2024年05月08日

生成AIの現在レベル

 生成AIの登場で、これからのネット上の知的空間は劇的に変化しそうだ。
 これからの仕事の仕方は激変する。
 場合によっては、不要になる職種も出てきそうだ。
 だが、現状の生成AIを使ってみて分かるのは、AIは、まだまだ実力不足との印象はぬぐえない。
 
 生成AIに小学校レベルの文章題を解かせるとよくわかる。
 なかなか正解を出してくれない。
 少し込み入った内容になると、まったくダメだ。
 AIの回答は、それらしい表現でいろんなことが書かれているが、すべて的外れででたらめ。
 回答の矛盾点を指摘すると、直ちに否定して、頑固に自分の回答が正しいと言い張る。
 それでも、おかしい点を理詰めで問い詰めようとすると、突然動きが停止して、「通信が切れました」となる。
 たぶん、一定方向に無理やり誘導しようとする質問には対応しないようにプログラミングされているのかもしれない。
 
 知識を問う質問は、もっとも利用できる。
 単純な事実を確認するだけなら、自分でネット検索しても調べられるが、AIに代わりに調べさせ、まとまった文章として出力させれば、その後の作業がやりやすい。
 例えば、「家康はいつどこでどんな理由で死んだか」という質問は、きめ細かく回答する。
 たぶん、ネット上に家康の死については情報が豊富なので、AIはその中から必要な情報を抽出するだけでいい。
 同じような調子で、歴史上の人物の死について調べてみた。
 吉田茂、東郷平八郎、藤原道長、源頼朝・・・。
 すると、いままで知らなかったことがいろいろ出てきて、「へーそうなんだ」となる。
 だが、途中で、変なことに気づく。
 回答のパターンがよく似てきたのだ。
 自分で、人物の死について調べてみると、AIの回答がずいぶんいい加減だったことが分かる。
 正しい情報も含まれているが、全然違う情報も。
 中には、明らかに別の人物の情報が混入しているケースもあった。

 生成AIは、言葉をつないでいるだけ。
 ある言葉の次に可能性の高い言葉を探し出して並べているだけだ。
 だから、道長の死について回答しているのに、途中から頼朝の情報に切り替わってつながってしまうということが起きる。
 そう、AIは物を考えていない。
 だから、人間が自分が考える代わりにAIに考えさせようとすると、酷い目に合う。

 これは、自分が専門としている分野について質問してみるとよくわかる。
 それらしい回答が返ってくるが、その内容は、当たり障りのない表面的な答えか、まったく別の内容を含んだでたらめであるか、どちらかだ。
 専門家をうならせるほどの内容は出てこない。
 これは当たり前だ。
 AIはネット上の情報を拾ってきて文章の形に整形して表示しているだけだからだ。
 ネット上にない情報は出力できないし、ネット上にない場合は、その周辺を探し回って同じような表現を見つけてつなげるだけ。
 だから、でたらめの内容になる。
 専門分野であれば、すぐにでたらめが分かるが、専門外の分野だと、それが見抜けない。
 ここがAIに頼ることの危険だ。
 
 AIは長い文章を要約してくれる。
 4000文字の文章を読ませ、400文字で要約せよ、と指示すると、ものの数秒で出力してくれる。
 要約文は、一見、筋が通っていて文章の趣旨を捉えているように見える。
 だが、元の文章と読み比べてみると、まったく印象が違う。
 AIは内容を理解して要約しているのではなく、言葉のつながりで文章を作っているだけ。
 主要な単語をピックアップしてその前後を別の言葉でつないで、日本語として自然な文章を出力している。
 文章として自然ではあっても、内容の信頼性はない。
 これが、日本語としてギクシャクした表現になっていたら、誰でも疑わしいと感じるが、文章が非常に自然なので、そこに違和感を覚えず、簡単に受け入れてしまう。
 ここもAIの危険なところだ。
 
 生成AIには、翻訳機能もある。
 英語のニュース記事を日本語に翻訳するのは簡単だ。
 しかも、日本語としてこなれた自然な文章で驚く。
 パソコンソフトでいろんな翻訳アプリがあるが、どんなに高価で進化したアプリでも、違和感のない翻訳文を出力する実力はない。
 ところが、生成AIの翻訳文は、文章に違和感がない。
 生成AIは翻訳アプリを超えたのか、と思ったがそうではない。
 生成AIは誤訳だらけだ。
 AIは自然な文章を出力することに長けているだけで、原文の意味やニュアンスを正しく翻訳することは考えられていない。
 まあ、ニュース記事程度の翻訳だったら、事実情報だけが分かればいいので問題は少ないが、微妙なニュアンスの違いが求められる文章を生成AIに翻訳させるのは危険が大きい。

 会議の議事録をAIに作らせることもできる。
 会議音声を録音しておき、それを自動で文字起こしし、更に要約させる。
 いままで、人間がやっていた手間がかかる議事録作成がAIで簡単に処理できる。
 これも、AIでは不十分なものにしかならない。
 せいぜい、AIに作らせたラフな議事録を基に、人間がチェックして正式な議事録を作成する、という使い方ではないか。
 
 AIは現状ではレベルが低く全面的に頼り切るには危なっかしい。
 そこには必ず人間のチェックがいる。
 すると、このチェックのためにヒトの手間がかかることになり、これが新たな負担になりそうだ。
 「こんなことなら、初めから自分でやった方が速い」ということになりかねない。
 
 ある大衆向け科学雑誌、毎号興味深いテーマをフルカラーの画像とともに平易に解説してあり、よく読む。
 その文章にはすべての漢字にふり仮名がふってある。
 小学生でも読めるようにとの配慮だろう。
 だが、このふり仮名が問題。
 時々、間違ったふり仮名がふってあるのだ。
 たぶん、コンピューターで自動的にふり仮名をふって、それを人間がチェックしているのだろうが、そのチェックが行き届かず、あちこちに見落としが残ってしまっているのだろう。
 これでは、小学生に間違った読みを教えてしまうようなもので、むしろ弊害が大きい。
 大人でも、難しい専門用語や固有名詞の場合は、ふり仮名は頼りになるが、あちこちに間違いが散見される文章では、危なっかしくて、信用できなくなる。
 生成AIの特集号のケースは最悪だった。
 あちこちに振り仮名間違いがあり、それが気になって読みにくくて仕方なかった。
 生成AIの限界と弊害を身をもって証明するような特集号であった。
 
posted by 平野喜久 at 12:18| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月26日

偽広告詐欺:SNS事業者の未熟

 SNS上の偽広告による詐欺犯罪が問題化している。
 著名人の名と画像を勝手に使った偽広告で投資サイトに誘導し、そこで大金を投資させ金銭を騙し取るという犯罪。
 投資詐欺は以前から存在していたが、いま問題になっているのは、SNS上の偽広告が詐欺行為の客寄せに使われていることだ。

 著名人が運営している投資グループであるかのように装い、客を吸引する。
 招待されたLINEグループでは、メンバーによる活発な情報交換が行われている。
 その中には、指導役の先生と教えてもらう生徒が存在する。
 生徒の中には、先生のアドバイス通りの投資で大儲けできたと喜んでいる人がいる。
 高級車を買ったとか、別荘を購入したとかいう情報も写真入りで投稿されている。
 これらは、すべて騙すための舞台装置なのだ。
 このメンバーの一員になりたいと思ったら、もうその人はカモだ。
 その後、資産のある限り吸い取られる。 

 偽広告に勝手に使われた著名人は、SNSの運営事業者に広告の削除を申し入れるが、まともに対応しない。
 閲覧した人の中には、明らかな偽広告だと分かるものについて事業者に通報をするが、「調査しましたが問題ありませんでした」と定型文を返してくるだけ。
 業を煮やした著名人や詐欺の被害者が、SNS運営会社を相手に提訴に踏み切った。

 メタ社は、公式に次のような声明を出している。
「世界中の膨大な数の広告を審査することには課題も伴う。
オンライン上の詐欺が今後も存在し続けるなかで、詐欺対策の進展には、産業界そして専門家や関連機関との連携による、社会全体でのアプローチが重要だと考える」
 この声明の真意はこうだ。
 膨大な数の広告をチェックするのは不可能。
 詐欺というのはいつの時代にもあった犯罪で、オンライン上でも今後は続く。
 これは、我が社1社で対応できるものではなく、産業界や社会全体で何とかする問題だ。

 この声明に多くの人が怒りを募らせている。
 メタ社は、広告収入によって事業が成り立っている。
 年間5兆6600億円もの売上があり、増え続けている。
 その広告で詐欺被害が多数発生するようになっている以上、その責任は免れない。
 詐欺広告で収入を得ているということは、詐欺の共犯または幇助にあたる。
 
 膨大な数の広告をチェックしていられないというのなら、チェックできる人員を増やすか、チェックできる規模に広告を縮小すべきだ。
 チェックしても詐欺広告か正当な広告かは判断できないとしたら、そのような判断できない広告は流さないようにすべきだ。
 例えば、自動車の設計に欠陥があり、運転中に突然エンストを起こす可能性があることが分かった場合、直ちにリコールを届け出て情報周知する。
 原因が分からなければ、はっきりするまで生産や販売は直ちに中止になる。
 SNS広告で深刻な詐欺被害が多発していることが分かっているのなら、その時点ですべての広告の表示を中止し、実態の解明、原因の追究、再発の防止策を立ち上げた後、ようやく事業再開となって当たり前だろう。
 SNS事業者はそこまでするつもりは全くない。
 社会のインフラを担う事業者としての覚悟も使命感もなさそうだ。
 SNS事業者はいずれもネットビジネスの発展とともに立ち上がってきたものなので、業歴が浅く未熟だ。
 経営者も目先の事業拡大や売上向上にしか関心がないようだ。

 「ネット上の売上は我が社が最大限獲得するが、そのデメリットは社会全体で対応せよ」
 こんな勝手な言い分は社会が許さないだろう。
 
posted by 平野喜久 at 09:21| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月25日

水原一平氏の転落:企業のコンプライアンスの教材に使える

 水原一平氏が大谷選手の口座から24億円以上をだまし銀行詐欺容疑で訴追された。
 水原氏はスポーツ賭博の借金を返すために無断で送金を続けていた。

 勝ちは総額218億円、負けは280億円。
 差し引き、62億円の借金を負っていたようだ。
 完全に金銭感覚が麻痺していたことがうかがえる。
 最初は少額で遊ぶ程度だったものが、負けを取り戻すために金額がかさんでいき、ついに億単位の賭けに手を出すようになる。

 過去に218億円もの勝ちを経験していることが恐ろしい。
 この経験が、60億円ぐらいのマイナスは簡単に取り戻せると錯覚させる。
 これが、ギャンブラーが深みにはまっていく心理だろう。

 賭けの回数は、2年余で1万9000回に及んだという。
 1日平均25回にもなる。
 水原氏は、ほとんど四六時中、ギャンブルのことが頭から離れなかったのではないだろうか。
 その間も、普通に通訳の仕事をこなし、大谷選手の脇で笑顔で対応していた。
 どのような心持だっただろう。
 水原氏は一人でもがき苦しんでいたのではないか。
 誰にも打ち明けられず、誰にも相談できず、泥沼に沈み込みながら、何とか自分一人で脱出しようとしていたのではないか。
 もしかすると、違法賭博の胴元から近づいてきて、はめられたのかもしれない。
 普通の通訳だったら、60億円もの借金を胴元が許すはずがない。
 大谷選手のバックがあることを承知しているから、いくらでも貸し付けることができたのだ。
 それを思うと、彼を単なる極悪人で切って捨てることができない。
 
 彼の周りの人間は、彼がギャンブルの泥沼にはまり苦しんでいることに気づかなかったのか。
 その予兆が分かれば、未然に救うことができた。
 彼の苦しみが分かれば、大谷選手の金を騙し取るなどという犯罪者に転落することを防ぐことができた。
 不思議なのは、何回にもわたって、大谷選手の口座から不正送金が繰り返されていたのに、誰もそれに気づかなかったこと。
 大谷選手は自分の資金管理に興味が薄いらしく、出入金の動きは把握していなかったようだ。
 だが、顧問税理士は何をやっていたのか。
 1年以上、口座の動きを見ていなかったことはあり得ない。
 送金の形跡は把握していたものの、異常とは見抜けなかったか。
 銀行も不正送金の繰り返しを見過ごした。
 もちろん、電話で本人確認をしただろうが、本人の代理として通訳が応答していたとしたら、確認になっていない。
 
 大谷選手の身の回りで彼をサポートしているのが水原氏一人のままであったことも問題だった。
 大谷選手はいまや1000億円プレーヤーになっているのだから、それなりのサポート体制に格上げすべきだった。
 複数人によるサポートになっていれば、水原氏ひとりで不正送金は難しくなる。
 大谷選手の口座から出金や送金を行うときには、複数チェックを経て行うというルールができていれば、水原氏が銀行詐欺を犯すこともなかった。
 水原氏の転落の原因はここにある。
 どんなにギャンブルにのめり込んでも、不正送金ができない仕組みになっていれば、銀行詐欺はできない。
 どんなに胴元にはめられ、脅されたとしても、大谷選手の資金に手を出すことはなかった。
 逆に言うと、水原氏が簡単に大谷選手の口座から不正送金ができそうだから、胴元にはめられたということもできる。
 これが鉄壁のセキュリティで、どんな手を使っても大谷選手の資金に手を付けることは不可能だということが明らかなら、胴元は通訳を相手に何億ものカネを貸し付けることはしないだろう。
 
 水原氏は、深い谷にかかる橋の上を歩かされていた。
 その橋には手すりがない。
 落下防止の安全ロープもない。
 少し躓いただけで、転落してしまう状態だった。
 この状態で、「躓いたヤツが悪い」と言えるか。
 誰もが間違いを犯すことがある。
 誰もが魔が差すことがある。
 それでも、安全柵に守られていれば、犯罪者に転落することは免れる。
 
 企業のコンプライアンスで、問題になるのはこれだ。
 会社のカネを横領したり、機密情報を持ち出したり、製造ラインの食品に毒物を混入させたり、という従業員による不正を防ぐためにはどうするか。
 教育を徹底する?
 悪い従業員に厳罰を科す?
 そもそも当社にそんな悪い従業員はいない?
 答えは、不正を働こうと思っても実行不可能な仕組みを作ることだ。
 これは、従業員を疑っているためにルールやチェックを厳しくするわけではない。
 善良な従業員を犯罪者に転落させないために安全柵を設置するということなのだ。

 水原一平氏の転落事例は、企業のコンプライアンスを考えるときの格好の教材になりそうだ。
 
posted by 平野喜久 at 14:28| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月14日

大坂万博失敗の予感:説教臭い催しでは盛り上がらない

 大阪万博の開幕まで1年。
 機運の高まりに欠ける。
 会場建設費が2度にわたって上振れし、約2倍の2350億円に膨張した。
 パビリオンの準備も遅れており、開幕に間に合わなくなる恐れも。
 前売りチケットの販売が始まったが、売れ行きは鈍いようだ。

 かつての万博は国威発揚型が主流だったが、いまは現代社会の要請にこたえる「課題解決型」に変わってきているという。
 大阪万博のテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」というもの。
 これを見ただけで嫌な予感がする。
 説教臭い万博になりそうだからだ。

 各パビリオンで計画されている内容は、次のようなものが紹介されている。

大阪府市:25年後の自身の姿をアバターにして映写。健康寿命を考えさせる。
日本政府:循環型社会に関する展示
オランダ:水からクリーンエネルギーを生み出す新技術
ベルギー:生命の源である水をテーマ、ライフサイエンスやヘルスケア技術
アメリカ:映像技術による宇宙旅行の疑似体験
ぜリ・ジャパン:プラスチックごみによる海洋汚染の啓発
三菱グループ:いのち輝く地球を未来に繋ぐ
大坂ガス:持続可能な地球環境の実現のためにどう行動するか 

 これを見て愕然とする。
 ワクワクするものがない。
 簡単な説明を読むだけで、どんな内容になるか透けて見える。
 これで、高額のチケットを買い、人ごみの中を出かけていき、行列を作ってまで見たいと思うだろうか。

 25年後の自身の姿を見たいか。
 自分の容姿の劣化と体の老化を目の当たりにして嬉しくなる人はいない。
 確かに健康寿命を考えさせるきっかけにはなるだろうが、マイナス思考しかもたらさないだろう。
 映像技術による宇宙旅行体験も、なんと古臭いコンテンツかと思わせる。
 ハリウッドのCG技術は世界一のレベルだが、SF映画の予告編のような映像を見せられるだけなのが丸わかり。
 その他も、環境やカーボンニュートラルに関連した展示になる。
 その内容は、「地球を守るために・・・しなければいけない」「温暖化を防ぐために・・・してはいけない」という感じになるのが目に見える。
 耳の痛い話を聞かされるだけの展示にワクワクする人はいない。
 
 このような説教臭い万博では、誰も無理して行きたいと思わないだろう。
 動員をかけるには「ぜひ、現場に行ってみたい」と思わせる仕掛けがいる。
 いまのところ、コンテンツの魅力のなさを、事前の告知マーケティングで盛り上げようとしているようだが、いずれも上滑りで効果が出ていない。
 実際にパビリオンが立ち並び、具体的な展示内容が知らされるようになれば、機運が盛り上がってくるという声もある。
 本当にそうだろうか。
 いまは、建築費の膨張や準備の遅れなどが機運が盛り上がらない理由とされるが、もっと本質的な理由がありそうだ。
posted by 平野喜久 at 09:54| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月02日

500年後、日本人の姓は佐藤だけ?:奇妙な別姓推進論

 共同通信の報道で、奇妙な別姓推進論が注目を浴びた。
 エイプリルフールのジョークだということは承知で、あえて批判的に論評する。

 東北大の吉田浩教授が結婚時に夫婦どちらかの姓を選ぶ現行制度を続けると、2531年に日本人の姓がみんな「佐藤」になる可能性があるという試算結果を発表した。
 なぜこうなるのかという理由はこうだ。
 現行制度が続いた場合、いま最も多い佐藤姓との婚姻が増え、これを繰り返して長い時間を経ると佐藤姓に吸収されていく可能性があるという。
 結婚や子の誕生などで佐藤姓の人口が年0.8%ずつ増え、2531年には100%になるというシミュレーション結果がでたらしい。
 ところが、選択的夫婦別姓を導入した場合は、佐藤姓の占有比率が100%になるのは3310年だったという。
 姓の多様性を維持したければ、選択的夫婦別姓に切り替えよ、というのが結論のようだ。
 なんとも違和感だらけのシミュレーションだ。
 
 中国や韓国では、原則的夫婦別姓制度になっているが、姓の多様性は見られない。
 両国とも姓は数百種類に限られる。
 上位10種類ぐらいで大半を占める。
 一方日本の姓はバリエーションが多いことで知られる。
 数十万種類あるという。
 この実態を見ただけでも、夫婦別姓で姓の多様性が維持できるという主張は大外れだということが分かる。

 そもそも、婚姻によって、多数派の佐藤姓が主流になるという理屈が意味不明だ。
 日本では、スマホがガラケーを駆逐していった。
 これと同じようなことが姓でも起きるかのようだ。
 姓は流行や時代の流れで増えたり減ったりするものではない。
 佐藤姓が一番多かったとしても、どれだけ婚姻を繰り返そうが、佐藤姓が全国制覇する事態はあり得ない。

 簡単にシミュレーションしてみよう。
 いま10000世帯があるとする。
 日本には佐藤と田中の2種類しか姓がないとする。
 佐藤が6割、田中が4割と比率に差をつける。
 少子化が進んでいるので、1世帯に子供は1人だけとする。
 結婚した夫婦は夫の姓をなのるとする。

 そうすると、第2世代では10000人の子供ができる。
 佐藤姓の子供が6000人、田中姓の子供が4000人となる。
 佐藤姓6000人の内、男は3000人、田中姓の男は2000人。
 第2世代が結婚すると、佐藤家が3000、田中家が2000できることになる。
 少子化により、世代を経るごとに人口は半分になるが、佐藤と田中の比率は変わらない。
 第3世代も更に人口が半分になるが、佐藤と田中の比率は、3:2のままだ。
 どれだけ世代が進んでも、佐藤姓に吸収されて、田中姓がなくなることはない。
 
 では、夫婦別姓ではどうなるのか。
 分かりやすくするために、全員が夫婦別姓とする。
 第1世代の世帯数と佐藤と田中の比率も同じ。
 子供は1人だが、どちらの姓を残すかはランダムに決める。
 これでシミュレーションすると、第2世代は、佐藤佐藤の夫婦が1800、田中田中の夫婦が800となる。
 この場合は、第3世代は自動的に佐藤1800人、田中800人となる。
 問題は、佐藤田中、田中佐藤の世帯数。
 計算すると佐藤田中は1200、田中佐藤も1200となり、合わせて2400だ。
 この夫婦の子供は、佐藤か田中かはランダムに決めるので、第3世代は1200が佐藤、1200が田中となる。
 すると、第3世代全体では、佐藤3000人、田中2000人となる。
 これは、何のことはない、夫婦同姓の場合と同じになるのだ。
 同姓だと姓の多様性が失われ、別姓だと多様性が維持できるとは、どういう理屈なのかまったく不明だ。

 吉田氏はシミュレーションの中で、佐藤姓が年に0.8%ずつ増加すると決めつけている。
 これは仮定でこういう数値を設定したとは言っておらず、分析の結果こうなることが分かったかのような表現だ。
 どういう分析でこんな数値が出てきたのか語られていない。
 実際の数字にあたってみると、22年から23年にかけて佐藤姓の人口が0.8%増加していることが確認される。
 なるほど、この数字を使ったようだ。
 佐藤姓の増減は、年によってまちまち。
 年によっては、ほとんど増えていないこともあるし、減少していることもある。
 単年度では、わずかながら増減を繰り返しているが、長期にならすと、ほとんど変わらないということになる。

 吉田氏は、たまたま0.8%増加している年を見つけたため、それをピックアップして、今後毎年0.8%ずつ佐藤姓が増加するとどうなるかを計算したようだ。
 しかも、この0.8%増加の原因が、夫婦同姓の現行制度によるものと勝手に決めつけている。
 偶然現れた自説に都合のいいデータだけをピックアップし、シミュレーションのパラメータとするのは、研究者がもっともやってはいけないことだ。

 佐藤姓だけでなく、田中姓だって年によるわずかな増減を繰り返しているだろうことは容易に予想できる。
 「武者小路」という珍しい姓でも、僅かに増加している年が見つかるかもしれない。
 とすると、同じ方法で、田中姓が全国を席巻するシミュレーションも可能だし、武者小路姓が全国制覇をするシミュレーションさえできてしまう。
 ほとんど人をおちょくったような分析だ。

 「選択的夫婦別姓を導入した場合は、佐藤姓の占有比率が100%になるのは3310年」というシミュレーションも、どのような計算で出されたのか不明。
 別姓なら姓の多様性が維持できるといいながら、結局は佐藤だけになるときが来るという矛盾。
 たぶん、いまのペースで少子化が進行することを前提にシミュレーションしたのだろう。
 すると、3300年ごろには日本人は絶滅寸前になっており、その時、最後の1人に残る可能性が最も高い姓は、佐藤ということなのだろう。
 別姓でも最終的には佐藤姓100%になってしまうのは、こういうわけだ。
 どうせ恣意的に数値設定して遊んでいるだけなので、解明しようとするだけ無駄。
 
 この研究もどきは、一般社団法人「あすには」からの依頼で行われたという。
 「あすには」は選択的夫婦別姓の実現を目指している団体だ。
 依頼主の要望に合わせて、無理やり導き出したシミュレーション。
 たぶん、本人でもこの主張には無理があることが分かっているのだろう。
 エイプリルフールに発表したのは、「これは単なる数字のお遊びです」との言い訳を含んでいるためだ。

 吉田氏は、こうも言っている「姓の持つ伝統や文化、個人の思いを尊重するための、姓の存続を考えるべきではないか」
 なんと的外れなコメントか。
 別姓推進は、伝統や文化を破壊し、姓の存在意義を失わせようとする活動であることが分かっていない。
 それにしても、このようなでたらめなシミュレーションを大学教授の名前で拡散させ、選択的別姓を進めようとする推進派のいやらしさよ。
 そして、学者のジョークを嬉々として報道するメディアのうさん臭さよ。
 
posted by 平野喜久 at 12:07| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月30日

小林製薬の健康被害:紅麹の素人が作ったサプリ

 小林製薬が製造販売した紅麹成分のサプリで健康被害が相次いでいる。
 1月15日に最初の症例報告があったにもかかわらず、自主回収が3月22日になったことが「対応が遅い」と批判されている。
 当初、腎疾患をもたらす原因物質が見つからなかったために、対応が遅れたものと見られる。
 ようやく未知の成分が見つかったが、それが原因物質なのかどうかは不明のまま。
 昨日の社長の記者会見でも、「未知の成分」については物質名を避けていたが、厚労省が「プベルル酸」と公表したため、後追いで認めざるを得なくなった。
 小林製薬が「原因はまだわからない」を繰り返しているため、厚労省がしびれを切らして物質名を発表したように見える。
 小林製薬だけに真相究明を任せていたのでは、いつまでかかるか分からないので、いち早く公表して、広く知見を集めたほうがいいとの判断だろう。
 今後は、この物質が本当に腎疾患をもたらしたのかについて、動物実験や臨床試験を行いながら解明していくことになりそうだ。
 ことは長期化の様相を呈しており、その間に企業の信用は削られ続けることになる。
 
 小林製薬は「製薬」と名乗っているが、一般にイメージする製薬会社とは違う。
 管理の厳しい医療機関向けの医薬品は製造していない。
 一般家庭向けのトイレタリー商品が中心だ。
 事業買収で業容を拡大し、健康食品や美容品分野を強化していた。
 紅麹サプリもグンゼから事業譲渡を受けたもの。
 もともと、小林製薬にノウハウや技術があったわけではない。
 健康被害の報告があっても、対応が後手後手で混乱しているのは、緊急時対応の経験値もなく、マニュアルも整備されていないせいだろう。
 健康被害が起きているにもかかわらず、その原因を突き止められず、何が起きているのかさえ把握できていない。
 これは、まったく製薬会社としての管理能力を有しているとは思えない。
 紅麹の素人が作っていたサプリ、というのが実態だと捉えると、グズグズの対応も納得できるかもしれない。

 サプリの利用者は、小林製薬という社名ブランドを信用して購入したはず。
 いま様々なサプリが世の中にあふれているが、製薬会社の作ったサプリなら間違いはないだろう、というイメージがある。
 小林製薬という社名で消費者に間違ったイメージを与えてきたと言われても仕方ない。
 
 1月15日に最初の症例があったということになっているが、今年初めに株主に届いた商品パンフレットには、紅麹サプリが削除されていたという。
 もしかしたら、去年の内に既に前兆をつかんでいたのではないのかが疑われる。
 紅麹を製造していた大阪工場が去年末に閉鎖されていたことも、様々な憶測を招く。
 今年2月初めに役員会議に情報が挙げられ審議されたらしい。
 そこでは、自主回収の判断には至らなかった。
 ところが、そのころから株価が下がり始めていることから、インサイダー情報が漏洩していたのではと疑われている。
 長期間服用している人が腎臓への影響がでているので、問題は最近に限った話ではない。
 既に去年の内から、なんらかの情報が入り始めていたとしても不思議ではない。
 となると、早い段階で情報が分かっており、しかもそれが深刻な問題に発展する可能性があることも認識していたことを疑わせる。
 
 これは、今後、対応を間違えると企業の存続にかかわる事態に発展する恐れがある。
 
 
 
 
posted by 平野喜久 at 11:59| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月27日

偽情報に脆弱な日本人:読売新聞特集記事

 読売新聞で「情報偏食」という連載記事が続いている。
 26日の記事は日本人は偽情報に脆弱というもの。
 日米韓で情報との向き合い方をアンケート調査の結果が報告されている。
 情報に接した時、1次情報に遡って確認する割合が日本は最も低く、偽情報を「誤り」と判断できた割合も最低だったという。
 日本人はネット情報に対して無防備な実態が浮き彫りになった。

 面白いのは、デジタル空間の特性を理解するためのキーワードの認知度が米韓に比べて極端に低いという調査結果だ。
 「アテンション・エコノミー」「フィルターバブル」「エコーチェンバー」という言葉、日本人の認知度はいずれも数%にとどまるが、米韓ではいずれも数十%の認知度になっている。
 「アテンション・エコノミー」とは、記事や投稿に過激な見出しを付けて関心を引き付け、アクセスを増やせば広告収入が得られる仕組みのこと。
 いかにキャッチ―なフレーズで注目されるかだけが目的となり、内容の真偽や重要性がないがしろにされる。
 「フィルターバブル」とは、SNS上では、利用者の関心や興味に合わせてお勧めの情報をアップするようにアルゴリズムが設計されているため、受け取る情報が偏ること。
 だから、受け身で目の前に現れる情報に接していると、同じような情報ばかりに接し、それ以外の世界があることに気づかなくなってしまう。
 特定の情報しか透過しないバブルの中に閉じ込められている状況をイメージした言葉。
 「エコーチェンバー」とは、SNS上では、自分と同じ趣味や意見を持つ人とつながりやすく、それ以外の人物との接触が途絶すること。
 閉じた空間の中では仲間内で共感を呼び盛り上がるので、狭い空間で音が反響する現象になぞらえた言葉。

 このような現象は、別にSNSに限定したものではない。
 ネットが発達する以前から人間社会では当たり前に起きていたこと。
 「確証バイアス」という心理学用語がある。
 これは、仮説や信念を検証する際に、それを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視したり集めようとしない傾向のことを指す。
 そのために、情報収集すればするほど、その人の仮説や信念を確証するようになる。
 間違った認識を持っている人は、その確信をますます強めてしまうというわけだ。
 これが極端に表れるのが、SNSの世界だ。

 「アテンション・エコノミー」「フィルターバブル」「エコーチェンバー」という言葉の認知度が日本だけ極端に低いのは、たぶん、メディアに取り上げられることが少ないからだろう。
 これらの言葉は、自分で意識して探索しようとしなければ、接する機会がない。
 日本人の情報特性は受け身型になってしまっているために、向こうから飛び込んでくる情報でなければ、知らないまま終わってしまうのだ。
 まさに、フィルターバブルの中に閉じ込められている状態。
 
 いま、電車に乗って気づくのは、誰もがスマホを見ていること。
 寸暇を惜しんで情報収集しなければならないような切迫した状況でもあるのか、と問いたくなる。
 だが、何もせずにぼーっとしているようだったら、情報収集したほうがいいというのがコスパの考え方だろう。
 1時間ドラマを1.5倍速で再生し、乗車中に見ることができてしまえば、家に帰ってからはその1時間を別のことに使うことができる。
 これも合理的な考え方かもしれない。
 
 最近の若者は、行列を作ることが苦にならないという。
 有名店の開店前から何時間も並んでいる。
 その間に何をしているかというと、スマホで好みのコンテンツを楽しんでいるのだ、
 行列しながらコンテンツを楽しめるのだから、一挙両得。
 これほどコスパのいいことはない。

 だが、彼ら彼女らは、いつ自分の頭で考えるのだろうか、と心配になる。
 スマホを開けば、常に何か新しい情報がそこにある。
 いつも、受け身で情報に晒されている。
 それを永遠に続けている。
 思考力と判断力が衰えていくのは目に見えている。

 以前、別の調査結果でこんなものがあった。
 ネットでSNSに接する時間の長い人ほど、自分が不幸だと感じている人が多いというアンケート結果があったという。
 ネット上では、他の人たちの楽しそうな日常を目にすることが多い。
 「〇〇に行ってきました」「〇〇で○○を楽しんできました」「○○と一緒に〇〇を食べました」
 みんなが日常のたわいもない写真をアップしているが、いずれも楽しそうで幸せそうだ。
 それを見せられると、自分はそこまで幸せではないように感じてしまうのだろう。
 ネットで情報収集する人ほど、自分以外がみんな優秀に見え、自信を失っていく。
 この現象もネーミングが必要だ。
 「バーチャル・ミスフォーチュン(不幸幻想)」といった感じか。
posted by 平野喜久 at 08:51| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月26日

大谷投手の記者会見:不正アクセスの疑問が残る

 ドジャース・大谷翔平投手は25日午後2時45分(日本時間26日6時45分)、
 水原一平通訳が違法賭博問題で解雇された件に関して、声明文を発表した。
 記者会見という形式だったが、質疑応答はなく、用意された主張を一方的に表明しただけなので、実質「声明文の発表」となった。
 結論は、「スポーツ賭博に関与も送金していた事実はない」「水原氏が口座から金を盗み、嘘をついていた」という2点。
 日本では大谷投手に同情的な報道が多かったが、アメリカメディアの中には、「オオタニが主犯で、通訳はいけにえにされたのでは」という疑惑が上がっていた。
 まずは、その疑惑を全面否定するために行われた会見だったようだ。

 だが、その内容は、いままで代理人が発表していたストーリーを大谷投手の言葉で詳しく説明し直しただけのもので、新たな発見はほとんどない。
 たぶん、事前の打ち合わせが綿密に行われていたのだろう。
 これで疑惑は払拭されたかというと、ほど遠い。
 自らの言葉で語ったということで、人柄の良さが実感され、ファンにとっては高評価の会見だった。
 だが、肝心の疑惑が残ってしまったという点では残念な会見だった。

 なぜアメリカメディアで「オオタニが主犯ではないのか」という疑惑が持ち上がったのかというと、別にアジア人の活躍を快く思わない人が言いがかりをつけているわけではない。
 他人が不正にアクセスして高額の送金を何度も繰り返すことができてしまったことが不自然だからだ。
 いまは、マネーロンダリングの警戒から、高額送金については金融機関は何重ものセキュリティチェックを設けており、正規の送金でも手続きは面倒なことこの上ない。
 なのに、水原氏は堅牢なセキュリティを突破し、本人に気づかれないように高額送金を繰り返すことができたという。
 そんなことは不可能だろう、と考えるのが常識だ。
 だから、「オオタニが主犯」という疑惑が持ち上がったのだ。
 ということは、「僕は何も知らない」ということをいくら繰り返しても、疑惑の払拭にはつながらない。
 大谷投手も同じ疑問を持ったのなら、「いま銀行側に問い合わせている」という言葉があってしかるべきだった。

 水原氏が不正アクセスできた理由を知りたいと多くの人が思っている。
 この知りたいというのは、単に興味本位で真相を暴きたいという意味ではない。
 これが、例えば銀行側のセキュリティに誰も知らない重大な穴があり、そこを突破された、というのなら、これは一人のスポーツ選手の話にとどまらず、社会全体に影響の及ぶ問題になるからだ。
 そうではなくて、事前に代理人登録してあって、登録代理人なら本人に代わって50万ドルまでネット送金できるシステムを悪用されたというのであれば、そのような説明をひとことするだけで済む話だ。
 (この場合は、窃盗ではなく、横領になるが)

 大谷投手の会見では、不正アクセスの疑問について触れることがなかった。
 ということは、大谷投手がそこに疑問を感じていないか、弁護士に言及を止められているのか、どちらかだろう。

 政治家の不祥事だったら、秘書のせいにして逃げようとするのをメディアは許さない。
 だが、今回のスキャンダルは、アメリカのメディアが沈黙すれば話題が遠のき、みんなが興味を失ったところで収束しそうだ。

 

 
 
posted by 平野喜久 at 10:44| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月05日

SDGsが話題になっているのは日本だけ

 ダイヤモンドオンラインの記事による。
 「SDGs」が現代のトレンドを表すキーワードのようになっている。
 「日本は、欧米に比べて立ち遅れている」「日本人の意識は低すぎる」「このままでは世界の流れに取り残される」などと脅されており、意識高い系の人は、SDGsに関心を向けるようになった。
 企業を挙げてSDGsに取り組むケースも増えており、スーツの襟にSDGsバッジをつけている会社も多い。
 これは、「我が社は地球環境に配慮しています」「人権を大事にしています」というイメージ戦略になっている。

 日本で、この言葉がクローズアップされてきたのは、2020年以降だ。
 ちょうど新型コロナが蔓延し始めたころと一致する。
 これは、偶然なのか、何らかの関連があるのかは、不明だ。

 さて、問題はSDGsとは何かではない。
 なぜ、日本ではSDGsが話題になっているのか、だ。
 というのは、世界でこれほどSDGsが話題になっている国は他にないからだ。
 Googleトレンドでの検索数ランキングで「SDGs」を調べると、1位は日本なのだ。
 日本の検索数を100としたときの各国のランキングは以下の通り。

1位:日本100
2位:ジンバブエ28
3位:ウガンダ21
4位:インドネシア21
5位:ガーナ17

34位:アメリカ1

 なんと、日本が圧倒的に検索数が多い。
 しかも、他の上位国は発展途上国ばかりだ。
 上位20か国を調べても、他の先進7か国はどこにも登場しない。
 欧米の方が進んでいるのではなかったのか?
 日本人の意識は低いんじゃなかったのか?
 まったく様子が違う。
 人口比で言えば、アメリカは日本の3倍の検索数があってもいいはずだが、データ上では100分の1しかない。

 「欧米の方が進んでいる」「日本人の意識は遅れている」という言葉に日本人は弱い。
 日本人は、自分が率先して行動することは気が引けるが、他人に立ち遅れることは極端に恐れる国民性がある。
 その国民性に付け込んだプロパガンダのように見える。
 そして、そのプロパガンダは、見事に成功している。

 SDGsには原型があった。
 2000年から始まったMDGsだ。
 MDGsとは、ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals)のこと。
 極度の貧困と飢餓の撲滅など,2015年までに達成すべき8つの目標を掲げていた。
 一定の成果を上げたものの、これらが主に発展途上国に限られた問題と認識されたために、先進国ではほとんど関心がなかった。
 その反省から、次の15年の取り組み目標として、SDGsが立ち上がった。
 今度は、目標として地球環境や人権に関係する項目を増やし、先進国を巻き込んだ取り組みにしようという意図があったようだ。
 SDGsの検索ランキングで、日本以外が発展途上国ばかりである理由は、MDGsの流れを汲んだ取り組みだからだろう。
 貧困問題は、先進国は支援する側、発展途上国は支援される側。
 支援される発展途上国の国民がSDGsに関心を寄せるのは当然だろう。
 一方、支援する側の先進国の一般国民は、一向にSDGsへの関心が高まらない。
 それはそうだろう。
 自分の利益になりそうにない話に興味を示す人はいない。
 だが、例外的に興味を示す国民があった。
 日本人だ。
 「とっくにみんながやっている」という話には無関心でいられないのが日本人。
 それで、世界一SDGsに関心の高い国民になってしまったというわけだ。
posted by 平野喜久 at 10:22| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月04日

能登地震発災直後の石川県知事の行動:トップの非常行動の模範

 1月3日付読売新聞に「能登震度7ドキュメント」がまとめられていた。
 これを見ると、政府や自治体は迅速に対応していたことが分かる。

16:10 最大震度7の地震発生
16:11 官邸対策室を設置(官邸危機管理センター)、首相は関係省庁に指示
16:22 大津波警報(気象庁)
16:45 石川県が自衛隊に災害派遣要請。続いて富山県も。
17:16 首相が官邸入り。
18:10 気象庁が記者会見。
18:30 北陸電力 原発の電源は確保されていると説明。
23:00 石川県知事がヘリで金沢に到着
23:35 特定災害対策本部を非常災害対策本部に格上げ。
23:55 宮内庁 新年一般参賀の中止を発表。
(2日以降は省略)

 石川県知事は発災当時、地元を離れていたようだ。
 ただちに金沢に戻る手段がないことから、東京の官邸に向かったらしい。
 発災直後は官邸で地元からの報告を受けていたし、官邸で記者会見にも応じていた。
 状況が分かってきたところで、深夜に自衛隊のヘリコプターで金沢に入ることができた。
 これらの一連の行動も適切であった。
 トップの危機対応の模範のような行動と評していい。

 企業のBCPにおいても、社長が遠方に出張中に発災した場合の行動計画を作っておく必要がある。
 発災直後は社長はむやみに動き回らないことが原則。
 着実に連絡が取れるところで、現地からの報告を待ち、指示を出せる体制を作る。
 近くに自社の営業所があるのなら、そこに入る。
 なければ、近隣のホテルに入り、しばらくそこで対応することになる。
 現地の非常態勢ができあがり、移動手段が見つかり次第、社長は移動を開始し、現地に向かう。
 発災後の行動計画は、現場の話ばかりが話題になり、経営トップの行動計画にまで及んでいないケースが多い。
 中小企業の場合は、経営トップの存在は大きい。
 トップさえしっかりしていれば、何とかなる部分も多い。
 トップの行動計画を作り込むことは、会社の生き残りをかけた大事な取り組みなのだ。
  
 このような適切な行動がとられた場合は、マスコミ報道がない。
 対応に遅れがあったとか、ミスがあったとかいう場合だけ、大々的に取り上げ、政権批判を行う傾向が強い。
 だが、これは一部の人間の不満解消にはなるかもしれないが、国民への正しい情報提供になっていない。
 今回の政府対応でも、「対応が遅い」と批判している人がいる。
 このような人々は、政権批判が目的なので、実態がどうであっても同じなのだろう。
posted by 平野喜久 at 10:10| 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする