2015年08月23日

佐野氏の無理な主張:五輪エンブレム

 佐野研二郎氏が手がけたロゴが、自分のデザインに似ているとして、アメリカ人デザイナーが提訴を検討している問題。
 佐野氏は、FNNの取材に文書で回答した。
 黒い丸と直線で形成したようなデザインについて、「その要件を満たすデザインは、今、名乗りを上げておられるアメリカのデザイナー以外にも、制作されている方は、世の中にたくさんいらっしゃると思います」
「それが、誰か特定の人のアイデアとして認められ、ほかの人が使えないということであれば、デザインの世界では、できないことがほとんどになってしまうと思いますし、わたしはそうではなく、ほかの誰が使っても、問題のないものだと思います」と反論した。

 盗作疑惑騒動が拡大し続けており、中には言いがかりのような指摘も含まれていることから、その一部について佐野氏自身が反論したコメントだ。
 群馬県太田市の美術館のロゴマークが、アメリカのデザイナーの作品に酷似していることがネット上で指摘されたが、これ1件だけだったら、佐野氏のような反論は正当性がある。
 アメリカデザイナーは、アルファベットすべてのデザインを創作したわけではなく、一部の文字を自分の作品に使っただけ。
 そのデザインコンセプトを応用して他の文字列をデザインしたのが佐野氏の作品。
 これは、別に他人の作品をコピーしたわけでも、一部を改変利用したわけでもない。
 最初に一部文字をデザインした者が、同じデザインコンセプトのすべてのアルファベットのデザインを独占できる、というのは、あまりにも無謀だ。
 普通であれば、佐野氏の主張に何の問題もないだろう。

 だが、太田市の美術館ロゴがどうして問題視されたのかということを考えると、こんな一般論で済まない。 元は、五輪エンブレムのオリジナル性に疑問が呈されたことが発端。
 佐野氏のほかの作品にもオリジナル性に疑問のあるものが次々に見つかり、騒動が大きくなった。
 その流れの中で見つかったのが太田市美術館のロゴなのだ。
 他の作品の盗作疑惑が次々に指摘され続けるのは、佐野氏のデザインに対する姿勢に疑問がもたれているからだ。
 そして、それはそのまま五輪エンブレムのオリジナル性への疑問に直結しているのだ。
 太田市美術館ロゴに問題があったから騒動が起きたのではない。
 本質はすべて五輪エンブレムのオリジナル性にある。
 騒動ネタの1つ1つを取り上げて反論を試みたところで、事態は沈静化しない。
 
 佐野氏の今回の反論では、元のデザインをまねたことを否定していない。
 むしろ、「このぐらい、まねても問題ない」「これを真似ていけないとなると、デザインできなくなる」と開き直っているようにも見える。

 トートバッグの一部盗用を認めた。
 太田市美術館ロゴのものまねも認めた。
 五輪エンブレムのデザインも、他の作品と同じように元のデザインとよく似ている。
 なのに、五輪エンブレムだけは完全オリジナルと強弁し続ける佐野氏。 
 このまま押し通すにはかなりの無理がある。 

 
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2015年08月17日

五輪組織委員会の暴走:ダメージ拡大を止められず

 東京五輪の大会組織委員会が17日声明を発表した。
 2020年東京五輪の公式エンブレムがベルギーの劇場ロゴに似ていると指摘されている問題に関して。
 
「われわれの詳細な説明に耳を傾けようとせず、提訴するという道を選んだ」などと、デザイナー側を非難。
「エンブレムはデザイナー側の権利を一切侵していないとする立場に変わりはない」と従来の主張を繰り返した。

 組織委員会の声明発表ということなので、ようやくこの問題が解決に向けて動き出したのかと思われた。
 裏でデザイナー側との交渉が進み、落としどころが見つかったのかと思われた。
 ところが、事態は最悪の方向に向かっている。
 まったく、交渉が成り立っていないのだ。
 組織委員会の立場を先方に説明しようとしたが、それを受け入れられなかったため、逆切れしたかのように見える。
 どのような説明をしたのかは想像ができる。
 「デザイナーは劇場ロゴを見ていない」「両者はデザインコンセプトが全く違うので似ていない」「各国の商標は事前調査済みで法的に問題はない」などという一方的な言い分を延々と述べたのだろう。
 だが、先方が主張しているのは、「結果として似ていることが問題」ということ。
 それを「似ていない」といくら強弁したところで受け入れられるわけがない。
 そんな説明をいくら詳しくされたところで納得できるはずがない。
 先方に「これは提訴しかない」と思わせたとしたら、組織委員会側の自分勝手な姿勢が原因だろう。

 「こちらの言い分を聞こうとしない」と相手を非難しても、何の問題解決にならない。
 相手は、「こっちの言い分を聞こうとしないのはお前の方だ」と言うだろう。
 相手の姿勢を硬化させるだけだ。
 今回の声明は、あまりにも感情的で、冷静に練られたものとは思えない。
 組織委員会は、ちゃんと機能しているのか。
 一部の人間だけの浅薄な思わくで暴走しているのではないか。

 ネット上で、佐野氏の盗用疑惑が次々に暴露され続けているのはなぜかを認識してもらいたい。
 この五輪エンブレムは、もはや世論の支持を失っている。
 日本の世論だけではなく、世界の世論から見放されそうな気配だ。



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2015年08月15日

安倍談話:村山談話に上書き保存

 安倍談話が発表された。
 過去にいろんな談話があったが、発表前からこれほど注目された談話は珍しい。
 中国、韓国からは、予想通り注文が付けられた。
 国内のメディアも、4つのキーワード『植民地支配』『侵略』『おわび』『反省』を勝手に設定し、これらに言及のない談話は認められない、とハードルを設定した。
 
 結果として、安倍談話は、4つのキーワードをすべて使い、言うべきことを主張した。
 反安倍のメディアは、直ちに突っ込みどころが見つからない様子。
 中国、韓国も反応が鈍い。
 
 この談話、よく読むと、実に巧みにできている。
 植民地支配は世界の趨勢だったこと、日露戦争の勝利がアジア諸国の独立の気運を盛り上げたこと、アジア諸国が戦場として被害を受けたが、その中に朝鮮半島が含まれていないこと。
 さりげない言葉に、日本の重大な主張が含まれている。

 安倍総理が談話を発表すると言ったのは今年の1月だった。
 どんな談話を発表してもケチをつけられるだけなのに、なぜ? との疑問があった。
 だが、今回の談話を見て、疑問が氷解。
 村山談話の上書きが目的だったのだ。
 見事というほかない。




 
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2015年08月14日

佐野氏のパクリ疑惑炎上:このままでは終わらない

 東京オリンピックのエンブレムをデザインした佐野研二郎氏によるトートバッグデザインのパクリ疑惑が収まらない。
 サントリーは、オールフリーのキャンペーンに使用されている佐野研二郎氏デザインのトートバッグ30種類のうち、8種類について使用停止を決めた。
 この8種類は、特に他の著作との類似性が明らかなもので、佐野デザイン事務所からの申し出によるという。

 佐野氏は8月14日、問題になったデザインは、佐野氏の管理のもと複数のデザイナーと共同で制作したもので、デザインの一部について第三者のデザインをトレースしていたことを確認したとして、謝罪した。
 東京五輪・パラリンピックのエンブレムは佐野氏が個人で応募したものであり、「今回の案件とは制作過程も含めて全く異なるもの」として、「模倣は一切ない」という立場に変わりがないとした。

 五輪組織委員会は、サントリーデザインの問題は五輪エンブレムとは無関係との主張をしている。
 一般公募により募集されたデザインの中から、正当な選考プロセスを経て選ばれたもので問題ないとの立場を崩していない。

 ベルギーのデザイナーらは14日、IOCに対し、エンブレムの使用停止を求める訴えを起こした。
 近々、裁判が始まる。
 裁判の行方は不透明。

 組織委員会としては、このまま正面突破を考えているようだ。
 この強気の姿勢は理解不能だ。
 法的に瑕疵がないことを確認していて、自信があるのだろうか。
 だが、この裁判で勝ちはない。
 負けないのが精一杯だ。
 なぜなら、裁判所では、このデザインのオリジナル性を証明してくれるわけではないからだ。
 せいぜいが、「類似点は認められるものの、両者を誤認混同させるほどの類似は認められない」「類似点については、偶然の一致の可能性を完全に排除できない」となるだろう。
 つまり、裁判に負けなかったとしても、もやもやしたものは残ることになる。
 却って、裁判所が「似ている」ことを認定しまいかねない。

 ベルギー国内では、日本のオリンピックへ世論が反発を強めている。
 日本のテレビコメンテータの発した、ベルギーデザイナーを小ばかにしたような言動が伝えられ反発を招いているという。
 そのコメンテータが、ただのおバカタレントだったら笑って済ませられるが、国際弁護士だったり、社会学者だったり、スポーツ評論家だったり、新聞論説委員だったりするからやっかいだ。
 このままでは、ベルギーの世論は、ヨーロッパ全体に波及しそうだ。

 もう1つ厄介なのは、日本の世論が完全に離れてしまっていることだ。
 五輪エンブレムについては、公開当初から評判がよくなかった。
 そこに湧き上がった盗作疑惑で、完全に支持を失った。
 佐野氏の他の作品への検証が始まったのは、ネット上の世論による。
 マスコミは完全に言論統制下に置かれたかのような不気味さ。
 こぞって、体制側を擁護するような姿勢を示すか、完全に無視するかだ。
 広告代理店の指示が行き渡っているようだ。
 唯一、NHKだけは、フリーハンドで、サントリートートバッグの事件を報じることができた。
 
 五輪エンブレムについては、選考過程に疑問の目が注がれている。
 選考する審査員も、選考される応募者も身内同士で行われているのではないか、との疑惑だ。
 サントリーのトートバッグも、エンブレム発表と同時にキャンペーンがスタートするなど、初めから佐野氏の選考が分かっていたかのような動きに見える。
 ネット世論は、ただデザインが似ているなどということではなく、この選考過程の不透明さに向かっている。 

 この問題は、既に佐野氏個人で対応できる範囲を超えている。
 五輪組織委員会が前面に出て対応しなければ事態は収拾しない。
 なのに、間違った道を歩み続けている。
 たぶん、軌道修正できるだけのパワーのある人がいないのだろう。
 だから、ひたすらハンドルレバーを握りしめて、そのまま正面突破することしか考えられないのかもしれない。
 
 
 
 
posted by 平野喜久 at 16:35| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月11日

佐野氏のデザインポリシーが問題に:五輪エンブレム

 東京オリンピックのエンブレムが、ベルギーの劇場ロゴに酷似している問題。
 ネット上では、騒ぎが拡大し続けている。
 デザイナーの佐野研二郎氏の過去の作品がことごとく検証の対象になり、その中から、オリジナル性に疑問符がつくケースが次々に見つかっている。

 サントリー・オールフリーのキャンペーンに使用されている佐野研二郎氏デザインのト
ートバッグ。
 その中に、別の画像やデザインからの盗用が疑われるケースがいくつも見つかっている。
 いずれも、ネット上で発見されたものばかりだ。
 中には、個人ブログに乗っていたフランスパンの写真をそのままバッグのデザインに使用したと思われるものもあり、その大胆さに驚かされる。

 1件1件は、大した盗用ではない。
 フランスパンだって、何の変哲もない写真を拝借しただけ。
 写真を撮影した人だって、そのフランスパンを自分で創作したわけではなく、お店で買ってきたものをそのまま写しただけ。
 撮影者がいきなり損害賠償請求をしてくるなんてことは考えられない。
 撮影者が文句を言って来たとしても、個別の対応をすれば済んでしまう。
 撮影者は一般の個人、こちらは大企業のサントリーだ。
 個人が1人騒いだところで大問題になることはない。
 相手が素人で個人だと分かっていて、こういう著作権侵害行為を平気でしているのかもしれない。
 
 かつて、ネット上で見つけた面白い写真を集めて出版した著者がいた。
 ネット上の画像に著作権はないと勝手な解釈で開き直っていた。
 「写真の著作権者がいたら申し出れば、対応する」と呼びかけ、自身の行為を正当化していた。
 佐野氏のデザインもこれと同じだ。

 デザイン素材は、ネット上で拾ってきて、加工して自分の作品にする。
 これが、佐野氏のデザインポリシーなのだろうか。
 五輪エンブレムもこのポリシーの中で制作されたものだとすると分かりやすい。
 ベルギー劇場ロゴとの類似性は、ここに源流があったのだ。
 トートバッグのデザインは、五輪エンブレムのオリジナル性に決定的な疑問を呈することになっている。
 本当に、このままやり過ごすのだろうか。

 今回の騒動、昨年の小保方氏の論文捏造事件によく似ている。
 小保方氏の捏造疑惑もネット上での告発が発端だった。
 理研側の対応が後手後手になる中、過去の論文にまでコピペ疑惑が発覚しつづけ、どんどん追い込まれていった。
 STAP細胞があるかどうかよりも、小保方氏の研究者としての姿勢に問題あり、ということがはっきりしてきた。
 最終的には、論文撤回、小保方氏の解雇処分となった。

 五輪エンブレム事件については、いまのところ、メディアが情報統制をしている。
 ネット上だけの騒ぎで終わるかどうかが注目。

posted by 平野喜久 at 14:09| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月08日

不自然な記者会見:五輪エンブレム

東京五輪の公式エンブレムがベルギーのリエージュ劇場のロゴなどと似ていると指摘された問題.
制作者の佐野氏が記者会見。
 盗作疑惑について「事実無根」と全面否定した。
 ベルギー人のデザイナー、オリビエ・ドビ氏は、
「結果的に2つは極めて似ている。どうやって創作したかではなく、結果が大事だ」
 と反論。
 五輪エンブレムの使用差し止めを求めて提訴したという。

 騒動が巻き起こってから随分遅れての記者会見だった。
 この記者会見は、疑惑を払拭し、逆に自身のデザイナーとしてのイメージアップにつなげることができる最大のチャンスだった。
 だが、それに成功したとはとても言えない。
 ただただ、自分に降りかかった火の粉を払いのけるのに必死といった印象だ。
 
 劇場ロゴと五輪ロゴとが不自然に似ているというとことから、騒動が始まった。
 なのに、佐野氏は、「似ていない」「事実無根」の一点張りだ。
 一般人がパッと見て、似ているという印象を持ったから問題になったのに、それいを「似ていない」と強弁したところで、何ら説得力を持たない。
 両者のデザインコンセプトに違いがあることをもって、まったく違うデザインだと主張しても、ほとんど意味がない。
 とにかく、理屈ではなく、第一印象が似ていると感じられることが問題なのだから。
 
 佐野氏は、別途、五輪ロゴの構成要素を使って、アルファベットのデザインも公開した。
 このデザインは、Tだけではなく、他の文字にも応用できる拡張性を持たせてあるのだ、と言いたいらしい。
 だから、劇場ロゴを真似たものではない、と言いたいようだ。
 だが、これもよく分からない理屈だ。
 このアルファベットのデザインは、五輪ロゴができ上がった後に、同じ構成要素で作り上げたものに見える。
 つまり、「すべてのアルファベットを表現できる構成要素を作り、その中のTを抜き出して、今回の五輪ロゴに使った」というようにはとても見えないのだ。
 流れが逆。
 五輪ロゴのオリジナル性が疑われたので、急遽、アルファベットデザインをやっつけで作って、Tデザインの類似性に集まった関心を拡散させようとしているように見える。

 アルファベットデザイン一覧の中に含まれているTを見ると、五輪ロゴそのものの形になっている。
 だが、Tを表現するだけだったら、右下の三角形の要素は要らないはずなのだ。
 Tと円をモチーフにしたとき、はじめて、右下の三角形が生きてくる。
 なのに、アルファベット一覧にあるTには、右下の三角形がついたまま。
 これは、五輪ロゴが完成してから、後付けで作られたデザインではないかということを疑わせる根拠になっている。

 佐野氏が記者会見で公開すべきだったのは、こんなアルファベットのデザイン一覧ではなく、五輪エンブレムの製作過程が見えるラフスケッチだった。
 完成度の高いデザインは、イメージを書き付ければいきなりでき上がるというものではない。
 完成形ができ上がるまでは、気の遠くなるような試行錯誤を繰り返して、ようやく納得いく作品ができ上がる。
 その過程では、様々なパターンの失敗作が山のようにでき上がっていなければおかしい。
 当然、記者会見では、ラフスケッチを見せながら、
「当初はこういうイメージで描きはじめました」
「もう少し形を整えるためにこうしました」
「別の要素を加えたり、外したりしてみました」
「そして、ようやくこの形に落ち着きました」
 こんな裏話が聞かれるものとばかり思っていたが、そんなのはカケラも出てこなかった。
 これは、本当にこの人がデザインしたのか、と疑わせるに十分だ。
 ちょうど、小保方氏の実験ノートがほとんど存在しないことで、実験の信憑性が疑われたのとよく似ている。

 メディアの取り上げ方が、このごろおかしい。
 当初は、両者の類似性を興味深いニュースとして取り上げ、これが新たな問題に発展する含みを持たせた報道姿勢だった。
 途中から雰囲気が変わった。
 「現状で問題ない」という方向で、すべてのコメントが統一されている。

 IOCやJOCが「問題ない」と突っぱねるのは分かる。
 だが、テレビのコメンテータまで、同調したように、「問題ない」を繰り返しているのだ。
 中には、ベルギーのデザイナーを批判するような姿勢も見られる。
 「ベルギーのデザイナーは、ツイッターのフォロワーが300人もいないような弱小であり、今回の騒ぎを起して注目を浴びようとする言いがかりだ」
 などと言う社会学者まで現れた。
 普段この学者は、弱者の立場に身を置き、体制側を批判することをポリシーとしていると思われたが、今回だけは、オリンピックと言う体制側につき、弱小個人を攻撃している。
 「今回の騒動で、この劇場はずいぶん有名になった」と皮肉を言うものもある。
 不思議なことに、現在では「似ている」「五輪ロゴのデザインを変更すべき」という意見は全く聞かれない。
 これらの発言はタブーとされNGワードになっているかのようだ。

 今回の事件を、ベルギーのデザイナーの立場で考えると、分かりやすい。
 突然発表された東京五輪のエンブレムのデザインが、自分が創作した劇場ロゴにそっくりであることに気づいた。
 さて、これを放置しておいたらどうなるか。
 五輪エンブレムは世界に喧伝され流布される。
 世界認知度は抜群。
 その時、自分の劇場ロゴはどうなるか。
 何も知らない人が劇場ロゴを見たとき、誰もが「五輪エンブレムにそっくり」と思うだろう。
 次に何と考えるか。
 「五輪エンブレムを真似たんじゃないの?」
 となるのは、間違いない。
 「五輪エンブレムがベルギーの劇場ロゴを真似たのかも」などと考える人は誰もいない。
 オリンピックという世界的な権威と、ベルギーの個人デザイナーでは、圧倒的な力の差がある。
 後になって、いくら弁明したところで、誤解を解き、傷ついたイメージの修復は不可能だろう。
 だから、いま、声を挙げて五輪ロゴの不自然な類似性を訴えているのだ。
 これは、言いがかりでもないし、騒ぎを起こして利益を得ようなどという、下種な魂胆とも全く違う。
 自分の権利を守るための必死の防衛行動だ。
 私がベルギーデザイナーだったとしても、同じ行動を起こしたと思う。

 今回の事件の本質は、「結果として、両者が似ている」ということに尽きる。
 五輪デザイナーが、パクったかどうかは既に問題の本質ではなくなっているのだ。
 
 「このように単純なパーツの組み合わせの場合、似たようなデザインができるのは当たり前」と、擁護している者もある。
 だが、これは、「このデザインにはオリジナル性がない」と主張しているのと同じだ。
 となると、こんな類似デザインが予想されるようなものをどうして採用したのかという、選考過程の問題になる。
 果たして、正当な選考が行われたのか、というところから疑わしくなる。

 五輪エンブレムは発表当初から、評判がよくない。
 スポーツの祭典らしい、躍動感も若々しさもさわやかさもないのだ。
 マスコミの中で、五輪エンブレムについて世論調査しようとするところがない。
 たぶん、世論調査をすれば、五輪エンブレムの評判の悪さが決定的となるからだろう。
 
 



 
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2015年07月30日

盗作疑惑:東京五輪エンブレム

 24日に発表されたばかりの東京五輪エンブレムデザイン。
 突然、パクリ疑惑が持ち上がった。
 ベルギー東部リエージュ在住のデザイナー、オリビエ・ドビさんが29日までに、自身がデザインしたリエージュ劇場のロゴと「驚くほど似ている」とフェイスブックに投稿した。
 東京五輪のエンブレムはアートディレクター・佐野研二郎氏の作品。
 佐野氏は、大会組織委員会を通じて「特にコメントはない」とし、組織委の広報担当者は「発表前にベルギーを含めて世界中の商標確認をしており、問題ない」と話した。

 いやなケチがついたという印象だ。
 似ていると指摘されているのは、「テアトル・ドゥ・リージュ」という劇場のロゴマーク。
 比べてみると、確かに驚くほど似ている。
 劇場ロゴは、TとLをデザイン化したものだということがよく分かる。
 ところが、五輪エンブレムにも、L部分のデザインが含まれてしまっている。
 Tは、東京、チーム、トゥモロウの頭文字と発表された。
 ところが、Lにあたる部分の説明は何もなかった。
 右下のL字形のデザイン部分は、あまりにも不自然だ。

 五輪エンブレムの発表があった時、違和感を覚えた人が多かった。
 「何? これ!」というのが率直な第一印象だった。
 円とTをデザイン化したものとの解説があったが、納得感が低い。
 まず、TがTに見えない。
 右下に見えるLはどういう意味?
 なぜ、色がこんなに地味なの?
 オリンピックらしい、若さも、さわやかさも、躍動感も感じられない。
 イメージが暗い。
 ホントに、これが日本、東京のイメージにふさわしいか?
 違和感ばかりが先に立つデザインだった。

 そこに、今回のパクリ疑惑だ。
 右下のLに似た部分は、こういうことだったのか、と納得させるものがある。
 
 それにしても、デザイン選考は誰がどのように行なったのだろう。
 108件もの応募があり、その中から選ばれたデザインだという。
 とても、えりすぐりのデザインに見えない。
 盗作疑惑がないように、類似意匠の探索ぐらいは、やっていなかったのか。
 いまでは、ネットで簡単に類似デザインの検索ができる時代なのだ。
 あまりにもお粗末としかいいようがない。
 
 今回の五輪は、メインスタジアムについてもそうだが、密室の中で一部の人間だけで、レベルの低いことを勝手にやっているという印象をぬぐえない。
 
 
 
posted by 平野喜久 at 09:33| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月18日

解題「リスクの神様」第2話

 第2話は、食品異物混入事件だ。
 今回のストーリーには、企業側の間違った対応がいくつか出てくる。
 異物混入事件を起こした豊川フーズ社長が、新聞記者に囲まれて思わず口走った言葉。
「うちは被害者なんだ」
「返金にもいっさい応じるつもりはない!」
 この失言が報道されたことで、世論が沸騰し、不買運動までつながることになった。

 次の間違いは総務部長による謝罪会見。
 謝罪会見は1回で決着しなければいけない重大なチャンスだが、そこに社長が出てこないことで不信感を広げた。
 不慣れな総務部長ははじめのうちはそつなくこなすが、記者の追求が激しくなると、理性を失い、声が震え、貧乏ゆすりが始まり、手が悔しそうにペンを握りしめるようなしぐさになる。
 ついに記者の質問に乱暴な言葉で逆切れする場面も。
 この会見は、会社の印象の悪さだけを残す結果となった。

 結果として、大リストラで屈辱的な扱いをされた元社員らによる異物混入であったことが判明。
 会社の責任を全面的に認め謝罪。
 豊川フーズは大手食品会社に買収されることで設備と従業員の雇用を守った。

 この回で、興味深い場面。
 会社に異物混入事件にかこつけて言いがかりをつけて乗り込んでくるチンピラに対応する場面が出てくる。
 マカロニスープに金属製のねじが混入していて、誤って口の中を5針も縫うけがをして、会合に出られず契約も取り逃がすことになったと因縁をつけてきた。
 これに対して、会社側は終始、毅然とした対応を貫く。
 「医師の診断書を出せ」
 「失った契約の詳細や会食の状況も文書で提出せよ」
 激高したチンピラは、「社長を出せ」とすごむ。
 「責任者は私だ。まずは文書を」で押し通す。
 チンピラは、マカロニを投げつけて出ていく。
 この場面は、悪質なチンピラクレーマーへの対処方法の手本だ。
 言葉遣いは丁寧に、しかし、毅然と。
 検討する、考えておく、上司に相談する、などとその場限りの逃げ口上は、こちらが別の義務を負うことになり、クレーマーの思うつぼ。
 乗り込んでくるチンピラは怖くない。
 ここはホームグランドだし、味方で取り囲んでいるので、相手が暴れたとしても、抑え込めるからだ。
 暴力をふるうようなことがあれば、直ちに警察に通報。
 その時、証拠の写真や動画、音声があれば完璧。
 相手に勝ち目はない。
 
 今回のドラマで、気になる場面。
 異物混入のカップを特定する作業で、ネット上にアップされた容器の写真から製造番号を特定する場面がある。
 カップの一部分を拡大するとぼやけたバーコードが写っている。
 それをコンピュータ解析することで少しずつ鮮明になり、番号が読み取れるようになる。
 その製造番号から製造工場と製造年月日が特定されるという流れ。
 だが、不鮮明な写真をいくら処理したところで、鮮明な数字が浮かび上がることはない。
 鮮明な画像を不鮮明にすることは簡単だが、その逆は、不可能なのだ。
 だが、バーコードだけであれば、不鮮明なものでも、もとのデータを類推可能かもしれない。






 
 
   
posted by 平野喜久 at 15:35| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

解題「リスクの神様」第1話

 第1話は、製品リコールがテーマだ。
 自走式掃除機が発火事故を起こす。
 西行寺が、事故のあった縫製工場に出向く場面が面白い。
 謝罪するなと言われていた西行寺は、謝罪せずに事態収拾をしようとする。
 秘密厳守の交換条件として、以下の提案をする。

・工場丸ごと、うちで建て替える。
・息子さんの就職先を、うちで斡旋する。
・工場の仕事の斡旋も、うちで世話する。

 思いのほかの提案に工場主は、出鼻をくじかれ、文句も言えなくなってしまう。
 これで、事故製品の回収と防犯カメラ映像の入手。
 合わせて、秘密厳守の誓約書にサインさせることにも成功。
 謝罪せずに事態を収拾しようとすれば、これぐらいのインパクトのある提案でないとだめだということだろう。
 現実には、一担当者にこんな提案をする権限などあるはずがない。
 ほとんどはったりでしかない。

 また、誓約書には何が書かれていたのか分からないが、これにはほとんど意味がない。
 被害者が秘密を暴露しようと思えば、いつでもできてしまう。
 もちろん、暴露すれば約束違反だが、約束違反に対する罰則がない。
 西行寺が提案した交換条件が誠実に履行されないと思った時には、いつでも暴露できる。
 暴露した瞬間に、リコール隠蔽の事実が明らかとなり、会社の信用は失墜する。
 暴露されてから、約束違反だ、と抗議したところで手遅れ。
 約束違反で損害を被ったとして賠償請求訴訟を起こしても無駄だ。
 不正の隠蔽という反社会的行為を約束する誓約書は効力が認められない。
 となると、こんなはったりのような口約束をして事態収拾を図ろうとするのは、却ってリスクが大きい。

 結局、内部処理でこっそり問題の鎮静化を図ろうとするのは、根本的な解決にならない。
 自ら製品の欠陥を認め、全製品の回収を行うしか、本当の問題解決はない。
 それも、外部から指摘されて追い込まれるように対応するのではなく、自ら主導して対処するところがポイントだ。
 ドラマの結末も、その王道の通りの描かれ方をしている。
 
 ドラマの中の気になるセリフ。
 西行寺の「謝罪とリコールを公表すべき」という提案に生島社長の反応。
「生島電機の株価も暴落して巨額の損失を生んでしまう」
 このセリフはおかしい。
 株価暴落と巨額損失は因果関係が逆だ。
 巨額の損失がでることで株価暴落が起きる。
 株価が暴落することで損するのは投資家であって、その会社ではない。

 脚本家は、株価上昇は会社の利益、暴落は会社の損失というイメージを持っているのかもしれない。







  
 
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2015年07月05日

世界遺産登録は申請を引き揚げるべき:韓国の執拗な妨害工作

 日本の明治産業遺産が世界遺産委員会の認定直前で頓挫している。
 原因は、韓国の執拗な妨害工作による。
 先月、日韓外相会談により、お互いの世界遺産登録に協力しようということで合意したのだとばかり思っていた。
 ところが、韓国が申請している百済の歴史遺産が先に認定されたところから、様子がおかしくなった。
 韓国のロビー活動が活発化しており、日本の遺産登録を見送るように委員国の代表らに説いて回ってるようだ。
 「軍艦島」の通称で知られる端島炭坑をナチス・ドイツによるアウシュビッツ強制収容所と比較して、他国に理解を訴えたという。
 登録の条件として、強制徴用と強制労働の文言を解説文に入れることを主張しているらしい。
 世界遺産登録を優先させるため、韓国の主張を全面的に受け入れるようなことになれば、この明治産業遺産は、単なる太平洋戦争時の負の遺産になってしまう。
 しかも、アウシュビッツと同列の非人道的な施設という位置づけ。
 こうなったら、これを根拠に、戦時徴用の謝罪と賠償を求めてくるのは目に見えている。
 そう、この遺産登録が、第2の河野談話になりかねないのだ。

 これでは、間違った歴史認識を世界に広めてしまうばかりか、日本の将来に禍根を残す。
 こんなことなら、世界遺産など無理に登録する必要はない。
 世界遺産はそれほどまでに、認定されなければならないものか。
 韓国のロビー活動で、本来の申請趣旨がゆがめられてしまったとして、申請を引き下げた方がいい。
 登録を優先するために、韓国の無理難題を全面的に受け入れてしまうような愚挙だけは避けてほしい。

 日本がユネスコ世界遺産委員会の委員国に外務副大臣らを「特使」として派遣すると、韓国は後を追うように尹炳世外相を派遣したという。
 むきだしの対抗措置は、おぞましささえ感じる。
 さて、日本はこの韓国の下品なまでの露骨な行動にどう対処するのか。
 


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2015年06月30日

新幹線火災事件

 30日午前11時半ごろ、新横浜−小田原間を走行していた東海道新幹線下りの先頭車両で、男が焼身自殺を図った。
 男は油のような液体を車内にまいた上、自ら液体をかぶって火を放ったという。
 男は死亡、巻き込まれた女性も亡くなった。
 他にも、負傷者がいるようだ。
 運転手が緊急停止し、消火したという。
 一時は、新幹線は全面運休となり、交通網に大きな影響が出た。
 
 電車内で焼身自殺を図った例では、韓国の大邱で起きた地下鉄火災事件が有名だ。
 こちらは、192人が死亡、148人が負傷する大惨事となった。
 駅員の対応の遅れや措置の間違いにより被害が拡大した。
 
 今回の新幹線火災も、大惨事に至る可能性があった。
 よく大事に至らずに済んだと思う。 

 







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2015年06月25日

ハイレゾオーディオの素晴らしさ

 CDショップの店頭で、ブルーレイオーディオの視聴コーナーがあった。
 カラヤンの「惑星」。
 これは、昔から名演との評価の高い演奏として知られる。
 でも、録音がステレオ録音初期の60年代。
 私もこのCDは持っているが、録音の古さが否めない。
 
 どうして、こんな古い録音をわざわざブルーレイオーディオなんかにするんだろう、と思った。
 どうせなら、最新デジタル録音を採用すればいいのに。
 半信半疑で、ヘッドホーンをあて、聴きはじめた途端、驚いた。
 非常にクリアで深みのある音が鳴っているではないか。
 CDでは、ぼやけた音しか聞こえなかったはずなのに、これは音場がくっきり。
 マスター音源はこんなにも音質が良かったのかと感心した。

 ブルーレイオーディオシリーズは、すべて、アナログ録音を採用していた。
 これにも意味があるのだろう。
 サンプリング周波数に縛られない音質の良さがアナログにはある。
 それを最大限に引き出すため、デジタル録音ではなく、アナログ録音を採用しているのだ。

 アバドの「復活」を購入。
 これはCDを持っているので、その違いを聴き比べるため。
 ついでに、ハイレゾ対応のヘッドホンも購入。
 3万円ぐらいでハイレゾ対応のヘッドホンが買える。
 周波数帯域は、3Hz〜100kHz。
 人間の可聴領域を遥かに超えている。
 人間に聞こえないはずの音域が音場のリアルさを作り上げているのだ。

 音源の良さとヘッドホンの優秀さが相まって、今までに経験したことのない音響体験だ。
 音の透明感が全く違う。
 特に弱音の透明感は、プレイヤーの息遣いまで聞こえてきそうなほど。
 大音響の部分もまったく混濁しないし、うるさくならない。
 1つ1つの楽器の音が粒だって活き活きと重なり合って聞こえる。
 今まで気づかなかった音まで聞き取れてびっくり。
 長時間聴いていても、疲れない。
 
 また、音楽を聴く楽しみが増えた。



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2015年06月23日

R指定すべき作品『絶歌』

 いま、Amazonで売上ランキング1位を占めているのが、『絶歌』という本。
 これは、18年前に世間を騒然とさせた神戸児童連続殺人事件の犯人の手記だ。
 当時14歳だった犯人は、いま32歳。
 著者名は「元少年A」となっている。

 Amazonのレビュー欄は、批判の嵐だ。
 著者への批判、そして、出版社への批判であふれている。
 なのに、この本は注目され、よく売れているようだ。
 リアル書店でも、店頭平積みになっているところもあるという。

 この本は、出版社が企画を犯人に働きかけたものではないようだ。
 犯人が出版社に企画を持ち込んだのだという。
 当初は、幻冬舎の社長あてに手紙を書いたらしい。
 このようなきわどい出版企画は幻冬舎が向いていることを犯人は知っているのだ。
 幻冬舎は、かつて、市橋容疑者の手記を出版して物議をかもしたことがある。
 そのことを、犯人は知っていたのだろう。
 まずは、ノンフィクションとして、続いて小説として出版したいという要望があったという。

 ところが、幻冬舎社内でも出版は見合わせるべきという判断になった。
 その理由は、彼の文章はあまりにも自己愛と自己陶酔が過ぎ、悔悟の気持ちが感じられないというものだった。
 せっかく向こうから飛び込んできた得ネタを捨ててしまうのはもったいない。
 それで、幻冬舎社長が太田出版に声をかけたという。
 それで、このたび出版となった。

 本書の一部を読んで驚いた。
 手記というには異様な文章で満ち溢れている。
 自分の心情や行動を過剰な装飾で飾り立てたような文章だ。
 まさに、自己愛と自己陶酔の文章だ。
 自らの罪を悔い改めている姿勢はみじんも感じない。
 健常な感覚では、その異常さにまともに読み進めることができない。
 幻冬舎でさえ尻込みした理由が分かる。
 彼の犯罪は劇場型と言われた。
 犯行声明文が「さあ、ゲームの始まりです」と世間を挑発するような文面だったことが印象的だ。
 今回の手記は、その犯行声明文の続編であるかのようだ。
 
 被害者の遺族は、出版の差し止めと店頭書籍の回収を出版社に申し入れているという。
 当然だろう。
 犯行が継続してしまっているのだから。
 出版社は、第2の犯罪に手を貸していることになる。
 
 人を殺してみたかったと殺人を実行した名大生がいた。
 彼女は、この少年Aにも羨望の眼差しを向けていたのだという。
 異常犯罪性向の持ち主には、共感するものがあるのだろう。
 そのような人間にとって、この手記は、聖典のように見えるかもしれない。
 この本は、異常犯罪の誘発剤になりかねない。
 これが野放しでいいわけがない。
 R指定で閲覧や購入を制限する必要があるのではないか。
 

 
 
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2015年06月05日

隔離対象者3000人を超える:韓国MERS

 MERSの感染者が地域の行事に参加して、隔離措置対象者が一気に増えたらしい。

 韓国・ソウルの病院に勤務し中東呼吸器症候群(MERS)コロナウイルスに感染した医師(38)が、1500人以上が集まった地域の行事などに参加していた。
 ソウル市は5日、自治体の権限で独自に行事参加者全員を自宅に隔離する作業を進めた。
 MERS感染では、4日時点で政府が約1600人に自宅や施設での隔離措置をとっている。
 こうした人が2倍に増える見通し。
 5日未明、新たに感染者1人が死亡、ほかに5人の感染が確認された。
 これで死者は4人、感染者は死者を含め41人となった。
 一方、韓国のJTBCテレビは4日、医師の勤務先で、少なくとも3人の同僚医師にMERS感染と同様の症状が出ている。

 韓国の混乱は続いている。
 実際の感染は、病院内で起きているようだ。
 同じ病室にいた患者か、医療関係者に感染が広がっている。
 そこから先の一般社会への感染拡大までは至っていないように見える。
 混乱しており、実態がよく分からない。
 この時期に、医者が人ごみに出かけていくこと自体、不見識だが、その医者が感染していたとなると、単なる「うっかり」では済まされないだろう。
 隔離対象者が3000人を超える事態となった。
 3000人もの人に、2週間も自宅待機を強制するのか。
 実効性は低い。

 
 
 
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2015年06月04日

3人目の死者:韓国MERS

 韓国保健福祉省は4日、中東呼吸器症候群(MERS)感染による3人目の死者が確認されたと発表した。
 3次感染者の死亡は初めて。
 これで韓国での感染者は計36人。
 感染者と接触した可能性がある隔離対象者は6月4日午前で1667人。

 MERSは感染力が低く、2次3次と感染を重ねるにつれて弱まると考えて対応していたようだが、本当にそれが正しいのか疑わしい。
 特に、ウィルスが感染を重ねるにつれて弱まるという話は、聞いたことがない。
 感染を繰り返すうちに変異を起こし、その性質が変わることがあるが、このことを言っているのかもしれない。
 その場合は、感染力や病原性が弱まるとは限らず、逆に強毒化することもある。

 韓国MERSの鎮静化は、今しばらく時間がかかりそうだ。


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2015年05月23日

本当に70代以上だけが反対したのか:大阪都構想

 大阪市で17日、大阪市を廃止して5つの特別区を設置する「大阪都構想」の是非を問う住民投票が行われた。
 結果は、僅差で否決となった。
 ぎりぎりのところで大阪市の存続が維持された。
 まるで、崖っぷち寸前で踏みとどまった感じがある。
 
 もともと、これほど判断の難しい問題を住民に直接問うこと事態に無理があった。
 議会で否決された案を、もう一度住民投票に問うということにも問題があった。
 住民投票可能になった経緯には、公明党の協力があったらしいが、そこには参院選での裏取引があったと言われる。
 何か不透明なところでことが進んでいる印象があった。
 議会で否決されても、住民に直接投票させれば、賛成多数を得ることができると判断したのだろう。
 橋下氏の支持率は一貫して過半数を維持してきた。
 それが住民投票に反映されれば、都構想賛成を得ることができるとの狙いがあった。
 それで、橋下氏は「これが否決されたら政治家を辞める」と早々と公言し、この住民投票が橋下氏の人気投票になるようにしていた。
 今回の住民投票が本当に橋下氏の人気投票になっていれば、賛成多数で可決されるはずだった。

 ところが、反対派の巻き返しがすごかった。
 都市政策などの学者たちの中にも、反対の声を上げる人が出てきた。
 今回、住民投票に賭けられている議案が、どのような内容なのか、反対派たちの説明でようやくわかってきたのだ。
 今回の投票は大阪都をつくろうというものではなく、大阪市を解体し、権限と財源の一部を市から府に移管しようという案だ、ということが分かってきた。
 それで、この案は、完全にダメではなくても、不備な点が多いことが分かってきて、ひとまずやめておこう、という人が増えたのかもしれない。

 さて、住民の投票行動についていろいろな分析が行われている。
 一番目につくのは、各メディアが出口調査をした結果をもとに、世代別の賛否を分析したもの。
 各世代とも賛成が多いが、唯一70代以上だけが反対を上回っている。
 このことをもって、「若者が改革を望んでいるのに、年寄りによってつぶされた」と評価されている。
 ところが、これはおかしい。
 70代以上だけが反対しただけで、全体が反対多数になるなんてことがあるのか。
 高齢者が増えたとは言え、70代以上は人口構成比でも圧倒的に少数だ。
 他の世代がすべて賛成多数なら、結果は可決になるはず。
 70代以上だけが投票率100%に近く、他の世代が極端に投票率が低いということでもあれば、あり得る現象かもしれない。
 だが、全体の投票率が66%ということなので、それも説明できない。
 70代以上だけを投票率100%にして、全体の投票率が66%になるように他の世代の投票率を低く調整しても、全体が反対多数になることはないらしい。
 この出口調査そのものの信憑性に問題があるのではないか。
 そんなデータを基に、世代間の違いを論じても意味がないだろう。
 これは、地域別の賛否の状況でも同じだ。
 大阪市の北部と南部で賛否が分かれた、との分析が行われているが、これも出口調査の結果であり、意味がない。
 そもそも、住民投票は世代間の違いや地域による違いを浮き立たせるために行なったものではない。
 そのような分析は、住民投票の本来の趣旨に反し、世代間対立や地域間対立を煽る言動であり、むしろ害悪が大きい。
 
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2015年05月06日

財政効果さえ合意がない:大阪都構想

 大阪市をなくして五つの特別区を設けるいわゆる「大阪都構想」の是非を問う住民投票を目前に、賛成派と反対派の主張が激突し、世論も完全に2分化している。
 その原因は、都構想の分かりにくさにある。
 賛成派、反対派、両方に言い分があり、理がある。
 両者の言い分をしっかり聞いて住民に判断せよ、というのはあまりにも酷だ。
 というのは、内容が分かりにくく、正確に知ろうとするとかなり専門的な検証が必要になるからだ。
 その判断を、一般住民にゆだねるのか。

 たとえば、都構想による財政効果1つ取っても、賛成派と反対派は全く違う評価をしている。
 賛成派は「2700億円」の財源が生まれるとアピールし、反対派は「1億円」にすぎないと反論。
 これで、どちらが正しいのか住民に判断させるのか。
 それぞれの試算の根拠にまでさかのぼって検証し、どちらが現実性があるか、妥当な判断をしているかを調べなければ、判断できない。
 そんなことを住民ひとりひとりにさせるのか。
 それは無理だ。
 勢い、主張している人の顔つきや、雰囲気で判断するしかない。
 こんな住民投票で行政形態の在り方を決めて大丈夫か。
 
 財政効果もなぜ、こんなに開きがあるのか。
 そこには、どのような試算をするかで、違いが出ている。
 その確認はきっちりできるはずだし、何が妥当な試算なのかの検証もできるはず。
 それは、住民投票に諮る前に、最低限のすり合わせができていなければおかしい。
 今回の住民投票にかけられている提案書は、審議不十分なものをいきなり住民の前に投げ出した感が否めない。
 たぶん、議会ではまともな審議ができなかったのだろう。
 それで、業を煮やした賛成派が、議会での決着を諦め、住民投票による決着にすべてを賭けたというところか。
 
 今回の、住民投票を前に、住民も都構想を真剣に考えるようになった。
 都構想とはどういうものかが少しずつ分かってきた。
 争点はどこにあるのかもわかってきた。
 それは一定の効果があった。
 だが、今回の住民投票では、賛成と反対しか選択肢がない。
 本来は、保留という選択が最も妥当なところではないだろうか。





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読後所感:『夢を売る男』百田尚樹

 百田尚樹著『夢を売る男』(幻冬舎文庫)
 書店の店頭で偶然見つけ、衝動買いした。
 題名からはどんな話か見当がつかないが、内容は出版業界の裏側をぶっちゃけた話だ。
 夢を売るとは、出版ビジネスのことを言う。
 誰に売るのかと言うと、読者ではない。
 本を出したがっている人に売るのだ。
 そう、これは、一時ブームとなり、社会問題ともなった、共同出版ビジネスの話なのだ。

 共同出版とは、自費出版とも商業出版とも違う第3の出版方法。
 商業出版とは、経費を出版社が負担する。
 自費出版は、経費を著者が負担する。
 だが、共同出版は、経費を出版社と著者が折半する。
 出版社のリスクを少しでも減らすことで、従来の商業出版に至らなかったコンテンツでも出版しやすくするというのが、このビジネス手法の狙いだ。
 だが、その実態は、商業出版の形式をした自費出版だ。
 著者にだけリスクを押し付け、出版社がノーリスクで儲かる詐欺まがいのビジネスだった。

 出版不況の現在、本はまともに売れなくなった。
 なのに、本を出したい人は増え続けている。
 そのいびつな構造につけいったような商法だ。

 そのいびつな構造を、この小説では存分に描き出している。
 自分の本を出したがる勘違いした素人が何人も登場する。
 それをバカにしながらカモにして、大金を搾り取ろうとする出版社。
 出版社が、どのようにして素人の自尊心をくすぐり、自己顕示欲につけいって、その気にさせるか、という過程がリアルに再現されている。
 この部分は、社会問題になった出版ビジネスの実態を再現ドラマ風に見せてくれているようだ。
 だが、出版社の阿漕なやり口を摘発するのが目的ではない。
 こんな詐欺ビジネスに簡単に引っかかってしまう素人の甘さに焦点が当てられている。
 それほど、人は 自信過剰で自己顕示欲が強く、コンプレックスの塊なのだ、というところを抉り出している。
 後半は、小説家一般の話にもつなげている。
 プロと言われる小説家でも、まともに売れている者はごくわずかで、実態は素人と変わらないことをあけっぴろげに暴露している。
 そのプロ作家の中に、「百田」という作家も話題として登場し、このバカな作家はすぐに消える、と自虐的に表現しているのが面白い。
 まるで、居酒屋で酒を飲みながら、百田氏の軽妙な語りで、業界の裏話を教えてもらっているかのような感覚になる。 

 これは、ベストセラーを出すほどの売れっ子になった百田氏だからこそ書けた作品だ。
 内容は大したことはない。
 従来から知られていたビジネスモデルをネタにしているだけ。
 業界の人だったら誰でも知っている裏話を取り上げているだけ。
 だが、それを取り上げ、出版業界、文学界を皮肉り、実態をあけすけに暴露できるのは、実力が認められた作家でなければ無理だ。
 百田氏は、この作品を通じて、一般の読者に、「まともな人間は、小説家なんて目指すべきもんじゃないよ」と自省を込めて警告しているかのようだ。


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2015年04月29日

NHKやらせ疑惑:過剰演出で幕引きか

 昨年5月に放送されたNHKのクローズアップ現代に「記者の指示によるやらせがあった」と指摘されている問題。
 NHKの調査委員会は28日、「事実のねつ造につながるいわゆる『やらせ』はないが、『過剰な演出』や『視聴者に誤解を与える編集』が行われていた」などとする最終報告を公表した。
 同時に関係者15人の処分を決定した。

 今回の事件は、NHKとしては、「やらせ」ではなく「過剰な演出」というところで決着したいという思惑ばかりが見える。
 最終報告も、実態をありのままに検証するというより、やらせではないことを主張するために作られた報告書との印象を受ける。
 「やらせ」の定義を非常に狭く設定して、今回の件がいかにその定義に当てはまらないか、というところに焦点が当てられている。
 そもそも、調査委員会なるもの自体が、一部に外部の弁護士や大学教授を含むものの、内部の人間の主導で進められており、客観的な信頼性に乏しい。

 やらせが指摘されたのは昨年5月に放送された「出家詐欺」の特集。
 番組では出家を斡旋するブローカーとしてまず男性A氏が登場し、その手口を告白。
 事務所に多重債務者の男性B氏が相談に訪れた後、立ち去るB氏を記者が追いかけて“突撃インタビュー”する構成になっている。
 だが、実態は全く違う。
 もともとNHK記者はB氏とは8年前からの知人だった。
 過去の番組作りでも、このB氏からいろんな情報提供を受けており、今回も、出家詐欺に関連して、協力を求めらたしい。
 そのB氏からブローカーと言われるA氏を紹介してもらい、撮影場所もB氏にセッティングしてもらっていたという。
 当日の収録では、事務所にいるA氏と相談に訪れたB氏を、はす向かいのビルから窓越しに撮影。
 まるで当事者にばれないように「隠し撮り」しているかのような演出だ。
 だが、同じ室内に記者も同席し、カメラから映らないところで注文を付けていた。
 「お金の工面のところのやりとりがもうちょっと補足で聞きたい」
 そのあと、帰りかけるB氏を追いかけていって突撃インタビューをしているかのような映像がつながる。

 これが、関係者への取材で分かった実態を、再現ドラマで表現したと断っているのだったら、まったく問題はない。
 だが、本物の映像をそのまま収録しているかのように装っているところが罪深い。
 報道によると、このB氏は、この記者への協力で、過去5回も覆面インタビューに登場しているのだという。
 当然、登場のたびに違う立場でインタビューに答えている。
 覆面と変声で本人の特定ができないので、視聴者は誰も気づかない。
 番組制作側としては、こんな演出は、やり放題ということになる。
 本当に、B氏がいろんな顔を持つ裏世界の事情通だったとしても、同じ人物ばかりが登場する情報番組は、それだけで信頼性を損なう。

 この記者は、事件や不正に関与した人に、顔を隠した状態で生々しい実態を語ってもらう今回のような「覆面インタビュー」が得意だったという。
 顔を出さない条件でも、反社会的な部分にかかわる人物の撮影協力を取り付けるのは容易ではない。
 記者は局内では敏腕の定評があったという。
 今回は、たまたまA氏が名乗りを上げたので実態が明らかになったが、関係者がみんな口をつぐめば、闇の中だ。
 NHKの情報番組には、よく覆面インタビューが登場する。
 NHKの取材力を見せつける場面に見えたが、実態は、すべてこういうからくりではないのかとの疑心が生まれる。
 
 

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2015年04月25日

外れ馬券は経費:馬券購入はビジネスになる

 競馬の払戻金の課税を巡り、外れ馬券の購入費が経費になるかが争われた行政訴訟。
 大阪地裁、田中健治裁判長は馬券を継続的に大量購入した場合は経費に当たると判断。
 国税局の課税処分の一部を取り消し、課税額を約8億1600万円から約6600万円に減額。
 大阪国税局は、この判決を受け、外れ馬券の購入費も経費と認め、課税額を約6600万円に大幅減額した。
 判決によると、男性は市販の予想ソフトを改良し、ほとんどのレースの馬券をインターネットで大量購入。2005〜09年で約35億900万円を買い、約36億6400万円の払戻金を得たが、税務申告していなかった。
 判決は、男性が数百万円単位の大量の馬券を継続的に買っていることから、偶発性に左右される一般の馬券購入方法とは異なると指摘。
 その払戻金は「営利を目的とする継続的行為から生じた所得であり、雑所得に当たる」と認定した。

 この男性の馬券の購入スタイルから、馬券購入が単なる娯楽ではなく、「営利を目的とする継続的行為」と認定されたことが特徴だ。
 従来の課税の常識から考えれば、はずれ馬券の購入費を経費として控除するのは考えられない。
 だが、この男性が36億円もの払戻金を得たのは、たまたま購入した馬券が大当たりした結果ではない。
 継続的に馬券を購入し続け、その結果として払戻金の総額が36億円になったもの。
 馬券を購入し続けた総額は、35億円だから、リターンとしては5%にも満たない。
 払戻金だけを見ると、巨額な富を得たように見えるが、投資総額からすると、僅かに5%のリターンだった。
 この5%のリターンを得るために、パソコンの解析ソフトを使い、継続的に馬券を購入し続ける必要があるわけだ。
 36億円もの払戻金を得るためには、継続的に馬券を購入し、35億円もの投資をしなければならないという構図になっているのだから、はずれ馬券は経費とみなすしかないということになる。
 まるで、馬券購入が個人事業のように扱われているのが面白いところだ。
 本当に個人事業だとすると、馬券購入のために使ったパソコンや解析ソフトの購入費も経費になる。
 競馬場まで出かけていって馬券を購入したとすると、往復の交通費も経費になる。
 スタッフを雇っていたとすれば、人件費も経費だ。
 この男性の使ていた解析ソフトは、5%ながら、勝率がプラスになっているのはインチキではなさそう。
 これをビジネスモデルとして個人事業を立ち上げれば、十分商売として成り立ちそうだ。
 この男性、はじめから個人事業として馬券購入をしていれば、こんなややこしい訴訟を起こす必要もなかった。

 
posted by 平野喜久 at 08:17| 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする