2017年06月16日

テロ等準備罪法案:本来の目的が審議されていない

 共謀罪の構成要件を厳格化した「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法が成立した。
 与党側は「テロ等準備罪法案」といい、野党側は「共謀罪法案」という。
 読売新聞、産経新聞は「テロ等準備罪法案」、朝日新聞、毎日新聞は「共謀罪法案」となる。
 各紙は世論調査もしているが、どのような表現で質問するかによって数字が違うようだ。
 「テロ等準備罪」と表現している世論調査は賛成が多くなり、「共謀罪」と表現すると逆になる。
 
 参院での十分な審議が行われないまま投票が行われ成立となった。
 衆院でも参院でも委員会での野党側の質問は、些末な内容に終始した。
 「一般人が捜査の対象になる」「総監視社会の到来」「プライバシーの侵害」「表現の自由が制限」
 国民の不安感を煽るような批判のための批判だった。
 政府側の答弁は、ひたすら「一般の国民が捜査の対象になることはない」と繰り返すしかなかった。
 同じ答弁に業を煮やした民進党の議員は「一般人がヤクザと一緒に犯罪を犯しても処罰対象じゃないのか!」と詰め寄る始末。
 小学生の屁理屈か。
 この議員は民主党政権時代に法務大臣だったというのだから、愕然とする。

 この法案の本来の目的、テロの未然防止という観点での議論はついに行われずじまい。
 「本当にこれでテロを防げるのか」「ローンウルフ型テロにはどう対応するのか」といった議論にならなかった。
 審議の最中、まさにイギリスでテロが続発した。
 それでも、テロ防止の議論にならなかったのはどういうことか。

 テロを防止することを目的とした法案として見たとき、この法律は穴だらけで、欠陥があちこちにある。
 野党側に配慮した結果、不必要な制約が設けられ、いざという時の運用が限定的になってしまったところも。
 本来は、この点こそ徹底的に議論すべきではなかったのか。
 本当に国民を守ろうと思ったら、「総監視社会の到来」の心配よりも、「これでテロが防げるのか」という議論の方が重要なのは明らか。

 審議不十分のまま法案成立となったというのはその通りだ。
 だが、その審議不十分と言うのは、野党の言う審議とは違う。
 テロの未然防止という議論がまったく行われないまま終わってしまった。
 本来の目的がどこまで達成できるか分からないまま、中途半端な法案が成立してしまったのではないかと心配する。
 
 


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2017年06月14日

そっくり表紙の料理本:小学館の広報戦略

 そっくりな表紙の料理本が話題になった。
 話題になったというより、小学館が話題にした、と言った方がいいかもしれない。

 小学館は12日、同社ムック「やせるおかず 作りおき」に、新星出版社「やせるおかずの作りおき かんたんレシピ177」のタイトル、表紙カバーデザインが酷似しているとし、新星出版社に対して販売中止などを求める申し入れをしたらしい。
 それを公式サイトで発表したため、一般に知られるところとなり、メディアでも取り上げられるようになった。

 小学館の料理本は『やせるおかず 作りおき』。
 新星出版社の料理本は『やせるおかずの作りおき』。
 カバーデザインについても、写真素材、文字の置き方、色使い、レイアウトなど、よく似ている。
 だが、料理本のカバーデザインは、どれも似てしまうのは仕方ないのではないか。
 他にも料理本は山ほど出版されているが、イメージはよく似ているという印象を受ける。
 題名も、「やせるおかず」も「作りおき」も一般名詞で、オリジナリティを主張できるほどのものではない。
 そもそも、書籍の題名には著作権は存在しないというのが常識だ。
 小学館では同じ著者による「やせるおかず」シリーズを出しており、この流れに便乗しようとする動きを牽制したいとの思いがあるのだろう。
 しかし、「やせるおかず」「つくりおき」という言葉を書籍の題名で最初に使ったのは小学館ではない。
 それ以前から、同種の料理本は存在したのだ。
 小学館に他社の物まねを非難するほどのオリジナリティはない。
 
 それに、似ているのは題名とカバーデザインだけ。
 内容は当然ながら全く違う。
 料理レシピにまで、そっくりな部分があれば、もっと騒動は大きくなっただろうが、そのような気配はない。

 小学館の「やせおかシリーズ」の売れ行き好調を見て、新星出版社が自社でも売れ筋の出版企画を立ち上げたのは間違いないだろう。
 その意味で、他社の売れ筋商品をまねた、ということは言える。
 だが、こんなことはどこの業界でも当たり前にあること。
 
 小学館も、賠償請求しているわけでも裁判に訴えたわけでもない。
 新星出版社に出版停止を申し入れをし、それをウェブサイト上で公開しただけだ。
 (ついでに、マスコミ向けのプレスリリースもしただろう)
 今回の件が、著作権や商標権の侵害に問えるとは思っていないし、これで相手が販売を取りやめるとも思っていない。
 ただ、世間の話題になってくれれば目的は達成されたことになる。
 結果として、いろんなメディアがこの話題を取り上げ、この本に世間の注目を集めることに成功した。
 いま、Amazonのランキング11位を得ている。
 これも、1つの広報戦略かもしれない。
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2017年06月12日

ミサイル想定の避難訓練と朝日新聞の報道姿勢

 朝日新聞の報道による。
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 北朝鮮の弾道ミサイル発射が相次ぐ中、全国の自治体で避難訓練や注意喚起の動きが広がる。号令をかける内閣官房は「国民の不安感が今までになく高まっている」と必要性を訴えるが、「かえって不安をあおる」と戸惑う声も上がる。
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 各地でミサイル想定の避難訓練や注意喚起の動きが広がっているのは、結構なことだ。
 北朝鮮のミサイルリスクは、現実のものになりつつあり、そのリスクに対する備えはあって当たり前と言える。
 日本では、避難訓練と言ったら、火災や地震を想定するのが一般的だったが、その中に、ミサイルも追加されることとなった。
 北朝鮮のミサイルは、発射から着弾まで10分以内と言われており、その間に、避難行動がとれるかどうかがカポイントとなる。
 10分以内という時間は、大げさな行動をする余裕はないが、最低限の安全行動を取るだけの時間は十分ある。
 その限られた時間で、自分は何をすればいいのか、何をしなければいけないのか、何ができるのか、について事前に考えておくのは非常に重要だ。
 いままで、日本人でミサイル想定の避難訓練をやったことのある人はほとんどいない。
 それだけに、訓練をやっておくことの価値は高い。

 だが、朝日新聞の記事に、気になる言葉が紛れ込んでいるのにお気づきだろう。
  「『かえって不安をあおる』と戸惑う声も上がる」
 これは、このような声があちこちから出ているというよりも、朝日新聞特有の当てこすり記事だろう。
 福島原発周辺では、事故前に避難訓練が行われることは1度もなかったという。
 事故を想定した準備もシミュレーションも、何もなかった。
 なぜか。
 住民の不安をあおるからだ。
 そのために、住民も行政も東電も事故のことを考えることがなくなった。
 考えなければ対策が行われるはずもなく、何の備えもないまま最悪の事故を迎えることとなった。
 今回の朝日新聞の「かえって不安をあおる」という当てこすり記事も同じだ。
 人々の意識を北朝鮮のリスクからそらせようとする目的しか感じられない。

 朝日新聞の記事では、次のように締めくくられていた。
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 ただ、訓練を実施した自治体はまだ少数派。近畿のある自治体の担当者は「どんな訓練が効果的か分からないのに、やみくもに動いても仕方ない。情報収集の段階だ」と語った。
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 近畿のある自治体とはどこなのだろう。
 どこかの職員が何の行動も起こしていないことの言い訳をこんな風に語っていたのかもしれないが、朝日新聞が都合のいいコメントを恣意的に選んでいるようにしか見えない。
 朝日新聞は、ひたすら北朝鮮リスクを過小評価しようという意図だけが透けて見える。

 「どのような訓練が効果的か分からないので訓練しない」というのは言い訳になっていない。
 実際にミサイル攻撃を受けたことがある人はいないので、どのような訓練が効果的か誰も分からない。
 すると、どこかにミサイルが落ちて、どのような訓練が効果的かが分かってから行動を起こすということか。
 だが、それが分かったときには、手遅れであることは明らかだ。
 原発事故が起きてから訓練をやっても意味がないのと同じだ。

 ミサイル訓練の目的は、まずは、そこにリスクがあることを人々に意識してもらうことにある。
 朝日新聞の姿勢は、逆に人々の意識をそこから遠ざけようとするものであり、意図的であるとすれば、罪は重い。
 一方、テロ等準備罪法案については、共謀罪法案と呼び方を変え、「国民のプライバシーが暴かれ総監視社会になる」と不安をあおる。
 意識すべきリスクから目を背けさせ、ありもしない不安を掻き立てているように見える。






   

posted by 平野喜久 at 14:49| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月09日

上皇陛下は京都御所にお戻りいただこう

 天皇陛下の退位に向けた特例法が参議院本会議で採決が行われ、全会一致で可決、成立した。
 今上陛下は、退位後、上皇陛下になり、東宮御所に移られるという。
 200年ぶりの退位が行われるという歴史的な出来事が行われようとしているのに、何のサプライズもなく、面白みがまったくない。
 「上皇陛下には京都にお戻りいただこう」という声が上がらないのが不思議だ。
 退位後は、公務から離れるのだから、東京にお住まいになる理由はない。
 この際、本来の居場所である京都にお戻りいただくのがあるべき姿ではないのか。

 明治になり、首都が京都から東京に移った。
 しかし、この東京遷都は根拠が曖昧のまま、なし崩し的に実現したものだ。
 いま、世界中の人が日本の首都は東京だと思っているが、東京遷都は正式に決議されたことも、法律で規定されたこともなく、そこには何の根拠もない。
 明治天皇が東京に移られたのも、正式の引っ越しではない。
 明治になって、天皇はいろんな所へ行幸されたが、「次は東京の政治状況を見に行かれる」と東京への行幸に出発したまま帰らなかった、というのが実態らしい。
 つまり、京都の側からみると、天皇は東京に出かけたまま、帰ってきていないだけなのだ。

 京都御所も当時のまま残っている。
 上皇陛下は京都御所に戻られたらいかがか。
 ついでに、秋篠宮殿下も京都にお戻りになっていい。
 秋篠宮殿下も、東京にいなければならない理由はない。
 天皇に即位したとき、東京の皇居にお移りいただくというシステムにしたらどうだろう。
 そして、宮内庁も京都に移転する。

 さらに、天皇も京都にお住まいいただいてもいい。
 首都も京都に戻す。
 皇室の本拠地は京都。
 天皇は、公務のために東京出張という扱いだ。
 いま、京都市はリニア新幹線の駅誘致に一生懸命だが、天皇陛下を京都にお戻しすることで、リニアを京都に通す名目が立つ。
 
 皇室の京都移転は、首都機能の地方分散が課題となる中、その第一歩の象徴的なイベントになるだろう。
  
posted by 平野喜久 at 21:56| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Amazonの問い合わせ対応はレベルが高い

 Amazonには、著者セントラルというサービスがある。
 著者がAmazonのウェブサイト上に独自のページを設け、著者が読者に情報を伝えたり、書籍のプロモーションを行うことができるサービスだ。
 著者ページの情報は、著者自ら更新することができる。
 作品一覧の更新、著者紹介文や写真の追加、表紙画像のアップロードなど、著者ページのコンテンツを著者ご自身でアップデートできる。
 Amazonのウェブサイト上で、自己PRができるわけで、これは著書を持っている人の特権だ。
 
 さて、私の著者ページには今まで出版した書籍が一覧で表示されている。
 ところが、ここに表示されているのは、日本語の書籍だけで、英語バージョンの書籍は表示されていない。
 「本の追加」の手続きをしても、著者名が違うと拒否される。
 英語バージョンは著者名が「Yoshihisa Hirano」となっているので、「平野 喜久」と一致しないと判断されたようだ。
 やむを得ず、Amazonに問い合わせメールを送信。
 すると、翌日の午前中には回答があった。
 そのメールの文面は、非常に丁寧で、的確な内容だった。
 問題がどこにあるのかをちゃんと調べ、原因を特定し、解決策を見つけ出し、それを簡潔に伝えてきた。
 結局、Amazon側で、英語バージョンの書籍を日本語書籍と一緒に表示されるように処理してくれた。
 そして、今後も本の追加ができない場合は、連絡をくれるようにとの案内が添えてあった。
 問題は一発で解決し、非常に心地いい。

 そのメールの末尾には、これで問題が解決したかどうかを問うアンケートがついている。
 そして、今回の対応はどうだったかを評価させる質問が続く。
 選択肢にチェックを入れて送信するようになっている。
 この選択肢の並びも変わっている。
 選択肢の最初は「非常に悪い」から始まり、「悪い」「普通」「良い」「非常に良い」というように、悪い順に並んでいるのだ。
 これは普通の常識と逆だろう。
 わざと「非常に良い」が簡単にクリックできないようになっている。
 客の評価がストレートに返ってくるので、担当者の対応も当然丁寧になるのだろう。
 中途半端な回答でやり過ごそうとすると、1回で問題解決せず、その後、客と何度もやり取りをしなければなくなる。
 最終的に問題解決に至ったとしても、客の評価は下がってしまう。
 それで、1発で問題解消を目指すようになる。
 そのために、問題を徹底的に調べ、決定的な解決策を提示するようになるという仕掛けだ。
  
 世の中には、いろんなお客様の相談窓口がある。
 だが、多くはただのクレーム処理対応になってしまっているケースが多い。
 客と一緒になって問題を解決しようという姿勢にならず、とりあえず客を黙らせるというところに目的がある。
 客が諦めてくれればそれで任務完了。
 問題は残ったまま。
 その問題は、根本的な解決ができていないために、同じような問題が他の客で繰り返し発生する。
 そのたびに、「よくある話」の1つとして、口先だけの対応で客を黙らせることで対応し続ける。
 客の不満は解消されず、問題は永遠に残る。
 これが、問い合わせ窓口の普通の姿だ。
 実は、Amazonへの問い合わせも同じような対応をされるのではと、あまり期待していなかった。
 通り一遍の解決策を紹介してくるか、担当窓口が違うとたらい回しにされるか、「それは難しいです」と解決をあきらめさせるような内容が返ってくるのではと思っていた。
 だが、予想に反して、対応レベルの高さに驚いた。


posted by 平野喜久 at 12:22| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

加計学園問題は、かつてのNHK番組改変問題と酷似

 いま、国会で騒がしい「加計学園問題」。
 問題の構図が、かつてのNHK番組改編疑惑とそっくりなことに気づく。
 NHK番組改編疑惑とは、次のような事例だった。

 2005年、NHK番組制作局の長井チーフプロデューサーが内部告発を行なった。
 内容は、「安倍氏と中川氏から上層部に圧力がかかり、番組の改変を強いられた」というもの。
 その番組というのは、民衆法廷である日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷を取り上げた番組。
 このイベント自体が強烈な政治的偏向意図を持った主催者によるプロパガンダで、慰安婦など日本軍の戦時犯罪の責任は昭和天皇および日本国家にあるというのが主張の趣旨だ。
 その番組は実際に放送され、その内容のひどさに一般の視聴者は驚いたが、それでも、内容の過激さを緩和するような改変が行われたものだったらしい。
 チーフプロデューサーは、内容改変させられたことを不満に思い、政治家の介入があったと内部告発をぶち上げたという次第。
 このプロデューサーは、記者会見まで開き、その場で涙まで流し、捨て身の姿勢でやむに已まれず内部告発に踏み切ったかのように語り、見る者の情に訴えようとした。

 例によって、この情報に最初に飛びついたのは、安倍つぶしが社是となっている朝日新聞。
 安倍氏と中川氏が政治的圧力で、番組の内容を無理やり変更させた、と報じた。
 これに対して、NHK側はそのような政治介入はなかったと主張。
 安倍氏と中川氏も当然ながら、そんなことはしていないと反論した。
 安倍氏がNHKと接触したのは、放送前日。
 放送前日には番組の改変は終わっており、安倍氏が会ったのはそのあとだった。
 中川氏に至っては、NHKと接触したのは、番組放送後だった。
 番組改変が行われたのは事実だが、それはNHK内部の事前チェックで、あまりにも偏向がひどい内容であることが分かったので、さすがにこのまま放送することはできず、反対の立場の意見も紹介し、少しでもバランスが取れるようにせよとの指示だった。
 放送法に則ったNHKの内部チェックがしっかり利いていたことが分かる。

 「安倍氏によって公正であるべき番組が改変させられた」というのは、いまの加計学園問題で、前川氏が「安倍総理によって公平公正であるべき行政がゆがめられた」というのと被る。
 どちらも、内部関係者による捨て身の告発という形をとっているのも、同じだ。
 そして、朝日新聞が騒ぎを煽っているのも同じ。

 ただ違うのは、前回は、NHKが朝日新聞と対立したこと。
 NHKとしても、簡単に政治介入を許すような体制になっていたと認めるわけにいかず、訴訟も辞さずとの強硬姿勢に出た。
 結局、朝日新聞が折れる形で、この騒動は収束する。

 プロデューサーの内部告発も番組放送から4年もたってからで、あまりにも不自然だった。
 それも、政治家の介入があったという勝手な推測を問題の根拠に置くというずさんなものだった。
 だが、彼としては、「安倍氏と中川氏にやられた」と言えば、朝日新聞が食いつくということは先刻承知だったのだ。
 彼の意図が何だったのかはよくわからない。
 番組改変を強制した上司への恨みか。
 さらにその上層部への意趣返しか。
 このあたりも、ますます今回の加計学園問題とそっくりな構図だ。
 

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2017年05月30日

改正個人情報保護法が施行

 15年9月に成立した改正個人情報保護法が本日から施行される。
 元の個人情報保護法は05年に施行され、国民にプライバシー情報に対する意識を高めさせるきっかけになったが、一方で、保護が不十分であったり、過剰反応で不必要な情報隠蔽が行われるなど、問題も多かった。
 それらを踏まえ、今回の改正法の施行となった。

 今回の改正ポイントは、
・指紋や顔認証データなど「個人識別符号」も対象となること。
・個人情報でも匿名加工すれば本人の同意なく第三者に提供できること。
・従業員らの情報漏洩を罰するデータベース提供罪が新設されたこと。
・5000人要件を撤廃したこと。

 大きな影響が出そうなのが、匿名加工すれば同意なく第三者に提供できるという点だ。
 これは、ビッグデータの時代への配慮だ。
 個人の購買データ、行動データ、検索データなどがビジネスや行政に活用される時代となった。
 個人の属性と購買履歴を蓄積することでマーケティングに利用できる貴重なデータベースになる。
 自動車のGPSデータを解析することで渋滞の緩和策を検討できるようになる。
 海外ではすでに膨大な個人情報の蓄積と利用が進んでおり、国家戦略としても、この動きにブレーキをかけることにならないようにとの配慮がうかがえる。
 だが、「同意なく第三者に」というところで不安も多い。
 匿名加工するとしても、どの程度の加工をすれば十分かは不透明だ。
 名前を消しただけでは、別のデータと照合すれば簡単に個人を特定できてしまう。
 かといって、名前だけでなく年齢や性別や職業や地域など多くの情報を消し去ってしまうと、データとしての利用価値がどんどん失われてしまう。
 どこに線引きをするのかが難しい。
 ただし、事業者はどのような項目を誰に提供するかなどを公表する必要があるとされており、ここで一定の縛りになりそうだ。

 もう1つの注目は、5000人要件が撤廃されたこと。
 従来は、半年間に5000人を超える個人情報を扱う事業者が規制の対象だった。
 5000人というと、ある程度規模の大きい事業者に限られる。
 この要件は、中小零細事業者を対象から外すために設けられた。
 その枠がなくなったのだ。
 つまり、人数は関係なく、個人情報を扱う事業者はすべて対象となるということ。
 確かに、中小零細事業者の中には個人情報に無頓着なところが多く、消費者の意識が高まりとともに、そのいい加減さが問題になるケースがあった。
 今後は、中小零細事業者であろうとも、個人情報の扱いには慎重にならざるを得ないし、その配慮をしっかりしていることを消費者に示していく必要が出てくるだろう。


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2017年05月28日

そもそも加計学園の件は問題があるのか

 森友学園の騒動が沈静化したと思ったら、いつの間にか騒動は加計学園に移っていた。
 どちらも、安倍総理の意向で許認可手続きが進められていたのではとの疑惑が共通している。
 森友学園問題では十分追及しきれないことが分かったので、同じような案件があるはずと他を探していたら、加計学園が見つかったため、今度はこちらに舞台を変えたといったところか。
 疑惑の根本は、加計学園の理事長が安倍総理の友達だったということらしい。
 ここから、安倍総理の働きかけがあり、加計学園に特別の便宜が図られたに違いないというストーリーができあがった。
 あとは、このストーリーに沿った情報収集が進む。
 獣医学部の新設は、過去50年以上なかったのに、今回異例の速さで新設が認められたとか、京産大が申請したのに認められなかったとか、まるで特別の圧力でことが進んでいたかのような印象報道が続く。
 極めつけは、文科省内部で関係者の覚書として共有されていたという謎の文書だ。
 そこには、「総理のご意向」という言葉があり、安倍総理の働きかけがあったことを明確に示していたため、マスコミも野党も色めき立った。
 当初は、この文書の出どころは明かせないということになっていた。
 ただの怪文書で信憑性はないとの批判が広がり始めたところで、前事務次官の前川氏の証言が登場することになる。
 「あの文書は確実に存在した」
 「公平公正であるべき行政がゆがめられた」
 どうやら、この文書をマスコミや野党に流したのは前川氏だったようだ。
 例によって、朝日新聞と民進党が食いついたというわけ。
 安倍政権を攻撃できると分かれば、彼らが食いつくことは前川氏も狙い通りだったろう。
 前川氏にとって、安倍政権に意趣返しをする絶好のチャンスでもあった。
 天下り問題で詰め腹を切らされた私怨があったようだ。
 それにしても、元官僚の意趣返しの策略に乗せられてしまうマスコミと野党の情けなさ。
 
 あの怪文書には、総理のご意向という言葉はあるが、加計学園という言葉はどこにも存在しない。
 文書の内容が真実だったとしても、それは、官僚や業界に守られてきた堅固な規制を官邸主導でぶち破ろうとする内容にしかなっていない。
 むしろ、官僚に好き勝手させないという点で、安倍政権はしっかり仕事をしているという印象を受ける。
 とすると、官僚にとって、面白くない案件であったことは間違いない。
 前川氏が「行政がゆがめられた」というのはこういうことだったのだ。
 
 前川氏の援助交際疑惑が読売新聞で報じられ、官邸からのリークではないかと言われている。
 官房長官も記者会見で、前川氏の天下りに関与したことや素行の悪さを口を極めて攻撃していた。
 このことを批判している人がいる。
 「権力によって個人のプライバシーが暴かれ、都合の悪い個人がつぶされる」
 「これが許されるのならどんなでっち上げも可能だ」
 的外れの批判にしかなっていない。
 これは権力と個人の戦いではない。
 官邸と元官僚との戦いなのだ。
 元官僚が官邸に戦いを仕掛けてきた。
 それを防戦するのは当然のことだ。
 それに、援助交際疑惑も天下り不祥事もでっち上げではなく、本人も認めた事実だ。
 さらに、前川氏は風俗通いは「女性の貧困調査のため」「教育行政の課題が見いだせた」と言っている。
 前川氏本人が、これはプライバシーではなく、文科省官僚の任務としての意味があったと述べているのだ。
 官房長官が「そんなことは考えられない」と公然と批判するのは当然だろう。 

 マスコミは、もっと客観的な報道に徹するべきだ。
 安倍総理の陰謀ストーリーに沿った情報だけをピックアップして報道している。
 ストーリーにそぐわない情報は報道しない。
 森友学園の時もそうだったが、まるで、安倍総理が裏で悪いことをしているかのようなイメージを増幅させることにしか関心がないように見える。
 真実はどうでもいいような姿勢だ。
 結果として、規制緩和に抵抗し、天下りにかかわり、援助交際に手を出していた官僚を擁護することになっていしまっている。
 マスコミは権力の監視が役割というが、その前に、真実の報道が先だろう。

 加計学園問題については、理事長の発言はまったく登場しない。
 たぶん、理事長が安倍総理に働きかけをしたという痕跡が何もないのにちがいない。
 だから、「2人は友達だった」ということしか出てこないのだ。
 学園を誘致した地元の発言も登場しない。
 獣医師会の発言も登場しない。
 これらを取り上げると、問題が拡散してしまい、安倍陰謀ストーリーが破綻するからだろう。

 この加計問題も、森友問題と同じように、マスコミと野党が大騒ぎをしただけで、国民どっちらけの中、消えてなくなりそうだ。


posted by 平野喜久 at 21:28| 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前川氏の発言に官僚の驕りを見る

 加計学園問題。
 文科省の元事務次官の証言が出て、騒ぎが大きくなっている。
 今回は、問題の本質には触れない。
 元事務次官の前川氏が記者会見で語った言葉について、違和感を覚えた。

「極めて薄弱な根拠で規制緩和が行われた。公平、公正であるべき行政の在り方がゆがめられた」

 50年間も獣医学部の新設が見も繰られ続けてきた。
 それが今回、政治主導で破られ、新しい獣医学部の新設が実現することになったところで、加計学園問題が飛び出した。
 前川氏の発言は、ぼんやり聞いていると、政府が行政に不当な介入を行なったために、問題が起きたかのように聞こえる。
 だが、これが元事務次官の発言だということを考えると、とんでもないことだと気づく。
 つまり、「政治主導で規制緩和が行われたことが気に入らない」ということだからだ。
 もっとその真意を掘り下げると、「行政がどうあるべきかは、我々官僚が考える。政治家は余計な口出しをするな」という意味になる。
 官僚の恐るべき驕りを見る思いがする。
 規制緩和すべきかどうか、何をもって公平公正とするか、これを判断するのは、官僚ではなく、国民の代表である政治家であるべきではないのか。
 その判断に間違いがあったとしても、それは政治家の責任であり、政治家であれば、責任を取ることができる。
 だが、官僚は国民に選ばれていない。
 官僚は結果に責任を負わないし、実際に責任を取ることはない。
 その官僚が国の重要な政策を決定しているとしたら、そちらの方がはるかに問題だろう。

 野党とマスコミの一部は、加計学園の騒動を安倍政権を追い落とす手段に使えると考え、色めき立っている。
 かつて、前川氏は文科省の天下り問題の張本人として攻撃されていたが、彼の証言が政権の攻撃材料に使えるとみると、途端に「勇気ある告発者」として持ち上げ始めた。
 現役官僚時の援助交際疑惑が報じられると、「権力側が個人攻撃で告発者をつぶそうとしている」と前川氏の全面擁護に全力を挙げている。
 この気味の悪さ。 
posted by 平野喜久 at 14:31| 愛知 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月25日

京大に使用料請求せず:JASRAC

 京大の学長が入学式の式辞を大学ウェブサイト上に公開したことで、JASRACから問い合わせがあったことについて、決着がついた。
 式辞の中で、歌手のボブ・ディランさんの「風に吹かれて」の歌詞の一節が含まれていたために、それについて著作権使用料が発生するのかが問題になっていたのだ。
 JASRACの理事長が記者会見で「引用と判断している。請求はしない」と述べたことで、問題は収束した。
 
 そもそも、当初、JASRACから京大に問い合わせがあったのかが不可解。
 ボブ・ディランさんの歌詞をそのままネット上に公開しているわけでもなく、式辞の中で歌詞の一節を引用しただけだし、その式辞を大学のウェブサイト上に公開しただけだ。
 引用という形式をとっている。
 その目的もはっきりしている。
 式辞をネット上に公開した意義も明確。
 どこにも著作権を侵害するような不自然な点は見当たらない。
 京大側は、問い合わせに対して、意味が分からず対応しなかったという。
 だが、この情報がネット上で拡散し、世論が反応した。
 「こんなものにも使用料を請求するのか」とJASRACの姿勢に批判的な論調が強かった。
 世論の反発の強さに驚いたのか、JASRACは「別に、請求しているわけではない。問い合わせをしただけ」と途端に逃げ腰になった。
 そして、理事長の定例記者会見で記者に問われ、先の発言となった。

 JASRACからの問い合わせというのは、電話であったらしい。
 「歌詞の引用をサイトに掲載するには、著作権料に関わる手続きが必要」という趣旨だったという。
 確かに、使用料を請求はしていない。
 手続きをせよと言っているだけ。
 JASRACに歌詞の引用を届け出ると、その使用方法などを見て、JASRACが使用料を算出し、請求してくる。
 著作権法で認められた引用という形なら使用料は発生しないが、その判断はJASRACがするので、使用者が勝手に判断するな、という姿勢が見える。
 今回は、世論が先に反発したので、JASRACは手を引いた。
 だが、これが個人だったらどうなっただろうか。
 JASRACから問い合わせがあっただけで、圧力を感じただろう。
 急いでネット上の文章を削除するか、手続きを進めてしまうかしただろう。
 場合によっては、うっかり使用料を払ってしまうかもしれない。
 もしかしたら、JASRACの問い合わせというのは、相手がビビッて使用料を払ってくれればOKぐらいに思って、片っ端から問い合わせの電話を入れているのではないか。
 だとすると、これは実体のない請求書を送りつけて、間違えて払い込んでくれるのを待つ「架空請求詐欺」のようなものだ。

 今回の騒動で、JASRACは理事長の「請求しない」という発言だけで収束となった。
 だが、誤解を招く行為についての反省も謝罪もない。
 これを機に、「著作物の引用とはどういう条件で成り立つのか」ということを広く国民に知ってもらうこともできたはずだが、それもない。
 とりっぱぐれて、そそくさと逃げた、という印象しかない。
 音楽著作権の保護者というイメージからは程遠い。
 

 
posted by 平野喜久 at 10:20| 愛知 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする