2017年04月06日

那須雪崩事故:事前準備の不備

栃木県那須町のスキー場付近で県立大田原高山岳部の生徒ら8人がラッセル訓練中に死亡した雪崩事故。
 追加の情報でいろいろなことが分かってきた。
 事前の準備に不備があったようだ。
 予定の登山を悪天候でできなくなった場合の訓練計画がなかった。
 実施要項に講師として記載のない教諭にラッセル訓練の先頭班を引率させていた。
 事故現場の国有林の管理元に入林届を出していなかった。
 生徒らに、雪崩発生時の対処方法をレクチャーしていなかった。
 
 当日の天候を見て山頂登山を中止したところまでは計画通りで問題なかった。
 ただ、登山中止の場合の計画はなく、そこからは行き当たりばったりの行動になってしまったようだ。
 雪崩など起きるはずはないという強い思い込みが前提なので、危機意識は全くなく、そのための備えは何もなかったといってもいい。
 特に、生徒らに、雪山遭難を避けるためのノウハウを伝えていなかったのは問題が大きい。
 何のための雪山訓練なのか。
 雪山のリスクを身をもって体験するための訓練ではないのか。
 結果として何も起きなかったとしても、リスクを意識しながら訓練をするのと、何も知らされずにただ引率教員の後をついて登っているだけとでは、経験値が全く違う。
 雪山リスクを実感できれば、その体験は一生の財産になる。
  
 この雪山のリスクを教えずに訓練をさせ、たとえ無事に下山することができたとしても、それは果たして成功と言えるか。
 ただ、みんなで雪山に登ってきました、という思い出ができるだけだ。
 その生徒らは、雪山リスクを学ぶ貴重なチャンスを逃す。
 雪山なんてこんなもの、という偶然の成功体験を増やしただけに終わる。
 偶然の成功体験を蓄積させてしまうと、リスクに鈍感になり、雪山をなめてかかるようになる。
 これは、将来の大きな事故の誘因になりかねない。
 こちらの方は、むしろ、弊害が大きい。
 責任者教員は登山歴の長いベテランだが、あの危機意識のなさは、成功体験しか蓄積してこなかった結果かもしれない。

 引率教員9人は、全員無線機や携帯電話を持っていたという。
 だが、その通信ツールは1つも役に立たなかった。
 ある教員は、何度も本部へ無線連絡を試みたが応答がなかったという。
 訓練開始前、本部と現場とで本日の訓練の打ち合わせをしている。
 その時の打ち合わせは、携帯電話でやり取りしたと本部責任者は言っていた。
 ならば、無線が通じなかったとしても携帯電話が使える状態だったはずで、なぜ、これを有効利用できなかったのか不明だ。
 本部に通じなかったとしたら、直接現場教員から警察に救助要請もできたはずだからだ。
 たぶん、現場教員も埋もれた生徒らの救出に大わらわで、救助要請の連絡をするというところまで気の回る状態ではなかったのかもしれない。
 
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ゴルフレッスンプロ1000人超がローン詐欺被害か

 東洋経済オンラインの報道による。
 レッスンプロ1000人超が破産の危機に瀕しているという。
 どういうことかというと、ゴルフ練習場のレッスンプロたちが、ある業者に不当な契約を結ばされ、多額の借金を背負うことになったという。
 ある業者とは、東京・港区のゴルフスタジアムという会社。
 そこが提供する、「ごるスタ」というウェブサイトの作成・運営管理サービスに絡み問題が起きた。
 
 この業者は、レッスンプロたちに無料でウェブサイトを作ると持ち掛け、実際にサイトを作成する。
 業者が無料でウェブサイトを作って終わりということはありえない。
 話には続きがある。
 最終的に契約書を取り交わす段階になると、「ソフトを買う形を取らせてほしい。ついては信販会社とクレジット契約も結んでほしい」と言い出す。
 無料でサイトを作るという話だったはずだ。
 その通り。
 サイトは無料で作った。
 ただ、サイトの運用には管理ソフトがいるので、それをローンで購入せよ、ということらしい。
 ウェブサイトを運用すれば広告料収入があるので、それを支払いに充てれば、実質、持ち出しにはならない。
 無料でサイトを作り、無料で運用できることになる、という理屈だった。

 はじめのうちは広告料収入もしっかりあり、それをローンの支払いに充てることで十分賄えた。
 ところが、今年の2月下旬になって、突然、広告料の支払いが滞った。
 それで、ローンの残債だけを抱えたレッスンプロが破産の危機に陥ったというわけだ。
 残債は少ない人でも300万円、多い人は900万円にも上るという。
 これで破産というのも大げさな感じもするが、急に多額の借金を背負わされた形になっているのは間違いない。
 いま、被害者の会が立ち上がり、信販会社に対して、回収をストップするように働きかけているようだ。

 これは、一時期流行したホームページ詐欺とよく似た手法だ。
 無料でホームページを作ると持ち掛け、管理料と称して、クレジット契約を結ばせる。
 サービスをローンの対象にできないので、管理ソフトという物品を対象にローンを組ませる。
 表向きは、毎月管理料を支払っているという形になる。
 客の方が、サービスを打ち切りたいと申し出ると、管理サービスは終わるが、ローンの支払いは終わらない。
 なぜなら、ローンの支払いは途中で打ち切ることができないからだ。
 ここで初めて客は、支払っていたのが管理料ではなく、ソフト代金のローン返済だったことに気づいてびっくりすることになる。
 
 今回の事例は、広告料収入でローンの支払いを賄うので、実質的な経費負担がないというのが前提だった。
 だが、毎月一定額の広告料収入が保証されているわけではないし、広告料収入とローン契約がリンクしているわけではなく、広告料収入があってもなくてもローンの返済は続く。
 ローンの期間は、7年84回。
 たかが管理ソフトにローンを組むこと自体があり得ないが、ソフトにこれほど長期のローン契約もあり得ない。
 これは、1回当たりの支払額を小さく見せることで、問題の発覚を避ける狙いがある。
 電話機のローン詐欺、ホームページのローン詐欺も、同じように7年84回だった。

 悪質商法であることに間違いないが、詐欺要件が立証できるかどうかは難しい。
 被害者は、スキームのすべてを理解したうえで契約書に署名捺印しているからだ。
 契約書に、ローン完済まで広告料収入を保証するという文言が盛り込まれていれば救われるが、たぶん、そんな業者に都合の悪いことは書いてないだろう。

 今回、なぜゴルフのレッスンプロばかりが被害にあったのかというと、もともとこの業者にゴルフ練習場との取引実績があり、そのコネクションを使って、この悪質ビジネスを立ち上げることを思いついたようだ。
 普段出入りしているゴルフ練習場や、仕事を世話してもらっている先輩からの紹介ということになれば、むげに断ることもできず、疑問に思いながらも契約してしまったという。
 不特定多数の一般の人々を対象としたものではなく、特定の業界の濃密な人間関係を利用した悪質ビジネスという点で特異なケースだった。
 

 
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2017年03月31日

NHK子会社の余剰金問題:競争原理から隔離された奇妙な事業体

 読売新聞・産経新聞の報道による。
 NHKの子会社13社の利益剰余金が2015年度末で計948億円に上ることが、会計検査院の調べでわかった。
 検査院はNHKに対し、子会社の剰余金の状況を把握し、適切な規模とするよう求めた。
 このニュースは何が問題か。
 一般に、子会社に剰余金があることは別に悪いことではない。
 だが、これがNHKだから問題なのだ。
 NHKの収入は国民の受信料で賄われている。
 その受信契約は放送法で強制されているもの。
 この受信料は、他の有料放送の視聴料とは全然違う。
 法律による強制力があることから、税金や社会保険料と同じような性格を持つ。
 それだけに、その使途については国民に明らかにする必要があるし、そこに無駄な経費があれば、厳しく削減が求められて当然だ。
 ところが、このNHKは民間事業者としての性格も持っているために、その経営内容には国民は立ち入ることができない。
 ここに不透明な点が残る。
 不透明な最大のポイントは、受信料がどのように使われているかだ。
 NHK本体だけ見ていては受信料の使われ方は見えない。
 NHKは関連会社に業務を丸投げしており、そこに受信料が流れているからだ。
 関連26団体のうち、9割以上が随意契約だという。
 つまり、仲間内に仕事を回し、そこに受信料を流してしまえば、NHK本体には剰余金は必要以上に出ないので、表向きは受信料は適正な規模で使われていると見せることができるというわけだ。
 受信料は子会社にふんだんに流れていく。
 それが子会社の剰余金という形で表れている。
 これを会計検査院が指摘し続けているのだ。
 だが、NHKは一向にこれを改めようとする気がない。
 
 検査院は05年度末時点の調査でも、子会社の剰余金が計759億円に上ると指摘し、剰余金が過剰にならないようにNHKに改善要請をしていた。
 にもかかわらず、10年たってその体質は変わらず、剰余金は増える一方だ。
 国民をなめ腐った態度としか言いようがない。
 今回の指摘に対しても、NHK広報局がコメントを出している。
 「検査結果を真摯に受け止め改革を進めていく」
 本当に改革する気がないのがまるわかりのコメントだ。

 なぜこのような体質が放置されているのか。
 1つは、NHKには競争原理が働いていないからだ。
 もちろん民放では競争原理が働いている。
 ところが、NHKだけは、競争原理から隔離された存在になっている。
 収入が法律で保障されている企業が、自ら経費節減の改革などするはずがない。

 もう1つは、国民によるチェックができていない。
 NHK予算は国会の審議を経て承認を受ける。
 ここで、形式上、国民のチェックを受けていることになる。
 だが、NHK予算が問題になったことはない。
 すべて、NHKの希望通りで承認される。
 「子会社に剰余金が出すぎているので、受信料をもっと下げよ」という議論が上がったためしがない。
 つまり、政治家がNHKの経営を問題にしないのだ。
 政治家がマスコミに介入することのタブーから、どうしてもここに強く切り込めない。
 本当は、総務省が本気でNHKを監督すべきだが、これも、マスコミの独立性の壁に阻まれている。
 総務大臣がNHK改革を口にすることはない。

 一方で、NHKは放送法の改正を望んでいる。
 受信料の徴収率が75%ほどにとどまっており、これを100%に近づけるために、いろいろな策を考えいるようだ。
 テレビを所有しているかどうかを全世帯に申告させる制度にしようとしている。
 申告用紙を全世帯に郵送し、テレビの所有の有無を申告させる。
 テレビがあれば契約を結ぶ。
 なければ契約の必要はない。
 ただし、テレビがあるのにないと申告した場合は、虚偽申告として刑事告発する。
 さらに、申告書を提出しなかった世帯については、テレビを所有しているものとみなして、契約の義務を課す。
 そして、テレビがなかったとしても、ワンセグが見られる携帯電話やカーナビを持っている場合は、契約の義務ありとする。
 このように放送法を改正しようとしているらしい。
 NHK側の都合だけを考えた法改正だ。
 
 東横インがNHKとの裁判で負け、19億円もの支払い命令を受けた。。
 客室に設置されているテレビ1台ごとに受信料を払えということだ。
 いま、受信料は世帯ごとの支払いになっているが、ホテルの部屋は世帯なのか。
 部屋ごとに受信料を徴収するということになると、その受信料は結果として宿泊客が負担することになる。
 宿泊客は、家庭ですでに受信料は負担しているはずであり、これは受信料の二重取りになってしまう。
 この辺は、放送法にきっちり決められているわけではなく、すべてNHKの勝手な解釈で行われていしまっているのが実態だ。
 
 放送法では、NHKの放送を受信することを目的としない設備を設置した場合は、契約の義務がない旨が明確に規定されている。
 ならば、NHKを見ることを目的としないテレビは対象外になるのではないのか。
 ワンセグ付きの携帯電話は、テレビを目的として購入しているわけではない。
 また、携帯電話は携帯するものであり、設置しているわけではない。
 そして、NHKだけが受信できないテレビがあったら、それは対象外になるのではないか。
 戦後間もないことに制定された放送法は、現状にそぐわないところがあり、放送法を改正するのであれば、NHKの受信料制度そのものを見直すところからやるべきだろう。

 子会社の剰余金の問題が放置されたまま、受信料の徴収率アップのための法改正などありえない。
 受信料はもっと安くできるはず。
 そして、法律で脅して受信料を巻き上げるようなことをしなくても、スクランブルをかけることで、徴収率100%は容易に達成できる。
 
 公的機関でもなく民間企業でもない不思議な事業体・NHK。
 競争原理から隔離され、国民のチェックからも隔離されている現状は異常だ。
 このNHKの問題は、全国民にかかわる重大案件だが、これを問題視する政治家や政党がほとんど存在しないのが不思議だ。
 



posted by 平野喜久 at 21:34| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月30日

てるみくらぶ経営破綻

 旅行会社てるみくらぶが経営破綻。
 3年前から粉飾決算を行なっており、2017年3月期では、126億円の債務超過に陥っていたという。
 時々、旅行会社の破綻がニュースになる。
 このようなニュースに触れるたび、「やはり、高くても大手旅行会社に頼んだ方がいいのでは」と思わせる。
 
 業界の過当競争と、現金商売で自転車操業がやりやすい業態による。
 いろんな旅行会社が様々なツアー商品を開発している。
 だが、その内容はどれも似たり寄ったり。
 そのために、ツアーの選択理由の1番は、値段の安さになりがち。
 特に中小の旅行会社は、値段の安さで集客するしかない。
 派手な広告と値段の安さで集客し、薄利多売で資金を回す。
 非常に危なっかしい営業形態だ。

 旅行会社は、客からの現金入金が先で、ホテルや航空会社などへの支払いは後になる。
 支払いは、2,3か月から半年後になるという。
 これが、自転車操業の誘因になる。
 派手な広告を打って、集客できれば、現金が手に入る。
 その現金を支払いに回す。
 やがて、販売したツアーは実行され、その支払い期日がやってくる。
 そのときまでに、次のツアーで集客し、現金を手に入れる。
 その広告は値段の安さを強調した派手なものになっていく。
 採算度外視の廉価販売なので、目先の集客は成功するが、問題は深刻化するばかりで、経営改善にはつながらない。
 これを繰り返すうち、負債がどんどん膨らんでいった。
 最終的には、前受金が100億円にまで達していたという。
 
 経営破綻した企業の事例を見ると、「どうして、もっと早くに撤退しなかったのか」と感じる。
 だが、早期撤退の判断は非常に難しい。
 早期撤退できるのは、かなりの勇気と決断力がある人だけだ。
 たいていは、もう少し、もう少しとずるずると深みにはまっていく。
 
 
 
 
 
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2017年03月26日

森友問題:本当に政権崩壊の恐れ

 籠池氏の証人喚問で、新たな人物名やFAX文書などの具体的な物証が明らかになり、騒動は拡大しつつある。
 本質の問題が拡大しているというより、周辺事情でいろいろな情報が取りざたされるために焦点が拡散してしまっている印象だ。
 メディアは、周辺事情の方が話題性があるため、「誰が嘘を言っているのか」という謎解きの面白さを強調しながら視聴率を稼いでいる。
 「総理や総理夫人が関与していることが判明したら総理退陣」という総理自身の発言があったために、この1点に野党と一部メディアの関心は集中している。
 テレビの情報番組では例外なくこの森友問題を取り上げるようになっているが、登場する識者が問題の本質に迫る発言をしても、そこに論点が移ることはまずない。
 あらかじめ用意されていたボードには、総理夫人と籠池氏とのやり取り、総理夫人と籠池夫人とのメールのやり取り、総理夫人付き秘書と籠池氏とのやり取りばかりが表示されており、話題はそこに集中する。
 司会者の「誰かが嘘を言っているはず。さて、真相はどこにあるのでしょうか」と大げさに煽る。

 総理夫人と籠池夫人との間で、メールのやり取りが頻繁に行われていて、証人喚問で籠池氏は「2月中は22回、3月に入ってからも15,6回行われている」と証言し、会場がどよめいた。
 籠池氏が「総理夫人から口止めともとれるメールをいただいた」と言ったことから、このメールに関心が集まることになる。
 そのメールを公開してもいいか、と籠池氏に質問したところ、「いい」という返答。
 総理も、総理夫人も公開を了承したため、公開されることとなった。
 ところが、直前になって、民進党から待ったがかかる。
 政府が公開したメール内容が、本物であるという確証がない、ということらしい。。
 このメールは国会には提出されなかったが、メディアには公開されたらしい。
 あるメディアが早々にネット上に全文をアップした。
 それを見ると、ほとんど籠池夫人からの一方的な愚痴と要求だった。
 内容が長文にわたっているので、何回にも分けでメールが送られており、それで、メール数があれほど大量になっていたのだ。。
 一方的なメールに、時々、総理夫人がメールを返信しているといった感じだ。
 その総理夫人の返信も、一方的な要求に戸惑いながらも、相手の感情を害さないように気遣いながら、なんとかやり過ごそうと苦慮する姿が見える文面だった。
 「口止め」を感じさせる文面はかけらも見られない。
 
 ところが、この公開されていたメール全文が、突然削除された。
 その後は、どのメディアも、全文から抜粋したやり取りだけを抜き出して紹介するというスタイルになる。
 メディアによってどの部分を抜粋するかが違うので、どのように報道するかでイメージが全然違って感じられる。
 これは、もはやメディアによる印象操作の域に達している。
 
 さて、一時、ネット上に全文公開していたメール全文は、いまでもネット上に画像データとして拡散している。
 そこには、民進党議員の実名が登場する。
 籠池夫人のメールの中で、呼び捨ての形で登場するのだ。
 民進党が公開に反対し始めた理由はこれだったことがここで分かった。
 民進党は一切、このメールについては、触れなくなった。
 メディアにも、このメールの内容はでたらめだから拡散しないように働きかけたようだ。
 それで、今では、一部抜粋の形での紹介になっているようだ。

 いまのところ、森友学園への国有地の払い下げについて、政治家の口利きがあったという根拠は1つも見つかっていない。
 ただ、籠池氏が「たぶん、口利きがあったのだろうと思う」と言っているだけ。
 まして、総理や総理夫人が口利きを行なったなどと本気で思っている人は、もはや誰もいないだろう。
 いま、野党側の焦点は「総理夫人が関与していた」という1点にある。
 関与といっても、積極的に働きかけたということではなく、最大に見積もっても、秘書に頼んで関係省庁に聞いてみただけ、というところが限界。
 当初は、「これほどの値引きが行われるのは不自然であり、何らかの働きかけが行われていたのに違いない」との見込みで、野党側の追及が行われたが、働きかけを行なった痕跡が見つからない。
 そこで、「積極的な関与」から「広義の関与」に切り替わった。
 「具体的に働きかけを行なっていなかったとしても、総理夫人と関係があったというだけで、国有地の払い下げ判断に影響を及ぼしたはず」という理屈になった。

 このフレームのずらし方は、慰安婦問題に酷似する。
 当初は、「日本軍が慰安婦を強制連行し、慰安所で働かせた」というフレームで話が始まった。。
 ところが、その根拠が1つも見つからない。
 ようやく見つかった唯一の証拠は、日本軍が出した慰安所の運営に関する通達文書だけ。
 この文書の内容は、慰安所の衛生管理と慰安所経営業者の不正を取り締まるという通達内容だった。
 唯一の証拠は、日本軍が少女を強制連行したとも、慰安所で働かせたとも言っていない。
 そこで、いつの間にか、「日本軍が関与していたことは事実」として、独り歩きすることとなった。
 実態は、日本軍が慰安所業者を取り締まっていたことを、「日本軍の関与」とし、まるで、日本軍が慰安婦を強制連行したかのようなイメージだけを拡大させることに成功した。

 今回の問題もそっくりな構図だ。
 総理夫人の積極的な関与を示す根拠が見当たらない。
 そこで、関与の解釈を拡大していった。
 秘書が関係部署に問い合わせたことをもって、「関与あり」と認定。
 そこからは、国民のイメージが勝手に拡散するに任せるだけでいい。
 「総理や総理夫人の影響で、国有地が不当に安く払い下げられた」というイメージが勝手に作られ、いつの間にか定着する。
 野党側は、これを狙っているように見える。
 いまのところ、野党側はせっかくつかんだ安倍政権への攻撃材料を簡単に手放すつもりはない。

 自民党側は、細かい事実関係を詳細に説明し、実態はそんなレベルの関与ではなかったことを主張しても、それはメディアに乗りにくい。
 ややこしい話は「受けが悪い」からだ。
 野党側のストーリーの方が単純で分かりやすい。
 メディアも単純ストーリーの方が説明しやすいし、興味深い演出ができる。
 「よく調べたら何も不正常な取引はありませんでした」では、収まりがつかなくなっている。
 この問題は、自然鎮静化することはない。
 中途半端に幕引きを図ろうとすると、あの慰安婦問題のように、長期に影響を及ぼす根の深い問題として定着してしまいかねない。
 慰安婦問題は、当初の日本政府は「いずれ真実は明らかになる」と軽く考え、安易な弥縫策を繰り返した。
 このことが、問題を深刻化させた。
 森友問題も、対応を間違えると、本当に政権崩壊につながりかねない根の深い問題になってしまいそうだ。

 
 
 

 

 
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2017年03月24日

籠池氏証人喚問:問題の本質は安倍夫人ではない

 昨日、籠池氏の証人喚問が行われた。
 いままで、籠池氏の参考人招致すら拒否し続けてきた自民党だったが、籠池氏がマスコミや野党議員の前で、不規則な発言を繰り返すようになり、その中に、安倍総理や総理夫人の関与を疑わせるような話が飛び出すようになったために、急遽、証人喚問ということになったようだ。
 自民党としては、放置しておくと、籠池氏はマスコミの前で言いたい放題になってしまうので、嘘をつけない証人喚問の場で発言させて、その真偽を正そうとしたのだろう。
 だが、結果として自民党の思わくは裏目に出た。
 籠池氏は、そんなやわな人物ではなかった。
 彼は国会の場で、ますます言いたい放題であった。

 この証人喚問で、籠池氏の思いがよくわかった。
 小学校設立に向けて、時間をかけて奔走してきた。
 その過程で、いろんな人に声をかけ、協力や支援を仰ぎ、理解をいただきながら進めてきた。
 そして、ほとんど完成し、4月開校を目前にして、その夢が瓦解した。
 いままで好意的に応援してくれていると思っていた人々が、掌を返すように離れていく。
 一番敬愛している安倍総理にまで「しつこい人」と言われ、その衝撃から、ついにスイッチが入れ替わった。
 我慢の限界を超えたようだ。
 自分一人が悪者にされ葬り去られてなるものかと、「怨念」ともいうべき情念を感じさせる答弁だった。

 各党の代表者による質疑は、いずれも迫力を欠いた。
 自民党の西田議員は、国会質問で、証拠を1つずつ出しながら相手を追い込んでいく手法を得意とする。
 だが、いつもと勝手が違う相手に本領を発揮できなかったようだ。
 100万円の受け渡し場面の証言が、安倍夫人の言っていることと違うことを指摘しようとするが、籠池氏は、その場面には自分と安倍夫人しかいなかったという設定をしており、本人の証言しか証拠が存在しない。
 矛盾を指摘しても、「私の言っていることが正しい」と堂々と断言させるだけで終わってしまった。
 籠池氏は、反証しようのない事項については、堂々と断言し、危ない事項については、答弁拒否という手段に出た。
 実に巧みであった。
 与党議員は、「籠池氏はでたらめな人物である」というイメージを浮き彫りにしようとし、野党議員は、「安倍夫人が深くこの問題に関与していた」というイメージを印象付けようとした。
 野党議員の関心は、安倍夫人の関与のところにしかない。

 そもそも、この問題を大きくしたのは、安倍総理の国会答弁がきっかけだった。
 「この問題に自分や妻が関与していたら、総理大臣も国会議員も辞める」
 これで、野党が浮足立った。
 安倍夫人が少しでも関与していた事実を1つでも見つけることができれば、安倍政権を倒せるのだ。
 いままで、圧倒的な強さを維持してきた安倍政権。
 攻撃材料がなく手詰まりだった野党の目の前に、いきなり黄金の斧が降ってきたのだ。
 これを使わない手はない。
 それで、この証人喚問でも、安倍夫人がいかにかかわっていたかに集中して発言を引き出していた。
 籠池氏も、安倍夫人といかに深い関係にあり、同じ思いで小学校設立に向けて取り組んできたかということを言いたいがため、野党質問への答弁は、ことのほか弁舌なめらかであった。
 今回の騒動は、安倍総理自身の失言が増幅したといってもいい。

 与野党議員の思わくがこんなところにあるため、問題の本質に迫れるはずがなかった。
 なぜ、国有地がこんなに安く払い下げられることになったのか。
 こんな怪しげな小学校設立に「認可適当」などという審査結果がでたのか。
 ここが本質のはずだが、これらは、行政側の問題であり、籠池氏をいくら追及しても、答えは得られるはずはない。
 証人喚問で、籠池氏は「驚いた。神風が吹いた」と言っていたが、この程度の理解しかなかった。

 だが、今回の証人喚問の中で、この本質に迫る場面がなかったわけではない。
 1つは、自民党・葉梨議員の質問。
 彼は、なぜ国有地払い下げがこれほど安く実行されたのかをボードを用意して説明していた。
 小学校予定地だけではなく、隣接する土地も別の団体に払い下げられており、その金額も同様に大幅に値引きされていた。
 それは、地中に廃棄物が埋設されておりその処理にどれほどのコストかわからない土地であることが原因で安く処分されていたらしい。
 森友学園にだけ不当に安く払い下げられたわけではないのだ。
 むしろ、森友学園の値引き幅は、他よりも少ないぐらいだったという。
 籠池氏は、金額の安さに驚いている場合ではなく、「なぜ、うちだけ値引き幅が少ないのか」と文句を言わなければいけない立場だったのだ。
 だが、葉梨氏は、この事情を説明するだけで、次の話題に移ってしまった。
 せっかくテレビ向けにボードまで用意し、最大の見せ場であったにもかかわらず、だ。
 ここは葉梨氏のミス。
 「この事情を知っていたか」と籠池氏に問いただすべきだった。
 そして、「これは、あなたに神風が吹いたわけではなく、順当な手続きでこうなっただけ」ということを認めさせればよかったのだ。
 この葉梨氏の重要な指摘は、質問の形になっていなかったため、籠池氏の答弁がなく、そのためにマスメディアでは取り上げられることがない。
 葉梨氏は惜しいことをした。

 だが、問題の本質はここにある。
 今後、行政側の人物の参考人招致が予定されているという。
 その中で、葉梨氏の挙げたような事情が明らかになってくれば、「政治家の関与で国有地が不当に安く売却された」という疑惑は一気に消滅する。
 今回の森友学園問題は、もともと問題といえるほどの内容すらない案件だったのではないか。




 
 
 
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2017年02月25日

情けない繊維統計不正操作:経産省

 経産省の奇妙な不正が発覚した。
 繊維製品の在庫量などを調べる「繊維流通統計調査」で長年、実態と異なる数値を記載していたという。
 40超の品目ほぼ全てで改ざんがみられ、10年以上前の数値がそのまま記載され続け、実際の数値と最大で10倍程度の差が生じた例も。
 経産省から業務を請け負う業者の告発があり、不正が発覚した。

 なぜ、こんな不正が行われていたのかというと、統計データが十分集まらなかったため、適当に作ってしまったというのが実態らしい。
 調査は行われていたようだ。
 だが、調査票を配っても有効な回答数が限られ、統計として発表するほどのボリュームにならない。
 そこで、前年の数値をそのまま流用するというような操作が行われた。
 中には、10年以上も同じ数値で推移している項目もあるという。
 前年データの流用を繰り返すうちに、実態とかけ離れた統計データが毎年発表されるという事態に至った。
 あまりにも実態と乖離しすぎたことに担当者も気づいていたらしく、統計数値を毎年修正しながら、実態に近づけていく操作も行われていたという。
 突然、数値が激変すると、その部分が目立ってしまい、理由を問われるからだろう。
 ただただ、問題が表面化しないようにごまかし続けようという痕跡だけが見える。

 このデータ操作の不正が奇妙なのは、動機があまりにも低次元だからだ。
 データ不正は、いままでもいろんなケースが発覚した。
 自動車の燃費偽装、耐震ゴムの性能偽装、医薬品の臨床データ偽装など。
 だが、これらはすべて民間企業による不正であり、その目的は、自社製品の性能を実態よりもよく見せようとする偽装であった。
 ところが、経産省の統計データの偽装には、そのような目的は存在しない。
 統計データを実態よりよりよく見せる必要はまったくないからだ。
 ならば、なぜデータ不正が行われたのか。
 それは、ちゃんとデータ収集できなかったことをごまかすため、だ。
 本来なら、まともなデータ収集ができないことを問題として取り組まなくてはいけないはず。
 調査方法が悪いのか、それとも、繊維業者が減少傾向にあり統計データを収集する規模でなくなっているのか。
 この問題を解決しようとすると、さらに大きな課題を背負い込むことになり、経産省の役人としては、触りたくなかったのかもしれない。
 意味のない統計だったら、廃止すればいいが、それにも正当な理由付けが必要であり、役人としてはエネルギーがいる。
 一番楽なのは、前例踏襲。
 それは、前年のデータを流用し続けて、目先をやり過ごすというやり方だった。
 担当者は、数年ごとに配置転換になる。
 誰も、自分の任期中に面倒なことをしたくない。
 問題があると分かっていても、それを先送りした方が、自分としてはコストが少ない。
 それで、このような奇妙なデータ不正が起き、それが継続する。
 いったい、これにかかわった役人らは、何のために働いているのだろう。
 役人の情けない実態を垣間見るような不正事件であり、脱力することこの上ない。

 経産省は、データ操作にかかわった職員計7人に対する処分を決めた。
 課長級を含む管理職4人は内規で最も重い「訓告」。
 4人のほかに業務を担当していた職員3人が口頭で「厳重注意」を受けた。
 これでも、役人の処分としては、最大級の重い処罰なのだという。



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2017年01月26日

韓国の寺に所有権:韓国地方裁判所

 韓国の大田地方裁判所が不思議な判決を下した。
 長崎県の対馬市の観音寺から、韓国の窃盗団によって盗まれた仏像「観世音菩薩坐像」について、韓国の寺に所有権があることを認め、韓国政府に対して仏像を引き渡すように命じた。

 この仏像は、韓国の窃盗団が2012年に対馬から盗み出し、韓国に持ち込んだ。
 窃盗団は韓国で捕まったものの、この窃盗団が「日本が盗んだものを取り返しただけだ」と言ったことから韓国世論が沸騰。
 窃盗行為を正当化し、窃盗団を英雄視する声が出始めた。
 日本政府の返還要求で、2体のうちの1体は返還された。
 だが、もう1体がそのまま韓国政府預かりになり、日本に返還されないままになっていた。
 そうこうしているうち、韓国の地裁から、日本の観音寺が仏像を正当に取得したことが証明されるまで、日本側への返還を差し止める仮処分が出て、身動きが取れなくなっていた。
 膠着状態の中、韓国の浮石寺が新たに提訴。
 韓国政府に対して、早期引き渡しを要求し、裁判所がそれを認める判決を出したという次第。

 浮石寺の所有権を認める理由は、「仏像は贈与や売買など正常な方法ではなく、盗難や略奪で(対馬市の観音寺に)運ばれたとみるのが妥当だ」とのこと。
 なぜ、盗難や略奪によると判断されるかというと、14世紀の朝鮮半島では倭寇という海賊が略奪行為を繰り返していたから。
 仏像に焼け焦げた跡があるのも、倭寇による略奪の証拠らしい。
 また、仏像に贈与や売買の記録がないことも判断材料となったという。

 まことに不思議な判決だ。
 何かの冗談か。
 韓国の裁判所は、いつもこの程度の判決を下しているのか。
 それとも、日本に関係することになると冷静な判断ができなくなるのか。
 今の窃盗事件を、14世紀の海賊行為に比肩して正当化するとは、まともではない。
 対馬から盗まれた仏像であることは明確である以上、まずは、対馬の観音寺に戻すのが常識的な判断だろう。
 韓国から日本へ仏像が渡った経緯に問題があり、韓国へ戻すべきだと主張するのなら、仏像を対馬に戻したうえで、改めて日韓政府間で交渉するというステップになる。
 だが、韓国で作られたものが日本にあるというだけで、反日感情に火が付き、冷静な議論は吹き飛んでしまう。
 裁判所は、いろいろ根拠を挙げているが、この程度の根拠で、所有権は浮石寺にありと判定する理屈が理解不能だ。
 法と根拠による冷静な判決というより、韓国世論の反発を受けないように、無理やり理屈を作ったという感じだ。
 地裁レベルでは、強力な世論に抗うパワーはなく、上級審へ丸投げして逃げたのだろうか。

 今回の判決は、韓国政府が敗訴した形だが、はたして政府が控訴するかどうか。
 控訴すれば、韓国世論の反発が激しい。
 かといって、このまま放置すると、判決が確定してしまう。
 そうすると、外国から盗んだ仏像を韓国の寺の所有物にするという非常識極まりないことを韓国政府が認めることになる。
 これには国際世論がびっくりだろう。
 韓国政府は、常に、国内世論と国際世論の板挟みにあって苦しんでいるように見える。



 
 
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2017年01月13日

国が禁煙強化案:施設内の全面禁煙へ

 厚労省は、飲食店やホテルなどの施設内を原則禁止にする方針を検討しているという。
 3年後の東京五輪を念頭に置いているらしい。
 禁煙対策はここまで来たかという印象だ。
 街中でタバコが吸える場所はどんどん減っている。
 愛煙家にとっては禁煙ファシズムともいえる一方的な強行に不満も大きいだろう。

 高度成長期の1960年代、日本の成人男性の喫煙率は85%もあった。
 健康な成人男性だったら、タバコを吸っていて当たり前と思われていた時代があったのだ。
 電車の客席には灰皿がついていた。
 窓の開けられない新幹線にはいつも煙が漂っていた。
 バスにもタクシーにも灰皿があったのだ。

 会社の会議室に、灰皿は必須の備品だった。
 会議はタバコを吸いながらするものというのが常識で、長引く会議室は常に煙が充満していた。
 応接室には、大理石の灰皿と煙草盆が用意してあった。
 その煙草盆には上等なシガレットと舶来の葉巻が入っている。
 上客が訪れたときは、応接室に招き入れ、お茶を出す前に、まず、「一服どうぞ」と煙草盆の蓋を取ってタバコをすすめるのがビジネスマナーとされた。
 客がタバコに手を出したときは、すかさず火をつけて差し上げる。
 このために、タバコを吸わない人でもライターを持ち歩く必要があった。
 このライターは、男性のステータスを表すグッズになっていた。
 自分のライターで火をつけた場合は、すぐにポケットにしまうのではなく、そのままテーブルの上に置く。
 その場に居合わせた男性のライターがテーブルの上に並ぶことになり、貧弱なライターを持っているものは肩身の狭い思いをする。

 街中での歩きタバコは当たり前。
 小さい子どもを連れ歩く親は、タバコの火が子どもの顔に当たるのではとひやひやした。
 歩きタバコの場合は、吸い殻は地面に捨て、足で揉み消すのが普通だった。
 路上にはあちこちに吸い殻が落ちていた。
 レストランでの喫煙も当たり前。
 タバコの煙が漂っていたのでは、せっかくの食材の香りや風味は台無しだが、喫煙者にとって食後の喫煙こそ至福の時であり、それを禁じるというのは思いにもよらないことだった。

 こんな状況が、80年代まで続いていたのだ。
 それが、いま施設内も全面禁煙を目指すところまで来た。
 この厚労省の方針に対して、外食産業の業界が反発している。
 これでは廃業に追い込まれる、と。
 たしかに、タバコが吸えることを売りにしている喫茶店もあり、そういうところは差別化が難しくなる。
 だが、施設内の禁煙はどんどん進んでおり、多くのレストランは分煙が当たり前になっている。
 高級レストランでは禁煙が当たり前だ。
 施設内が全面禁煙になったとしても、影響は少なそうだ。
 原則は全面禁煙とし、一部の飲食店舗だけ、認可制で喫煙可にすれば対応可能ではないだろうか。

 中国人の投稿動画で、電車の扉が開いた時に、自分の子どもに電車の中からホームに向かって放尿させている親の姿が話題になったことがある。
 日本では考えられない光景だ。
 オシッコをしたくなったら、必ずトイレを探してそこに行くというのが常識だからだ。
 今後、タバコはオシッコと同じになる。
 オシッコをしたくなったからと言って、所かまわずできるわけではない。
 同じように、タバコを吸いたくなったら、喫煙室を見つけ、そこに行くというのが常識になってくるだろう。





 
 

 


 
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2017年01月11日

日韓併合前夜はこんな雰囲気だったのか:韓国政府が責任放棄

 今回の慰安婦像の設置は、民間団体が勝手にやっていることで、韓国政府が関与しているわけではない。
 しかし、総領事館前の公共の場所に民間団体が勝手な像を設置するという違法行為を放置しているとすれば、それは政府の責任となり、日韓合意違反となる。
 昨年末に総領事館前に慰安婦像が設置されたとき、一旦、行政措置として強制撤去された。
 ところが、市民団体からの猛烈な抗議に行政側が耐え切れず、一転、設置を黙認することになった。
 この市民団体の猛抗議で政治や行政の対応が動いてしまうところが韓国の実情だ。

 韓国政府は、「当該機関で判断すべき問題」として釜山市に責任を丸投げした。
 釜山市もだんまりを決め込んだため、世論の批判は釜山市東区長に集中した。
 釜山市東区長は、「慰安婦像の撤去は課長がかってにやったことで、私は一度も設置を拒否していない」と釈明した。
 東区長の釈明インタビューの場面が報道されているが、市民団体からの猛烈な抗議に怯えきっている様子が見える。
 政府が外交問題として責任ある対応をすることができず、地方行政に責任を丸投げ。
 釜山市長も東区長も責任を受け止めることができず、結果として、名も知らぬ課長の責任を押し付けるというところまで落ちてしまった。
 誰も責任を受け止める覚悟がないまま、重要案件が漂流し続けている。
 日本側の抗議と毅然とした報復措置によって、韓国政府も何らかの対応をせざるを得ないところに追い込まれている。
 大統領代行を務めるファン首相がようやく政府としての公式見解を発した。
「日韓両政府だけでなく、すべての当事者が、合意の精神を尊重して、関係発展のために努力することが必要だ」
 ほとんど効力のあるメッセージ性はないが、これが、韓国政府として意思表示できる限界のようだ。
 韓国外交部は、釜山市東区に慰安婦像を撤去するように働きかけているらしく、それに対して区長は反発をしている。
「いままで、責任を丸投げしておいて、いまになって撤去せよとは納得できない。撤去するなら自分でやってくれ」
 国内世論と日本との板挟みにあって、責任を押し付けあう姿が見える。
 10日には、韓国政府内で、少女像を設置した市民団体と日本政府が話し合って妥協点を模索することを求める声が出始めたという。
 もう韓国政府としては対処不能と投げ出した格好だ。
 日本政府が直接韓国世論に働きかけ、対処してもらうしか方法がないということだ。
 これは、日本政府に韓国の委任統治を願い出ているようなもので、事態は深刻だ。

 歴史を振り返ると、日韓併合前夜はこんな雰囲気だったのかと思わせる。
 日韓併合は、日本が無理やり韓国を植民地化したと思われがちだが、実態は、韓国側の要請と国際世論の後押しで日本が合邦に踏み切ったというのが実態らしい。
 この日韓併合は、当時の国際社会でも東アジアの安定に資すると受け入れられた。
 ちょうど、今と同じ状況だ。
 韓国政府が日本政府に韓国世論への対処を願い出る。
 アメリカが日本に対応を求め、日本政府が韓国の市民団体と協議の場を持つようなことがあれば、あの日韓併合の再来だ。
 日本は同じ轍を踏むことはないだろう。
 だが、韓国政府は同じ間違いに踏み込もうとしてしまっている。
 あの日韓併合は屈辱の歴史ではなかったのか。
 韓国内の市民団体との話し合いを日本政府に求めるなどというのは、屈辱以外の何物でもないはず。
 ここにこそ、韓国世論は猛反発しなければいけないのではないか。
 
 
 
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2016年12月29日

不正競争防止法違反:コメダ珈琲のそっくり店舗

 「コメダ珈琲」にそっくりの店舗でコーヒー店を経営していたマサキ珈琲店。
 コメダ側が店舗の使用差し止めの仮処分を求めたのに対し、東京地裁は申し立てを認める決定をした。
 マサキ珈琲は、当初、コメダへフランチャイズ加盟を求めたらしいが、それがかなわず、酷似した店舗を建設したようだ。

 マサキ珈琲店の店舗は、外観が一見コメダ珈琲店とそっくりな作りになっている。
 外観だけではなく、内装もそっくりで、更に、メニューの内容までよく似ているという。
 これは、誰が見ても意図的にまねたと判断できるレベルだ。
 消費者の誤認を招く恐れ十分で、不正競争防止法に違反するとして、使用差し止めの決定となった。

 この外観がよく似ていることをもって使用差し止めになるケースは珍しい。
 コメダ店舗が特別に特徴的な外観をしているわけではない。
 外観が意匠登録されているわけでもない。
 レンガ造りの店構えにすれば、外観のイメージはよく似たものになるのは当たり前。
 屋根の形だって、入口の形状だって、バリエーションが無限にあるわけでもなく、結果として似たものになったとしても不思議ではない。
 それに、よく似ているという判断も非常に主観的なもので、線引きが難しい。
 それで、たいていは、外観が似ている程度ではなかなか使用差し止めまではいかなかった。 
 ところが、今回は、フランチャイズ契約がならなかったことで、わざとそっくりな店づくりをしたという判断が加わったことが、最後の一押しになったようだ。
 たまたま似てしまったということではなく、「意図的に店舗イメージをパクった」と判断されたわけだ。

 それにしても、マサキ珈琲店の物まねぶりは常識を超えている。
 フランチャイズ契約を拒否された腹いせに嫌がらせをしているかのようだ。
 何の知恵も工夫もない。
 プライドがあれば、敢えてコメダに対抗できるイメージ戦略で、ビジネスにおいて勝負をかけるところだ。
 コメダ側としても、こんなタチの悪い者に絡まれて余計な労力を費やすことになり、いい迷惑だろう。






 

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将棋連盟の対応ミス:三浦九段の不正なし

 プロ棋士の三浦弘行九段が対局中に将棋ソフトを不正使用した疑い。
 日本将棋連盟が設置した第三者調査委員会は
「三浦九段が不正行為に及んでいたと認めるに足る証拠はないと判断した」
 と発表。
 一方、連盟が年内の公式戦への出場停止処分を下したことは「やむを得なかった」とした。

 今回の不正疑惑は、7月下旬からくすぶり始めていた。
 三浦九段が対局中に頻繁に離席し、時にその離席が長時間に及ぶことがあり、その不自然さから不正行為の疑いがもたれ始めた。
 8月には連盟が、不必要な離席を控えるように通達。
 10月には、対局場への電子機器の持ち込みを禁止する措置を決定した。
 ところが、三浦九段が竜王戦の挑戦者に決定したことから、対戦相手の渡辺竜王から連盟に問題提起が出された。
 渡辺竜王の問題提起は、週刊誌に取り上げられるところとなり、その発行を目前に連盟側は三浦九段の出場停止処分を決定。
 同時に、竜王戦の挑戦者を別に差し替えた。
 その後、第三者委員会を設置し、一か月にわたって調査をしたところ、三浦九段の不正を疑わせる根拠がないことが判明した。
 
 第三者委員会の調査によると、主に3点が指摘された。
1、30分に及ぶ離席はなかったこと
2.所有するスマホ等に将棋ソフトが存在しないこと。
3.将棋ソフトの手との一致率もそれほど高くないこと。

 映像解析から、小刻みな離席は確かにあったが、30分にも及ぶ離席はなかったという。
 30分の離席は、対戦相手から訴えられていたものだが、そもそも、疑いのきっかけと思われていた事実から違っていた。
 それに、将棋ソフトの手と不自然なほど一致していることも指摘されていたが、実際にはばらつきがあり、一致率が高いと言っても、他の棋士でもソフトと手が一致するケースはよくあることと判断された。
 特に、終盤になると勝ち筋は一本道になるので、実力のある棋士であれば将棋ソフトの手と一致するのはむしろ当たり前と言える。
 不正を疑う者の中には、人間では考えられない手を打っており、この不自然さはプロでなければわからない、と言っているものもあった。
 だが、これはかなり乱暴な見解だ。
 「実力のある自分が見て不自然な手は不正によるもの」という決めつけは、あまりにも傲慢だ。
 
 ここで問題は、対戦相手の渡辺竜王が三浦九段の不正を決めつけ、連盟に直訴したことではない。
 直訴を受けた連盟側の対応に問題がある。
 きっちりした調査もしないまま、三浦九段の出場停止を決めてしまったことだ。
 なぜ、これほど処分を急いだのか。
 それは、週刊誌報道が目前に迫っていることを知ったからだ。
 竜王戦の開幕後に週刊誌が発行されると、大問題になり、竜王戦の中止に追い込まれるかもしれない。
 それを恐れた連盟が、急いで挑戦者の差し替えを行い、竜王戦の無事な開催を優先させたのだ。
 週刊誌は、騒動が大きくなることを目的として、竜王戦開幕後の記事発表を仕掛ける。
 その記事発表は事前にリークし、騒ぎを大きくしておき、記事への注目度を最大に高めたところで週刊誌の売り上げ拡大を狙う。
 連盟は、その週刊誌の策略に乗せられてしまった格好だ。
 連盟は、自らの保身のために、三浦九段の棋士生命を犠牲にしたことになる。
 
 連盟がこれほど神経質な対応になっている背景には、将棋ソフトの実力がプロ棋士をしのぐほどになってきたことがある。
 人間では思いつかない手を打つと「これはソフトを使って不正を行なった結果だ」との疑惑が同じプロ棋士から上がる。
 これは、プロ棋士事態が、自らのプロ将棋の世界を貶めているように見える。
 いったいプロ棋士とは何か、というところが揺らぎ始めているのだ。
 今回の将棋連盟の杜撰な対応は、連盟自体の信用度を下げたが、同時にプロ将棋の世界のイメージダウンももたらした。
 将棋の公式戦はスポンサーの支えがあって、維持できる。
 スポンサーの支えは、国民世論の動向次第。
 国民の理解の得られないイベントはスポンサー離れを起こす。
 

 第三者委員会は、出場停止処分はやむを得なかったとの判断をつけたしている。
 これは、調査委員会としては言い過ぎだ。
 調査委員会は不正の有無の調査を依頼されているだけで、連盟側の処分の是非まで問われていない。
 
 、
 
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2016年12月19日

ユーキャンのイメージ悪化:事後対応のミス

 産経新聞の報道による。

 今年の「ユーキャン新語・流行語大賞」について、生涯学習・通信講座のユーキャンが公式サイトで見解を出したという。

「協賛という立場である弊社は、審査員の選定やワードに関して意見を申し上げる立場にございません」

 今年の新語流行語大賞のトップテンに「保育園落ちた日本死ね」が入賞したことで、批判が巻き起こった。
 批判の矛先は、選考委員だけではなく、協賛企業のユーキャンにも向けられた。
 ネット上では、「資格試験落ちた。ユーキャン死ね」という言葉が飛び交い、ウィキペディアのユーキャンのページは、一時、「株式会社ユーキャン死ね」に書き換えられた。
 ユーキャンは、このイベントの主催者ではなく、ただのスポンサーに過ぎない。
 お金を払ってイベント名の冠に「ユーキャン」という社名を入れてもらっているだけ。
 選考委員の選定にはかかわっていないし、流行語の選び方に影響を与えているわけでもない。
 だが、イベント名にユーキャンの名前が目立つために批判の標的にされた。
 
 今回の騒動で、ユーキャンは企業イメージを悪化させてしまった。
 ほとんど言いがかりともいえる批判を浴びた結果で、ユーキャンとしてはとんだ災難だったという思いだろう。
 だが、これは、ユーキャンの事後対応に問題があったと言わざるを得ない。

 スポンサーとして協賛しているイベントで問題が起きた場合、協賛企業のイメージ悪化は避けられない。
 そのイベントの注目度が高いからこそ、スポンサーとして企業名を出しているはずで、それだけ影響力のあるイベントであれば、問題が起きたとき、この悪影響も大きなものになるのは当たり前だ。
 企業イメージへの悪影響が出るのは分かり切っていたのに、何も手を打つことなく、事態の鎮静化を待つばかりだった。
 事態が鎮静化するどころか、企業イメージが傷ついたまま終わってしまいそうなのに危機感を覚え、ようやく企業としての見解の公表となったのだろう。
 しかし、このコメントは、企業イメージの回復に役立っていない。

 ユーキャンとしては、「我が社としてはただのスポンサーで、審査員や流行語の選定に関与しているわけではない」と言っている。
 だが、こんなことは、みんなが承知していること。
 誰もユーキャンがこの流行語を選んでいるなんて思っていない。
 「日本死ね」などという言葉を流行語にしようとするイベントそのものへの不信感が、スポンサーへの批判に向かっているだけなのだ。
 イベントの内容に意見を言う権限がなかったとしても、国民の反感を買うようなイベントに協賛しているということ自体が問題視されている。
 視聴者の反感を買うテレビ番組に対しては、スポンサー企業への不買運動が起きたりするのと同じ。
 だから、単にカネを出しているだけのスポンサーなら、なおのこと、迅速な対応が必要だった。

 騒動直後にユーキャンが真っ先に表明すべきは、「今回の流行語については、多くの国民の皆様と同じように違和感を覚える部分がある」ということだった。
 そして、「今後の協賛の継続については、検討の余地があるかもしれない」と含みを持たせておく。
 これだけで、企業イメージの悪化は最小限に抑えられる。
 本当にただのスポンサーなのだから、企業イメージの向上に役立たないとなれば、協賛を中止するという判断は、当たり前の行動だろう。
 むしろ、その行動が多くの国民の共感を得て、企業イメージの向上につながったかもしれない。

 今回の騒動は、今年たまたま起きたわけではない。
 ここ数年の流行語の選定に対して、その基準がおかしいと指摘され続けてきた。
 その蓄積した違和感が、今回の「日本死ね」で一気に爆発したというのが実態だろう。
 国民の感覚と乖離したイベントになってしまったことが問題なのだ。
 しかも、その兆候は以前からあった。
 そして、国民の我慢の限度も、今回の騒動ではっきりした。

 来年のこのイベントはどうなるのかが注目される。
 今回批判に晒された選考委員の一人は、批判する人たちを小ばかにした後、「来年も同じ基準で選考する」と強気な物言いで突っぱねていた。
 選考委員は来年も当然のように選考委員でいると思っている。
 まるで、選考委員の席は終身で保障されているかのようだ。
 本当に来年も同じ選考委員で行うのか。
 同じ顔触れで行うとして、2つの展開が考えられる。
1.批判に屈せず、同じようなサヨク好みの選定が行なわれる。
2.批判回避を優先して、わざとインパクトのない選定が行なわれる。
 どちらにしても、このイベントの信頼度は更に低下することは避けられない。

 このイベントを今後も続けるのなら、主催者が取り組むべきは、選考の仕組みの一新からだろう。


 

 
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2016年12月07日

ユーキャン流行語大賞に存在意義はあるか

 ユーキャン新語流行語大賞をめぐって議論が絶えない。
 年末恒例のイベントになった流行語大賞の発表だが、最近、その設定基準がおかしいとの指摘が上がっている。
 今年は、「神ってる」大賞になった。
 広島カープの快進撃ぶりを驚きとともに讃えた言葉。
 野球ファンにとっては、なじみがあったのかもしれないが、それ以外の人には縁がなかった。
 
「こんな言葉、どこで流行ってたの?」
「周りで誰もこの言葉を使っている人がいないんだけど」
 という声があちこちから。

 多くの人が違和感を覚えたのは、「保育園落ちた。日本死ね」がトップテンに入ったこと。
 「○○死ね」というような呪詛の言葉が流行語に入れられていることに反発が起きているのだ。
 更に、授賞式では、民進党の議員が満面の笑顔で登壇していたことも、人々の違和感を増幅した。
 
 このような違和感は去年も指摘されていた。
 去年のトップには「トリプルスリー」が入っていたが、これも野球関連で、一般の人になじみがなかった。
 更に、トップテンには、「あべ政治を許さない」が入っていた。
 この「あべ政治を許さない」は、野党議員が国会内で採決に抵抗するときにカメラ向けにビラを掲げていたが、そのビラにかかれていた言葉だ。
 ニュースでその映像を見ることがあったが、この言葉が一般に流行していたとはとても言えない。

 最近の流行語大賞は、選考委員の意図的な選考になっている。
 6名の選考委員が公表されているが、とても一般国民を代表しているように見えない。
 さすがに、今年の「日本死ね」には、ネット上では異論が噴出した。
 その異論に対して、選考委員の一人が反論しており、そのことが更に騒ぎを大きくしている。
 
 選考委員の一人は、「議論を呼ぶもの、問題を喚起するものとして選んでいる」と説明した。
 流行語とは、人々の間で流行した言葉だと私たちは思っているが、選考委員は勝手にその基準を変えてしまっている。
 それに、本当に議論を呼ぶものを選考基準にしているのだったら、もっと別のキーワードがいくらでもあった。
 「生前退位」は、その筆頭だろう。
 これなど、日本の国家観まで左右するような本質的な議論がいまだに絶えない。
 だが、この言葉は、ノミネートさえされていない。
 単に選考委員が、個人的に問題視し記録に残したい言葉を、勝手に選んでいるだけというのが実態だろう。

 この選考委員は、こうも述べた。
「難しい専門用語が入っているわけでもない。「ニュースぐらい見ろ」と言いたい」
 選考委員であることが何かの権威であるかのような、この上から目線の横柄な言動は目に余る。
 この思い上がりが、一般国民との意識の乖離をもたらしているのだろう。
 今年の流行語を数人の選考委員の思わくで決定しているこのイベント。
 一般国民の支持は失われつつある。

 本当に、今年流行した言葉は何だったのかは、誰もが知りたい。
 こんな恣意的な選考ではなく、もっと科学的な選考をしてもらいたい。
 「ニュースで最も多く取り上げられた言葉」
 「検索エンジンで最も多く検索された言葉」
 「ツイッターで最も多くつぶやかれた言葉」
 これだったら、特定の意図が介在しない客観的なデータが得られるだろう。
 ここにこそ、本当の世相が現れるのではないだろうか。

 ユーキャン流行語大賞は、過去の受賞記録とともに永遠に残る。
 過去の受賞記録を振り返ることで、その当時の世相を知ることができる。
 だが、今回のような意図的な流行語の選定が行なわれると、世相を間違って記録してしまうことになる。
 例えば、20年後に今の受賞記録を見た人は、「あべ政治を許さない」「日本死ね」という言葉を見たら、当時の国民は政府や国に対して反感と不信感を抱いていたと勘違いするだろう。
 こちらの方が、問題が大きい。
 
 このようなユーキャン新語流行語大賞に存在意義はあるのか。





 
 
 
  
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2016年12月06日

キュレーションサイトの害悪:WELQ

 DeNAが運営するキュレーションサイトWELQが批判に晒されている。
 WELQは、健康医療に関する記事を集めた情報サイト。
 検索エンジンでも常に上位に表示される目立つサイトだった。
 ところが、その記事内容があまりにもお粗末だったため、あちこちから疑問の声が上がり、炎上となった。
 騒動の大きさに驚いた運営者は、サイトを慌てて閉鎖したようだ。

 この手のキュレーションサイトは、人々が関心を持ちそうな情報を手軽に入手できる情報源として利用者が多かった。
 だが、その運営の実態が分かるにつれて、その信憑性はもはや地に落ちた。
 WELQの場合、自由な投稿者の記事によってなりたっている風を装っているが、実際は、クラウドワーカーによる記事の粗製乱造によるものだった。
 1記事につき1万文字以上で報酬数千円というのが1つの相場らしい。
 記事内容の精度は求められず、キーワードを多く含んだボリュームのある記事を量産することだけを求めていたようだ。
 SEOライティングと言って、検索エンジンにヒットしやすい記事の書き方がある。
 そのSEOライティングにあった記事が求められるのだ。

 この手の文章は、不自然で読みにくい。
 キーワードが頻繁に出てくる。
 同じキーワードが頻繁に出てくるサイトは、検索エンジンにかかりやすい。
 だから、指示語を使わず、キーワードをしつこいぐらいに繰り返す文章になる。

 記事の情報量が豊富。
 情報量の多いサイトほど充実していると判断され、検索エンジンでヒットしやすい。
 だから、ただ文字数を稼いでいるだけのような無意味な文章がだらだらとつづられることになる。

 これらの記事ライターは、全くの素人がアルバイト感覚で取り組んでいるらしい。
 だから、実際の知見に基づいた記事でもないし、正確な情報を調べたり検証したりする作業も行なわれていない。
 ネット上で拾い集めた文章をコピペして、一定の分量の記事にひたすら仕上げているだけ。
 内容がいい加減になるのは目に見えている。

 問題は、DeNAという有名な上場企業がこのサイトを運営していること。
 この運営企業の知名度が、このサイトにお墨付きを与えてしまっているのだ。
 これが、匿名による怪しげな個人ブログだったら、誰も注目しないし、問題にもしないだろう。

 DeNAの事業戦略としては、ゲームの売り上げが低下傾向にある中、次の収益の柱の1つとして、このキュレーションサイトの運営事業があったのだそうだ。
 普通なら、情報メディアとしての人気と信頼度を獲得するには、時間がかかるし、地道で継続的な取り組みが必要だ。
 だが、ベンチャーのDeNAにそんな悠長なビジネスモデルはありえない。
 それで、安易な方法で記事を量産することで、一気に存在感のあるメディアを作り上げようという作戦だったのだろう。
 人気メディアを持つことの狙いは、広告収入にある。
 多くのアクセスがあるかどうかが最大の目的になる。
 だから、記事内容の信憑性よりも、SEO対策を徹底させて、アクセスさせることだけを狙った記事の量産になった。

 WELQの記事は、医療情報の内容がでたらめという点で、薬機法(薬事法)違反という問題とともに、他人の文章を勝手に剽窃、改竄しているという点でも問題があった。
 これらは、ネットの抱える問題として古くから指摘され続けてきたことだ。
 ネットベンチャーともいえるDeNAが、ネットの問題を丸抱えしたようなビジネスを行なっていた。
 あまりにも安易であり、レベルが低すぎる。
 こんなことをすれば自らの事業領域を破壊するようなものということが分からないほど、目先の事業展開に行き詰まっていたということか。





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2016年10月27日

マンスリーマンションの入居者に受信料支払い義務なし:東京地裁判決

 マンスリーマンションに入居した20代の男性が、NHKに受信料を不当に支払わされたとして、NHKに受信料1310円の返還を求めた訴訟。
 東京地裁の判決は、「部屋にテレビを設置したのは物件のオーナーか運営会社であり、男性には受信料の支払い義務はなかった」として、NHKに1310円の支払いを命じた。

NHK側の主張はこうだ。
 「マンションの運営業者は『受信料は入居者が負担する』と明示していたほか、テレビを使っていたのは男性で、受信契約を結ぶ義務があった」
 この主張は明らかにおかしい。
 放送法では、受信機を設置したものに受信契約の義務を課しており、設置者がこの男性でない以上、契約の義務はなく、したがって支払いの義務も発生しないのは当然だ。
 NHKが「テレビを使っていたのは男性だ」と言っているが、これは、NHKが言ってはいけない言葉だろう。
 つまり、テレビを使ったかどうかで、受信料の支払いが発生するかどうかが決まると言ってしまっているからだ。
 放送法では、テレビを視聴したかどうかで受信料の支払い義務が発生するわけではない。
 テレビを見るか見ないかは関係なく、テレビを設置したことをもって契約の義務ありということになる。
 テレビの所有者に公平に負担してもらうためにこういう制度になっている。
 視聴料ではなく、受信料という名目になっているのも、このためだ。
 NHKも普段からこのように主張しており、「NHKは見ないから」という言い逃れは許さなかった。
 なのに、今回の裁判では、NHKは、この男性がテレビを使っていたことをもって、支払い義務ありという主張をしてしまっている。
 自家撞着をきたしている。
 裁判に勝つために、弁護士が無理やり理屈を作り上げたために、齟齬をきたしており、そこを裁判官に突かれた形となった。
 特に、「テレビを使っていた」という奇妙な表現で、ずいぶん、無理をしているのが分かる。
 普通なら「テレビを見ていた」というべきところだが、それだと、テレビの視聴が支払い義務の条件になってしまうので、「テレビを使っていた」という不自然なことばで逃げようとしたのだろう。
 テレビを見なかったとしても、居住スペースにテレビがあるだけで「使っていた」という解釈にもっていこうとしている。
 我が家にガスコンロがあるだけで、ガスを使っていたことにされるようなものだ。
 これほど、一般国民の常識とかけ離れた解釈はない。
 NHKの受信制度は、あまりにも現代の私たちの感覚とかけ離れすぎている。
 こんな無理筋の主張をしなければ受信制度を維持できないのだとしたら、この受信制度そのものが現代にそぐわなくなっているということだろう。
 いい加減に、根本から制度を見直すべきときが来たといえる。






 
 
posted by 平野喜久 at 18:39| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月26日

ワンセグ携帯電話に受信料支払い義務なし:さいたま地裁判決

 NHKの受信契約について、画期的な判決が出た。
 ワンセグ機能付きの携帯電話を所有しているだけで、NHKの受信料を払う義務があるのかを争った裁判。
 さいたま地裁は、携帯電話の所持は、「受信設備の設置」というには相当の無理があるとして、NHK側の主張を退けた。
 NHKが全面敗訴したという意味で画期的な判決だが、よく考えてみれば、至極常識的な判決だった。
 むしろ、携帯電話を所持しているだけで受信料を徴収しようとするNHKの論理こそ異常だった。
 携帯電話にも受信契約の義務があるというのは、法律に規定されているものではなく、NHKが勝手な法解釈で主張していたに過ぎない。
 そのことに多くの国民は疑問を感じていた。
 NHKの集金人は当たり前の顔をして、「携帯持ってるなら契約義務がある」と言うし、NHKサービスセンターに確認しても同じことを言う。
 だが、携帯電話を持つだけでNHKに受信料の支払い義務が発生するという理屈は、一般の国民の常識を超えている。
 ワンセグという電波のすき間を利用して余剰的に発信している放送と、ハイビジョン大画面で観るフルセグ放送とが同等の受信契約というところから納得感がない。
 画質や音質は全く違うし、ワンセグの場合は受信できないエリアが多い。
 受信料を徴収する以上、難視聴地域については、NHKが対策を施す義務を負うが、ワンセグについては、NHKは何も対策を行なっていないし、行うつもりもない。
 これで通常の受信料を徴収しようとするのは、誰が考えても明らかにおかしい。
 個人がNHKの主張に納得できないからといって、集金人に反論しても埒が明かない。
 サービスセンターに連絡して担当者と議論しても問題は解決しない。
 集金人やサービスセンター担当者は組織の一員であり、ただNHKの主張を繰り返すだけで、何の権限もないからだ。
 そこで、埼玉県朝霞市の市議会議員、大橋昌信氏が、問題提起を兼ねて裁判に訴えたのだ。
 NHKの非常識な屁理屈が粉砕されたのはよかった。

 判決では、携帯電話は、受信設備の「設置」ではなく、「携帯」である以上、契約義務はない、と解釈した。
 法律の条文解釈に限定している。
 一般常識や国民感情などはあえて考慮から外しているところに注目だ。
 というのは、NHKこそ、一般常識や国民感情を無視して、放送法の条文だけを盾に受信契約を強要してきたからだ。
 今回は、その放送法の条文をもってNHKの主張を退けたところが画期的であった。
 NHKは当然、最高裁まで上訴し続けるだろう。
 しかし、今回の判決はシンプルで隙がなく、覆ることはなさそうだ。
 NHKがどうしても携帯電話にも契約義務を課したいなら、放送法の改定しかない。
 そうなると、NHKの受信契約のあり方が改めて国民の前で議論されることになる。

 もともと、携帯電話は受信契約の対象ではなかった。
 ところが、テレビを所持していないことを理由に受信契約を拒否する世帯が増えてきたために、「だったら、携帯電話があるだろう」となった。
 いつのまにか、携帯電話も受信料の対象となっていた。
  
 NHKはなぜ、一般国民の常識に寄り添おうとしないのだろう。
 NHKは何を守ろうとしているのだろう。
 NHKは何を恐れているのだろう。

 NHKの完全スクランブル化による受信契約の透明化。
 これこそ、最も納得感の高い仕組みであり、NHKが国民に支持される道ではないのか。  

posted by 平野喜久 at 16:36| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月04日

集中豪雨による鉄道全面運休:名古屋

 8月2日の夜は名古屋駅周辺が大変な混乱状態にあった。
 名古屋〜岐阜間の集中豪雨により鉄道が運休したためだ。
 集中豪雨に伴い雷も発生しており、停電の恐れありということで、豊橋から大垣までの広い範囲で全面運休となった。
 JRだけでなく、名鉄まで運休したので、行き場を失った客がたちまち駅にあふれかえることとなった。
 この運休は簡単には解消しなかった。
 4時間ほどたってようやく運行再開となったが、直後にどこかの駅でホームから人が転落する事故が起き、再び運行中止となった。
 最終的には、340分遅れで電車が動き始め、この混乱は、日付が変わった後まで続いたという。

 この時の混乱の様子は、ツイッターに投稿された写真を見るとよくわかる。
 金山駅では、改札に入れない人であふれている。
 名鉄も止まっているので、金山駅のあの広いコンコースは、全面、人で埋め尽くされている。
 名古屋駅の改札内の様子を写した画像もある。
 ホームに上がる階段通路はヒトで埋め尽くされ、身動きできない状態。
 電車がなかなか動かない苛立ちと、人いきれの熱気で、この群衆の不快指数はピークを迎えていただろう。
 ひとりこければ、たちまち群衆雪崩が起きそうな危険な状態にあったことが分かる。
 危機管理の観点で言えば、このような不快指数の高い群衆の中に身を置いてはいけないというのが鉄則だ。
 鉄道会社の「再開の見込みは立っていません」というアナウンスを確認したら、ただちに別の行動を開始すべきだ。
 タクシーによる帰宅を考えるか、その日の帰宅は断念し、ホテルの宿泊を考えるか、だろう。
 タクシーは簡単に出払ってしまうし、周辺ホテルはすぐに満室になる。
 いち早い判断と行動がわが身を助けることになる。

 今回のできごとから、鉄道の全面運休が起きると、1時間もしないうちに駅はヒトであふれかえり、危険な状況が発生するということが分かる。
 このことは、地震の時の教訓になる。
 地震により公共交通機関が停止すれば、たちまち行き場を失った人たちで駅周辺はあふれかえる。
 この群衆の過密と混乱を放置していると、2次災害を招く恐れがある。
 いま、都市部の自治体が、地震発生時の帰宅困難者対策を真剣に行なうようになったのは、このためだ。
 駅周辺の事業者に協力を要請し、万が一の時の帰宅困難者の一時受け入れをお願いしている。
 駅周辺の事業者も、普段、駅周辺という至便の立地で事業を行なえている恩恵に報いるためにも、いざという時の社会貢献が期待されている。
 事業者によっては、食料の備蓄を増やし、寝袋や毛布の用意をして、いざという時の帰宅困難者の受け入れの準備をしているところが増えてきた。
posted by 平野喜久 at 10:33| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月01日

1人1票ではない選挙制度

 ただいま参議院選挙期間中。
 ここで、選挙制度について考えてみる。
 日本の選挙は、1人1票が原則となっている。
 私たちは、これが当たり前と思っているが、果たして1人1票が民主主義の唯一の基本原則なのだろうか。
 昔のように、納税額や性別で選挙権が制限されていた時代に比べれば、現在の1人1票の選挙制度は、格段に進歩したといえるが、これは、民主主義の到達地点ではない。
 より民意を正確に結果に反映させるにはどういう制度がいいのか。
 1人1票ではない選挙制度を考えてみよう。

1.定数と同じ人数を選べるようにする
 例えば、今回の参院選、東京選挙区では、定数6に対して31人が立候補している。
 この場合は、有権者は、31人の中から6人を選んで投票できるようにする。
 これで、当選者6人の構成バランスのあるべき姿を有権者が決められるようになる。
 31人の中から、たった1人を選ぶのは非常に難しい。
 一人ひとりの政見を比較検討して選ぶよりも、見た目の印象とか知名度で1人決めてしまえば、それ以上有権者が考える余地はなくなってしまう。
 ところが、定数と同じ人数を選べるとなると話は違う。
 6人の構成バランスを考えなくてはならなくなる。
 6人全員を保守系の候補者で選ぶ人がいるかもしれない。
 中には、2人を与党、2人を野党、2人を無所属で、バランスよく選ぶ人もいるかもしれない。
 その組み合わせは自由だ。

2.各候補者の評点投票にする
 有権者が候補者の中から1人を選ぶのではなく、すべての候補者に評点をつけて投票する制度。
 例えば、A候補は、政策も人柄も共感できる人物ということであれば、評点5を投票する。
 B候補は、人柄は好感が持てるが、政策が望ましくないと判断すれば、評点3を投票。
 C候補は、共感できるところが何もなく、政治家になってほしくないと判断すれば、評点マイナス5となる。
 その人物をよく知らないので、評価できない場合は、空欄で投票する。
 マークシート方式であれば、投票も集計も簡単だ。
 こうなると、有権者はすべての候補者を真剣に検討しなければならなくなるし、立候補者も、単に名前を連呼しているだけでは当選できなくなる。
 また、従来なら知名度が高ければそれだけで当選確実であったが、この方式では、有権者からマイナス評価が高いと当選圏内を外れてしまう。
 知名度の高い人ほど、強烈なファン層がある一方、極端に毛嫌いする人も多い。
 だから、知名度やパフォーマンスだけで当選しようという戦略は使えなくなる。
 アメリカの大統領選が、この方式で行われていたとすると、ヒラリー氏もトランプ氏も最終候補に残っていないだろう。

 ほかにも様々な選挙制度が考えられる。
 それらは、次回以降に。





 
 
posted by 平野喜久 at 10:55| 愛知 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月23日

東電の「炉心溶融」隠蔽

 産経新聞の報道による。
 福島原発事故で、炉心溶融の公表が遅れた問題。
 21日に東電社長広瀬氏が記者会見を開き、隠蔽を認め謝罪した。

 16日に東電の第三者検証委員会が報告書を公表。
 その中に、当時の清水社長から「溶融という言葉を使うな」という指示があったこと分かった。
 それを受けて、今回の広瀬社長の謝罪会見となった。
 広瀬社長と原発担当の姉川常務の減給処分も公表した。

 5年もたって、ようやく隠蔽を認めた。
 深刻な事故であればあるほど、その危険性をいち早く住民に伝える必要があるにもかかわらず、それを隠し続けた罪は重い。
 炉心溶融に気づかずに公表が遅れたのではなく、その事実をつかんでいながら隠蔽していたことが問題だ。
 当時としては、「とにかく騒ぎが大きくならないように」ということが優先され、「情報は過少に、被害は軽微に」が情報公開の基本理念となっていた。
 政府、東電、保安院など、様々な組織がかかわっていたが、いずれも全責任を負う覚悟の者がいないために、事故の本質的な対応ではなく、表面的な騒ぎの鎮静化に焦点が当たってしまった結果だ。
 炉心溶融の公表が遅れたために、放射性物質の拡散の情報も公開されず、そのために、住民の適切な避難指示も出ないまま。
 このために、不必要な放射線被爆のリスクにさらされ続けることになった。
 事故の初動対応としては、まことにお粗末であった。
 福島原発事故については、様々なステップで対応の誤りが指摘されており、私たちが学ぶべき教訓がそこかしこに存在している。
 誰が悪かったという犯人捜しを目的にするのではなく、今後の教訓を得るための検証を徹底して行なってもらいたい。

 さて、この件で気になる問題がもう1つある。
 第三者委員会による検証報告書の中に、気になる記述があった。
 清水社長の隠蔽指示は「官邸側から要請を受けたと推認される」と指摘されている。
 第三者委員会としては、当時の官邸側に裏付け取材はしていないために、推認という表現にとどめているが、少なくとも、東電としては官邸に指示されたという認識であることは間違いない。
 当時の首相だった菅直人氏、当時の官房長官だった枝野幸雄氏は、直ちに反論。
 そのような事実はなかったとして、「党の信用を毀損する」と、法的措置も辞さない構えを見せた。
 参院選直前にこんな話が出てはダメージが大きすぎることから、過剰に反発した印象だ。
 これまで、各種の検証委員会による当事者へのインタビューが行われているが、菅氏の姿勢はひたすら「自分は悪くない」に終始しているように見える。
 原発事故という未曽有の大事故について、きっちり検証をして、後世への戒めを残さなければいけない立場にある。
 その時の当事者でなければ分からないことはたくさんあり、だからこそ自らの行いを謙虚に振り返り、そこから得られる教訓を示すべきだろう。
 にもかかわらず、その使命を放棄し、ひたすら自分の名誉を守ることだけに専念している。
 後世に伝えるべき貴重な経験があいまいなまま風化してしまいそうなのが心配だ。
 




 
posted by 平野喜久 at 13:29| 愛知 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする