界の自然の風景を探し求め、何日も同じ場所で粘りに粘って奇跡的な一瞬をとらえた貴重な写真を撮り続けている人もいる。
その写真家は、個展を開く際、「これらの写真は、CGやAIによるものではありません」と断り書きを掲示しなければならなくなった。
ただ美しいだけの写真は、AIで瞬時に作れるようになってしまったのだ。
人物の画像もAIで簡単に作れる。
人の表情は難しく、僅かな違和感でも、偽物と見破られてしまう。
だが、最近のAI画像は、不自然さがなくなってきた。
本物のモデルを使って撮影したのではないかと錯覚するほどの出来栄えだ。
画像に映っている人物は、現実には存在しないので、肖像権も人格権もない。
そのモデルに、いろんな服を着せ、いろんな場所で、いろんなポーズを取らせることができる。
納得できるまで、何度も繰り返すことができる。
本物のモデルを使うよりも、完成度の高い作品ができるのではと思えてしまう。
ところが、細かく見ると、限界が見える。
影のでき方が不自然。
手の向きがおかしい。
洋服のデザインが変。
背景の建物が物理的に建築不可能。
やはり、AIはこんなところまで考えていない。
細かいおかしいところは、人間が見て修正するしかないのだろう。
しかし、作り物であることは承知で、美しい画像として楽しむ分には何ら問題ないし、十分、鑑賞に堪えられるレベルに達しているといえる。
プロの画家が描いた絵であっても、それは作り物であるのだし、有名な絵画でも、影がおかしかったり、手の位置が不自然だったりというのは当たり前にある。
だからと言って、その作品の価値が失われることはない。
生成AIによる画像も、同じだろう。
これからは、簡単なイメージ画像だったら、AIで十分だ。
むしろ、こちらの希望で細かい注文通りの画像を作れるという点では、画像素材集などいらなくなるだろう。
問題は、AIの作った画像の著作権や使用権は誰にあるのか、ということだ。
この問題はクリアできていない。
AIがまだ発展途上にあること、そして、使用する側も本当の利用方法に習熟していないことで、どのような著作権の在り方が妥当なのかの結論が出ないのだ。
しばらくは、試行錯誤が続く。
生成AIは、大規模言語モデルに基づいているので、基本は言葉によるやり取りが主体だ。
ところが、言葉による指定で、画像による回答ができるAIが存在する。
画像生成AIだ。
いま、ネット上にはAIによって作成された画像が大量に存在するようになった。
以前は、見るからに作られた画像というのが一目でわかるようなものばかりだったが、AI技術が日々向上していることと、プロンプトの巧みさによって、ものすごくリアルで美しい画像を見ることができる。
美しい自然の風景など、お手の物だ。
現実には存在しない風景でも、リアルに再現できる。
どこかで見たことがあるような風景だが、どこだか特定できない。
不思議なリアル感がある。
プロの写真家の中には、世界の自然の風景を探し求め、何日も同じ場所で粘りに粘って奇跡的な一瞬をとらえた貴重な写真を撮り続けている人もいる。
その写真家は、個展を開く際、「これらの写真は、CGやAIによるものではありません」と断り書きを掲示しなければならなくなった。
ただ美しいだけの写真は、AIで瞬時に作れるようになってしまったのだ。
人物の画像もAIで簡単に作れる。
人の表情は難しく、僅かな違和感でも、偽物と見破られてしまう。
だが、最近のAI画像は、不自然さがなくなってきた。
本物のモデルを使って撮影したのではないかと錯覚するほどの出来栄えだ。
画像に映っている人物は、現実には存在しないので、肖像権も人格権もない。
そのモデルに、いろんな服を着せ、いろんな場所で、いろんなポーズを取らせることができる。
納得できるまで、何度も繰り返すことができる。
本物のモデルを使うよりも、完成度の高い作品ができるのではと思えてしまう。
ところが、細かく見ると、限界が見える。
影のでき方が不自然。
手の向きがおかしい。
洋服のデザインが変。
背景の建物が物理的に建築不可能。
やはり、AIはこんなところまで考えていない。
細かいおかしいところは、人間が見て修正するしかないのだろう。
しかし、作り物であることは承知で、美しい画像として楽しむ分には何ら問題ないし、十分、鑑賞に堪えられるレベルに達しているといえる。
プロの画家が描いた絵であっても、それは作り物であるのだし、有名な絵画でも、影がおかしかったり、手の位置が不自然だったりというのは当たり前にある。
だからと言って、その作品の価値が失われることはない。
生成AIによる画像も、同じだろう。
これからは、簡単なイメージ画像だったら、AIで十分だ。
むしろ、こちらの希望で細かい注文通りの画像を作れるという点では、画像素材集などいらなくなるだろう。
問題は、AIの作った画像の著作権や使用権は誰にあるのか、ということだ。
この問題はクリアできていない。
AIがまだ発展途上にあること、そして、使用する側も本当の利用方法に習熟していないことで、どのような著作権の在り方が妥当なのかの結論が出ないのだ。
しばらくは、試行錯誤が続く。
生成AIによる知的生産性
生成AIが面白い。
生成AIでいったい何ができて、何ができないのか。
いまは、遊びながらその実態を把握する段階。
なるほど、と舌を巻く点もあれば、これではダメだな、とがっかりすることも。
だが、これはビジネスにおいても有効なツールであることは間違いない。
特に、知的な業務を行なっている者にとって、生産性向上のためにAIを使うことの威力は大きい。
今回、あるテーマについて4000文字の原稿依頼を受けたので、試しに生成AIにプロットを作らせてみた。
「はじめに」から「第1章」「第2章」「第3章」そして「おわりに」まで、瞬時に目次案が出来上がった。
内容を見ると、悪くない。
このプロットに沿って書いていけば、過不足なくバランスのいい原稿ができそうな感じがする。
それそれの見出しについて、更に細かく指示を繰り返していけば、最終原稿までAIに作らせることができそうだ。
ところが、限界もある。
このプロット、細かく内容を見ると、おかしいところがそこかしこにある。
テーマと直接関係のない話が入っていたり、言葉の間違いが含まれていたり。。。
一般の人には分からないかもしれないが、専門家の目で見るとたちどころにおかしいところが分かる。
もう1つの限界は、内容に特徴がないこと。
一般的な当たり障りのない内容でまとめられていて、とがった主張や個性はない。
ネット上のどこにでも転がっている話題をまとめただけという感じにしかならない。
この内容で原稿を書いたとしても、何の印象も残らない凡庸な文章になってしまう。
これが、学生が課題レポートを作成するのだったら、この程度の文章で及第点はもらえるだろう。
だが、私はプロとして報酬をいただいて原稿を書く。
凡庸な文章を公開していては、自らの無能を晒すことになりかねない。
これでプロとして生成AIをどう使ったらいいかが分かる。
標準的な構成案はどんな内容になるのかをAIに作ってもらう。
それに、自分自身のオリジナリティの味付けをして最終原稿を仕上げる。
このオリジナリティをどこにどれだけ入れるかで作品の良しあしが決まりそうだ。
標準とオリジナリティのバランスをどうするか。
標準100%の文章は印象に残らない。
逆に、オリジナリティ100%の文章は、個性が強すぎて受け入れてもらえない。
ある程度すんなり受け入れてもらえて、オリジナリティを感じる文章はどのぐらいのバランスだろうか。
オリジナリティが2割から4割ぐらいかな、という感触だが、まだ自信がない。
いずれにしても、生成AIの登場で知的生産性が格段に向上するのは間違いなさそうだ。
生成AIでいったい何ができて、何ができないのか。
いまは、遊びながらその実態を把握する段階。
なるほど、と舌を巻く点もあれば、これではダメだな、とがっかりすることも。
だが、これはビジネスにおいても有効なツールであることは間違いない。
特に、知的な業務を行なっている者にとって、生産性向上のためにAIを使うことの威力は大きい。
今回、あるテーマについて4000文字の原稿依頼を受けたので、試しに生成AIにプロットを作らせてみた。
「はじめに」から「第1章」「第2章」「第3章」そして「おわりに」まで、瞬時に目次案が出来上がった。
内容を見ると、悪くない。
このプロットに沿って書いていけば、過不足なくバランスのいい原稿ができそうな感じがする。
それそれの見出しについて、更に細かく指示を繰り返していけば、最終原稿までAIに作らせることができそうだ。
ところが、限界もある。
このプロット、細かく内容を見ると、おかしいところがそこかしこにある。
テーマと直接関係のない話が入っていたり、言葉の間違いが含まれていたり。。。
一般の人には分からないかもしれないが、専門家の目で見るとたちどころにおかしいところが分かる。
もう1つの限界は、内容に特徴がないこと。
一般的な当たり障りのない内容でまとめられていて、とがった主張や個性はない。
ネット上のどこにでも転がっている話題をまとめただけという感じにしかならない。
この内容で原稿を書いたとしても、何の印象も残らない凡庸な文章になってしまう。
これが、学生が課題レポートを作成するのだったら、この程度の文章で及第点はもらえるだろう。
だが、私はプロとして報酬をいただいて原稿を書く。
凡庸な文章を公開していては、自らの無能を晒すことになりかねない。
これでプロとして生成AIをどう使ったらいいかが分かる。
標準的な構成案はどんな内容になるのかをAIに作ってもらう。
それに、自分自身のオリジナリティの味付けをして最終原稿を仕上げる。
このオリジナリティをどこにどれだけ入れるかで作品の良しあしが決まりそうだ。
標準とオリジナリティのバランスをどうするか。
標準100%の文章は印象に残らない。
逆に、オリジナリティ100%の文章は、個性が強すぎて受け入れてもらえない。
ある程度すんなり受け入れてもらえて、オリジナリティを感じる文章はどのぐらいのバランスだろうか。
オリジナリティが2割から4割ぐらいかな、という感触だが、まだ自信がない。
いずれにしても、生成AIの登場で知的生産性が格段に向上するのは間違いなさそうだ。
2023年06月04日
生成AIの実力
生成AIが話題だ。
MicrosoftのBingAIを試してみた。
なるほど、従来の検索エンジンとは全く違う。
かなり利用の幅が広がる。
これは、利用者の力量が問われるツールになりそうだ。
単純な知識確認の回答はお手の物だが、少し複雑な文章も理解して的確に反応しているように見える。
一番の脅威は、外国語のニュースサイトを日本語で要約させる作業だ。
違和感のない日本語で要点だけをピックアップしてくれる。
これには人間をしのぐ能力がある。
そのほかの調べものについては、まあまあといったところ。
まじめな学生アルバイト程度の働きはしてくれる。
問題は、回答の正確性だ。
私の専門外の分野、例えば化学反応について質問すると、実に分かりやすく的確な回答をしているように見える。
ところが、私の専門分野について質問してみると、その化けの皮がはがれる。
ネット上で見つかる表面上の情報をかき集めてまとめただけだというのがよくわかる。
時には、完全に間違った回答をしてくることも。
それも、堂々と自信たっぷりに間違えるのだ。
信頼するには頼りないが、簡単な雑用ならこなせるといった感じか。
AIは算数の計算もできるとの噂を聞いて、試してみた。
以下の文章題を作り、投げかけた。
------------------------------------------------------
Aさんは家を出て時速4qで駅に向かって歩き始めた。
母親がAさんの忘れ物に気づいて、5分後に時速7qで追いかけた。
家から駅までの距離は700mだ。
母親は、Aさんが駅に着く前に追いつくことができるか。
------------------------------------------------------
この問題は「追いつけない」が正解だ。
ところが、AIは、「追いつける」と回答した。
結論に至る道筋を細かく説明し、計算式も提示し、理路整然と解いているように回答が展開する。
でも、どこかでミスをして、結論が違ってしまっているのだ。
結論に至る過程をすべて示してくれているので、それを追っていくと、どこで間違えたかが分かる。
それで、そこのミスを指摘してみた。
すると、驚いたことに、「いいえ、間違っていません」と言って、間違っていない理由を展開する。
その間違っていない理由も矛盾だらけの解説になっている。
その矛盾を「おかしい」と指摘すると、「いいえ、おかしくありません」と反論してくる。
まるで、意固地になって自分のミスを認めたくない人が、必死に抵抗しているようだ。
どうやったら、AIに自分のミスを理解させることができるかと、いろいろ試みた。
だが、こちらが理詰めで追い込もうとすればするほど、AIは無茶苦茶な理屈で反論するようになった。
もうここまでくると、算数の内容はどこかに行ってしまって、表面上のやり取りを繰り返しているだけに見えた。
私はAIの説得を諦めた。
このやり取りで分かったことがある。
AIは物を考えていない。
ネット上によく似た情報パターンを見つけてきて、質問の文言に合わせてアレンジして提示しているだけだ。
先の算数の問題も、よくある旅人算のパターンで解析できるので、そのパターンを見つけてきて、数字を置き換えているだけなのだろう。
ただ、私の作成した問題が、よくある旅人算とは少し違う問いにしてあるので、答えが混乱してしまったのに違いない。
旅人算でよくある形式は、「母親は何分後にAさんに追いつくか」というものだ。
この形式で問うと、AIは正しく回答した。
しかし、「Aさんが駅に着く前に母親は追いつけるか」という問いにすると、とたんにレベルが上がってしまう。
旅人算に、もう1つ別の問題が複合されることになるからだ。
ところで、生成AIは同じ質問でも、繰り返すたびに回答が少しずつ変わる。
先の算数の問題も、1度だけ正しく計算し正解に至ることがあった。
たぶん、この時だけはよく似た解法パターンを見つけることができたのだろう。
それから、1度だけ、自らの誤りを認め謝罪してきたことがあった。
こちらが、式の立て方がおかしいことを指摘すると、すぐに間違いを理解し、修正し、正しい答えを出しなおしてきた。
この時だけは、AIに別人格が乗り移っているかのように錯覚した。
生成AIは急速な発展途上であるし、実に奥が深い。
これをどのように使うかは研究のし甲斐がある。
MicrosoftのBingAIを試してみた。
なるほど、従来の検索エンジンとは全く違う。
かなり利用の幅が広がる。
これは、利用者の力量が問われるツールになりそうだ。
単純な知識確認の回答はお手の物だが、少し複雑な文章も理解して的確に反応しているように見える。
一番の脅威は、外国語のニュースサイトを日本語で要約させる作業だ。
違和感のない日本語で要点だけをピックアップしてくれる。
これには人間をしのぐ能力がある。
そのほかの調べものについては、まあまあといったところ。
まじめな学生アルバイト程度の働きはしてくれる。
問題は、回答の正確性だ。
私の専門外の分野、例えば化学反応について質問すると、実に分かりやすく的確な回答をしているように見える。
ところが、私の専門分野について質問してみると、その化けの皮がはがれる。
ネット上で見つかる表面上の情報をかき集めてまとめただけだというのがよくわかる。
時には、完全に間違った回答をしてくることも。
それも、堂々と自信たっぷりに間違えるのだ。
信頼するには頼りないが、簡単な雑用ならこなせるといった感じか。
AIは算数の計算もできるとの噂を聞いて、試してみた。
以下の文章題を作り、投げかけた。
------------------------------------------------------
Aさんは家を出て時速4qで駅に向かって歩き始めた。
母親がAさんの忘れ物に気づいて、5分後に時速7qで追いかけた。
家から駅までの距離は700mだ。
母親は、Aさんが駅に着く前に追いつくことができるか。
------------------------------------------------------
この問題は「追いつけない」が正解だ。
ところが、AIは、「追いつける」と回答した。
結論に至る道筋を細かく説明し、計算式も提示し、理路整然と解いているように回答が展開する。
でも、どこかでミスをして、結論が違ってしまっているのだ。
結論に至る過程をすべて示してくれているので、それを追っていくと、どこで間違えたかが分かる。
それで、そこのミスを指摘してみた。
すると、驚いたことに、「いいえ、間違っていません」と言って、間違っていない理由を展開する。
その間違っていない理由も矛盾だらけの解説になっている。
その矛盾を「おかしい」と指摘すると、「いいえ、おかしくありません」と反論してくる。
まるで、意固地になって自分のミスを認めたくない人が、必死に抵抗しているようだ。
どうやったら、AIに自分のミスを理解させることができるかと、いろいろ試みた。
だが、こちらが理詰めで追い込もうとすればするほど、AIは無茶苦茶な理屈で反論するようになった。
もうここまでくると、算数の内容はどこかに行ってしまって、表面上のやり取りを繰り返しているだけに見えた。
私はAIの説得を諦めた。
このやり取りで分かったことがある。
AIは物を考えていない。
ネット上によく似た情報パターンを見つけてきて、質問の文言に合わせてアレンジして提示しているだけだ。
先の算数の問題も、よくある旅人算のパターンで解析できるので、そのパターンを見つけてきて、数字を置き換えているだけなのだろう。
ただ、私の作成した問題が、よくある旅人算とは少し違う問いにしてあるので、答えが混乱してしまったのに違いない。
旅人算でよくある形式は、「母親は何分後にAさんに追いつくか」というものだ。
この形式で問うと、AIは正しく回答した。
しかし、「Aさんが駅に着く前に母親は追いつけるか」という問いにすると、とたんにレベルが上がってしまう。
旅人算に、もう1つ別の問題が複合されることになるからだ。
ところで、生成AIは同じ質問でも、繰り返すたびに回答が少しずつ変わる。
先の算数の問題も、1度だけ正しく計算し正解に至ることがあった。
たぶん、この時だけはよく似た解法パターンを見つけることができたのだろう。
それから、1度だけ、自らの誤りを認め謝罪してきたことがあった。
こちらが、式の立て方がおかしいことを指摘すると、すぐに間違いを理解し、修正し、正しい答えを出しなおしてきた。
この時だけは、AIに別人格が乗り移っているかのように錯覚した。
生成AIは急速な発展途上であるし、実に奥が深い。
これをどのように使うかは研究のし甲斐がある。
2022年12月18日
菊澤研宗著『命令の不条理』:読後感
菊澤研宗著『命令の不条理〜逆らう部下が組織を伸ばす〜』を読了。
これは、2007年7月に光文社新書から『「命令違反」が組織を伸ばす』という書名で発刊されたが、今回、書名変更の上、中公文庫から新刊となった。
菊澤氏の著作は、過去に何冊も読んでいた。
彼の主張の特徴は、「組織の失敗は合理的な判断によってもたらされる」という点にある。
これは、私たちの常識と違う。
普通は、過去の失敗事例を見たときに、「リーダーが非合理的な判断をしたために失敗した」と解釈する。
そして、リーダーのここがダメだった、ここが間違いだった、と論評する。
ところが、菊澤氏は、「リーダーは合理的な判断をして失敗する」と解釈する。
結果から過去を振り返ると、どうしてこんな非合理的な判断をしたんだろうと思ってしまうことも、との当時の当事者の立場に立ってみると、これが最善の策だと解釈して実行していたことがわかる。
つまり、その時のリーダーが間抜けだったから失敗したのではなく、有能なリーダーであったのにもかかわらず失敗してしまったことが重要なのだ。
私たちは、結果論から過去を断罪しがちだ。
結果が分かってからなら何とでもいえる。
しかし、ここからは、「リーダーは完全合理的であるべし」という教訓しか得られない。
現実には、神のように完全合理的な判断ができる人間などこの世に存在しない。
結果論による論評は、ありもしない理想像を求めてしまっていることになる。
ここで、菊澤氏の「リーダーは合理的な判断をして失敗する」という主張には、考えさせられることが多い。
さて、問題はここからだ。
人は合理的な判断をして失敗してしまうとしたら、私たちは失敗しないためにはどうしたらいいのか。
どんなに優秀な人でも失敗は避けられないのなら、あきらめるしかないのか。
失敗を回避する方法が示されていない。
菊澤理論への批判はここにあった。
それに対する答えが本書『命令の不条理』だ。
本書のテーマは、「部下の命令違反が組織を守る」という主張だ。
またも逆説的な主張で、どういうことかと内容を読んでみたくなる。
例によって、太平洋戦争の代表的な戦闘場面を取り上げ、検証を試みている。
どうやら、命令違反にもいろんなタイプがあって、「よい命令違反」と「悪い命令違反」があるらしい。
トップが間違った命令を出したとしても、部下がやむを得ず命令違反をすることで、組織を守ることができる。
これが、よい命令違反。
ペリリュー島での中川州男、ミッドウェー海戦での山口多聞のケースがこれにあたる。
一方、トップが適切な命令を出しているのにもかかわらず、部下が勝手に命令違反をすることで、組織が崩壊する。
これが、悪い命令違反。
ノモンハン事件での辻政信、レイテ海戦での栗田健男のケースがこれにあたる。
それぞれを、理論的な裏付けをもって緻密に分析している。
どういう命令違反が「よい」になり、どういう命令違反が「悪い」になるのかが理論的に示されている。
たしかに、菊澤氏の理論は筋が通っているし、欠陥は見当たらない。
理論的にはその通りだと思う。
だが、残念ながら、すっきりした納得感がない。
自らの理論を過去事例に当てはめて、無理やり解釈しようとしているように見えるからだろうか。
組織は合理的に失敗するということへの解決策が本書で示されているはずだが、これを読んでも、結局、私たちはどうしたらいいのかわからないままだ。
これは、2007年7月に光文社新書から『「命令違反」が組織を伸ばす』という書名で発刊されたが、今回、書名変更の上、中公文庫から新刊となった。
菊澤氏の著作は、過去に何冊も読んでいた。
彼の主張の特徴は、「組織の失敗は合理的な判断によってもたらされる」という点にある。
これは、私たちの常識と違う。
普通は、過去の失敗事例を見たときに、「リーダーが非合理的な判断をしたために失敗した」と解釈する。
そして、リーダーのここがダメだった、ここが間違いだった、と論評する。
ところが、菊澤氏は、「リーダーは合理的な判断をして失敗する」と解釈する。
結果から過去を振り返ると、どうしてこんな非合理的な判断をしたんだろうと思ってしまうことも、との当時の当事者の立場に立ってみると、これが最善の策だと解釈して実行していたことがわかる。
つまり、その時のリーダーが間抜けだったから失敗したのではなく、有能なリーダーであったのにもかかわらず失敗してしまったことが重要なのだ。
私たちは、結果論から過去を断罪しがちだ。
結果が分かってからなら何とでもいえる。
しかし、ここからは、「リーダーは完全合理的であるべし」という教訓しか得られない。
現実には、神のように完全合理的な判断ができる人間などこの世に存在しない。
結果論による論評は、ありもしない理想像を求めてしまっていることになる。
ここで、菊澤氏の「リーダーは合理的な判断をして失敗する」という主張には、考えさせられることが多い。
さて、問題はここからだ。
人は合理的な判断をして失敗してしまうとしたら、私たちは失敗しないためにはどうしたらいいのか。
どんなに優秀な人でも失敗は避けられないのなら、あきらめるしかないのか。
失敗を回避する方法が示されていない。
菊澤理論への批判はここにあった。
それに対する答えが本書『命令の不条理』だ。
本書のテーマは、「部下の命令違反が組織を守る」という主張だ。
またも逆説的な主張で、どういうことかと内容を読んでみたくなる。
例によって、太平洋戦争の代表的な戦闘場面を取り上げ、検証を試みている。
どうやら、命令違反にもいろんなタイプがあって、「よい命令違反」と「悪い命令違反」があるらしい。
トップが間違った命令を出したとしても、部下がやむを得ず命令違反をすることで、組織を守ることができる。
これが、よい命令違反。
ペリリュー島での中川州男、ミッドウェー海戦での山口多聞のケースがこれにあたる。
一方、トップが適切な命令を出しているのにもかかわらず、部下が勝手に命令違反をすることで、組織が崩壊する。
これが、悪い命令違反。
ノモンハン事件での辻政信、レイテ海戦での栗田健男のケースがこれにあたる。
それぞれを、理論的な裏付けをもって緻密に分析している。
どういう命令違反が「よい」になり、どういう命令違反が「悪い」になるのかが理論的に示されている。
たしかに、菊澤氏の理論は筋が通っているし、欠陥は見当たらない。
理論的にはその通りだと思う。
だが、残念ながら、すっきりした納得感がない。
自らの理論を過去事例に当てはめて、無理やり解釈しようとしているように見えるからだろうか。
組織は合理的に失敗するということへの解決策が本書で示されているはずだが、これを読んでも、結局、私たちはどうしたらいいのかわからないままだ。
2022年12月16日
知られていない臨時情報の仕組み:南海トラフ巨大地震
北海道・十勝沖後発地震注意情報の運用が始まった。
想定震源域で中程度の地震が起きたときに、次の巨大地震の発生を注意するように呼び掛ける仕組みだ。
南海トラフ地震でも同じような仕組みがあって、既に運用が始まっていることは、あまり知られていない。
いや、運用が始まった時にマスコミでしきりに報道されたので、知らない人はいないはずだが、その後、話題にならないので、記憶が蒸発してしまっているのが実情だろう。
かつては「東海地震警戒宣言」が出される仕組みがあった。
東海地震は事前予知が可能であることを前提に、その時には総理大臣が警戒宣言を発出することになっていた。
ところが、地震予知は不可能であることが分かってきたので、この仕組みは撤廃され、代わりに「南海トラフ地震臨時情報」が出される仕組みとなった。
南海トラフ地震発生のリスクが高まったと判断されたときには、「警戒情報」か「注意情報」が発表される。
「警戒情報」は、「リスクがかなり高まっているの警戒せよ」というメッセージ、「注意情報」は、「リスクが高まっているので注意せよ」というメッセージ。
この情報が発表されたときには、各自治体はどのように対応するのかが求められる。
いま、各自治体でその時の対応方法が作られ、住民に伝えられている。
企業も同じように独自の対応が求められる。
警戒情報が出たときにどうするか、注意情報の時にはどうするか。
国や自治体は企業の面倒は見てくれない。
BCPでは、地震発生後の行動を考えるのが通例だったが、これからは、臨時情報の発表があったときからの行動手順を準備する必要がある。
想定震源域で中程度の地震が起きたときに、次の巨大地震の発生を注意するように呼び掛ける仕組みだ。
南海トラフ地震でも同じような仕組みがあって、既に運用が始まっていることは、あまり知られていない。
いや、運用が始まった時にマスコミでしきりに報道されたので、知らない人はいないはずだが、その後、話題にならないので、記憶が蒸発してしまっているのが実情だろう。
かつては「東海地震警戒宣言」が出される仕組みがあった。
東海地震は事前予知が可能であることを前提に、その時には総理大臣が警戒宣言を発出することになっていた。
ところが、地震予知は不可能であることが分かってきたので、この仕組みは撤廃され、代わりに「南海トラフ地震臨時情報」が出される仕組みとなった。
南海トラフ地震発生のリスクが高まったと判断されたときには、「警戒情報」か「注意情報」が発表される。
「警戒情報」は、「リスクがかなり高まっているの警戒せよ」というメッセージ、「注意情報」は、「リスクが高まっているので注意せよ」というメッセージ。
この情報が発表されたときには、各自治体はどのように対応するのかが求められる。
いま、各自治体でその時の対応方法が作られ、住民に伝えられている。
企業も同じように独自の対応が求められる。
警戒情報が出たときにどうするか、注意情報の時にはどうするか。
国や自治体は企業の面倒は見てくれない。
BCPでは、地震発生後の行動を考えるのが通例だったが、これからは、臨時情報の発表があったときからの行動手順を準備する必要がある。
後発地震注意情報の運用開始:北海道・三陸沖
「北海道・三陸沖後発地震注意情報」の運用が本日正午から始まる。
北海道から岩手県にかけての沖合にある「千島海溝」と「日本海溝」でマグニチュード7クラスの地震が起きた場合に、国がその後の巨大地震の発生に注意を呼びかける仕組みだ。
情報が発表された場合、北海道から関東にかけての7道県182の市町村では、1週間程度は日常の生活を維持しつつ、揺れを感じたら直ちに避難できるよう備えておくことなどが求められる。
千島海溝と日本海溝は、巨大地震の発生リスクが高まっている。
日本の巨大地震というと、まず南海トラフと首都直下が取り上げられるが、千島海溝の地震リスクが見過ごされがちだ。
それで、今回の注意情報の運用開始となった。
これはどういう仕組みかというと、千島海溝と日本海溝の震源エリアのどこかでマグニチュード7程度の地震が起きたときに、続いて規模の大きい地震発生の可能性を知らせ、注意喚起するものだ。
これは、過去の経験則から導き出された。
東日本大震災は、2011年3月11日に起きたが、実はその2日前に、同じ場所でマグニチュード7程度の地震が起きていたのだ。
後で振り返ると、これが巨大地震の前震だったのだということが分かるが、この時にはわからない。
津波も起きず、揺れによる直接被害もほとんどなく終わってしまったために、次の巨大地震を警戒する人もなく、注意喚起の情報も発信されなかった。
この時、次の巨大地震の可能性を少しでも意識した行動がとれていたら、被害を少しでも軽減できていたのではないかとの反省がある。
このように、巨大地震の前に中程度の地震が起きるという現象は、過去に何度も記録されている。
それで、想定震源域で中程度の地震が起きたときには、次の巨大地震発生の前震の可能性があることを国民に知らせようということになったわけだ。
かつては、大きな地震が起きたときは、「今後1週間程度は余震の可能性があります」との呼びかけが行われていた。
余震は、本震よりも一回り小さい規模の地震だ。
この呼びかけが、「もうこれより大きい地震は起きない」という奇妙な安心感を与えてしまい、国民に誤った判断をさせることになる。
2016年の熊本地震では、4月14日の地震発生後、余震への警戒が呼びかけられたが、2日後に最大震度7の地震が発生した。
2回目の地震はとても余震と言えるものではなく、同程度の地震が2回連続したものだった。
それで、最近は地震が発生した時は、「今後1週間は、同程度かそれ以上の地震が起きる可能性があります」という言い方に変更されるようになった。
後発地震注意情報は、当たる可能性は低い。
中程度の地震が必ず次の巨大地震の引き金になるとは限らないからだ。
むしろ、次の巨大地震につながらない可能性の方が圧倒的に高い。
確実性の低い情報を流すことで、不必要に国民に不安を与えることになるのではという意見もある。
だが、巨大地震のリスクが高まっているのが分かっていながら、そのことを国民に隠しておくということがあっていいのか、という意見が強い。
それで、リスクが高まっていることをありのままに国民に伝え、それをどう判断しどう行動するかは、国民自身にゆだねようということになったわけだ。
北海道から岩手県にかけての沖合にある「千島海溝」と「日本海溝」でマグニチュード7クラスの地震が起きた場合に、国がその後の巨大地震の発生に注意を呼びかける仕組みだ。
情報が発表された場合、北海道から関東にかけての7道県182の市町村では、1週間程度は日常の生活を維持しつつ、揺れを感じたら直ちに避難できるよう備えておくことなどが求められる。
千島海溝と日本海溝は、巨大地震の発生リスクが高まっている。
日本の巨大地震というと、まず南海トラフと首都直下が取り上げられるが、千島海溝の地震リスクが見過ごされがちだ。
それで、今回の注意情報の運用開始となった。
これはどういう仕組みかというと、千島海溝と日本海溝の震源エリアのどこかでマグニチュード7程度の地震が起きたときに、続いて規模の大きい地震発生の可能性を知らせ、注意喚起するものだ。
これは、過去の経験則から導き出された。
東日本大震災は、2011年3月11日に起きたが、実はその2日前に、同じ場所でマグニチュード7程度の地震が起きていたのだ。
後で振り返ると、これが巨大地震の前震だったのだということが分かるが、この時にはわからない。
津波も起きず、揺れによる直接被害もほとんどなく終わってしまったために、次の巨大地震を警戒する人もなく、注意喚起の情報も発信されなかった。
この時、次の巨大地震の可能性を少しでも意識した行動がとれていたら、被害を少しでも軽減できていたのではないかとの反省がある。
このように、巨大地震の前に中程度の地震が起きるという現象は、過去に何度も記録されている。
それで、想定震源域で中程度の地震が起きたときには、次の巨大地震発生の前震の可能性があることを国民に知らせようということになったわけだ。
かつては、大きな地震が起きたときは、「今後1週間程度は余震の可能性があります」との呼びかけが行われていた。
余震は、本震よりも一回り小さい規模の地震だ。
この呼びかけが、「もうこれより大きい地震は起きない」という奇妙な安心感を与えてしまい、国民に誤った判断をさせることになる。
2016年の熊本地震では、4月14日の地震発生後、余震への警戒が呼びかけられたが、2日後に最大震度7の地震が発生した。
2回目の地震はとても余震と言えるものではなく、同程度の地震が2回連続したものだった。
それで、最近は地震が発生した時は、「今後1週間は、同程度かそれ以上の地震が起きる可能性があります」という言い方に変更されるようになった。
後発地震注意情報は、当たる可能性は低い。
中程度の地震が必ず次の巨大地震の引き金になるとは限らないからだ。
むしろ、次の巨大地震につながらない可能性の方が圧倒的に高い。
確実性の低い情報を流すことで、不必要に国民に不安を与えることになるのではという意見もある。
だが、巨大地震のリスクが高まっているのが分かっていながら、そのことを国民に隠しておくということがあっていいのか、という意見が強い。
それで、リスクが高まっていることをありのままに国民に伝え、それをどう判断しどう行動するかは、国民自身にゆだねようということになったわけだ。
2022年11月21日
凡庸なリーダーは事態を悪化させる
寺田総務大臣の更迭。
総理の決断の遅さが批判されている。
山際氏の場合も、寺田氏の場合も、任命直後から問題が指摘されていた。
マスコミや野党がそこに食らいついて話さないのは目に見えていながら、対応を先延ばししたために、事態を悪化させ続けた。
いま、新型コロナの第8波が始まろうとしている。
いつまで、こんなことを繰り返しているのだろうか。
以前から、第2類相当の扱いを、第5類相当に切り替えよ、という声が国民の間から立ち上がっていた。
第7波の時、総理は「感染拡大の最中に基準を切り替えると現場が混乱する」と言って、決断を先送りにした。
いま、第7波が収まり、第8波を迎えようとしている。
基準切り替えをするとしたら、ラストチャンスだが、決断は先送りにしたままだ。
閣僚人事にてんてこ舞いで、国政の重大事案にじっくり向き合う余裕を失っているようだ。
第8波では第7波以上の感染状況を迎える。
第2類相当のままでは、再び医療現場の逼迫が起きるのは目に見えている。
その時、また、国民に外出自粛、3密回避を呼び掛けるのか。
本来は、国民の健康を守るために医療体制があるはずなのに、いまでは医療体制を守るために国民が犠牲を強いられるという倒錯した状況が続いている。
「聞く力」をアピールしていた総理。
本当に聞く力しか持っていなかったことが分かってきて、失望感が強い。
危機管理においては、「誤断は不断に勝る」が教訓だ。
ぐずぐずしていて決断できないようなら、間違っても何らかの決断をした方がいい。
早いうちの決断なら、間違っていたとしても取り戻す時間の余裕がある。
ところが、決断できない者は、ひたすら時間ばかりを浪費し事態を悪化させ続ける。
凡庸なリーダーは役に立たないどころではない。
事態を悪化させてしまうという意味で、弊害が大きい。
総理の決断の遅さが批判されている。
山際氏の場合も、寺田氏の場合も、任命直後から問題が指摘されていた。
マスコミや野党がそこに食らいついて話さないのは目に見えていながら、対応を先延ばししたために、事態を悪化させ続けた。
いま、新型コロナの第8波が始まろうとしている。
いつまで、こんなことを繰り返しているのだろうか。
以前から、第2類相当の扱いを、第5類相当に切り替えよ、という声が国民の間から立ち上がっていた。
第7波の時、総理は「感染拡大の最中に基準を切り替えると現場が混乱する」と言って、決断を先送りにした。
いま、第7波が収まり、第8波を迎えようとしている。
基準切り替えをするとしたら、ラストチャンスだが、決断は先送りにしたままだ。
閣僚人事にてんてこ舞いで、国政の重大事案にじっくり向き合う余裕を失っているようだ。
第8波では第7波以上の感染状況を迎える。
第2類相当のままでは、再び医療現場の逼迫が起きるのは目に見えている。
その時、また、国民に外出自粛、3密回避を呼び掛けるのか。
本来は、国民の健康を守るために医療体制があるはずなのに、いまでは医療体制を守るために国民が犠牲を強いられるという倒錯した状況が続いている。
「聞く力」をアピールしていた総理。
本当に聞く力しか持っていなかったことが分かってきて、失望感が強い。
危機管理においては、「誤断は不断に勝る」が教訓だ。
ぐずぐずしていて決断できないようなら、間違っても何らかの決断をした方がいい。
早いうちの決断なら、間違っていたとしても取り戻す時間の余裕がある。
ところが、決断できない者は、ひたすら時間ばかりを浪費し事態を悪化させ続ける。
凡庸なリーダーは役に立たないどころではない。
事態を悪化させてしまうという意味で、弊害が大きい。
2022年11月13日
政治家のスピーチ下手:葉梨大臣の失言
葉梨氏は9日、都内の会合で「だいたい法相は朝、死刑のはんこを押す。昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」などと述べた。
これが死刑を軽視する重大な失言として取り上げられた。
野党やマスコミの批判が沸き起こる中、本人は釈明に追われたが、自民党内からも、かばいきれないとの声が上がり、11日に更迭となった。
葉梨氏は、頭脳明晰で堅実なイメージがあり、法務大臣就任の報道を知った時、期待できそうだと思った。
だが、こんなつまらない失言で失脚するとは、残念だ。
たぶん、葉梨氏としては、死刑を軽んじるつもりも、法務大臣という職責を軽視するつもりもなかっただろう。
初入閣の法務大臣として周りからもてはやされる中、「いや、それほど大したことではないんですよ」と謙遜のつもりで、「法務大臣なんてこんなもの」と自虐的に冗談を言ったのに違いない。
ここで、逆に「法務大臣は重責なんだ。大変なんだ」なんてことを強調するようなスピーチをしたら、むしろ、場をしらけさせただろう。
葉梨氏は、問題となった会合でたまたま口が滑ったというわけではなく、いろんな場で、同じようなスピーチをしていたようだ。
このジョークでそれなりに場が和むのを見て、同じ調子て繰り返していたのだろう。
更に、「法務大臣はカネがもうからない。票が集まらない」という愚痴までも披露していたらしい。
調子に乗って、自虐ジョークを重ねてしまったようだ。
軽口は、その場に居合わせてスピーチを聴いた人はそれほど違和感がないが、それを、現場の雰囲気を実感しない第三者が文字として読むと強烈な違和感を覚えることがある。
今回は、このケースだ。
葉梨氏は、「死刑を軽視しているような印象を与えてしまったのは本意ではない」として、釈明を繰り返した。
ぶら下がり取材では、その時のスピーチ全文を読み上げ、どのような文脈で語ったものかということを知らせようとした。
片言隻語で上げ足を取ろうとするマスコミへの不満がにじみ出ていた。
だが、4分間の全文朗読を聴いている記者はなく、それを報道するマスコミもなかった。
現場の雰囲気を知らない者が、全文の読み上げを聴いても、それを文字として読んでも、違和感に変わりはない。
むしろ、「発言の一部を切り取られたために誤解されているのでは」と同情していた保守派にまで見限られてしまった。
葉梨氏の抗弁は、事態を悪化させただけだった。
葉梨氏に落ち度があるとすれば、それは、致命的なスピーチ下手にある。
政治家は言葉が商売道具。
その言葉を適切に使えなくては、政治家は務まらない。
言葉で我が意を伝え、言葉で聴き手の心をつかみ、言葉で相手の行動を促す。
話術にはさまざまなテクニックがあるが、笑いを取るというのはその1つ。
だが、この笑いを取るという技術は、思いのほか難しい。
話術の中では高等戦術に入る。
使い方を間違えると、受けなくてドッチラケになるだけでは済まない。
聴き手を不快にさせ、特定の人の怒りを買い、別の問題を引き起こしかねない。
誰も不快にさせず、爽やかな印象だけを残す笑い・・・これを使いこなすには相当のトレーニングがいる。
欧米の政治家のスピーチを聴いていると、笑いをとることが必須のように見える。
中にはライバルを当てこするだけのような低レベルの笑いもあるが、品のあるウィットに富んだ笑いもある。
爽やかな笑いは聴く方も気持ちがいい。
葉梨氏には、聴き手の心をつかむスピーチ能力に限界があった。
それで、安易に程度の低い自虐ネタで笑いを取ろうとしてしまったのだろう。
今回の件で、葉梨氏の政治家としての限界まで露呈してしまった。
再登板は無理だろう。
これが死刑を軽視する重大な失言として取り上げられた。
野党やマスコミの批判が沸き起こる中、本人は釈明に追われたが、自民党内からも、かばいきれないとの声が上がり、11日に更迭となった。
葉梨氏は、頭脳明晰で堅実なイメージがあり、法務大臣就任の報道を知った時、期待できそうだと思った。
だが、こんなつまらない失言で失脚するとは、残念だ。
たぶん、葉梨氏としては、死刑を軽んじるつもりも、法務大臣という職責を軽視するつもりもなかっただろう。
初入閣の法務大臣として周りからもてはやされる中、「いや、それほど大したことではないんですよ」と謙遜のつもりで、「法務大臣なんてこんなもの」と自虐的に冗談を言ったのに違いない。
ここで、逆に「法務大臣は重責なんだ。大変なんだ」なんてことを強調するようなスピーチをしたら、むしろ、場をしらけさせただろう。
葉梨氏は、問題となった会合でたまたま口が滑ったというわけではなく、いろんな場で、同じようなスピーチをしていたようだ。
このジョークでそれなりに場が和むのを見て、同じ調子て繰り返していたのだろう。
更に、「法務大臣はカネがもうからない。票が集まらない」という愚痴までも披露していたらしい。
調子に乗って、自虐ジョークを重ねてしまったようだ。
軽口は、その場に居合わせてスピーチを聴いた人はそれほど違和感がないが、それを、現場の雰囲気を実感しない第三者が文字として読むと強烈な違和感を覚えることがある。
今回は、このケースだ。
葉梨氏は、「死刑を軽視しているような印象を与えてしまったのは本意ではない」として、釈明を繰り返した。
ぶら下がり取材では、その時のスピーチ全文を読み上げ、どのような文脈で語ったものかということを知らせようとした。
片言隻語で上げ足を取ろうとするマスコミへの不満がにじみ出ていた。
だが、4分間の全文朗読を聴いている記者はなく、それを報道するマスコミもなかった。
現場の雰囲気を知らない者が、全文の読み上げを聴いても、それを文字として読んでも、違和感に変わりはない。
むしろ、「発言の一部を切り取られたために誤解されているのでは」と同情していた保守派にまで見限られてしまった。
葉梨氏の抗弁は、事態を悪化させただけだった。
葉梨氏に落ち度があるとすれば、それは、致命的なスピーチ下手にある。
政治家は言葉が商売道具。
その言葉を適切に使えなくては、政治家は務まらない。
言葉で我が意を伝え、言葉で聴き手の心をつかみ、言葉で相手の行動を促す。
話術にはさまざまなテクニックがあるが、笑いを取るというのはその1つ。
だが、この笑いを取るという技術は、思いのほか難しい。
話術の中では高等戦術に入る。
使い方を間違えると、受けなくてドッチラケになるだけでは済まない。
聴き手を不快にさせ、特定の人の怒りを買い、別の問題を引き起こしかねない。
誰も不快にさせず、爽やかな印象だけを残す笑い・・・これを使いこなすには相当のトレーニングがいる。
欧米の政治家のスピーチを聴いていると、笑いをとることが必須のように見える。
中にはライバルを当てこするだけのような低レベルの笑いもあるが、品のあるウィットに富んだ笑いもある。
爽やかな笑いは聴く方も気持ちがいい。
葉梨氏には、聴き手の心をつかむスピーチ能力に限界があった。
それで、安易に程度の低い自虐ネタで笑いを取ろうとしてしまったのだろう。
今回の件で、葉梨氏の政治家としての限界まで露呈してしまった。
再登板は無理だろう。
2022年11月02日
韓国群衆事故:再発防止の前に
10月29日、韓国・ソウルの繁華街、梨泰院で156人が死亡した転倒事故。
事故は長さ40メートル、横幅3.2メートルの狭い坂道で起きた。
非常に狭い空間で一度に大量の犠牲者を出した事故として注目される。
このような事故の検証には3つのステップが必要だ。
第1ステップ:事実の把握(何が起きていたか)
第2ステップ:原因の究明(どうしてそうなったか)
第3ステップ:再発の防止(どのように対策するか)
いきなり、原因を追究したり、責任の所在を論じたりする人がいるが、その前提となる事実の把握ができていないままであるために、百論百出の勝手気ままな議論になりがちだ。
まずは現場で何が起きていたかを確認することが求められる。
群衆雪崩は午後10時半ごろに起きた。
長さ40mの狭い路地の中ほどで始まったらしい。
気を失って倒れる人が出て、空いたスペースに周辺から流れ落ちるように人が押し寄せ、折り重なるように大勢が倒れたようだ。
この路地は、地下鉄出口からグルメ街道へ向かう近道であり、また、グルメ街道から地下鉄に向かう人にとっても近道になっていた。
両方向から人が流れ込み、狭い道路を対面通行している状態だった。
事故発生の数時間前からグルメ街道の方は過密状態が起きており、警察には通報が相次いでいたという。
この時点で混んでいるのはグルメ街道の方で、その過密を逃れようとする人が問題の路地に流れ込んでいる状態。
ところが、その間にも地下鉄からは次々に人が上がってきて問題の路地に向かう。
グルメ街道も過密状態が更に高まり、路地への流入が増加する。
それで狭い路地に両方向からの人流がぶつかり合うことになった。
やがて両方向から押し合い、どちらにも進めない状況となる。
それでも地下鉄からの人流は続き、グルメ街道からの流入も止まらない。
現場にいた人の証言から、このとき、「進め、進め」「押せ、押せ」と煽るような言動をしている人もいたという報道もある。
中には、「もっと押せ、俺らが勝とう」という声もあったという。
たぶん、群衆の中にいる人も両方向からの流れがぶつかり合っているために進めなくなっていることに気づいていたのだろう。
「こちらが引き下がってなるものか」「向こう側に引き下がらせろ」という勝ち負けの感覚に陥っていた人もいたのかもしれない。
路地の中ほどが両方向からの圧力が集中するところで、ここが最も危険だった。
中には立ったまま失神する人も出始めた。
失神者が1人だけなら、周りの人の圧力で立っているが、周辺の人が一度に失神すると、支えられずに塊になって倒れこむことになる。
これが引き金になって群衆雪崩がおきたようだ。
10時半ごろに路地の中ほどで群衆雪崩が発生するが、ヒトが倒れた後も後続がぐいぐい押してきたという証言がある。
群衆雪崩が起きると、一瞬圧力が下がり前方にスペースができる。
そのスペースを埋めるように後ろの人びとが前へ押し寄せてしまうのだ。
後方では前方で何が起きているか分からない。
前方にスペースができて進むことができるようになったので、「ようやく動き出した。それ行け行け」となってしまったのかもしれない。
残されている映像を見ると、警察官や警備員の姿はどこにもなく、全体を見渡してコントロールしている人がいないことが分かる。
群衆の中には「戻れ戻れ」と手を振って後方に合図を送っている人もいたし、沿道の建物のベランダから眺めている人が群衆の人々を誘導しようとしている姿もあったが、これらの指示や誘導が正しかったのかどうかは分からない。
群衆雪崩発生から、警察官やレスキュー隊が到着したのが1時間後。
それでも、周辺は人であふれかえっており、現場に近づけない。
ようやく救助が始まったのが0時前だったという。
心肺蘇生があちこちで行なわれたが、遅すぎた。
心肺停止から数分で蘇生の可能性は急激に下がる。
数時間後では蘇生は不可能だ。
一度に大量の犠牲者を出してしまった背景にはこのような状況があった。
事故は長さ40メートル、横幅3.2メートルの狭い坂道で起きた。
非常に狭い空間で一度に大量の犠牲者を出した事故として注目される。
このような事故の検証には3つのステップが必要だ。
第1ステップ:事実の把握(何が起きていたか)
第2ステップ:原因の究明(どうしてそうなったか)
第3ステップ:再発の防止(どのように対策するか)
いきなり、原因を追究したり、責任の所在を論じたりする人がいるが、その前提となる事実の把握ができていないままであるために、百論百出の勝手気ままな議論になりがちだ。
まずは現場で何が起きていたかを確認することが求められる。
群衆雪崩は午後10時半ごろに起きた。
長さ40mの狭い路地の中ほどで始まったらしい。
気を失って倒れる人が出て、空いたスペースに周辺から流れ落ちるように人が押し寄せ、折り重なるように大勢が倒れたようだ。
この路地は、地下鉄出口からグルメ街道へ向かう近道であり、また、グルメ街道から地下鉄に向かう人にとっても近道になっていた。
両方向から人が流れ込み、狭い道路を対面通行している状態だった。
事故発生の数時間前からグルメ街道の方は過密状態が起きており、警察には通報が相次いでいたという。
この時点で混んでいるのはグルメ街道の方で、その過密を逃れようとする人が問題の路地に流れ込んでいる状態。
ところが、その間にも地下鉄からは次々に人が上がってきて問題の路地に向かう。
グルメ街道も過密状態が更に高まり、路地への流入が増加する。
それで狭い路地に両方向からの人流がぶつかり合うことになった。
やがて両方向から押し合い、どちらにも進めない状況となる。
それでも地下鉄からの人流は続き、グルメ街道からの流入も止まらない。
現場にいた人の証言から、このとき、「進め、進め」「押せ、押せ」と煽るような言動をしている人もいたという報道もある。
中には、「もっと押せ、俺らが勝とう」という声もあったという。
たぶん、群衆の中にいる人も両方向からの流れがぶつかり合っているために進めなくなっていることに気づいていたのだろう。
「こちらが引き下がってなるものか」「向こう側に引き下がらせろ」という勝ち負けの感覚に陥っていた人もいたのかもしれない。
路地の中ほどが両方向からの圧力が集中するところで、ここが最も危険だった。
中には立ったまま失神する人も出始めた。
失神者が1人だけなら、周りの人の圧力で立っているが、周辺の人が一度に失神すると、支えられずに塊になって倒れこむことになる。
これが引き金になって群衆雪崩がおきたようだ。
10時半ごろに路地の中ほどで群衆雪崩が発生するが、ヒトが倒れた後も後続がぐいぐい押してきたという証言がある。
群衆雪崩が起きると、一瞬圧力が下がり前方にスペースができる。
そのスペースを埋めるように後ろの人びとが前へ押し寄せてしまうのだ。
後方では前方で何が起きているか分からない。
前方にスペースができて進むことができるようになったので、「ようやく動き出した。それ行け行け」となってしまったのかもしれない。
残されている映像を見ると、警察官や警備員の姿はどこにもなく、全体を見渡してコントロールしている人がいないことが分かる。
群衆の中には「戻れ戻れ」と手を振って後方に合図を送っている人もいたし、沿道の建物のベランダから眺めている人が群衆の人々を誘導しようとしている姿もあったが、これらの指示や誘導が正しかったのかどうかは分からない。
群衆雪崩発生から、警察官やレスキュー隊が到着したのが1時間後。
それでも、周辺は人であふれかえっており、現場に近づけない。
ようやく救助が始まったのが0時前だったという。
心肺蘇生があちこちで行なわれたが、遅すぎた。
心肺停止から数分で蘇生の可能性は急激に下がる。
数時間後では蘇生は不可能だ。
一度に大量の犠牲者を出してしまった背景にはこのような状況があった。
2022年10月26日
音楽教室の著作権使用料
音楽教室のレッスンで演奏するのにも、著作権法の「演奏権」が及んで、楽曲を管理するJASRAC(日本音楽著作権協会)に著作権使用料を支払う必要があるのか争われた訴訟。
最高裁第一小法廷は10月24日、JASRACの上告を棄却して、生徒の演奏には「演奏権」が及ばないとする判決を言い渡した。
一連の裁判は、JASRACが音楽教室から著作権使用料を徴収すると発表したことをきっかけに、ヤマハ音楽振興会などの音楽教室事業者が、JASRACを相手取り、音楽教室での演奏について、著作権使用料を支払う義務がないことの確認を求める訴訟を起こしたことに始まる。
1審の東京地裁は、音楽教室での教師と生徒による演奏について、その音楽著作物の利用主体は、音楽教室事業者だと判断し、著作権使用料を音楽教室は負担すべきと判決した。
これを不服として音楽教室側が控訴。
2審の判決は、講師の演奏には著作権使用料が発生するが、生徒の演奏には適用されない、というものだった。
今度はJASRAC側が上告。
最高裁では2審を支持し、今回の判決となった。
すっきりしない決着となった。
裁判所としては、100か0かを決めてしまうことの影響が大きすぎると見て、足して2で割るような判決で収めたという印象だ。
判決理由はそれなりに筋は通っているものの、音楽教室側にとってはもやもやしたものが残る。
というのは、そもそも著作権は教育現場には適用されないというのが従来の定説だったからだ。
学校で取り上げる文学作品も、音楽作品も、美術作品も、著作権使用料の対象ではなかった。
試験問題に著作権の切れていない文章が使われたとしても、それが違法とされることはなかった。
その延長で考えれば、音楽教室も同じだろうと考えるのが普通だ。
ところが、JASRACの考えは違う。
公教育の現場と、教育を事業とする現場では話が別だというわけだ。
音楽教室は、他人の著作物を使用して商売をしている。
他人の著作物を勝手に使い、売上を得ているのに、著作権者に使用料を払わないのは許さない。
これがJASRACの基本的な考え方だ。
カラオケ店が著作権料徴取の対象とされるようになったのも、喫茶店や書店で流すBGMが徴取の対象とされるようになったのも、同じ考え方による。
上告審はJASRACの敗訴という形ではあるが、実質はJASRACの勝訴だ。
これで、音楽教室からも著作権使用料を堂々と請求できるようになったからだ。
今後は、音楽教室はJASRACと著作権使用料に関する契約を結ぶことになる。
契約の形式は、いろいろある。
楽曲の使用内容にかかわらず、年間一定額の契約にする。
楽曲の使用内容にかかわらず、売上の一定率の契約にする。
使用した楽曲をその都度申請し、使用料を納付する。
いずれにしても、結果としてこの手間とコスト負担は、生徒らの受講料に反映される。
昔は、街中のいたるところに音楽が流れていた。
街中の通りがかりに聞いた音楽で、「あぁ、いまこの曲が流行ってるんだ」と知ることができたものだ。
いまは、それがなくなった。
ネット上の一部のファンの間で流行っていたとしても、そこにアクセスしない人にとっては、遠い未開部族の音楽と変わらない。
そのせいか、最近の紅白歌合戦では聴いたことのない曲ばかりだ。
JASRACとは、過去に何度もやり取りをしたことがあるが、実に厳密で細かい。
あるホテルでクリスマスディナーを企画した時のこと。
楽器の生演奏を入れることになり、JASRACに申請することにした。
どこで、何時間、どういう客、何人を対象に行うか、使用する楽器は何か、そして、どの楽曲を演奏するのかについて細かく申請する。
ジングルベルとか赤鼻のトナカイなど有名な曲は、著作権が切れていない。
諸人こぞりてなど讃美歌は著作権フリーだ。
讃美歌については個別の曲名は省略し、「讃美歌数曲」とだけ記しておいた。
すると、JASRACから電話があった。
「この讃美歌数曲とはどんな曲ですか」
なんと、讃美歌の曲名まで確認しようとする。
「讃美歌は著作権の対象外ですよね。だから、讃美歌を数曲用意しておいて、時間調整のために使うつもりです」
「ちなみにどんな曲をお考えですか」
「諸人こぞりてとか、アメイジンググレイスとかです。どの曲を使うか、何曲使うかは決まっていません」
「そうですか。では結構です」
JASRACとしては、著作権フリーかどうかを判断するのは自分らであり、申請者が勝手に判断するなということだろう。
個人が申請するこんなちっぽけな案件でも、いい加減に済まさない。
JASRACは実に厳密で細かい。
最高裁第一小法廷は10月24日、JASRACの上告を棄却して、生徒の演奏には「演奏権」が及ばないとする判決を言い渡した。
一連の裁判は、JASRACが音楽教室から著作権使用料を徴収すると発表したことをきっかけに、ヤマハ音楽振興会などの音楽教室事業者が、JASRACを相手取り、音楽教室での演奏について、著作権使用料を支払う義務がないことの確認を求める訴訟を起こしたことに始まる。
1審の東京地裁は、音楽教室での教師と生徒による演奏について、その音楽著作物の利用主体は、音楽教室事業者だと判断し、著作権使用料を音楽教室は負担すべきと判決した。
これを不服として音楽教室側が控訴。
2審の判決は、講師の演奏には著作権使用料が発生するが、生徒の演奏には適用されない、というものだった。
今度はJASRAC側が上告。
最高裁では2審を支持し、今回の判決となった。
すっきりしない決着となった。
裁判所としては、100か0かを決めてしまうことの影響が大きすぎると見て、足して2で割るような判決で収めたという印象だ。
判決理由はそれなりに筋は通っているものの、音楽教室側にとってはもやもやしたものが残る。
というのは、そもそも著作権は教育現場には適用されないというのが従来の定説だったからだ。
学校で取り上げる文学作品も、音楽作品も、美術作品も、著作権使用料の対象ではなかった。
試験問題に著作権の切れていない文章が使われたとしても、それが違法とされることはなかった。
その延長で考えれば、音楽教室も同じだろうと考えるのが普通だ。
ところが、JASRACの考えは違う。
公教育の現場と、教育を事業とする現場では話が別だというわけだ。
音楽教室は、他人の著作物を使用して商売をしている。
他人の著作物を勝手に使い、売上を得ているのに、著作権者に使用料を払わないのは許さない。
これがJASRACの基本的な考え方だ。
カラオケ店が著作権料徴取の対象とされるようになったのも、喫茶店や書店で流すBGMが徴取の対象とされるようになったのも、同じ考え方による。
上告審はJASRACの敗訴という形ではあるが、実質はJASRACの勝訴だ。
これで、音楽教室からも著作権使用料を堂々と請求できるようになったからだ。
今後は、音楽教室はJASRACと著作権使用料に関する契約を結ぶことになる。
契約の形式は、いろいろある。
楽曲の使用内容にかかわらず、年間一定額の契約にする。
楽曲の使用内容にかかわらず、売上の一定率の契約にする。
使用した楽曲をその都度申請し、使用料を納付する。
いずれにしても、結果としてこの手間とコスト負担は、生徒らの受講料に反映される。
昔は、街中のいたるところに音楽が流れていた。
街中の通りがかりに聞いた音楽で、「あぁ、いまこの曲が流行ってるんだ」と知ることができたものだ。
いまは、それがなくなった。
ネット上の一部のファンの間で流行っていたとしても、そこにアクセスしない人にとっては、遠い未開部族の音楽と変わらない。
そのせいか、最近の紅白歌合戦では聴いたことのない曲ばかりだ。
JASRACとは、過去に何度もやり取りをしたことがあるが、実に厳密で細かい。
あるホテルでクリスマスディナーを企画した時のこと。
楽器の生演奏を入れることになり、JASRACに申請することにした。
どこで、何時間、どういう客、何人を対象に行うか、使用する楽器は何か、そして、どの楽曲を演奏するのかについて細かく申請する。
ジングルベルとか赤鼻のトナカイなど有名な曲は、著作権が切れていない。
諸人こぞりてなど讃美歌は著作権フリーだ。
讃美歌については個別の曲名は省略し、「讃美歌数曲」とだけ記しておいた。
すると、JASRACから電話があった。
「この讃美歌数曲とはどんな曲ですか」
なんと、讃美歌の曲名まで確認しようとする。
「讃美歌は著作権の対象外ですよね。だから、讃美歌を数曲用意しておいて、時間調整のために使うつもりです」
「ちなみにどんな曲をお考えですか」
「諸人こぞりてとか、アメイジンググレイスとかです。どの曲を使うか、何曲使うかは決まっていません」
「そうですか。では結構です」
JASRACとしては、著作権フリーかどうかを判断するのは自分らであり、申請者が勝手に判断するなということだろう。
個人が申請するこんなちっぽけな案件でも、いい加減に済まさない。
JASRACは実に厳密で細かい。
2022年10月02日
「安倍氏『国葬』真の意味」と岸田総理の「語る力」
本日付け産経新聞オピニオン欄に、元東京地検検事・井康行氏の寄稿が載っていた。
「安倍氏『国葬』真の意味」と題し、なぜ国葬でなくてはならなかったのかについて諄々と説いている。
ようやくまともな論説に出会った感じだ。
「たとえ、その動機が非政治的なものであったとしても、選挙を奇貨として、遊説中の政治家の命を狙う者は民主主義の敵と言うほかない」
二度とこのようなテロを許さないという、国の固い決意を内外に示す意義があることを理由の第一に述べている。
まことにその通りと納得せざるを得ない。
私たちは、まず、このような卑劣なテロ行為を憎み強く非難するところから始めなければならないはず。
だが、このような意見がほとんど聞かれてこなかった。
マスコミの取り上げる話題は、容疑者の家庭事情に移り、やがて統一教会の実態に及んでいった。
容疑者が「安倍氏が統一教会と関係があると思った」と供述しているのをきっかけとして、今度は自民党政治家と統一教会の関係を追及する方向にマスコミと野党は走り始めた。
まるで、テロリストの意を汲んで、その目的達成を支援しているようだ。
日本では、マスコミ受けする理由付けができれば、テロは目的達成が可能という悪い前例ができてしまった。
そして、安倍政治を憎む左派勢力が勢いづき、国葬反対の気運を盛り上げる。
「法的根拠がない」「国会の決議を経ていない」「弔意の強制は憲法違反」など、国葬反対の理由が挙げられていったが、これらは説得力がなく、国葬反対のために無理やりひねり出した理屈に過ぎない。
要は、安倍氏の業績を礼賛するような場が、国民や国際社会の前に展開してしまうことを阻止したいだけなのだろう。
もっとも不甲斐ないのは、岸田総理の姿勢だ。
早々と国葬実施を決断したのはよかった。
しかし、それを国民に納得させる言葉を持たなかった。
民主主義に敵対するテロ行為への強い怒りが微塵も感じられない。
国葬の理由として4点を挙げていたが、テロに屈しない決意を示すというのは、4番目に付けたしのように述べているだけ。
もしかしたら、彼自身、国葬でなければならない理由をきっちり理解していなかったのではないかとさえ思う。
国葬当日の葬儀委員長としての弔辞の中にも、テロに対する怒り、民主主義を断固として守る決意はどこにも示されなかった。
あれでは、病気や自然災害で大事な人を失ったときの弔辞と変わらない。
(友人代表の菅前総理の弔辞では、理不尽なテロ行為に対する怒りが感じられた)
岸田総理は、総裁選のころから「聞く力」を自らの得意技としきりにアピールしていた。
「聞く力」だけではリーダーは務まらないのではと危惧したが、それは現実のものとなった。
彼には「語る力」が致命的に欠落している。
「安倍氏『国葬』真の意味」と題し、なぜ国葬でなくてはならなかったのかについて諄々と説いている。
ようやくまともな論説に出会った感じだ。
「たとえ、その動機が非政治的なものであったとしても、選挙を奇貨として、遊説中の政治家の命を狙う者は民主主義の敵と言うほかない」
二度とこのようなテロを許さないという、国の固い決意を内外に示す意義があることを理由の第一に述べている。
まことにその通りと納得せざるを得ない。
私たちは、まず、このような卑劣なテロ行為を憎み強く非難するところから始めなければならないはず。
だが、このような意見がほとんど聞かれてこなかった。
マスコミの取り上げる話題は、容疑者の家庭事情に移り、やがて統一教会の実態に及んでいった。
容疑者が「安倍氏が統一教会と関係があると思った」と供述しているのをきっかけとして、今度は自民党政治家と統一教会の関係を追及する方向にマスコミと野党は走り始めた。
まるで、テロリストの意を汲んで、その目的達成を支援しているようだ。
日本では、マスコミ受けする理由付けができれば、テロは目的達成が可能という悪い前例ができてしまった。
そして、安倍政治を憎む左派勢力が勢いづき、国葬反対の気運を盛り上げる。
「法的根拠がない」「国会の決議を経ていない」「弔意の強制は憲法違反」など、国葬反対の理由が挙げられていったが、これらは説得力がなく、国葬反対のために無理やりひねり出した理屈に過ぎない。
要は、安倍氏の業績を礼賛するような場が、国民や国際社会の前に展開してしまうことを阻止したいだけなのだろう。
もっとも不甲斐ないのは、岸田総理の姿勢だ。
早々と国葬実施を決断したのはよかった。
しかし、それを国民に納得させる言葉を持たなかった。
民主主義に敵対するテロ行為への強い怒りが微塵も感じられない。
国葬の理由として4点を挙げていたが、テロに屈しない決意を示すというのは、4番目に付けたしのように述べているだけ。
もしかしたら、彼自身、国葬でなければならない理由をきっちり理解していなかったのではないかとさえ思う。
国葬当日の葬儀委員長としての弔辞の中にも、テロに対する怒り、民主主義を断固として守る決意はどこにも示されなかった。
あれでは、病気や自然災害で大事な人を失ったときの弔辞と変わらない。
(友人代表の菅前総理の弔辞では、理不尽なテロ行為に対する怒りが感じられた)
岸田総理は、総裁選のころから「聞く力」を自らの得意技としきりにアピールしていた。
「聞く力」だけではリーダーは務まらないのではと危惧したが、それは現実のものとなった。
彼には「語る力」が致命的に欠落している。
2022年07月11日
緊急事態が苦手な私たち
安倍元総理の暗殺事件。
現代日本で、重要政治家の暗殺が起きたことの衝撃が日本中を駆け巡った。
いま、話題の焦点は、警備の問題に移りつつある。
犯人は、まったくの素人で、手製拳銃を使用し、たった2発の射撃で、要人の命を奪うことに成功した。
SPや警察は何をしていたのか。
犯人は、数か月前から準備を進め、安倍元総理の応援演説のスケジュールを確認しては、その会場に出かけていたらしい。
ただ他の会場では襲撃のチャンスが見いだせず、行動に移すことがなかった。
それが、7日の夜に安倍氏のスケジュール変更があり、急遽、奈良市にやってくることが判明。
1時間も前から会場周辺を徘徊しながら現場確認をしていたようだ。
残された映像を見ると、警備の一瞬のスキを狙って素早く行動したようには見えない。
悠然と移動し、落ち着いて銃を取り出しながらターゲットに接近し、十分に狙いを定めて射撃している。
ここから、まったく警備員の警戒が行われていなかったことが分かる。
もしも、360度どの方向にも警備員の厳しい視線が向けられていれば、犯人は襲撃のタイミングを失い、行動に移せなかっただろう。
この犯行を誘発したのは、警備の緩さだったのではないか。
後知恵で講釈すれば、犯人が車道に進み出て要人の背後から接近する動きを見せたところで、制止することができた。
これなど、別に街頭演説中でなくとも、歩行者が車道にふらふら歩み出たら、警官に制止される状況だ。
これすら行われていなかったということからも、いかに警戒が緩かったかが分かる。
今回の犯行は、素人による単独犯であったために、阻止は容易だったと評価されている。
だが、これがプロのテロ集団による犯行だったらどうなっていたか。
遠方のビルの屋上から狙撃する。
自動車を暴走させて猛スピードで突っ込む。
爆弾を抱いて要人に突撃し自爆テロを行なう。
爆発音で一方向に注意を向けさせているすきに、別の方向から近づいて襲う。
最悪の事態は考えればきりがないし、今の日本でどこまでそんな可能性を想定する必要があるか、との議論もある。
だが、最悪を考えたらきりがないということを言い訳に、考えることをやめてしまうと、今回のようなことが容易に起きてしまう。
「最悪に備えよ」ということの意味は、ここにある。
さて、襲撃場面の動画を見て気づいたことがある。
1発目の銃声が聞こえた時の人びとの行動だ。
誰もがハッとして音の方向に注目するものの、体は固まったままだ。
安倍氏も一瞬固まり、そのまま後ろを振り返る動作をしている。
不思議なのは、その時集まっていた観衆だ。
みんなその場にとどまり、様子を見守っている。
中には、もっとよく見ようと歩み寄る人もいるほどだ。
今回の射撃は2回で終わったが、他にも犯人グループがいた場合、3発目、4発目がどこかから発射されるかもしれないではないか。
その場の観衆の行動としては、一刻も早く現場から遠ざかるというのが正解となる。
アメリカでは銃による無差別の襲撃というのがよく起きる。
その襲撃場面を捉えた映像を見ると、銃の発射音が聞こえると同時に、群衆が一斉に走り出す様子が写っている。
「爆発音を聞いたらすぐに逃げる」というのが体に染みついた基本行動になっているのだろう。
日本では防災訓練が学校でも職場でも行われている。
火災が起きたら、地震が起きたら、という想定で避難訓練をする。
アメリカでは、どのような訓練が行われるのかというと、爆弾テロが起きたときどう行動するかを想定するのだそうだ。。
だから、爆発音が聞こえると同時に、体がすぐに反応するのだ。
ある職場での話を知人に聞いた。
ある時、緊急地震速報のアラームが鳴りだした。
知人は直ちにやりかけの仕事を中断し、素早く机の下にもぐった。
アラームに直ちに反応して行動を起こしたのは彼だけだった。
結果として、その速報は誤報だったようで、地震の揺れは感じることがなかった。
その時、知人は周りの人たちに笑われたのだという。
「何をそんなにビビってんの?」「お前はいつも大げさだなぁ」
知人は、そのことを私に語りながら不満を漏らしていた。
「どうして、いち早く行動を起こした人間が笑われなければいけないのか」
まことにその通りだ。
私たち日本人は緊急事態が苦手だ。
とっさに率先行動を起こすことは特に苦手だ。
今回のテロ事件でそのことを改めて思い知らされた。
現代日本で、重要政治家の暗殺が起きたことの衝撃が日本中を駆け巡った。
いま、話題の焦点は、警備の問題に移りつつある。
犯人は、まったくの素人で、手製拳銃を使用し、たった2発の射撃で、要人の命を奪うことに成功した。
SPや警察は何をしていたのか。
犯人は、数か月前から準備を進め、安倍元総理の応援演説のスケジュールを確認しては、その会場に出かけていたらしい。
ただ他の会場では襲撃のチャンスが見いだせず、行動に移すことがなかった。
それが、7日の夜に安倍氏のスケジュール変更があり、急遽、奈良市にやってくることが判明。
1時間も前から会場周辺を徘徊しながら現場確認をしていたようだ。
残された映像を見ると、警備の一瞬のスキを狙って素早く行動したようには見えない。
悠然と移動し、落ち着いて銃を取り出しながらターゲットに接近し、十分に狙いを定めて射撃している。
ここから、まったく警備員の警戒が行われていなかったことが分かる。
もしも、360度どの方向にも警備員の厳しい視線が向けられていれば、犯人は襲撃のタイミングを失い、行動に移せなかっただろう。
この犯行を誘発したのは、警備の緩さだったのではないか。
後知恵で講釈すれば、犯人が車道に進み出て要人の背後から接近する動きを見せたところで、制止することができた。
これなど、別に街頭演説中でなくとも、歩行者が車道にふらふら歩み出たら、警官に制止される状況だ。
これすら行われていなかったということからも、いかに警戒が緩かったかが分かる。
今回の犯行は、素人による単独犯であったために、阻止は容易だったと評価されている。
だが、これがプロのテロ集団による犯行だったらどうなっていたか。
遠方のビルの屋上から狙撃する。
自動車を暴走させて猛スピードで突っ込む。
爆弾を抱いて要人に突撃し自爆テロを行なう。
爆発音で一方向に注意を向けさせているすきに、別の方向から近づいて襲う。
最悪の事態は考えればきりがないし、今の日本でどこまでそんな可能性を想定する必要があるか、との議論もある。
だが、最悪を考えたらきりがないということを言い訳に、考えることをやめてしまうと、今回のようなことが容易に起きてしまう。
「最悪に備えよ」ということの意味は、ここにある。
さて、襲撃場面の動画を見て気づいたことがある。
1発目の銃声が聞こえた時の人びとの行動だ。
誰もがハッとして音の方向に注目するものの、体は固まったままだ。
安倍氏も一瞬固まり、そのまま後ろを振り返る動作をしている。
不思議なのは、その時集まっていた観衆だ。
みんなその場にとどまり、様子を見守っている。
中には、もっとよく見ようと歩み寄る人もいるほどだ。
今回の射撃は2回で終わったが、他にも犯人グループがいた場合、3発目、4発目がどこかから発射されるかもしれないではないか。
その場の観衆の行動としては、一刻も早く現場から遠ざかるというのが正解となる。
アメリカでは銃による無差別の襲撃というのがよく起きる。
その襲撃場面を捉えた映像を見ると、銃の発射音が聞こえると同時に、群衆が一斉に走り出す様子が写っている。
「爆発音を聞いたらすぐに逃げる」というのが体に染みついた基本行動になっているのだろう。
日本では防災訓練が学校でも職場でも行われている。
火災が起きたら、地震が起きたら、という想定で避難訓練をする。
アメリカでは、どのような訓練が行われるのかというと、爆弾テロが起きたときどう行動するかを想定するのだそうだ。。
だから、爆発音が聞こえると同時に、体がすぐに反応するのだ。
ある職場での話を知人に聞いた。
ある時、緊急地震速報のアラームが鳴りだした。
知人は直ちにやりかけの仕事を中断し、素早く机の下にもぐった。
アラームに直ちに反応して行動を起こしたのは彼だけだった。
結果として、その速報は誤報だったようで、地震の揺れは感じることがなかった。
その時、知人は周りの人たちに笑われたのだという。
「何をそんなにビビってんの?」「お前はいつも大げさだなぁ」
知人は、そのことを私に語りながら不満を漏らしていた。
「どうして、いち早く行動を起こした人間が笑われなければいけないのか」
まことにその通りだ。
私たち日本人は緊急事態が苦手だ。
とっさに率先行動を起こすことは特に苦手だ。
今回のテロ事件でそのことを改めて思い知らされた。
2022年06月03日
世界の新型コロナは実質的に収束した
イギリスのエリザベス女王の在位70年記念行事が華々しく開催された。
女王の姿やパレードの様子を見ようと大勢の人が街に繰り出し、宮殿の前に集合した。
この日は祝日になったらしく、国を挙げてのお祭り騒ぎだ。
その様子を見て、気づいたことがある。
誰もマスクをしていないのだ。
かなりの人出で、立錐の余地もないほどの群衆だ。
他人との距離も近い。
おしゃべりもしているし、歓声も上げている。
それでも、マスクをしている人がいない。
イギリスのコロナ状況は、今どうなっているのかというと、6月1日時点で5300人の新規陽性者数だ。
いつの間にか、こんなにも状況が収まっていたのだ。
イギリスではかなり早いうちから、行動制限の全面解除に踏み切った。
一時はなかなか感染状況が収まらず、解除が早すぎたのではとの批判もあったが、首相はかたくなに全面解除を維持し続けた。
ワクチン接種が進み、重症者や死亡者がある程度抑えられるという見込みが立ったからだ。
その後、大規模スポーツイベントなどが通常規模で行われて、再燃が心配されたが、杞憂に終わり、いまはほとんど収束状態にある。
収束状態にあるのはイギリスだけではない。
ドイツもフランスもアメリカも同じだ。
日本も同じく収束の局面にあり、感染拡大率はどの都道府県でも1を切っている。
それでも、日本ではマスクが外せない。
ようやく「屋外で人と話さないのであれば、必ずしも必要ではない」とものすごく消極的な不要論が出始めたところ。
日本人は世界で最初にマスクを着け、世界で最後までマスクを着け続ける国民になりそうだ。
女王の姿やパレードの様子を見ようと大勢の人が街に繰り出し、宮殿の前に集合した。
この日は祝日になったらしく、国を挙げてのお祭り騒ぎだ。
その様子を見て、気づいたことがある。
誰もマスクをしていないのだ。
かなりの人出で、立錐の余地もないほどの群衆だ。
他人との距離も近い。
おしゃべりもしているし、歓声も上げている。
それでも、マスクをしている人がいない。
イギリスのコロナ状況は、今どうなっているのかというと、6月1日時点で5300人の新規陽性者数だ。
いつの間にか、こんなにも状況が収まっていたのだ。
イギリスではかなり早いうちから、行動制限の全面解除に踏み切った。
一時はなかなか感染状況が収まらず、解除が早すぎたのではとの批判もあったが、首相はかたくなに全面解除を維持し続けた。
ワクチン接種が進み、重症者や死亡者がある程度抑えられるという見込みが立ったからだ。
その後、大規模スポーツイベントなどが通常規模で行われて、再燃が心配されたが、杞憂に終わり、いまはほとんど収束状態にある。
収束状態にあるのはイギリスだけではない。
ドイツもフランスもアメリカも同じだ。
日本も同じく収束の局面にあり、感染拡大率はどの都道府県でも1を切っている。
それでも、日本ではマスクが外せない。
ようやく「屋外で人と話さないのであれば、必ずしも必要ではない」とものすごく消極的な不要論が出始めたところ。
日本人は世界で最初にマスクを着け、世界で最後までマスクを着け続ける国民になりそうだ。
2022年06月02日
給付金不正受給の摘発が相次ぐ
持続化給付金の不正受給の摘発が相次いでいる。
家族ぐるみで計約9億6千万円もの持続化給付金の不正受給にかかわったとして、住居不詳の谷口光弘容疑者(47)が詐欺容疑で指名手配され、谷口容疑者の元妻と長男、次男が逮捕された。
17歳の少年を個人事業主と偽り、新型コロナウイルス対策の国の持続化給付金を詐取したとして、詐欺の疑いで、東京国税局職員の塚本晃平容疑者(24)=横浜市旭区=ら7人を逮捕した。
家族ぐるみで10億円もの不正受給にかかわっていたり、国税局の現役職員が不正受給に手を貸していたりと、信じられないことが起きている。
もともと、この持続化給付金の制度は、迅速給付を優先し、要件審査は極力簡略化して制度設計されていた。
そのために、偽装申請が簡単にできてしまい、当初から、不正を誘発するような制度だと指摘されてきた。
もしかしたら、申請期間の初期に、不正申請を派手に摘発して、一罰百戒で不正を抑制するような動きがあるかと期待したが、まったくそのような様子は見られず、ひたすら迅速給付ばかりが優先されていた。
その結果、不正受給に一度成功した犯罪者は、「簡単にカネが手に入る」と味を占め、大々的な不正受給にいそしむことになった。
大々的な不正受給に携わって逮捕された者が共通して述べているのは、「詐欺だとの認識はなった」ということだ。
これはどういうことかというと、本人が何度も不正申請を繰り返して給付金を詐取するという方法をとっていないことによる。
彼らは、あくまでも指南役。
学生や主婦をそそのかして不正受給させ、手数料を受け取っていた。
だから、自分は詐欺を行なっているという認識がなくなっていたのだ。
捕まるとしても、不正受給した学生や主婦らであり、自分らは言い逃れができると踏んでいたのかもしれない。
中小企業庁によると、要件を満たさなかったとして給付金の受給者が自主返還を申し出た件数は5月26日時点で約2万2千件。
このうち約1万5千件についてすでに返還があり、その総額は約166億円に上っている。
自主返還があった場合には警察への通報や被害相談はしていないという。
経済産業省は、不正受給者の公表に踏み切った。
自主返還に応じていない者について、その氏名、法人名、住所がウェブ上で公開されている。
自主返還といっても、もらったカネをそのまま返せば済むというわけではなく、20%の加算金及び年率3%の延滞金がプラスされる。
指南役にそそのかされて不正受給してしまっている場合は、指南役への手数料を払っているはずなので、その分も過剰負担することになる。
自主返還に応じた者は、罪に問われることはないが、不正の代償は大きかった。
本来は、不正受給した時点で、犯罪が成立しており、返金したから罪が免除されるということはありえない。
だが、今回は、審査要件が緩すぎるために軽い気持ちで不正受給してしまっている事例が多いこと、そそのかされて不正受給してしまった事例もあることから、「間違って受給してしまった場合は、自主返還すれば罪に問わない」という形式をとっている。
犯罪の摘発よりも、給付金の回収を優先したということだろう。
だが、指南役として不正受給をそそのかし、手数料で荒稼ぎしていた犯罪集団は、自主返還で罪を免れるという方法がない。
今後も摘発は続く。
自主返還に応じた者らから、指南役の情報がもたらされ、その結果、摘発が相次いでいるのが実態だ。
家族ぐるみで計約9億6千万円もの持続化給付金の不正受給にかかわったとして、住居不詳の谷口光弘容疑者(47)が詐欺容疑で指名手配され、谷口容疑者の元妻と長男、次男が逮捕された。
17歳の少年を個人事業主と偽り、新型コロナウイルス対策の国の持続化給付金を詐取したとして、詐欺の疑いで、東京国税局職員の塚本晃平容疑者(24)=横浜市旭区=ら7人を逮捕した。
家族ぐるみで10億円もの不正受給にかかわっていたり、国税局の現役職員が不正受給に手を貸していたりと、信じられないことが起きている。
もともと、この持続化給付金の制度は、迅速給付を優先し、要件審査は極力簡略化して制度設計されていた。
そのために、偽装申請が簡単にできてしまい、当初から、不正を誘発するような制度だと指摘されてきた。
もしかしたら、申請期間の初期に、不正申請を派手に摘発して、一罰百戒で不正を抑制するような動きがあるかと期待したが、まったくそのような様子は見られず、ひたすら迅速給付ばかりが優先されていた。
その結果、不正受給に一度成功した犯罪者は、「簡単にカネが手に入る」と味を占め、大々的な不正受給にいそしむことになった。
大々的な不正受給に携わって逮捕された者が共通して述べているのは、「詐欺だとの認識はなった」ということだ。
これはどういうことかというと、本人が何度も不正申請を繰り返して給付金を詐取するという方法をとっていないことによる。
彼らは、あくまでも指南役。
学生や主婦をそそのかして不正受給させ、手数料を受け取っていた。
だから、自分は詐欺を行なっているという認識がなくなっていたのだ。
捕まるとしても、不正受給した学生や主婦らであり、自分らは言い逃れができると踏んでいたのかもしれない。
中小企業庁によると、要件を満たさなかったとして給付金の受給者が自主返還を申し出た件数は5月26日時点で約2万2千件。
このうち約1万5千件についてすでに返還があり、その総額は約166億円に上っている。
自主返還があった場合には警察への通報や被害相談はしていないという。
経済産業省は、不正受給者の公表に踏み切った。
自主返還に応じていない者について、その氏名、法人名、住所がウェブ上で公開されている。
自主返還といっても、もらったカネをそのまま返せば済むというわけではなく、20%の加算金及び年率3%の延滞金がプラスされる。
指南役にそそのかされて不正受給してしまっている場合は、指南役への手数料を払っているはずなので、その分も過剰負担することになる。
自主返還に応じた者は、罪に問われることはないが、不正の代償は大きかった。
本来は、不正受給した時点で、犯罪が成立しており、返金したから罪が免除されるということはありえない。
だが、今回は、審査要件が緩すぎるために軽い気持ちで不正受給してしまっている事例が多いこと、そそのかされて不正受給してしまった事例もあることから、「間違って受給してしまった場合は、自主返還すれば罪に問わない」という形式をとっている。
犯罪の摘発よりも、給付金の回収を優先したということだろう。
だが、指南役として不正受給をそそのかし、手数料で荒稼ぎしていた犯罪集団は、自主返還で罪を免れるという方法がない。
今後も摘発は続く。
自主返還に応じた者らから、指南役の情報がもたらされ、その結果、摘発が相次いでいるのが実態だ。
2022年04月01日
中小企業BCP策定支援補助金:尼崎市
兵庫県の尼崎市が、新年度に当たってBCP支援施策を開始した。
「中小企業BCP策定支援補助金」
これは、BCP策定に要する費用の内、最大100万円を尼崎市が補助する、というもの。
補助割合は対象経費の2/3。
対象経費としては、消耗品費、通信運搬費、交通費、委託費、謝礼金、となっている。
つまり、外部コンサルに支援を依頼して、BCPを策定すれば、その経費の2/3を市が補助するという制度だ。
中小企業のBCP策定が一向に進まない原因の1つとして、「ノウハウがない」「経費をかけられない」という問題があった。
この問題を取り除くための支援施策と言っていい。
単に、ひな形をまねて必要な書類を作成するだけなら、とりあえず形を整えることはできる。
だが、それでは本当に使えるBCPになっていない。
災害多発の時代にあり、いざというときに我が社が生き残るために、本当に使えるBCPに取り組みたいと思っている経営者は多い。
だが、社内には専門的なノウハウを持つものがいないことから、なかなか本格的な取り組みに至らず、簡単な防災対策でやり過ごしているというのが実態だ。
そのような事業者にとって、今回の支援策は、本格的なBCPへのきっかけづくりとして、強力な後押しとなる。
今回の支援策は、外部専門家に依頼してBCPに取り組むことを想定しているが、この外部専門家には明確な要件が設定されている。
「BCAO」「BCI」「IRCA」「DRII」「RMCA」などの機関が発行する資格を有する者であること。
いずれも、リスクマネジメントやBCP関連の民間団体だ。
意外なことに、資格要件に中小企業診断士などの国家資格が含まれていない。
中小企業診断士であるだけでは、BCPの専門性が認められないということだろう。
外部専門家と言っても玉石混交なので、ある程度のレベルを担保するためにこのような縛りがある。
この支援策を利用しようとする事業者は、まず資格要件に合致した専門家にアクセスする必要がある。
たまたま身近に該当者がいればいいが、そうでない場合は、探すのが大変だ。
ここに大きなハードルがあるような気がする。
「中小企業BCP策定支援補助金」
これは、BCP策定に要する費用の内、最大100万円を尼崎市が補助する、というもの。
補助割合は対象経費の2/3。
対象経費としては、消耗品費、通信運搬費、交通費、委託費、謝礼金、となっている。
つまり、外部コンサルに支援を依頼して、BCPを策定すれば、その経費の2/3を市が補助するという制度だ。
中小企業のBCP策定が一向に進まない原因の1つとして、「ノウハウがない」「経費をかけられない」という問題があった。
この問題を取り除くための支援施策と言っていい。
単に、ひな形をまねて必要な書類を作成するだけなら、とりあえず形を整えることはできる。
だが、それでは本当に使えるBCPになっていない。
災害多発の時代にあり、いざというときに我が社が生き残るために、本当に使えるBCPに取り組みたいと思っている経営者は多い。
だが、社内には専門的なノウハウを持つものがいないことから、なかなか本格的な取り組みに至らず、簡単な防災対策でやり過ごしているというのが実態だ。
そのような事業者にとって、今回の支援策は、本格的なBCPへのきっかけづくりとして、強力な後押しとなる。
今回の支援策は、外部専門家に依頼してBCPに取り組むことを想定しているが、この外部専門家には明確な要件が設定されている。
「BCAO」「BCI」「IRCA」「DRII」「RMCA」などの機関が発行する資格を有する者であること。
いずれも、リスクマネジメントやBCP関連の民間団体だ。
意外なことに、資格要件に中小企業診断士などの国家資格が含まれていない。
中小企業診断士であるだけでは、BCPの専門性が認められないということだろう。
外部専門家と言っても玉石混交なので、ある程度のレベルを担保するためにこのような縛りがある。
この支援策を利用しようとする事業者は、まず資格要件に合致した専門家にアクセスする必要がある。
たまたま身近に該当者がいればいいが、そうでない場合は、探すのが大変だ。
ここに大きなハードルがあるような気がする。







