2018年03月03日

公共放送受信料の国民投票:スイス

4言語の
 読売新聞の報道による。
 スイスで、公共放送の受信料の廃止の是非を問う国民投票が4日に行われるらしい。
 下院第1党の右派・国民党と第3党の中道右派・西寧部グループが共同発議による。
 発議者は、「受信料は、メディアの公平な競争の機会を奪う」として、放送事業の入札制も訴えている。
 スイスの公共放送は、独仏など4言語のテレビ・ラジオと、日本語を含む多言語のニュースサイトを運営している。
 受信料は、年に450スイスフラン。
 日本円に換算すると、約5万1千円になる。
 受信料廃止の議論が持ち上がったのは、テレビやラジオの有無に関係なく全世帯から受信料を一律に徴収する法改正案が可決されたことがきっかけだった。
 「なぜ公共放送だけが受信料を徴収するのか」という不満が広がった。
 議会では、国民党だけが廃止を支持しており、他は反対。
 世論調査では、廃止反対は65%に達しているという。

 どうやら、国民投票では、受信料廃止は反対で可決されそうな情勢だ。
 国民の不満が広がっているはずなのに、なぜ?
 それは、全世帯から徴収する代わりに、受信料の値下げが決まっており、既に受信料を払っている人たちにとっては、反対する理由がないのだ。
 この報道を見ると、日本のNHKだけでなく、他国の公共放送でも受信料制度の問題が持ち上がっていることに気づく。
 NHKも、テレビの有無にかかわらず全世帯に受信料の支払い義務を課すシステムを検討し始めている。
 世間の反発を恐れて、堂々と法改正を要求するところまではいっていないが、単発的に情報をリークし、観測気球を上げている感じだ。
 現状では、受信機を設置した者に受信契約の義務が法律で規定されている。
 ここでポイントとなるのは、NHKを見ているかどうかは関係ないこと。
 なぜNHKを見ない人からも受信料を徴収するのか。
 それは、公共放送だから。
 公共放送は、国民の知る権利を保障するため、国民みんなで支えるもの。
 だから、受益者負担ではなく、国民負担になっている、という理屈だ。
 この理屈を延長させると、受信機を設置した者に負担を限定する必要はなく、「受信機の有無にかかわらず全世帯から」という理屈に直結することになる。
 NHKが全世帯負担を目指すのは理論上の必然というわけだ。
 スイスでは、いち早くその動きが始まっていた。
 NHKは、スイスでの受信制度のなりゆきを注視しているだろう。
 「全世帯負担に切り替えたとしても、受信料の値下げと引き換えにすれば、多くの国民の支持を得られる」
 この実証事例になりそうだ。
 
 受信制度については、筋が通らないいろいろ疑問点が多い。
 戦後間もないころの放送法がそのまま存続しているために、実態との乖離が激しいからだ。

 現在、世帯ごとの受信料負担になっている。
 1世帯であれば、そこに何人住んでいようが、何台のテレビがあろうが、1契約だ。
 一方、学生が単身で暮らしている下宿先にも受信料契約を迫る徴収人が現れる。
 この不自然さ。

 また、「受信機の設置」の意味もあいまいになっている。
 普通はテレビを部屋に置いて、放送を受信できる状態になっていることをイメージするが、NHKはテレビがなくても、携帯電話やスマホでワンセグが見られる状態なら、受信機の設置とみなすと規約を作っているらしい。
 これは裁判でも争われている。
 部屋に設置したハイビジョンデジタル放送受信と、携帯の小さい画面で見る受信状態の不安定な低画質の受信とが、同じ条件の契約になることになる。
 これも一般常識からかけ離れた不自然さだ。

 ここには、すべて、「NHKを見ているかどうかは関係ない」という理屈から始まっている。
 見ているかどうかが無関係なら、放送がきれいに映るかどうかも無関係。
 受信機の設置だけが唯一の条件だ。
 この受信機の設置の解釈も最大限拡大して、携帯電話やスマホ、カーナビ、パソコンにまで対象を広げている。
 NHKとしては、この唯一の条件も撤廃したいところだが、そのためには、法改正がいる。
 スイスの事例を踏まえ、いずれ受信料の値下げと引き換えに全世帯負担の法改正に動き出すだろう。

 この時、問われるのは、NHKの金満体質だ。
 いま、NHKは有り余るほどの受信料を集め、使いきれずに内部留保をため続けている。
 それも、コストカットで切り詰めて内部留保をためているのではなく、民放ではありえないような贅沢な番組作り。
 傘下の関連企業に外注の形で資金流出させ、全国に大量の職員を高給で抱え続けている。
 それでも、使いきれずに金が余っているのだ。
 受信料制度の見直しは日本でも必要だ。
 それは、国民に負担を求めるだけの見直しにはならない。
 NHKのあるべき姿を根本的に見直すところから始めないといけないだろう。
 NHKにこれほどのチャンネルが必要か。
 NHKにドラマや情報バラエティーが必要か。
 NHKに4Kや8Kが必要か。
 そもそも公共放送の役割とは何か。

 国民に負担を強いる受信制度のあり方について、政治課題に上がってこないのは不思議でならない。
 
 
posted by 平野喜久 at 10:39| 愛知 | Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月14日

「なぜ少女のマッチは売れなかったのか」無料キャンペーン

 新たにリリースした電子書籍
「なぜ少女のマッチは売れなかったのか〜マッチ売りの少女と考えるマーケティング」
https://www.amazon.co.jp/dp/B079Q4BXDG/

 ただいま無料キャンペーン中だ。
 アマゾンのKDPには販促ツールとして、自由に無料キャンペーンを実施できるようになっている。
 最大5日間のキャンペーンが設定できる。
 今回は、リリース直後なので、17日まで連続5日間の無料キャンペーンで設定した。
 これを機会に、少しでも多くの方のお目に触れられることを願う。

 お目通しいただけたら、率直なご感想をAmazonレビューにご投稿いただけると幸いだ。
 できれば、星4つか5つを付けてもらえると嬉しい。
 星2つ3つは辛いが、厳しいご意見として謹聴しよう。
 星1つはさすがにへこむ。
 
 このコンテンツは2014年に英語版としてリリースしたが、今回はその日本語版。
 童話「マッチ売りの少女」を題材にしながら、マーケティングの基礎を学ぶビジネスコンテンツ。
 少女と一緒に、マッチの売り方を考えるうち、マーケティングの考え方が身につくことを目的とする。
 同時に、ビジネスの意義や楽しさを見直し、前向きに生きることの大切さを学べるようになっている。
 
 アンデルセンの童話『マッチ売りの少女』は、誰もが知っている。
 大晦日の寒い夜、ぼろを着て、靴も脱げてしまって、哀れな姿で売り歩く少女。
 「マッチを買ってください」と必死に呼びかけるけれど、全然売れない。
 寒さに耐えかねて、マッチを擦っているうちに、天国のおばあさんに招かれて天に昇って行く。
 切なさが印象に残るお話・・・・・・。
 
 でも、このお話、どこか変。

 貧しいはずの少女が、どうして売るほどのマッチを手に入れてたの?
 マッチが売れなかったら、どうして売れる工夫をしなかったの?
 マッチは本当に売れない商品だったの?

 この時代、マッチは新たに開発された画期的な新商品だった。
 マッチの訪問販売というビジネスも例を見ない斬新なもの。
 売り方さえ間違わなかったら、大ヒット商品になったかもしれない。
 なのに、マッチがまったく売れなかった不思議。
 少女は何を間違い、どうすればよかったのか。

 マッチ売りの少女の話には、マーケティングの基本要素がすべて含まれている。
 ケーススタディとして、これにまさる題材はない。
 どうしたらいいのかを少女と一緒に考えながら、マーケティングを学べるビジネスケースメソッドだ。 
posted by 平野喜久 at 16:26| 愛知 ☀| Comment(0) | 電子書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月10日

南海トラフ地震 確率上昇

 読売新聞の報道による。
 政府の地震調査委員会は9日、南海トラフで今後30年以内にM8〜9の巨大地震が発生する確率を「70〜80%」に引き上げたと発表。
 13年までは「60〜70%」とされていたが、14年に「70%」に引き上げられ、今回さらに上昇した。
 今後10年以内の発生確率は、「20〜30%」から「30%程度」に引き上げ。
 50年以内の確率は、「90%程度、もしくはそれ以上」と据え置き。
 北海道太平洋側の千島海溝沿いで予想されている地震については、根室沖でM7.8〜M8.5程度が30年以内確率を「70%程度」から「80%程度」に引き上げた。

 南海トラフ巨大地震が確実に迫りつつある。
 この確率は、誰か適当に勘で見積もっているわけではなく、科学的根拠をもって算出された数値をもとに公表されている。
 30年以内というと人間の時間感覚では世代が入れ替わるほどの長時間という印象だが、地震のタイムスケジュールでは、ほんの一瞬の違いでしかない。
 また、この数値は、あくまでも確率を表しているにすぎず、いつ地震が起きるかを示しているわけではない。
 30年後に地震が起きる確率が「70〜80%」と解釈してしまっている人がいるが、それは間違いだ。
 その時は、30年後かもしれないし、明日かもしれない。
 この情報は、その時が確実に近づきつつあることを表していると受け止めよう。

 南海トラフ巨大地震は、いつか必ず起きる。
 「もしかしたら、地震が起きるかもしれませんよ」という緩い話ではない。
 過去に南海トラフ地震は繰り返し起きており、その発生パターンが突然消えてなくなることはあり得ないからだ。
 しかも、次のその時は、何十年も何百年も先の話ではない。
 10年20年というレベルの時間軸で起きる。
 こうなるとすべての人にとって他人事ではない。
 「その時をどのように迎えるのか」これは、私たち一人ひとりが考えておかなくてはいけない話だ。
  
  
posted by 平野喜久 at 08:35| 愛知 | Comment(0) | リスクマネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

電子書籍「なぜ少女のマッチは売れなかったのか」

 新たな電子書籍をリリースした。
 「なぜ少女のマッチは売れなかったのか〜マッチ売りの少女と考えるマーケティング」
https://www.amazon.co.jp/dp/B079Q4BXDG/

 このコンテンツは2014年に英語版としてリリースしたが、今回はその日本語版だ。

 童話「マッチ売りの少女」を題材にしながら、マーケティングの基礎を学ぶビジネスコンテンツ。
 少女と一緒に、マッチの売り方を考えるうち、マーケティングの考え方が身につくことを目的とする。
 同時に、ビジネスの意義や楽しさを見直し、前向きに生きることの大切さを学べるようになっている。
 
 アンデルセンの童話『マッチ売りの少女』は、誰もが知っている。
 大晦日の寒い夜、ぼろを着て、靴も脱げてしまって、哀れな姿で売り歩く少女。
 「マッチを買ってください」と必死に呼びかけるけれど、全然売れない。
 寒さに耐えかねて、マッチを擦っているうちに、天国のおばあさんに招かれて天に昇って行く。
 切なさが印象に残るお話・・・・・・。
 
 でも、このお話、どこか変。

 貧しいはずの少女が、どうして売るほどのマッチを手に入れてたの?
 マッチが売れなかったら、どうして売れる工夫をしなかったの?
 マッチは本当に売れない商品だったの?

 この時代、マッチは新たに開発された画期的な新商品だった。
 マッチの訪問販売というビジネスも例を見ない斬新なもの。
 売り方さえ間違わなかったら、大ヒット商品になったかもしれない。
 なのに、マッチがまったく売れなかった不思議。
 少女は何を間違い、どうすればよかったのか。

 マッチ売りの少女の話には、マーケティングの基本要素がすべて含まれている。
 ケーススタディとして、これにまさる題材はない。
 どうしたらいいのかを少女と一緒に考えながら、マーケティングを学べるビジネスケースメソッドだ。 
 

posted by 平野喜久 at 08:12| 愛知 | Comment(0) | 電子書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月13日

JR信越線立ち往生:緊急時の判断の難しさ

 信越線普通電車が15時間半も立ち往生する事故が発生した。
 乗客は430人。
 満員状態で、立っている人も多かったという。
 満員電車の中で15時間半も閉じ込められるのは異常事態としかいいようがない。
 
 どうしてこのようなことになったのか。
 どうやら、現場判断がことごとく裏目に出た結果らしい。
 電車は午後6時55分、東光寺駅を発車。
 しかし発車して300メートル、1分もたたないうちに電車の前にたまった雪で停止。
 ここから判断の迷走が始まる。
 駅を出たばかりなので、東光寺駅に戻ることも検討した。
 だが、そこは無人駅でホームに雪が積もっており乗客を避難させるのは困難なので戻っても意味がないと判断。
 さらに停止位置は踏切近くで警報機が鳴り出しており、この警報機は、鳴り始めてから後退すると、再整備が必要になる。
 このことも列車後退をためらわせる要因になった。
 これで東光寺駅に戻る選択肢は消え、次の約2.3キロ先の帯織駅を目指すことになる。
 近隣駅から応援を得て人力での雪かきを始める。
 この時点では、雪国ではよくある積雪による立ち往生で、特に深刻には考えていなかったのかもしれない。

 しかし、雪かきを上回る速さで雪が積もり、運転再開を断念せざるを得なくなる。
 次の選択肢は代替輸送。
 バスやタクシーの手配を検討するが、周囲は細い農道で、近くまでバスを寄せるのは不可能と判断。
 午後7時半ごろには、長岡、新潟両市内に待機していた除雪車を出動させる準備に入った。
 だが、積雪量が多く、現場到着は翌朝にずれ込んだ。

 この間、運転再開の見通しも立たず、救援体制のめども立たないまま、430名の乗客は車内に放置された。
 今後の見通しも立たないので、乗客は詳しい情報提供も行われず、不安の中でひたすら待つしかなかった。
 日付が変わる午前0時前後から体調不良を訴える乗客が出始め、救急搬送。
 水や食料の配布も午前2時40分ごろから。

 乗客の家族が自動車で近辺に迎えに集まりだす。
 JRは「ふぶいているうえに真っ暗な中、線路を歩くのは危ない」との判断から乗客が車外に出ることを認めなかった。
 だが、周辺に迎えの車が列をなすようになり、午前4時半ごろから迎えの車が来た乗客に限り降車を認めたという。

 乗客の不安と苦痛もさることながら、現場のJR職員らの混乱と奮闘ぶりも目に浮かぶようだ。
 結果として対応に問題があったのは間違いないが、どの時点でどうするのが適切だったのかについては、まだよくわからない。
 「東光寺駅を発車させたのがそもそもの間違い」
 「進行不可能を判断した時点でただちに引き返せばよかった」
 「バスを横付けできないとしても、タクシーでピストン輸送すれば対応できた」
 いろいろなアイデアが思いつくが、あくまでも現場の実態を知らない者の思い付きに過ぎない。

 今回の事故の検証が行われるはずだが、その時に、個人の責任追及にならないようにしたい。
 まずは、何が起きていたのかを正確に知ること。
 そして、どうしてそうなったのかを確かめること。
 最後に、そうならないためにはどうすればよかったのかを検討すること。
 これが事故検証で求められる重要ポイントだ。


posted by 平野喜久 at 09:58| 愛知 ☀| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月31日

TBS「陸王」:ビジネスドラマの傑作

 TBSドラマ「陸王」。
 最終回の視聴率は20%を超えたという。
 池井戸潤の作品は、これまで何度もドラマ化されてきた。
 「半沢直樹」「ルーズベルトゲーム」「下町ロケット」
 今回の舞台は、地方の零細業者。
 足袋製造という時代の流れに取り残されたような事業者が、新規事業に挑戦し、世界的大企業と互角に渡り合い、成功を収めていく。
 ドラマが始まった時点でストーリーが見るような成功物語。
 だが、筋書きが見えてしまっても、それを見たいと思わせる魅力があった。
 
 単なるビジネスドラマに終わらせず、マラソンというスポーツの成功物語も絡めたところが秀逸なアイデアだった。
 この作品は、初めから映像化を想定して書かれたそうだ。
 ビジネスドラマだけだと、理屈っぽい会話だけの展開になってしまいがちだが、それをマラソン選手の成功と重ねることで視覚的な表現効果を可能とした。
 視聴者は、こはぜ屋の社員になった気持ちで見入ってしまうが、同時に、茂木選手に感情移入して応援してしまう。
 見事なストーリー構成だと言うほかない。

 もちろん、本当のマラソン選手が見れば、おかしいところはいろいろあるだろう。
 また、ビジネスの現場を知っている人が見れば、こはぜ屋のおかしなところはいろいろ見つかる。
 しかし、それを差し引いてもドラマとしての完成度は非常に高かった。

 主役の役所広司の力量が光っていた。
 最近のドラマは、人気の若手俳優が主役を務め、ベテランが脇を固めるケースが多いが、「陸王」は、ベテラン俳優を堂々と主役に置いたおかげで、周りの俳優を巻き込み、ドラマ全体が生き生きと動いていたという印象だ。
 本当に「こはぜ屋」という老舗の足袋業者が存在し、いまでもどこかで宮沢社長以下の社員らが奮闘しているような感覚になる。

 衆院議員選挙の影響で放送回数が1回減ったらしい。
 その分、他の回の放送時間を長くし、場面もかなりカットしたようだ。
 最終回は、無駄がなく、感動の名場面の連続だった。
 普通なら、最終回だけで2〜3回分の内容だ。
 なんという贅沢なドラマだろう。
 
 こはぜ屋の宮沢社長に敵対的または否定的な人が何人も出てくる。
 銀行の支店長、融資担当者、フェリックス社長、金庫番のゲンさん、息子の大地、ダイワ食品監督など。
 いずれも、最後は宮沢社長の理解者となり応援者になる。
 ただ、アトランティスの小原部長だけは、最後まで悪役のまま屈辱の敗北に打ちひしがれていた。
 小原部長役のピエール瀧が、もっと憎々し気なヒール役に徹することができていれば、最後の爽快感は大きかっただろう。
 だが、小原部長も社命を負って最善を尽くそうと奮闘していたサラリーマンだったことを考えると、最後にアメリカ本社から切り捨てられる場面で同情したくなる。

 続編を期待する声も多いそうだ。
 その後のこはぜ屋を見てみたい。
 陸王は本当にランニングシューズとしての地位を確立できるのか。
 茂木選手は世界レベルで活躍できるようになるのか。
 大地はメトロ電業でどれだけ成長して戻ってくるのか。
 フェリックスからの融資は無事返済できるのか。

 2時間のスペシャルドラマでもいい。
 期待したい。

 
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2017年12月24日

ブルーレイオーディオでハイレゾを楽しむ難しさ

 ハイレゾ音楽を楽しむメディアとして、ブルーレイオーディオがある。
 24bit,96kHzで音声が記録されており、高解像度のピュアな音質を堪能できる。
 CDが16bit,44.1kHzなので、それよりもはるかに解像度が高い。
 CDでも十分高音質だと思っていたが、ハイレゾはその上を行く。
 その音質の良さを実感したのは、CD店の視聴コーナーだった。
 カラヤンの「惑星」。
 1970年のアナログ録音。
 この演奏は既にCDを持っているし、何度も聴いている。
 だが、その音楽の透明感に驚いた。
 ハイレゾを追い求める取り組みが始まったのは、この時だ。

 ブルーレイプレーヤーに入れて、音声をアンプに入力して、ハイレゾ対応のヘッドホンで鑑賞する。
 確かに、CDよりも高音質だが、視聴コーナーで実感した音質と違う。
 ヘッドホンは、視聴コーナーで使われていたものよりも格段に高級なものだ。
 ならば、プレーヤーがだめなのか、アンプが貧弱なのか。
 光デジタルで音声情報をアンプに入力できれば、音質の劣化が防げるはず。
 早速、光デジタル入力のついたものに買い替え。
 だが、ぱっとしない。
 音質は悪くはないが、抜けるような透明感というところまでいかない。
 ふと見ると、アンプの液晶の表示に「PCM48kHz」とある。
 なんと、96kHzの音源であるはずが、アンプには48kHzしか送られていなかったのだ。
 ブルーレイプレーヤーの問題に違いない。
 新しいブルーレイプレーヤーを購入。
 この新しいプレーヤーのカタログには、96kHz,192kHzにも対応とある。
 今度こそ本来のハイレゾが味わえるはず。
 だが、このプレーヤーでも「PCM48kHz」との表示。
 どうなっているのか。
 取説をよく読むと、「著作権保護の作品は48kHzに変換して出力します」と書いてある。
 ということは、一般に売られているブルーレイ作品は、ハイレゾで出力できないということではないか。
 では、ブルーレイオーディオはどのように楽しめばいいのだろう。
 調べてみると、光デジタル出力では著作権保護のために制限がかけられるが、HDMIの方には、本来のハイレゾ音声がそのまま送られているのだという。
 ならば、HDMIに送られた音声情報を抜き出すことができれば、問題は解決する。
 その方法が見つかった。
 HDMI切替器を使えば、映像情報と音声情報を分離して、取り出せそうだ。
 HDMI切替器は様々な機種があってどれが目的を果たせるものか分からない。
 とにかく、一番高価なものを選んで購入。
 この切替器を通して分離した音声を光デジタルでアンプに入力した。
 すると、表示が「PCM96kHz」となった。
 プレーヤーにブルーレイを入れ、プレーボタンを押す。
 すると、あの透明感のあるハイレゾ音声が再生された。
 これほどややこしい仕掛けをしないと、ハイレゾを楽しめないとは……。

 ブルーレイ―には96kHzとは別に、192kHzの音声も収録されている。
 そちらに切り替えて再生すると、アンプ側は「PCM192kHz」の表示に。
 ところが、この場合は、音がプチプチ途切れてうまく再生されない。
 たぶん、データ量が大きすぎて光ケーブルでは転送速度が追い付かないのだろう。
 この方法にも限界があったのだ。
 もう1つ限界が見つかった。
 PCM音声は正常に再生されるが、DTSやドルビー音声はアンプの側が非対応になってしまう。
 ブルーレイオーディオにもいろんな種類がある。
 PCM音声があれば再生可能だが、DTS音声しか収録されていない場合は、再生できなくなる。
 私が持っている「ドボルザーク交響曲全集」「シベリウス交響曲全集」は再生不可。
 1枚のブルーレイに長時間の音声を記録するために、圧縮率の高いDTSしか収録できなかったのだろう。

 課題は残ったが、ひとまずハイレゾ音楽を楽しめる環境ができた。
 ブルーレイオーディオは、需要が少ないためにソフトも限られている。
 新しいディスクも開発されていないようだ。
 現在売られているディスクが売り切れ次第、廃盤となりそうな気配だ。
 アマゾンでは、ブルーレイオーディオが大幅ディスカウントで売られている。
 最後の在庫一掃セールをやっているかのようだ。
 中には売り切れ作品もちらほら。
 慌てて、残りのブルーレイを買いあさる。

 これからは、ディスクを購入するのではなく、音声ファイルをダウンロードするスタイルが普通になるのか。
 
 
 
 
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2017年12月22日

北海道沖に予想される超巨大地震

 政府の地震調査委員会が、北海道東部沖の太平洋でM9クラスの超巨大地震の発生が切迫している可能性が高いとの予測を公表した。
 道東沖では、340〜380年間隔で超巨大地震が起きている。
 最後に起きたのが約400年前であるため、次の超巨大地震が切迫しているという判断だ。
 超巨大地震が今後30年間に起きる確率は7〜40%と推計。
 この地域は、過去の地震の記録が少なく、地盤調査も進んでいないことから、シナリオによって確率に幅がある。
 震源域は、道南東沖から北東に延びる千島海溝沿いに想定されている。
 一回り小さなM8クラスの巨大地震になると、もう少し細かい確率が公表されている。
 今後30年間の確率は、十勝沖で7%、根室沖で70%、色丹島沖・択捉島沖で60%。
 この千島海溝は南にいくと日本海溝につながっているため、青森県沖まで震源域が広がった場合は、さらに巨大化する恐れがある。
 千島海溝を震源域とする巨大地震は、以前から指摘されてきたが、首都直下地震や南海トラフ巨大地震の陰に隠れて、忘れがちだった。
 今回、そのリスクに改めてスポットを当て、警戒を呼び掛けている。

 もう1つ、忘れがちなのが、中央構造線断層帯のリスクだ。
 紀伊半島から四国にかけて貫いているが、それが伊予灘を超え、九州内陸にまで達していることが分かってきた。
 これが動いた時の被害も甚大になることが予想される。
 四国内陸部で活断層によるM6.8以上の地震が起きる確率は、30年間で9〜15%と公表された。
 
 ちなみに、M7クラスの地震を「大地震」、M8クラスを「巨大地震」、M9クラスを「超巨大地震」という言い方になる。
 「大地震」の読み方は「おおじしん」が標準だ。

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2017年12月20日

のぞみ台車判断寸前:JR西日本の危機管理ミス

 新幹線のぞみの台車に亀裂が見つかった問題。
 運輸安全委員会は、脱線の恐れがあった重大インシデントであったと認定。
 世界一安全な高速鉄道と言われた新幹線としては異例の事態だ。

 事故には至らなかったものの、台車枠に亀裂が入り、もう少しで破断というところまで来ていた。
 問題個所の写真が報道されたが、素人が見ても明らかに破断寸前であったことが分かる。
 時速300キロで走行中に破断したら、重大事故を起こした可能性は十分あり、恐ろしい。
 この車両に乗っていた人は、後で肝を冷やしたことだろう。

 今回の問題は、台車枠に亀裂が起きたことよりも、異常に気付きながら、確認を怠り、3時間以上も運行を続けていたことにある。
 11日の13:33に博多駅を出発したのぞみ34号は、小倉駅で既に異常が発生していた。
 最初に異常に気付いたのは、社内販売員。
 「焦げたような臭い」との通報があり、車掌が社内点検し、東京指令所に報告。
 指令員が岡山支所に車両保守担当社員の出動を指示。
 13号車の乗客から「社内に靄がかかっている」との通報を受け、車掌が指令員に報告。
 15:16に岡山駅から保守担当が乗車。
 13〜14号車間でうなり音を確認し、指令員に伝達。
 指令員が走行に支障なしと判断。
 運転継続。
 16:01新大阪で保守担当が降車。
 ここから、乗員がJR西日本からJR東海に引き継がれる。
 17:03名古屋駅で、JR東海の保守担当が床下を点検。
 13号車の歯車箱付近に油漏れを確認。
 運転取りやめ。

 不思議なのは、早くから異常に気付きながら、具体的な手を打っていないことだ。
 やったことといえば、通常運行を続けながら、東京の指令所に報告していたことだけ。
 異常を感知した時は、指令所に報告し、指示を仰ぐルールになっていたのか。
 その東京の指令所としても、できることは保守担当社員を乗り込ませることしかない。
 その保守担当も異音を確認して指令所に報告しただけで、何もやっていない。
 JR西日本の保守担当は、新大阪に着いたところで、自分の管轄エリアは終わったとして、そのまま降車してしまったようだ。

 新幹線の安全管理には定評があったはず。
 少しでも異常に気付けば、念のために点検を行い、そのために運行の遅れが出ることもしばしば。
 異常がなくても、大雨が降ったり大風が吹いただけで、徐行運転や運行停止が行われる。
 それほど、最近のJRは慎重な運行をしているのだと思われた。
 ところが、今回のJR西日本の対応は、慎重な安全運行とは程遠い。
 異常を感知した後、それに対して責任ある対応をした者が誰もいない。
 報告はするがそのあとは指令所の指示を待つだけ。
 報告した時点で、自分の責任は果たしたという心理に陥っていたのだろうか。
 指令所も、現場の報告を聞いているだけなので、差し迫ったリスクを実感できず、適切な指示をだせていない。
 東京の指令所は、指示を出したとしても、重大インシデントに責任を負って対処しているという感覚ではなく、現場の問い合わせに対して、アドバイスをしている程度の意識だったのかもしれない。

 ポイントは、新大阪駅だ。
 そこで、JR西日本からJR東海に引き継がれる。
 JR東海に引き渡したJR西日本の乗員や保守担当者は、すべての責任まで引き渡してお役御免という感じか。
 JR東海に引き継がれたおかげで、床下の点検が行われ、事なきを得た。
 JR東海の関係者は「なぜ新大阪までの間に、床下点検をしなかったのか」と不思議がる。

 福知山線脱線事故を引き起こしたのはJR西日本だった。
 もしかしたら、危機管理意識の低さは、JR西日本の体質か。

 
 
 

 
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2017年12月14日

伊方3号機差し止め:ゼロリスクを求める高裁判断

 伊方3号機について、広島高裁は差し止めを命じる決定をした。
 その判断の根拠は、阿蘇山が噴火した場合、火砕流が原発に到達するかもしれないというもの。
 9万年前に阿蘇山が巨大噴火を起こしたときに、160キロ先まで火砕流が到達しているらしく、その時、火砕流が佐田岬半島まで到達していたかもしれないというのだ。
 佐田岬半島まで火砕流が届いていた痕跡が見つかったというのではない。
 「火砕流が到達していないと判断するのは困難」という裁判所の見解だ。
 電力会社側は、四国まで火砕流が到達した痕跡はないと主張していたが、裁判所は、「9万年の経過で痕跡が残存していない可能性がある」と反論した。
 火砕流の痕跡がないからといって、それが火砕流がなかったことの証拠にはならないというのだ。
 阿蘇山の破局的噴火も、具体的にその可能性が確認されているというわけではない。
 「阿蘇山が1万年に1回とされる噴火をした場合、火砕流が原発に到達する可能性がないとはいえない」
 つまり、リスクがゼロであることが確認できない以上、原発再稼働は認めないということだ。
 まるで、原発差し止めという結論が先にあり、そこに結びつけるために、阿蘇山の破局的噴火というリスクを見つけ、無理やりねじ込んだという印象が強い。 

 本当に佐田岬半島が火砕流で覆われるような巨大噴火が起きたら、原発が被害を受けるどころの話では済まない。
 九州が壊滅するのはもちろんだが、北海道までほぼ日本国土すべてが厚い火山灰に覆われ、社会機能は停止する。
 原発の有無にかかわらず、日本国土はヒトの住める土地ではなくなってしまう。
 そのような破局的な事態を想定し、原発リスクだけを取り除いたところで、どれだけの意味があるのだろう。
 



 
posted by 平野喜久 at 08:52| 愛知 ☀| Comment(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする