2017年05月14日

批判のための批判はいらない:野田幹事長の街頭演説

 民進党の野田幹事長の街頭演説。
 安倍政権への批判を繰り返していたが、その内容は口先だけの批判にとどまっているという印象が強い。

 安倍首相が憲法改正を2020年までにと考えている件については、
 「全く関係のないことまで2020年に絡めるおかしな発言が出てきた」
 「何故憲法改正を2020年までとするのか。全く関係ない」と批判。
 「トップダウンで方向性を決める問題ではない」
 「日本は大統領の国ではない」
 「お門違いの発言だ」などと厳しく指摘。

 さらに、テロ等準備罪については、次のように批判していた。
「2020年に向けて新たにテロ対策をやらなければいけないくらい安全に不安のある国だったんですか?そうじゃない筈であります」

 安倍政権のやろうとすることを批判することに精一杯で、その主張に無理やり感が強い。
 民進党の中でも野田氏だけは、現実的な判断ができる政治家だと思われたが、その彼にして、この程度の主張しかできないとは驚いた。
 立場上、こう主張せざるを得ないのだろう。
 「提案型の野党になる」というのが公約だったはずだが、その様子はなく、安倍政権に難癖をつけることに終始している印象だ。

 テロ等準備罪に対する批判として、「日本はそんなに危険な国なのか」という批判は、リスクから目をそらそうとする悪魔の言説だ。
 リスクに目を向けなければ、問題が存在しないことになる。
 問題が存在しなければ、対策を講じる必要はない。
 対策を講じる必要がなければ、テロ等準備罪は不要だ。
 前提となるリスクを否定することで、政府の対策を否定するというのは、ただ国民の目をそらそうとしているだけで、何のリスク対策になっていない。
 現状ではテロ等準備罪が必要ないのであれば、いったいどうなったら必要になるのか、という判断基準が必要になる。
 提案型の野党なら、その基準が示せるはずだが、そんな基準は示せないだろう。
 政府を批判するために理屈をつけているだけだからだ。
 おそらく、テロ等準備罪が必要となる判断基準を明確に示せる人はいない。
 ここまでだったら必要ないが、これを超えたら必要になる、などと言えれば簡単だが、そんな基準はどこにも存在しない。
 どこにも存在しないものを前提にした議論に現実性はまったくない。
 民進党(旧民主党)は、何のために政権を経験したのか。
 せっかくの経験がまったく生かされていないではないか。
 人は失敗を通して多くを学び成長する。
 だが、民進党は民主党から党名を変え、悪いイメージを断とうとしたが、同時に、貴重な経験知も断ち切ってしまったようだ。

 本日のサンデーモーニング。
 トランプ政権批判と、安倍政権批判に終始し、北朝鮮の脅威は1つも語られることがなかった。
 番組が始まる僅か3時間前に北朝鮮がミサイルを発射し、30分前には官房長官が記者会見をしていたというのにだ。
 北朝鮮の脅威を取り上げると、安倍政権を批判しにくくなることを嫌がったのだろう。
 だが、ミサイル発射は、すでにネット上で情報が出回っており、視聴者はとっくに知っている。
 コメンテーター全員が申し合わせたように、北朝鮮の脅威を無視して安倍批判を繰り返す様子が滑稽でさえあった。
 コメンテーターの1人は、こんなことを言っていた。
 「日本だけが北朝鮮と対話しようという姿勢を示さないのはおかしい」
 このコメンテーターもミサイル発射の情報は知っていたはずだ。
 それが、30分間も飛び続けるような新しいタイプのミサイルだったことも分かっていたはず。
 すべてを知ったうえで、平然とこんなコメントを発信できる神経は異様だ。



  
 
 
 
 
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2017年05月12日

無断使用の迷惑料1,000円:DeNAの小ばかにした対応

 毎日新聞の報道による。
 医療情報サイト「WELQ(ウェルク)」などで、記事や写真の無断使用が問題化し、10サイトが非公開に追い込まれたDeNA。
 無断使用された人に「迷惑料」名目で金銭の支払いを始めているらしい。
 
 当初、DeNAは「ただ場所を貸しているだけのプラットフォーム事業者で、記事の内容には責任を負わない」「投稿者が勝手にやったこと」と責任回避の姿勢を見せていた。
 だが、第三者委員会の調査により、DeNA自身も記事作成に積極的に関わっていたことが判明し、著作権侵害が逃れられなくなった。
 調査によれば、サイトに掲載された記事の最大5.6%、写真計74万件に著作権侵害の疑いがあったという。

 DeNAは、記事や写真を無断で使われたのではないかとする人の問い合わせに応じ、「迷惑料」を支払う対応を進めている。
 「迷惑料」の金額や算定基準については、はっきりしないが、個別に判断されているようだ。
 事業者の場合は万円単位、個人の場合は1,000円程度になるという。
 事の重大さに比べて、金額の安さに驚き、DeNAと交渉、「この写真を撮るためにどれだけの苦労と経費をかけたか」を説明し、値段を上げさせた個人もいたそうだ。

 DeNAは、個人は対処しやすいとみてなめてかかっている。
 相手が大手企業だったりすると、法的手段で膨大な損害賠償を求められる可能性があり、対応を間違うととんでもないことになる。
 ところが、相手が個人であれば、口先だけで対応していれば、やがて相手は泣き寝入りする。
 それで、対応が甘くなるのだろう。

 損害賠償の算定基準は難しい。
 相手が事業者であれば、実際に被った損失を算定しやすく金額も高額になりがちだが、個人が趣味で公開しているブログだと、実質的な損失はなく、心理的な被害しかない。
 ウェルクによって無断使用された側としては、不快極まりない。
 その不快感を慰撫する金額とはどのぐらいかは、個人差があり一律で決めるのは無理だ。
 過去に、個人情報漏洩事件を起こした企業は、個人への見舞金として500円程度を払うというのが相場になってしまっている。
 今回は、それを基準に、1,000円あれば十分だろうとの判断があったのかもしれない。

 しかし、1,000円という金額は、子どもの小遣いでも喜ばれない金額であり、あまりにも事態を軽んじている印象を受ける。
 被害個人だって、何も高額の賠償額をふんだくってやろうとは思っていないだろうが、具体的な金額を提示されたおかげで、却って、「この程度の被害だと思っているのか」というのが目に見える形で分かってしまうだけに、納得がいかなくなる。
 個人は、たとえ趣味のブログに挙げている写真であったとしても、その写真を撮るためにどれだけの苦労をし、どれだけのコストをかけ、どれだけの思いを傾けたか分からない。
 こだわりのある写真であれば、その思いはなおさら大きい。
 それを、ネット上でたまたま見つけ、勝手にコピペして、自分のサイトで堂々と使用している姿は許しがたい、と思って当然だ。
 DeNAという大手企業のブランドを背負った業者であり、こちらは一個人。
 個人には何もできないだろうという小ばかにした態度にも見え、余計に不快だ。
 さらに、DeNAは、これを商売に使い、集客効果を高めるために利用して、実質的な利益を得ているのだ。
 そのことを思うと、その「迷惑料」がたったの1,000円では、あまりにも安すぎる。
 本来なら、「同じ写真を独自に撮影しとしたら、どれだけのコストがかかったか」という視点が算定基準にならなければいけないだろう。
 被害者にとって、「迷惑料」という言い方も、不愉快だろう。
 「あ、ごめんね」という程度の態度に見えるからだ。

 今回、DeNAは、申し出があった被害者に対して迷惑料を払うことにしたようだ。
 つまり、「文句があるなら言ってこい」という態度だ。
 自分らが犯した無断使用なのだから、自ら相手先を探し出して、「迷惑料」の支払いを申し出るべきところだ。
 どうして、個人の側がDeNAサイトを調べて、自分の記事や写真が無断使用されているかどうかを確認しなければならないのか。
 だが、写真の無断使用だけでも74万件とあまりにも多く、範囲も膨大で、とても1件1件フォローしきれない。
 面倒だから、クレームを言ってきた人に個別対応するということにしたのだろう。
 元のサイトは既に閉鎖されており、今更確認することすらできない。
 自分の著作が剽窃されたことすら気づいていない人も多いかもしれない。
 DeNAとしては、このままそっとしておいた方が得策だ。

 個人ブログの場合、記事や写真がコピペされたとしても、業務妨害されたわけでもないし、何か物が盗まれたわけでもないので、「実質的な損失がないんだからいいじゃん」と解釈されやすい。
 しかし、金銭的なコストがなくとも、精神的なコストが大きい。
 実際には、無断で使われたという不快感だけでは済まない。
 同じ記事や写真がDeNAの管理サイトに表示されたとすると、どういうことになるか。
 DeNAのサイトと個人ブログのサイトに同じ記事や写真が載っていることになる。
 第三者が見たとき、どちらがオリジナルかは分からない。
 まさか、DeNAが個人ブログから盗んだとは思わないだろう。
 個人がDeNAサイトから勝手に剽窃していると判断されかねない。
 そうすると、個人の社会的信用が棄損されることになる。
 個人にとってこの信用喪失のコストはあまりにも大きい。
 
 
  


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2017年05月08日

映画「太陽の蓋」:危機のリーダーのあり方

 映画「太陽の蓋」を鑑賞。
 去年の封切時に観たいと思ったが、上映館が少なく、チャンスがなかった。
 ようやくレンタルDVDで鑑賞できた。
 
 この映画は、福島原発事故直後の数日間を、官邸の視点で描いたドキュメンタリータッチのドラマだ。
 時々NHKでやっている原発事故の再現ドラマに近い。
 官邸内部ではどのようなやり取りがあったのかを映像として確認できる。
 いろいろ考えさせる場面が多い。
 その中でもクライマックスの1場面を取り上げる。
 東電が撤退を申し出てきた場面。
 官邸内でも様々な意見が出る。
 「これだけの危機的状況じゃ、やむを得んだろう」
 「民間企業に政府がとどまれと命令できるのか」
 「まさか死ねとは言えんだろう」
 その中で、菅総理だけは逡巡する様子もなく「撤退はあり得ない」と言い切る。
 これで、官邸内の意思が固まった。

 後に、総理は東電本店に乗り込んで撤退はあり得ないことを伝える場面になる。
 総理たちが東電の危機対策室に入ったところで呆然とする。
 対策室の壁面には巨大な多面モニターが掲げられており、原発の現場映像もリアルタイムで映し出されていた。
 東電の危機対策室は現場とつながっていた。
 なのに、官邸には何の情報も伝えられていなかった。
 「いったい東電は何をやっていたのだ」との怒りが込み上げるのが分かる。
 
 菅総理はモニターを背に立ち、東電幹部らに向かって怒りの演説を始める。
 「撤退はあり得ない。死ぬ気でやれ」
 断固たる言葉に会場が凍り付く。
 この場面、菅総理は一度も頭を下げることがない。
 だれかと握手をすることもない。
 演説に先立って、東電職員らの苦労をねぎらう言葉もない。
 実際に、この菅総理の演説を聞いた東電社員の中には、反感を覚え、士気阻喪した者もいたらしい。
 東電社員らも彼らなりに苦労し、一生懸命対処しているつもりでいたのだ。
 それを何も認めないような総理の言動に反感を覚えたのだろう。
 だが、この時の有無を言わさぬ断固たる言葉によって、東電幹部らの覚悟が決まったのは間違いない。

 果たして、この時の菅総理の言動は、危機に臨んだリーダーとして正しかったのかどうかは、ディスカッションのテーマになりそうだ。
 
 
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2017年05月06日

原発事故ルポの名著:危機のリーダーを考えさせる

 遅ればせながら、福島原発事故のドキュメンタリーを読んだ。
 このような本は、事故直後よりも、時間を置いてからの方が、落ち着いて読める。

大鹿靖明 著 『メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故』(講談社文庫)
船橋洋一 著『カウントダウン・メルトダウン(上)(下)』 (文春文庫)

 原発事故関連の書籍はいろいろ出ているが、この2冊が最も内容が充実しているようだ。
 関係者へのインタビューと周辺情報の取材がしっかり行われており、人々の動きや気持ちが手に取るようにわかる。
 現場では何が起きていたのか、東電幹部らは何を考えていたのか、保安院や委員会は何をしていたのか、官邸はどう行動したのか。
 まるで、小説でも読むようなリアルさで再現されている。
 これが、フィクションではなく、現実に起きていたことだけに、胸に迫るものがある。
 リアルタイムでは国民に何も知らされていなかったが、実際には、日本消滅の危機に瀕していたのだということが分かって背筋が寒くなる。
 この2冊は同じ原発事故を取り上げており、当然、同じ場面が出てくるが、視点の置き所の違いか、本によってニュアンスが違うのが興味深い。
 このような多面的な視点で事故を取り上げることで、真実が見えてくる。

 事故時の対応で、菅直人総理の言動が批判されることが多い。
 事故直後に、総理自身が官邸を離れて事故現場に押しかけ、現場を邪魔した。
 東電本社に乗り込み、幹部や社員らをどやしつけて萎縮させた。
 常にイライラし、周りの人間を怒鳴り散らし、誰も近づかなくなった。
 これらの言動はどうやら事実のようだ。
 だが、菅総理の立場に立ってみると、彼のイライラ感はよくわかる。
 腑抜けのように当事者能力を失っている東電幹部。
 責任放棄して逃げることしか考えていない保安院職員。
 まともに判断できず適切なアドバイスもできない安全委員会。
 その実態を知ると、菅総理でなくてもイライラを爆発させたくなる。
 もちろん、官邸の対応にも反省すべき点はあっただろうが、政治家まで腑抜けになっていたり、逃げ腰になっていたりしなかっただけでも、よかったと思う。

 官邸の中の1人が、「菅総理でよかった」と思わず漏らす場面が出てくる。
 東電本社に乗り込み、「撤退はあり得ない! 死ぬ気でやれ!」と大声でどやしつけ、東電幹部らの表情が引き締まる場面だ。
 ドラマだったら、ここがクライマックスになる。
 確かに、菅総理だから、これができた。
 その前の総理だったら、「トラストミー」「腹案がある」と言っているだけで、何も行動できなかったに違いない。
 
 この本は、危機の臨んでのリーダーの在り方を考えさせる絶好のケーススタディになる。
posted by 平野喜久 at 09:14| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | リスクマネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月30日

オリンパス元経営陣への賠償請求:590億円の支払い命令

 オリンパスの株主代表訴訟で、約586億円の賠償責任という判決が出た。
 光学機器大手オリンパスの巨額損失隠し事件で損害を与えたとして、同社と個人株主が旧経営陣ら18人を相手取り、計約897億円の損害賠償を同社に支払うよう求めた訴訟。
 東京地裁は27日、元会長ら8人に計約590億円の支払いを命じる判決を言い渡した。

 判決によると、同社は1990年に運用していた株の大幅下落で損失が拡大。
 96年頃には資金運用の含み損が約900億円に達したが、海外ファンドに含み損を抱えた金融資産を移し替えるなどして損失を簿外で隠蔽。
 損失隠しは2011年に発覚。
 元社長ら3名は金融商品取引法違反に問われ、東京地裁で13年7月、執行猶予付きの有罪判決を受け、確定していた。
 オリンパス社は「会社に多額の損害を与えた」として元社長らを提訴。
 約37億円の支払いを求めた。
 同時に個人株主も株主代表訴訟を起こし897億円の賠償請求していた。
 今回の判決は両者を合わせた判断となる。

 判決は、菊川元会長ら旧経営陣について「簿外損失を公表する機会がありながら公表せず、損失隠しの中止や是正の措置も何ら講じなかった」と指摘。
 損失隠しによって、株主に本来の分配可能額を約586億円上回る配当が行われたとして、菊川、山田、森の3氏に約586億円の賠償責任を認めた。
 また、菊川氏らには、事件で同社が支払った課徴金の一部などの賠償も命じた。

 今回の賠償責任は、元経営陣8人に対するものだが、実質、元社長の菊川氏、元副社長の森氏、元監査役の山田氏に対するものだ。
 この3氏が損失隠しを主導した主役、他の5人は当時の経営陣として虚偽記載を防ぐ責任を果たせなかった脇役と認定された。
 主要3氏だけで586億円の賠償責任。
 これは、組織の賠償責任ではなく、個人の賠償責任という点が重要だ。
 単純に三等分したとしても、1人195億円。
 個人賠償としては、考えられないような額になる。
 
 被告の元経営陣らは、何も私腹を肥やそうと会社の金に手を出したわけではない。
 たぶん、本人らには、会社のためという経営判断で行なったものとの思いがあるだろう。
 だが、これだけの損失を会社にもたらしておきながら、自分は高額の役員報酬をもらい、退職金を満額手に入れているとしたら、自分の利益のために会社の利益を犠牲にしたも同然だ。
 私腹を肥やすために会社の金に手を出したのと同じことになってしまう。
 
 もう1つ、重要な点は、主役3氏だけではなく、脇役5氏にも賠償責任が認められたことだ。
 この5氏は、たぶん、損失隠しには直接関与していない。
 しかし、当時の役員として、損失隠しを知りうる立場にあったし、それを防ぐ責任があった。
 そのことを厳しく認定されたことになる。
 つまり、何かやらかしたことを責められているのではなく、何もしなかったことが責められているのだ。
 ただ役員会の場で、黙って座っているだけでは、いつ賠償責任を問われるか分からないということになる。

 さらに、賠償責任が認められた元役員の中には既に他界してい人もいるが、支払い命令はその遺族に出されている。
 賠償責任は死んでも許されないということだ。 
 
 仮にこの判決が確定したとすると、賠償命令が実行に移される。
 個人でこれだけの賠償に応じられるかどうか。
 世界的な富豪だったら小遣い程度の金額だが、普通は全財産を拠出しても足りないだろう。
 賠償請求に対して、自己破産は認められていない。
 当面の生活費だけを残して、強制的に身ぐるみをはがされることになる。

 菊川氏については、2012年の報道で、個人資産を親族に譲渡していたことが分かっている。
 今回のように個人賠償にまで発展することを見込んで、事件発覚直後から対策をしていたのだ。
 他にもあらゆる手段で、個人資産を分散させているのに違いない。
 このような行動は詐害行為とみなされ、すべての取引を取り消されることになる。
 相手が善意の第三者であったとしても、無理だ。
 取引の取り消しとは、取引自体がもともとなかったことにされるということだからだ。
 オリンパスの元経営陣らは、たぶん、逃げ切れない。

 中小企業の社長は失敗したら身ぐるみはがされるが、大企業の社長は、失敗しても辞任すれば退職金をもらって逃げ切れるというのが、昔の常識だった。
 ところが、いまは時代が違う。
 

 
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2017年04月28日

2017年版地震動予測地図:確率の低い地域こそ警戒せよ

 地震調査委員会が17年版「全国地震動予測地図」を公表した。
 この予測地図は、今後30年以内に震度6弱以上で揺れる確率を地図上に色分け表示したものだ。
 確率の高い地域として目立つのは、北海道太平洋側、関東から四国にかけての太平洋側が濃い赤色表示になっている。
 都市ごとにパーセンテージを見てみると、千葉:85%、横浜:81%、水戸:81%が大きい。
 そのほか、主要都市では、東京:47%、名古屋:46%、大阪:56%となっている。
 一方、日本海側は確率が低く、山形:3.6%、金沢:6.5%、松江:3.7%。
 地域によって確率の大小がくっきり分かれている。
 16年版と比較すると、全体に1ポイントほど上昇している。

 これを見ると、いまの日本のどの地域に震災リスクがあるのかが一目でわかる。
 千島海溝、首都直下、南海トラフのリスクが高まっているのが、このマップから確認できる。
 このようなデータを公表する目的は、国民に正しい情報を提供して、健全な危機意識を持ってもらうこと。
 国民の不安感を煽るような派手な演出もなく、さりげなく淡々と発表されるところがいい。

 ただ、この予測地図のやっかいなところがある。
 確率の高い地域では、健全な危機意識を持ってもらうことができるが、逆に、確率の低い地域には、不必要な油断を与えてしまうことになりかねない。
 昨年の熊本地震も、このマップからは読み取れなかった。
 近年の地震の多くは、確率の低い地域ばかりで起きている印象だ。
 だから、地震の起きない地域を探そうという視点でこの地図を見るのは間違っている。
 確率の低い地域は、地震が起きないのではなく、地震の原因になる活断層などが見つかっていないだけと思った方がいい。
 南海トラフ巨大地震は、どのような地震が起きるのかがはっきりわかっているし、どのような揺れになるか、どのような被害が出るかが詳しく予想されている。
 それに比べて、確率の低い地域は、いつどのような地震が起きるか分かっていないということだ。
 むしろ、不意打ちを食らう恐れがあるという点では、確率の低い地域こそ警戒しなければならないだろう。

 
 

 
 
 
 
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2017年04月25日

今村大臣の失言:在庫一掃大臣の限界

 今村雅弘復興相が辞任する意向を固めた。
 以前、記者会見での失言で物議をかもしたが、さらに新たな失言があったという。
 所属する自民党二階派のパーティーで講演し、東日本大震災の被害に関し「まだ東北で、あっちの方だったから良かった。首都圏に近かったりすると、莫大(ばくだい)な、甚大な額になった」と述べた。
 これが、失言として問題となる。
 このパーティには安倍総理も出席しており、ただちにこの発言を不適切として首相として謝罪をした。
 その日のうちに辞任が決まり、実質、更迭となった。

 今村大臣の発言の真意はよくわかる。
 東日本大震災では多くの犠牲者があり、経済被害も大きかった。
 しかし、東北だからこの程度で済んでいるのであり、これが、首都直下だったり、南海トラフだったら、被害は桁違いになる。
 このことを指摘しようとしたのだ。
 当たり前のことを言っているだけなのに、なぜ、問題になるのか。
 それは、「東北だからよかった」という表現にある。
 東日本大震災で被災した人々にとっては、災害規模の大きい小さいはまったく関係ない。
 ひとりひとりにとって被害はいずれも甚大だ。
 「東北だからよかった」という発言は、被災者の感情を逆なでする。
 「東北だからこの程度で済んだ」でも問題だろう。
 
 この手の話をするときには、言葉のニュアンスには神経質にならなければならない。
 特に、政治家は言葉がすべてだから、余計に慎重になって当たり前だ。
 慎重になりすぎて、話が面白くなくなったとしても、やむを得ないぐらいの覚悟がいる。
 今村大臣には、言葉の感性が鈍すぎた。
 いままで、閣僚経験がないために、公の発言に慣れていなかったか。
 それでも、政治家として言葉に無頓着すぎる。
 いままで、彼の発言が注目されることもなく、何を言っても問題になることがなかった。
 それが、大臣となって急に注目されるようになったことで、ぼろが出始めた。
 できる人間なら、大臣となると同時にスイッチが切り替わるはずが、彼はそのようなスイッチがなかった。
 以前にも失言を指摘されて、反省をしたはずなのに、言葉の無頓着ぶりはそのまま。
 致命的な失言を繰り返した。
 スイッチがないのだから、モードが切り替わりようがなかったのだ。

 在庫一掃の順送り人事で入閣した政治家は、失言を起こしやすい。
 大臣になったことで気持ちが大きくなっている上に、言葉への感性が以前のまま。
 いつもと同じ調子で、あるいは、それ以上に調子づいて受け狙いの発言を繰り返すうち、簡単に失言に至る。
 さらに、失言から名誉挽回しようとして、余計な発言をし、それが新たな失言となる。

 安倍総理も、匙を投げた。
 即日の更迭は、対応の迅速さが際立っている。
posted by 平野喜久 at 22:46| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 世事雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月18日

『レジリエンス認証を取得しよう』出版:BCPノウハウ第3弾

 BCPノウハウ第3弾として『レジリエンス認証を取得しよう』をリリース。
 ただいま、アマゾンKindle版として販売中。
https://www.amazon.co.jp/dp/B06ZZB3DRK

 「レジリエンス認証」は、昨年度に始まったBCPの認証制度。
 日本で初めてのBCP認証制度として注目されているが、なにしろまだ始まったばかりで、情報が少ない。
 どんな制度なのか、どのようなメリットがあるのか、どのぐらい難しい認証なのか、など、分からないことが多い。
 内閣官房やレジリエンスジャパン協議会の公式ウェブサイトでは、表向きの情報は公開されているが、実際に申請する事業者側の立場に立った情報がない。
 その他のネット上を検索しても、レジリエンス認証の表面的な紹介文が見つかるだけで、ほとんど実践レベルの情報がない。
 そこで、この情報不足を補うために、今回の緊急出版を試みた。
 
 実際に、顧問企業のレジリエンス認証取得のお手伝いをさせていただいた過程で得られた知見をもとに、この制度のメリットや認証取得のためのノウハウを分かりやすくまとめている。
 現時点で、このレジリエンス認証に関する情報としては、質量ともに最も充実したコンテンツだという自信がある。
 レジリエンス認証は、今後、日本のデファクトスタンダードとなるべき認証制度だ。
 BCPに取り組んでいる方、レジリエンス認証に関心のある方には、ぜひお目通しいただきたい。


 
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2017年04月15日

ユナイテッド航空の不祥事:乗客の強制排除

 ユナイテッド航空の不祥事が世界で話題になっている。
 米国東部時間4月9日夜、シカゴ発ルイビル(ケンタッキー州)行きの短距離運航便。
 午後5時40分の定刻出発に向け、乗客の搭乗が完了した後、業務上の理由で乗務員4人が同便でルイビルに向かわなければならない事が判明。
 事実上のオーバーブッキングとなり、乗客が4人、飛行機を降りなければならなくなった。
 ユナイテッド側は降機に協力する乗客に対して協力金400ドルとホテルの宿泊代を提案したが、応じる人はいなかった。
 補償金を800ドルに積み増したが、それでも協力者が出てこなかったため、4人の客の指名に踏み切ったという。
 指名された4人のうち、3人は素直に応じたが、1人だけ降機を拒否したため、シカゴ航空局の保安係官が呼ばれ、客は席から強制的に引きずり出されることになる。
 その排除行為は、乗客が座席の肘掛けに顔を強打し、鼻を骨折し前歯を折るという非常に乱暴なものだった。
 その様子が複数の乗客によって撮影され、直ちにSNS上に投稿される。
 この動画は、瞬く間に世界中に拡散し、騒動となった。

 アメリカでは、航空会社による搭乗拒否はよくある話らしい。
 予約をしても、当日の事情で搭乗しない客がおり、空席のまま飛行機を飛ばすことを避けるために、常に多めに予約を受ける。
 つまり、いつもオーバーブッキングなのだ。
 予想通りドタキャンが出て、多めの予約がうまく定員に収まればOK.
 だが、必ずそうなるとは限らない。
 その時には、誰かに搭乗をあきらめてもらうしかない。
 何らかの方法で、客を選び、別便への振り替えをお願いすることになる。
 今回は、この一連の様子があまりにも乱暴で、他の乗客にも目に余る状況に見えたので、動画が撮影され、拡散されることになった。

 1人だけ強硬に降機を拒否したため、乱暴な排除行為になり、それが他の乗客に撮影され拡散されることになった。
 普段は、おとなしく客が応じ、問題なくことが収まっていたのかもしれない。
 選ばれた4人は、みんなアジア系の客だったという。
 白人を選ぶと「なんで私が?」と猛烈に抗議される。
 黒人を選ぶと「人種差別だ!」と問題がややこしくなる。
 アジア系なら、おとなしく応じる人が多いということで選ばれたのか。
 いままでの経験則から、アジア系を選んでおけばトラブルが少ない、ということが分かっていたのかもしれない。
 
 ユナイテッド航空の今回の対応はひどいものだが、問題が発覚してからの対応もひどい。
 会社側は、当初はオーバーブッキングを起こしてしまったことを謝罪していた。
 わざと問題をそらそうとしている。
 CEOは、社員向けのメッセージで、「乗客がけんか腰だった」と批判し、社の対応を正当化していたことが発覚し、騒ぎを大きくしている。
 その後、「無理やり排除された乗客と乗り合わせた全ての乗客に深く謝罪する」との声明を出し火消しに動き出すが、全く火消しになっていない。
 アメリカの経営者は、謝罪が下手だ。
 日本と違って、もともと謝罪で問題を収束させるという文化がないからだろう。

 たぶん、こんなことはいつものことであり、他の航空会社でもやっていること。
 今回は、たまたま客が抵抗し騒いだので乱暴な扱いになっただけで、自分らの行為に問題があるという自覚がないのではないか。
 むしろ、客に騒がれた自分らこそ被害者との感覚があったのではないか。
 保安係官を呼び強制排除させたのは、「客が騒いで降りないので、飛行機を発進できない」という理由だったのだろう。
 保安係官は、どういう事情か分からず、航空会社の言われるがまま、騒ぐ客を力づくで無理やり引きずっていった。

 米運輸省によれば、米国内で2016年にオーバーブッキングのため搭乗便を変更するよう求められた乗客数は43万人強に上ったという。
 オーバーブッキングを当たり前とし、定員を超えた場合は搭乗拒否をして対応するという航空業界の体質に問題の本質がありそうだ。

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くら寿司のお粗末な対応:投稿者の情報開示請求

 産経新聞の報道による。
 奇妙な裁判があった。
 大手すしチェーン「無添くら寿司」を運営する「くらコーポレーション」が、プロバイダー業者「ソニーネットワークコミュニケーションズ(ソネット)」を相手取り、裁判を起こした。
 訴訟の内容は、インターネット掲示板上に「無添という表現はイカサマくさい」などと書き込んだ人物の情報開示を請求したもの。
 その判決が12日、東京地裁であった。
 結果は、請求棄却。
 「書き込みは、くら社の社会的評価を低下させるものではなく、仮に低下させるとしても、書き込みには公益性があるため違法性はない」ということだった。
 
 株式情報を扱う掲示板に、ソネットのプロバイダーを利用する誰かが「くら寿司」を批判する書き込みをしたらしい。
 それで、くら社がソネットに対して、投稿者の情報開示を求めていたのだ。
 くら社は、投稿者の情報を得て、何をしようとしたのか。
 投稿者に直接掛け合い、投稿を削除せよと要求するつもりだったのか。
 それとも、このような裁判を起こし、批判的な投稿をする匿名者への脅しのつもりだったのか。
 いずれにしても、上場企業の対応としては低レベル過ぎる。

 実際の投稿内容は、次のようなものだったようだ。
 「ここは無添くらなどと標榜するが、何が無添なのか書かれていない。揚げ油は何なのか、シリコーンは入っているのか。果糖ブドウ糖は入っているのか。化学調味料なしと言っているだけ。イカサマくさい。本当のところを書けよ。市販の中国産ウナギのタレは必ず果糖ブドウ糖が入っている。自分に都合のよいことしか書かれていない」

 これを読むと、誹謗中傷やデマの類とは全く違うのが分かる。
 この内容は、多くの人が漠然と感じていたことで、「確かに、そうだよなぁ」と思わせる。
 「無添くら寿司」という店舗名は、まるで、出されている食材は、無添加に徹しているかのように連想させる。
 ところが、この店舗の売り文句に、「無添加」の言葉はどこにもない。
 テレビコマーシャルにも、広告にも、店舗内装にも、無添加をセールスポイントにしている様子はまったくない。
 ならば、この「無添」とは、何の意味か。
 誰もが疑問に思うだろう。
 もしかしたら、「無添」とは、どこかの地名か? 人名か?
 名前の由来も公表されていない。
 もしかしたら、消費者に「無添加」を勝手にイメージさせるためにこのような店名にしているだけではないのか。
 あの投稿者の思いは、ここにあったのではないだろうか。
 
 それにしても、くら社の対応はお粗末すぎた。
 裁判に訴えたことで、この案件が広く知られることとなり、むしろ企業イメージの低下につながた。
 そして、店名のうさん臭さに改めて気づかせることになってしまった。
 くら社としては、裁判に訴えるのではなく、「無添くら寿司」の店名の由来を丁寧に説明し、我が社の創業理念を広く知ってもらう絶好のチャンスにすべきだった。

posted by 平野喜久 at 17:10| 愛知 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | リスクマネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする