2015年07月30日

盗作疑惑:東京五輪エンブレム

 24日に発表されたばかりの東京五輪エンブレムデザイン。
 突然、パクリ疑惑が持ち上がった。
 ベルギー東部リエージュ在住のデザイナー、オリビエ・ドビさんが29日までに、自身がデザインしたリエージュ劇場のロゴと「驚くほど似ている」とフェイスブックに投稿した。
 東京五輪のエンブレムはアートディレクター・佐野研二郎氏の作品。
 佐野氏は、大会組織委員会を通じて「特にコメントはない」とし、組織委の広報担当者は「発表前にベルギーを含めて世界中の商標確認をしており、問題ない」と話した。

 いやなケチがついたという印象だ。
 似ていると指摘されているのは、「テアトル・ドゥ・リージュ」という劇場のロゴマーク。
 比べてみると、確かに驚くほど似ている。
 劇場ロゴは、TとLをデザイン化したものだということがよく分かる。
 ところが、五輪エンブレムにも、L部分のデザインが含まれてしまっている。
 Tは、東京、チーム、トゥモロウの頭文字と発表された。
 ところが、Lにあたる部分の説明は何もなかった。
 右下のL字形のデザイン部分は、あまりにも不自然だ。

 五輪エンブレムの発表があった時、違和感を覚えた人が多かった。
 「何? これ!」というのが率直な第一印象だった。
 円とTをデザイン化したものとの解説があったが、納得感が低い。
 まず、TがTに見えない。
 右下に見えるLはどういう意味?
 なぜ、色がこんなに地味なの?
 オリンピックらしい、若さも、さわやかさも、躍動感も感じられない。
 イメージが暗い。
 ホントに、これが日本、東京のイメージにふさわしいか?
 違和感ばかりが先に立つデザインだった。

 そこに、今回のパクリ疑惑だ。
 右下のLに似た部分は、こういうことだったのか、と納得させるものがある。
 
 それにしても、デザイン選考は誰がどのように行なったのだろう。
 108件もの応募があり、その中から選ばれたデザインだという。
 とても、えりすぐりのデザインに見えない。
 盗作疑惑がないように、類似意匠の探索ぐらいは、やっていなかったのか。
 いまでは、ネットで簡単に類似デザインの検索ができる時代なのだ。
 あまりにもお粗末としかいいようがない。
 
 今回の五輪は、メインスタジアムについてもそうだが、密室の中で一部の人間だけで、レベルの低いことを勝手にやっているという印象をぬぐえない。
 
 
 
posted by 平野喜久 at 09:33| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月18日

解題「リスクの神様」第2話

 第2話は、食品異物混入事件だ。
 今回のストーリーには、企業側の間違った対応がいくつか出てくる。
 異物混入事件を起こした豊川フーズ社長が、新聞記者に囲まれて思わず口走った言葉。
「うちは被害者なんだ」
「返金にもいっさい応じるつもりはない!」
 この失言が報道されたことで、世論が沸騰し、不買運動までつながることになった。

 次の間違いは総務部長による謝罪会見。
 謝罪会見は1回で決着しなければいけない重大なチャンスだが、そこに社長が出てこないことで不信感を広げた。
 不慣れな総務部長ははじめのうちはそつなくこなすが、記者の追求が激しくなると、理性を失い、声が震え、貧乏ゆすりが始まり、手が悔しそうにペンを握りしめるようなしぐさになる。
 ついに記者の質問に乱暴な言葉で逆切れする場面も。
 この会見は、会社の印象の悪さだけを残す結果となった。

 結果として、大リストラで屈辱的な扱いをされた元社員らによる異物混入であったことが判明。
 会社の責任を全面的に認め謝罪。
 豊川フーズは大手食品会社に買収されることで設備と従業員の雇用を守った。

 この回で、興味深い場面。
 会社に異物混入事件にかこつけて言いがかりをつけて乗り込んでくるチンピラに対応する場面が出てくる。
 マカロニスープに金属製のねじが混入していて、誤って口の中を5針も縫うけがをして、会合に出られず契約も取り逃がすことになったと因縁をつけてきた。
 これに対して、会社側は終始、毅然とした対応を貫く。
 「医師の診断書を出せ」
 「失った契約の詳細や会食の状況も文書で提出せよ」
 激高したチンピラは、「社長を出せ」とすごむ。
 「責任者は私だ。まずは文書を」で押し通す。
 チンピラは、マカロニを投げつけて出ていく。
 この場面は、悪質なチンピラクレーマーへの対処方法の手本だ。
 言葉遣いは丁寧に、しかし、毅然と。
 検討する、考えておく、上司に相談する、などとその場限りの逃げ口上は、こちらが別の義務を負うことになり、クレーマーの思うつぼ。
 乗り込んでくるチンピラは怖くない。
 ここはホームグランドだし、味方で取り囲んでいるので、相手が暴れたとしても、抑え込めるからだ。
 暴力をふるうようなことがあれば、直ちに警察に通報。
 その時、証拠の写真や動画、音声があれば完璧。
 相手に勝ち目はない。
 
 今回のドラマで、気になる場面。
 異物混入のカップを特定する作業で、ネット上にアップされた容器の写真から製造番号を特定する場面がある。
 カップの一部分を拡大するとぼやけたバーコードが写っている。
 それをコンピュータ解析することで少しずつ鮮明になり、番号が読み取れるようになる。
 その製造番号から製造工場と製造年月日が特定されるという流れ。
 だが、不鮮明な写真をいくら処理したところで、鮮明な数字が浮かび上がることはない。
 鮮明な画像を不鮮明にすることは簡単だが、その逆は、不可能なのだ。
 だが、バーコードだけであれば、不鮮明なものでも、もとのデータを類推可能かもしれない。






 
 
   
posted by 平野喜久 at 15:35| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

解題「リスクの神様」第1話

 第1話は、製品リコールがテーマだ。
 自走式掃除機が発火事故を起こす。
 西行寺が、事故のあった縫製工場に出向く場面が面白い。
 謝罪するなと言われていた西行寺は、謝罪せずに事態収拾をしようとする。
 秘密厳守の交換条件として、以下の提案をする。

・工場丸ごと、うちで建て替える。
・息子さんの就職先を、うちで斡旋する。
・工場の仕事の斡旋も、うちで世話する。

 思いのほかの提案に工場主は、出鼻をくじかれ、文句も言えなくなってしまう。
 これで、事故製品の回収と防犯カメラ映像の入手。
 合わせて、秘密厳守の誓約書にサインさせることにも成功。
 謝罪せずに事態を収拾しようとすれば、これぐらいのインパクトのある提案でないとだめだということだろう。
 現実には、一担当者にこんな提案をする権限などあるはずがない。
 ほとんどはったりでしかない。

 また、誓約書には何が書かれていたのか分からないが、これにはほとんど意味がない。
 被害者が秘密を暴露しようと思えば、いつでもできてしまう。
 もちろん、暴露すれば約束違反だが、約束違反に対する罰則がない。
 西行寺が提案した交換条件が誠実に履行されないと思った時には、いつでも暴露できる。
 暴露した瞬間に、リコール隠蔽の事実が明らかとなり、会社の信用は失墜する。
 暴露されてから、約束違反だ、と抗議したところで手遅れ。
 約束違反で損害を被ったとして賠償請求訴訟を起こしても無駄だ。
 不正の隠蔽という反社会的行為を約束する誓約書は効力が認められない。
 となると、こんなはったりのような口約束をして事態収拾を図ろうとするのは、却ってリスクが大きい。

 結局、内部処理でこっそり問題の鎮静化を図ろうとするのは、根本的な解決にならない。
 自ら製品の欠陥を認め、全製品の回収を行うしか、本当の問題解決はない。
 それも、外部から指摘されて追い込まれるように対応するのではなく、自ら主導して対処するところがポイントだ。
 ドラマの結末も、その王道の通りの描かれ方をしている。
 
 ドラマの中の気になるセリフ。
 西行寺の「謝罪とリコールを公表すべき」という提案に生島社長の反応。
「生島電機の株価も暴落して巨額の損失を生んでしまう」
 このセリフはおかしい。
 株価暴落と巨額損失は因果関係が逆だ。
 巨額の損失がでることで株価暴落が起きる。
 株価が暴落することで損するのは投資家であって、その会社ではない。

 脚本家は、株価上昇は会社の利益、暴落は会社の損失というイメージを持っているのかもしれない。







  
 
posted by 平野喜久 at 14:42| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月05日

世界遺産登録は申請を引き揚げるべき:韓国の執拗な妨害工作

 日本の明治産業遺産が世界遺産委員会の認定直前で頓挫している。
 原因は、韓国の執拗な妨害工作による。
 先月、日韓外相会談により、お互いの世界遺産登録に協力しようということで合意したのだとばかり思っていた。
 ところが、韓国が申請している百済の歴史遺産が先に認定されたところから、様子がおかしくなった。
 韓国のロビー活動が活発化しており、日本の遺産登録を見送るように委員国の代表らに説いて回ってるようだ。
 「軍艦島」の通称で知られる端島炭坑をナチス・ドイツによるアウシュビッツ強制収容所と比較して、他国に理解を訴えたという。
 登録の条件として、強制徴用と強制労働の文言を解説文に入れることを主張しているらしい。
 世界遺産登録を優先させるため、韓国の主張を全面的に受け入れるようなことになれば、この明治産業遺産は、単なる太平洋戦争時の負の遺産になってしまう。
 しかも、アウシュビッツと同列の非人道的な施設という位置づけ。
 こうなったら、これを根拠に、戦時徴用の謝罪と賠償を求めてくるのは目に見えている。
 そう、この遺産登録が、第2の河野談話になりかねないのだ。

 これでは、間違った歴史認識を世界に広めてしまうばかりか、日本の将来に禍根を残す。
 こんなことなら、世界遺産など無理に登録する必要はない。
 世界遺産はそれほどまでに、認定されなければならないものか。
 韓国のロビー活動で、本来の申請趣旨がゆがめられてしまったとして、申請を引き下げた方がいい。
 登録を優先するために、韓国の無理難題を全面的に受け入れてしまうような愚挙だけは避けてほしい。

 日本がユネスコ世界遺産委員会の委員国に外務副大臣らを「特使」として派遣すると、韓国は後を追うように尹炳世外相を派遣したという。
 むきだしの対抗措置は、おぞましささえ感じる。
 さて、日本はこの韓国の下品なまでの露骨な行動にどう対処するのか。
 


posted by 平野喜久 at 21:33| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月30日

新幹線火災事件

 30日午前11時半ごろ、新横浜−小田原間を走行していた東海道新幹線下りの先頭車両で、男が焼身自殺を図った。
 男は油のような液体を車内にまいた上、自ら液体をかぶって火を放ったという。
 男は死亡、巻き込まれた女性も亡くなった。
 他にも、負傷者がいるようだ。
 運転手が緊急停止し、消火したという。
 一時は、新幹線は全面運休となり、交通網に大きな影響が出た。
 
 電車内で焼身自殺を図った例では、韓国の大邱で起きた地下鉄火災事件が有名だ。
 こちらは、192人が死亡、148人が負傷する大惨事となった。
 駅員の対応の遅れや措置の間違いにより被害が拡大した。
 
 今回の新幹線火災も、大惨事に至る可能性があった。
 よく大事に至らずに済んだと思う。 

 







posted by 平野喜久 at 21:37| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月25日

ハイレゾオーディオの素晴らしさ

 CDショップの店頭で、ブルーレイオーディオの視聴コーナーがあった。
 カラヤンの「惑星」。
 これは、昔から名演との評価の高い演奏として知られる。
 でも、録音がステレオ録音初期の60年代。
 私もこのCDは持っているが、録音の古さが否めない。
 
 どうして、こんな古い録音をわざわざブルーレイオーディオなんかにするんだろう、と思った。
 どうせなら、最新デジタル録音を採用すればいいのに。
 半信半疑で、ヘッドホーンをあて、聴きはじめた途端、驚いた。
 非常にクリアで深みのある音が鳴っているではないか。
 CDでは、ぼやけた音しか聞こえなかったはずなのに、これは音場がくっきり。
 マスター音源はこんなにも音質が良かったのかと感心した。

 ブルーレイオーディオシリーズは、すべて、アナログ録音を採用していた。
 これにも意味があるのだろう。
 サンプリング周波数に縛られない音質の良さがアナログにはある。
 それを最大限に引き出すため、デジタル録音ではなく、アナログ録音を採用しているのだ。

 アバドの「復活」を購入。
 これはCDを持っているので、その違いを聴き比べるため。
 ついでに、ハイレゾ対応のヘッドホンも購入。
 3万円ぐらいでハイレゾ対応のヘッドホンが買える。
 周波数帯域は、3Hz〜100kHz。
 人間の可聴領域を遥かに超えている。
 人間に聞こえないはずの音域が音場のリアルさを作り上げているのだ。

 音源の良さとヘッドホンの優秀さが相まって、今までに経験したことのない音響体験だ。
 音の透明感が全く違う。
 特に弱音の透明感は、プレイヤーの息遣いまで聞こえてきそうなほど。
 大音響の部分もまったく混濁しないし、うるさくならない。
 1つ1つの楽器の音が粒だって活き活きと重なり合って聞こえる。
 今まで気づかなかった音まで聞き取れてびっくり。
 長時間聴いていても、疲れない。
 
 また、音楽を聴く楽しみが増えた。



posted by 平野喜久 at 16:27| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月23日

R指定すべき作品『絶歌』

 いま、Amazonで売上ランキング1位を占めているのが、『絶歌』という本。
 これは、18年前に世間を騒然とさせた神戸児童連続殺人事件の犯人の手記だ。
 当時14歳だった犯人は、いま32歳。
 著者名は「元少年A」となっている。

 Amazonのレビュー欄は、批判の嵐だ。
 著者への批判、そして、出版社への批判であふれている。
 なのに、この本は注目され、よく売れているようだ。
 リアル書店でも、店頭平積みになっているところもあるという。

 この本は、出版社が企画を犯人に働きかけたものではないようだ。
 犯人が出版社に企画を持ち込んだのだという。
 当初は、幻冬舎の社長あてに手紙を書いたらしい。
 このようなきわどい出版企画は幻冬舎が向いていることを犯人は知っているのだ。
 幻冬舎は、かつて、市橋容疑者の手記を出版して物議をかもしたことがある。
 そのことを、犯人は知っていたのだろう。
 まずは、ノンフィクションとして、続いて小説として出版したいという要望があったという。

 ところが、幻冬舎社内でも出版は見合わせるべきという判断になった。
 その理由は、彼の文章はあまりにも自己愛と自己陶酔が過ぎ、悔悟の気持ちが感じられないというものだった。
 せっかく向こうから飛び込んできた得ネタを捨ててしまうのはもったいない。
 それで、幻冬舎社長が太田出版に声をかけたという。
 それで、このたび出版となった。

 本書の一部を読んで驚いた。
 手記というには異様な文章で満ち溢れている。
 自分の心情や行動を過剰な装飾で飾り立てたような文章だ。
 まさに、自己愛と自己陶酔の文章だ。
 自らの罪を悔い改めている姿勢はみじんも感じない。
 健常な感覚では、その異常さにまともに読み進めることができない。
 幻冬舎でさえ尻込みした理由が分かる。
 彼の犯罪は劇場型と言われた。
 犯行声明文が「さあ、ゲームの始まりです」と世間を挑発するような文面だったことが印象的だ。
 今回の手記は、その犯行声明文の続編であるかのようだ。
 
 被害者の遺族は、出版の差し止めと店頭書籍の回収を出版社に申し入れているという。
 当然だろう。
 犯行が継続してしまっているのだから。
 出版社は、第2の犯罪に手を貸していることになる。
 
 人を殺してみたかったと殺人を実行した名大生がいた。
 彼女は、この少年Aにも羨望の眼差しを向けていたのだという。
 異常犯罪性向の持ち主には、共感するものがあるのだろう。
 そのような人間にとって、この手記は、聖典のように見えるかもしれない。
 この本は、異常犯罪の誘発剤になりかねない。
 これが野放しでいいわけがない。
 R指定で閲覧や購入を制限する必要があるのではないか。
 

 
 
posted by 平野喜久 at 18:55| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月05日

隔離対象者3000人を超える:韓国MERS

 MERSの感染者が地域の行事に参加して、隔離措置対象者が一気に増えたらしい。

 韓国・ソウルの病院に勤務し中東呼吸器症候群(MERS)コロナウイルスに感染した医師(38)が、1500人以上が集まった地域の行事などに参加していた。
 ソウル市は5日、自治体の権限で独自に行事参加者全員を自宅に隔離する作業を進めた。
 MERS感染では、4日時点で政府が約1600人に自宅や施設での隔離措置をとっている。
 こうした人が2倍に増える見通し。
 5日未明、新たに感染者1人が死亡、ほかに5人の感染が確認された。
 これで死者は4人、感染者は死者を含め41人となった。
 一方、韓国のJTBCテレビは4日、医師の勤務先で、少なくとも3人の同僚医師にMERS感染と同様の症状が出ている。

 韓国の混乱は続いている。
 実際の感染は、病院内で起きているようだ。
 同じ病室にいた患者か、医療関係者に感染が広がっている。
 そこから先の一般社会への感染拡大までは至っていないように見える。
 混乱しており、実態がよく分からない。
 この時期に、医者が人ごみに出かけていくこと自体、不見識だが、その医者が感染していたとなると、単なる「うっかり」では済まされないだろう。
 隔離対象者が3000人を超える事態となった。
 3000人もの人に、2週間も自宅待機を強制するのか。
 実効性は低い。

 
 
 
posted by 平野喜久 at 09:07| 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月04日

3人目の死者:韓国MERS

 韓国保健福祉省は4日、中東呼吸器症候群(MERS)感染による3人目の死者が確認されたと発表した。
 3次感染者の死亡は初めて。
 これで韓国での感染者は計36人。
 感染者と接触した可能性がある隔離対象者は6月4日午前で1667人。

 MERSは感染力が低く、2次3次と感染を重ねるにつれて弱まると考えて対応していたようだが、本当にそれが正しいのか疑わしい。
 特に、ウィルスが感染を重ねるにつれて弱まるという話は、聞いたことがない。
 感染を繰り返すうちに変異を起こし、その性質が変わることがあるが、このことを言っているのかもしれない。
 その場合は、感染力や病原性が弱まるとは限らず、逆に強毒化することもある。

 韓国MERSの鎮静化は、今しばらく時間がかかりそうだ。


posted by 平野喜久 at 22:06| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月23日

本当に70代以上だけが反対したのか:大阪都構想

 大阪市で17日、大阪市を廃止して5つの特別区を設置する「大阪都構想」の是非を問う住民投票が行われた。
 結果は、僅差で否決となった。
 ぎりぎりのところで大阪市の存続が維持された。
 まるで、崖っぷち寸前で踏みとどまった感じがある。
 
 もともと、これほど判断の難しい問題を住民に直接問うこと事態に無理があった。
 議会で否決された案を、もう一度住民投票に問うということにも問題があった。
 住民投票可能になった経緯には、公明党の協力があったらしいが、そこには参院選での裏取引があったと言われる。
 何か不透明なところでことが進んでいる印象があった。
 議会で否決されても、住民に直接投票させれば、賛成多数を得ることができると判断したのだろう。
 橋下氏の支持率は一貫して過半数を維持してきた。
 それが住民投票に反映されれば、都構想賛成を得ることができるとの狙いがあった。
 それで、橋下氏は「これが否決されたら政治家を辞める」と早々と公言し、この住民投票が橋下氏の人気投票になるようにしていた。
 今回の住民投票が本当に橋下氏の人気投票になっていれば、賛成多数で可決されるはずだった。

 ところが、反対派の巻き返しがすごかった。
 都市政策などの学者たちの中にも、反対の声を上げる人が出てきた。
 今回、住民投票に賭けられている議案が、どのような内容なのか、反対派たちの説明でようやくわかってきたのだ。
 今回の投票は大阪都をつくろうというものではなく、大阪市を解体し、権限と財源の一部を市から府に移管しようという案だ、ということが分かってきた。
 それで、この案は、完全にダメではなくても、不備な点が多いことが分かってきて、ひとまずやめておこう、という人が増えたのかもしれない。

 さて、住民の投票行動についていろいろな分析が行われている。
 一番目につくのは、各メディアが出口調査をした結果をもとに、世代別の賛否を分析したもの。
 各世代とも賛成が多いが、唯一70代以上だけが反対を上回っている。
 このことをもって、「若者が改革を望んでいるのに、年寄りによってつぶされた」と評価されている。
 ところが、これはおかしい。
 70代以上だけが反対しただけで、全体が反対多数になるなんてことがあるのか。
 高齢者が増えたとは言え、70代以上は人口構成比でも圧倒的に少数だ。
 他の世代がすべて賛成多数なら、結果は可決になるはず。
 70代以上だけが投票率100%に近く、他の世代が極端に投票率が低いということでもあれば、あり得る現象かもしれない。
 だが、全体の投票率が66%ということなので、それも説明できない。
 70代以上だけを投票率100%にして、全体の投票率が66%になるように他の世代の投票率を低く調整しても、全体が反対多数になることはないらしい。
 この出口調査そのものの信憑性に問題があるのではないか。
 そんなデータを基に、世代間の違いを論じても意味がないだろう。
 これは、地域別の賛否の状況でも同じだ。
 大阪市の北部と南部で賛否が分かれた、との分析が行われているが、これも出口調査の結果であり、意味がない。
 そもそも、住民投票は世代間の違いや地域による違いを浮き立たせるために行なったものではない。
 そのような分析は、住民投票の本来の趣旨に反し、世代間対立や地域間対立を煽る言動であり、むしろ害悪が大きい。
 
posted by 平野喜久 at 09:43| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月06日

財政効果さえ合意がない:大阪都構想

 大阪市をなくして五つの特別区を設けるいわゆる「大阪都構想」の是非を問う住民投票を目前に、賛成派と反対派の主張が激突し、世論も完全に2分化している。
 その原因は、都構想の分かりにくさにある。
 賛成派、反対派、両方に言い分があり、理がある。
 両者の言い分をしっかり聞いて住民に判断せよ、というのはあまりにも酷だ。
 というのは、内容が分かりにくく、正確に知ろうとするとかなり専門的な検証が必要になるからだ。
 その判断を、一般住民にゆだねるのか。

 たとえば、都構想による財政効果1つ取っても、賛成派と反対派は全く違う評価をしている。
 賛成派は「2700億円」の財源が生まれるとアピールし、反対派は「1億円」にすぎないと反論。
 これで、どちらが正しいのか住民に判断させるのか。
 それぞれの試算の根拠にまでさかのぼって検証し、どちらが現実性があるか、妥当な判断をしているかを調べなければ、判断できない。
 そんなことを住民ひとりひとりにさせるのか。
 それは無理だ。
 勢い、主張している人の顔つきや、雰囲気で判断するしかない。
 こんな住民投票で行政形態の在り方を決めて大丈夫か。
 
 財政効果もなぜ、こんなに開きがあるのか。
 そこには、どのような試算をするかで、違いが出ている。
 その確認はきっちりできるはずだし、何が妥当な試算なのかの検証もできるはず。
 それは、住民投票に諮る前に、最低限のすり合わせができていなければおかしい。
 今回の住民投票にかけられている提案書は、審議不十分なものをいきなり住民の前に投げ出した感が否めない。
 たぶん、議会ではまともな審議ができなかったのだろう。
 それで、業を煮やした賛成派が、議会での決着を諦め、住民投票による決着にすべてを賭けたというところか。
 
 今回の、住民投票を前に、住民も都構想を真剣に考えるようになった。
 都構想とはどういうものかが少しずつ分かってきた。
 争点はどこにあるのかもわかってきた。
 それは一定の効果があった。
 だが、今回の住民投票では、賛成と反対しか選択肢がない。
 本来は、保留という選択が最も妥当なところではないだろうか。





posted by 平野喜久 at 16:51| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

読後所感:『夢を売る男』百田尚樹

 百田尚樹著『夢を売る男』(幻冬舎文庫)
 書店の店頭で偶然見つけ、衝動買いした。
 題名からはどんな話か見当がつかないが、内容は出版業界の裏側をぶっちゃけた話だ。
 夢を売るとは、出版ビジネスのことを言う。
 誰に売るのかと言うと、読者ではない。
 本を出したがっている人に売るのだ。
 そう、これは、一時ブームとなり、社会問題ともなった、共同出版ビジネスの話なのだ。

 共同出版とは、自費出版とも商業出版とも違う第3の出版方法。
 商業出版とは、経費を出版社が負担する。
 自費出版は、経費を著者が負担する。
 だが、共同出版は、経費を出版社と著者が折半する。
 出版社のリスクを少しでも減らすことで、従来の商業出版に至らなかったコンテンツでも出版しやすくするというのが、このビジネス手法の狙いだ。
 だが、その実態は、商業出版の形式をした自費出版だ。
 著者にだけリスクを押し付け、出版社がノーリスクで儲かる詐欺まがいのビジネスだった。

 出版不況の現在、本はまともに売れなくなった。
 なのに、本を出したい人は増え続けている。
 そのいびつな構造につけいったような商法だ。

 そのいびつな構造を、この小説では存分に描き出している。
 自分の本を出したがる勘違いした素人が何人も登場する。
 それをバカにしながらカモにして、大金を搾り取ろうとする出版社。
 出版社が、どのようにして素人の自尊心をくすぐり、自己顕示欲につけいって、その気にさせるか、という過程がリアルに再現されている。
 この部分は、社会問題になった出版ビジネスの実態を再現ドラマ風に見せてくれているようだ。
 だが、出版社の阿漕なやり口を摘発するのが目的ではない。
 こんな詐欺ビジネスに簡単に引っかかってしまう素人の甘さに焦点が当てられている。
 それほど、人は 自信過剰で自己顕示欲が強く、コンプレックスの塊なのだ、というところを抉り出している。
 後半は、小説家一般の話にもつなげている。
 プロと言われる小説家でも、まともに売れている者はごくわずかで、実態は素人と変わらないことをあけっぴろげに暴露している。
 そのプロ作家の中に、「百田」という作家も話題として登場し、このバカな作家はすぐに消える、と自虐的に表現しているのが面白い。
 まるで、居酒屋で酒を飲みながら、百田氏の軽妙な語りで、業界の裏話を教えてもらっているかのような感覚になる。 

 これは、ベストセラーを出すほどの売れっ子になった百田氏だからこそ書けた作品だ。
 内容は大したことはない。
 従来から知られていたビジネスモデルをネタにしているだけ。
 業界の人だったら誰でも知っている裏話を取り上げているだけ。
 だが、それを取り上げ、出版業界、文学界を皮肉り、実態をあけすけに暴露できるのは、実力が認められた作家でなければ無理だ。
 百田氏は、この作品を通じて、一般の読者に、「まともな人間は、小説家なんて目指すべきもんじゃないよ」と自省を込めて警告しているかのようだ。


posted by 平野喜久 at 15:09| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月29日

NHKやらせ疑惑:過剰演出で幕引きか

 昨年5月に放送されたNHKのクローズアップ現代に「記者の指示によるやらせがあった」と指摘されている問題。
 NHKの調査委員会は28日、「事実のねつ造につながるいわゆる『やらせ』はないが、『過剰な演出』や『視聴者に誤解を与える編集』が行われていた」などとする最終報告を公表した。
 同時に関係者15人の処分を決定した。

 今回の事件は、NHKとしては、「やらせ」ではなく「過剰な演出」というところで決着したいという思惑ばかりが見える。
 最終報告も、実態をありのままに検証するというより、やらせではないことを主張するために作られた報告書との印象を受ける。
 「やらせ」の定義を非常に狭く設定して、今回の件がいかにその定義に当てはまらないか、というところに焦点が当てられている。
 そもそも、調査委員会なるもの自体が、一部に外部の弁護士や大学教授を含むものの、内部の人間の主導で進められており、客観的な信頼性に乏しい。

 やらせが指摘されたのは昨年5月に放送された「出家詐欺」の特集。
 番組では出家を斡旋するブローカーとしてまず男性A氏が登場し、その手口を告白。
 事務所に多重債務者の男性B氏が相談に訪れた後、立ち去るB氏を記者が追いかけて“突撃インタビュー”する構成になっている。
 だが、実態は全く違う。
 もともとNHK記者はB氏とは8年前からの知人だった。
 過去の番組作りでも、このB氏からいろんな情報提供を受けており、今回も、出家詐欺に関連して、協力を求めらたしい。
 そのB氏からブローカーと言われるA氏を紹介してもらい、撮影場所もB氏にセッティングしてもらっていたという。
 当日の収録では、事務所にいるA氏と相談に訪れたB氏を、はす向かいのビルから窓越しに撮影。
 まるで当事者にばれないように「隠し撮り」しているかのような演出だ。
 だが、同じ室内に記者も同席し、カメラから映らないところで注文を付けていた。
 「お金の工面のところのやりとりがもうちょっと補足で聞きたい」
 そのあと、帰りかけるB氏を追いかけていって突撃インタビューをしているかのような映像がつながる。

 これが、関係者への取材で分かった実態を、再現ドラマで表現したと断っているのだったら、まったく問題はない。
 だが、本物の映像をそのまま収録しているかのように装っているところが罪深い。
 報道によると、このB氏は、この記者への協力で、過去5回も覆面インタビューに登場しているのだという。
 当然、登場のたびに違う立場でインタビューに答えている。
 覆面と変声で本人の特定ができないので、視聴者は誰も気づかない。
 番組制作側としては、こんな演出は、やり放題ということになる。
 本当に、B氏がいろんな顔を持つ裏世界の事情通だったとしても、同じ人物ばかりが登場する情報番組は、それだけで信頼性を損なう。

 この記者は、事件や不正に関与した人に、顔を隠した状態で生々しい実態を語ってもらう今回のような「覆面インタビュー」が得意だったという。
 顔を出さない条件でも、反社会的な部分にかかわる人物の撮影協力を取り付けるのは容易ではない。
 記者は局内では敏腕の定評があったという。
 今回は、たまたまA氏が名乗りを上げたので実態が明らかになったが、関係者がみんな口をつぐめば、闇の中だ。
 NHKの情報番組には、よく覆面インタビューが登場する。
 NHKの取材力を見せつける場面に見えたが、実態は、すべてこういうからくりではないのかとの疑心が生まれる。
 
 

posted by 平野喜久 at 08:38| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月25日

外れ馬券は経費:馬券購入はビジネスになる

 競馬の払戻金の課税を巡り、外れ馬券の購入費が経費になるかが争われた行政訴訟。
 大阪地裁、田中健治裁判長は馬券を継続的に大量購入した場合は経費に当たると判断。
 国税局の課税処分の一部を取り消し、課税額を約8億1600万円から約6600万円に減額。
 大阪国税局は、この判決を受け、外れ馬券の購入費も経費と認め、課税額を約6600万円に大幅減額した。
 判決によると、男性は市販の予想ソフトを改良し、ほとんどのレースの馬券をインターネットで大量購入。2005〜09年で約35億900万円を買い、約36億6400万円の払戻金を得たが、税務申告していなかった。
 判決は、男性が数百万円単位の大量の馬券を継続的に買っていることから、偶発性に左右される一般の馬券購入方法とは異なると指摘。
 その払戻金は「営利を目的とする継続的行為から生じた所得であり、雑所得に当たる」と認定した。

 この男性の馬券の購入スタイルから、馬券購入が単なる娯楽ではなく、「営利を目的とする継続的行為」と認定されたことが特徴だ。
 従来の課税の常識から考えれば、はずれ馬券の購入費を経費として控除するのは考えられない。
 だが、この男性が36億円もの払戻金を得たのは、たまたま購入した馬券が大当たりした結果ではない。
 継続的に馬券を購入し続け、その結果として払戻金の総額が36億円になったもの。
 馬券を購入し続けた総額は、35億円だから、リターンとしては5%にも満たない。
 払戻金だけを見ると、巨額な富を得たように見えるが、投資総額からすると、僅かに5%のリターンだった。
 この5%のリターンを得るために、パソコンの解析ソフトを使い、継続的に馬券を購入し続ける必要があるわけだ。
 36億円もの払戻金を得るためには、継続的に馬券を購入し、35億円もの投資をしなければならないという構図になっているのだから、はずれ馬券は経費とみなすしかないということになる。
 まるで、馬券購入が個人事業のように扱われているのが面白いところだ。
 本当に個人事業だとすると、馬券購入のために使ったパソコンや解析ソフトの購入費も経費になる。
 競馬場まで出かけていって馬券を購入したとすると、往復の交通費も経費になる。
 スタッフを雇っていたとすれば、人件費も経費だ。
 この男性の使ていた解析ソフトは、5%ながら、勝率がプラスになっているのはインチキではなさそう。
 これをビジネスモデルとして個人事業を立ち上げれば、十分商売として成り立ちそうだ。
 この男性、はじめから個人事業として馬券購入をしていれば、こんなややこしい訴訟を起こす必要もなかった。

 
posted by 平野喜久 at 08:17| 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月17日

コンビニ店主は労働者:ファミリーマート団交拒否問題

 東京都労働委員会は16日、ファミリーマートのフランチャイズ加盟店主らでつくる労働組合の団体交渉要求を拒んだ同社に、団交に応じるよう命じた。
 店主らを労働組合法上の労働者と認め、同社の対応を団交拒否の不当労働行為だとした。
 今回の争点は、「コンビニ店主は労働者か」というところにある。
 ファミリーマートは「加盟店主はあくまで独立した経営者であり、労働者性を認める判断は適切ではないと考えている。
 確かに、形式上は独立した経営者として本部と契約を結んでいる。
 だが、それは、本部の責任を限定するための隠れ蓑に過ぎない。
 実際は、コンビニ店主に自主裁量の余地はなく、本部の指導通りの店舗運営が要求される。
 店主は、経営者というより、労働提供者というのが実態だ。
 都労委も、「会社のシステムは店主らの労務提供なしには機能せず、労働力として組織に組み込まれていた」「広い意味で会社の指揮命令の下で働いていた」とし、店主らを労働者と認めた。
 
 コンビニ本部は店主らが団体を組んで交渉力を持つことを一番嫌がる。
 だから、店主同士の交流を望まない。
 関係は本部と店主とのラインがあるだけで、横とのつながりはない。
 そうすることで、店主を本部のコントロール下に置くことができる。

 コンビニの経営者に話を伺ったことがあるが、驚くほど同業他社の情報を知らなかった。
 入ってくるのは本部から降りてくる情報だけ。
 それも、コントロールされた情報だけなので、肝心なところはよく分からない。
 これが、コンビニの実態なのだ。
 このことに不満を持ったとしても、店主ひとりで本部に交渉するのは無理。
 そこで、志ある店主たちが集まって交渉力を持とうとしたのが今回のファミマのケースなのだろう。
 コンビニ店主が労働者として認められ、労組を結成し交渉権を得るのは、画期的だ。

 同じことは、プロ野球の選手でも行われている。
 プロ野球の選手も、1人ひとりが独立事業者のようなもので、それぞれが個別に球団側と契約を結んでいる。
 だが、労働組合を結成して球団側と交渉することができる。



 
posted by 平野喜久 at 10:09| 愛知 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月16日

NHKは反社会的集団か:勝手に契約書偽造

 日刊スポーツの記事による。

 NHKが千葉県松戸市の男性に対し、受信料約18万円の支払いを求めた訴訟の判決。
 松戸簡裁は15日、受信契約締結時の具体的事情について立証がないなどと指摘し請求を棄却。
 「男性が受信契約を締結したものとは認められない」とした。

 訴訟は、2003年3月にNHKの担当者が男性宅を訪問した際に作成されたとする受信契約の有効性が最大の争点となった。
男性側は「契約書は押印もなく、承諾なしに書かれたものだ」と反論。
 NHK側は、担当者らが記入を代行したと主張。
 判決では、契約書の署名について「男性や妻の筆跡と異なる」「担当者らが記入を代行したとするNHKの主張には証拠がない」と指摘した。
更に、「その後に約6年間も訪問集金に訪れていないのは不自然。契約に基づく受信料の支払い請求は理由がない」と判断された。

 この判決が正しいとすると、NHKは契約書を勝手に作り、それに基づいて受信料の請求をしてきたことになる。
 これは常識を逸脱した不法行為だ。
 私文書偽造で訴えられても不思議ではない。

 NHKは、放送法を盾に強気の訴訟を起こすようになった。
 法律で契約の義務があるのだから、契約の経緯がどうであろうと、契約の意思があろうとなかろうと、受信機を設置した時点で、自動的に契約成立とみなして当然、というのが主張の根拠になっている。
 だが、契約者本人の意思を無視した契約が認められるのかという民法の根幹にかかわる問題であるだけに、議論が絶えない。
 当初は、NHK側に有利な判決が出ることが多かったが、最近は訴えられた側もきっちりした主張をするようになったので、NHKの言い分が簡単に通らなくなってきているようだ。
 
 戦後間もないころにできた時代錯誤的な放送法に最大の問題があり、いい加減、現代のメディア環境に合わせた内容に作り替えるべきだ。
 そして、スクランブル化すれば、すべての問題は解決する。

 この春、東京の大学に入学することになったある学生の話。
 地方から東京の学生マンションに引っ越した。
 荷物は事前に宅配便で送っておき、後から入居。
 すると、その入居当日の夜にNHKスタッフが訪れたという。
 インターホン越しに、テレビはないことを伝えた。
 引っ越してきたばかりで、本当にテレビはなかったのだ。
 すると、携帯があるだろうと言ってきた。
 ワンセグが見られれば契約せよという意味だ。
 iPhoneなので、ワンセグは見られないことを告げると、こう捨て台詞を残して去っていった。
 「じゃぁ、こちらで調べさせてもらいますから」
 調べるといっても、テレビや携帯電話の所有状況を調べる手段などあるわけがない。
 あったとしても、NHKにそんな捜査権限があるわけがない。
 なのに、こんな脅しのようなことを平気で言う。
 東京に出てきたばかりで不安だらけの学生を、更に不安に陥れて回っているNHK。
 引っ越し当日に訪れることも不気味だが、勝手にプライベートのことを暴くぞとでも言わんばかりの脅しは、実にたちが悪い。
 これが、どこかの悪質業者の仕業ではない。
 あの、公共放送を名乗るNHKが、放送法を後ろ盾に堂々とやっているところが問題だ。

 それにしても、このNHKスタッフはどうして、入居日を知ったのだろう。
 年度末は学生の移動が多いので、学生マンションは特に目をつけていたのかもしれない。
 前の学生が退去した後は新しい学生が入るはず。
 郵便受けの名前を見れば、入れ替わりが分かる。
 連日チェックしていて、夜になって部屋に明かりがついているのを見て、入居を知ったということか。
 新入生はウブで何も知らないから、契約させるのは簡単だ。
 「法律で決まっている」「契約は義務だ」「拒否すると裁判になる」と脅せば簡単に落ちる。
 新入生は、NHKスタッフが手っ取り早く契約手数料を稼ぐにはいいカモなのに違いない。


 
 
 
posted by 平野喜久 at 10:02| 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月10日

親の賠償責任なし:最高裁判決

 小学校の校庭から蹴り出されたサッカーボールが原因で交通事故が起きた場合、その両親に賠償責任はあるのか。
 最高裁の判決が出た。
 「日常的な行為のなかで起きた、予想できない事故については賠償責任はない」との判断。

 民法は、子どもが事故を起こした場合、親などが監督責任を怠っていれば代わりに賠償責任を負うと定めている。
 これまでの類似の訴訟では、被害者を救済する観点から、ほぼ無条件に親の監督責任が認められてきた。
 今回の最高裁の判断は、親の責任を限定するもの。
 新しい判例として、同様の争いに今後影響を与えそうだ。

 事故は、10年も前の2004年に愛媛県今治市の小学校脇の道路で起きた。
 小学生のサッカーゴールに向かって蹴ったボールが道路に飛び出し、バイクに乗った80代の男性がボールをよけようとして転倒し、足を骨折。
 認知症の症状が出て、約1年半後に肺炎で死亡。
 遺族が07年、約5千万円の損害賠償を求めて提訴。
 二審は、ボールを蹴った当時小学生だった男性の過失を認め、「子どもを指導する義務があった」として両親に計約1100万円の賠償を命じた。
 両親が上告していた。

 これは、従来の判例を覆す判決として注目される。
 従来であれば、子どもの過失は自動的に親の責任というのが常識だった。
 だが、それは場合によることを示されたことになる。
 この最高裁の判断は一般市民の感覚からしても納得感が高い。
 小学生が校庭で普通の遊び方をしていて、ボールが飛び出してしまったのであれば、そこまで親の監督責任を問うのは酷だ。
 これが、路上で危険は遊びをしていて一般の人にケガを負わせたということになると、話は全く違ったものになっただろう。
 むしろ、今回の事故は、学校側にこそ責任がありそうだ。
 公道に面した側にサッカーゴールが設置されており、なおかつ防護ネットもなかったのだろう。
 被害者も、賠償責任を問うのだったら、学校側を訴えるべきであった。
 だが、学校側の責任を問うとなると、その落ち度を訴える側が立証しなければならず、やっかいになる。
 先例から考えて、親の賠償責任を問うた方が手っ取り早く確実と判断してしまったのかもしれない。



posted by 平野喜久 at 08:11| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月09日

なぜ大阪都構想は分かりにくいのか

 大阪都構想の是非を問う住民投票が迫っている。
 いま行われている地方選はその前哨戦との位置づけが強い。

 この都構想、何をしようとしているのかよく分からない。
 橋下氏の話を聞いても分からない。
 維新の会のウェブサイトを見ても分からない。
 推進派はいろいろな情報発信をしているのにもかかわらず、すとんと落とし込めるような納得感がないのだ。
 「二重行政の解消で無駄をなくす」という目的は理解できる。
 だが、具体的にどのような形にすることでその無駄が解消できるのか、というところになると、とたんに分からなくなる。
 「本当にそれで無駄が解消できるの?」
 「それで目的の無駄が解消できたとしても、他で大きな無駄や不都合が発生するのでは?」
 「それは大阪の発展に効果的なの?」
 という疑問が次々と湧き上がってくるのだ。

 そこで、反対派の意見を調べてみた。
 すると、そこに書かれていることは非常に分かりやすい。
 反対派の説明を見ることで、大阪都構想は何をしようとしているのかがようやく理解できた。
 大阪市を5つの特別区に分割し、それぞれに自治権を持たせ、いままで市が担っていた一部機能を大阪府に移管する……これが今回の住民投票で問われていることだったのだ。
 大阪都構想と言われているが、大阪都の話は出てこない。
 大阪市をどうするかという話なので、大阪市民だけが投票の対象となっている。
 これなら、非常に単純でわかりやすい。
 反対派の説明を聞かないと、大阪都構想の本質が分からないとは、どういうことだろう。
 
 なぜ、推進側は、こういう分かりやすい説明をしようとしないのだろう。
 維新のウェブサイトでは、都構想のQ&Aを見ることができる。
 そこには、市民の様々な疑問点が挙げられており、それぞれ丁寧な回答が記されている。
 でも、その回答が非常に分かりにくいのだ。
 たとえば、こんな感じだ。

 「大阪市は廃止解体されるの?」という質問には次のような回答が掲げられている。
 「大阪府庁と大阪市役所という役所組織を統合再編するもので、街がなくなるということはありません。
各地域のコミュニティもなくなりません。
 また、地名は来年夏に住民の皆様の意見を聞いて決まることになりますが、基本的には、大阪市区□□町という表記が、大阪都△△区□□町という名称になり今まで使われていた地名は残ります。」

 質問は至ってシンプルなのに、回答が分かりにくい。
 この回答では、大阪市は残るのか残らないのかよく分からない。
 よく読んで考えてみると、「大阪市」という呼び名がなくなるんだろうなぁ、ということが何となく分かるようになっているだけ。
 「街がなくなるということはありません」という回答は、質問者を愚弄している。
 街が物理的に破壊されて住めなくなるなんてことは誰も心配していない。
 「大阪市がなくなるの?」という素朴な疑問に直接答えるのではなく、それを「街がなくなる」という極端な意見に作り替えてそれを否定する。
 これは、本質をごまかす時に使われるレトリックだ。
 どうして、回答の冒頭で、「はい、大阪市という行政区分はなくなります」とはっきり書かないのだろう。

 こんなQ&Aもある。
 「関西州が実現すると、大阪都は関西州に統合され、「大阪」という地名がなくなるんじゃないの?」
 この質問への回答はこうだ。
 「まずは大阪都を実現して、関西州につなげていくことが重要です。
 都構想実現後、関西州に向けて、具体的にどのように進めていくのか議論すれば良いだけのことです。
 現在でも、州と市町村の間に中間的な自治体を設けてはとの識者の意見も出されています。」

 これも、質問はシンプルなのに、回答を読むと分からなくなる典型だ。
 大阪という地名が残るのか残らないのかに直接答えていない。
 大阪維新の会は、もともと道州制の導入を目指していた。
 たしかに、大阪市が解体され、次に大阪府が関西州に統合されると、大阪という地名は確かになくなることになる。
 「場合によっては、大阪という行政上の名前がなくなることも考えられます」となぜストレートに説明しないのか。

 大阪都構想がいくら説明を聞いても納得感が得られないのは、ここに原因があったのだ。
 これは、たぶん、住民に悪いイメージを与えることを恐れて、はっきりした物言いを控えているために、このような曖昧な表現に終始することになってしまっているのだろう。
 「大阪市はなくなります」なんてことをストレートに言ったら、それだけでイメージ先行で、反対派の餌食になる。
 「大阪市をつぶすな!」という感情的な反発を招くのは目に見えている。
 それで、そこの部分をはっきりさせずに、説明する。
 構想の本質を理解してもらおうという説明ではなく、悪いイメージを避けることだけに重点を置いた説明になってしまっているのだ。
 それで、言葉だけできれいなことを言って、煙に巻くような解説が連なることになる。
 その説明は、リスクの説明をぼかして、儲け話だけを載せる怪しげな金融商品のパンフレットにそっくりだ。

 橋下氏は、住民投票で否決されたら辞職するとまで言っているらしい。
 彼の並々ならぬ覚悟が見て取れるが、これも、大阪都構想の本質を見えなくしている。
 「よく分からなければ、俺を信じろ」と言っているようなもの。
 そこには、「知らしむべからず、寄らしむべし」という発想が見える。
 こうなると、橋下氏が好きか嫌いかで判断するしかなくなってしまう。

 住民投票で問われるのは、賛成か反対かだという。
 この結果で、都構想の採否が決まる。
 だが、これでは、民意を正確に取り上げられない。
 賛成と反対しか意見がないのか。
 それ以外の意見は認められないのか。
 賛成と反対のほかに「保留」という選択肢も設けるべきではないのか。
 積極的に賛成も反対もできない住民は、投票の選択肢がない。



 

 
posted by 平野喜久 at 10:26| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月06日

久しぶりに独身寮跡地へ:神戸東灘区

 神戸三ノ宮でBCPセミナーの講師を務めた帰路。
 JR摂津本山駅に立ち寄った。
 そこは、私が大阪の鐘紡に勤務している時、毎日通勤電車を乗り降りした駅だ。
 二十数年前、鐘紡の独身寮は東灘区にあった。
 1年ほどその寮で暮らし、愛知に戻ることになった。
 その数年後にあの大震災が起きた。

 久しぶりにその地を訪れたくなった。
 東灘区は、阪神淡路大震災で特に被害が大きかった地域だ。
 町の様子は全く当時の面影はない。
 だが、道の曲がり具合や川の流れ方、遠方に見える山の風景は、当時のままだ。
 当時の記憶を頼りに歩いていく。
 建物はいずれも20年以内に建てられたものばかり。
 しかし、当時の情景が目に浮かんできた。
 「ここに果物屋さんがあって、よく帰り道に買ったな」
 「ここはレンタルビデオ店だった」
 「ここはいつも通った床屋があったはず」
 当時の床屋の跡地は、おしゃれなヘアサロンになっていた。

 道の形を頼りに辿っていくと、当時の独身寮のあった場所に着いた。
 二十数年ぶりだというのに、ちゃんと辿り着けるのだ。
 独身寮は、現代的なマンションになっていた。
 この辺りには古い建物は1つもない。
 すべて地震で倒壊してしまったのだろう。
 当時、買ったばかりのウォークマンで音楽を聴きながら、この辺りを歩いたことを思い出した。
 音楽を屋外に持ち出せるということがいかに感激的だったか。
 音楽を聴きながら歩くと何気ない景色も映画のワンシーンのように見えた。
 その時の感覚がよみがえってきた。
 
 更に歩いていくと、道端に石柱が立っていた。
 「国鉄摂津本山駅」と文字が彫られている。
 駅の方向を示す案内表示だ。
 「あっ」と当時の記憶がよみがえってきた。
 当時もこの石柱を見て珍しく思った記憶があるのだ。
 「国鉄がJRになって随分なるのに、いまだにこんな石柱が残っているんだ」と思ったことを思い出した。
 この辺りは、建物が崩れ瓦礫の山になってしまっただろうに、この石柱だけは、当時と同じ場所に残したのだ。
 
 駅に向かって戻る途中、珍しく古い建物を見つけた。
 そば屋だ。
 入り口の引き戸は擦り切れ、随分の年月を感じさせる。
 ここで夕食を取ることにした。
 家族経営の小さな食堂。
 店の人に聞いてみた。
 「失礼ですが、ここは何年前からやってらっしゃるんですか」
 「もう60年以上になります」
 「ということは、大震災の時には?」
 「えぇ、この建物だけ残ったんですよ」
 「この辺りは特に被害が大きかったですよね」
 「はい。周りはずいぶん壊れました。でも、場所によって揺れが大きいところと小さいところがあったみたいですね」

 そば付のおでん定食を頼んだ。
 なんとなく懐かしさを感じさせる味がした。
 もしかしたら、二十数年前にもここでそばを食べたことがあったのかもしれない。



 
posted by 平野喜久 at 10:12| 愛知 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月31日

古賀氏の妄想発言:報道ステーション

 元経済産業省官僚の古賀茂明氏の発言が波紋を広げている。
 27日の「報道ステーション」で、古賀氏の不規則発言があり、キャスターの古館氏が慌てて収拾しようとする様子が生放送で全国に流れた。
 
 古賀氏は、この日が最後の出演。
 番組半ばで、古舘氏から中東情勢について意見を問われると「その前にちょっといいですか」と前置きし、話し始めた。

 「早河会長、古舘プロジェクトの佐藤会長の意向で、最後ということになりました。官邸の皆さんにもバッシングを受けましたが、それを上回る応援を受け、楽しくやらせていただきました」

 官邸からの圧力に屈して番組の制作者側が古賀氏の降板を指示したかのような内容だった。
 隣に座る古舘氏は慌てて「その話、私としては承服できません」と遮ろうとしたが、古賀氏は収まらない。
 古館氏も圧力に屈して古賀氏降板に加担したかのように非難し始めた。

「もし違うとおっしゃるなら、全部録音させていただいておりますので、それを出しても構わないのですが…」

 楽屋での会話を録音していたらしく、ことは穏やかではない。
 その後も古賀氏は、放言を続けた。

「私がもう一度、申したいのは『I am not ABE』ということです」

 自分で作成してきたと思われるフリップを掲げて、従来から繰り返している反安倍のコメントを続けた。
 
「言いたいことがあるなら私に直接言っていただきたい。陰であれこれ言うようなことはやめてもらいたい」

 結局、古賀氏の発言はそのまま放送された。
 古館氏の慌てぶりが印象的だったが、番組の裏方ではもっと大慌てだったに違いない。
 古賀氏が最後の出演で、問題発言をしそうなことは事前に分かっていたらしい。
 それでも、出演を許し、問題発言も中断することなく、そのまま放送した。
 最後の出演を拒否することだって、問題発言の途中で無理やりCMを挿入することだってできたはずだが、そうしなかった。
 放送局側としては、よく耐えたな、という印象だ。
 だが、これは、テレビ局はそのまま放送して正解だろう。
 ありのままを見せることで視聴者に判断させることができる。
 視聴者が見れば、古賀氏の異常さの方が目立つからだ。

 3月をもって番組改変は当たり前。
 他の番組でも、番組のリニューアルで、キャスターやコメンテーターが入れ替わるのはよくある。
 古賀氏の降板もその流れの1つに過ぎないのではないか。
 たとえ、それが放送局上層部の意向によるものだったとしても、それは、そのコメンテーターの利用価値の低下が判断されたにすぎないだろう。
 本当に上層部の判断によるとしたら、古賀氏の採否は、上層部の意向が反映されるほどの重要案件であるということになるが、果たして、そこまでのものだろうか。
 コメンテーターについては、ただ単に、現場が使いやすいかどうかで判断されているのが実態ではないか。
 
 古賀氏は、自分の降板をあまりにも大げさに捉えすぎているように見える。
 「自分が反安倍の姿勢で発言したから、官邸からテレビ局に圧力がかかり、局の上層部が自分を降板させた」という妄想ができ上がってしまっているようだ。
 第一、官邸がわざわざテレビのコメンテーターの採否についてテレビ局に圧力をかけるなんてことがあるのか。
 それも、民放の報道番組に時々出演するコメンテーターの発言にそこまでこだわることなんてありえないだろう。
 反安倍のコメントをする評論家やキャスターは他にもたくさんおり、むしろ、古賀氏よりも影響力のありそうな人はいくらでもいる。
 本当に圧力をかけるとしたら、そっちが先だろう。

 古賀氏本人は、テレビ局や官邸側が騒ぐ様子を見て、してやったりの心境かもしれない。



posted by 平野喜久 at 12:47| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする