2015年11月26日

エスカレーターの片側空けはやめよう

 千葉市は、急ぐ人のためエスカレーターで右側を空ける習慣などをやめるよう呼びかける新たな指針を策定し、市有施設の管理者に周知したという。
 このエスカレーター片側空けの習慣はいつの間に定着したのだろう。
 東京では右側を空け、大阪では左側を空ける習慣になっており、ややこしい。
 それ以外の地域ではどっちなのだろうと迷うことも多い。
 あるとき、知らないうちに追い越し側に乗り込んでしまい立ち止まっていたら、後ろから来た人に「すみませーん」と邪魔扱いされたことがある。
 まるで、こちらがマナーをわきまえぬ無神経な人間であるかのような非難のニュアンスを含んだ扱いだった。
 この地方では、こっちが追い越し側なのかと気づいて、慌てて先へ進んだが、気分の悪いことこの上ない。

 片側空けのマナーは、弊害が多い。
 片側を歩く人がいるために、荷物がぶつかったりする。
 荷物が当たるだけなら「ごめんなさい」で済むが、そのせいでバランスを失ったら?
 1人バランスを失って倒れこんだら、たちまち群衆雪崩が起きる危険をはらんでいる。
 大きな荷物をもって追い越し側に乗り込んでしまった場合は、人に荷物が当たらないように両手で抱えて歩いていくことになる。
 すると、手すりを持つことができず、非常に不安定だ。
 エスカレーターを歩くことがいかに危険であるかが分かる。

 また、2人乗りのエスカレーターでありながら、実質1人乗りになってしまっている場合もある。
 長いエスカレーターの場合は、歩いて登っていこうとする人は少ない。
 行列にたまりかねて、空いた側に乗り込んだら大変。
 そちら側に乗ったら、立ち止まることが許されないのだ。
 途中で休憩しようものなら、後ろがつかえ、先へ進めの暗黙の催促が来る。
 それで、誰も空いた側に乗り込もうとしない。
 それで、行列ができているのに、1人ずつ乗り込むことになる。
 すると、エスカレーターに乗ろうとする人の行列ができているのに、エスカレーターには1人ずつしか乗れないことになる。
 これほど効率の悪いことはない。

 また、4人家族で移動している時は、その4人が1列になってエスカレーターに乗ることになる。
 家族同士が横に並んで話をしながらエスカレーターに乗ることができないのだ。
 これは不自然な光景だ。

 そもそも、エスカレーターは歩くようには作られていない。
 手すりをもって立ち止まって利用することが前提だ。
 千葉市の提言は、エスカレーター本来の利用方法に立ち返ろうという呼びかけであり、大賛成だ。
 エスカレーターの片側を空けて道を譲るというのは日本人特有の謙譲の美徳の表れだが、これはいまや弊害の方が大きく、誰かが言いださないと、元に戻らない。

 名古屋市の金山駅のエスカレーターには、「歩かないで」と大きな垂れ幕が掲げられている。
 そのおかげで、エスカレーターを歩こうとする人はいない。
 利用者は余計な気遣いをせずに済む。
 2人で出かけているときでも、堂々と横に並んで乗れる。
 4人家族だったら、前後に2人ずつ乗り込んで、話をしながら乗れるのだ。
 これが本来の姿だろう。

 
posted by 平野喜久 at 11:15| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月06日

電通主導の出来レースだった:五輪エンブレム騒動

 五輪組織委員会は、エンブレム騒動をめぐって2人の人物の退任を発表した。
 エンブレムの制作を担当した槙英俊マーケティング局長と、選考で審査委員を務めた企画財務局クリエイティブディレクターの高崎卓馬氏だ。
 2人は、ともに東京五輪のマーケティング専任代理店である電通の出身。
 形式上は退任となっているが、事実上の更迭だ。
 ただ、その理由は明らかにされていない。
 
 この2人の所業については、週刊新潮で暴かれていた。
 その記事によると、今回のエンブレム騒動の本質部分に関与していたのがこの2人だったようだ。

 五輪エンブレムは一般公募でデザインが募集されたことになっているが、実は公募開始前に、特定の8人のデザイナーにだけ、事前の招待状が送られていたという。
 最終選考で3案が残ったが、この3案はすべて事前招待されたデザイナーの作品だったらしい。
 この最後に残された3案とおぼしきデザインが週刊新潮に紹介されている。
 ただ、写真にははっきりした説明書きがなく、これが実際の作品なのかどうか分からない。
 どこかで、本物のコピーを手に入れたのか、それとも、現物を見た人の証言に基づいて再現したのか、イメージ映像として適当なものを並べただけか、そこは判然としない。
 1位のところには、佐野氏がデザインしたTの原案と、パラリンピックようにデザインした原案が載っている。
 パラリンピックの原案は正式に公開されていないので、これが本当だとすると、スクープだ。
 佐野氏がデザインパーツを使ってアルファベットをデザインしていたが、その中のPのデザインがパラリンピックのエンブレムになっているようだ。
 本当にこれが原案だったとすると、最終案とは全く違うデザインだったということになる。
 これが事実とすれば、大変なことだ。
 審査委員会で選考されたデザインとは全く違うものが最終デザインとして発表されてしまったことになるのだから。
 審査委員長以下、審査委員らはよくもこれを承認したものだ。
 この原案の修正を主導したのが、槙氏と高崎氏だったという。
 つまり、彼らにとって、最終デザインは佐野氏で決まらなくてはならない事情があったのだ。
 
 五輪エンブレムの発表と同時期にサントリーのトートバッグキャンペーンが始まった。
 このキャンペーンは、「五輪エンブレムデザイナーの佐野氏による」というのが売りだった。
 このキャンペーンを仕掛けたのが高崎氏だったらしい。
 事前に佐野氏が選ばれることが分かっていなければ、こんなに早いタイミングでキャンペーンを始められるはずがない、と当時から指摘されていたが、やはり、こういう仕掛けだったのだ。
 高崎氏は普段から佐野氏と一緒に仕事をする仲だったようだ。
 審査員を選んだのも、高崎氏だという。
 佐野氏と利害関係のある審査委員が何人か含まれているのは、こういう理由だろうと推測されている。

 また、五輪エンブレムの公式グッズのデザインは、佐野氏のデザイン事務所に丸投げされる予定になっていたらしい。
 五輪エンブレム選考の賞金はわずか100万円だが、その後の利権に膨大な利益が紐づけされているという仕掛けだ。
 電通2人は、ただ与えられた任務を無難にこなせばそれでいいという立場ではない。
 何のために、組織委員会に入り込んで、重大案件を左右できるポジションにいるのか。
 その立場を最大限に利用しようとすれば、このような動きになるのは当たり前かもしれない。
 仕事のできる者こそ、動くだろう。
 五輪エンブレムの選考という絶好の大舞台を目の前にして、何もしないとしたら、それは無能の証だ。
 彼らが、使い勝手のいい佐野氏を利用して利益最大化のシナリオを描いたとしても不思議ではない。
 その時、無名の学生や外国人のデザインが選ばれるようなことは絶対に阻止しなければならない。
 そんなことになったら、彼らにとって何のうまみもない仕事になってしまうからだ。
 彼らの不自然なまでの佐野氏デザインへの執着ぶりは、このように見るとすんなり納得できる。

 週刊新潮には、2位、3位のデザイン候補の写真も載っている。
 2位は、CGデザインソフトを使い始めて1時間目の生徒がサンプルで作ったような球形のデザイン。
 何を表わしているのかは分からない。
 3位は、筆ペンを使って幼稚園児がいろんな形の花を描かせて、そのうちの2枚を選んで並べたという印象のデザイン。
 フリーハンドのヘタウマが珍重される時代だとしても、これは見るからに手抜き。
 面倒なので何も考えずに花の絵を2つ描いて出しときました、といった感じだ。
 1位から3位までの最終案を見ると、1位の佐野氏のデザインが最も洗練されているように見える。
 佐野氏のデザインを選ばせるために、最終案にこのような屑デザインが残るように仕組んだということだろうか。
 この最終で残ったデザインは、事前に特別招待されたデザイナーによる作品だということなので、余計に不可解だ。
 一流デザイナーが、こんなやる気のないデザインを応募するだろうか。
 理解できるように解釈しようとすれば、佐野氏出来レースは事前に関係者に伝えられており、他のデザイナーには屑デザインを出すように促されていたとしか考えられない。

 デザインの選考は、「104→37→14→4」の順で絞られていったと組織委員会は公表している。
 最後の4候補のうち、1候補が早々と脱落し、3候補になったという。
 この3候補が、事前招待の8人による作品だったというわけだ。
 4候補のうちの1候補が早々と脱落したのが不可解だ。
 仕掛け人にとって、この1候補は残ってもらっては困る作品だったのだろう。
 早々と脱落した理由が、「類似商標が見つかったため」だったらしいが、無理やり感が強い。
 何しろ、佐野氏の原案は、類似商標はいくらでも見つかるようなデザインだったのだから。
 とにかく、いろいろ難癖をつけて、優秀作品を次々に脱落させ、佐野氏デザインが残るように仕掛けたとしか思えない。
 高崎氏は審査員の1人だ。
 選考の過程は、高崎氏によってうまくコントロールされたということか。
 
 電通の2人としては、普段やっている仕事ぶりをここでもやっただけということだろう。
 電通から出向者として派遣されたということは優秀なやり手だったのに違いない。
 役人だらけの組織委員会の中で、民間出身の2人は、やりたい放題だっただろう。
 普通なら、これで、何も問題はなく、思ったシナリオ通りにことは展開するはずだった。
 だが、主役の佐野氏がシナリオ通りの役回りを務めるには力不足だった。
 佐野氏が、最初の原案で、オリジナル性あふれるデザインを出していれば、最終選考に残るように根回しをし、なおかつ2回の修正でなんとか発表できる形にもっていかなくてはならないような苦労は必要なかった。
 佐野氏が、過去の作品でもオリジナル性のある仕事をきっちりしていれば、ネット上でパクリ疑惑が次々に暴かれるような失態には至らなかった。
 電通2人にとってみたら、「せっかく、俺たちが苦労してこれだけのお膳立てをしてやったのに」との悔しい思いだろう。
 佐野氏が、もう少しでもまともな能力のあるデザイナーだったら、一般国民は、「何か変だなぁ」ぐらいのことは感じたとしても、何ら問題になることはなく、やり過ごすことができたはず。
 逆にいうと、官製談合とは、このようにして巧みに仕組まれるのだということが分かる。
 結果として、五輪組織委員会は、実質、電通出向者に乗っ取られていたということだ。
 
 
posted by 平野喜久 at 17:28| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月05日

TPP大筋合意

 TPP交渉がようやく合意の見通しだ。
 参加12カ国は、閣僚会合の日程を再び1日延ばし、5日目となる4日も協議を続けた。
 最先端のバイオ医薬品のデータ保護期間で米国とオーストラリアが双方の受け入れ可能な妥協案で一致した。
 5年半に及ぶTPP交渉が大筋合意に向かった。

 思い起こせば、TPP参加を決めた時の大反対は何だったのだろう。
 「アメリカのためのTPPだ」
 「日本は交渉下手」
 「日本の利権はすべて奪われる」
 TPP参加は、アメリカの都合のいいように振り回され、日本にとって何のメリットもないかのような意見があった。
 ところが、実際の交渉過程を見ると、まったくそのような様子が見えない。
 むしろ、日本は粘り腰で賢い交渉ができていたという印象が強い。
 それよりも交渉のまずさが目立ったのはアメリカの方だ。
 ただ一方的に国益を押し通そうとするばかりで、交渉になっていない。
 武力を背景とした外交交渉だったらこれでいいのかもしれないが、経済交渉では周りの反感を買うだけ。
 時には、甘利大臣がアメリカのフロマン氏に、「議長国としての立場をわきまえよ」とたしなめる場面もあったという。
 最後は、アメリカとオーストラリアが医薬品特許の問題でもめたが、日本の仲裁で落としどころを得た。
 両者の顔を立てながら、玉虫色の妥協点を探るのは日本人の得意するところだ。

 交渉過程で目についたのは、甘利大臣の活躍だ。
 官僚任せにせず、自らのテーブルについて粘り強い交渉をしていた。
 政治主導とはこういうことを言うのではないだろうか。
 
posted by 平野喜久 at 08:26| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月02日

エンブレム採用の組織委局長 更迭

 2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の槙英俊マーケティング局長が退任した。
 公式エンブレムの白紙撤回や写真の無断使用など混乱を招いたことで事実上の更迭となる。

 この槙氏については、昨日発売の週刊新潮に詳しい特集記事がある。
 五輪エンブレムについては、不透明な選考過程が指摘されてきたが、その渦中にいるのが槙氏だ。
 佐野氏のデザインが採用されるように誘導したり、原案から2度にわたって修正をさせたりしたのが、彼だったようだ。
 この週刊誌記事によって、更迭となった。
 それにしても、週刊誌が暴かなければ、うやむやのままやり過ごすつもりだったのだろうか。
 槙氏の更迭は決まっても、その理由は曖昧だ。
 槙氏と佐野氏との癒着が疑われるが、そこは明らかにせずに収束させようとしている。
 非常に気持ちの悪さを覚える。
 選考過程の不透明さは残ったまま、次の選考が始まる。

 
posted by 平野喜久 at 16:42| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「『もしドラ』はなぜ売れたのか?」

 岩崎夏海著「『もしドラ』はなぜ売れたのか?」の読後感。
 岩崎氏は、あの驚異的なベストセラー『もしドラ』の著者だ。
 『もしドラ』は、273万部も売れたのだという。
 ビジネス書としては空前、一般書としても驚異的なベストセラーとなった。
 この本がなぜこれほど売れたのかについては、いろんな噂があった。
 著者の経歴に秋元康氏の名前があったことから、秋元氏の仕掛けたヒット戦略が当たっただけじゃないのか、と邪推された。
 また、AKBのプロデュースにもかかわった経験があったことから、登場人物はAKBの誰かをモデルにしている、と憶測が広がった。
 だが、この本を読むと、実態は全く違うことが分かる。

 岩崎氏は、秋元氏とは全く無関係に、独自にこのコンテンツを着想し、構想を温め、出版のチャンスをつかんだことが分かる。
 主人公を17歳の女子高生にしたのも、舞台を高校野球にしたのも、ドラッカーの「マネジメント」を題材に選んだのも、岩崎氏だ。
 あの長ったらしい書名も、岩崎氏がつけたものだし、表紙のアイデアも彼による。
 この作品の構想は、随分前から温めていたようだ。
 一度、秋元氏に映画の構想として企画を提示したことがあったらしいが、簡単に却下されたという。
 しかし、岩崎氏は、この構想は大事にしまい込んで、次のチャンスを待った。

 この本では、出版のきっかけをつかむくだりがクライマックスになっている。
 彼が出版社に売り込んだわけではない。
 彼は、匿名のブログを運営しており、その記事に「もしドラ」の構想を投稿したことがきっかけだった。
 その記事がダイヤモンド社の1編集者の目に留まり、その編集者から問い合わせのメールが届く。
 半信半疑ながら受け答えをするうち、これが本物であることを理解し、本格的な出版交渉につながっていく。
 ダイヤモンド社の編集会議で認可を受けるために、企画書を出したところ、数日のうちに出版決定となる。
 もっとドラマティックな展開を期待したが、この辺りの経緯は、何の障害もなく、拍子抜けだ。
 驚くほど、順調に出版が決まっていった。

 ドラッカーに関連した本を出すとしたら、ダイヤモンド社がベストなのは明らかだ。
 岩崎氏もそう考えていたが、敢えて自分から売り込むことをしなかったという。
 それは、売り込むことでコンテンツの価値を自ら低めてしまうことになると考えたからだ。
 確かにそうだろう。
 もしも、彼が企画書をいきなりダイヤモンド社に送り付けていたら、そのままゴミ箱行きで日の目を見ることはなかったかもしれない。
 驚くのは、匿名のブログに投降した記事を、ダイヤモンド社の編集者が見つけ、更にその誰かもわからないブログ主にアクセスしてきたこと。
 ここが運命のポイントだった。
 匿名ブログ記事をこの編集者がたまたま見つけなかったら、見つけたとしても、真剣に取り合わず、無視していたとしたら、この出版はなかった。
 だが、この編集者の嗅覚は鋭かった。
 直ちに反応し、出版に向けて行動を開始した。
 
 更に驚くのは、編集会議で簡単に出版許可が下りたこと。
 岩崎氏は、この時点では全くの無名。
 出版の経験はないし、小説家を目指したことはあったが、まともに作品を書いたことはない。
 そして、ドラッカーとも全く畑違いの人。
 何よりも、この時点では、小説の構想はあったものの、まだ1行も書いていなかったのだ。
 どんな小説を書くのか、更に、本当に最後まで小説が書けるのかどうかさえ、保証がない。
 普通、どんなに立派な企画書を持ち込んだとしても、こんな実績もなく実力も分からない人物はまともに相手にされるはずがない。
 なのに、すんなり出版が決まっていった。
 出版社側は、よくこの決断をしたと思う。 
 たぶん、着想の素晴らしさに圧倒されて出版が即決されたのだろう。
 著者のプロフィールに説得力がなかったとしても、それを吹き飛ばすインパクトがこの作品のコンセプトにはあり、それを出版社は見抜いたということだ。
 出版社のこの読みは、結果として大当たりだった。
 
 それでも、出版者は「もしドラ」がこれほどの大ベストセラーになるとは思っていなかったようだ。
 初版が1万部。
 無名新人の処女作としては、思い切った数字だ。
 10万部20万部ぐらいは狙えるだろうという読みはあったらしい。

 岩崎氏は、出版構想の段階から、この本は200万部売れると信じていたという。
 周りの人に、そのことを公言していたらしい。
 これが、謙虚さの足りない姿勢に見え、誤解されるようだ。
 だが、岩崎氏のこの気持ちはよく分かる。
 著者は誰よりも自分の作品を愛している。
 誰よりも真剣に作品のことを考えている。
 そして、誰よりもこの作品の素晴らしさを知っている。
 本気で200万部を狙ってこの作品に命を懸けるのは、当たり前だ。
 これは、彼が傲慢だからではない。
 本を出版したことがある人なら、みんな同じことを考える。
 
 「もしドラ」は、出版と同時に、順調に売れていった。
 3日目には増刷1万部が決定。
 半年で100万部。1年で200万部。
 漫画化、アニメ化、映画化と多様なコンテンツ展開が続いた。
 もともと着想のユニークさで売れたコンテンツだったのだから、形式が小説である必要はまったくない。
 多様なコンテンツ展開になるのは当然の成り行きだった。

 彼にとって、この大ベストセラーは、狙い通りの結果が出ただけという認識だ。
 なぜ売れたのかという問いへの答えは、自分の執念による、と考えているようだ。
 確かに、自分が思いついたアイデアに対する愛着とそれを世に出したいという執念が実を結んだことが分かる。
 もう1つ、理由を挙げるとすれば、出版社の目利きだろう。
 編集者が匿名ブログの記事に反応しなかったら、編集会議がこのコンテンツの破壊力を理解できなかったら、出版はなかった。

 アイデアのある著者と眼力のある出版社とが出会ったこと、これがヒットの本当の理由かもしれない。




 
 
 
 
posted by 平野喜久 at 16:00| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月08日

責任者がいないまま漂流した五輪エンブレム事件

 五輪エンブレム事件。
 白紙撤回で、公募をやり直すことでひとまず事態収拾に至った。
 だが、問題は何も解決していない。
 問題は多岐にわたる。

1.このような問題含みのデザインがなぜ選ばれてしまったのか。
 プロのデザイナーから見て、佐野氏のデザインは魅力的に見えたのだろう。
 確かに玄人好みだなという印象を受ける。
 個人が試作したデザインがネット上にアップされていた。
 桜、折鶴、扇子などをオリンピックカラーでデザインしたものだ。
 これらは、一目見て、カラフルできれいな印象を受けるのが特徴だ。
 だが、これらは素人くさい。
 プロの審査員としては、こんな見た目がきれいなだけのデザインなんか選ぶ気にならなかったのだろう。
 それで、佐野氏のデザインに白羽の矢が立った。
 五輪エンブレムのデザイン候補の中でも、この地味で落ち着いたデザインは異質な存在感を主張していたのかもしれない。
 更に、佐野デザインは展開例の豊富さに特徴があった。
 細かいパーツに分解して組み合わせれば、無限のバリエーションができ上がる。
 オリンピック全体を統一的なイメージで装飾できる独特の要素を持っている。
 ここも、プロが魅力に感じたところに違いない。
 どうして、佐野デザインが選ばれたのかといえば、それが玄人好みだったから、ということだろう。
 だが、これがプロの勝手な価値観を国民に押し付けることになり、世論の反発を招いた。

2.なぜ2回も修正依頼が行われたのか。
 デザインの選考が行われたのが、14年11月18日。
 選考結果が組織委に報告されたのが、22日。
 そこから、類似商標の調査が始まる。
 調査開始まもなく、類似商標が見つかった。
 そこで、12月中旬に佐野氏に修正依頼がかけられた。
 この修正依頼をしたのは組織委だ。
 さて、この修正依頼を決定したのは誰なのか。
 審査委員会に相談もなく、勝手にデザイナーと交渉し、原案を修正させるとはどういう権限だろう。
 15年2月上旬に修正案が上がる。
 だが、この修正案は躍動感がないとして却下。
 再修正を依頼した。
 さて、この修正案にダメ出ししたのは誰なのか。
 審査委員会は関与していない。
 躍動感があるなしというデザイン評価を組織委の人間がやってしまっているのだ。
 そして、4月上旬に最終案が提出された。
 それで、OKとなった。
 さて、このOKを出したのは誰なのか。
 ここでも、デザインの出来不出来を組織委の人間が判断してしまっている。
 審査委員会には発表1週間ほど前に最終案の提示があったという。
 審査委員は、原案とまったく違うものに変わっているのを見て驚いただろう。
 審査委員長は、発表直前であれこれ言っても仕方がないと判断し、了承したという。
 審査委員の中の1人は、この最終案を選んだ覚えはないとして、反意を示した。
 残りの審査委員は、委員長の判断に従った。
 実に、不思議なことが起きており、不透明感がひどい。

 組織委の人間が、修正で問題を切り抜けようとしたのは、役人特有の判断だったのではないか。
 審査委員会から上がってきた原案は、類似商標が見つかった。
 この問題をどう処理するか。
 本来なら、審査委員会に差し戻し、再選考ということになるはず。
 だが、組織委の担当者は、姑息なことを考えた。
 佐野氏に頼んで少し修正してもらえば簡単に問題はクリアできる。
 それで、2度にわたって修正依頼。
 類似商標の見当たらない最終案で落ち着いた。
 こんなところだろうか。

 それにしても、「躍動感がない」という理由で行われた2回目の修正依頼は、異常だ。
 躍動感のあるなしを、いったい誰が判断したのだろう。
 その判断は、デザインの根幹にかかわる重大な判断のはずだが、組織委の担当者に、そんな判断ができるのか。
 そして、左下の三角形を削除することでOKにしたのは誰のなのだ。
 ここが一番不思議なところだ。
 もしかしたら、修正案というステップはなかったのではないか。
 2回目の修正依頼もなかったのではないか。
 最初の修正依頼で、いきなりベルギーロゴに似ている最終案が出てきたのではないか。
 それだと、原案からの飛躍がありすぎるので、その変化の途中経過を見せるために、最終案の前に修正案があったことにする必要があったと考えると、自然に流れが理解できる。
 
3.なぜ、白紙撤回の判断が遅れたのか。
 最大の責任は組織委にあるはず。
 だが、組織委は会長はじめ名前だけの役職者が名を連ねるだけで、実質は官僚の事務部門が運営している。
 事務部門には権限はない。
 ことを問題なく進めることにだけ責任を負っている。
 最大の関心は、問題なくことが進むかどうかだけ。
 当然、五輪エンブレムに問題が発生した時は、白紙撤回などというドラスティックな決断などできるはずがない。
 とにかくこのままやり過ごすこと以外に選択肢はない。
 誰も責任を負わず、意思決定の権限も持たない状態で、五輪エンブレム事件は漂流し続けた。
 組織委の森会長には、様々な方面から白紙撤回の進言があったという。
 だが、新国立競技場の白紙撤回に続いて、エンブレムもということになると、世界的な信用を失うことを恐れ、撤回の選択肢は初めから存在しなかったようだ。
 結局、森会長は、今回の白紙撤回の意思決定に関与していない。
 「ひどい目にあった!」と憤慨しているだけだったという。
 この白紙撤回の意思決定も不透明だ。
 武藤事務総長、永井審査委員長、佐野デザイナーの3人で話し合って、撤回を決めたという。
 明らかに意思決定の場所がおかしい。
 この案件は、組織委として判断しなければならないものだ。
 組織委が組織としてまったく機能していない。
 
 結局、今回の騒動は、誰も責任を取っていない。
 責任の所在は曖昧のまま。
 遠藤五輪担当相は、組織委、審査委員、デザイナーそれぞれに責任がある、などと曖昧答弁。
 この五輪担当相の役割もよく分からない。
 どんな権限と責任を負っているのか。
 彼の面構えを見ただけでも、重大な責任を負う覚悟はまったくないのがよく分かる。
 このような無用なポストばかり増やしても意味がない。 

 組織委は問題を抱えたまま、本番まで継続する。
 他にも同じような問題が続出しそうななのが心配だ。
 



posted by 平野喜久 at 17:12| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

佐野氏代理人通じ報道機関に申し入れ:五輪エンブレム事件

 東京スポーツの報道によると、佐野氏が代理人の弁護士を通して報道機関に忠告文を送付したらしい。
 昨今の過熱報道に対する苦情だ。
 別人によるデザインをあたかも佐野氏のデザインであるかのように報道したり、創作時期を確認もせず、単に似ているだけで、著作権を侵害しているかのような報道があることに不満を述べている。
 最後には、次のような脅し文句で締めくくっている。

「万が一、本書簡到達後も適切な取材に基づく客観的な報道が為されず、同様の取材・報道態勢が続くのであれば、名誉棄損等の法的責任を伴うものと判断した段階で、直ちに法的措置を講ずると共に、関係機関等に対して人権侵害を理由とする申立てを行う予定であることを、念のため申し添えさせていただきます」

 弁護士らしい文章だという印象を持つ。
 いつも、名誉棄損で訴えるぞと脅して相手を黙らせる方法を取ってきたのだろうか。
 だが、今回の騒動の本質が見えていない。
 こんなコメントを発したら、余計に騒動を拡大させるのは明らかではないか。
 どうして、エンブレム取り下げ後も、パクリ疑惑が告発され続けているのかが分かっていない。
 五輪エンブレムについては、原案も修正案も、模倣していない盗作していないの一点張りで突っぱねて、一般国民からの誹謗中傷がひどいから取り下げると一方的に言い捨てた。
 その後は、取材にも応ぜず、記者会見も開かず、姿を消したまま。
 この姿勢が騒ぎを長引かせているのだ。
 報道が過熱しているとしたら、それは、佐野氏側の世論への敵対的な姿勢と、情報発信のなさに原因がある。
 世論を鎮める唯一の方法は、情報開示しかない。
 なのに、情報開示できない。
 たぶん、損害賠償に発展することを恐れて、とにかく強気で疑惑をはねのけることしかできないのかもしれない。

 報道の中に、別人のデザインを取り上げている者があるのなら、その誤りを指摘すればいい。
 制作時期の時系列的に、模倣するのは不可能なケースが含まれているのなら、それを指摘すればいい。
 なぜしないのか。
 そんな指摘をすれば、それ以外はパクリの可能性ありということを教えているようなものだからだ。
 だから、報道全体を捉えて、間違った報道が行われているという言い方しかできない。
 
 コメントの中には、次のような一文もある。
「そもそも、思想・アイデアそのものが著作権法に基づき保護されるものではないことは、著作権制度の国際的かつ基本的な原則」
 これは、当たり前の法解釈を述べているだけ。
 これで、何を言おうとしているのか、佐野氏の何を弁護しようとしているのか意味不明だ。
 思想・アイデアを模倣しても著作権法に違反しないということは、佐野氏は、思想・アイデアを模倣しただけと言いたいのか。
 ということは、思想・アイデアの模倣は認めるということなのか。
 佐野氏は、ベルギー劇場ロゴは見たことはないと言っているし、チヒョルト展覧会のロゴは記憶がないと言っているのだ。
 思想・アイデアを模倣するどころか、他のデザインの存在すら知らなかったと言い切っている。
 代理人は何をしようとしているのか、よく分からない。

 今回の騒動は、法的に違反していることが原因ではない。
 だから、いくら、法的に問題ないことを強調したところで、騒ぎは収まらない。
 今回の騒動は、この代理人の力量を超えてしまっているようだ。
 もしかしたら、一連の佐野氏の対応のまずさは、この代理人の指導のせいだったのか。

 報道機関に対して、名誉棄損で訴えると脅しをかけているが、実際に訴えることはない。
 なぜなら、本当に訴えたら、裁判で報道内容の真偽を細かく検証されてしまうからだ。
 すると、いまいろいろ出ているパクリ疑惑のうちの一部は、疑惑が晴れたとしても、その他はパクリが確定してしまうことになる。
 いまのままなら、疑惑という曖昧な状態のままやり過ごせるのに、裁判で白黒がはっきりしてしまうようなことはできない。
 自分から積極的に情報発信してはっきりさせようという気がない者が、裁判に訴えることはありえない。

 危機対応のまずさにより事態を深刻化させ、立場をどんどん悪くした失敗事例として記録されそうだ。








 
posted by 平野喜久 at 00:27| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月04日

エンブレム騒動は、成功者への嫉妬ではない

多摩美術大学の広告作品にも「パクリ疑惑」が浮上。
「MR_DESIGN」広報担当者は15年9月3日夜、事実無根と全面否定した。
 今までは、メディアの取材に対しては「担当者がいない」としてコメントを避けるのが通例だったが、いきなり全面否定のコメントを出した。
 たぶん、取材に応対したデザイン事務所の人間が、その時の勢いで強い物言いになったのだろう。
 だが、これは、デザイン事務所の公式声明として報道され、拡散される。
 今回のパクリ疑惑は、誰が見ても元写真と問題のデザインが完全に一致し、似ているなどという程度の話ではない。
 事実無根などと強気に突っぱねているだけでは、騒ぎは更に大きくなる。
 騒ぎは多摩美大に及ぶ。
 多摩美大はこの問題をどのように処理するのかに関心が高まっている

 今回の騒動は、すべて佐野氏の対応のまずさが引き起こしている。
 8月5日に佐野氏は記者会見を開いた。
 ベルギーのデザイナーから劇場ロゴにそっくりであることを指摘されたのを受けてだ。
 その会見で、佐野氏は、全面否定の姿勢に出た。
 ベルギーロゴは見たことがない、両者はまったく似ていない、と強く主張した。
 更に、「私は人のものをパクるなんてことはしたことがない」と言い切った。
 この対応に、ネット世論が沸騰したのだ。
 過去の佐野氏のデザインの検証が始まったのはそれからのこと。
 検証が始まると、次々に疑わしい事例が見つかる。
 中には、言い逃れのできないような完全コピーの事例まで見つかり、騒ぎは拡大し続けた。
 
 これに対し、佐野氏は、サントリートートバッグのデザインはスタッフのミスということでやり過ごそうとした。
 同時に、「エンブレムは自分ひとりでやったので問題ない」と主張。

 この逃げの姿勢にネット世論は更に反発。
 トートバッグ以外の類似事例が次々に暴かれていく。
 この段階では、みんなで佐野氏のあら捜しをしているかのような雰囲気だった。
 中には的外れな指摘もあった。
 時には、誹謗中傷の投稿が見られたのもこの時期からだ。

 よく、今回の騒動を評して、「匿名の2チャンネラーによって、集団暴行を受けているかのよう」「成功者に対する嫉妬により引きずり落とそうとしている」とコメントする者もあった。
 しかし、今回に限っては、これはまったく見当違いだ。
 なぜなら、五輪エンブレムに選ばれて浮かれている佐野氏に嫉妬して始まった騒動ではないからだ。

 ネット世論が最大に沸騰したのは、8月28日の組織委の記者会見以降だ。
 エンブレムの原案を公開し、もともと劇場ロゴとは似てなかったことを証明しようとした。
 そして、五輪エンブレムに問題はないとして、このまま使い続けると宣言した。
 これが、ネット世論をたきつけることとなった。
 金曜日であったこともあり、その夜から土曜日日曜日にかけては、2チャンネルは五輪エンブレム一色となった。
 レススピードが1時間に5000を超える沸騰ぶりだ。
 よく、ネットは暇人とバカの遊び場と揶揄する人もいるが、この時の様子は全く違う。
 暇人が暇つぶしに遊んでいるような様子ではなかった。
 もちろん、レスの中には取るに足らない落書きも多いが、今回は鋭い指摘や、新たな暴露情報があふれていた。
 明らかに業界の専門家ではないかと見られる意見もあった。
 書き込みをする人だけではなく、多くの人がここに注目していたことだろう。
 とにかく、この時点で2チャンネルが情報の最前線だったからだ。
 刻々と新たなデータが発掘された。
 驚くべき発見が相次いだ。
 2チャンネルから目が離せなくなった。
 深夜でもレスは流れ続けた。
 24時間体制で、パクリ疑惑が暴かれ続けたのだ。
 
 この時のネット世論は、これほど問題が上がっているにもかかわらず、このまま強行突破しようとする組織委への不信感が大きかった。
 28日の組織委に対する義憤と言ってもいい。
 それが、土日の爆発エネルギーとなって噴出したのだ。
 




 
 
posted by 平野喜久 at 12:28| 愛知 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月02日

展開例の豊富さにこだわった理由:五輪エンブレム

 一連の組織委員会の会見の中で何度も出てきた言葉に、「展開例」というのがある。
 佐野エンブレムを選んだ理由に、この展開例の豊富さが高く評価されたのは間違いない。
 確かに、佐野エンブレムは、○▲■という単純なパーツに分解できるので、その組み合わせで、多様なデザイン展開が可能だ。
 多様でありながら、イメージの統一性のあるデザイン展開となる。
 エンブレムとして看板やポスターだけではない、キーホルダー、Tシャツ、うちわなどの関連グッズにも展開できる。
 更に、競技会場の装飾にも同じデザインイメージを展開できる。
 佐野エンブレムのパーツを利用したモーションピクチャーが公開されていた。
 これなどは、非常に動きのあるインパクトのある映像に仕上がっている印象だった。
 デザインパーツをフレームに配置して、競技映像をバックに配置すると、非常にスタイリッシュな映像に仕上がる。
 オリンピックの競技放送で、このようなスタイリッシュなオープニング映像が流れたらカッコよさそうだ。
 これは、悪くないという印象を受けた。

 たぶん、デザイン界の専門家が狙っていたのは、これだったのではないだろうか。
 オリンピック全体を統一的なデザインイメージで覆い尽くすというアイデアがあったのかもしれない。
 それで、多様なパーツ展開できる佐野エンブレムでないと困るのだ。
 パーツの色が暗くて地味なのは、フレームデザインに使った時、背景の映像を浮き立たせるためだ。
 そう考えると、どうして佐野デザインなのかということだわりに納得がいく。

 この構想は、今回の騒動で撤回となった。
 デザイン界の人びとから、「一般国民が理解しない」という侮辱的な言葉が出るのは、せっかくの壮大な構想が国民の低レベルの騒ぎで台無しになってしまったことへの恨みだろうか。

 だが、この壮大な構想も、デザイン界の一部の人間が、勝手に構想していたもののようだ。
 オリンピック全体の統一的な構想として確立したものではなかった。
 当然、この壮大な構想は前面に出してアピールすることもできず、結局、国民には理解できなかった。
 最も致命的だったのは、発表されたエンブレムデザインが、あまりにもダサかったことだ。
 デザインパーツによるデザイン展開は素晴らしかったとしても、エンブレムだけ見ると、あまりにもダサい。
 これで、国民の支持を失ってしまった。

 エンブレムデザインを一般の人気投票で選んだら、たぶん、ただ色がきれいなだけのデザインが選ばれるだろう。
 デザイン界の人たちは、それを一番恐れているのに違いない。






 
posted by 平野喜久 at 11:43| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

佐野氏コメント発表:被害者としての立場

 昨日、組織委が五輪エンブレムの撤回したことを受けて、佐野氏がウェブサイト上にコメントを発表。
 エンブレムデザインを取り下げる理由を説明した。

 理由は2つ。
 メディアの間違った報道により、悪いイメージが増幅したこと。
 自分や家族に誹謗中傷や嫌がらせが相次いでいること。

「家族やスタッフを守る為にも、もうこれ以上今の状況を続げることは難しいと判断し、今回の取り下げに関して私自身も決断致しました。」
 とある。
 騒ぎが大きくなって、耐えられなくなったので、取り下げることにした、という言い分だ。
 不当な威力業務妨害にあって、やむなく取り下げたという図式にしようとしている。
 これは、国民の納得が得られないだろう。

 彼はまずメディア批判をしている。
 「一部のメディアで悪しきイメージが増幅され、私の他の作品についても、 あたかも全てが何かの模倣だと報じられ、」
 とコメント分で言っているが、これはおかしい。
 ネット上では大炎上だったが、テレビや新聞雑誌などの一般メディアは、むしろ控えめな報道だった。
 佐野氏擁護のコメントをするコメンテーターの方が目立っていたぐらいだ。
 これは、必要以上に騒ぎを大きくしないようにとの配慮が働いていたのだろう。
 少なくとも、騒ぎを面白おかしく増幅したような報道を見たことがない。

 一連の騒動は、すべて2チャンネルを中心としたネット主導によるものだ。
 パクリ疑惑のすべては、2チャンネル上で次々に暴かれていった。
 当然、中には見当違いな指摘もあったかもしれない。
 しかし、見当違いの指摘は、膨大なレスポンスの洪水の中にたちまち流され、信憑性の高いものだけがクローズアップされていく。
 金曜日に組織委が原案を公開したことから、土曜日日曜日に膨大なレスが2チャンネルにアップされ、その中から、原案のパクリ疑惑、展開例の写真盗用疑惑がクローズアップされていった。
 
 写真盗用については、コピーライトの表示を消すなどの加工までしていることから、その悪質性が認識された。
 トートバッグについては、部下が勝手にやったこととして言い逃れてきたが、エンブレムデザインについては自分ひとりで行なったものと堂々と宣言していただけに、今回のパクリ疑惑は逃げ場を失うこととなった。
 
 一連の騒動を通して、佐野氏のデザイナーとしての姿勢が浮き彫りになった。
 他人の著作物をコピーしたり盗用することに抵抗のないデザイナーなのだなという印象を持つ。
 たぶん、普段からこのような姿勢で仕事をしてきたのだろう。
 それが、今回のエンブレムデザインの過程でも、当たり前に行われていたという印象が強い。

 展開例の写真については、初めてエンブレムが発表されたときに、既に公開されていた。
 40日も前の話しだ。
 それと同じものを、エンブレムデザインだけ原案のものに差し換えて、今回、紹介された。
 「この展開例は、内部資料として提出したもので公開を想定していなかった。ミスだった。今は既に著作者にアプローチしている」との言い訳をしているが、40日間もの間、何をしていたのか。
 今回初めて、写真盗用が指摘されたために慌てて釈明しているが、本当に意識があれば、40日前の段階で、この写真が公開されることを知り、著作者の許諾を得ようとしていたはずだ。
 著作者自身は、ブログ上で、無断で写真が使われたことに不満を表明している。
 既に著作者にアプローチしているというのは、嘘だということがばれた。

 著作権に対する無頓着さは、原案の応募にも表れている。
 原案のエンブレムデザインは、Tに赤丸の非常にシンプルで分かりやすいデザイン。
 こんなシンプルなデザインなら、類似デザインが他にあることが心配になって当たり前。
佐野氏のコメントには、つぎのようなくだりがある。
 「デザイナーにとっては大舞台であって、疑いをかけられているような模倣や盗作は、原案に関しても、最終案に関しても、あってはならないし、 絶対に許されないこと」
 これほど厳しい姿勢でデザインの応募に臨んでいたはずなのに、類似商標が簡単に見つかってしまうのはなぜなのだ。
 類似商標は、誰でも特許庁のサイトで簡単に検索可能だ。
 そんなことすらせずに、こんなシンプルなデザインを応募してしまったのか。
 ここには、デザインに対する厳しい姿勢は感じられない。

 彼は、著作権、オリジナリティに対する考えが無頓着すぎる。
 プロのデザイナーであれば、著作権や類似性は、もっとも神経を使わなければならないはずだ。
 これは、食べ物を扱うプロが衛生管理に最も神経を使わなければならないのと同じだ。
 
 騒動の中で、「こういうシンプルなデザインだから、類似のデザインが見つかるのは当たり前」と言って佐野氏を擁護する意見がよく聞かれた。
 だったら、類似のデザインが簡単に見つかってしまいそうなデザインを扱っているのであれば、余計に、神経を使って慎重に対応しなければいけないだろう。
 
 佐野氏は、結局、エンブレムデザインの盗用は否定し、いわれなき中傷により被害を受けたことを理由にデザインを取り下げることにした。
 ここで過ちを認めたら、今後、膨大な損害賠償の責を負わされる恐れがあり、それを見越しての防衛線なのだろう。
 一般の信頼は失ったが、デザイン界では立場を失っていない。
 今後も、デザイン界という特殊な世界で守られながら、やっていけそうだ。
 ここが、小保方氏と違うところだ。

 ネット上では騒動は終わっていない。
 新たなパクリ疑惑はなおも発掘され続けている。
 佐野氏がデザインしたと言われる多摩美大のポスターに、他人の写真転用が指摘されている。
 このポスターで、あるデザイン賞を受賞しており、その受賞が、今回のエンブレム応募の条件になっていたのではという情報もある。
 ことは、底なし沼の様相を呈している。







posted by 平野喜久 at 10:44| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月01日

組織委の会見:五輪エンブレム撤回

 五輪組織委員会の武藤事務総長が記者会見を開いた。
 五輪エンブレムの使用中止についてだ。
 武藤氏の説明は毎回、要領を得ない。
 だらだら話し続けるので、どこに要点があるのかが分かりにくい。
 
 記者会見で言っていた要点は次のようなことだ。
・金曜日に公開した原案は、ヤンチヒョルト展のロゴをパクったものではなく、完全オリジナルだ。
・佐野氏は、ヤンチヒョルト展には行ったことがあるが、その時のロゴがどんなだったかは記憶にない。
・デザイン界の専門家が見れば、両者はまったく違うが、一般国民には分からない。
・展開例の写真転用は、公開しない内部資料として作ったもので、デザイン業界ではよくあること。
・佐野氏は、五輪に貢献したいと思っていたが、自分や家族に誹謗中傷がひどい。
・パクったものではないが、原作者としてエンブレムを取り下げたい。

 この記者会見は、最悪だ。
 国民への釈明になっていない。
 むしろ、一般国民を小ばかにしたような物言いがそこかしこに見られた。
 これは、デザイン界と一般国民を対立関係においてしまっている点で失敗だ。
 審査委員長は自分らのことを「デザイン界」と称し、一般国民とは隔絶したところに存在する特別な人間であるかのような印象を受ける。

 この記者会見は、誰に向けたものか。
 それは、まさに一般国民に向けたものだ。
 なのに、審査委員長とデザイナーの言い分を一方的に伝えるだけ。
 国民がどうしてこれほどまでに今回のエンブレムに不満を持っているのかが、全く分かっていない。
 これでは、どうしてエンブレムを撤回するのかが分からなくなる。

 模倣でもなく、似てもいない。
 なのに、撤回する。
 それは、理解の悪い一般国民が騒がしいから。
 誹謗中傷が激しいから。
 こんな説明に誰が納得するか。

 どうして騒ぎがこれほど大きくなったのか。
 その理由は、すべて一般国民にあると本当に思っているようだ。
 たぶん、今回の騒動を受けて、責任を取る人は誰もいないだろう。
 処分を受ける人も誰もいないだろう。
 佐野氏は、損害賠償請求を受けることもなく、このままフェードアウトするだろう。
 審査委員もそのまま継続するだろう。
 組織委員会もそのまま。
 すべてがうやむやのまま、次のデザイン選考が始まる。
 本当にこれでいいのか。


 
posted by 平野喜久 at 18:52| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

五輪エンブレム見直しへ:本日19時に記者会見

 五輪組織委員会は、五輪エンブレムについて見直しを決定した。

 先週の金曜日に組織委が記者会見し、応募段階の原案を公開し、もともとベルギー劇場のロゴとは全く違うものだったことを示そうとした。
 ところが、その原案が別のロゴにそっくりであったり、展開例を示す画像が他人のブログからの無断転用ではないかとの疑惑が次々に指摘されるところとなり、却って窮地に追い込まれることとなった。
 そして、ついに五輪エンブレムの見直しということとなった。
 記者会見では、今後もこのまま継続使用すると強気の発言に終始していたが、世論の圧力に抗しきれなかった。
 これが、ネット上だけの騒ぎで済んでいれば、このまま強行突破もできたかもしれないが、テレビメディアまで通常のニュース枠で取り上げるまでになり、万事休すとなった。

 ことは、五輪エンブレムを取り下げたから終わり、というわけにいかない。
 どうして、これほど問題含みのデザインが最優秀作品として選ばれてしまったのか。
 そこには、初めからデザイン関係者の間の申し合わせで、コンペが出来レースになっていたのではないのか。
 人々の疑念は、審査員側、運営側の姿勢に向かっている。
 本日午後7時から記者会見を開くという。
 この辺りの疑念をしっかり晴らすことができるかどうか。
 これまでの組織委の姿勢を見ていると、今日の記者会見も責任をあいまいにした逃げの一手に終わりそうな気配だ。
 もしかしたら、佐野氏個人にすべての責任を押し付けて切り捨てるかもしれない。
 STAP騒動の時の理研の対応がこうだった。
 このような対応になったとすると、最悪だ。

 今日の記者会見は非常に重要だ。
 この1回を最後の記者会見にできるかどうか。
 対応を間違うと、騒ぎは更に大きくなる。






 
 
posted by 平野喜久 at 13:05| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月31日

収束不能:五輪エンブレム騒動

 金曜日に組織委は五輪エンブレムの原案を公開した。
 これで、幕引きを図ったつもりが、更に騒ぎを大きくさせることになった。
 傷は深く、事態は深刻だ。

 原案が、ある美術展のロゴマークの一部にそっくりであることがネット上で暴かれてしまった。
 この原案は、既存の商標と似ていることが分かったので、組織委が佐野氏に修正を指示したものだった。
 その既存の商標とは何かは明らかにされていなかったが、ネット上では、早々と類似のデザインが特定された。
 似ているのが有名な美術展のロゴデザインであったことから、デザイナーである佐野氏であれば、このデザインの存在は知っていたはずであると見られ、これもパクったのではないか、と疑わせる結果となった。

 更に、五輪エンブレムの展開例を示す提出資料にもパクリが次々に発覚。
 個人ブログの空港写真などを借用し、中にはコピーライトの表示を消したり、元写真を特定しにくくなるように加工したりした跡が見つかり、その悪質性が指摘されるところとなった。
 
 佐野氏のデザイン事務所は、「担当者不在のため、・・・」といつもの逃げのコメント。
 組織委は、「佐野氏に確認を取っている」と思わぬ展開に戸惑っている様子だ。

 組織委の対応は、あまりにも稚拙。
 事態を甘く見過ぎだ。
 このまま、やり過ごせば、やがて飽きられて騒ぎが収まるだろうと思っているとしたら、大間違いだ。
 STAP細胞や偽ベートーベンの時は、一時の騒ぎだけでやがて忘れ去られた。
 だが、五輪エンブレムは忘れ去られることはない。
 なぜなら、これからオリンピックの本番を迎えるのだから。
 このまま強行しようとすれば、更に騒ぎは大きく、収拾がつかなくなる。

 敗戦が決定的になりながら、なかなか終戦の決断ができなかったかつての日本政府にそっくりだ。
 いま、組織委は、このまま1億玉砕の本土決戦に突入しようとしている。
posted by 平野喜久 at 18:24| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月28日

本当に公正な選考が行われたのか:五輪エンブレム佐野氏原案を公表

 大会組織委員会が佐野氏の原案を公表した。
 Tの図案に右下に赤丸のある実に単純なデザイン。
 これをもとに修正を重ねて、最終決定のエンブレムデザインになったのだという。
 原案は、ベルギーの劇場ロゴとは全くにておらず、パクリではないと言いたいわけだ。
 確かに、原案は劇場ロゴには似ているようには見えない。
 これだったら、ベルギーのデザイナーも文句を言うことはないだろう。
 だが、原案のままだと、あまりにも単純すぎて、他に類似の商標が簡単に見つかってしまった。
 それで、少しずつ修正を重ねていったところ、結果としてベルギーの劇場ロゴに似てしまったらしい。

 この組織委の説明と原案デザインを見て、「なるほど、そういうことだったのか」と納得できた国民がどれだけいただろうか。
 更に倍する疑問が噴出するような会見だった。

 まず、原案を見た時のがっくり感はひどい。
 五輪エンブレムの発表の時にも落胆が大きかったが、原案のがっくり感はその上を行く。
 本当に、四角と三角と丸ででき上がった単純なデザイン。
 園児が積み木を並べて遊んでいるかのようだ。
 本当に、これが日本最高峰のトップデザイナーの並み居る応募作品の中から選ばれた逸品だったのか。
 104作品の応募があったというが、その他の作品は、これに劣るほどインパクトのないできそこないの作品ばかりだったのか。
 とても信じられない。
 
 そして、原案に問題ありということになって、どうして修正を繰り返すことになったのか。
 そんな修正を繰り返さなくてはならないような作品だったら、まず第1次選考で落選だろう。
 その修正は、いったい誰が行なったのか。
 会見では、組織委の要請で佐野氏がデザインの修正をしたという。
 しかし、組織委が問題点を指摘して、佐野氏がそれに応えて修正するということは、実質、組織委の指示で修正しているようなもの。
 それも、1回目の修正案でも組織委の了解が得られずに、さらなる修正を佐野氏に依頼して最終の五輪エンブレムのデザインになったそうだ。
 原案と最終デザインとの間には、かなりの修正が入っている。
 ただの三角形が、斜辺が円弧の一部を構成して大きな円を浮かび上がらせるデザインになっている。
 これは、原案からのかなりの飛躍だ。
 微調整どころではない。
 そうなると、もうデザイナーの作品ではない。
 どうして、そこまでこの作品にこだわらなくてはならないのか。
 この作品でなければならないほどの理由があるはずだ。
 それは何か。

 会見では、原案の魅力として、展開力の豊富さを挙げていた。
 展開力とは、五輪エンブレムをポスターや垂れ幕、関連グッズに応用した時にどのような展開ができるかを意味する。
 佐野氏は、原案とともに、その展開例をビジュアルに示しており、これが決定打になったという。
 本当にこれが選考の決定打だったとしたら、佐野氏は、このコンペのポイントを十分理解していたということだろう。

 原案が、他の商標と似ていることが分かって修正することになった。
 その修正したものが、ベルギーの劇場ロゴにそっくり。
 だったら、その時点で、修正後のデザインもアウトなのではないか。
 パクったかどうかは問題ではなく、似ているかどうかがポイントのはず。
 修正後に劇場ロゴに似てしまったとすると、その責任は佐野氏にはない。
 寄ってたかって手直しをした審査委員か組織委の責任になる。
 組織委が現行案で強行突破をしようとしているのは、自らの責任になることを恐れるからだということが分かった。
 
 今回の組織委の会見は、原案が劇場ロゴには似ていないことをもって、デザイナーがパクっていないことを証明することを目的としていた。
 その目的は果たせたが、そのために、他に様々な疑問を引き起こすことになってしまった。
 選考過程の不透明さがいよいよ目立ってきた。
 ますます、このままでは収束しないという感じが強い。

 他の応募作品の公開が求められるようになる。
 すべての応募作品を公開できなくても、入選作品ぐらいは公開しなければならないだろう。
 それほど、原案は、最優秀のデザインに見えないのだ。
 本当に、これが元の応募作品だったのか。
 パクリ疑惑を否定するために、急遽、でっちあげたものではないのか。
 これが本当の原案だったとすると、本当にこんなのが最優秀作品だったのか、という疑問が消えない。
 
 組織委は、今回の問題は、何が発端なのかが分かっていない。
 決定された五輪エンブレムのデザインが「ダサい」というのがそもそもの始まりなのだ。
 そこに、ベルギーの劇場ロゴが出てきて騒ぎが大きくなったが、それは、パクリ疑惑であれば、正当に取り下げる理由になるからだ。
 国民は、いまのデザインを取りさげてもらいたがっている。
 もはや、いくらパクリではないことを証明したところで、鎮静化しない。
 
 本当に公正な選考が行われたのか。
 いまや、国民の疑問はここに向かっている。



posted by 平野喜久 at 18:32| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月23日

佐野氏の無理な主張:五輪エンブレム

 佐野研二郎氏が手がけたロゴが、自分のデザインに似ているとして、アメリカ人デザイナーが提訴を検討している問題。
 佐野氏は、FNNの取材に文書で回答した。
 黒い丸と直線で形成したようなデザインについて、「その要件を満たすデザインは、今、名乗りを上げておられるアメリカのデザイナー以外にも、制作されている方は、世の中にたくさんいらっしゃると思います」
「それが、誰か特定の人のアイデアとして認められ、ほかの人が使えないということであれば、デザインの世界では、できないことがほとんどになってしまうと思いますし、わたしはそうではなく、ほかの誰が使っても、問題のないものだと思います」と反論した。

 盗作疑惑騒動が拡大し続けており、中には言いがかりのような指摘も含まれていることから、その一部について佐野氏自身が反論したコメントだ。
 群馬県太田市の美術館のロゴマークが、アメリカのデザイナーの作品に酷似していることがネット上で指摘されたが、これ1件だけだったら、佐野氏のような反論は正当性がある。
 アメリカデザイナーは、アルファベットすべてのデザインを創作したわけではなく、一部の文字を自分の作品に使っただけ。
 そのデザインコンセプトを応用して他の文字列をデザインしたのが佐野氏の作品。
 これは、別に他人の作品をコピーしたわけでも、一部を改変利用したわけでもない。
 最初に一部文字をデザインした者が、同じデザインコンセプトのすべてのアルファベットのデザインを独占できる、というのは、あまりにも無謀だ。
 普通であれば、佐野氏の主張に何の問題もないだろう。

 だが、太田市の美術館ロゴがどうして問題視されたのかということを考えると、こんな一般論で済まない。 元は、五輪エンブレムのオリジナル性に疑問が呈されたことが発端。
 佐野氏のほかの作品にもオリジナル性に疑問のあるものが次々に見つかり、騒動が大きくなった。
 その流れの中で見つかったのが太田市美術館のロゴなのだ。
 他の作品の盗作疑惑が次々に指摘され続けるのは、佐野氏のデザインに対する姿勢に疑問がもたれているからだ。
 そして、それはそのまま五輪エンブレムのオリジナル性への疑問に直結しているのだ。
 太田市美術館ロゴに問題があったから騒動が起きたのではない。
 本質はすべて五輪エンブレムのオリジナル性にある。
 騒動ネタの1つ1つを取り上げて反論を試みたところで、事態は沈静化しない。
 
 佐野氏の今回の反論では、元のデザインをまねたことを否定していない。
 むしろ、「このぐらい、まねても問題ない」「これを真似ていけないとなると、デザインできなくなる」と開き直っているようにも見える。

 トートバッグの一部盗用を認めた。
 太田市美術館ロゴのものまねも認めた。
 五輪エンブレムのデザインも、他の作品と同じように元のデザインとよく似ている。
 なのに、五輪エンブレムだけは完全オリジナルと強弁し続ける佐野氏。 
 このまま押し通すにはかなりの無理がある。 

 
posted by 平野喜久 at 08:02| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月17日

五輪組織委員会の暴走:ダメージ拡大を止められず

 東京五輪の大会組織委員会が17日声明を発表した。
 2020年東京五輪の公式エンブレムがベルギーの劇場ロゴに似ていると指摘されている問題に関して。
 
「われわれの詳細な説明に耳を傾けようとせず、提訴するという道を選んだ」などと、デザイナー側を非難。
「エンブレムはデザイナー側の権利を一切侵していないとする立場に変わりはない」と従来の主張を繰り返した。

 組織委員会の声明発表ということなので、ようやくこの問題が解決に向けて動き出したのかと思われた。
 裏でデザイナー側との交渉が進み、落としどころが見つかったのかと思われた。
 ところが、事態は最悪の方向に向かっている。
 まったく、交渉が成り立っていないのだ。
 組織委員会の立場を先方に説明しようとしたが、それを受け入れられなかったため、逆切れしたかのように見える。
 どのような説明をしたのかは想像ができる。
 「デザイナーは劇場ロゴを見ていない」「両者はデザインコンセプトが全く違うので似ていない」「各国の商標は事前調査済みで法的に問題はない」などという一方的な言い分を延々と述べたのだろう。
 だが、先方が主張しているのは、「結果として似ていることが問題」ということ。
 それを「似ていない」といくら強弁したところで受け入れられるわけがない。
 そんな説明をいくら詳しくされたところで納得できるはずがない。
 先方に「これは提訴しかない」と思わせたとしたら、組織委員会側の自分勝手な姿勢が原因だろう。

 「こちらの言い分を聞こうとしない」と相手を非難しても、何の問題解決にならない。
 相手は、「こっちの言い分を聞こうとしないのはお前の方だ」と言うだろう。
 相手の姿勢を硬化させるだけだ。
 今回の声明は、あまりにも感情的で、冷静に練られたものとは思えない。
 組織委員会は、ちゃんと機能しているのか。
 一部の人間だけの浅薄な思わくで暴走しているのではないか。

 ネット上で、佐野氏の盗用疑惑が次々に暴露され続けているのはなぜかを認識してもらいたい。
 この五輪エンブレムは、もはや世論の支持を失っている。
 日本の世論だけではなく、世界の世論から見放されそうな気配だ。



posted by 平野喜久 at 18:58| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月15日

安倍談話:村山談話に上書き保存

 安倍談話が発表された。
 過去にいろんな談話があったが、発表前からこれほど注目された談話は珍しい。
 中国、韓国からは、予想通り注文が付けられた。
 国内のメディアも、4つのキーワード『植民地支配』『侵略』『おわび』『反省』を勝手に設定し、これらに言及のない談話は認められない、とハードルを設定した。
 
 結果として、安倍談話は、4つのキーワードをすべて使い、言うべきことを主張した。
 反安倍のメディアは、直ちに突っ込みどころが見つからない様子。
 中国、韓国も反応が鈍い。
 
 この談話、よく読むと、実に巧みにできている。
 植民地支配は世界の趨勢だったこと、日露戦争の勝利がアジア諸国の独立の気運を盛り上げたこと、アジア諸国が戦場として被害を受けたが、その中に朝鮮半島が含まれていないこと。
 さりげない言葉に、日本の重大な主張が含まれている。

 安倍総理が談話を発表すると言ったのは今年の1月だった。
 どんな談話を発表してもケチをつけられるだけなのに、なぜ? との疑問があった。
 だが、今回の談話を見て、疑問が氷解。
 村山談話の上書きが目的だったのだ。
 見事というほかない。




 
posted by 平野喜久 at 10:56| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月14日

佐野氏のパクリ疑惑炎上:このままでは終わらない

 東京オリンピックのエンブレムをデザインした佐野研二郎氏によるトートバッグデザインのパクリ疑惑が収まらない。
 サントリーは、オールフリーのキャンペーンに使用されている佐野研二郎氏デザインのトートバッグ30種類のうち、8種類について使用停止を決めた。
 この8種類は、特に他の著作との類似性が明らかなもので、佐野デザイン事務所からの申し出によるという。

 佐野氏は8月14日、問題になったデザインは、佐野氏の管理のもと複数のデザイナーと共同で制作したもので、デザインの一部について第三者のデザインをトレースしていたことを確認したとして、謝罪した。
 東京五輪・パラリンピックのエンブレムは佐野氏が個人で応募したものであり、「今回の案件とは制作過程も含めて全く異なるもの」として、「模倣は一切ない」という立場に変わりがないとした。

 五輪組織委員会は、サントリーデザインの問題は五輪エンブレムとは無関係との主張をしている。
 一般公募により募集されたデザインの中から、正当な選考プロセスを経て選ばれたもので問題ないとの立場を崩していない。

 ベルギーのデザイナーらは14日、IOCに対し、エンブレムの使用停止を求める訴えを起こした。
 近々、裁判が始まる。
 裁判の行方は不透明。

 組織委員会としては、このまま正面突破を考えているようだ。
 この強気の姿勢は理解不能だ。
 法的に瑕疵がないことを確認していて、自信があるのだろうか。
 だが、この裁判で勝ちはない。
 負けないのが精一杯だ。
 なぜなら、裁判所では、このデザインのオリジナル性を証明してくれるわけではないからだ。
 せいぜいが、「類似点は認められるものの、両者を誤認混同させるほどの類似は認められない」「類似点については、偶然の一致の可能性を完全に排除できない」となるだろう。
 つまり、裁判に負けなかったとしても、もやもやしたものは残ることになる。
 却って、裁判所が「似ている」ことを認定しまいかねない。

 ベルギー国内では、日本のオリンピックへ世論が反発を強めている。
 日本のテレビコメンテータの発した、ベルギーデザイナーを小ばかにしたような言動が伝えられ反発を招いているという。
 そのコメンテータが、ただのおバカタレントだったら笑って済ませられるが、国際弁護士だったり、社会学者だったり、スポーツ評論家だったり、新聞論説委員だったりするからやっかいだ。
 このままでは、ベルギーの世論は、ヨーロッパ全体に波及しそうだ。

 もう1つ厄介なのは、日本の世論が完全に離れてしまっていることだ。
 五輪エンブレムについては、公開当初から評判がよくなかった。
 そこに湧き上がった盗作疑惑で、完全に支持を失った。
 佐野氏の他の作品への検証が始まったのは、ネット上の世論による。
 マスコミは完全に言論統制下に置かれたかのような不気味さ。
 こぞって、体制側を擁護するような姿勢を示すか、完全に無視するかだ。
 広告代理店の指示が行き渡っているようだ。
 唯一、NHKだけは、フリーハンドで、サントリートートバッグの事件を報じることができた。
 
 五輪エンブレムについては、選考過程に疑問の目が注がれている。
 選考する審査員も、選考される応募者も身内同士で行われているのではないか、との疑惑だ。
 サントリーのトートバッグも、エンブレム発表と同時にキャンペーンがスタートするなど、初めから佐野氏の選考が分かっていたかのような動きに見える。
 ネット世論は、ただデザインが似ているなどということではなく、この選考過程の不透明さに向かっている。 

 この問題は、既に佐野氏個人で対応できる範囲を超えている。
 五輪組織委員会が前面に出て対応しなければ事態は収拾しない。
 なのに、間違った道を歩み続けている。
 たぶん、軌道修正できるだけのパワーのある人がいないのだろう。
 だから、ひたすらハンドルレバーを握りしめて、そのまま正面突破することしか考えられないのかもしれない。
 
 
 
 
posted by 平野喜久 at 16:35| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月11日

佐野氏のデザインポリシーが問題に:五輪エンブレム

 東京オリンピックのエンブレムが、ベルギーの劇場ロゴに酷似している問題。
 ネット上では、騒ぎが拡大し続けている。
 デザイナーの佐野研二郎氏の過去の作品がことごとく検証の対象になり、その中から、オリジナル性に疑問符がつくケースが次々に見つかっている。

 サントリー・オールフリーのキャンペーンに使用されている佐野研二郎氏デザインのト
ートバッグ。
 その中に、別の画像やデザインからの盗用が疑われるケースがいくつも見つかっている。
 いずれも、ネット上で発見されたものばかりだ。
 中には、個人ブログに乗っていたフランスパンの写真をそのままバッグのデザインに使用したと思われるものもあり、その大胆さに驚かされる。

 1件1件は、大した盗用ではない。
 フランスパンだって、何の変哲もない写真を拝借しただけ。
 写真を撮影した人だって、そのフランスパンを自分で創作したわけではなく、お店で買ってきたものをそのまま写しただけ。
 撮影者がいきなり損害賠償請求をしてくるなんてことは考えられない。
 撮影者が文句を言って来たとしても、個別の対応をすれば済んでしまう。
 撮影者は一般の個人、こちらは大企業のサントリーだ。
 個人が1人騒いだところで大問題になることはない。
 相手が素人で個人だと分かっていて、こういう著作権侵害行為を平気でしているのかもしれない。
 
 かつて、ネット上で見つけた面白い写真を集めて出版した著者がいた。
 ネット上の画像に著作権はないと勝手な解釈で開き直っていた。
 「写真の著作権者がいたら申し出れば、対応する」と呼びかけ、自身の行為を正当化していた。
 佐野氏のデザインもこれと同じだ。

 デザイン素材は、ネット上で拾ってきて、加工して自分の作品にする。
 これが、佐野氏のデザインポリシーなのだろうか。
 五輪エンブレムもこのポリシーの中で制作されたものだとすると分かりやすい。
 ベルギー劇場ロゴとの類似性は、ここに源流があったのだ。
 トートバッグのデザインは、五輪エンブレムのオリジナル性に決定的な疑問を呈することになっている。
 本当に、このままやり過ごすのだろうか。

 今回の騒動、昨年の小保方氏の論文捏造事件によく似ている。
 小保方氏の捏造疑惑もネット上での告発が発端だった。
 理研側の対応が後手後手になる中、過去の論文にまでコピペ疑惑が発覚しつづけ、どんどん追い込まれていった。
 STAP細胞があるかどうかよりも、小保方氏の研究者としての姿勢に問題あり、ということがはっきりしてきた。
 最終的には、論文撤回、小保方氏の解雇処分となった。

 五輪エンブレム事件については、いまのところ、メディアが情報統制をしている。
 ネット上だけの騒ぎで終わるかどうかが注目。

posted by 平野喜久 at 14:09| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月08日

不自然な記者会見:五輪エンブレム

東京五輪の公式エンブレムがベルギーのリエージュ劇場のロゴなどと似ていると指摘された問題.
制作者の佐野氏が記者会見。
 盗作疑惑について「事実無根」と全面否定した。
 ベルギー人のデザイナー、オリビエ・ドビ氏は、
「結果的に2つは極めて似ている。どうやって創作したかではなく、結果が大事だ」
 と反論。
 五輪エンブレムの使用差し止めを求めて提訴したという。

 騒動が巻き起こってから随分遅れての記者会見だった。
 この記者会見は、疑惑を払拭し、逆に自身のデザイナーとしてのイメージアップにつなげることができる最大のチャンスだった。
 だが、それに成功したとはとても言えない。
 ただただ、自分に降りかかった火の粉を払いのけるのに必死といった印象だ。
 
 劇場ロゴと五輪ロゴとが不自然に似ているというとことから、騒動が始まった。
 なのに、佐野氏は、「似ていない」「事実無根」の一点張りだ。
 一般人がパッと見て、似ているという印象を持ったから問題になったのに、それいを「似ていない」と強弁したところで、何ら説得力を持たない。
 両者のデザインコンセプトに違いがあることをもって、まったく違うデザインだと主張しても、ほとんど意味がない。
 とにかく、理屈ではなく、第一印象が似ていると感じられることが問題なのだから。
 
 佐野氏は、別途、五輪ロゴの構成要素を使って、アルファベットのデザインも公開した。
 このデザインは、Tだけではなく、他の文字にも応用できる拡張性を持たせてあるのだ、と言いたいらしい。
 だから、劇場ロゴを真似たものではない、と言いたいようだ。
 だが、これもよく分からない理屈だ。
 このアルファベットのデザインは、五輪ロゴができ上がった後に、同じ構成要素で作り上げたものに見える。
 つまり、「すべてのアルファベットを表現できる構成要素を作り、その中のTを抜き出して、今回の五輪ロゴに使った」というようにはとても見えないのだ。
 流れが逆。
 五輪ロゴのオリジナル性が疑われたので、急遽、アルファベットデザインをやっつけで作って、Tデザインの類似性に集まった関心を拡散させようとしているように見える。

 アルファベットデザイン一覧の中に含まれているTを見ると、五輪ロゴそのものの形になっている。
 だが、Tを表現するだけだったら、右下の三角形の要素は要らないはずなのだ。
 Tと円をモチーフにしたとき、はじめて、右下の三角形が生きてくる。
 なのに、アルファベット一覧にあるTには、右下の三角形がついたまま。
 これは、五輪ロゴが完成してから、後付けで作られたデザインではないかということを疑わせる根拠になっている。

 佐野氏が記者会見で公開すべきだったのは、こんなアルファベットのデザイン一覧ではなく、五輪エンブレムの製作過程が見えるラフスケッチだった。
 完成度の高いデザインは、イメージを書き付ければいきなりでき上がるというものではない。
 完成形ができ上がるまでは、気の遠くなるような試行錯誤を繰り返して、ようやく納得いく作品ができ上がる。
 その過程では、様々なパターンの失敗作が山のようにでき上がっていなければおかしい。
 当然、記者会見では、ラフスケッチを見せながら、
「当初はこういうイメージで描きはじめました」
「もう少し形を整えるためにこうしました」
「別の要素を加えたり、外したりしてみました」
「そして、ようやくこの形に落ち着きました」
 こんな裏話が聞かれるものとばかり思っていたが、そんなのはカケラも出てこなかった。
 これは、本当にこの人がデザインしたのか、と疑わせるに十分だ。
 ちょうど、小保方氏の実験ノートがほとんど存在しないことで、実験の信憑性が疑われたのとよく似ている。

 メディアの取り上げ方が、このごろおかしい。
 当初は、両者の類似性を興味深いニュースとして取り上げ、これが新たな問題に発展する含みを持たせた報道姿勢だった。
 途中から雰囲気が変わった。
 「現状で問題ない」という方向で、すべてのコメントが統一されている。

 IOCやJOCが「問題ない」と突っぱねるのは分かる。
 だが、テレビのコメンテータまで、同調したように、「問題ない」を繰り返しているのだ。
 中には、ベルギーのデザイナーを批判するような姿勢も見られる。
 「ベルギーのデザイナーは、ツイッターのフォロワーが300人もいないような弱小であり、今回の騒ぎを起して注目を浴びようとする言いがかりだ」
 などと言う社会学者まで現れた。
 普段この学者は、弱者の立場に身を置き、体制側を批判することをポリシーとしていると思われたが、今回だけは、オリンピックと言う体制側につき、弱小個人を攻撃している。
 「今回の騒動で、この劇場はずいぶん有名になった」と皮肉を言うものもある。
 不思議なことに、現在では「似ている」「五輪ロゴのデザインを変更すべき」という意見は全く聞かれない。
 これらの発言はタブーとされNGワードになっているかのようだ。

 今回の事件を、ベルギーのデザイナーの立場で考えると、分かりやすい。
 突然発表された東京五輪のエンブレムのデザインが、自分が創作した劇場ロゴにそっくりであることに気づいた。
 さて、これを放置しておいたらどうなるか。
 五輪エンブレムは世界に喧伝され流布される。
 世界認知度は抜群。
 その時、自分の劇場ロゴはどうなるか。
 何も知らない人が劇場ロゴを見たとき、誰もが「五輪エンブレムにそっくり」と思うだろう。
 次に何と考えるか。
 「五輪エンブレムを真似たんじゃないの?」
 となるのは、間違いない。
 「五輪エンブレムがベルギーの劇場ロゴを真似たのかも」などと考える人は誰もいない。
 オリンピックという世界的な権威と、ベルギーの個人デザイナーでは、圧倒的な力の差がある。
 後になって、いくら弁明したところで、誤解を解き、傷ついたイメージの修復は不可能だろう。
 だから、いま、声を挙げて五輪ロゴの不自然な類似性を訴えているのだ。
 これは、言いがかりでもないし、騒ぎを起こして利益を得ようなどという、下種な魂胆とも全く違う。
 自分の権利を守るための必死の防衛行動だ。
 私がベルギーデザイナーだったとしても、同じ行動を起こしたと思う。

 今回の事件の本質は、「結果として、両者が似ている」ということに尽きる。
 五輪デザイナーが、パクったかどうかは既に問題の本質ではなくなっているのだ。
 
 「このように単純なパーツの組み合わせの場合、似たようなデザインができるのは当たり前」と、擁護している者もある。
 だが、これは、「このデザインにはオリジナル性がない」と主張しているのと同じだ。
 となると、こんな類似デザインが予想されるようなものをどうして採用したのかという、選考過程の問題になる。
 果たして、正当な選考が行われたのか、というところから疑わしくなる。

 五輪エンブレムは発表当初から、評判がよくない。
 スポーツの祭典らしい、躍動感も若々しさもさわやかさもないのだ。
 マスコミの中で、五輪エンブレムについて世論調査しようとするところがない。
 たぶん、世論調査をすれば、五輪エンブレムの評判の悪さが決定的となるからだろう。
 
 



 
posted by 平野喜久 at 11:33| 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする